第1幕
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***
不可思議な男が《王国》の女王らを掌握しつつある、その日。
ギルドが縄張りに足を踏み入れてきたという知らせは瞬く間に本拠地へ駆け巡った。
「守備隊が食い止めておりますが、相手は異能組織、長くはもたないかと」
ケントが膝をつき報告する。その目の前で、二人の女王はソファの端と端に座っていた。その背後、中央を取り持つようにエドマンドが立っている。まるで二人を分かつように立っている黒づくめのその男を、ケントは睨み付けた。彼が来てから二人の距離は物理的にも精神的にも開いていったようにケントは感じている。
「敵の数は?」
リーガンが問う。
「四人です、リーガン様」
「四人? たったの?」
声を上げたのはゴネリルだ。
「こちらの戦力調査に失敗しているんじゃなくて? それとも舐められているのかしら」
「いずれにしろこちらも異能力者を配置した方がよさそうだ」
リーガンが顎に手を当てる。
「その人数ってことは、その四人は全員異能者であると考えられる。異能者同士による戦いはボク達の代では初めてなわけだし、慎重に行かないといけない。異能者の配置を考える必要がありそうだね」
「リーガンが行けば?」
突っぱねるようにゴネリルが横目を向ける。リーガンもまた、ゴネリルを横目で見遣った。
「何だって?」
「あなたの異能は攻撃向きよ、それでとっとと終わらせてくれば良いじゃないの」
「ゴネリル、聞いてた? 今ボクは慎重に配置を考えないとって言ったんだけど」
「そうやってアタシを前線に出して、自分は安全な場所でのうのうとするつもりなんでしょ?」
へそを曲げた子供のように不満げにするゴネリルへ、リーガンは苛立ちを露わに眉を潜めた。
「……それが最善だったのならそうするけど?」
「何ですって?」
「ボク達が今一番に考えるべきは、この状況をどうくぐり抜けるかだ。敗北は許されない。逆を言えば、敗北しないためにあらゆる手を許す必要がある」
「それでアタシを矢面に立たせようってわけ?」
「あらゆる手を考えた末にそれが最善だったのなら、だ」
「何よ最善、最善って!」
勢いよく立ち上がり、ゴネリルはリーガンを睨み付けた。
「この組織がアタシの異能で守られているってことわかってないの? アタシの異能で今まで外敵からこの場所を守ってきたのよ?」
「それが何?」
リーガンも立ち上がり、共に組織の頂点に立ち続けてきた姉を見つめる。
「ここで必要なのは経歴じゃない」
「何よ偉そうに!」
「一つ訊くよ」
熱を帯びるゴネリルとは反対に、リーガンは静かに問う。
「確かにこの場所はキミの異能で守られている。外部からの砲撃も、侵入を目論む歩兵も許さない完璧な防御壁だ。けど、ギルドはすでにボク達の縄張りに侵入している。これがどういうことか、わかる?」
ふとゴネリルが口を閉ざした。ようやく、事態を把握したようだ。
《王国》はこの寂れた街一つを縄張りとし、外周をゴネリルの異能で覆っている。その防御壁はドーム状になっており空からの侵入も許さない。けれど敵は既に防御壁の内部へ侵入し構成員との戦闘を繰り広げている。
ゴネリルの異能は万物を弾く反射の異能だ。鏡の中に何も入れないように、その異能を破って中に侵入することは不可能だった。ゴネリルが許可し招き入れた者しか、この地には足を踏み入れられないのだ。
「ボク達の敷地内は不可侵だ、なのに彼らが侵入できたということは、組織の中にギルドの協力者がいるということになる。君の異能を君に知られずに解除できる者、もしくは――君に異能の解除を唆した者が」
「……違う、アタシ、ギルドを招き入れてなんか」
後ずさり、ゴネリルはふと背後に立っていたエドマンドへと救いを求める目を向けた。フードの下で何かを言おうとしたエドマンドを、しかし鋭い声が制止する。
「ゴネリル」
震えるゴネリルを、リーガンは凛然と見つめた。背筋を伸ばし、罪を犯した姉を堂々と射竦める。
「――処罰はこの戦いが終わってからにする。それまでに、心を決めておきなさい」
「ちょっと待ってよリーガン!」
「ケント、罪人を地下牢へ」
「聞いてよ! ねえ!」
「おそれながらリーガン様」
ケントの出した声に、その場は時を止めたように静まり返った。処刑に対する怯えを露わにしたゴネリルの目が、突然の声に驚き見開かれたリーガンの目が、そしてフードの下にあるであろう得体の知れない眼差しが、ケントに集まる。
膝をついた状態でさらに頭を垂れ、ケントは口を開いた。
「ここは処刑を後に、お二人で協力して敵を排除すべきかと」
「ケント、場をわきまえろ。下手をすればキミも牢獄行きだ」
「そうは参りませんリーガン様。この《王国》はリーガン様とゴネリル様のお力によって平穏を保ってきました。リーガン様の異能で敵を屠り、ゴネリル様の異能で敵の侵攻を妨げてきたのです。女王二人で保たれる平穏、それが《王国》の強み、《王国》が《王国》たる由縁。今、この場は戦場。戦力を削ぐは避けるべきかと存じます」
「口を慎め」
リーガンの声は低い。
「……罪人と手を組めと?」
「ゴネリル様と手をお組み下さいと申し上げております。リーガン様とゴネリル様、お二人を女王と呼び従ってきた者からの頼みでございます」
「罪人は罪人だ、ケント」
カツ、と靴音が近付いて来る。いつもなら二人分聞こえてくるはずのそれは、一人分のまま、ケントのそばまで来た。
「――本来組織のボスというものは一人だ。これは、本来の形に戻っただけのこと」
低く迷いのない声に、ケントは頭を深く下げた。
これが女王の意志ならば、何をすることもできなかった。
***
リーガン一人による采配は組織内に混乱をもたらした。本来二人で一つだったはずのボスが、片割れのいないままに指揮を執っているのだ。リーガンの配下は機敏に動くがゴネリルの配下は慣れない指揮官に戸惑うばかり。統率の乱れた中での異能力戦は敗北への一途を辿っていた。
苛立つリーガンの元にエドマンドが来たのは、悪化する戦況ばかりを伝えてくるケントへ苛立ちの罵声を浴びせようとした時だった。
「リーガン様」
彼はいつもと変わらない優しい声音で告げる。
「ゴネリル様からのお品物です」
「ゴネリルから?」
「『反省と謝罪の意を込めて、お姉様からの贈り物、アナタが好まれた茶葉を』と」
お姉様、という言葉を久し振りに聞いた気がする、とリーガンはその包みを受け取りながら思った。英国で《王国》の一員だった頃、リーガンはゴネリルを「お姉様」と呼んだ。米国に逃れて《王国》を立ち上げる際、二人で頂点に君臨するのだからと呼び方を変えようと言われたのだ。
二人で女王を名乗ろうと手を取り合った。姉も妹もなく、攻撃と防御それぞれに秀でた者同士で協力すれば、必ず《王国》は蘇ると笑い合った。
あの日々が、遠い。
「……ケント、お茶を入れて。頭が爆発しそうだ、休憩を挟みたい」
ケントが茶葉を持って厨房へと向かい、部屋にはリーガンとエドマンドの二人きりになる。招くように手を伸ばせば、彼は静かにそばへと来た。リーガンの伸ばした手を取り、唇を落としてくる。
「やはり女王に相応しいのはリーガン様だと思っておりました」
「キミが言い出したんだろう、『女王の座は一人で十分』だと。そして約束通りゴネリルを突き落とした。処刑は逃れられないだろうね、敵を縄張りに招いたんだから」
「私はゴネリル様に、この地を覆うあなたの異能の美しさを見てみたい、と申し上げただけですが」
「言っただろう? ゴネリルは図に乗りやすいんだ。おだてればすぐにボロを出す。キミに惚れているんだもの、そう言われて防御の異能を強めたり緩めたりして見せるのはわかっていたさ。姉は常々、自分の異能のゆらめきをオーロラに例えていたから」
けど、と言葉を切り、リーガンはふと考え込む。
ギルドの侵入とゴネリルの行為は無関係なはずだ。元々はゴネリルに異能を緩ませ、それを咎めるのが作戦だった。タイミングよくギルドが侵入してきたから話の運びが簡単になったが、危険が身の内に入ってきてしまったことは事実。ケントの言う通り、当面はゴネリルと協力してギルドを追い出すべきだったのかもしれない。
しかし、この機会を逃すわけにもいかなかった。ちらと見上げた先で、フードの下の微笑みを見る。ゴネリルに彼を奪われるのは癪だった。子供じみた感情かもしれない。けれど、嫌なものは嫌だったのだ。
ケントが部屋に入ってくるのに気付いたエドマンドが、静かにリーガンから離れていった。ケントがティーカップをテーブルに置く。彼のぬくもりが残る手でそれを持ち、口をつけた。陶器の滑らかな障り心地を唇で感じつつ一口飲めば、温かさが喉を落ちていく。
この味を覚えている。英国にいた時によく飲んでいた紅茶だ。お洒落好きなゴネリルと違い、リーガンは装飾品や美食に関心がなかった。そんなリーガンが唯一気に入ったのが、この茶葉だったのだ。ゴネリルは大層喜んで、同じ茶葉を大量に購入してリーガンとの茶会を毎日のように楽しんでいた。「リーガンったらアタシと全然共通点がないんだもの。でも良かった、これで一つ、分かち合うものができたわ」と笑った姉の顔は今でも思い出せる。
幸せだった英国での日々は突然崩れ去り、二人は何とか傘下の組織の手を借りて英国に逃げ延びた。そこで二人、誓ったのだ。
――《王国》を再建する。他の地に散った同朋を呼び、再びここであの日々を手に入れる。
そうだ、と目を閉じる。ゴネリルと誓い合ったのだ、崩壊しかけた《王国》をこの手で再び、と。二人で、と。
もう一度話し合うべきかもしれない。女王の座は一つだとしても、姉は必要なように思えた。
目を開け、顔を上げる。そこにいたエドマンドへと指示を与えようとした。
「……ッ」
しかし。
「……ん、で」
声が、出ない。
ヒュ、と喉が鳴る。喉に手をやり、しかしその皮膚に触れる感覚すらわからなかった。危機を訴えようと立ち上がるも、足に力が入らず床に倒れる。ケントが駆け寄ってきた気がした。必死に首を動かして、ようやくその黒い服を見つける。
彼は立っていた。苦しむリーガンを前に、ただ立っていた。
その背後に人影が現れる。
「しびれ薬よ」
牢獄に入れたはずの姉が、エドマンドの腕に抱きつきながら笑っていた。
「致死量の毒は美味しかった? リーガン」
「……し、て」
「どうして? そりゃもう、リーガンを殺すために決まってるじゃない。女王の座は一人だけのもの、それが当てはまるのが自分だけだと思ったの?」
ゴネリルの華奢な手がエドマンドを撫でる。その手付きで、これが策略だったと知る。
自分がゴネリルを陥れたのではない。自分が、ゴネリルに陥れられたのだ。
「ゴネリル様! 今はそれどころではないのですぞ!」
ケントが叫ぶ。
「《王国》は今敵からの侵攻を受けています! お二人の力が必要なのです! それなのに、あなたは……!」
「だから取引よ、リーガン」
その手に隠し持っていたものを掲げ、ゴネリルは笑った。
「ここに解毒剤があるわ。アタシを女王としアタシの臣下に下るなら、これをあげる。従わないなら、苦しみながら死ぬことになる」
「ゴネリル様!」
「ケントは黙ってて。――悔しい? そうでしょうね、アナタはいつもアタシに指示を出すばかりで、アタシの意見なんて聞きもしなかった。どちらが姉かなんてわかりゃしない。ねえ、指示される気分はどう? 今まで従順な姉だと思っていたアタシに自分の生死を握られる気分は?」
ふとその歓喜に揺れる目がエドマンドを見上げる。
「自分の愛した男を奪われる気分って、どんなものなのかしら?」
――ふ、と考えなしに怒りが湧いた。
それは空気を振動させながらゴネリルへと走る。鼓膜を揺るがし破るほどのその衝撃波はしかし、ゴネリルが瞬時に展開した薄布によって反射され、リーガンを襲う。耐え凌いだリーガンの背後で部屋の窓が一気に割れた。
「アタシにアナタの異能が効くわけないじゃない!」
勝利の雄叫びに似た声を張り上げゴネリルが笑う。
「諦めが悪くてよ! ――ねえ、エドマンド、これで約束通りアタシが女王よ」
約束通り。
その言葉にリーガンは硬直する。
約束通り――エドマンドとの約束通り、ゴネリルは組織の頂点を奪取したということか。
「アタシのものになってくれるのよね? リーガンなんて捨てて、アタシだけのものに。そういう約束よね?」
是と言わせようとゴネリルがエドマンドを問い詰める。それに答えず、エドマンドはそっとゴネリルを自分の体から離した。離れ際に姉の肌を撫でていく優しいその手付きに、リーガンはエドマンドの真意を知る。
自分は、姉だけではなくこの男にすらも裏切られたのだと。
それでも。
「……た、すけ、て」
それでも、聞いて欲しい。
「たすけて、エドマンド」
この声を、思いを、聞いて欲しい。
一歩歩み寄ってきた彼は、リーガンへと跪いた。その手が優しく頬を撫でてくる。しかしそれ以上のことはなかった。頬を落ちる涙のようにそっと手を離し、彼は何も言わずに立ち上がる。
誰もがエドマンドの言葉を待った。
静まり返る部屋に、遠くからの喧噪が聞こえてくる。銃声、悲鳴、足音。それらを纏って、黒外套の男は佇む。静かに、口を噤んだまま。
時を待つように。
やがて――彼は、誰もいないはずの背後を振り返った。
「……これで満足?」
――それは、エドマンドの声ではなかった。
否、確かに彼の声ではあった。けれど、違う。彼の声はこれほど無感情ではなかった。これほど粗雑でも、子供じみてもいなかった。
まるで、舞台の上で演目を演じきった後の役者のような、変貌。
「ああ」
答えが返ってくる。成人した男のもの、それでいて人々を支配する者の声。満足そうなその声は部屋の外から現れた。
上品な靴が、服が、部屋の中に入ってくる。その姿に誰もが息を呑んだ。
城を基調としたスーツ、しわひとつないそれの上等さに負けないほどにきちりと整えられた短い金髪。傲慢な笑みに細められた青の目はその場にいる誰よりも鋭く、自信に満ちあふれている。
「任務完了だな、クリス」
ギルドの長だと報告されていた男が、そこに立っていた。