第1幕
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***
「アタシはね、ひとりぼっちなの」
白い壁に囲まれた一部屋で、ゴネリルは窓辺へと佇んだ。ふわりと広がるレースのカーテンを掬うように手に取り、零すように手放す。
「リーガンとアタシは二人で一つ。けど、アタシ達は決して二人にはなれなかった。同じ母の胎から生まれ落ちた二つの命は、まるで互いの頭蓋骨の中身を見せ合い混ぜ合わせたかのように同一だったのよ。アタシにはリーガンが必要で、リーガンにはアタシが必要。縄の端と端を持ち合った死刑執行人の気分よ、何かをするには二人で同時にそれをしなきゃいけないのだから」
「それが《王国》を統べる女王の正体というわけですか」
「アタシ達が優秀な二人の人間だったのなら、この組織はもっと良いものになっていたかもしれないわね。そうは思わない? エドマンド」
くるりと振り返り、ゴネリルは部屋の入り口に佇んだままの部下へと言葉を投げた。それに答えるように、彼はその悠然とした歩調でゴネリルの元へと歩み寄ってくる。
彼は優雅な男性だった。その姿は黒の外套で常に覆われ、目の色を見ることすら未だにできていない。それでも、彼がただならぬ高貴さを持ち合わせた魅力的な男性であることには違いなかった。
背後に立った彼へ指を伸ばす。ゴネリルの指へと、エドマンドは宝飾品に触れるかのように手を添えた。軽く触れ合う肌の質感。ゴネリルはぞっと背筋に這った甘美に身を竦める。
「ねえ、エドマンド」
この細く高い声は彼にどう届いているだろうか。
「一つ、お願いがあるの」
エドマンドはゴネリルの手を取りながら黙っている。先を促す沈黙に、ゴネリルは彼の手をそっと握りながら声を震わせた。
「……顔を、見たいの。あなたの、フードの下に隠された顔を」
「……それは」
「駄目?」
「……お見苦しいものですので」
そう言いながらもエドマンドはそっとゴネリルの背へ体を寄せて来た。互いに顔を見つめ合う前のような、ため息が吐息に変わる静かな時間。
「火傷を負っているのです」
エドマンドは躊躇いながら言った。
「顔に、広く。特に酷い目元には仮面をつけていますが、頬や額も赤くただれているのです。とてもゴネリル様にお見せできるものでは」
「アタシ達は英国で猛威を振るう竜巻だった」
ゆっくりと首を振りつつ、ゴネリルは背後に立つ男へと顔を向ける。
「アタシ達の周りは常に赤。人間の死体なんて十分に見てきたわ、火傷痕なんて可愛いものよ」
「ゴネリル様の異能は素晴らしいものでした」
エドマンドが囁く。
「麗しき城壁と見紛う反射の異能……先日見せて頂いたそれは、女神が纏う薄布のようでした。美しく、光輝いて……刃向かう敵の全ての攻撃をはね除ける、万物に勝る珠玉の防御系異能です」
「アタシの異能は敵を攻撃することはできないけれど、守りたいもの全てをあらゆるものから守りきることができるわ。勿論、アナタも。リーガンの異能よりおしとやかで理性的な異能よ?」
「おっしゃる通りです」
理想的な回答に、ゴネリルは満足そうに微笑む。するりとその細い腕をエドマンドへ伸ばし、フードを外そうとする。が、エドマンドの手がその手首を掴んだ。どきりと胸が高鳴る。頬が紅潮したのが自分でもわかった。
「これではまるで私が花嫁のようになってしまいます」
「……あら、そうね」
「これでは面目が立たない」
動揺を隠したゴネリルへ、エドマンドはスッと跪いた。戸惑うゴネリルの手へ軽く口づけを落とす。それは経験のない感触だった。柔らかな、あたたかなそれに、ゴネリルは呼吸を忘れて立ちすくむ。
今まで、特定の男性と二人きりになることはなかった。そばには常にリーガンがおり、そして女王たる二人は常に《王国》のために身を尽くしていた。甘い言葉というものが本当に”甘い”わけがないと鼻で笑っていた頃はいつだったか。
「美しき方よ」
その”甘い”声で彼は言う。
「あなたは一人の女性です。……ただ一人の、女性です。それをお忘れなきよう」
女性。
ただ一人の。
「……エドマンド」
かろうじて出た声は彼の名を呼んだ。吐息に似たその声は、まるで自分のものではない気がした。
***
「ボクはね、ひとりぼっちなんだ」
質素な白色の壁に囲まれた一部屋で、リーガンは大袈裟に肩をすくめて言い放った。
「ゴネリルとボクはまるで双子のようにそっくりだけれど、その実、同じ母から生まれ落ちたというだけの他人だ。それなのにボク達はその思考や感覚や感情までをも似過ぎている。おかげでこの組織は二人の長を抱えながらも大した混乱は起きていないわけだけど」
「それが《王国》の安泰の秘密ですか」
「秘密なんかじゃないよ、偶然さ。それに、ボク達がそれぞれ違う人間だったのなら、この組織はきっともっと良くなっていたに違いない。そうは思わないかい? エドマンド」
どさりと古びたソファに座りつつ、入り口に佇んでいた部下へと声をかける。それを合図と察してか、彼は薄い端切れを敷いた床をゆっくりと歩いてきた。
最近《王国》の民となった彼は優秀な臣下だった。厄介な心配事だった前王派を次々に告発してくれる彼のおかげで、今のところ《王国》は穏やかな日々を迎えている。全身を黒に覆われた彼は、全身に火傷を負っているとのことだった。日差しを避けるための格好なのだという。しかしその顔すら見えないのは勿体なくも感じていた。
目の前に立った彼へ手を差し出す。リーガンのそれへと、エドマンドは己の手を添えてきた。王と騎士のやり取りに似た荘厳なひととき。リーガンは甘美に高揚する胸に目を細める。
「ねえ、エドマンド」
この笑みの止まらぬ自分は、彼はどう見ているだろうか。
「一つ、頼みがある」
「何でしょうか」
「とても傲慢で恥ずかしい頼みだ。聞いてくれるかい?」
エドマンドは声もなくリーガンのそばへと膝をついた。その沈黙に、そっと微笑む。
「ボクに触れてはくれないか。女性へするように」
「……それは」
「駄目かな?」
「……理由をお聞かせしても?」
そう言いながらもエドマンドはリーガンの手の甲へと顔を近付けた。肌と肌を合わせる前のような、互いの離れた体温が交わろうとする直前の時間。
「ボクはゴネリルのような女の子に憧れていたんだ」
リーガンはそっと言った。
「ゴネリルとボクはあまりにも似過ぎていたから……なりたい自分になるより、姉と違う自分になる方が心が落ち着いた。それに、悪くないとも思っていたんだ」
「というと?」
「ボクの異能を見ただろう? 音波の異能だ。攻撃に使えば、目に見えない分、相手より優位になる。振動だから障壁も肉体強化も関係ない、銃弾よりも強力な弾丸になる。でも防御はさっぱりだ。敵に突っ込むことしかできない。一度発したら方向を変えることもできない。猛々しいじゃないか」
「リーガン様の異能は素晴らしいものでした」
顔を寄せ、エドマンドが囁く。
「次から次へと倒れていく敵の恐怖しきった様子……その目を一身に受けつつも動じぬ立ち姿。見目は儚く可愛らしく、その身に秘めたるは万物に勝る珠玉の刃。おそれながら、美しく思いつつ拝見しておりました」
「美しい?」
「ええ」
エドマンドが立ち上がって片手を伸ばしてきた。被さるように近付いてきた黒は、ソファの背もたれへとリーガンを追い詰める。逃げ道を塞ぐように顔の脇に手を置いたエドマンドを、リーガンは見上げた。己の影の下で目を見開く乙女へ、エドマンドはそっと顔を寄せて耳元へ口を近付ける。
「美しき方」
囁きが耳朶に触れる。撫でるように触れてくる吐息に、体がすくんだ。唇が震える。呼吸が乱れる。けれど胸にあるのは恐怖ではなかった。いつまでも続けば良いと願う自分がどこかにいる。
「あなたは一人の女性です。……凛と咲き誇る一輪の女性です。それを覚えていて下さい」
女性。
凛と咲き誇る。
「……エドマンド」
声が出なかった。何かを言いたいはずの口は言葉を失ったかのように開閉を繰り返し、ようやく彼の名を呼んだのだった。