第1幕
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[Act 1, Scene 8]
欧州の島国にはかつて、裏社会を牛耳る巨大組織があった。
そこはさながら国であった。
支配者があり、被支配者があり、支配者は被支配者のために指示し行動し、被支配者は支配者の采配によって幸福を享受する。その権威は祖国を覆い地を覆い人々を覆い、いつしか真の王国より勝る《王国》となっていた。祖国は彼らを疎んじた。そして、己の地より彼らを排した。
彼らは国無き民となった。祖国を追われ、僅かな伝手を頼りに異国に散った、流浪の民。いつか再び集う時を待ち望みながら、慣れぬ土地を渡り歩く者達。彼らの心を支えたのは他でもない、己らの復活という未来への希望だった。彼らは信じた。いつか我らが長が、再び我々の先頭にて旗を立て、我々を一つの地へ導き再び栄光を授けてくださると。けれど彼らの望みとは裏腹に、彼らの長たる男は、その身を闇へと隠し続け、旗を再び掲げる気配もなしに時を経ている。いつ来るかわからぬ未来を待ち続ける者達の抱く夢は朧であった。
その未来を虚ろな夢とするわけにはゆかぬと思い立つ者がいた。同じ母の胎から生まれ出た女の兄弟であった。同じ胎から生じた脳は、同じ事に思い至っていた。すなわち、己らが長となることを決したのである。彼女らは異国の地にて長を名乗った。世界に散った民が彼女らの元に集った。いつしか彼女らは女王と呼ばれ、その二対の手が導く民達を総じて《王国》と呼ぶようになった。
「――とまあこんな感じだね」
ソファの肘掛けに寄りかかりつつ、リーガンは片手を広げた。
「これで満足かい?」
「《王国》の成り立ちを知りたがるなんて不思議な人」
リーガンの隣に腰掛け、ゴネリルは軽く肩をすくめる。
「過去なんてどうでも良いじゃないの。重要なのは今、そしてこれから。ねえ、リーガン?」
「全く同意だよ、ゴネリル。今の《王国》は昔英国にあった頃の《王国》とは違う」
「ボスも違う、組織形態も違う、何より土地が違う」
「ボク達が目指しているものも違う。ただ唯一同じなのはボク達が存在するということ、そして」
「アタシ達が二人で一つであるということ」
「これでご満足頂けたかな? 放浪の異邦人」
「我らが国の民を望む者」
互いの息継ぎのタイミングがわかっているかのような隙のない掛け合いをし、二人は揃って目の前に立つ人影へと目を向けた。崩壊寸前の朽ちた建物はところどころに穴が空いており、日光をあらゆる方向から差し込ませている。入り乱れる光の梯子に照らされた彼女達は荘厳だった。鉄骨の露出した退廃的なアジトの中、ソファに対照的に腰掛ける若き乙女。揃いの髪はゆるりとうねり、二対の切れ長の目は四つ目の神獣を思わせる。黒を基調とした服の下にはいずれも拳銃を携帯し、彼女達がただの乙女ではないことを示していた。
「名は?」
「名は?」
二つの口がそれぞれ同じ問いを唱える。それに答えたのは一つの声だった。
「エドマンド」
それを聞き、二人の女王は同時に目を細めて笑う。
「富の守護者か」
「見るからに富とは正反対ね」
彼女達の目に映っているのは、一人の人間だった。しかし黒い外套に身を包んだその姿は暗闇に溶け込み、輪郭を朧にしている。背丈は成人男性にしては小柄で、外套に隠れてはいるものの体格は細いことがうかがえた。フードを深く被ったその姿は、金に飢えた浮浪者に似ている。装飾を一つも身につけていないそれへ、二人は隠すことなく嘲笑を向ける。
「ああ、ああ、何でもない、大歓迎だ、我らが《王国》は身なりや富で人をわけない」
「ええ、ええ、何でもない、大歓迎よ、我らが《王国》は迷える流浪の民が集う場所」
歌うような口調で二人は笑った。半壊した建物にその声は歪に反響する。彼女達の歌声の木霊を一身に受けつつも、彼は微動だにせず女王達を見据えていた。ふと、二人の女王は同時に立ち上がり、そしてエドマンドと名乗った者の元へと歩み寄る。カツ、カツ、と揃って靴音を鳴らした二人は同時に立ち止まった。エドマンドの両肩にそれぞれ手を置き、彼の耳元に囁く。
「だけどキミを疑わないわけにはいかない」
「アナタは流浪の民、そして過去を示さぬ者」
「どこから来て何を目的にこの《王国》へ来たのか」
「先に教えて欲しいのだけれど?」
「……私は過去を失いました」
両脇からの問いに、エドマンドは背筋を伸ばして前を見つめたまま答える。
「記憶をなくしたのです。名前だけが私の元に残っておりました。自らが何者かわからないまま、旅を続けていたところ、この《王国》なる組織を知ったのでございます」
「《王国》は職人が集まる裏社会の島国」
「《王国》はあらゆる依頼を全て引き受けこなすプロの集う国」
「キミには何ができる?」
「アナタは何をしたい?」
二対の眼が黒外套の男を睨め付ける。
「滝壺から這い出た私が持っていたのは、エドマンドという名とこの身一つ」
男は言い、両手を見せるように広げる。
「そしてナイフを一つと、忠誠心を一つ。我らが女王にお仕えしこの身を尽くし、先に逝った記憶の元に誇りを持って向かいたく存じます」
「人助けは得意かい?」
「命じられたならば」
「人殺しは得手かしら?」
「命じられたならば」
「死に急ぐ者、名をエドマンド」
「死を望む者、名をエドマンド」
くすり、くすりとため息に似た笑みが黒いフードを微かに揺らす。二人は鏡の前の踊り子のようにくるりと回りながらソファの元へと舞い戻った。同じ大きさの手を伸ばし合い、互いに組み合わせ、そっと互いの頬を寄せ合う。
「面白いね、ゴネリル」
「面白いわ、リーガン」
「この世に残ってしまった忠誠心」
「この世に置いていかれた真の心」
「試させてもらうよ、我が《王国》で」
「ようこそエドマンド、我が《王国》へ」
乙女が二人、黒外套へと微笑む。細い光に照らされたその微笑みへ、彼は跪いて頭を垂れた。