第1幕
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***
三階にはパソコンが多く備え付けられた部屋があった。最近は傘下の企業にやらせていることが多く、自分達でここの機器を動かすことは稀なのだという。オルコットにそこへ案内され、クリスはくまなく一台一台をチェックして回っていた。
「……これで代用できるか。じゃあこのモニターは……するとメインはこっちの方が……」
「あ、あの、クリスさん……?」
「さん付けは邪魔。名前だけで良い」
「ごごごごめんなさい……!」
「謝る必要もない」
「は、はい……」
一人わたわたとするオルコットを脇に、クリスはあちこちの接続コードを引っ張ったり引っこ抜いたりしていた。どうやら一通りは揃っていそうだ。ここのものは勝手に使って良いと言われているので、存分に利用しようと思う。
「必要な情報は?」
「……え?」
突然の会話について来ていないオルコットを一瞥し、手を止めずにクリスは続ける。
「情報。《王国》の戦力、内部構成、ボスの名前や顔、異能力の有無とその内容、それ以外に君が必要なのは?」
「え、えっと」
わたわたと手元の紙束に目を落とし、しかしオルコットは黙り込んでしまう。喉の奥に声が詰まってしまったかのような沈黙に何を思うこともなく、クリスはあちこちの機器の電源を入れ、モニターに一気に内部コードを表示させた。ざっと見、その内容を把握する。
「あ、これD3使ってるんだ。USS社の方が上位互換なのに。これ買う人が実際にいるとは思わなかった。こっちは……ver.5? 古い……今もう後継プログラムがver.7まで出てるのに。これあれだ、プログラム全部最新に買い換えなきゃいけないじゃん。うっわ五日で終わるかなあ」
「あ、の、そのッ……」
オルコットは未だ何も言えないまま身を竦めて立ち尽くしている。フィッツジェラルド相手だと普通の会話もできるというのに、他の人を相手にすると彼女はどうも話ができなくなる。責めるつもりはない。誰にもできることとできないことがある。しかしこのままでは業務に支障が出るのは決定事項。カチカチとマウスを操作しつつ、クリスはあらかじめ記憶していた項目を述べることにした。
「構成員一人一人の名前住所家族構成経歴、特にボス周辺の人物に関してはその性格人格血液型所持資格に得意分野、好きな色から嫌いな食べ物までの一通りに加えて最近の悩みや趣味も知りたい。これで合ってる?」
驚きで口元を紙で隠したオルコットを一瞥し、クリスはその目が言いたげにしていることに答える。
「作戦立案に必要な情報の目星は経験上わかってる。君の過去の作戦書は一通り読ませてもらったし、君が必要とする情報についても大方把握済み」
「え……え……?」
「やっぱり君、人と話すの得意じゃないんだね」
手を止め、クリスは横に突っ立っていた作戦参謀を見遣った。年が近いと思われる彼女は、呆然とした面持ちでこちらを見つめている。が、クリスが顔を上げた瞬間、その視線は逸らされた。意図的に逸らしたのではない、そうしてしまったのだ。気弱な人がよくする仕草で、人の顔色を窺うのが得意で感性の豊かな印なのだとコーディリアが教えてくれたのを思い出す。
――仕草は性格を表す。つまり仕草によって役の性格や思考の仕方を観客に知らせることができるわ。まずは周囲の人の動きをよく見てごらんなさい。堂々としている人は背を丸めることも目を下に向けることもないし、申し訳なさそうな顔をすることもないから。
確かに、と思ったのはフィッツジェラルドを見たからだが、このオルコットも案外わかりやすい仕草をしている。
「話すの苦手みたいだったから、あらかじめ君が言いそうなことを把握しておこうと思った。君の思考を読んでこっちから話せば、君は頷くか首を振るかだけで会話を成立させることができる」
「……えっと、私、その」
「自分の思考を読まれると不快って人が一定数いることも知ってる。だから、嫌だったら顔に出して。そうしたら読み取ってあげられる。これでも演劇の訓練で、表情と感情の関係について勉強しているから」
「……演劇?」
「うん、演劇」
手元のコードをいじりつつ、クリスはぽつりと話した。
「……台本にはまだ、知らない感情がたくさん書かれてる。舞台に立つにはそれを全部理解しなきゃいけない。だから、勉強してる。人はどんな時にどんな感情を持ってどんな仕草と表情をするのか……特に負の感情に関しては、あの場所にはなかったから」
あの場所には――ウィリアムと過ごしたあの場所には、悲しみや苦しみといったものは一切なかった。だれもが歓喜し、笑っていた。作られた理想郷、偽りの桃源世界。
けれど現実は違う。悲しみも苦しみもある。それを観客に伝えるには、観客達の感性と経験に基づいた見せ方をしなくてはいけない。クリスに経験がないからといって、適当に仕草をしても観客の心には何も届かないのだ。
「……努力家、なんですね」
「努力も問題なんだよ。どうすれば努力しているように見えるのか、そもそも努力って何なのか……努力家っていう設定があったとして、どう行動したら努力家だってことを観客にわかってもらえるか……生真面目と努力家は違うから」
「……は、はあ……」
「でも、わからないからって曖昧なままにはできない。何でも演じられるようになって、実力を認めてもらえたら、コーディリアに脚本のことを頼んでみたいんだ。わがままを言うんだもの、そのためにはまず実力をつけないと。誰もが心奪われる演技をしてみせないと」
「え、えっと……」
「でもただ演じるだけじゃないんだ。物語の人物そのものになるだけじゃなくて、見た人の感情をも揺さぶるような演技じゃなきゃいけない。目の前で知らない人が立っていたって、何とも思わないのと同じ。こちらが感情を見せて初めて、観客も感情を見せてくれる。わたしの演じ方は普通とちょっと違ってて、まずわたしがすべきことは感情を知ることだってコーディリアが言ってた、んだけど……」
戸惑った様子のオルコットを見、我に返る。またやってしまった。
「ごめん、話しすぎた。演劇の話になるとどうも止まらなくって。コーディリアにも言われてるんだった」
作業に戻るね、と一言言い、クリスは目の前の機器へと没頭した。今はとにかく初任務を手早く終わらせて、業績を作り、フィッツジェラルドの支配下から逃れられるほどの実力を得なければいけない。
――君を正式にギルドのメンバーとして迎える。よって君の全てが俺のものだ。
させない。
ぐ、と手に力が入る。
させない。この身に潜む全てを、奴には利用させない。
***
結局五日いっぱいかかった。調査を三日で終わらせられたのは良かったが、調査結果をまとめるのに二日もかかった。初任務とはいえ前に専門組織に所属していた身としては失態である。
「……まさか作図ソフトがないとは思わなかった……見取り図の作成に一日かかるなんて……」
「初任務としては上出来じゃないか、クリス」
「君にそれを言われたくなかったんだけど」
資料を手渡しつつぼやいたが、やはりこの男は動じる様子もなかった。軽く中身を確認し、「良し」と一言呟く。そして顔を上げ、周囲に集まっていた部下達へそれを渡した。
「新人の初仕事だ、見てやってくれ」
書類を受け取ったミッチェルとホーソーン、そして見知らぬ若い男性がそれを見始めたのを見、クリスはフィッツジェラルドを見遣った。
「彼は?」
「ああ、紹介していなかったな。――今回の任務、スタインベック君が長期休暇で不在の間トウェイン君が代わりに入ることとなった」
名を呼ばれ、彼は元気よく顔を上げる。そして、やはり元気よく片手を上げて片目を瞑った。
「やあ、初めまして! よろしくね、クリス!」
「……トウェインも異能力者?」
「うん、そう! 何たってこのトウェイン様の異能はあらゆる女の子がキャーキャー騒いじゃうような格好良いやつなんだからね!」
「……集めた情報は、本拠地の見取り図と監視カメラの位置、それから見張りの数とその巡回のルート、交代時間、あと」
「華麗にスルーされた!」
「――敵戦力は百十二。そのうち十が異能者。ボスに関してはどちらも異能者だった」
「どちらも?」
ホーソーンが呟くように反芻する。頷き、クリスは目を細めた。
「……ボスは二人。姉妹だった。一人は防御特化型の異能者、もう一人は攻撃特化型の異能者。その二人が《王国》の実質的な支配者で、米国で組織の立て直しを図っているらしい。余った機器であの国のゴシップ雑誌の会社を片端から覗いたら、いくつか記事があった」
「海外の企業に遠隔で覗き込んだってとこもわけわかんないけど、敵組織のトップの異能まで何でわかったのよ……?」
呆れと疲れのにじむ顔で額に手を当てたミッチェルへ、クリスはこともなげに返す。
「構成員として潜入して、カメラを使って監視しながら遠隔で異能攻撃を仕掛けた」
「アンタ馬鹿なの?」
「敵の手の内を知るには一番効率が良い」
「馬鹿なんだわこの子……」
ホーソーンやフィッツジェラルドとの異能訓練を通してわかったことだが、クリスの異能は範囲制限がない。異能を行使するイメージさえできれば、遠く離れた敵への攻撃も可能だった。ただ、明瞭なイメージが必要なため、遠くから見守るかカメラ等で監視していなくてはいけない。だが、その場にいなくとも異能を使えるというのは大きな利点だった。
「潜入先で異能使うなんて、正体ばれたらどうすんのよ……」
「その時はその時」
「……馬鹿なんだわこの子……」
どうしてミッチェルは大きくため息をついているのだろう。そもそもこの方法はフィッツジェラルド自ら提案してきたものだ。問題があるとは思えない。少しばかり考えたが、結局ミッチェルの思考はわからなかったので放置することにした。フィッツジェラルドへと向き直り、クリスはその笑みをたたえた眼差しを見据える。
「オルコットに必要な情報は一通り揃えた。資料はもう渡してある。部屋で作戦書を作り始めているはず。これで満足?」
「ああ」
男は笑う。
「上等だ」
その笑みは満足げでもあり、何かを新たに企んでいるようでもあった。顔を逸らす。この男のその目が苦手だった。相手の腹の底を見据え、その奥にしまい込んでいたものを抉り出そうとするような目。
この目から、クリスは逃れられないのだ。