第1幕
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[Act 1, Scene 7]
極東のとある島国には、竹から女の子が生まれる物語があるという。その子は実は月の都の住人で、彼女は三ヶ月で美女へと成長し、やがて月へと帰ってしまう。
美しい光を放つ女性、という意味の名を与えられた彼女に匹敵するのではないかと思うほどの成長を、この少女も遂げていた。
「まるで数ヶ月で数年を過ごしたかのようよ」
ミッチェルが呆れと感嘆を込めて額に手を当てる。
「この間なんて冷蔵庫の中のデザートがなくなったとかで騒いでたのよ? 最初の時なんてプディングが何かもわからなかったくせに。貧乏人みたいに意地汚いし、誰があんな風に育てたのかしらね、牧師殿?」
「最後まで耐え忍ぶ者が救われるのですよ、お嬢様」
パタン、と手元の本を閉じてホーソーンは言い聞かせるように言った。それを皮肉と受け取ってか、ミッチェルは不機嫌極まりない様子で眉を寄せて「死ねば良いのに」とそっぽを向く。まあまあ、と苦笑したのはスタインベックだ。
「止まっていた成長が再開されたかのようですよね。冬を越えた葡萄の木のような」
「農業に例えないでくださる?」
半眼になるミッチェルに、スタインベックは「わかりやすい例えをしたつもりですよ」とあっけらかんと返す。確かにわかりやすかった、とホーソーンは密かに思った。彼女はまさに、冬を越えた木々を思わせるからだ。
施設から逃げ出し諜報組織で過ごしていた間置いていかれていた彼女の内部が、ここに来てようやく年相応の伸び具合を見せている。言葉数も増え、会話が続くようになった。演劇の仕事は順調のようで、もうすぐ初舞台だそうだ。異能訓練も進み、今ではホーソーンの訓練とは別にフィッツジェラルドの指導の下で実践的な異能の使い方を学んでいる。
身長も伸び始めた。そのせいか実年齢よりも上に見られやすいのだと彼女は言っていた。が、元より彼女の年齢は出会った当初の印象でフィッツジェラルドが勝手に決めた数字だ、実はもう少し上の年齢なのかもしれない。
「それにあの子、最近ドレスを嫌がるのよ? 動きやすい方が良いとか言って、折角呼んだ仕立屋に男物を作らせるんだもの、いつまで子供のつもりなのかしら?」
「諜報組織での感覚が抜けていないのでしょう。けれど常識を理解する頭脳はあります、心配せずとも良いと思いますが」
「子守役がそんなだから自由奔放になるのよ」
「ではミッチェル、あなたが世話をしますか?」
「嫌よ。なんでアタシが」
不機嫌そうに唇を尖らせたミッチェルに、ホーソーンは黙ってため息をついた。と、そこにノック音が聞こえてくる。返事を待たずに開かれた扉から現れたのは、今しがた話題になっていた少女だった。
「遅れた」
「あらかじめ時間と場所は伝えてあったはずよ?」
「ごめんミッチェル。途中で蝶が羽化してたから」
「はあ?」
「大丈夫、ちゃんと飛び立っていったよ」
そんなことは誰も聞いていない、と言いたげな顔のミッチェルを無視し、クリスは平然と「綺麗だった」と続ける。それは良かったね、と返したのはスタインベックだ。田舎の牧場のような間延びした空気の中で、ミッチェルは一人頭を抱えている。彼らの様子を眺めつつ、ホーソーンはこの少女の突然発揮されるマイペースさに感嘆していた。フィッツジェラルドの名を省略して呼んだ時から思っていたが、クリスは元来よりかなり図太い性格であったらしい。
「揃ったな」
椅子に座って肘掛に片肘をついていたフィッツジェラルドがゆったりと言う。その声に、誰もが顔を引き締めてその男へと目を向けた。部屋の空気が張り詰める。男の一言だけで、その場は和やかな談話室から厳格な会議室へと切り替わる。
「今回の任務について説明する。オルコット君、資料を」
「は、はい……!」
フィッツジェラルドの隣で緊張に身を固めていたオルコットが、ビクリと肩を跳ねさせる。彼女は作戦参謀という地位にあり、フィッツジェラルドの隣にいることを許された異能者だ。が、その権威は彼女自身から察することはできない。おどおどといった風にオルコットは手にしていた紙束のうちの数枚をこちらに差し出してきた。それを受け取ったスタインベックの手元を、全員が覗き込む。
小さな四角いものを写した画像が、そこにあった。
「……記録端末ですか?」
「チップ状ね。小さいし薄っぺらそうだけど、何か貴重な情報が入っていたりするのかしら?」
「先日、〈本〉の所在を知るという男と接触した。それは奴の条件だ」
条件。
〈本〉の所在について話す条件、ということだろうか。
「待って」
ふいに声が上がる。一斉にそちらに目が向く中、彼女は困ったように瞬きをしていた。
「……本って何? それに任務って……」
「初任務だな、クリス」
「聞いてない。わたしは」
「初任務だ」
クリスを遮り、フィッツジェラルドは目を細める。その鋭い眼差しに少女は身を竦ませた。けれど、その青い目には拒絶が現れている。異能訓練を繰り返してきたとはいえ、彼女はまだ実戦を経験していなかった。それどころか自分がギルドの戦力として計算されていることにも気付いていなかっただろう。しかし、ここはただの子供をのうのうと育てるような場所ではない。加えて、彼女の上司は手元にあるものを使わないという選択肢を最初から無視する男だ。
「君はギルドの一員だ。故に、ギルドの仕事を行ってもらう」
「けど、わたしは」
「安心しろ、君を外部に晒すようなことはしない」
その一言に、クリスは少しばかり安堵したようだった。しかしホーソーンはフィッツジェラルドの意図を知っている。彼女はいずれ、表舞台に立たされるだろう。彼女が手元にいると誇示することで、英国への牽制になるからだ。それによる彼女の心の変化など、知ったことではない。
「俺達は〈本〉を探している。それは世界に一冊だけ存在する。詳細はわかっていないが、どんな炎にも異能にも耐えうると言われている」
「……何が書かれているの?」
「何も書かれていない」
「え?」
「白紙の文学書だ」
〈本〉。
それは、書き込んだことが真実となる伝説の本だ。その詳細はおろか行方も知れず、こうしてギルドの総力を挙げて捜索を行っている。
「……書いたことが、真実に……?」
「夢のような話だが、事実だ」
突然の話にクリスは呆然とフィッツジェラルドを見つめていた。が、やがてその表情は強い意志へと変わっていく。
「駄目だ」
「何?」
「駄目だよ、フィー。それは望んではいけないものだ」
誰もがクリスを見つめていた。少女は何かを知るかのように、その訴えを口走る。
「そんなの……何でも叶うってことでしょう? 駄目だよ、誰の手にも渡ってはいけないものだ」
「なぜわかる」
「わかるよ」
冷徹な上司の問いに対し、少女の声は震えている。
「……強すぎる力は不幸しか呼ばない。使いこなしてみせても、結局それを求める人達が集まって奪い合いを始めてしまう」
何かを唱えるような言い方だった。まるで、遠い昔、誰かに言われたお伽噺を復唱しているかのような。けれど、違う。それはお伽噺ではなく、まるで。
「それは君自身の話か?」
――まるで彼女自身の話のような。
問われた彼女は、自分でも思いもしていなかったのだろう、大きく目を見開いた後、信じられないといった風に首を横に振った。
「ち、がう、と思う。ウィリアムが言ってたことだから……」
「ふむ、君の友人か」
フィッツジェラルドが顎に手を当てる。ちらとその視線がこちらを向いたのを見、ホーソーンもまた思考に耽る。
――ウィリアム。ファミリーネームのわからないその人間について、調べてみた。が、詳細は何も掴めなかった。フルネームが不明だからということもある。加えて、クリスと彼がいたという施設すら公式には存在しないことになっていた。そこに所属していたという人物について探るのは簡単ではない。
それでも、探る必要があった。クリスの話の所々に登場するその人物は、極めて頭脳明晰だ。例えば、今クリスが言った言葉。まるで彼女がそうなることをあらかじめ知っていたかのような、そうでなくとも〈本〉のような”強すぎる力”を知っているかのような。
クリスにとっては親しく優しい友人であっただろうが、その思考はうかがい知れない。
――彼は一体何者だったのだろうか。
「まあ良い。何はともあれ、君は今やギルドの一員。否が応でも指示に従ってもらう」
「……拒否したら?」
「こちらに君の全てがあることを忘れるなよ」
握り締めた拳を見せつけ、男は笑う。その拳に収まっているのは、権力、財力、暴力、あらゆる力だ。そして、その力によって彼女の命、過去、異能、あらゆる秘匿が捕らえられている。
少女の首には縄がかかっている。それは、どんな異能でも断つことのできないものだ。
「……わかったよ」
息を呑んでフィッツジェラルドを見つめていたクリスは、ふと目を伏せて諦めたように呟く。
「良い子だ。――さて、本題に入ろう」
がらりと口調を明るくし、フィッツジェラルドは改めて部屋を見回し、両手の指を組んだ。
「そのチップを探し出し奴に渡すことが、奴から〈本〉についての情報を聞き出す条件だ。よって、そのチップを手に入れることが当面の任務となる」
「いくつか質問があるんですけど」
スタインベックが片手を上げる。
「チップに関して詳しいことはわかっていないんです? 中身とか、持ち主とか」
「内容に関しては不明だ。が、チップのある場所はわかっている。――オルコット君」
オルコットがわたわたと腕の中の紙束から数枚を抜き出す。先程と同様スタインベックがそれを受け取り、その場にいる全員に見せた。表題に書かれた名称を、ミッチェルが読み上げる。
「……異能傭兵集団《王国》?」
「――ッ」
反応したのはクリスだった。紙から逃げるように身を竦めて後ずさる。
「その名の通りグレードブリテン島を縄張りとする……いや、していた集団だ」
クリスの様子を気にする素振りもなく、淡々とフィッツジェラルドは続ける。
「英国国内最大の異能集団を名乗っていたが、近年《時計塔の従騎士》に追われて国外に散った。その一部がこの国にいるらしい。警備、輸送、誘拐、暗殺、あらゆる依頼を受けている便利屋で、その組織にチップはあるとのことだ」
「本拠地がわかっているなら、後は敵戦力を把握できれば良いってことですね」
頷き、じゃあ、とスタインベックは質問を変える。
「そのチップと依頼人の関係は?」
「奪われたのだと言っていた」
「チップの使用用途は?」
「わからん。見たところ一般に流通している記録媒体とは形が違うようだがな」
「依頼人の詳細は?」
「英国の軍人だ。今は英国の外務関係の機関に勤めている」
「何だか胡散臭い依頼ね」
ミッチェルが不満そうに呟く。同感だ。依頼人が軍人というのが引っ掛かる。その立場ならば、奪われた時に警察に被害届を出しているだろうが、事前調査では被害届は確認されていない。ということは、表沙汰にできないものだということだ。被害届を出せないような、記録端末。嫌な予感しかしない。
依頼人と《王国》が手を結んでこちらを罠に嵌めようとしている線も考えられる。何しろ、そのチップに関しての詳細が不明である一方で、チップの在処は特定されている。不自然だ。
「だがこの程度で〈本〉の情報を諦める気はない」
フィッツジェラルドはいつもと変わらない様子で笑う。その不自然さも含めて、取引を承諾したのだろう。事実、不自然さは大きな問題ではない。その理由も含めて、調べ尽くせば良いのだ。
「クリス」
「……何?」
突然名を呼ばれたクリスが数秒おいてきょとんと顔を上げる。彼女にはまだ仕事という感覚がない。お使いと同様の心持ちでこの場に挑んでいるのだろう。次第に慣れると思うが。
「まずは情報だ」
「情報……」
「ああ。《王国》の戦力、内部構成、ボスの名前や顔、異能力の有無とその内容、この任務に関すること全てを洗い出せ。詳細はオルコット君と話し合うと良い。彼女が今回の任務の作戦を立てる」
「……よ、よろしくお願いします……!」
フィッツジェラルドの隣でオルコットが頭を下げる。彼女とクリスに年の差はあまりない。かしこまるような間柄ではないが、オルコットの性格故だろう。身を竦めるオルコットに一つ頷き、クリスはフィッツジェラルドへと目を戻す。
「……あの国には関わりたくない」
「安心しろ、ここはギルドだ。簡単に足がつかんように手を回してやれる」
「そう。……今考えつく限りでは機器が足りない。ここには情報収集用の部屋はある?」
「三階だ。後で案内させる。足りないものは買いそろえてやる。まとめて俺に言え」
「期限は?」
「何日でできる?」
「三日、場合によっては五日」
「構わん」
「三日、って」
とんとん拍子で会話を進めていた二人に、ミッチェルが驚愕の声を漏らす。
「相手は一般企業でも何でもないのよ? 三日で情報を集めきるなんて、そんな」
「計画を立てるのに半日、セキュリティ突破に半日。セキュリティ突破と同時にサーバー内に検索をかけて必要な情報を抽出、同時に潜入調査、これで一日。後の一日で情報をまとめる」
「な……」
さらりと言ってのけた少女の顔は、当然とばかりに平然としている。
「最新型の機器があれば、だけど。ないならそれを揃えてコードを改良して接続を終わらせるのに二日かかる。だから”場合によっては五日”」
「我ながら良い拾いものをしたと思わないかね、ミッチェル君」
開いた口が塞がらないミッチェルとは対照的に、フィッツジェラルドは満足げだ。これを目的に連れてきたわけではないにしろ、確かに貴重な戦力ではある。しかし本当に三日で情報が揃うのだろうか。
「ギルドで立場を確立させれば、フィーに手足として使われることも減る。悪い話じゃない」
クリスはその静かな表情でフィッツジェラルドを睨み付けた。
「……君のためじゃない。わたしのために、仕事をする」
「こちらとしては必要なものが手に入れば何も言わんよ」
ひらりと片手を振り、そしてギルドの支配者は険を帯びた目をスッと細めた。
「――任務開始だ」