第1幕
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***
劇場からの帰還後、フィッツジェラルドに部屋へ呼び出された。初めて二人きりで向き合う男は、夕日を背に机上へ肘をついてこちらを見据えている。
「良かったな、クリス。働き口が見つかって」
「……用は何?」
「ちょっとした対話だ。そう気を張る必要はない」
言い、フィッツジェラルドは片手を広げて肩をすくめてみせる。そのわざとらしい仕草を、黙って見つめた。こちらの意図がわかってか、それとも単に話したかっただけなのか、フィッツジェラルドは「さて」と再び笑みを向けてくる。
「君に大切なものはあるか」
「……大切な、もの」
「俺にとって何よりも大切なものは家族だ。家族のためなら俺はどんなことでもする。君には何がある、クリス」
「……何もないわけじゃない。けど、口にするには曖昧すぎる」
「堅実な答えだ」
フィッツジェラルドが満足そうに言う。けれど、その笑みの奥には鋭いものが潜んでいた。何かを企んでいることは確かだ。
「君を正式にギルドのメンバーとして迎える」
切っ先を思わせる男が、口端を釣り上げてこちらを見ている。
「よって君の全てが俺のものだ」
「言っている意味がわからない」
「全てだよ、クリス」
名を呼ぶ声は流れるように艶やかで、脅しをかけるように低い。
「――君の命、異能、全てだ」
心臓が音を立てた。
死ぬな、と声が聞こえてくる。知られるな、とその声は言う。
――死ぬな。捕まるのも、死ぬのも、知られるのも駄目だ。お前は死骸すら利用価値がある。生きて、生き続けて、お前が実験体だったことも、実験成果であることも、全部隠し通して逃げ続けるんだ。
「……駄目」
駄目だ。
これだけは、駄目だ。
この命も、異能も。
どうしてかはわからない。それを守りきらなければどうなるかもわからない。けれど、駄目だ。駄目なのだ。理由など知らない。ただ「駄目だ」という思いだけがこの胸の中に留まっている。
これは約束だった。友人からの言葉だった。共通の友を亡くした友人からの、最後の言葉だった。今更この男に知られてしまったことを後悔した。先の知れない恐怖が震えとなって体を襲う。両腕を掴む、手のひらに震えが伝わってくる。それを押さえようと爪を立てた。
この感覚は何だ。何を予感している。何を予期している。
目の前にいる男に感じていた親しみや信頼は、今の胸には欠片もなかった。あるのは恐怖、怖気、首を絞められた時のような焦燥。
「駄目」
「だが君はギルドの一員だ、全てを尽くし組織に従うのが忠誠というものだが」
「させない」
口からあふれ出たのは拒絶の意志だった。
「させない」
目の前に広がった赤を思い出す。その赤を散らした優しい友を、その笑みを思い出す。あれを壊したのはわたしだ。あれを壊したのはわたしの異能だ。一瞬にして切り刻んだこの力がどんなに異常で強力かなど、わかっている。
それを、この男に使わせてはいけない。
「君に、わたしは利用させない」
睨み付ける。誰かを睨んだのは初めてだった。胸にふつふつと何かが湧き出そうになるこの感覚も初めてだった。ただ、目を逸らしてはいけないのだと思っていた。頭がカッと熱くなっていく。それが怒りという感情であることを知ったのは、だいぶ後だった。
「良い目だ」
フィッツジェラルドは笑う。
「それが君の意志、君の自我だ。忘れるな」
忘れるものか。
目の前で夕日を背負う男を見つめる。その輪郭を目に焼き付けるほどに、強く。
――その時から、わたしの中の何かが変わった。