第1幕
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[Act 1, Scene 6]
クリスとの日々は順調に進んでいった。毎日スケジュールを組み、仕事の合間に彼女へ講義をする。彼女の飲み込みは早かった。まず、記憶力が常人以上にある。数度読むだけで、彼女は本の全文を暗記してみせた。それは諜報組織で情報収集を行っていたからだろうか。一瞥した資料の内容を全て覚えきるその頭脳は、彼女の潜在能力の高さを予感させるには十分なものだった。
彼女の実力は頭脳だけではなかった。
広い屋上で、ホーソーンはクリスと向かい合っていた。街の中で一番の高さを誇るここは、フィッツジェラルドの指示で異能結界を施されている。上空からも地上からも、屋上の様子を覗き見ることはできないようになっていた。
「行きますよ」
ホーソーンの言葉に、クリスは黙って頷く。それを視認してから、ホーソーンは常に持っている十字架の先で手のひらを裂いた。
皮膚の切れ目から血が盛り上がるように湧き出てくる。
「異能力【緋文字】」
ゆるりと血が宙に浮かび上がる。文字の形態を模したそれは、やがて文章を作り出し、数本の蔦へと変化した。
「"The Time is fulfilled, and the kingdom of god is at hand: repent ye, and believe the gospel."」
宙に現れた文章の一つを読み上げ、クリスはそっと目に険を宿す。
「……悔い改めよ、か」
「我が【緋文字】は神の言葉、我が贖罪の誓い。全ての邪悪を阻むもの」
「なら、それを破ればわたしは邪悪ではないということになる?」
「やってみなさい」
ホーソーンに頷き、クリスは己の両手を見つめた。ぐ、とホーソーンの背を風が押す。彼女の手元に風の渦が生じ始めていた。それは彼女の集中力が高まると同時に素早く鋭くなり、やがて目に見えない速度で宙を駆け始めたそれは太陽光を銀色に反射するようになる。
クリスの異能力【テンペスト】は一言で言えば天候を操る異能だ。しかし彼女はその力で嵐を巻き起こすことしかできなかった。周囲を見境なく崩壊させるその使い方は、攻撃としても防御としても不十分で、一切彼女の助けにならない。だからフィッツジェラルドはホーソーンへ彼女に訓練をさせるようにと命じてきた。
――彼女を異能戦闘員として使えるようにしろ。いつ誰に襲われるかわからん状態で、あれほどの無防備さは自殺行為だ。
せめて防御ができるようにはなってもらいたい、と思っていたのだが、意外なことに彼女が最も使役に苦労しなかったのは全てを切り裂く風だった。聞けば、あの実験施設で宙から刃物を生み出す異能者が戦うところを見たことがあるのだという。それを参考に、生み出した風を滑空する刃物のように使っているのだとクリスは言った。
彼女の異能は想像力が基盤のようだった。イメージが明瞭であればあるほど、彼女の異能は素早く従順に彼女の意図をくみ取る。それがわかれば、こちらがするべきことは明確だった。実際にやって見せれば、クリスはすぐにそれを理解し実行した。
「【テンペスト】……!」
クリスの声に従って、銀色の刃がホーソーンへと飛びかかってくる。それを詩句を組んだ壁で防ぎながら、ホーソーンは言葉の一つをクリスへと投げつけた。尾を引く槍のように鋭く飛び込んでくる弾丸へ、クリスは必死に両手を広げる。
弾丸は彼女の手のひらの先で宙に留まった。見えない何かを食い破ろうとするかのように血の弾丸はギュルルと高速回転する。ピキ、と宙が割れた。
「あ……」
宙に現れたヒビにクリスが瞠目する。氷の膜に杭を叩き込んでいくように、弾丸を中心にしたヒビは徐々に広がっていく。やがてそれは大きな音を立てて粉々に壊れた。
ガラスが砕け散る音。
その音を聞くや否や、ホーソーンは飛ばしていた弾丸の行き先を逸らす。彼女の心臓を狙っていたそれは、軌跡を屈曲させ、彼女の顔の横を勢いよく滑空していった。
ドオッ、と彼女の背後で屋上の床が窪地を形成する。
「……は、あッ……」
へたりと床に座り込み、クリスは大きく息を吐き出した。驚愕に見開かれた目は、呼吸を繰り返すうちにゆっくりと平静を取り戻していった。
「……駄目、だった」
「真空層が保たなかったようですね」
「一番想像が難しいから……氷の層と高圧層は、続けられるようになった」
「低温層、真空層、高圧層。銃弾、熱、化学反応、音波等攻撃には様々な形があります。それら全てを防ぐ完璧な防御壁の形成には、三層の同時形成及び長期持続が欠かせません。加えて、それを瞬時に、反射的に形成できるようにならなければ。まだ練習が必要ですね。」
言い、ホーソーンは座り込むクリスへと歩み寄る。彼女が飛ばしてきた風の刃は全て防ぎきった。完全にホーソーンの勝ちである。
「防御に関しては昨日から始めていますからね、まだ使いこなせていなくても無理はないでしょう。上出来だと思いますが」
むしろ、とホーソーンは少女を見下ろす。
天才的だ。彼女はホーソーンの異能を見ただけで完全に真似をしてみせている。異能が身に馴染んでいる、と表現するとおかしいだろうか。彼女はそれを、まるでペンのように使いこなしてみせる。新たなペンを渡されても、彼女はすぐにその使い方を理解し、綺麗な文字を描いてみせるのだ。異能との適合性が非常に高い。彼女がホーソーン以上に異能を駆使できるようになるまで、そう時間はかからないだろう。
彼女はきっと世界を凌駕する異能者になる。
それを良いことだと断言できないのが問題だが。
「さて、今日はここまでにしましょうか」
手を差し伸べ、ホーソーンはクリスを見下ろす。
「――フィッツジェラルド様がお呼びです」
「……フィーが?」
きょとんとクリスは顔を上げる。呼び出される心当たりがないのだろう。心当たりがないということが嫌な予感に繋がる我々とは違い、この少女は未だ危機察知能力に欠けている。まあ、彼女に凶悪で面倒な仕事が回ってくることはまだないだろうから、当然なのかもしれない。
「ええ」
ホーソーンは少女へと頷いた。
「――仕事の話だそうですよ」