第1幕
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ホーソーンはフィッツジェラルドの指示通り、あらゆることをクリスに叩き込んだ。テーブルマナーから学問に至るまで、様々なことを机上で教えたのだ。無論、ホーソーンは教師ではない。が、これが与えられた仕事ならば放り出すわけにもいかない。
幸い、クリスは覚えが早く手先が器用だった。が、しかし思考が偏っていた。
「……ナイフは右手だと、先程も言ったはずですが」
「でも両手の方が切りやすい」
「切りやすいなどといった理由ではありません。それに、ナプキンをナイフで裂くのも止めなさい」
「……じゃあこの大きな布はどうやって切る?」
「切りません」
両手にシルバーのナイフを武器のように握った少女に二日も苦戦したのは、短い方なのか長い方なのか。そもそも両手にナイフを持った方が切りづらいと思うのだが。
金銭感覚も壊滅的だった。フィッツジェラルドがああなのである程度は仕方がないのかもしれないが、それにしても酷かった。
「この広告の店で予算五十ドル以内で買い物をしたら、という例題だったはずですが。これでは全商品の合計金額は五百ドルです」
「足りないのなら盗む」
「そういう問題ではありません」
「じゃあ作る」
「肉切り包丁を作れるというのならどうぞ」
「普通のナイフでも切れないわけじゃない、それなら手持ちで済むから〇ドル」
「そもそもスーパーの広告の中で何故肉切り包丁をチョイスしたんですか」
「……気分?」
「どういう気分ですか」
こてん、と首を傾げられても困る。訊いているのはこちらだ。諦めて本人の感性に任せてしまえれば、それ以上に楽なことはない。しかしそれで不利益を得るのはギルドだ、彼女の存在が世間に知られてはならないものである以上、出来る限り一般人に近付けておかねばならない。常識のなさで例の国に彼女が見つかってしまっては困るのだ。
ホーソーンとクリスの苦闘は十数日に及んだ。
ようやく人前に出せる程度の身の振り方ができるようになった数週間後、ホーソーンはクリスに外出を提案した。いつものように机の前で待機していた彼女は、きょとんと目を瞬かせる。
「……外?」
「実際に街に出て、学んだことがきちんとできるかを確認しようと思いましてね」
「……フィーは?」
「許可は取ってあります」
ホーソーンの言葉に、クリスは考え込むように俯いた。学校の生徒のように机にかしこまって座っていた彼女は、床につかない足を大きくぶらつかせる。ちらりと机上の本達を見た野は、今までずっと座学だったことによる外への不安だろうか。
「……でも……」
「はい?」
クリスが何かを呟いた。小さな声を再度聞き取ろうと、ホーソーンは腰をかがめて顔を覗き込む。
「……また、誰かを殺してしまったら」
彼女の言う「また」が何を意味しているのか、すぐに思い至った。以前ミッチェルとフィッツジェラルドがクリスを連れて街に出た際、彼女は諜報組織の仲間に誘拐されている。その時に咄嗟に異能を発動して彼らの拠点もろとも破壊、それ以降しばらくショックで部屋に籠もっていたという報告は聞いていた。彼女はまだ自分の異能を使いこなせていない。また暴走したら、と怯えるのも当然だった。
「嫌だと言うのなら強制はしませんが……」
「なら」
言いかけたホーソーンを遮り、ふとクリスは顔を上げた。その面持ちは、現実を悲観する少女のものではない。真っ直ぐに、躊躇いなく、ホーソーンを見つめてくる青。
「……げーせんとか行ってみたい」
「……は?」
「スタインベックが教えてくれた。げーせんっていうものが街にはあるって。賑やかで、楽しいんだって。行ってみたい」
「行きません」
「むう」
断言したホーソーンに、クリスはつまらなそうに唇を尖らせた。