第1幕
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***
ウィリアムと知り合ってから、少女は時折彼の元に遊びに行くようになった。彼はいつも同じベンチに座っていて、少女に気付くと本から顔を上げて微笑んでくる。たまに他の人に見つかる時があるが、ウィリアムの一言があれば皆納得したかのように少女の到来を許した。
「ウィリアムには〈恵み〉があるんで……あるの?」
本を読んでいた彼の隣に座り、そっと声をかける。友達というのは敬語を外すのだと言われてそうしているが、未だに慣れなかった。しかし高貴な方の期待に反するわけにはいかない。できる限り努力して、少女はウィリアムの言う「友達」をやっていた。
「あるよ」
「どんな?」
「……見て面白いかはわからないけど」
ふと顔を上げ、ウィリアムはその手を宙へと伸ばした。そこを舞っていた蝶が、ふわりと降りてくる。羽を閉じたそれの周りに、小さな光の粒が現れ始めた。ぼんやりとしたそれは、やがて蝶を包み込み、そして溶けるようにゆっくりと消えていく。
光の中から現れたものに、少女は目を瞠った。
「……え?」
そこに蝶の姿はなかった。ウィリアムの手にあったのは、一輪の花。
「蝶は何故蝶であるのか」
唱えるように穏やかな声が言う。
「僕らがそれを蝶だと認識しているからだ。では、僕らがそれを花だと思ったのなら? それは花になる。つまりは認識の問題、意識の問題だ。同じものでも、見る人によってそれは善にもなるし悪にもなるし、幸にも不幸にもなる。僕の異能――〈恵み〉は、そういう相対的な評価を絶対的なものに変える、いわば”再定義”の力なんだ」
「ご、ごめんなさい」
あわてて少女はベンチから立ち上がり頭を下げた。また、やってしまった。「友達」をしているけれど、この人はこの教会の大切な高貴な方なのに。
「どうしたの?」
「だ、だって、〈恵み〉をわたしなんかのために神様からの許可なく使わせてしまって……!」
「……ああ、そっか」
少女の焦りとは反対に、ウィリアムはのほほんと笑う。
「上官――神か”先生”から許可が出た時以外で〈恵み〉を使ってはいけない。もし使ったのなら、それは神への反逆の意志であり〈赤き獣〉に惑わされている証拠……〈赤き獣〉との接触を完全に断つために、皮膚を削がされるんだっけ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……い、今、わたしが先生に言って神様に許してもらいに行くから……!」
「大丈夫だよ、だって僕自身が君達の言う”先生”なわけだし」
ね、とウィリアムは顔を覗き込んでくる。初めて会った時に「僕は先生じゃない」と言っていた気がしたが、聞き間違いだっただろうか。ともかく、ウィリアムがそう言うのだから大丈夫なのだろう、と少女はそっと顔を上げた。彼が〈恵み〉を持っている以上、ウィリアムが特別な存在であることは確か。きっと彼は自分達のような子供とは違うのだ。
「……そっか」
「クリスこそ、大丈夫だった?」
「え?」
「だって、ほら」
手の中の花を軽く振り、ウィリアムは何かを思い出すように遠くを見つめた。
「戦闘系異能以外を見慣れていない君達にとって、これは気持ちが悪い能力だろうから」
「そうなの?」
ウィリアムが何のことを言ったのか半分ほど理解できなかったが、何を言いたいのかはなんとなくわかった。花をじっと見つめ、蝶がこれに変じた時の自分の気持ちを思いだし、そして少女は首を振る。
「手品みたいで素敵だと思う」
「……そう言ってくれたのは君とベンだけだったよ」
花が再び小さな光の粒に包まれる。やがて光と共に花は宙へと消えた。
「これがうまく使えない時は、手にした物がいろんなものに変わっちゃってね。家族にも変な目で見られるし、困ったものだよ。消しゴムを使いたいのに全部鉛筆に変わっちゃった時はさすがに泣きかけた」
明るい声で言い、ウィリアムは少女へと笑った。
「でも僕のこれは手のひらに乗るくらい小さなものにしか使えない力だから、その点は良かったかも」
「じゃあ〈赤き獣〉を倒すことはできないね」
しゅん、と項垂れ、少女はベンチの上で足をぶらつかせた。
「ウィリアムは〈退魔の儀〉を見たことはある?」
「分野が違うから見たことはないけど、知ってはいるよ」
「分野?」
「研究分野。君達の言葉で言えば、役割かな? 僕の”役割”は君達に異能を発現させる方法を探すことで、君達に絶対服従を教えることでもないし、敵を効率良く倒させることでもないから」
少しわからない言葉があったが、気にしないことにした。ウィリアムの使う言葉には少女の知らないものが多く含まれている。それは神に近い人だけが使う言葉なのだと、少女は勝手に思っていた。だから、深くは聞かなかった。聞いて良いこととは思えなかったのだ。
「友達」として付き合うようにはしているものの、物心つく前から教えられてきた価値観はなかなか消えない。きっと少女にとってウィリアムはいつまでも「友達」という名の高貴な方なのだ。
けれどそうやって扱うのは、「友達」を望んだこの人に失礼なことだ。だから、せめてもの忠誠心で少女は「あのね」と話し出す。
「……わたしね、〈退魔の儀〉で〈恵み〉で〈赤き獣〉が倒されるのを見ると、すっごくわくわくして、わたしもいつかああなりたいなって思うの。でも、〈恵み〉の内容は人によって違って、必ず〈退魔の儀〉に参加できるような〈恵み〉だとは限らないんでしょう? もし〈恵み〉が〈赤き獣〉を退治できるようなやつじゃなかったら、〈退魔の儀〉に参加できないまま大人になるのかなって思って……ちょっと寂しくて」
「クリスは強い力が欲しいの?」
ウィリアムの声は相変わらず穏やかだ。
「強いっていうか」
少し考えてから、少女は言った。
「……皆を守れるような、そんな力があったら格好良いかなって」
「守りたいんだ?」
「うん」
ウィリアムを見上げ、少女ははにかんだ。
「ここの皆が、大事だから」
「……そっか」
ウィリアムが微笑む。その手が少女の頭を撫でた。
「良い子だね、クリスは」
突然のことに少女は驚いたように身を硬くした。彼女の反応に一瞬きょとんとし、ウィリアムは声を上げて笑う。
「ははッ、面白いなあ」
「ほ、褒めてるの……?」
「楽しんでるんだよ。えっとね、君が転んだのを見て笑っているのと同じ気分」
「それ、酷い……!」
「ふふッ、本当に面白いねえ、クリスは」
腹の底から楽しげに笑うウィリアムに、少女は頬を膨らませる。と、そこへ声が聞こえてきた。
「ウィリアム!」
誰かが大きく手を振ってくる。知らない男だった。ライトブラウンの目と髪。陽気さを思わせる顔つきの彼は、ベンチのそばまで走ってきて手に持った紙束をウィリアムへ差し出す。
「これ、やっといたぞ! お前が渡しに行かねえと無効なんだと」
「あ、進捗報告書? そんなのもあったね」
「あと一時間で期限だぞ! 資金削られたらどうすんだよ!」
「困る」
「キリッとした顔で言うな」
「どう? イケメンでしょ? キリッ」
「効果音を口で言う奴のどこがイケメンだ」
一通りやり取りした後、男は少女へと向き直る。ニイッと笑った笑顔が眩しい。
「会うのは初めてだな。ベンだ、ウィリアムの友達で、ここで暮らしてる」
「その前に一言言わないと、彼女何もできないよ?」
「んあ?」
半眼になるベンに、ウィリアムは呆れたように肩をすくめた。
「彼女達にとって僕達は神様らしいから。許しがないと話もできない」
「許しってどうやるんだよ」
「許すって言えば良い」
「……それだけ?」
「許可なんて主観に過ぎないからね。それを言うだけで人は何かが変わったかのように思い込む。人が行動するためには時に思い込みが必要なのさ、それに答えてあげるのも優しさだよ」
ウィリアムの言葉に「むう」と唸った後、ベンは改めて少女へと顔を向けた。
「……許す」
「お、お許しいただき、感謝いたします、神の膝におわす方……」
「だーッ、くそむず痒ッ」
「ひゃッ!」
突然頭を掻いて大声を出したベンに少女は大きく肩を揺らした。そして、ウィリアムの体に隠れるように縮こまる。その様子に、しまった、とばかりにベンは眉を下げた。
「ご、ごめんな、クリス。ちょっと慣れてなくてさ、だからその」
「あ、怖がらせた」
「ちげーわ! 違わないけど!」
ぎゃんと吠えたベンへ、そっと少女が顔を覗かせる。
「……名前、どうして知ってるんですか?」
「ああ、こいつから聞いてたから」
こいつ、と言ってベンがウィリアムを親指で指す。それに答えてウィリアムが少女へと笑いかけた。
「さっきも言ってたけど、友達なんだ。同じ”役割”のね。こう見ても同い年。あ、ちょうど良いや、ベンもクリスと友達になってあげてよ」
「え?」
突然の発言に驚いたのは少女だけだった。ベンはというと、「ああ」と大したことのないように頷く。
「俺は別に良いけど」
「ええっ?」
「さっきみたいに何かやんなきゃいけねえの?」
「うん。まずは両手を組んで、三角形を作るように地面に付けて」
「ふんふん」
「そうそう、で、頭をその三角形の中につけて……そのまま勢いよく地面を蹴ると、はい、三点倒立!」
「ちげーわ! 違わないけど!」
戸惑う少女をよそに逆向きになったベンがぎゃんと吠える。足の先までぴんと真っ直ぐに立っていた。ウィリアムが「わーい」と拍手するのに合わせて、少女も拍手する。
「す、凄い……?」
「疑問系にするなよそこ」
「凄い凄ーい。さっすがベンだねえ、惚れ惚れするよおー」
「棒読みすんな主犯!」
倒立から体を起こしたベンが髪についた草を払っているのをよそに、ウィリアムが少女へと微笑む。
「ね、友達が多いと楽しいでしょ?」
楽しい。
その言葉に、少女は胸に手を当てる。胸の中があたたかかった。それでいて、笑いがいつまでもこみ上げてきて。
これが、楽しいという感情。
「……うん」
少女が満面の笑みで頷く。それを見、ウィリアムとベンは顔を見合わせた後、少女へと笑みを返した。