第1幕

夢小説設定

この終焉(おわり)なき舞台に拍手を
本作品の夢主は英国出身北米育ちです。
カタカナでの名前を推奨しております。
名前(ファーストネーム)
名字(ファミリーネーム)
舞台女優名

[Act 1, Scene 4]


 誰の心にも夢というものがあり、理想というものがあり、それらと近い状況であることを「幸せ」と表現する。その内容は人によって異なりはするものの、大勢の共感を得られる「幸せ」な状態というものは必ずある。
一つは、衣食住に不満がないこと。一つは、心煩う出来事が起こらないこと。一つは、我慢を必要としないこと。
 それらを達成した人々は言う。「”私達”は幸せだ」と。

「それは我々の神が、私達をお見守りくださっているからなのです」

 大きな十字架の前で、男はそう言って目の前の子供達を見回した。教会の広い講堂の中で、子供達は身を寄せ合って男の話に耳を傾けていた。

「我々に幸せを与えてくださっている方にお礼をするのは当然のこと。その方法こそが、〈赤き獣〉を倒すことなのです」
「先生!」

 子供の一人が手を大きく挙げる。

「先生は〈恵み〉を持っているんですか?」
「いいえ、残念ながら。〈恵み〉は選ばれし者だけが手に入れることのできる、人々を代表し世界を救うための貴重な力。私には〈恵み〉がない代わりに、こうして皆さんに神のことをお教えするという大切な役割があるのです」

 にこやかに言い、彼は子供達へと優しく続ける。

「〈恵み〉が与えられた人は幸いですが、彼らに守られ神に愛される人もまた幸いです。神は全てを見、全てを愛している。ならば神に愛されている我々も、全てを愛し全てに感謝すべきでしょう」
「先生!」

 他の子供が、手を挙げた。

「〈赤き獣〉はなんで私達を襲ってくるんですか?」
「彼らが神を疎い神が彼らを疎んでいるからです。彼らは全能なる神に反逆し、人々を悪へと陥れます。それが神への最大の復讐だと知っているからです。我々は神に愛されています。愛してくださる神のために、我々は〈赤き獣〉を残らず排除し、〈赤き獣〉から世界を守らなくてはいけないのです」
「先生」

 そっと手を挙げ、少女は立ち上がった。腰まである亜麻色の髪が揺れる。

「……だから、わたし達はこの教会で神について学び、神を称え、〈赤き獣〉を退治するための〈恵み〉を与えられるよう〈儀式〉を受けているんですよね……?」
「よく勉強していますね」

 少女へと男は微笑んだ。

「その通りです。――そろそろ時間ですね」

 今日のお話はここまでです、と解散を告げた男に従い、子供達は一気に講堂から飛び出した。少女もまた、彼らと共に外へと走り出す。このところ、天気はかなり良かった。毎日外で遊んでいられる。

「ボール遊びをする奴この指止まれー!」

 男の子が人差し指を空へと向ける。それに群がる子供達に負けずと、少女もまた彼の元へ走り寄った。


***


 そこは小さな村だった。周囲は木々に覆われ、外部から人が来ることはほとんどない。というのも、外部に繋がる道は存在しないからだ。その村の名を住人の誰もが知らない。他の街の名前を口にすることもないため、必要としなかった。
 外界から遮断されたその村の特徴は、中心に大きな教会を持っていることだった。そこには多くの人がいる。村の人々は皆、その教会で教育を受け、遊び、行事をこなしていた。
 教会は広く、その内部には村人は立ち入れない。限られた人のみが、その最奥に行くことができた。こっそり奥に行こうとすると、たちまち〈赤き獣〉に囚われて生きて帰って来られないと言われている。実際、帰って来ない子供もいた。だから、子供達も中庭で遊ぶ以上のことは教会の中ではしないのだった。
 ボールが宙へと投げ出される。それをキャッチし、また投げる。蹴りの得意な子が足でボールを蹴り上げることもあった。ポン、ポン、とボールが子供達の間を跳ねていく。

「あ」

 数回待ってようやく飛んできたボールは、少女の頭上高くを通っていった。背後に跳ねていくボールを見「取ってくる」と駆け出す。ボールはころころと転がっていく。教会の渡り廊下の下を通り、向こう側の中庭にまで行ってしまった。どうしようかと立ちすくむ。渡り廊下を区切りに、その向こう側は許可なく立ち入ってはいけないことになっている。少しでも足を踏み入れたら、戻ってこられないかもしれなかった。

「……どうしよう」

 きょろきょろと周囲を見渡すも、大人の姿はない。

「どうしよう」

 早くしないと皆に怒られてしまう。
 意を決し、少女は駆け出した。急いで戻れば、〈赤き獣〉に見つかる前に戻れる。幸いボールはさほど遠くにはなかった。
 しかし。
 芝生の上で、少女は立ち止まった。太陽の光が穏やかに中庭に降りている。その中に、その人はいた。
 ベンチに座って手元の本を読んでいる。教会の大人達と違って、白衣を着ていなかった。けれど〈赤き獣〉でもない。少女の知っている〈赤き獣〉は、人の姿を模し損ねた化け物だった。ガラス張りの天井から見下ろすそれは、大きな部屋で赤い汁を垂れ流しながら吠え猛っていて、それが木っ端微塵に散る様子は何度見ても心が浮き立つ。
 だから断言できた。
 そこにいたのは、一人の人間。
 手元を見下ろす眼差しは穏やかなブラウン。真面目そうな顔立ちはしかし、日差しの穏やかさに似合う緩やかさを宿している。日を浴びた銀の髪が輝いていた。
 見たことのない、色。
 見つめる先で、ふとブラウンがこちらを向いた。

「どうしたの?」

 まるでずっと前から少女の存在に気付いていたかのような、のんびりとした口調。しかし突然のことに少女は身を固くした。少女の様子に気付くことなく、彼は「ああ、この髪?」と素っ頓狂なことを言い出す。

「色が抜けちゃったんだよね。ストレスかなあ。面倒で放置してたらこんな色になっちゃった。あ、これでもまだ二十代前半だよ?」

 やはり、知らない人だ。こんなに不思議な雰囲気の人と出会ったことがない。
 村の人は皆顔見知りだ。教会の中で、しかも見たことのない人ということは、教会の関係者の中でも最も高貴な人である、神に〈恵み〉を与えられ〈赤き獣〉を倒す役目を担った人だということになる。ただの子供である少女から話しかけることはできなかった。
 凍り付く少女に、彼は考え込むように視線を泳がせ、「ああ、そうだった」と呟く。

「まずは一言言わなきゃいけないのか」

 そして、にっこりと笑った。先程講堂で神の教えを説いていた先生と似た、しかしそれよりもやわらかな笑み。それを見、ほ、と心を緩ませる。

「許す」

 少女が彼の前で何かをするには、その一言が必要だった。硬くなった肩に痛みを感じながら、少女はそっと口を開く。

「……お許しいただき、感謝いたします、神の膝におわす方。実はそちらにボールが転がっていってしまって……」
「ボール?」

 ぽかんと言い、彼はふと自分の足元へと目を落とした。少女が探していたボールがちょこんとそこにある。それへと手を伸ばそうとした彼へ、少女は慌てて叫んだ。

「いけません!」

 びくりと彼の手が止まる。ハッと少女は息を呑んだ。怒らせてしまっただろうか。少女にとって神に等しい人に、大声を上げてしまった。

「ご、ごめんなさい」

 ゆっくりと男がこちらを見る。その穏やかな土の色に変化はない。ほっと安堵しつつ、少女は「ごめんなさい」と再度謝ってから続けた。

「……触れたら、あなたが穢れてしまいます」
「泥がついているようには見えないけど?」
「そ、そうじゃなくて、わたし達とあなた方は違う存在だから、だから、その」

 やはり相手が高貴な方だからか、会話が難しい。わたわたと説明しようとする少女を気にも止めず、彼はボールへと手を伸ばした。

「駄目……!」

 少女の叫びも虚しく、その手はボールを掴み上げる。

「綺麗なボールじゃない」
「……そんな」
「毒も仕掛けもない、問題があるとは思えないけど?」

 本をベンチへ置き、彼はあろうことか少女の元まで歩み寄ってくる。あまりの畏怖に少女はこれ以上なく硬直した。
 神に見放される危険さえある、罰当たりなことをしてしまっている。

「どうしよう……」

 耐えきれず座り込んだ。胸に両手を当てる。恐ろしさに身が竦んだ。神に等しい人に、卑しいものを触らせてしまった。

「わたし、〈赤き獣〉にされちゃう……」
「大袈裟だなあ」

 罰を体現した本人はというと、のほほんと笑って少女の元へとしゃがみ込んでくる。

「大丈夫大丈夫、そんなことにはならないから」
「ほ、本当ですか?」
「本当本当」

 穏やかな茶色が、微笑む。

「――僕が君を守ってあげる」

 その声に、言葉に、息を呑む。
 その両目は少女の目の、さらに奥を見据えている。
 ――覗き込まれている。
 しかしその違和感は一瞬で消えた。目を見開く少女へとボールを押しつけ、彼はやはりのほほんと笑った。

「で、〈赤き獣〉って何だっけ?」

 ――この人は本当に教会の人間なのだろうか。
 呆然とボールを受け取りつつ、思わず男へと呟く。

「知らないんですか? 先生なのに?」
「僕は先生じゃないし、全てを知ることはできないよ。人に全知は不可能だ」
「はあ……」
「で、一つお願いがあるんだけど、良いかな?」

 高貴な方からの願いなど、断れるわけもない。少女は当然のように頷いた。

「はい」
「僕と友達になって欲しいんだ」
「……ともだち?」
「うん。友達。そういう関係性がこの世界にはあるんだ」

 それは一体、何だろう。この村には大きく、男、女、子供達、そして教会の人々という四つの区分がある。それぞれお父様、お母様、兄弟達、先生と呼ばれていた。それ以上の関係はない。全ての男が父であり、全ての女が母であり、全ての子供が兄弟だった。だからこの村には家族という単位がない。生活の差も出ず、教育の差も出ず、愛情の差も出ない。誰もが平等だった。

「知らないと思うけど、友達はいた方が良いよ」

 彼は笑う。

「これから必要になる。覚えておきなよ」
「……あなたは予言者なんですか?」
「違う違う、僕はただの人間だよ。ウィリアムっていう名前のね。君の名前は?」

 ふるふる、と首を横に振った。

「まだありません。〈恵み〉も役割も与えられていないから」
「……それもそうか、異能者にも研究者にもなれない子供はいずれ廃棄か餌だ」
「え?」
「ううん、こっちの話」

 変わらない笑顔で言い、彼は――ウィリアムは少女の顔を覗き込んだ。

「名前がないのは不便だ。クリス、なんてどう?」
「……え?」
「君の名前」

 名前は教会の人間、それも高位の人から与えられる。それを、まさか何でもない子供である段階でもらえるとは。恐ろしすぎて言葉も出ない。かちんこちんになった少女へ、ウィリアムは気にする様子もなくにっこりと笑った。

「よろしくね、クリス

 少女からの返事はない。

「……あれ? 聞こえてない? おーい、もしもーし」

 ぽん、と肩に手を置く。瞬間、少女はビクリと大きく肩を跳ねさせた後、ばったりと倒れ込んだ。ぱちくりとそれを見下ろし、ウィリアムは呟く。

「……気絶してる」

 少女にとって彼の存在は神に等しい。名を与えられた上触れられたのでは、そうなってもおかしくはなかった。
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