第1幕
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***
太陽は街の果てへと沈みつつあった。それを窓から見下ろしていたフィッツジェラルドの背中を見つめ、そしてミッチェルは部屋の扉を後ろ手に閉める。パタン、と静かな音が執務室に響いた。それを合図に、フィッツジェラルドはカーテンを引く。白いカーテンが夕日を遮って赤く染まる。
フィッツジェラルドが経営するホテルの最上階、高級マンションの居住空間を思わせるその部屋にいるのはミッチェル、ホーソーン、スタインベック、そしてフィッツジェラルド。ギルドの中でも限られた人員が、呼ばれていた。
彼らの共通点は、とある少女を見知っているということ。
豪奢で幅広の椅子に座りつつ、フィッツジェラルドはミッチェルを一瞥した。
「クリスの様子は」
「部屋で、ずっとうずくまってます」
答え、ミッチェルはあの小さな姿を思い出す。
窓から差す夕日の光を厭うようにカーテンが閉め切られた部屋の隅で、彼女は膝を抱えていた。己の中の何かを押し潰すように、己の中のそれを隠すかのように、彼女は暗い部屋の中で強く己を抱いていた。
クリスは、怯えていた。誘拐されたことにではない。異能力を発動したことでもない。フィッツジェラルドに怯えていた。そして、今後に怯えていた。
これから自分に降りかかる罰に、怯えていた。
まるで決して犯してはならないことをしてしまったかのように。
「……異能、か」
それは所持者を必ずしも幸せにするものではなく、所持者が完全に使いこなせると決まっているものでもない。彼女にとってもきっと、そういうものなのだ。
「さっき少し聞きましたけど」
静まり返った室内で、スタインベックが片手を挙げる。
「あの子……えっと、クリスでしたっけ、その子が実は異能力者だったということですか?」
「しかも一級品だ。建物とその周辺を丸ごと吹き飛ばした」
肩をすくめ、フィッツジェラルドは目を細める。
「――ホーソーン」
「ご指示通り、彼女が所属していたという諜報組織の本拠地跡へ行って来ました」
ホーソーンが一歩前へと進み出た。その片手には数枚の紙がある。ちら、と見ただけでは内容までは見えなかったが、航空写真がクリップで留められていた。木々の緑ばかりが目につく中、ぽつりと中央だけに緑がない。太陽光に反射しているのは屋根か。小さな山村の写真など、彼の報告と何か関係があるのだろうか。
「跡地では収穫はありませんでしたが……彼らが縄張りとしていた町で聞いたところ、彼女は近年姿を見られるようになったようです。彼女が町に現れた時期の出来事を探ったところ、ロンドン郊外の集落が突如焼失した時期と重なりました」
「何それ?」
ミッチェルの素直な問いに、ホーソーンは手にしていた書類へと目を落とす。
「五年前ロンドン郊外の森で火事が発生、焼け跡から居住地があったことが明らかになりました。原因は住人の火の不始末だとされていますが……その集落は外部との接触をせず、完全に孤立していたため存在すらも不確かだったようです」
「彼女はそれの生き残りだと?」
「いえ」
フィッツジェラルドへ、ホーソーンは首を横に振る。そして躊躇いを振り切るように顔を上げた。
「その集落は人工的に作られた居住地……一説には軍事施設だったとも言われています」
ホーソーンの報告に誰もが顔を険しくした。部屋が緊迫する。
集落の姿を模した、軍事施設。それの焼失と共に近くの諜報組織へ姿を現した異能者の少女。彼女が口走る奇妙な言葉。その体に刻まれた手術痕。
何か良からぬことがされていたと想像するのは容易かった。
「ふん、英国を相手取ることになるとはな」
フィッツジェラルドが笑う。この男は、どんな時も余裕のある笑みを浮かべる。それは強さの象徴に他ならなかった。
「ホーソーン、さらにその件を探れ。とは言っても数年前の他国の軍事事情となると、難しいだろうが」
「訊いても良いです?」
スタインベックが口を挟む。彼の指先がホーソーンを指差し、その場にいる全員の視線がそこに集まった。資料を持っていた手を、ホーソーンは何となしにさする。そこには包帯が巻かれていた。その怪我の理由に、ミッチェル達は本人から言われずとも思い至ることができる。
ホーソーンの異能力【緋文字】は、彼の血液を武器にするからだ。
「それ、異能を使ったんでしょう? 彼女について調べている最中に。……襲撃されたんですか?」
スタインベックの率直な問いは部屋の空気を重くさせた。その重さが唇に乗っているかのように、ホーソーンは躊躇いながら短く答える。
「……ええ。町を歩いている時に、背後から。共にいた構成員が数名、治療中です。解析班の調査で、使われた弾丸は英国の軍が使用しているものと一致しました」
「つまり、その襲撃は英国によるものだったってこと?」
「早急に判断するのは危険ですよ、ミッチェル嬢。しかし可能性はあります」
「状況はわかった」
フィッツジェラルドの声が朗々と発せられる。
「つまり――クリスの素性は英国の何かに繋がっているというわけだ」
「それ、安易に手を出して大丈夫な案件なんです?」
スタインベックが腕を組んだ。
「相手は他国ですよ? 下手をしたら本国と戦争になるのでは?」
「それはない」
「言い切れる理由は?」
言い募るように続けたスタインベックを、ミッチェルは横目で見た。一見人の良さそうなその顔の裏に、何かを探るような鋭さが秘められていることはとうに気付いている。彼の最も重要なことは己の家族の生活だ。それが脅かされるのではないかと彼は思っている。
誰だってそうだ。この場にいる全員が、それを危惧している。本国を、自分の故郷を、家族を巻き込むならばこの件は手を引くべきだ。クリスの素性など曖昧なままでも支障はない。いっそ彼女本人から話を聞けば良い。
――そう、こちらには本人がいる。
「こちらにはクリスがいる」
フィッツジェラルドは笑みを浮かべて言い放った。
「彼女から話を聞く。どんな手を使ってでもな。――欧州の一国の軍事機密だ、駒として確保しておく価値はある」
「それで英国に目をつけられたらどうするんです? 僕達には家族がいる、家族を危険に晒すわけにはいかないんですよ」
「言っただろう、スタインベック君。こちらにはクリスがいる。彼女から情報を引き出せればこちらが相手より有利になる。それが機密性の高いものなら尚更だ、向こうは安易に手を出しては来ない。それに」
ぐ、とその手を握り締め、男は目を細めた。
「俺はフィッツジェラルドだぞ。外交も交渉も慣れている」
その拳に宿っているのは、権力、地位、金、そして――暴力。
彼にはあらゆるものを掌握し利用し意図的に操る力がある。
スタインベックが呆れたように微笑む。
「そうでしたね」
「安心しろ、本国には手を出させん。俺の家族もいるからな」
言い、フィッツジェラルドは立ち上がった。その鋭い眼差しで自身の部下達を射竦める。
「クリスに全てを吐かせる。どんな手を使ってでも、あの国の機密を入手する」
その声に、目に、威圧に、否を唱える者はいない。