第1幕
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というわけで、ミッチェルはクリスを連れて街へと来ていた。米国の巨大都市の一つだ。人々がごった返す中、ミッチェルは横を歩くクリスへと視線を向けた。
「……身軽な服装ね、品の欠片もない」
彼女が選んだのは、シンプルなワンピースだった。フリルも装飾もない、白地に黄の花柄が細かく入ったワンピース。ウエスト部分がリボンで絞まり、少女の棒状の体格に見せかけの女性らしさを上書きしている。ドレスを着せようとしたらナイフを取り出そうとされたので諦めた。店の品物をズタズタにされては困る。
まあ、店そのものを買ってしまえばその点の問題は解決するわけだが。
「構わんだろうミッチェル君。君の望み通り、彼女はようやくまともな服を着たのだからな」
「……まさかあなたが一緒に来るとは思わなかった」
隣を歩く長身の男――フィッツジェラルドを見遣り、ミッチェルは素直な感想を呟いた。
「荷物持ちに連れて行こうとした子守役はまたも出張でいなかったから、来てくださって助かったけど。……仕事の方は良いんです?」
「新人の衣服調達なら上司である俺の出番だからな。そもそも君に彼女の世話を焼くような余裕はないだろう」
痛いところを突かれ、ミッチェルは黙り込む。
ミッチェルは由緒正しい家の娘だ。しかし、ギルドなどという場所へ身を置き、フィッツジェラルドと共に表沙汰にはできないこともやっている。理由は、金だった。
「……実家のためなら何だってやるわよ、それが仕事なら」
「安心しろ、報酬は正しく支給される。君の家の立て直しもいつか成せる」
「そうじゃなきゃ困るわ」
「さて、次の店は……」
言いかけ、フィッツジェラルドは立ち止まった。数歩先に出、ミッチェルは彼を不思議そうに振り返る。
「どうしました?」
「……クリスはどこに行った」
「え?」
見回し、そこでようやく少女の姿がないことに気が付いた。雑踏の中へ目を走らせる。あの白いワンピースを、亜麻色の髪を、探す。
「いない……?」
「はぐれたか」
少し目を離した、その一瞬で。
戸惑ったように立ち止まった二人の横を、人々が迷惑そうに通り過ぎていく。その人波の中から明るい声が上がった。
「ねえ、そこのお兄さん」
フィッツジェラルドが振り向いた先で、焼けた肌にキャップを被った少年が折りたたまれた紙を差し出している。
「これ、渡してくれって」
「……誰からだ」
「知らない。十ドルもくれた優しい人だった」
押し付けるように渡し、少年は走り去っていく。おい、と呼び止めようとしたフィッツジェラルドの声は虚しく人混みに掻き消えた。
手の中の紙へ目を落とし、それを開く。
――瞬間。
フィッツジェラルドのまとう空気が、変わった。
悠々とした成金のそれから、異能者の集う組織の男のそれへと。緩やかな傲慢さが消え、緊迫した戦闘員のそれが彼から立ち上る。
その変化にミッチェルは息を呑んだ。
「……どう、しました?」
「面白い」
ミッチェルへと紙を手渡し、フィッツジェラルドはその長身を活かして周囲を見回す。その顔に獣の笑みが浮かんでいたのが一瞬見えた。何事か。手元に残された紙を広げ、ミッチェルは瞠目した。
『子供は預かった。身代金は十億。期限は一時間。代表自らが一人で持って来い。待っている』
「代表、って……フィッツジェラルドさんのこと?」
ギルドの代表ではない、表社会における代表、つまり企業の最高責任者だ。確かに彼はいくつもの会社を持っている。その財を狙ったか。しかし、十億、そして一時間。とてもではないが揃うわけがない。しかも犯人の居場所を探し当てなくてはいけないのだ。
これが悪戯でないことはクリスの不在が明らかにしている。加えて、これは身代金が目的ではない。クリスを殺害することによるフィッツジェラルドへの醜聞攻撃だ。
「こんな無茶苦茶……」
焦りを露わにするミッチェルとは反対に、フィッツジェラルドは悠然とケータイを耳に当てた。
「俺だ。クリスの発信機の信号を探れ」
「発信機……?」
短い指令を出して通話を切ったフィッツジェラルドに、ミッチェルは目を瞬かせる。彼はやはり得意げな笑みを向けてきた。
「俺が無対策で外出していると思ったかね? ミッチェル君」
無対策で。
その言葉の意味は。
「予期、していたの……?」
「むしろそれが狙いだった。まさか白昼堂々、街中でやられるとは思わなかったがな」
訳のわからないことを言い、フィッツジェラルドは罠にかかった獲物に気付いた獣のように笑った。
***
本拠地の部下から届いた発信機信号の探知結果を元に、フィッツジェラルドは街の中を歩いていた。大通りから少し逸れれば、辺りは小さな建物が隙間なく立ち並ぶ煩雑な街並みに変わる、はずだった。
大通りから小道に入ったフィッツジェラルドは、目の前の光景に瞠目した。
「何……?」
人が集まっている。明らかに野次馬らしきそれらが取り囲んでいるのは、建物の残骸。火事か地震か爆発か、跡形もなく砕けている。本来であれば古びた小さな建物があったはずだ。隣り合う建物も壁が砕けガラスが割れ、半壊している。しかし、
焼けた痕跡はなかった。火事でも爆発でもない。まるで、何かを中心に暴風が吹き荒れたかのような。
高いところから落ちてきたかのような死体も周囲に転がっている。瓦礫の中には人の腕も見られた。おそらくは手遅れだろう。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
「一体何が……」
「わからん」
ミッチェルに言い、フィッツジェラルドは手元の画面へと目を落とした。クリスの位置を知らせる発信機は、この辺りから出ていた。今改めて見ると、どうやら僅かに移動したらしい、一本奥の通りにいるらしかった。
信号を辿るように、細い道を歩く。少女の姿は通りの隅で見つかった。一人でうずくまっている。ワンピースの裾は汚れ、両腕には強く爪が立てられていた。フィッツジェラルドの足音に気が付き、肩を大きく揺らす。何かに怯えるような動作。やがて彼女は顔を上げ、フィッツジェラルドの姿に戦慄した。
それは、誘拐に巻き込まれた末に再会した相手へ見せる態度ではない。
「……なぜ俺に怯える」
「ごめ、んなさい……!」
唇がわななく。声が震える。体を掻き寄せ、目を見開き、あふれる言葉をそのまま口にする。
――恐怖。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! お許しもないのに、〈恵み〉を使ってしまった……!」
「〈恵み〉……?」
ミッチェルの反芻に答えず、クリスは何度も「ごめんなさい」と繰り返しては体を無茶苦茶に抱き寄せるだけだ。混乱している。
「どういうこと……?」
ミッチェルが戸惑いの眼差しをフィッツジェラルドへと向けた。
「周囲に人はいないし……あの紙は悪戯だったということ……?」
「にしてはクリスの様子がおかしい」
喚く少女を見下ろし、フィッツジェラルドはしばらく考え込んだ。彼女の所属していた諜報組織は完全には壊滅できていない。ボスたる人間が行方をくらませていることに加え、数人取り逃がしたことをスタインベックが報告してきている。それ自体は問題でなかった。彼らは必ず復讐をしてくると思ったからだ。おそらく、唯一殺されなかったクリスを使って何かをしかけてくると思っていた。彼らは諜報と暗殺を専門とする人間達だ、クリスと秘密裏に接触してフィッツジェラルドの暗殺を目論むか、こうしてクリスをフィッツジェラルドの醜聞に利用するか。姑息な手を使ってくることは確かだった。
しかし実際にはクリスは誘拐された後、すぐに解放された。――否。
解放されたのではなく、逃げ出したのだとしたら。
当初の発信機信号の位置を思い出す。あれは、確かに、全壊していたあの建物の中だった。
そして、彼女の言葉。
「……クリス、答えろ」
名を呼ばれ、クリスはびくりと震える。宙をさまよう目は大きく見開かれていた。
何に怯えている。
「――あれは、君がやったのか」
「ごめんなさい……!」
両腕に立てられた爪がさらに強く食い込む。白いワンピースの下から赤色が滲み出てきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 怖くて、どうしようもなくて、そうしたら……全部、全部壊してしまった……!」
再び「ごめんなさい」と繰り返し始めた少女を見下ろす。再び、あの光景を思い返した。
何かを中心に暴風が吹き荒れたかのような惨状。下敷きになった人々、高いところから突き落とされたかのような死体。焦げ跡のない、破壊。
「どういうこと……?」
「おそらく彼女の仕業だ」
「本人はそう言ってるけど、あんなの子供じゃ無理よ! あそこにいた誰かが爆発物を使ったとか、元々ボロボロだったとか……!」
「子供でも可能だ」
俺達はそれを、特によく見知っている。
まさか、とミッチェルが呟く。それに頷き、フィッツジェラルドは謝罪の言葉を喚き続ける少女を見下ろした。
「――異能力だ」