第1幕
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「話は決まった」
くるりと踵を返し、フィッツジェラルドはすたすたと自身の椅子の元へ戻る。そして豪奢な椅子の背もたれへ腕を掛け、椅子に座る少女へと身を乗り出した。
「クリス、本日から君はこのギルドのメンバーだ。というわけで一つ誤解を解いておく。俺は神ではない。フィッツジェラルドだ」
「……この身にあるのは〈赤き獣〉。あなたはそれを虐げ、屠る唯一の存在。それを神様と呼ぶと、教わっている」
「こんな調子だ、牧師殿」
両手を広げて降参の合図を大袈裟にするフィッツジェラルドに、ホーソーンは「なるほど」と返した。
「ご苦労なさっているようだ」
「〈赤き獣〉って何?」
ミッチェルが最もな問いを投げる。それに答えたのは小さな声だった。
「……人を過ちに導くもの。神に逆らい全ての人類を闇へと誘う化け物。神に〈恵み〉を与えられた者はこれを排除しなければならない定め」
ぽつぽつと、しかし流暢に発せられたその言葉は何かを読み上げているようだった。そしてその内容を聞くに、少女が言わんとしていることは何となくだがわかる。
黙示録。聖書の中で唯一預言書に分類されるもの。そこには神に抗い人々を罪へと陥れ、挙句天使により排除される竜と獣が記されている。しかしその身に宿しているとはどういうことだ。全ての人類は生まれながらに罪を背負っている、それはホーソーンの信じる神によってしか許されない。しかし少女の言う「獣」は人に元来備わっている罪とは違うような気がした。
まるでそれを嫌悪しているかのような。まるでそれを異物だと知っているかのような。
「獣も何も知らん。……ふむ、ならばこれはどうだ」
顎に手を当て、フィッツジェラルドが何かを思いついたように呟いた。どこぞを泳いでいた目を、少女へと向ける。
「何か君が望むものをやろう。神は人に試練しか与えんが、俺は財力をもってして君に何でも与えられる」
「……試練以外のものを与えられる、だからあなたは神様ではない、ということ?」
少女がぽつりと呟く。フィッツジェラルドを神と信じて揺るがない、というわけではなかったようだ。少女の声にフィッツジェラルドは指を鳴らして顔を輝かせる。
「そうだ、わかっているじゃないか。さあ、何が欲しい。言ってみろ。服か、装飾品か、会社か。何でも与えてやる」
突然のことに少女は俯いた。その表情はあまり動きがない。考え込んでいるのか他のことを思っているのかわからない横顔を、ホーソーンは見つめた。あまりにも感情がわかりづらい。表情の動かし方がわからないのか、それとも感情そのものが欠落しているのか。必ず表情豊かであれとは思わないが、少しは表してもらわないとやり取りに支障が出そうだ。
そこまで考え、思考が子守役の準備へと移行している自分に舌打ちをしそうになる。上司命令なのだからしかたがない、しかたがないのだ、断じて自ら進んでその役に身を落としたわけではない。
黙り込んでしまった少女へ、フィッツジェラルドは余裕を示すかのように胸を張り、両手を広げた。
「まあ今でなくとも構わん。後でゆっくり考えるでも良い。ミッチェル君、彼女を部屋に案内」
――言葉が、聞こえた。
フィッツジェラルドが口を閉ざす。ミッチェルが驚いたように椅子へと顔を向けた。ホーソーンもまた、息を呑んでそこに座った少女を見つめる。
その声は、彼の明朗な声をくぐり抜け、広い室内に小さく、しかしはっきりと発せられた。
「友達」
小さな声が同じ言葉を繰り返す。
「……友達はいた方が良いって、言ってた」
少女が顔を上げる。雲間が切れたのだろうか、窓からの太陽光が突如その眼差しに映り込む。
無機質な青を彩る、鮮やかな緑。
それは宝石に例えられるような美しさではなかった。硬質なそれよりも柔らかく、空や森などといった時間と時期で色味を変えるものよりも確かな、揺らぎのない美しさ。
「……誰に、言われた?」
フィッツジェラルドの声がいつもより弱々しい。
「友達」
短い答えを返し、少女は軽く首を傾げる。手入れのされていない縮れ気味の亜麻色の髪が、太陽を受けて金色に輝いた。
「駄目?」
「……まさか」
フィッツジェラルドが笑う。彼だけが、彼女と会話していた。彼だけが声を発することができていた。ミッチェルも、そしてホーソーン自身も、少女を見つめるだけで何もできない。落ち着こうと深呼吸を試みて初めて、今まで息を止めていたことに気が付いた。
なぜかはわからない。けれど、今、確かに、息を呑んでいた。
少女の宿した輝きを目の当たりにして。
「そんなもので良いなら、いくらでもくれてやる。全く、貧乏人の考えることはわからんな」
フィッツジェラルドが大袈裟に肩をすくめる。そして、改めて少女へと向き直った。
「フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドだ。ようこそ、ギルドへ。――クリス」
その細めた目に宿るのは見せかけの友愛。彼にとって少女は戦力にもならない気まぐれの土産にすぎない。
対して少女はというと、視線を落として何かを繰り返し呟いていた。
「……フィ、ツ……?」
どうやらフィッツジェラルドの名らしい。
「フィッツジェラルドだ」
「フィッツ……」
「フィッツジェラルド」
「フィッチェ……」
「フィッツ、ジェラルド」
「……フィー、ツ、ラ……」
「……わざとか?」
ひくりと眉を動かしたフィッツジェラルドに、クスリと笑ったのはミッチェルだ。
「二音節以上の言葉を覚えるのが苦手とかかもしれないわね。いっそフィーでどうです?」
「却下だ。俺の名を安易に簡略化するな」
「フィー……」
「そこ、納得するな」
フィッツジェラルドが不満気な顔で見下ろす先で、少女はこくりと一つ頷いた。どうやらその呼び名に決定したようだ。フィッツジェラルドをそのように呼ぶとは、この少女、なかなかできる。
「……わかった、今は許してやる。だがいつか必ず俺の名を正しく呼ばせてやるからな、覚えておけ」
「負け犬の遠吠えみたい。……さ、行きましょう。部屋に案内するわね。服も準備してあるから」
ぽつりと呟かれたミッチェルの声は幸いフィッツジェラルドには届かなかったらしい。ホッとしつつ、ホーソーンは椅子から立ち上がった少女がこちらを見上げてきたことに気が付いた。その眼差しには先程とは違い、生気の失われた青しかない。
「……神様はどうして」
その声は細い。
「どうして、わたしを殺さないの?」
――それが。
それが、彼女の問いか。
その青が求める、問いか。
少女がくるりと背を向ける。ミッチェルを追い、部屋を出て行くその背を見送る。
組織を壊滅され、フィッツジェラルドに気に入られたがために米国へ来た少女。その背中は、小さく、寂しげで。
彼女の目に映っていたのは、誰の死だったのだろうか。