第1幕
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[Act 1, Scene 2]
ホーソーンは先日、遠征から戻ってきた。相手は本国南部の武器商人を束ねる組織であり、物分かりが良い。上司の命によりそれと協定を組んできたのだが、相手はやはり荒らくれ。筋肉と白い歯に囲まれたせいで、肉体的疲労よりも精神的疲労の方が大きい。
だがまあしかし、これで一ヶ月後には南部で生産された武器が大量に入荷されることだろう。そうでなくては苦労が報われない。などと思いつつ、ホーソーンは呼び出しに応じてフィッツジェラルドの部屋へと向かっていた。目的の部屋の前に辿り着き、細かい彫りに彩られた扉を前にしばし逡巡する。理由は明確、予感だ。
嫌な予感がする。この扉の向こうに、嫌なものがいる気がする。
「……ここまで来て引き返すという選択肢があったのなら、良かったのですが」
呟き、ノックをした。すぐに「入れ」と返事が返ってくる。
「失礼します」
扉を開けた先では、足を組んで椅子に座る国家元首のような男がいた。堂々とした佇まいは、彼の自信故のもの。整えられた髪、新品を思わせる服と靴、どれもが彼の裕福さを表し、それを見事に使いこなしてみせる彼はまさに富の象徴だった。
その彼の前に、椅子がある。こちらに背を向けられたそれは背もたれが高く、誰も座っていないように見えた。しかしその傍らにミッチェルが立ち、こちらを楽しそうに見遣ってくる。そこに何かがいるのは確実だった。そしてそれが、フィッツジェラルドやミッチェルにとってホーソーンをからかうためのものであることも。
「あら牧師様、ご機嫌よう」
「……お呼びでしょうか」
ミッチェルのニヤニヤとした笑みを無視し、ホーソーンはフィッツジェラルドへと問うた。フィッツジェラルドもまた何かを企んでいるような笑みでホーソーンを出迎える。
「ああ。長らくの出張ご苦労だったな、ホーソーン君。成果は」
「問題ありません。取引は成功、数日で商品が届くかと」
「上等だ。ではあとは買収への動きを水面下で強めるだけだな。金は人を操る操り糸だ、数百数千ちらつかせれば簡単に釣れる。……さて、本題だ」
フィッツジェラルドが目の前の椅子を指し示す。そこにあるものを見ろ、という動作に従い、ホーソーンは椅子を覗き込んだ。亜麻色が初めに目に入ってくる。そしてそれが人間であることに気がついた。
「……子供?」
ホーソーンの呟きに反応し、それは僅かに目を向けてくる。生気のない青色がホーソーンを映した。白人の少女だ。貧しい生活をしてきたのか体は細く、間に合わせで与えられたのだろう簡素な服が身の丈に合っていない。フィッツジェラルドが拾ってきたにしては、理由がわからなかった。彼はただの貧乏な子供を拾ってくるような優しさはない。とすると、考えられるのは。
「異能者ですか?」
「いいや」
ホーソーンの問いにフィッツジェラルドは首を振った。
「先日壊滅した諜報組織の生き残りだ。動きは悪くなかったが、異能の発動は見られなかった。おそらく普通の人間だろうな」
「……ではなぜ、ここに?」
「気に入った」
「……はあ」
あのフィッツジェラルドが、この貧しさを体現したかのような少女を気に入った。何が彼を決意させたのか。ホーソーンはまじまじと少女を見つめた。さして珍しくもない亜麻色の髪、光を宿さない青の目。手足は細く、並外れた戦闘力を発揮したとも思えない。
だが、彼が気に入ったと言ったのだからそうなのだろう。それ以上の詮索を止め、ホーソーンはフィッツジェラルドへと向き直った。
「それで、私をここへ呼んだ理由は」
「これの世話を頼みたい」
「……は?」
間抜けた声が口から漏れた。
「……聞き間違いました。もう一度おっしゃっていただいても?」
「これの世話だ、牧師殿。名前はクリス、ファミリーネームはないらしいから後で適当に見繕っておく。出身はイングランド、詳細は不明。国籍もパスポートもないが、その辺りは問題ない。見ての通り礼儀も何もわかっていない状態だ、丁寧に叩き込め」
「……聞き間違いかと思ったのですが」
眼鏡を押し上げる。
「……子供の世話を? 私が?」
「そうだ」
フィッツジェラルドはとても楽しそうに笑う。とても良い笑顔だ、とても。
「慣れているだろう?」
「いえ全く」
「そうか。だが君ならできる。信じているよ」
「……他に適任がいるのでは?」
ちら、とミッチェルを一瞥する。すると彼女はフイッと顔を逸らした。
「これ以上の適任はいないと結論づいたところよ?」
「……なるほど、大体理解できました」
つまり、そういうことだ。
「拒否権はないということですか」
「何も悪い話ではないぞ。君も君の仕事ができる」
「と言いますと」
そこでようやく、フィッツジェラルドは笑みを消した。一気に空気が変わる。少しでも彼の意図と違うことをすれば首を刎ねられるような、権力者独特の緊張感。
「……彼女の出自を追って欲しい」
「ですが先程、出身はイングランドだと」
「それ以上のことを、これは話そうとしない」
ちら、とその鋭い目が椅子に座る少女へと向けられる。話の内容を聞いてか、少女は腕に爪を立てて体を抱き込んでいた。伏せた顔は髪に隠れて見えない。けれど、そこに浮かぶ表情を察することは容易だった。
恐怖、か。
この子供は何かを隠している、それを探れということだろう。
「知る必要のあることですか? 個人の詮索は時に不要な無礼となりますが」
「そこだ、牧師殿。彼女は俺を神と呼んだ」
「……は?」
突然の報告に思考が止まる。
神。それは唯一ホーソーンを導くもの。金と地位を全てとする男とは遠くかけ離れた崇高なる存在だ。
「……異教徒ですか」
ようやく絞り出した言葉に、フィッツジェラルドは不満げな顔つきのままため息をつく。
「わからん。そこを探れ。他にも彼女は妙な単語を口走る。この際だ、正しい教えを叩き込んでやると良い。信者を増やすチャンスだぞ」
「私をどこぞの不良集団と間違われては困りますが……そういうことでしたらお引き受けしましょう。神はただ一人でなくてはならない」
「そう言ってくれると思っていた」
フィッツジェラルドが満足そうに笑む。言わされた気もしなくはないが、ホーソーンはとりあえず眼鏡を押し上げた。少女の座る椅子の横でミッチェルが肩を揺らして笑いを堪えていることに関しては無視することにする。
「というわけだ」
フィッツジェラルドが立ち上がり、少女を見下ろす。
「クリス、だったな」
名を呼ばれ、少女が顔を上げる。ぼんやりとした眼差しがフィッツジェラルドを見つめる。その目は青い。しかし、どこまでも暗い。
まるで親しい人の死を思いがけなく目にし、未だそのショックから抜け出せていないかのような。
その目を見るのは初めてではない。あらゆる場所に、その目はある。貧民街、紛争地、そういった場所以外にも誰かの死は人々の中に存在している。珍しいことではない。
そう、珍しいことではないのだ。
「彼はナサニエル・ホーソーン。真の神を知る者だ。彼についていけ」
少女は小さく頷く。素直なそれを見、フィッツジェラルドは少女の横を通ってホーソーンのそばへと歩み寄った。しかし通り過ぎることなく、ホーソーンの肩口に顔を寄せて来る。
「先日彼女を連れて来る際、航空機の中で倒れた」
囁き声は二人の間に留まる。
「直接的な原因は栄養失調だ。しかし、本国の病院に連れて行き検査をした結果、その体の内部には手が加えられていたことがわかった」
「……内部?」
「手術痕だ。それも、治療目的ではない。臓器の多くが機能不全となっていた。できる限り移植したが……まだ不完全でな、経口摂取だけでは生命維持活動に必要な栄養分が足りず、定期的な点滴が必要らしい。肺に関しては大部分を切除され、走ることもままならんだろう。まるで籠飼い用の鳥の翼のようにな。その点についても彼女は話そうとしない。まあ諜報組織の出だ、簡単に口を割るとも思えんが」
流れるように伝えられた話を聞きながら、椅子に座る少女の後頭部を見遣る。一見つまらなそうに己の足先を見つめている少女、その身に隠された何か。ミッチェルが少女へ何かを話しかけた。それに対し、少女は頷くか首を横に振るかの二択の答えを返している。その様子を見つつ、フィッツジェラルドは鋭く言い放つ。
「彼女の出自を探れ。上手くいけば、何か金になる話に化けるかもしれん」
「良い結果になるとは思えませんが」
「だからこそだ、今のギルドには権力と金がまだ足りん。人体への不当な手術痕だ、表社会には出せん代物には違いない。それを仕組んだ奴を探し出し脅すなり何なりすれば、何かしらに繋がるだろう」
ちら、と横に佇む男の顔を見る。そこにあったのは、笑顔だった。見慣れたものだ。口端を釣り上げる、何かを目論む笑み。ホーソーンはそれにため息を返す。
「……了解しました」
何を言ったところでこの男が思い直すとも思えない。ならば、従うしかなかった。