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クリスは探偵社のビルへと向かっていた。とは言っても、探偵社に用があったのではない。そこが待ち合わせ場所なのだった。
ビルの前にはすでにその人がいて、腕時計を眺めている。待ち合わせ時間ちょうどくらいのはずだ。
クリスは駆け寄りつつ名を呼んだ。
「国木田さん」
国木田が顔を上げる。と、その表情が驚きに固まった。予想通りの反応に
クリスは思わず笑ってしまう。
国木田が驚いた理由は
クリスの服装だった。黄色の華やかなワンピースに白のブラウスを合わせている。足元はいつもの靴ではなくヒールの靴。髪はハーフアップにし、揺れる耳飾りで華やかさを出している。
「与謝野さんに選んでもらった服なんです。着てみたくなって」
「ああ……あの時のか」
「自分が持たされた荷物の中にこれがあったのか」と言いたげに、国木田は眉を潜めつつも
クリスから目を離さない。その視線に応えようとくるりと一回転してみせた。ふわりとワンピースの裾が広がる。
「これすごく可愛いですよね。なんて言うんでしたっけ、マゴにも衣装?」
「それはそういう意味ではないぞ」
「あれ、間違ったか。後で調べておきます。――この服、丈もそこそこあるからナイフを隠せるし、良い買い物をしました」
「ナイフ……?」
「護身用兼暗殺用です」
「殺すな」
ぽん、と太もものあたりを叩いてみせた
クリスに国木田がすかさず突っ込む。やはりこの素早い反応具合が良い。
クリスの思考など露知らず、国木田は慣れた仕草で腕時計を見た。
「時間だ。行くか」
「はい」
先に行こうとした国木田の横に駆け寄り、並ぶ。顔を覗き込むように前かがみになりながら、
クリスは訊ねた。
「今日はどこに行くんです?」
「うずまきの店長の友人がやっているという喫茶店だ。予約はしてある。今から五分後だ」
「楽しみです」
事件後、
クリスは特務課から聴取を受けた後に何事もなく解放された。どうやら太宰が何か手を回していたらしい。しかし、一定期間特務課から探偵社を通じて監視されることになったため、国外に逃れることができなくなってしまった。これが太宰の目的だったのかと思う一方、彼は何をどこまで把握し、この状況に持っていったのだろうという疑問もある。
おそらくは、全てだ。
事件の全貌全て、そしてこの展開全て。
やはり敵に回したくない相手だ。
「まさかまたこうして国木田さんとお出かけできるなんて、思ってもみませんでした」
「この街の美味いものを食べに行きたいと、かつてあなたは俺に言った。その約束を再び果たしているだけだ」
「……口約束で終わると思っていました。あの時のわたしは探偵社を利用する人間で……いつかはあなた方に黙って街を出て行くと、そう思っていたから」
前を向く。
車が、人が、往来している。当たり前の生活を続けている街。
クリスがここに来た時から今まで、変わりなく毎日が続いていた場所。
変わらない、それは
クリスに安堵をもたらした。
自分がいようがいまいが何にも影響しない。何という幸福か。
「不思議です、夢みたい。またこうしてこの街で、国木田さんと一緒に歩いているだなんて」
一般市民を装った自分が国木田と過ごした日々はまやかしだと思っていた。自分が作り出した幻想だと思っていた。皆の優しさも、笑顔も、全て一般市民を装った自分にだけ向けられたものだと思っていた。
けれどこの人は、この人達は、本性をさらけ出した
クリスをなおも助けようとした。裏切り、刃を向けたというのにその信念は変わらなかった。
クリスを脅すでもなく殺すでもなく、こうして隣にいさせてくれる。
愚かなのだろう。無防備で、平和慣れしていて、警戒心がなくて。見ているこちらが呆れてしまうほどに、どうしようもなく。
けれどきっと、それが彼らなのだ。
武装探偵社なのだ。
であれば利用し続けよう。限られた時間、それが引き延ばされた中で、こうしてまやかしの幸せを眺めて、手を伸ばして、抱えて、頬を寄せて。
いつか別れの時が来た時、その時こそすぐに決断しこの街を離れられるように。
迷いも未練もないように。
――いつか来る、最後のために。
思考を悟られないよう、
クリスは跳ね踊るような軽い足取りで駆けた。見えてきた喫茶店を指差す。
「あれですね! 早く行きましょう!」
弾むような足取りでそちらへ行こうとして――
クリスはふとそれに気が付いた。が、国木田にわからないよう、足取りも何も変えず、店の扉の前に駆け寄る。急かすように国木田を振り返り、追いかけて来た国木田が扉の取っ手を引くのを見ていた。
カラン、と来客を告げる音が店内に鳴る。
店に一歩踏み出た国木田は――そこで硬直した。
「な……な……」
「やあ国木田君、奇遇だねえ」
ひらひらと手を振るのは太宰だ。四人がけのテーブル席で、申し訳なさそうな敦とパフェを頬張る鏡花と共に座っている。その奥のテーブルには谷崎兄妹と賢治。そして他の席には、和菓子をテーブルの上に積んで食べ続けている乱歩、それを見守る与謝野、そして福沢。
勢揃いである。
「いや何、国木田君が休みを取ったというからちょちょいと調べてみたら、ここの喫茶店に来ることがわかってね、皆を誘って来てみたのだよ」
「太宰貴様あああ!」
「あ、気にせずあちらの席でどうぞどうぞ、お構いなく」
「できるか!」
地団駄を踏むように怒鳴る国木田の後ろで
クリスは笑いを耐えていた。が、国木田がくるりとこちらを向く気配。目が合う前にふいっと顔を背けた。
「……何を笑っている」
「笑ってません」
向き直ってキリッと真顔で答える。じっと睨まれるが、真顔でやり通した。しばらくして国木田が店の中へと意識を戻す。ほ、と肩の力を抜いた。それがいけなかったらしい。
国木田が勢いよく振り返った。あ、と目が合う。
「……やはり笑っていたな」
「き、気のせいです」
「
クリス」
「気のせいですよ、気のせい……ごめんなさいすみませんでした、ゲンコツは痛いです……あ
痛ッ」
頭を小気味良くはたかれた。叩く、というより手を乗せた、という方が近いようなそれは、早押しクイズでボタンを押すのと似ている。
もう一度――今度はなぜか軽く撫でてから――国木田は店の奥に入っていった。何をされたのかわからないまま
クリスは触れられた頭に手を置き、そして店内の奥へ向かう国木田を見遣る。予約をしていた以上、店を変えるということはしないのだろう。律儀な人だ。
店を見渡せば、皆が
クリスを出迎えてくれていた。誰もが笑顔を浮かべている。
その眼差しにそっと微笑む。
これから先、自分は彼らをまた陥れ裏切り見捨てるのだろう。それでも彼らは変わらず
クリスへ手を差し伸べ笑みを向けてくる。それは過信ではなかった。事実だ。彼らはそういう人だ。愚かで、生ぬるくて、優しい。
理解はできない。けれど、少しだけ――少しだけ、嘲笑とも違う心地が胸の中にある。
懐かしさに似た何か。
日だまりの下を思わせる、穏やかで苦しくて、泣きたくなるほどに悲しい、幸せの日々。
「
クリス」
国木田が席へと
クリスを呼ぶ。その声に笑顔を返し、
クリスは彼らの中へと歩み出した。
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第2幕 完
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第1幕次ページからは第2幕の閑話です。