第2幕-続
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「敵襲!」
警報代わりの声を発した男の横顔にグリップの底を叩き付ける。倒れかけるその肩を踏み場に跳躍、くるりと宙返りをした。前方から銃弾が腕を掠める。しかし痛みはない。怯むことなく右足でその銃身へと飛び乗り、左足で男の顔を蹴り飛ばす。着地と同時に一発発砲、遠方で銃を構えていた一人の男が腕から血を吹き出し武器を取り落とす。それを確認する前に駆け出した。
一瞬でも立ち止まってはいけない。的を目の前にしたマフィアほど獣じみた生き物はいない。彼らの強みは殺人への躊躇いのなさだ、人を傷つけることへの無頓着さだ。一瞬でも、彼らの的になってはいけない。
クリスの行き先を塞いで男が銃口を向けてくる。銃が一点の光を闇に灯す、その一瞬が網膜に焼き付く。地面に転がって銃弾を避け、その腕を撃ち抜いた。銃を取りこぼしたその男の懐へ跳び込むように入り至近距離で発砲。突きつけた銃口から血が飛沫く。
クリスを狙うように銃弾が放たれる。そのことごとくが死体と化した男へと突き刺さった。銃声を聞きつつ、その体の下から銃口を覗かせて二発。くぐもった音と共に跳ねる空薬莢。死体を押すように放り出して走り出す。
目の前の男達を抜ければ、後は走るだけだ。順に銃弾を撃ち込む。後三発、二発、一発。
銃弾が尽きた。
最後の銃弾を受けた男の横をすり抜ける。真正面にいた男へとためらいなく突っ込みつつ拳銃を手の中で回転、銃身を握り相手の顎下にグリップを叩き込んだ。よろめいたそのこめかみを殴り飛ばせば、男は呆気なく倒れ込む。
どこからか銃弾が地面を抉ってくる。すぐさま地を蹴って駆け出した。何人倒しただろう。とにかく視界に入った全てを倒せば良いはずだ、それが何人かはわからないけれど。
前方の倉庫の影から数人の男が現れる。銃弾は尽きた、後はナイフと体術で何とかするしかない。銃器と、人一人。勝てるだろうか。
否――勝つしかない。
一人でもできることはある。
男達が何かを通信機に叫びながら銃を向けてくる。空になった銃を放り投げ、それで数発防いだ。ナイフを引き出す。手にしたそれを握り込んで手首を固定、腕ごと振って相手の目元へと一閃を描く。血が横一文字を描く。
銃弾が額を狙って来た。それを重心を下げて回避し、そのまま前方へ回転、そこにいた敵へと膝ごと全身を跳ね伸ばして跳躍。その首元へと飛び込み喉を掻き切る。
――避けられた。
上体を仰け反らせてナイフの刃先を避けたその男は、その体勢のまま拳銃を向けてきた。至近距離からの銃撃――銃口がクリスを捉える。ナイフを振り切った状態での防御はできない。
避けられない。
否、とクリスは目の前の光景を睨み付けた。まだ、間に合う。先に相手の息の根を止めれば、隙が生じる。
ナイフを握り直す。銃火が眼前で灯る。
――銃声、鮮血が宙に広がる。
目を見張る。瞬き一つしなかったその光景は、しかし信じ難かった。
血はクリスではなく、目の前の男の腕から吹き出していたからだ。
「え……?」
銃撃――外部からの、援護射撃。
この場にいる誰もが予期していなかったものだった。
男が取り落とした拳銃が落ちる。硬質なものが地面に落下した音が、静まりかえった倉庫街に響いていく。
「――て、敵がもう一人いるぞ!」
我に返ったように誰かが叫ぶ。クリスもまた動き始めていた。地面に落ちた敵の拳銃を左手で掴み取り、未だ混乱している場から駆け出す。
目の前にある倉庫を超えれば、ひとまずは逃げ切れる。飛び越える――どうやって。
異能は使えない。倉庫は隙間なく並んでいる。奥に行ける道を探していたら挟み撃ちになりかねない。
どうする。
異能が使えない状況になど、なったことがない。異能なしで切り抜けられなかったこともない。これは、経験したことのない事態だった。
銃声が聞こえてくる。身を翻して躱しつつ左手の銃を発砲。しかし慣れない手での発砲は牽制にしかならなかった。
重なる銃声、同時に銃身へと叩き付けられた銃弾。
「ッ……!」
衝撃に思わず拳銃を取り落とす。ぬめるものが指先を伝う。舌打ちし、倉庫を背に周囲を見回す。
黒服が、取り囲んできていた。手負いの獲物の退路を塞ぎ、銃器を手にした獣たちは輪を縮めてくる。
逃げ道はない。圧倒的にあちらの方が有利。
どうする、ナイフ一本で――けれど異能を使えば切り抜けられる。異能を使えば軍警がクリスの居場所を知るが、それも異能で何とかできる。
全てを裂いて、全てを殺して、全てを。
すべてを。
また。
くりかえす。
眼鏡の奥の強い眼差しを思い出す。あの姿を思い出す。
もう一度、あの人と話ができた。それが嬉しかった。そして、思ってしまった。
もっと、ずっと。
そう願ってしまった。
けれどそれは叶わない。
この街を去ろう。一人になろう。傷付けて、殺して、続けていこう。
それしかもう、わからない。
わからない。
――気配。
遠くから放り投げられた物が硬質な音を立てて上空から落ちてきた。投げ捨てられた空き缶のようなそれは、包囲する男達の足元に頼りなく転がる。それが空き缶でないことなどこの道の人間ならば一瞥で判断が付いた。
「閃光弾……!」
瞬間、鋭い光が視界を覆い尽くした。同時にクリスは【テンペスト】を僅かに発動、上空へと跳び上がり倉庫を越えて反対側へと降り立つ。
「……どうして」
見覚えのある閃光弾。
クリスが異能を使う瞬間を隠すための援護、そうとしか思えなかった。それができるのはただ一人だけだ。
「何度聞かれても答えは同じだぞ」
倉庫の裏の闇、月の光が届かない中で手帳を手にしつつ、国木田はクリスを見据えてくる。
「そうするべきだと思ったからだ」
「……やっぱり、理解できないです。明らかにわたしの味方だと言っているような行動をするなんて……あの構成員の中に国木田さんを知る人がいたらどうするんですか。ポートマフィアに弱みを握られますよ」
「……俺も少しわかったことがある」
国木田は手帳へと目を落とした。そこに書かれている二文字を見つめていた。
「己のために己を投げ出す……やってみるものだな、大して変わらん」
「え?」
「あなたは考えすぎだ。俺も俺の理想のために行動している。誰かのためにという名で、己のために行動している。あなたも同じだ。自分のためにという名で誰かのために行動している」
呆れた様子で国木田はため息をついた。
「訊ねる必要もないではないか。俺達は既に、答えを持ち合わせている」
答えを。
何の。
「行くぞ」
国木田が背を向けて歩き始める。その背を呆然と見つめる。
答えを、持っている。――国木田も、クリスも、既に。どういう意味だ。何のことだ。わからない。何も、わからない。
「クリス」
半身振り返り国木田がこちらを見遣ってくる。また、その姿が目の前にある。その目が、その声が、そこに。
それだけで良い気がした。
何もわからないままで良い。絶望に浸ったままで良い。そこにこの人がいて、こうしていつもと変わらない様子でわたしを一般市民として扱ってくれるのなら、それで。
それで、良いではないか。
これが幸せなのだから、これだけあれば良いではないか。
駆け寄り、その横に並ぶ。と、国木田が何かを差し出してきた。クリスがよく使う型のナイフだ。手帳で再現したのか。
「銃よりもこちらの方が得手だろう。使え」
「……助かります」
血に汚れて切れ味の落ちたナイフを腰に戻し、それを受け取る。手慣れた重さが不思議だった。何度かそれを手の中で弄び、そして握り込む。
まだ血を知らない、真っ白な手帳から作られた、使い慣れた刃物。
闇の中でその刃先が輝く。一閃を描くように、鋭く、はっきりと。
「……できればわたし一人で片をつけたかったんですが」
足音が聞こえてくる。見遣った先で懐中電灯の光がちらついている。軍警が近いのだ。
「まさかとは思うが、また一人で突っ込むなどということはするなよ。援護が間に合わん」
「そう言われても……一人でしか戦ったことないので。どうすれは良いんですかね? 援護をしたこともないので、やり方もよく知らなくて」
「……わかった、好きにしろ。俺が合わせる。俺の同僚は皆協調性がない、慣れている」
「わあ、さすがですね」
「嬉しくない事実だがな」
まったくあいつらは、と同僚への文句を言い始めた国木田へ「楽しそうですね」と茶々を入れる。思った通り国木田は不機嫌極まりない顔で「そんなわけがあるか」と言い返してきた。いつものやり取り、慣れた距離感、言葉の交わし合い。
――思い出すのは故郷の日だまり、日の下に佇むベンチ、そこで時を過ごした友人達だ。
あの失われた幸せが、ここにある。
「あの軍警が最後だな。あの先に行けば包囲網の外に出られる。問題はあなたの姿を見られると厄介だということだが……」
「なら、ポートマフィアの暗殺者の真似事で突破します」
「無理はするな」
「わかっています」
懐中電灯の光がクリス達のいる道を照らす。近付いて来るそれへ、向き直る。
「……行くぞ」
「はい!」
答え、クリスは地を蹴った。