第2幕-続
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[Act 2, Scene 27]
真犯人の居場所は倉庫街から離れた住宅らしいと国木田は言った。住所から察するに、いたって普通の木造アパートである。
「そのアパートに、真犯人が今いるんですか?」
夜の倉庫街を全速力で走りながらクリスが問う。
「ああ」
同じく走りながら、国木田が答えた。
「乱歩さんがそのように推理した。奴はこの騒動を知り、今は自分の部屋に戻って身を潜めている。そこを俺達が押さえる。――犯人は最近海外から流入してきた男で、昼間は運送会社の荷運びをしている。一見犯罪とは無関係に見えるが、欧州で殺人未遂を起こし服役していたらしい」
「その殺人未遂事件の詳細は」
「今回と同じだ」
ふと足を止め、倉庫の影に身を潜める。声がした。見れば、遠くではあるが懐中電灯の光がちらついている。
軍警だ。
「……少し回り込みましょう。距離は長くなりますが時間的には問題ない」
「ああ」
クリスの誘導に国木田が従う。
二人が目指していたのは倉庫街の外、軍警の包囲網の外だった。軍警に目撃されないよう、国木田と共に包囲網を突破する――それさえできれば、後は犯人の元へ行くだけで済む。クリスの異能で空中滑空をすれば良いのだが、今クリスは異能犯罪者として追われている、安易に自分の居場所を知らせるような行動は取れない。【テンペスト】の使用は避けなければいけなかった。
「……男は帰宅途中の女性を路地裏に引きずり込み、ナイフで刺し殺そうとした。が、通行人に目撃され逃走、五時間後に路上で逮捕されている」
「通り魔殺人ですね」
「動機は好奇心だったと供述している。肉屋の従業員だったらしくてな」
「なるほど、それなら解体にも手慣れている……けれど今回の事件は計画的過ぎますね。前回は呆気なく捕まったことを考えると、今回犯人の目撃情報がなかったというのは些か気になります。裏で手を引いていた人物がいたということでしょうか」
「それを確かめたのが太宰だ。……被害者は全員、ポートマフィアへ楯突いた集団のメンバーだったと」
「森さんか」
なるほど、とクリスは当たり障りのない相槌を打つ。
森がクリスを追い出すためにこの事件を引き起こした――それに疑問はない。しかし気になるのはあの紙片、そこに書かれた一文だ。森がクリスの過去を知っているとは思えない。知っていたなら、もっと確実な方法で――例えば英国を引き入れるだとか、そういった方法でクリスを追い詰める気がするのだが。
何かが違う。何かが、足りない。
情報が。
「どうした」
沈黙に気がつき国木田が声をかけてくる。いえ、と首を振り、肩を竦めてみせた。
「だとしたらここを選んだのは逆効果だったかな、と。ポートマフィアの縄張りに軍警を引きずり込めば、ポートマフィアと軍警が衝突してくれると思ったんです。その騒ぎに乗じて逃げられるかと思ったんですが……乱歩さんもそのように推理して、あなた方をここに寄越したのでしょう?」
「そうだが……」
「ですが森さんが噛んでいるとなると、ポートマフィアの足元にわたしがいるのはあちらにとっては好都合に」
ふとクリスは言いかけた言葉を呑み込んで「ああ、そうか」と呟いた。
「だから乱歩さんは探偵社員全員を投入したのか……」
「どういうことだ」
「ギルドとの戦いを終えた後、双方は衝突を出来る限り回避する方策を取ったと聞きました。つまりポートマフィアは探偵社に攻撃できず、同じく探偵社もポートマフィアに攻撃できない。探偵社の社会的立ち位置を考えるのならばわたしを擁護しない方が良いし、擁護するならば影から支援した方が良かった。けど、乱歩さんはあなた方を表立ってわたしに寄越した……ポートマフィアに探偵社の存在を見せつけるために」
そして、ポートマフィアが探偵社を、探偵社を後ろ盾としたクリスを攻撃しないように。
「軍警に協力態勢を見せつつ、ポートマフィアに敵対態勢を見せる……案としては良いかもしれませんが危険すぎます。ポートマフィアが協定を破ってくる可能性だってあるのに……」
「だが乱歩さんがそう指示したのだ、問題はあるまい」
「太宰さんもその辺りをわかった上で動いていそうではありますが……」
無茶苦茶だ、とクリスは声には出さずに思う。
クリスが探偵社の行動を軍警に密告して盾にし、一人逃げるという可能性もあるだろうに。
この人達はどこまでクリスを信じているのだろう。どうしてそこまで人を信じられ、人のために尽くせるのだろう。
わからない。
頭を軽く振る。今それを考えている暇はない。
「……一気に抜けます。わたしと距離を置いてください。見つかっても言い訳ができるように」
クリスの言葉に国木田は物言いたげにしつつも頷いた。頷き、クリスは行く先へと改めて視線を向ける。
――視界が傾いだ。
「クリス!」
国木田が抱え込んでくる。支えるようなその手の動きで、自分が倒れかけたことを知った。それでも体勢が立て直せず、地面に両手をつく。目眩、吐き気、全身から血の気が失せる冷気のような感覚。
これは。
「大丈夫か!」
国木田が怒鳴ってくる。答えられなかった。喉に何かが詰まっている。血の臭いが鼻腔を突いてくる。腕に、足に、全身に、力が入らない。
これは、あれだ。
限界、だ。
クリスの体には人の手が加えられている。フィッツジェラルドによって治療がなされているものの、完全に普通の人間と同じ動きができるわけではない。本来ならば走ることもままならないのだ。そこで、異能で生じさせた風を追い風のように使って少しの力で行動できるようにしている。それだけだ、疲労がないわけではない。体を動かしていればいつかは限界が来る。戦闘を挟んだらさらに全身がもたない。
これ以上動いたら、脆い肺が破裂するか、脆い筋繊維が千切れるか、それとも摩耗しきった神経が切れるか――どの限界が先に来るか。
「……ッう」
血臭。ぐるりと回る視界、泥を詰め込まれた脳内。まさかこんなところで。
「クリス……!」
「だ、いじょうぶ、です」
「どこがだ! 一度ここを離れて」
「大丈夫です」
再度言い、クリスは自らの胸元へ手を当てた。
手はある。使いたくなかった手だ。しかし今は緊急時、こんなところでうずくまっているわけにはいかない。せめて少しでも動けるようになれたのなら、異能を使って移動なり何なりができる。
けれど、と遠のきかける意識の中、心の中で怯え躊躇い続ける自分が言い募ってくる。
今までそれを一度もしたことがない。それをしたら、どうなるのだろう。今はしのげても、その後は。
――少し、怖かった。
それでも。
「……【マクベス】」
呼び、その蛍のような光が宙から現れるのを見る。いくつものその小さな光はクリスへと降り注ぎ、包み込んだ。
「これは……」
「これが、わたしのもう一つの異能です。これを使えば……痛みを、和らげられる」
痛みは警告だ。体に異変が起こっているという悲鳴だ。それを無視するように、麻酔を打ち込むように、全身から痛覚をなくす。そうすればまだ動ける。
国木田は横で呆然としていた。止めてくる様子はない。そうだろう、国木田がこの異能について知っているのは、これが元々ウィリアムの異能だったこと、ものを再定義し別物へ変えられること、その程度だ。
クリスがこれを使った後どうなるか――それについては話していない。
柔らかな光が全身の違和感を溶かしていく。一度目を閉じ、そして開けてからクリスは傍らの国木田へとしっかりと顔を上げた。
「行きましょう」
「……大丈夫なのか」
「はい。問題ありません。急ぎましょう、時間がない」
言い切り、返答を待たずに立ち上がって駆け出した。