第2幕
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***
探偵社員は皆、会議室に集まっていた。電気の落とされた部屋の奥で、スクリーンに映像が映し出されている。
『繰り返します。彼らは、一億円を、要求しています』
顔を隠し銃を手にした黒ずくめの男二人に、一人の男性が挟まれている。彼だけが、映像の中で話していた。
『期限は、今日の午後三時。それまでに、準備をしないのなら、私を、殺すと、言っています』
自らの死を口にした瞬間、男性の目に明らかな恐怖が浮かぶ。大きく見開かれた目は赤く充血し、彼の必死さをこれ以上ないほど表現していた。
『た……助けて下さい! お願いします、どうか、助けてください……!』
男性が我を忘れて叫び始める。縛られた椅子ごと立ち上がる勢いで前のめりになった男性へ、控えていた男の一人が銃口を真っ直ぐに向けた。
そして。
――銃声。
画面いっぱいに血飛沫が広がる。頭を撃ち抜かれた男性は、そのまま前のめりに倒れ伏した。動かなくなったそれを見下ろすことなく、男達は真っ直ぐに探偵社員達を見つめている。
ふつ、と映像が途切れた。
「――以上が市警に届いた動画です」
暗い部屋の中で国木田は静かに言った。その声を合図に、賢治が部屋の電気をつける。部屋の中が一気に明るくなり、集った面々が互いの顔を認識できるようになった。
「動画が届いたのは本日正午。犯人グループは世界各地で反社会行為を行っているテログループだと見られています」
「その犯人の確保が依頼内容というわけだね? おそらく市警は身代金を用意するつもりがないだろうし」
頭の後ろで手を組んだ太宰が、確認するように国木田を横目で見る。その横で谷崎が片手を上げた。
「これ、期限の午後三時になったら何が起こるんでしょうか? 動画の中では人質を殺すと言っていましたけど、もう動画の中で殺されてしまっていますし……」
「それが一番の問題だねえ」
与謝野が腕を組んでため息を零す。
「あの様子じゃ、何人殺されるかわかったもんじゃない」
「人質が増えるんでしょうか? それとも街のどこかで爆発とかでしょうか? 想像がつきませんね」
賢治が首を傾げる。社員達が真剣な面持ちで会議に向かっている中で、乱歩は菓子を口にふくんだ。むぐむぐ、と咀嚼しながら指を振る。
「さっきの動画から相手の情報を探ったとしても、次の行動を防ぐ手にはならない。完全にお手上げだね」
「おや乱歩さん、『お手上げ』というのは?」
「そのままの意味だ」
太宰の問いかけに乱歩はあっさりと続ける。
「これ以上は意味がない。事件はとうに動いている。今更止められやしない」
乱歩の言葉に社員達はそれぞれ顔を見合わせる。乱歩がそのようなことを早々に言うのは珍しい。それは、乱歩でさえも犯人達の凶行を止められないということなのだろうか。
僅かな情報から全てを見抜く名探偵の発言に、誰もが押し黙った。絶望に似た沈黙が部屋に重苦しく垂れ下がってくる。
それの中を一閃の声が走った。
「諦めるな」
腹に響く声が会議室に響き渡る。顔を上げた社員達は一斉にそちらを見た。多くの経験を経てきたことを思わせる無骨な無表情、その両目は鷹のように鋭く、均整のとれた体格は彼が武闘者であることを示している。
武装探偵社社長、福沢。
全員の視線を受けつつ、彼は鋭く前を見据える。
「時間はある。僅かな手がかりから探っていけば、自ずと解決策は見えてくる」
それは助言でもあり、叱咤でもあった。低く強いその声はいつでも社員の心を導き、その背はいつでも社の威厳を背負っている。
これが、福沢という男。
武装探偵社を束ね、街を守る要の男。
それに答えなければならない。
「今回の事件は被害想定が難しい案件です」
背筋を伸ばして改めて社員全員を見回し、国木田は声を張り上げた。
「早急に犯人の居場所を割り出し、次のテロ行為を阻止する必要があります。そこで我々のすべきことですが――」
手元の紙へと目を落としたその時、廊下を走る音が会議室に迫ってきた。
バァン、と扉が大きく開け放たれる。
「大変です!」
「ナオミ……?」
予期しない妹の登場に、谷崎が思わず名前を呼んだ。黒い長髪を乱した彼女は兄を一瞥してから、その荒い乱れた息で続ける。
「今程、市警から連絡が……例の犯人グループから動画が届いたと……!」
「何?」
急いで腕の時計を確認する。二時十八分。まだ期限ではない。
「どういうことだ……!」
「これは悠長にしていられないね」
太宰が呟く。
「思った以上に深刻なようだ」
「それで、動画は」
与謝野が椅子から腰を浮かせる。
ナオミの指示に従い、国木田は急いでパソコンを操作して動画を取り込む。それを再生すると同時にスクリーンへ映像が映り出された。
今度はどこかの古いアパートだろうか、薄汚れた壁紙を背景に、床に座り込んだ人質を二人の男が囲んでいる。
――その人質の姿に、目を瞠る。
亜麻色と、青。
「……国木田君」
太宰の声が驚愕に揺れる。
「彼女、確か……」
『これより二回目の連絡を開始いたします』
聞き覚えのある声が聞こえてくる。
震えを隠すような朗らかなこの声を、知っている。乱暴に扱われたのか乱れているあの髪を、知っている。
――諦めと恐怖の入り混じったあの目を、知っている。
「知り合いですか?」
谷崎に答えたのは太宰だった。
「先日ね」
その声を聞きながら、国木田はスクリーンを見つめる。
今日出会う予定だった彼女が、画面の向こうにいる。どれほど待っても姿を現さなかった彼女が、銃に挟まれてそこにいる。
あの時「俺の予定が乱れる」などと苛立ちを露わにした自分が恥ずかしくなった。彼女は国木田との約束を忘れたわけでも、国木田をからかったわけでもなかったのだ。
彼女は今、命の危機に晒されている。
国木田の、前で。
『内容に変わりはありません。午後三時までに一億円を用意すること。できなかったらわたしを殺害するらしいです』
先程の動画の男性とは違い、口調は淡々としている。
『……まあきっとこの動画が終わる前に殺されるんだと思いますが』
それは予定されていなかったセリフなのだろう、男の一人が脅すように銃を彼女の柔らかな亜麻色へと突きつける。
――心臓が警鐘を鳴らす。
『今回の人質はわたし一人ではないようです』
銃口が頭に当てられているというのに、彼女の口調に変化はない。
度胸があるのではない、諦めているのだ。疲労の見える顔は血の気を失い、今にも倒れてしまいそうな儚さを思わせる。
『この部屋に爆弾を仕掛けられています。ここがどこかはわからないんですが、市街地の真ん中だそうです。爆破時間は今から十分後。少し猶予があるのは、もしかしたら助けられるかもしれないという期待を抱かせるための作戦でしょうか』
「乱歩、今すぐわかることはないか」
福沢が早口で訊ねる。それに対し、乱歩は冷静な声で答えた。
「急かさないでよ、社長」
その目は薄く細められている。
「――今に全てがわかる」
その時。
――ブーッ、ブーッ、ブーッ。
バイブ音が、鳴った。
動画の中ではない、会議室の中でだ。それも、国木田の胸元から。
皆の視線が集まる中、国木田は舌打ちを堪えながら自らの携帯電話を取り出す。
「こんな時に何だ一体……!」
苛立ちながら着信相手の名前を見――国木田は息を呑んだ。
『そろそろ時間でしょうか。じゃあ最後に一つ』
動画の中で、少女が微笑む。
亜麻色がふわりと広がる。青の目が優しく細められる。
『――携帯電話、返しそびれてごめんなさい』
男が銃を彼女へと押しつける。思わずスクリーンへと手を伸ばした。
届かない先へ、粗い画面の中で覚悟を決めたように目を閉じた少女へ。
「待て……!」
引き金が動く。そして。
――無音。
動画の再生が終わったのだ。
慌ててパソコンを操作し最後の方を再び再生する。しかし、何度繰り返しても同じだった。
動画が途切れている。
「どうしてですかね……前の動画は最後まで録画されていたのに……?」
谷崎とナオミが顔を見合わせて首を傾げ合う。そうだ、男性が殺されたあの動画は、隠すことなく全ての顛末が映されていた。なのになぜ。
彼女はあの後、どうなったというのか。
「国木田君、電話は?」
太宰の言葉に国木田は我に返った。握り込んでいた携帯電話を見る。着信音は止まっていた。
しかし。
「……まさかとは思うけれど」
太宰が確信のこもった声で問うてくる。
「――私からの着信だね?」
そうだった。
手元の画面には、確かに太宰の名が表示されていたのだ。
――携帯電話、返しそびれてごめんなさい。
そう言って彼女はゆるやかに微笑んでいた。あれは暗号だったのだ。太宰の携帯電話を、彼女はまだ持っている。
つまり、先程の着信の発信元を探れば、彼女の場所がわかる。
「急ぎなよ、国木田」
乱歩がいつになく真剣な面持ちで言う。
「――あの人はまだ死んでない」