第2幕-続
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[Act 2, Scene 26]
目の前に鏡花、背後に敦の視線を感じつつ、息を吐く。軍警がざわめきと困惑を漂わせながらその周囲に佇んでいた。
武装探偵社。切った張ったの荒事を専門とする集団。クリスが異能者であることが軍警に知れていたのなら、こうなる未来も予測できた。けれど、そうならないで欲しかった。
「……引いてください、鏡花さん、敦さん」
できる限り淡々と告げる。その手の中のナイフを見せつけるように握り締める。
「無駄な犠牲は作りたくない」
「断る」
鏡花もまた、小刀を構える。夜叉白雪が刀を掲げる。
「私達は武装探偵社。私達には、守るべきものがある」
「……力尽くでも引いてもらいます」
「それは無理」
鏡花が断言する。直後、一瞬、夜叉白雪の刀が微かにぶれた気がした。
僅かな沈黙、そして。
――場を挟んでいた倉庫の側壁がピシリと割れる。
はまっていたピースが取れるように壁という壁から欠片が外れた。夜叉白雪が倉庫の壁を切ったのだ。簡易な作りの外壁が、支えを失った木箱が、両側から道を塞ぐように雪崩れ落ちてくる。ドドド、と轟音が頭上から迫ってくる。
「た、退避! 退避!」
「下がれ、早く逃げろ!」
声が怒声のように行き交う。上空に飛来してきた木箱が影を落とし、クリスの視界を一段暗くした。
「ッ……!」
反射的に飛び退く。ドォッと落ちてきた木箱が衝撃で崩壊した。
砂埃が舞う。視界が曇る。思わず目元を腕で庇った直後。
――殺気。
反射的にナイフを突き出しつつ、体を反らせる。小刀が胸元を擦過した。殺気を辿るままに突いた刃先は目を狙ったはずだが手応えはない。鏡花もまた、紙一重で避けたか。
す、と鏡花の気配がまた砂埃に紛れる。
鏡花が倉庫を切ったのは、場を混乱させるだけが目的ではなかった。煙幕を生じさせ、元暗殺者たる自らに有利な場を作り出したのだ。
この状況下でまともに対抗してはいけない。まずは場を変えることからか。
「くッ」
素早く突風を発生させ、頭上真っ直ぐに跳躍。砂埃を突っ切るように倉庫街の上空へ躍り出る。
上から見た倉庫街は砂埃と混乱に呑まれていた。この騒動に紛れて逃げ切れるかもしれない、と思ったのも束の間、自分の元へと飛んでくる鏡花の存在を認める。敦の腕力で飛ばしてもらったのか。
クリスはナイフを強く握る。
ゆるりと突風が消え、クリスの体は下降に転じ始める。
落下するクリス、上昇する鏡花。二人が交差する時、金属音と火花が散った。ナイフと小刀が鍔迫り合い、歪な音を立てる。
「引いて、ください」
クリスは懇願する。
しかし。
「できない」
鏡花は真っ直ぐな眼差しを背けもせず、告げる。
「私は武装探偵社の社員だから」
鏡花の体もまた、降下を始める。ゆっくりと地面に向かう中で鏡花がふと背を丸めてクリスの腕を踏み付け離れる。重力に従って落ちていく鏡花、瞬時に空いた距離、そして――鏡花と入れ違うようにしてその間に飛び出してきた白の夜叉。
「【夜叉白雪】!」
「な……!」
眼前に現れた刀の煌めきを、考える間もなくクリスはナイフで受け止める。しかし夜叉の動きは常人離れしている。空中であるにも関わらず、すぐさま刃を離すと同時に額を抉りにきた。
それをかろうじて避け、差し出された腕を掴んで自分に引き寄せる。踵の下に薄氷を生成、それを起点にくるりと上体をひねり、夜叉を地表へと投げる。と同時に新たに薄氷を生成、その地表側を踏みつけ跳躍、落ちていくそれを追うように重力方向に勢いよく落下。飛び込むように懐を狙ったナイフはしかし、夜叉の刀に防がれる。
倉庫の屋根が近付いて来ている。舌打ちし、夜叉を踏み台に一旦上空へ退避。一回転の後、クリスは屋根の上へ着地した。
夜叉もまたふわりと鏡花のそばに戻る。鏡花を支えるように、そばには敦が控えていた。
屋根の上で視線を交わす。周囲に軍警の気配はなかった。なるほど、とクリスは呟く。
「元から軍警を引き離すつもりだったんですね」
「そう」
「なぜ」
「話を聞かれないために」
「……どういう意味ですか」
単調に答える鏡花の横で、今まで黙っていた敦かようやく「あの」と切り出した。
「クリスさん……一つ、聞きたいことがあるんです」
「それにわたしは答えを返せませんよ」
「クリスさんなら答えてくれます」
「……どうして言い切れるんですか?」
「その答えが、僕達の光になるからです」
敦は迷いながらも真っ直ぐに、クリスを見つめる。その視線から逃れることができないまま、クリスは黙って先を促した。
「迷ったんです。クリスさんを犯人として捕まえるのが探偵社として正しいとしても、僕達にとって本当に正しいことなのか。その選択をするにはクリスさんに聞くのが一番だと思いました。かつてあなたが僕に教えてくれたように、僕達はあなたに確かめて、僕達の中にある答えを見つけ出すべきだと思った」
敦は段々と背筋を伸ばし声を高らかにしつつ続ける。その眼差しに光が宿り、彼の意思を映し出していた。その光に静かに首を振る。
「何も言うことはありません」
そうだ、何も言うことはない。
だから。
「わたしはあなた方を殺して、この街を去る。……それしかないんです、そうさせてください」
「太宰さん達に聞きました。クリスさんは本当はギルドよりも大きな組織に狙われていて、探偵社にはクリスさんをそれから守り切る力がないって」
「それを知っているなら、君の中にもう答えはあるはずでしょう? 今更それを翻せるような切り札は、一会社でしかないあなた方にはない」
「確かにそうかもしれない。けど」
「敦さん」
言葉を遮り、クリスは名を呼ぶ。彼の言わんとしていることがわかってしまった。それは聞いてはいけないものだ、言わせてはいけないことだ。
また、願ってしまう。繰り返してしまう。
「……このまま行かせてください」
「……確かに僕達には背負いきれないものがある。救いたいと思ったもの全てを救えるわけじゃない。だけど」
「敦さん」
「だけど、僕達は」
「黙って!」
叫ぶ。
聞きたくない。聞いてはいけない。言わせてはいけない。なぜなら、それは。
「……良いんです」
「クリスさん……」
「わたしはそういう存在です。守ってもらう必要のない、守ってもらうことのできない存在です。それで良いんです、それが良いんです。わたしは一人でいた方が、周囲の人を守れる。……わたしは何も望んではいけないんです」
「そんなことはない」
凛とした声は鏡花のものだった。
一歩進み出、鏡花はクリスを見つめる。その眼差しは、夜だというのに目が離せなくなるほどに輝かしい。
「過去と未来は違う。私達はこれからのことを何も知らない、何もわからない。それを可能性と呼ぶのだと教えてもらった。……人殺ししかできないと言われた私にも、人を救えた。私にも可能性があった。あなたにも、ある」
――可能性。
「クリスさん」
敦が名を呼んでくる。
「僕達にはあなたを守り切る力はないかもしれない。けど、一緒に立ち向かうことはできます。背中に庇うことはできないかもしれないけど、互いに背中を庇い合うことはできます。……だから、まだ諦める必要はないんです」
「……そんなの、空言ですよ」
どう考えても無理だ。
共に戦うところを見られただけで、彼らは存在すらも抹消される危機に晒される。クリスと関わるだけでも駄目なのだ。なのに、共に戦うなど。
許されるはずがない。
許して良いはずがない。
「……それができたのなら、こんなに辛くなかった」
気軽に「助けてくれ」と、「救い出してくれ」と言えたのなら、どんなに楽だったことか。
「誰も殺さなくて済んで、ギルドを抜けることもなくて……あの人の幻影に怯えることも、きっとなかった。けど、駄目なんです。わたしは存在してはいけなかった。この世界に在ってはいけなかった。それはもう変わらない。今更何をしても無駄です」
わたしはそういう存在だ。苦しむことを必要とされている。だって、今までたくさんの人を殺してきた。裏切ってきた。酒場で奢ってくれた政府関係者も、見せしめのために微塵にしたポートマフィア構成員も――わたしがわたしのために殺した。なら、これは真っ当な罰だ。
そんなわたしに彼らは手を差し伸べてくる。何度も何度も、懲りずに。どうしてそんなことをするのだろう。可能性、そんなものあるわけがない。
わたしが誰も傷付けないで幸せを望める世界なんて、わたしがわたしである限りあり得ないんだ。
「もう、良いんです。楽しかったから。その思い出があるだけで、もう十分なんです。だから」
だから。
「――これ以上、諦めていた未来を見せないで!」
叫びと共に銀色の風が二人へと向かう。それを夜叉白雪が切り裂いた。と、クリスは後ろ手に握った手榴弾の安全ピンを抜く。
ピンが外れてから爆発するまで、僅かに時間がかかるのが手榴弾の特徴だ。敦ならば手榴弾の存在を認知してからでも爆発を回避できてしまう。虎の視認速度と行動の素早さは並みの人間では敵わない。
だから、ピンを外して数秒待つ。手放す前に爆発する危険も知っている。それでも。
負けるわけには、いかない。
爆発寸前のそれを投げ上げる。数秒前から安全ピンが外されていた手榴弾は、敦達の頭上に届く前に破裂した。
――ドオォン!
衝撃波が二人を襲う。その爆風と共に後方に飛び退いたクリスとは対照的に、鏡花はバランスを崩した。傾斜のついた屋根から足を踏み外す。
「……ッ!」
「鏡花ちゃん!」
敦が屋根から身を投げ出して鏡花の後を追う。二人の姿は視界から失せた。敦ならば、鏡花ならば、この程度で怪我はしない。そう確信し、クリスはその場を離れるように屋根を駆ける。
早く軍警の、そして探偵社の包囲網から逃れなければ。乱歩相手では分が悪すぎる。
倉庫街の倉庫は編み目のように整然と並んでいる。通路を挟んだ倉庫と倉庫の間の距離は広くて五メートルほど。飛び越えられない距離ではない。躊躇いなく跳躍、隣の屋根を目指す。
そのはずだった。
屋根を蹴って跳び上がった足に、ヒュル、と何かが絡まる。投げ縄か、何か。地面に叩きつけられるのを予感する。受け身を取るべく、体を硬直させ足元のそれを見る。
――銀の、鉄線。
ああ、これは。
悲しい物語だ。
「――【テンペスト】!」
悲鳴のように叫ぶ。クリスの思いと同様、風がそれを瞬時に断つ。弾かれたように宙に投げ出された体を丸め、宙返り。地面に難なく着地する。
しかし背後から腕を掴まれ、捻り上げられる。着地点を予測されていたか。
両足を地面から離し、捻られた腕を解くように宙で回転、掴んできていた腕の肘めがけて膝蹴りを放ち、力が緩んだと同時に腕を振り抜き相手の体を蹴る。地面へと転がり距離を取った。
「……体術もできたとは」
「一応、ある程度は」
肘を抑えながら、その人は驚いたようにクリスを見てくる。
束ねられた髪、整然さを思わせる服の着こなし。
「……あなたには会いたくなかった」
クリスの言葉に、国木田は眉を潜めて「そうか」と呟いた。