第2幕-続
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
纏っていた風が失せる。ふわりと港の倉庫街に降り立ち、一息ついた。けれどすぐに足音が聞こえてくる。建物中に入り、木箱の山の中に身を隠した。
「全員位置につきました、捜索を開始します」
「相手は異能殺人犯だ、油断するなよ」
言い合いながらどこかへと向かっていく警官数人を目で追う。その姿が見えなくなったのを確認し、クリスは壁に背を当てて息を吐いた。
「……どこから漏れたんだろう」
異能者であることが知られている。クリスを追ってくるのはあの現場の状況からして当然とはいえ、異能の所持に関する情報が軍警に渡ったことについては疑問が残る。クリスが異能者であることを知るのは極少数だ。
異能者であることが知られるのが不都合である理由は、クリスの身の安全を脅かすからではない。異能の詳細、異能を発現したきっかけを知られる可能性が増大するからだ。場合によってはあの国がクリスを奪取すべく殴り込んでくるかもしれない。
そう思うと今後の攻防手段を選ぶ必要が出てくる。この力が異常なものだと知られるのは避けたい。
加えて問題なのが脱出方法だった。先程の話を盗み聞いたところ、空港や港にも軍警が駆け付けているという。今は夜、すぐにこの街を出ることは困難。軍警相手に後数時間をやり過ごせるかが鍵となる。――否、手段を選ばなくて良いのなら、相手が何であれ難しくはない。この身に宿る天災の力をもってして全滅させれば良い。相手が何であろうとも。
――誰が来たとしても。
空を見上げる。暗いそこにあるはずの星は見えない。
「……結局、か」
けれどそうしなければいけなかったのだ。目の前で散り散りになった男性を思い出す。この事件がクリスを標的にしていることに気付いたのは先程。劇場近くで拾い上げた紙片、あれは〈赤き獣〉同然となった男性を目撃させ、それによってクリスを狂乱させるための舞台装置だったのだ。クリスの異能どころではなくその過去、そして弱さを知っている。〈赤き獣〉という単語によってクリスが単独行動を取ることすら見越していたのだろう。
策謀。
姿のない何かがクリスを追い詰めている。
つまり――これは、クリスがこの街を離れていなければ起き得なかった事件だった。
人が死ぬ。
こうして、死んでいく。殺されていく。クリスのために、クリスのせいで、クリスによって。こういうものだ、この世界は。わかっていた。ずっと、そうだった。だからずっと、そうならないように知人を殺し国を離れ世界を渡ってきたのに。
なのに、どうして、自分は今もまだこの街に留まっているのだろう。
「……間違ったんだ」
願ってしまった。
幸せを、それの存続を。
誰かがそばにいて、一緒にいてくれて、本当のことを知っても変わらない声で名前を呼んでくれる。そんな、滅多に手に入らなかった幸福が、少しでも続いてくれたらと。
願わなければ、求めなければ。太宰からの提案など放置してこの街から逃げていたのなら、こんなことにはならなかった。
――幸せなんて、知らなければ良かったのだ。
袖からナイフを取り出し、刃の輝きを確認する。同じように腰、大腿、そしてブーツに仕込んだナイフを確認し、しまい直す。ウエストポーチの中には手榴弾が一つ。手持ちの武器はそれらだけだ。後は運と実力。こればかりは信じるしかない。
「……追われるのは初めてじゃないし」
これほど大規模なものは経験がないけど、と心の中で付け加える。しかし基本的な対抗手段は相手が何であれ同じだ。
まずは現場の錯乱だ。通信機を乗っ取るのが最も楽だが、軍警の通信機を制御するには手持ちの機器も時間も足りない。しかし情報操作はそれ以外の方法でもできる。
あえて姿を見せ、逃亡するところを目撃させる。そして実際には真逆の方向へと逃げる。空中を瞬時に移動できるクリスだからこそできる方法だ。
だが相手が悪いと裏の裏を掻かれる危険がある。その時はもう諦めるしかない。
――例えば、あの名探偵。
「……わたしは、死んではいけない」
死ぬな。
その言葉は脳のどこかにこびり付いている。決して忘れてはならない言葉として、ずっとクリスのそばにある。
死んではいけない。死んだのなら、この体は解析され再び実験材料となり、あってはならない兵器を生み出す。
この身は悲劇なのだ。関わった者全てを死に導く、救いのない舞台。生きていても死んだ後も、この身は世界を滅ぼすために利用される。けれど今更「生まれて来なければ良かった」と嘆いても、この命はなかったことにはならない。
ならば、生き続けるしかない。この舞台が終わらぬよう、悲劇が悲劇として幕を閉じぬよう、いつか喜劇と変えられるよう、せめて足掻き続けるしかない。
だから、選び続ける。この身がいざなう結末を変えるために。己の何を犠牲にしてでも。
その時が来るまで、この舞台は終わらない。
胸の前で指を組む。唱えるのは遠い日に教えてもらった書物の言葉。
「"Lord God Almighty, true and righteous are thy judgments."」
――全能なる神、主よ、あなたの裁きは真実であり正しい。
どうかその御手で災いをお裁き下さい。