第2幕-続
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[Act 2, Scene 25]
電話の音で目が覚めた。ふ、と意識が浮上する。
視界が暗い。いつの間に眠ってしまったのか。最近仕事漬けになっているせいで、知らないうちに疲れが溜まっていたのかもしれない――などと思いながら国木田は上体を起こした。
見慣れた自分の部屋だ。太陽とは違う穏やかで弱い光が窓から差し込んできている。車の音も、近所の人々の話し声もしない。
夜か。
けれどその静寂を揺らすように絶え間なく鳴っている音がある。懐に入れていたそれを取り出し、耳に当てた。
「はい」
『やあ国木田君、今暇?』
「貴様の暇に付き合う暇はないがな」
機械から聞こえてきたのは太宰の声だ。退社時間を過ぎた後に電話してくるとは珍しい。奴もとうとう勤勉さに目覚めたか。
『私だっていつも暇というわけではないよ? まあ良いや、実は今軍警から至急の依頼が来たのだよ』
「何?」
『例の連続猟奇殺人事件の調査だ』
太宰は単調に告げる。
『どうにも、犯人像がわかったようなのだよ。異能者だということがね』
「なるほど、それで軍警か」
『けれど一つ問題があってね』
「何だ」
訊ねつつ眼鏡を探す。机の上に丁寧に置かれていた。無意識に自分で外していたのか。それをかけ、ふと机の上を見た。
湯呑みがある。
二つ。
なぜ二つなのか。
――そこに誰かがいたからだ。
『今うちで受けている護衛任務があるけれど、それの依頼人が捜査線上に浮上しているらしいのだよ』
青の眼差しが、そこにいたからだ。
「……まさか」
――とても嬉しいんです。あなた方はわたしを、普通の人間として見てくれているから。
『残念だけれどね、国木田君』
太宰の淡々とした声が、聞こえてくる。
『……覚悟は、できていただろう?』
***
エレベーターを待つ時間すら待つことができず、階段を数段飛びで駆け上がった。武装探偵社、とプレートのかかった扉を勢いよく開け放つ。
「太宰!」
「やあ国木田君」
太宰がひらりと手を振る。資料を手にした彼と向かい合うように敦と鏡花もこちらを見た。
「国木田さん」
「現状は」
「軍警が包囲網を形成してる」
鏡花が明瞭な口調で告げる。
「対象はヨコハマ全域。海外逃亡の可能性も入れて、空港や港も抑えられてる」
「まあ彼女なら簡単に警備の目を掻い潜れるだろうけどね」
太宰がさらりと言う。その口調に国木田はピクリと眉を動かした。
「太宰」
「何だい?」
「知っていたな?」
短い問いに太宰は黙る。敦が戸惑ったように視線を向けてくる。それを目の端で捉えながら、国木田は太宰を睨みつけた。
「クリスが軍警に追われることになると、知っていただろう」
「なぜそう思うんだい」
「ずっと考えていた。彼女の護衛任務、その内容、それを依頼された意味を。だが、今この状況が貴様の目論見通りだというのなら、全ての筋が通る。――クリスの護衛任務は、彼女自身が望んだものではなく貴様が彼女に提案したものだな」
そもそも奇妙だったのだ。クリスの実力を思えば殺人犯相手に護衛を雇うほどのものではない。彼女はそうするよう提案されたのだ。この、太宰という男に。
彼女のそばに付き添うという意味では、護衛という言葉は相応しくない。
「俺にクリスを見張らせ、彼女が犯人でない証拠を――彼女の護衛任務の報告書を作らせる、それが目的だろう。クリスの依頼は帰宅時の護衛だけだったが、貴様から言われた通りそれ以外の時間も発信機信号を元にクリスの行動を記録してある」
「ちょ、ちょっと待ってください」
敦が慌ただしく両手を振り回した。
「じゃあ、国木田さんはずっと、クリスさんを護衛してたんじゃなくて、監視してたってことですか?」
「……そうだ」
「そんな」
敦が絶句する。その視線から逃れるように顔を背けた。
仕向けられたのだ、太宰に。けれど太宰だけを責めることはできなかった。それをしたのは他でもなく自分自身だったからだ。
自分が、彼女を疑い、騙していたのだ。
探偵社の誰もが口を噤む。その中で、太宰だけが声を発する。
「……可能性があった、それだけだよ。そのために手を回していただけだ」
やはりこの男の真意は見えない。
「話を戻そう。国木田君のつけていた記録のおかげで彼女の無実は証明できる。けれど先程入った情報だと、クリスちゃんは現行犯として追われているらしい」
「現行犯だと?」
「クリスさんが実際に事件を起こしたってことですか?」
国木田と敦に頷き、太宰は神妙な顔つきで続ける。
「遺体のそばでクリスちゃんが返り血を浴びていたらしい。そして、軍警の聴取要請に応えず突風と共に姿を消した」
「【テンペスト】か」
「クリスちゃんは軍警に捕まるわけにはいかない。だから、彼女には無実を訴えることもせず逃げるという選択肢しかない。逃走は罪を自覚している人間の行動だ、しかも彼女の異能と事件の犯人像が一致している。それで軍警は彼女を犯人と断定した。巧妙だね。……今夜を乗り切りさえすれば、逃亡経路は増える。彼女のことだ、今夜を凌いだ後明日の便で海外を目指すだろう」
軍警の囲みから脱出するのは困難だ。だが、元より存在すら国に認知されていなかった彼女なら可能だろう。クリスの異能力は攻撃は勿論、防御も逃避も得意とする。
国木田は己の体に触れた。錯乱した彼女に切り刻まれ死にかけた時のことを思い出す。クリスの異能はクリスが錯乱すると凶暴化する。人一人を殺すことも造作ない、危険なものだ。
――ふと、気が付いた。
「……太宰」
静かに問う。
「……これは、もしかすると、クリスを狙ったものなのか」
「国木田君も気付いたのだね」
太宰はやはり先を見知っていたかのように言う。ハッと鏡花が息を呑んだ。
「……それで、あんなことを」
「鏡花ちゃん?」
「話題性……手口の一致、軍警の目撃……」
鏡花が顎に手を当てる。
「……この事件の目的は話題性だった。でも話題性だけなら燃やすでも溶かすでも方法はいくらでもある。どうして時間も手間もかかる解体がされているのか気にはなっていた」
「つ、つまりどういうこと? 鏡花ちゃん」
「あの人の攻撃の一つが刃物状の風による物理的損傷。それを模倣し、かつ話題性を持たせるには解体が一番適している」
「模倣?」
敦の相槌に頷き、鏡花はその真っ直ぐな眼差しを国木田と太宰に向けた。
「死体の状況を模倣して世間の話題を集めた上で軍警に目撃させれば、軍警はあの人を捕らえざるを得ない」
「つまりこれは……元よりクリスを陥れるための事件だったということか」
「そういうこと。その点については事件発生当初から気付いていてね……それもあって、国木田君にクリスちゃんの護衛任務を受けてもらっていたのだよ。彼女は警戒心が強い、事件に関わるような目立つ行動はしないだろうと思っていたのだけれど……誘い出されたか」
連続通り魔猟奇殺人事件。それは一人の少女を陥れるための事件だった。一体誰が仕組んだのか。
しかも、と国木田は思考する。
クリスを陥れた相手は彼女の異能を知っていたことになる。しかし彼女は自らが異能者であることを隠し続けていた。彼女が異能力所持者であることを知る人間はごく限られている。
一体誰が。
「軍警がクリスの存在とクリスが異能者であることを知った経緯も気になる。彼女の存在と異能は秘匿されていたはずだ」
「論争は後だ」
太宰の一言が国木田の思考を止める。
「問題は私達がどちらの側につくかだよ」
「どちら、ってどういう意味ですか?」
敦が問う。悪意を知らないその視線を、太宰は冷静に見返す。一方、国木田は目を伏せた。
ここは武装探偵社だ。依頼人から受けた仕事をこなすことで成り立っている。依頼に優劣はない。しかし、内容が殺人事件と護衛とでは重要度が違うのも確か。
「殺人事件の犯人を捕らえるか、護衛任務対象を保護するか……私達はどちらかを選ばなければいけない」
「え、だってクリスさんは犯人じゃないんでしょう?」
「それは連続殺人事件の話さ。現行犯の無実は証明できない。このままクリスちゃんを保護すれば、殺人犯の擁護をすることになる。信頼を礎とする探偵社にとってそれは手痛いことだ」
「じゃあクリスさんを見放せって言うんですか?」
敦が呆然と、けれど熱を持った声で太宰に問い詰める。
「犯人に仕立て上げられた人が犯人として捕まるのを、黙って見ていろって言うんですか?」
「けれど今無闇に動けば探偵社としての立場が危うくなる。クリスちゃんの実力を思えば、彼女一人でもこの窮地は脱せるだろう」
「だからって何もしないなんて……しかも軍警からの協力依頼が来た以上、僕達もクリスさんを捕まえなきゃいけないんですよね? 何か、何か方法はないんですか? どうにかできないんですか?」
「落ち着け敦」
静かな声に、敦は国木田へと視線を向ける。その目を受けつつも顔を逸らしながら、国木田は呟くように言う。
「……俺達はこの街の平穏を保つための組織だ。個人を守るための組織ではない」
「国木田さん」
「……そういう場所だ」
目を閉じた先に、あの笑顔がある。あの涙がある。あの湖畔の眼差しがある。
彼女は幻覚に錯乱し怯えていた。その儚さに手を差し伸べ、救い出してやれたのならと思っていた。ギルドとの戦いの時、一人孤独な道を選ばせてしまったから。せめて今は、彼女の選択が過酷なものにならないようにと思っていた。
ところがどうだろう。現実問題、結局彼女を突き放すことしかできない。それどころか、彼女を犯罪者として追う立場にある。
彼女は孤独であり続けるしかない。
「そんな」
敦の呟きが国木田の心に反響する。
「犯人じゃない人を見捨てるなんて……僕達は何を守ってるんだろう?」