第2幕-続
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[Act 2, Scene 24]
今日もクリスは仕事終わりに劇場の外にいた。風の中に人々の高揚が混じる。それを肌に感じながら、大きく息を吸う。
舞台を求めてきた。それは亡き友の残した夢を叶えるためであり、行き場のない罪悪感を宥めるための逃避でもあった。実際、舞台の上だろうが自分をリアと偽ろうが敵は現れ、クリスを道具として手に入れようとしてきた。自分というものから逃げることは叶わなかった。
でも、それでも、ここは心地良い。舞台の上は好きだ。演じることは、歌うことは、好きだ。
他に何もなかったから縋り付いた世界ではあるけれど、演劇というものに出会えて本当に良かったと思う。
「リア!」
一人思い耽るクリスの元へ、ヘカテが軽やかに駆け寄ってくる。
「もう帰ったんだと思ってました。どうしたんです? 」
「待ち合わせですよ」
「待ち合わせ?」
「最近物騒なので、外出時の護衛を頼んでいるんです」
半分嘘だ。待ち合わせをしているのは確かだし、護衛を頼んでいるのも確かである。けれどその理由は護身ではない。
「あ、通り魔事件ですか」
クリスの言葉を疑うことなく、嫌なものを思い出したかのようにへカテは眉を潜めた。落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「最近突然、なんですよね、あれ。民間人多数錯乱事件? でしたっけ、それ以外にもいろんな大きな事件がここら辺で起きていますし、何が何やら」
「もともと物騒なのでは?」
「え? いやいや、そうでもないですよ。マフィアとかがいるからそう見えるだけで、至って普通の街ですよ? ここ」
住んでいる側の人間からするとそうなのかもしれない、とクリスはひそかに思う。
事件のほとんどは闇に葬られている。彼ら一般市民が知らない事実がこの街には多く潜んでいるのだ。
勿論、その事実のうちの一つはクリス自身だ。
「まあさすがにあの錯乱事件は肝が冷えましたね。救命活動が全然間に合わなくて。原因もわかってないみたいだし、一体何が」
刹那。
――つんざくような悲鳴。
「ッ……?」
ざわ、と人々が顔を見合わせる。そのざわめきはやがて、どよめきに変わっていく。耳を澄ませば、人々は次々と情報をクリスに届けてくれる。
まだ明るいのに。
血が。
裏の通りで。
まさかこんなところで。
警察は?
この近くに犯人がいるのかも。
「な、何ですかね……って、リア?」
クリスは駆け出した。ヘカテが追ってくる。それを無視し、人混みを掻き分けていく。
思った通り、人混みの多い場所へと突き進んで行けば悲鳴の発生源へと辿り着いた。通りから僅かに逸れる道へと飛び込めば、女性が肩を震わせて座り込んでいる。何人かの男性が心配そうに女性に寄り添いつつ、目の前の光景から目を逸らし臭いを厭うように手で口元を塞いでいた。
臭い――それは、鉄の。
「……これは」
彼らの視線の先、道の先を塞いでいるものを見、クリスは目を見開く。
夕方に近いとはいえ周囲はまだ明るい。現場の状況はクリスの目にはっきりと映り込んだ。
人の腕がある。
足がある。
その四肢は無造作に投げ出され、関節が意味を成していない。
けれどそれだけではなかった。
その四肢に装飾のようにかけられた赤い縄状のもの――引きずり出されたそれは、未だに滑りの輝きを放っている。
ズ、と記憶の奥底から這い出る音が聞こえてくる気がした。
「……ッ」
口を塞ぐ。悲鳴を押し殺し、強く頭を振って幻覚を打ち消す。
「リア?」
ヘカテが追いつき、背後から歩み寄ってくる。
我に返り、クリスは叫んだ。
「来るな!」
鋭い声にヘカテの足が止まる。それを確認し、クリスは現場へと再び視線を向けた。
飛び散らされた血、肉片。切り裂かれた胴体、原型を失った頭部。その惨状は、報道と一致する。
――連続通り魔猟奇殺人事件。
その被害者が、今、クリスの目の前にいる。
「……まさかこんなに近くで」
呟き、ふとクリスはある事に気が付いた。遺体に近付き、拾い上げ、それを手の中に隠し持つ。
人の目を避けるようにそっと手の中を見た。小さな紙片だ。血と脂に汚れたその紙切れには、短い文章が記されている。
今宵、赤き獣が降りた地にて。
ドッと大きく心臓が脈打つ。目眩、むせかえる血臭、視界の隅に現れては消えていく幻覚。
クリス、とあの優しい声が記憶の底から呼んでくる。
〈赤き獣〉。その言葉はクリスの故郷で使われていた用語だ。その場所ももはや燃え尽きて存在しない。唯一その話をしたギルドのメンバーらは散り散りになり、ボスは行方知れず。クリス以外の誰もその言葉を知っているわけがなかった。けれど今、手の中にその言葉はある。
追うように、手を伸ばして捕らえてくる。
――にがして、くれない。
「警察だ! どきなさい!」
瞬時に手の中の紙を握り潰し、ポケットに突っ込んだ。通報で到着した警官がズカズカと現場に立ち入り、そして「うぇ」と声を上げる。彼らの記憶に残りたくはない。それとなしにその場を離れる。
「リア、大丈夫ですか?」
へカテが心配そうに声をかけてくる。彼は現場を目にしてはいないものの、臭いと雰囲気に衝撃を受けたらしい、顔色が良くなかった。
「わたしは大丈夫。へカテの方が重症そうですよ」
「あはは……さすがに慣れてはいないので」
それはそうだろう。
とにかく離れよう、とクリスはへカテと共に現場を離れ劇場の前へと戻る。未だにざわめきが残っていた。これでは、明日からの上演に響くかもしれない、そんなことを強引に思う。
そうしなければ、またあの幻覚が見えてくる気がした。
「クリス!」
張りのある声が騒音の中を突き抜けてくる。その長身が駆け寄ってくるのを見、思わず手をポケットの上に置いた。その一方で何事もなかったかのように微笑んでみせる。
「国木田さん、お疲れ様です」
「騒がしいな。何があった」
「例の連続殺人事件です。すぐそこで」
「現場を見たのか」
「悲鳴が聞こえたから」
聞かれるがままに答えたクリスに、国木田は眉間のしわを深めた。
「独断で動くな。近くに犯人がいるかもしれんだろうが」
「……え?」
「え、ではない」
どうやら怒られているらしい。クリスは何度か瞬きをした。
「……わたしが襲われると?」
「その可能性もあるだろうが」
あるだろうか。あったとしても殺り返せると思うのだが。むしろクリスが犯人だと思われてしまう可能性の方が高い気がする。
「あの」
ヘカテが声を挟んだ。国木田がようやくそちらへ目を向ける。ああ、と合点がいったように頷いたのは、へカテのこともまた舞台で見たことがあるからだろう。
対してへカテは国木田と面識がない。戸惑ったように、しかしどうしてか意地になって背筋を伸ばしている。
「あなたは誰ですか?」
「国木田と言う。クリスの……リアの護衛任務を請け負った者だ」
「護衛任務……ってああ、さっきリアが言ってた人か」
ほ、と肩の力を抜き、しかしへカテはじとりと国木田を見上げる。その視線の意味を読み取れず、国木田は困ったように「おい」と呟いた。
「何か用か?」
「いえ、別に」
きっぱりと言いつつも、へカテは国木田を探る目つきをやめない。一方的に火花を散らしているようでもある。はあ、とクリスは額に手を当てた。
「……へカテ、わたしそろそろ帰りたいんですけど」
「え、あ、ああそうか、この人と一緒に帰るんでしたっけ……一緒に……羨ましい……」
「すみません国木田さん、へカテはわたしのファンなんです」
もはや呪いすら呟きそうな勢いのヘカテにさらに戸惑う国木田に、クリスは短く補足を入れる。自分でファンと紹介するのも変な気分だが、実際彼はファンだと言ってくれていたので良しとしよう。
「……なるほど」
「行きましょう国木田さん。ヘカテ、また明日」
「……は、はいッ! また明日よろしくお願いします!」
パアッとヘカテが顔を輝かせる。声をかけただけでこれなのだから、歓喜どころではなく不安にすらなる。演技に関しては申し分ないのだが、クリスに対する執着具合だけは気がかりな後輩だった。