【ss】ティアキン・鍛錬班幹部の夢

決して、一目ぼれというわけではない。むしろ彼女を最初に見たとき、「また軟弱そうな新人がきたな」と、最近の新入団員事情に思いを馳せるほど、第一印象はパッとしないものだった。
団員を訓練し、イーガを高みへと誘う部署である鍛錬班。そのまとめ役をコーガ様より賜り、任されているのが俺だ。イーガへ入ってきた新人は必ず俺の元で鍛錬をおこない、隠密としての振る舞いを身に着ける。いかに内勤といえど、いつ敵方と相まみえることになるか分からない環境のイーガでは、武力を身につけねば正直使い物になんてならないからだ。彼女は、イーガへ入団したばかりのひよっこ。日々の鍛錬を受けに来る新人の一人と鍛錬班幹部という立場で、出会うことになった。
今まで鍛錬という鍛錬をしたこともないのだろう。身体の線は細く、少し小突けばすぐさま倒れこんでしまいそうなほど、彼女は華奢だった。弓の弦もまともに引けず、刀を持てばふるふると二の腕が震えた。今までどうやって生活していたというのかと、人生を憐れむほどの軟弱さだった。とはいえ、ここのところ入団してくる新人は、みな同じようなものだ。彼女だけが特別に軟弱というわけじゃない。厄災が打ち倒され、コーガ様も消息不明となっていた時分、どことなく気の抜けた空気が団を取り巻いていたのは、しようが無いことなのだと思う。
だからこそ、鍛練を行うようになってからの彼女は、目を瞠るものがあった。いつも同じ時間に鍛錬場へやってきて、誰よりも長く鍛錬をおこない、「今日もありがとうございました」と頭を深々と下げて帰っていく。毎日毎日、欠かさずだ。誰よりも真剣に鍛錬を積み、日毎、剣を構える姿勢が美しく、逞しくなっていった。
気が付けば、彼女が来る度、視線で追いかけるようになっていた。「今日もやってるな」と思うだけだったのが、日数を重ねる度に「真面目だな」「努力が実って欲しい」「今日も会えた」「早くやってこないだろうか」と心算が変化した。

好きだ、と自覚してからは早かった。
鍛錬終わり、「今日もありがとうございました」と頭を下げる彼女に声をかけて、思いつく限りの言葉で愛を伝えた。溢れる気持ちをそのまま口にしたから、なにを言ったかは正直覚えていない。ただ、日々努力する姿で見初め、好意を抱いていること。控えめながら芯の強いところを魅力的に思っていること。これから俺のことを好いてもらうために努力したいと伝えたのは朧気ながら記憶に残っている。
もちろん、その場で彼女が応じてくれるだなんて、これっぽっちも思っていない。彼女と俺は、毎日の日課として鍛錬場へやってくる一構成員と、訓練をつけている幹部というだけの関係なのだ。嘘偽りのない心算を言葉にし、それを彼女に知ってもらうだけで、俺は十分だった。
「ごめんなさいッ!!!」
今まで聞いたことないくらいの大音量で叫びながら、この日の彼女は鍛錬場から走って去っていった。
いつもは丁寧な彼女にしては珍しい振る舞いだったが、そういう日もあるだろう。初めて触れる彼女の一面に、それはそれで心が満たされる。「こけるなよ!業務頑張れな!」と、廊下を曲がろうとする丸まった背中に、俺は声をかけて見送った。

それからというもの、彼女が鍛錬場にやってきた時は、必ず挨拶することを心掛けている。
彼女はすごい。恐らく業務がひと段落着くころに鍛錬場へ来ているのだとは思うが、本当に毎日の鍛錬を欠かさない。
王家に反旗を翻し、国民の謗りを受けながらも、陰に生きるイーガに身を賭した新人。この集団で生きていくには必要不可欠ながら、心身への負荷が激しい鍛錬を快く思う人間は少ない。努力せずに強く、逞しくなれれば誰だって良いに決まっているが、つまるところ、彼女のように真面目に鍛錬を受ける人間なんてそうそういない。毎日必ず鍛錬場へやってくる彼女の方が異質にさえ思えるほどだ。その健気でひたむきな様子は、薄暗い闇の中で灯る蝋燭のように、俺の視界の中へ必ず入ってきた。
「お前は本当に鍛錬を欠かさないんだな。その健気で一途な姿勢が素敵だ。俺もその真面目さを見習いたい」
「見習いたいって・・・・・・幹部殿は、そもそも鍛錬を欠かされていないでしょう。おべんちゃらは不要です」
「おべんちゃらなどではない!俺にできることがあれば、なんだって手伝うぞ!」
「手伝っていただけるのは嬉しいですが、私ばかりにかまけていられるほど、お暇では無いですよね?」
「俺のことを気にかけてくれるのか。優しいんだな。そんなところも好きだ」
「そろそろ・・・・・・業務に戻りますので・・・・・・」
彼女は真面目だった。来る時間も同じだが、帰る時間もいつも同じだった。ギリギリまで鍛錬をおこない、そそくさと帰っていく彼女と話ができるのは、ほんの僅かな時間しかない。この僅かな時間、たった少しでも彼女と仲良くなるため、俺なりに思いつく限り言葉を尽くした。
「今日の鍛錬も見事だった。日に日に弓も刀も上達していて、成長スピードは目を見張るものがあるな!」
「私はそうは思えません。今日も、一度だって矢が的に当たりませんでしたから」
「いや!昨日よりも的から5センチ近づいていた!深く刺さるようになっているし、確実に成長してるぞ!」
「こ、細かいですね。・・・・・・細かすぎませんか?」
「それだけお前の成長が嬉しいんだ。ずっと見ていても飽きないくらい、愛しいから」
「ぎょ、業務に戻りますっ・・・・・・失礼します!」
彼女と仲良くなりたかった。俺の溢れる気持ちを知って欲しかった。
しかしだ。なぜか俺が喋れば喋るほど、彼女は口数を減らし、俯く角度が深くなった。萎縮したように揉む手の平も、次第に指先を絡めて握りこぶしとなっていく。そして、最後には必ず、逃げるように去っていく。彼女の心の内を聞きたいのに、逆に鍵でもかけているみたいに。
では、どうすれば彼女の胸の扉を開けられるかといえば、やはりまずは、俺の胸の内を開けとくしかないのではないかと思えた。いつでも来て良いぞと開け放しておけば、お邪魔しますと、やってきてくれる日も来るだろう。まずは俺が危険ではないこと、土足で上がり込んだとしても、茶を振る舞うくらいの気前良さは持ち合わせていることを、彼女に知ってもらわねばなるまい。
そのためにも、彼女がやってきたら、声をかける。ついでに、彼女を愛しく思っている気持ちを吐露し、俺の心算を知ってもらう。その繰り返しでしか、彼女の警戒を解く術はないだろうと思っていた。

「貴方ね、そんなやり方で女性が振り向くと、本当に思っているのですか」
如何に、鍛錬への向き合い方が魅力的か、取り巻く空気が凛としていて惹かれるかという話を、彼女に昏々とした直後のこと。
足早に鍛錬場から去っていった彼女と入れ違い、柱の傍へ、知らずのうちに人影が立っていた。
陰へ溶けるようにその場へ馴染んでいたのは、俺の先達として、一時期行動を共にしていた幹部の一人だった。
嘘臭い敬語を使い、鼻につく笑み声で喋る男。仕事こそできるが、それ以上でも以下でもない。いくら世間に大きな顔のできない集団の人間とはいえ、こいつほど根性のひねくれた奴は居ないと思わせるほど、性格の終わってる男だ。血気盛んな人間や、なにを考えているか分からない人間が多い中でも、俺は特に、こいつとあまり関わり合いになりたくないと思っていた。
ねっとりとした嫌味っぽい声を聞こえないふりして、俺は誰も居なくなった鍛錬場の中央へ歩を進める。
暗に喋りかけるなと伝えたつもりであったが、如何せんこいつは本当に空気が読めない。まるで、先達として稽古をつけてやるとでも言いたげに、刀を構えた俺の後ろで立つ始末。本当に始末でもしてやろうか?
「彼女はどうみてもウブで男慣れのしていない生娘。貴方のように距離も考えずに喋りかけては、萎縮させてしまうだけですよ」
「・・・・・・」
「加えて、さほど親しくもないでしょうに、彼女のことをお前お前と不躾に・・・・・・。失礼なのではありませんか?」
「・・・・・・」
「彼女は一構成員なのですから、幹部役が思うままに行動しては、断るものも断れないでしょう、可哀想に。貴方は少し、彼女の反応を見て、引くことを覚えた方が良いでしょうね」
彼女の何を知っているというのか。偉そうに喋ったって、どうせ恋人らしい恋人もいないくせに。
正直、この男の、耳にへばりつくような声音をこれ以上聞きたくない。声が耳を掠めるだけでも胃がムカムカしてくるのに、さも自分の方が上で、彼女の何もかもを知っているかのような言葉が、癪に触って仕方なかった。そのむかつきを、勢いよく振る刀に込めて収めようとしたものの、滔々と語る彼奴の声音が波のように押し寄せてきて、あっという間に不快感が戻ってくる。こいつは人をイラつかせる天才か?「アンタ何様だ?」と問おうとしたが、奴とは今までに、口喧嘩から殴り殴られの乱闘騒ぎになったこともある。あのときは敬愛する先輩に諫めてもらって事なきを得たが、コーガ様からキツい叱責を受けることになった。幹部役としてあるまじき、と二人から怒られ、接近禁止令が一時期出たほどだ。こいつはあの時のことを、一切覚えちゃいないのだろうか?鳥頭なのか?
俺は幹部であり、同じ轍は二度踏まない男である。「彼女のような女性にアプローチするのならー」と、調子よく腕を組み、語り続ける奴を残し、俺は部屋の照明を消してその場から立ち去った。


「今日もイーガを象徴する漆黒の髪の毛が綺麗だ。馬の尾のような艶やかさは見るたびに惚れ惚れするな」
「特に何もしておりませんので・・・・・・恐縮です」
「ということは持ち前の美しさなんだな。天は二物を与えないというが、これほど物を持っている人間も珍しい」
「・・・・・・私は平凡な女ですよ」
「なにを言う。髪の毛の美しさだけじゃない、努力を続けられるひたむきさ、思慮深さ、奥ゆかしさ、均衡のとれた体つき、振る舞いの丁寧さに可愛らしさ、どれもが非凡で天賦の才をひしひしと感じ・・・・・・」
「もう行きます!今日もありがとうございました!!」

知りもしない彼女との仲に口を出してきたあいつは信用のできない人間だし、コーガ様に忠誠を誓う同志とはいえ、とてもじゃないが背中を預けられない人間だ。共闘でもしようものなら、戦いの混乱に乗じて「すみません、混戦していたもので」とかなんとか言いながら背中を刺してきそうな男でもある。
その、女に慣れていると語る下衆男の言葉が、胸の内に引っ掛かっていたわけではない。決して。
ただこの頃、彼女との関係性が、一歩も前進していないように思えていたのは確かだ。
むしろ出会いを重ねるごとに、後退でもしているかのような気が、俺を少し弱気にさせた。
彼女と仲良くするにはどうしたら良いだろう。俺の気持ちを理解してもらうためには、どうしたら良いだろう。飯を食う間も、湯浴みをする間も、寝る間も、一日の内の大半を、彼女のことを考えながら過ごした。しかし、考えても考えても上手い方法は思いつかない。
これが鍛錬であれば、俺の身体は応えてくれただろう。努力は決して裏切らない。全ての時間が俺の成長を促し、血肉となって自分の身になったはず。
それが、好いた女に対してはどうだ。身になるどころか、むしろ精気が出ていくばかりだ。人間関係とは難しい。恋愛とは、こんなにも儘ならないものだったかと、俺は答えのでない霧のなか、頼るべき印もない状態で歩いているような気になっていた。

「接し方を変えた方が良いんじゃないか」
悩みがあるときは、一人で抱え込まずに第三者へ吐露した方が良いときもある。嘗て教えを請いていた敬愛する先達の元を訪ね、ざっくりと流れを説明したところに返ってきたのが、この言葉だった。
霧の中を歩く俺にとっては、ぼやけながらもはっきりと現れた灯台のようなもの。先輩が引き出してきた木箱に腰掛けたまま、俺は彼を見返した。
「接し方を変える、とは・・・・・・」
「君は少し、ぐいぐい行き過ぎなんじゃないか?話を聞いていると、彼女は異性に慣れていないようだから」
「でも、まずは話す機会がないと、お互いを知ることなど不可能なのでは」
「うーん。とはいえ、幹部役が急に話しかけては、萎縮させてしまうこともある。彼女は、一構成員なんだろう?」
「はい」
「まずは彼女の反応を見た方が良いだろうな。迫るのではなく、引いた目を持たねば」
彼は、数多くの前線を経験し、その目を持って今、団員を幹部へ昇格させる試験監督を担っている。さすが後進を上役へと誘う役を請け負っているだけあって、なんと含蓄ある言葉なのだろう。俺は彼が淹れた茶を前に膝の上で拳を握り、言われた言葉を何度も何度も頭の中で反芻した。
「やる気に満ち、元気なのは君の取り柄だが、たまには違う一面を見せても良いのかもしれないな」
それってどういう、と問おうとしたところ、詰所の戸が叩かれたので、話はそこで中断となった。俺の肩を「頑張れよ」と叩いて、彼はやってきた幹部候補生に相対する。業務の邪魔をしては悪い。すっかり温くなった茶を一気に流し込んだあと、話し込む二人へ会釈して、俺は外に出た。
頭にめぐるのは、先輩が最後に発した「たまには違う一面を見せても良い」という言葉。
確かに、俺は彼女への接し方が一辺倒だったかもしれない。恋愛とはそこまで単純なものではないだろう。現に今、胸のうちに溢れる彼女への気持ちを伝えるだけでは、上手くいっていない。別の接し方を考えるべきなのだ。
夕陽が、ゲルド丘陵の向こう側に消えていき、辺りが暗闇に包まれる。足元が覚束なくなるのも意に介さず、俺はアジトまでの道のりを、うんうん唸りながら歩き続けた。

「本日も、よろしくお願いいたします」
「おう」
先輩に彼女のことを相談した次の日。
アジトへの道すがら、そして湯浴みをする間や寝る間にも考え続けた結果を出す瞬間がやってきた。
とはいえ、先輩の言う通り、ぐいぐい行くのをやめるだけだ。鍛錬前、彼女が頭を下げた姿に、腕を組んだまま深く頷いて見せるだけ。挨拶に付け加えて、彼女の素敵なところと、好きだという気持ちを伝えるのをやめるだけ。
本当は今日だって、一挙一動、小動物のような可愛らしさを滲ませる彼女の振る舞いを愛で、気持ちをつつがなく伝えたかった。小さな体躯で努力を欠かさぬその姿勢が、如何に俺の心を捉えて離さないか、一時間だって二時間だって言葉を紡ぎたかった。
しかし、俺が身を乗り出す素振りを見せただけで、彼女はいつも、肩を縮ませて身を引いてしまう。その姿と、敬愛する先輩の言葉を頭に思い浮かべ、俺は腕を組むと見せかけながら掴んだ二の腕に、黙って指を食い込ませるのだ。
彼女はというと、はたとその場に佇んでから、「では」と一言断り、そそくさと鍛錬場の奥へと進んでいった。
俺が何も言わなかったことに、違和感を抱いてくれただろうか?少し期待して、どうにも落ち着かない心算のまま彼女の後ろ姿に視線を送る。
が、彼女が刀を振り始めても、その場にいた団員と模擬戦を始めても、様子はいつもと変わらなかった。俺のことを気にかけている風もない。模擬戦が終わり、講評として二人の戦法の論を説いている最中も、彼女は普段と全く変わらない様子だった。ただ肩で息をしながら、真面目に俺の話を聞いているだけだ。
模擬戦の相手方がいなくなると、今度は弓矢の鍛錬へと移る。矢を番い、くっと弦を一度に引く姿は、今まで見た誰よりも美しい。パッと放した瞬間に飛んでいった矢は、的にこそ当たらなかったが、しっかりと壁に突き刺さった。
普段であれば、「惜しかったが、上達しているぞ」などと彼女に声をかけただろう。しかし今日は、それすらもグッと我慢だ。他の団員にするのと同じように、後ろでジッと、彼女の鍛錬姿を見つめるのみ。声を発するのは、求められたときだけにするべきだろう。
求めて欲しい、求められたいと、彼女から声がかかるのを今か今かと視線を注ぎ続けた。
一人、二人と鍛錬場から人が減っていき、俺と彼女の二人だけとなった空間は、酷く静かで空気が沈んでいた。俺は、こういった空気があまり得意ではない。彼女に声をかけたかった。後ろ姿だけでも分かる溢れる気概と、上がった吐息さえ隠そうとする奥ゆかしさが愛しくて、高まった感情のまま彼女の背中に声をかけたかった。しかしそれではいつもと同じ。先輩にいわれた「違う一面を見せる」ということにはなり得ない。

「本日は、ありがとうございました」
結果的に、彼女は俺を求めなかった。
軽く息を切らしながら、頭を下げるのはいつものこと。このとき、今までであれば、如何に練習姿が凛々しく、なにをしても視線が吸い込まれるのだと力説しただろう。降り乱れる漆黒の髪が、一本一本照明の灯りを反射して美しかったと。弦を引く際の伸びた背筋が一枚の絵画のようで艶やかだったと、俺は思いつく限りの言葉で彼女に迫ったのだと思う。
しかし、俺はただ、それらの言葉に蓋をして、また二の腕を掴む拳に力を籠める。「うむ、ご苦労」と、シンプルに一言返すのが、これほど苦しかったことは無い。
普段、他の団員には同じ言葉を返しているにも拘らず、なぜ彼女に返す際は、こうまで「大丈夫だろうか」と胸がそわついてしまうのか。
今まで人を好きになり、相手からも好意を寄せられることに、それほど苦労したことはなかった。男として生を生きてきて数十年、今更「恋」なんてもんに、これほど振り回され、心を乱されることになるなんて。
俺の後悔や惑いに、彼女は気付かないに違いない。なぜなら、彼女は一構成員で、俺は幹部というただそれだけの関係性だった。彼女を想い、恋患っているのは俺の勝手。その証拠に、彼女は「では」と一言告げ、なんの躊躇もなく踵を返し、去って行ってしまう。
そんなものなんだ。俺が悩み、策を弄した行動なんて。俺は結局、独り相撲をとっているだけなのだ。
「・・・・・・幹部殿、私如きが烏滸がましいかもしれませんが、・・・・・・何かあったのですか?」
そう、思った次の瞬間だった。
戸口に向かって一歩、二歩進んだ彼女が、その美しい黒髪を回しながら振り返った。いつもの如き、おず、とした奥ゆかしい声色。下から遠慮がちに見上げられ、俺は最初、なにを言われているのか分からなかった。胸の前で組まれた手の平に、そして小さく竦められた華奢な肩が可愛らしく、一瞬で目を奪われてしまっていたから。
「は・・・・・・」
「ごめんなさい、いつもと様子があまりにも、違ったものですから」
そうまでいって、彼女は面を俯かせる。俯いて、欲しくなかった。もっと俺を見て欲しいと思った。「いや!」と声を張り上げたのは、今日一日の策がどうでも良くなって、彼女の視線をせめて誘い出したかったからに他ならない。
「何もない!!厳密に言えば無くはないが、お前が心配するようなことは、何も!!」
「あ・・・・・・やはり、一団員が差し出がましかったですね・・・・・・申し訳ありません」
「違う、そういう意味じゃない!えーとだな、・・・・・・先達から、お前への態度を改めるように、言われてしまって」
「え」と短く呟いて身動いだ彼女の面が曇る。俺は慌てて弁明した。
「幹部役が団員に詰め寄っては萎縮させてしまうと。急に褒めたり話しかけたり、今後は少し、控えようかと思ってな」
こんな話を彼女に聞かせるのは少し気恥ずかしい。要するに、幹部である俺が、先達に注意を受けたのだと暴露しているようなものだ。今日一日、彼女への言葉を我慢していたから、情けない事情を聞かせていると頭に上る間もなく、口にしてしまった。
少しいたたまれなく、誤魔化すつもりで頭をかくと、面を俯かせていた彼女が、明らかに肩回りを緩ませた。
「・・・・・・良かった」
「ん?」
「私、何かしてしまったのかと不安でした。幹部殿を怒らせてしまったのかと」
彼女の言葉にはっとなった。今日一日の行いを振り返ってみて、頭の先からさぁっと血の気が下がっていくのが分かった。そりゃ、そうだ。俺の振る舞いは、違う一面を見せるとか以前に、ただ愛想のない嫌みな男というだけだった。紛れもなく俺は、彼女を不安にさせていた。俺は馬鹿か。大馬鹿者か。
「そんなわけない!お前のことは好きだ!今日もずっと話しかけたくて堪らなかった!怒ることなんて、これっぽっちもない!!」
ぐっと迫ると、彼女が両手を広げて「近いです・・・・・・」と俺の進行を遮ってくる。こういう態度が悪いんだろう。グッと拳を握りながらも居住まいを正し、面下で一度唇を引き絞った。気の高ぶりとしては、また彼女に気持ちを伝えたい心算だったが、それでは彼女を怖がらせてしまう。唇を噛みさえすれば言葉はでない。これは良い策を思い付いたものだと、面下でぎゅっと下唇を噛んだ。
俺が落ち着いたのを見計らって、彼女は改めて胸の前で手を組んだ。
「・・・・・・貴方から褒められるのは、とっても嬉しいです。普段、褒められる機会もそうそうありませんし」
「そうか・・・・・・!じゃあ今後もどんどん褒めるとしよう」
「無理に褒められたいわけじゃありませんよ、幹部殿、なんでも褒めるから・・・・・・」
「無理なもんか。俺はお前の魅力的なところを素直に伝えたいだけなんだ。全てが輝いて見えるんだ。それに俺の、お前を好いてる気持ちを知って欲しい」
「あ、あとっ、好きと言われると、どうすれば良いか分かりません!・・・・・・ごめんなさい、まだ幹部殿のこと、あまり知らないし」
「分かった、なるべく控える。お前を困らせたいわけじゃない。好きだって気持ちと、可愛らしく思ってる気持ちを、知って欲しいだけだから」
面越しに彼女を見据えると、「ほらまた・・・・・・!」と彼女はプイとイーガの瞳を逸らせてみせた。なるほど、これも駄目なのか。ただ、いつもみたいに足早に逃げない彼女を見て、不満そうな声音にも胸が暖かくなってしまう俺は、きっと更なる不服を買ってしまうに違いない。緩む表情筋に力を込めつつ、俺は「すまん」と口ばかりの言葉をつぶやいた。

彼女が去っていく。戸口の奥へ姿を消す前に、最後、俺の方を一瞥して、ぺこりと会釈してくれた。俺は手を挙げてそれに応える。面を被ってはいたものの、きっと彼女は最後まで俺を見てくれていた。動く度に束で動く美しい黒髪を靡かせながら、そうして愛しい彼女は鍛錬場から消えていった。
きっと明日もやってくる。その次の日も。その次の日も。きっと。
延々と続く代わり映えのない日常の中で、今日は特別な日となった。決して何か明確に変わったわけではない。彼女と少し、ほんの少し話が出来ただけのことで。
誰も居なくなった部屋の中、俺は両の手で拳を握り絞めた。腹の底から湧き上がってくる情動のまま、うおおお、と低く呻くと、部屋の隅、柱の影から「ぷっ」と何か空気の漏れるような音が聞こえる。バッと振り返ると、誰も居なかったはずのそこに、人の姿。目を凝らしてみれば、存在感の薄い、例の嫌いな先達の姿が浮かび上がっていた。
「なんともまぁ、嬉しそうなことで。良かったですね」
こいつはなんなんだ。暇なのか。なんで鍛錬場の隅で気配を消して俺の様子を伺ってるんだ。仕事はどうした。暇なのか。
頭にはさまざまな言葉が浮かぶが、俺はただ能面のごとき表情で奴を見つめるだけだった。何も言わないのを良いことに、やつは外連味たっぷりの摺り足で俺に近寄って、肩をぽんと叩いて来る。
「私のアドバイスのおかげですね? 一歩前進じゃないですか」
「アンタじゃねえよ。頭沸いてんのか」
は?と聞き返されたので、もう一度全く同じ言葉をはっきりと繰り返し、そのまま俺たちは罵り合いから殴り合いの喧嘩をすることになった。たまたま幹部詰所からアジトにやってきていた先輩にその場を諫められ、二人してこっぴどく説教されたのは、彼女とは関係のない話である。そして説教されたにもかかわらず、例の男が度々アドバイスと称して今後度々ちょっかいをかけてくるのも、彼女には全く関係のない話なのである。くそったれめ!


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