【ss】コーガ様 夢
「それでは失礼いたします」
飯炊き女は頭を下げながら、静かに引き戸を閉じた。
現在時刻は朝の9時を回ったところだろうか。日光は無く、提灯に照らされてはいるものの、イーガ団アジト内の廊下は暗い。朝だというのに足元も覚束ないほどだが、女は、盆を抱えながら慣れた様子で歩を進めていく。
彼女は、酷く淡泊な女だった。
自覚があったわけではないが、少なくとも他の団員からはそう思われていた。鼻下で割れた半面から覗いている、陶磁器のように白くぴくりとも動かない口元が原因であったのかもしれない。
しかし、今日の彼女は様子が違った。どこか足取りが軽やかで、浮き足立っているようにも見える。
他の団員とすれ違っても、無感情に小さく会釈するだけだ。しかし、「あれ?」と振り返られるくらいには、女の気色はいつもと比べ、違和感があるように思われた。
女は、見慣れた炊事場へとやってきた。
一日の大半を過ごす彼女の仕事場で、もはやアジト内のどこよりも自室に近い。
城で食事係をしていた過去から、随分前にコーガに任命された飯炊き番だったが、彼女はこの仕事を気に入っている。
実際、料理の腕は確かであり、主君の食事に加え、アジト内にいる仲間の食事、これから地方へ発つ者が持つ弁当などを、一手に引き受けていた。
全く余裕無く日々を過ごす女であったが、それなりに充実した毎日を過ごしていたことは、想像に難くないだろう。
空となった食事の皿を、ひとまず水につけ置いた。本来であればすぐにでも皿洗いを開始し、次の業務に取り掛かるところ。
だが、今日の女は、やはり少し様子がおかしかった。
「・・・・・・ふふふ」
空となった料理皿。
ジッと見つめている内に、口端からは徐々に声が漏れ出てくる。抑える暇もないほど、ごく自然な衝動で。
にやーっと口元が弓なりに曲がってきたとき、慣れない表情に頬が引きつる感覚があり、女は思わず頬の筋肉に手を添えた。
陶磁器のようと比喩した頬は相変わらず白かったが、怪しく笑む女は人形の様相とはほど遠く、平凡なただ一人の娘でしかない。
女はひとしきりニヤニヤと笑った後、一度ゴホンと咳払いをした。さて、そろそろ業務を始めよう。いつまでもこうしているわけにはいかない。
イーガスーツの上から羽織っている割烹着を腕まくりし、冷たい水につけた食事皿を洗っていく。
主君専用のお皿は、他の団員が使っているものより豪奢で、良い品であることが一目瞭然だ。傷をつけないように慣れた手つきで洗い、水気をとり、専用の棚に片づける。
その間も、女は終始ご機嫌な様子だった。いつかに聞いた穏やかな歌を口ずさみ、旋律に合わせて身体を揺らし、足さばきは軽やか。時折瞳を閉じて、その旋律へと夢中になる。
無感情で生気を感じない普段の女とは、全く違う様相だ。きっと他の団員が見たら度肝を抜かれることだろう。彼女はアジト内に置いて、仕事のできる冷血漢として知られているようだったから。
炊事場は彼女にとって、素を晒せる場所でもあった。
それだけ、一日の間で炊事場に来る者など、ほとんどいないのだ。
普段淡泊な女がこうなったのには理由がある、・・・が、今はそれを語る時ではないのだろう。
軽くスキップを踏みながら、今度は米を炊く準備。「ら」だか「る」だか曖昧な音で歌いつつ、米櫃から窯に一合、二合と移していく。
釜を持ち上げ、歌いながらクルッとその場で回転した。
「随分ご機嫌だなお前」
「わあああッッッ!!!!?」
腕を組んでこちらを見つめる人物を見つけて絶叫した。
全く気配を感じなかった。暗殺集団なのだから、もちろんそれが是だ。しかし、同じく気配にさといはずの女が、全く気付きもしなかった。加えてなぜか声もかけられなかった。女は心臓の飛び出る思いで、後ろに後ずさる。
女らしからぬ声に、背後で戸にもたれかかる人物…彼女の主君であるコーガは呆れた様子だ。
「こ、こここコーガさま!!?いつからそこに!?」
「んー、咳払いしつつ皿洗いし始めたくらいか?」
「か、かなり前ではありませんか!訪れたのなら一言かけてくださいまし!」
「いやなに、別に用事もなかったもんでな」
「じゃあ何故炊事場にやってきたのですッ」
「そりゃあ、もちろん、暇つぶしだっ」
いつものポージングで歌舞く様子に、今度は女の方が呆れて物が言えない。
今まで炊事場にコーガが訪れたことなど、一度たりともなかった。なぜ今日、しかも今なのかと、女は問いただしたい気分だ。
しかし、失態を犯したのは自分の方だ。コーガを責めるのはおかしい。
はぁ、と額に手を当ててため息をつき、改めてゴホン、と咳払いをする。
「ここには何もありませんよ、暇つぶしなら他を当たってはいかがでしょうか」
「まあ、俺様のことは気にすんな。好きにする」
「伝わりませんか?邪魔だと言っているのです」
「んじゃあ、見回りだ。これも総長の務めよ」
のらりくらりとした様子のコーガに、何を言っても無駄なもの。
昼食までの時間もないので、女は諦めた様子で「・・・左様ですか。かしこまりました」と、コーガに背を向け、食事の準備を進めることにした。
「それより、何か楽しいことでもあったのか?随分ご機嫌じゃねーか」
何気ないコーガの質問に、ジャラジャラと米を研いでいた手を止め、固まる。
正直、あれほど機嫌の良い様子を他に見せたことは無いため、見て見ぬふりをして欲しかった。
一人とはいえ、仕事の場で歌をうたい、あまつさえ踊っていたなんて、あまり人には言えない。
ただ、女のプライドとして、単純に事実を認めるのも癪なもの。顔を向けもせず、動揺を悟られぬようにまた米研ぎを再開させる。
「お前が歌を嗜むとはな、知らなかったぜ」
「なんのことでしょう?私はいつもと変わりありませんよ」
「いや、ご機嫌だったろ。歌ってたし、回ってたじゃねーか」
「またまた御冗談を。何かの間違いではございませんか?」
「いや、お前の声だった。俺様が聞き違えるはずがねえ」
「とんだ自信ですね。その根拠は?」
「・・・毎日聞く声を間違えると思われとんのか、俺様は」
棘のある物言いがこの女の常とはいえ、仮にも目の前にいるのは、一族の長なのだが・・・。コーガは不服そうに腕を組む。
が、正式に女を叱責しないのは、彼女の心情を察したからだ。
全ては照れ隠し。コーガは、淡白ながら本心の分かりやすい飯炊き女の苦言を、寛大な心で許すだけなのだった。
部屋の隅に移動し、どっこいしょといいながら胡坐をかくコーガ。本格的に留まるつもりの主君を視界に入れつつ、女は貯蔵庫からキノコ類をいくつか取り出してきた。
まな板に並べると、小気味よい包丁の音と共に、数種のキノコはあっという間に細かくされていく。たっぷりの具材は全て米の入った釜の中へ。続け様に干し魚を細かく千切って入れ、醤油と酒、油などを目分量で投入。
あっという間に火へかけられていく様子に、コーガは「ほおー」と唸った。
「手際が良いな。さすが俺様の飯炊き番」
「お褒めに預かり光栄です」
「今は何を作ったんだ?俺様の飯か?」
「炊きこみ飯です。炊き上がったら握りにし、アジトの昼餉と、これから地方へ発つ団員のお持たせにしようかと」
「おーなるほどな」
「コーガ様の分は・・・朝食が魚でしたので、もう一品お付けしようと思ってます。何か召し上がりたいものはありますか?」
「じゃあ、ツルギバ」
「ツルギバナナは無しです」
ぴしゃりと言いつけられれば、「なんで聞いたんだ」と文句でも飛び出ようというもの。
ブーブー不服そうなコーガの声は聞かないふりをして、女は汁物の準備をしながら「んー」と唸った。
「そういえば、鶏肉が手に入ったのでした。甘露煮でも作りましょうか」
「おー、じゃあそれで頼む」
「承知、あとは焼き山菜でもします」
「それは要らんぞ、山菜は嫌いじゃ」
「ダメです。食べていただきますからね」
「げー」
コーガの文句を背に聞きながら、女は湯を沸かした銅鍋に、山菜と鶏肉を入れ、岩塩を削っていく。
スープが煮えるまでに、ガンバリハチミツを叩いて麻布に入れ、皿の上へ。
そして鍋から鶏肉だけを取り出して、違う鍋に移す・・・。
コーガとしては正直、何をしているのか全く分からない工程ばかりだったが、彼女の鮮やかな手つきだけは分かる。コーガは踊るように次々と作業をこなす女に対して、またしても「ほー」と唸った。
「お前、良い嫁になるだろうな」
呟いた言葉は単なる褒め言葉だった。純粋に感心し、そう思ったから口をついて出たにすぎない。
しかし、コーガの声が耳に届いた瞬間、女はまたしてもピタリと動きを止めた。
「それは・・・」と振り返ろうとして、寸でのところで押し止まる。
この人は、意味を分かって言っているのだろうか?
私の気持ちを知った上で、そんなことを言っているのだろうか?
女はちらりとコーガに視線を向ける。
部屋の隅に胡坐をかいて、後頭部で腕を組む、自分の主。
じっとこちらを見つめる彼は、何を考えているのか分からない。
「そういえば、さっきの歌はどこで覚えたんだ?」
コーガは、女の胸中に考えを巡らせることなく、何でもないように続けた。
あれだけ全力ではぐらかしたのに、主君は全く無かったことにしてくれない。分かっていたけど、なんとデリカシーのない人なのか。
彼の言葉に、固まっていた女は毒気を抜かれ、「はぁー」と大仰にため息を吐きながら、スープに向き直った。
「ですから、私は歌などうたっていません」
「いいからいいから、そう恥ずかしがるなって。俺様との仲だろ」
「コーガ様だから知られたくないこともあるのです」
「歌なんて、豪族共かリト族くらいしか嗜まんだろ。お前はどこで覚えたんだ?」
「・・・・・・・・・」
確かに、歌を嗜むのは生活に余裕のある者の証。
もしくはリト族のように、一族の文化として伝えられている者達くらいなもの。
もちろん、暗殺を生業とし、街の人間や他の一族と関わりのないイーガ団には無縁の芸事だ。
これを煙に巻くのは、コーガにあらぬ疑いをもたれるばかりだろう。女は観念した。
「城で給仕をしているときに、楽団が頻繁に来ていましたので。聞くうちに覚えました」
「なるほどねえ」
「曲名も知りませんし、うろ覚えですが・・・」
「そうか。良い声だったぞ」
「・・・」
「俺様に歌ってくれよ、良い暇つぶしになる」
「暇つぶしって・・・」苦笑しながら視線をやると、存外、コーガは真剣な様子で、女は返す言葉がなくなった。
歌は娯楽だ。毎日毎日代り映えのない日々を送るコーガにとって、良い暇つぶしになるというのは嘘ではないだろう。
城で給仕する当時も、戦争への気運が高まる日々に、随分心が救われたものだ。
それも最終的には、今は必要のないものとして城から追われていったが、こうして自分は旋律を覚えている。
「あまり期待しないでくださいね」
女は、ふっと息を吐いて、先ほど同様の、穏やかで、優しい旋律を口ずさみ始めた。
透き通った声に、コーガは瞳を閉じる。壁にもたれかけて、穏やかな昼時の時間を楽しむ。
聞きなれない不思議な曲調は、シーカー族のものではない。他の種族に伝わる曲か、それとも当時新しく作られた流行りの曲か。もはや知る術はないが、彼女の声音はなかなか優しくて、心地よい。
湯が沸く音、米の炊ける匂い、香ばしい醤油の焦げる匂い。
彼女の口ずさむ旋律はそれらに溶け込むようで、緩やかな昼を彩るには、まことにちょうど良いひとときだった。
歌いつつ、炊きこみ飯を握る女の横顔は、やはりどこかご機嫌で、楽し気に見えた。
「なんで機嫌が良いんだ」
思い出すのは、水場に来たときの彼女の様子。
いつもどこか淡泊な女が、鼻歌をうたい、一人で軽やかに踊っていた。
何がそうさせるのか、こちらは気になって仕方ないのに。
「コーガ様には内緒です」
気のない女は、あっけらかんと言い放つ。
そして、また穏やかな旋律へと戻っていく。
いつもなら、きっと「しつこいですよ」とでも返って来そうなものを。
それでも上機嫌な様子であったのは、自分の見間違いであろうか?
巨大な握りをいくつか作り終えた女は、ツルギバナナの葉の上に乗せていく。
隣に鳥の甘露煮を一口、焼き山菜を添えて蔦で縛ると、立派な弁当が完成した。
ふう、と額の汗を拭い、女は弁当を抱えていく。
「私はこれから、補給班に弁当を渡してきます。すぐ戻りますが、コーガ様はいかがしますか?」
「俺様は自室へ戻る。昼飯、早めに頼むぞ~」
「御意。それでは失礼します」
コーガがのしのしと自室の方へと去っていくのに軽く頭を下げて、女は反対方向へと歩き出す。
随分のんびりと作業をしてしまった。普段は一人だからか、人がいる状況に気持ちが引っ張られてしまった。
加えて、その人物は、自分の意中の人。
全く、自分の気など知る由もしないで、あの人は好き勝手し放題だった。
ただ、悪い気がしなかったのは確か。だからこそ女は、軽くステップを踏みながら、補給班のところへと向かって行く。
「お待たせしました、本日の弁当です」
「うむ、いつもすまない」
アジトの入り口で待つ補給班の幹部に、作りたての弁当を渡す。
毎日顔を合わせる相手なので、受け渡しはスムーズなものだ。滞りなく全てを渡し、代わりに補給班が取ってきてくれた食材入りの麻袋を受け取る。
「今日の昼餉は?」
「キノコの炊き込み飯と鶏肉の甘露煮が一口、焼き山菜を口直しに。あと塩スープがつきますね」
「そうか、それは精が出るだろうな」
「ええ、楽しみにしておいてください」
女は、今までの無表情と打って変わって、口元に笑みを浮かべた。どこか柔らかい雰囲気で接するのは、毎日やり取りのある顔馴染みだからだ。
ただ、幹部は顎に手を当て、ジッと女を見つめる。予想外の反応に、女は首を傾げた。
「何か良いことでもあったのか?」
返ってきた言葉は、一間前に主から聞かれた質問とほとんど同じだ。
狼狽えた女は、「え・・・なぜ分かるのです?」と思わず純粋な疑問をぶつけるだけ。
幹部は顎に手を当てたまま、「うーん」と唸った。
「いやなに、どこか楽しげであったからな」
「そうですか、分かりやすいつもりはないのですが・・・」
「日頃との差よ。知る者が見れば、一目瞭然だ」
これはきっと、イーガとしては失態なのだろう。
女は肩をすくめて「迂闊でした」と軽く頭を下げた。
「なに、コーガ様には黙っておこう。これで気を引き締めれば良いのだ。で、何かあったのか?」
割と親しい幹部にそこまで追求されては、言わずにおれぬもの。
女は、受け取った麻袋をギュッと抱きしめ、俯き加減に「実は・・・」と切り出した。
「本日の朝食を、コーガ様が全て完食してくださったのです。しかも大絶賛で!おかわりまでしてくださる始末です。このようなこと初めてで感無量でした」
『む!?これすげー美味いな!!腕を上げたぞ、最高に俺様好みだ!おかわりあるか!?』
頭に浮かぶのは、今朝方の主の姿だ。
それからも美味い美味いと食べ続けていた彼を思いだし、女はまた口許が緩んでくるのを自覚した。
「そうか、それは良かったな」
「はい!飯炊き番としては、やはり美味いと食べてくれると嬉しいものです。それが敬愛する方ならなおさら・・・」
話を続けようとして、女はハッと思いとどまる。感情を晒すのは失態。今しがた気を引き締めたばかりだったのに。
それに、飯炊き番の都合を幹部に聞いてもらうのも悪い。きっと理解の得難いことだろう。
女は、緩んだ口元を引き締めた。
「あ・・・ごめんなさい、業務に戻りますね」
「ん、後程」
さっと頭を下げ、次に顔を上げた瞬間には、またいつもの陶磁器のような面持ちに戻っていた。
そのまま踵を返し、自室さながらの炊事場へと戻っていく。
今朝は随分時間をかけて仕事をしてしまったので、昼の準備を急がねばならない。
料理はほぼ完成しているといっても、ここからが大変だ。今しがた使った道具の片付けに、昼餉の配膳、終わり次第コーガへ料理を持っていき、好き嫌いの多い彼の食事を見届ける・・・。
頭が次の作業のことでいっぱいだったからだろう。後ろで見送る影が二つに増えていることに、女は全く気付かない。
「あれほどにこやかな娘は見たことありません」
幹部は影からぬっと現れた主君に、動じることなく淡々と告げた。
「そーか」
一間前、急に幹部の前へ現れ、『飯炊き女がご機嫌な理由を探ってくれ』と頓珍漢な任務を告げて、影に溶けた主。
そして、滞りなく任務を終えたあとも、その考えを窺い知ることのできない、淡々とした様子の主。
しかし、幹部は一連の流れで事を察し、彼の胸中を、ある程度理解したつもりであった。
「よほど嬉しかったのでしょうね」
「そうだな」
「コーガ様、照れてらっしゃいますか?」
そのまま自室へ戻ろうとするコーガは一度止まり、振り返ることなく「そんなこたねえ」と呟いた。
のしのしとまた歩きだすコーガの背に、幹部は「やれやれ」と思いを巡らせるのであった。
飯炊き女は頭を下げながら、静かに引き戸を閉じた。
現在時刻は朝の9時を回ったところだろうか。日光は無く、提灯に照らされてはいるものの、イーガ団アジト内の廊下は暗い。朝だというのに足元も覚束ないほどだが、女は、盆を抱えながら慣れた様子で歩を進めていく。
彼女は、酷く淡泊な女だった。
自覚があったわけではないが、少なくとも他の団員からはそう思われていた。鼻下で割れた半面から覗いている、陶磁器のように白くぴくりとも動かない口元が原因であったのかもしれない。
しかし、今日の彼女は様子が違った。どこか足取りが軽やかで、浮き足立っているようにも見える。
他の団員とすれ違っても、無感情に小さく会釈するだけだ。しかし、「あれ?」と振り返られるくらいには、女の気色はいつもと比べ、違和感があるように思われた。
女は、見慣れた炊事場へとやってきた。
一日の大半を過ごす彼女の仕事場で、もはやアジト内のどこよりも自室に近い。
城で食事係をしていた過去から、随分前にコーガに任命された飯炊き番だったが、彼女はこの仕事を気に入っている。
実際、料理の腕は確かであり、主君の食事に加え、アジト内にいる仲間の食事、これから地方へ発つ者が持つ弁当などを、一手に引き受けていた。
全く余裕無く日々を過ごす女であったが、それなりに充実した毎日を過ごしていたことは、想像に難くないだろう。
空となった食事の皿を、ひとまず水につけ置いた。本来であればすぐにでも皿洗いを開始し、次の業務に取り掛かるところ。
だが、今日の女は、やはり少し様子がおかしかった。
「・・・・・・ふふふ」
空となった料理皿。
ジッと見つめている内に、口端からは徐々に声が漏れ出てくる。抑える暇もないほど、ごく自然な衝動で。
にやーっと口元が弓なりに曲がってきたとき、慣れない表情に頬が引きつる感覚があり、女は思わず頬の筋肉に手を添えた。
陶磁器のようと比喩した頬は相変わらず白かったが、怪しく笑む女は人形の様相とはほど遠く、平凡なただ一人の娘でしかない。
女はひとしきりニヤニヤと笑った後、一度ゴホンと咳払いをした。さて、そろそろ業務を始めよう。いつまでもこうしているわけにはいかない。
イーガスーツの上から羽織っている割烹着を腕まくりし、冷たい水につけた食事皿を洗っていく。
主君専用のお皿は、他の団員が使っているものより豪奢で、良い品であることが一目瞭然だ。傷をつけないように慣れた手つきで洗い、水気をとり、専用の棚に片づける。
その間も、女は終始ご機嫌な様子だった。いつかに聞いた穏やかな歌を口ずさみ、旋律に合わせて身体を揺らし、足さばきは軽やか。時折瞳を閉じて、その旋律へと夢中になる。
無感情で生気を感じない普段の女とは、全く違う様相だ。きっと他の団員が見たら度肝を抜かれることだろう。彼女はアジト内に置いて、仕事のできる冷血漢として知られているようだったから。
炊事場は彼女にとって、素を晒せる場所でもあった。
それだけ、一日の間で炊事場に来る者など、ほとんどいないのだ。
普段淡泊な女がこうなったのには理由がある、・・・が、今はそれを語る時ではないのだろう。
軽くスキップを踏みながら、今度は米を炊く準備。「ら」だか「る」だか曖昧な音で歌いつつ、米櫃から窯に一合、二合と移していく。
釜を持ち上げ、歌いながらクルッとその場で回転した。
「随分ご機嫌だなお前」
「わあああッッッ!!!!?」
腕を組んでこちらを見つめる人物を見つけて絶叫した。
全く気配を感じなかった。暗殺集団なのだから、もちろんそれが是だ。しかし、同じく気配にさといはずの女が、全く気付きもしなかった。加えてなぜか声もかけられなかった。女は心臓の飛び出る思いで、後ろに後ずさる。
女らしからぬ声に、背後で戸にもたれかかる人物…彼女の主君であるコーガは呆れた様子だ。
「こ、こここコーガさま!!?いつからそこに!?」
「んー、咳払いしつつ皿洗いし始めたくらいか?」
「か、かなり前ではありませんか!訪れたのなら一言かけてくださいまし!」
「いやなに、別に用事もなかったもんでな」
「じゃあ何故炊事場にやってきたのですッ」
「そりゃあ、もちろん、暇つぶしだっ」
いつものポージングで歌舞く様子に、今度は女の方が呆れて物が言えない。
今まで炊事場にコーガが訪れたことなど、一度たりともなかった。なぜ今日、しかも今なのかと、女は問いただしたい気分だ。
しかし、失態を犯したのは自分の方だ。コーガを責めるのはおかしい。
はぁ、と額に手を当ててため息をつき、改めてゴホン、と咳払いをする。
「ここには何もありませんよ、暇つぶしなら他を当たってはいかがでしょうか」
「まあ、俺様のことは気にすんな。好きにする」
「伝わりませんか?邪魔だと言っているのです」
「んじゃあ、見回りだ。これも総長の務めよ」
のらりくらりとした様子のコーガに、何を言っても無駄なもの。
昼食までの時間もないので、女は諦めた様子で「・・・左様ですか。かしこまりました」と、コーガに背を向け、食事の準備を進めることにした。
「それより、何か楽しいことでもあったのか?随分ご機嫌じゃねーか」
何気ないコーガの質問に、ジャラジャラと米を研いでいた手を止め、固まる。
正直、あれほど機嫌の良い様子を他に見せたことは無いため、見て見ぬふりをして欲しかった。
一人とはいえ、仕事の場で歌をうたい、あまつさえ踊っていたなんて、あまり人には言えない。
ただ、女のプライドとして、単純に事実を認めるのも癪なもの。顔を向けもせず、動揺を悟られぬようにまた米研ぎを再開させる。
「お前が歌を嗜むとはな、知らなかったぜ」
「なんのことでしょう?私はいつもと変わりありませんよ」
「いや、ご機嫌だったろ。歌ってたし、回ってたじゃねーか」
「またまた御冗談を。何かの間違いではございませんか?」
「いや、お前の声だった。俺様が聞き違えるはずがねえ」
「とんだ自信ですね。その根拠は?」
「・・・毎日聞く声を間違えると思われとんのか、俺様は」
棘のある物言いがこの女の常とはいえ、仮にも目の前にいるのは、一族の長なのだが・・・。コーガは不服そうに腕を組む。
が、正式に女を叱責しないのは、彼女の心情を察したからだ。
全ては照れ隠し。コーガは、淡白ながら本心の分かりやすい飯炊き女の苦言を、寛大な心で許すだけなのだった。
部屋の隅に移動し、どっこいしょといいながら胡坐をかくコーガ。本格的に留まるつもりの主君を視界に入れつつ、女は貯蔵庫からキノコ類をいくつか取り出してきた。
まな板に並べると、小気味よい包丁の音と共に、数種のキノコはあっという間に細かくされていく。たっぷりの具材は全て米の入った釜の中へ。続け様に干し魚を細かく千切って入れ、醤油と酒、油などを目分量で投入。
あっという間に火へかけられていく様子に、コーガは「ほおー」と唸った。
「手際が良いな。さすが俺様の飯炊き番」
「お褒めに預かり光栄です」
「今は何を作ったんだ?俺様の飯か?」
「炊きこみ飯です。炊き上がったら握りにし、アジトの昼餉と、これから地方へ発つ団員のお持たせにしようかと」
「おーなるほどな」
「コーガ様の分は・・・朝食が魚でしたので、もう一品お付けしようと思ってます。何か召し上がりたいものはありますか?」
「じゃあ、ツルギバ」
「ツルギバナナは無しです」
ぴしゃりと言いつけられれば、「なんで聞いたんだ」と文句でも飛び出ようというもの。
ブーブー不服そうなコーガの声は聞かないふりをして、女は汁物の準備をしながら「んー」と唸った。
「そういえば、鶏肉が手に入ったのでした。甘露煮でも作りましょうか」
「おー、じゃあそれで頼む」
「承知、あとは焼き山菜でもします」
「それは要らんぞ、山菜は嫌いじゃ」
「ダメです。食べていただきますからね」
「げー」
コーガの文句を背に聞きながら、女は湯を沸かした銅鍋に、山菜と鶏肉を入れ、岩塩を削っていく。
スープが煮えるまでに、ガンバリハチミツを叩いて麻布に入れ、皿の上へ。
そして鍋から鶏肉だけを取り出して、違う鍋に移す・・・。
コーガとしては正直、何をしているのか全く分からない工程ばかりだったが、彼女の鮮やかな手つきだけは分かる。コーガは踊るように次々と作業をこなす女に対して、またしても「ほー」と唸った。
「お前、良い嫁になるだろうな」
呟いた言葉は単なる褒め言葉だった。純粋に感心し、そう思ったから口をついて出たにすぎない。
しかし、コーガの声が耳に届いた瞬間、女はまたしてもピタリと動きを止めた。
「それは・・・」と振り返ろうとして、寸でのところで押し止まる。
この人は、意味を分かって言っているのだろうか?
私の気持ちを知った上で、そんなことを言っているのだろうか?
女はちらりとコーガに視線を向ける。
部屋の隅に胡坐をかいて、後頭部で腕を組む、自分の主。
じっとこちらを見つめる彼は、何を考えているのか分からない。
「そういえば、さっきの歌はどこで覚えたんだ?」
コーガは、女の胸中に考えを巡らせることなく、何でもないように続けた。
あれだけ全力ではぐらかしたのに、主君は全く無かったことにしてくれない。分かっていたけど、なんとデリカシーのない人なのか。
彼の言葉に、固まっていた女は毒気を抜かれ、「はぁー」と大仰にため息を吐きながら、スープに向き直った。
「ですから、私は歌などうたっていません」
「いいからいいから、そう恥ずかしがるなって。俺様との仲だろ」
「コーガ様だから知られたくないこともあるのです」
「歌なんて、豪族共かリト族くらいしか嗜まんだろ。お前はどこで覚えたんだ?」
「・・・・・・・・・」
確かに、歌を嗜むのは生活に余裕のある者の証。
もしくはリト族のように、一族の文化として伝えられている者達くらいなもの。
もちろん、暗殺を生業とし、街の人間や他の一族と関わりのないイーガ団には無縁の芸事だ。
これを煙に巻くのは、コーガにあらぬ疑いをもたれるばかりだろう。女は観念した。
「城で給仕をしているときに、楽団が頻繁に来ていましたので。聞くうちに覚えました」
「なるほどねえ」
「曲名も知りませんし、うろ覚えですが・・・」
「そうか。良い声だったぞ」
「・・・」
「俺様に歌ってくれよ、良い暇つぶしになる」
「暇つぶしって・・・」苦笑しながら視線をやると、存外、コーガは真剣な様子で、女は返す言葉がなくなった。
歌は娯楽だ。毎日毎日代り映えのない日々を送るコーガにとって、良い暇つぶしになるというのは嘘ではないだろう。
城で給仕する当時も、戦争への気運が高まる日々に、随分心が救われたものだ。
それも最終的には、今は必要のないものとして城から追われていったが、こうして自分は旋律を覚えている。
「あまり期待しないでくださいね」
女は、ふっと息を吐いて、先ほど同様の、穏やかで、優しい旋律を口ずさみ始めた。
透き通った声に、コーガは瞳を閉じる。壁にもたれかけて、穏やかな昼時の時間を楽しむ。
聞きなれない不思議な曲調は、シーカー族のものではない。他の種族に伝わる曲か、それとも当時新しく作られた流行りの曲か。もはや知る術はないが、彼女の声音はなかなか優しくて、心地よい。
湯が沸く音、米の炊ける匂い、香ばしい醤油の焦げる匂い。
彼女の口ずさむ旋律はそれらに溶け込むようで、緩やかな昼を彩るには、まことにちょうど良いひとときだった。
歌いつつ、炊きこみ飯を握る女の横顔は、やはりどこかご機嫌で、楽し気に見えた。
「なんで機嫌が良いんだ」
思い出すのは、水場に来たときの彼女の様子。
いつもどこか淡泊な女が、鼻歌をうたい、一人で軽やかに踊っていた。
何がそうさせるのか、こちらは気になって仕方ないのに。
「コーガ様には内緒です」
気のない女は、あっけらかんと言い放つ。
そして、また穏やかな旋律へと戻っていく。
いつもなら、きっと「しつこいですよ」とでも返って来そうなものを。
それでも上機嫌な様子であったのは、自分の見間違いであろうか?
巨大な握りをいくつか作り終えた女は、ツルギバナナの葉の上に乗せていく。
隣に鳥の甘露煮を一口、焼き山菜を添えて蔦で縛ると、立派な弁当が完成した。
ふう、と額の汗を拭い、女は弁当を抱えていく。
「私はこれから、補給班に弁当を渡してきます。すぐ戻りますが、コーガ様はいかがしますか?」
「俺様は自室へ戻る。昼飯、早めに頼むぞ~」
「御意。それでは失礼します」
コーガがのしのしと自室の方へと去っていくのに軽く頭を下げて、女は反対方向へと歩き出す。
随分のんびりと作業をしてしまった。普段は一人だからか、人がいる状況に気持ちが引っ張られてしまった。
加えて、その人物は、自分の意中の人。
全く、自分の気など知る由もしないで、あの人は好き勝手し放題だった。
ただ、悪い気がしなかったのは確か。だからこそ女は、軽くステップを踏みながら、補給班のところへと向かって行く。
「お待たせしました、本日の弁当です」
「うむ、いつもすまない」
アジトの入り口で待つ補給班の幹部に、作りたての弁当を渡す。
毎日顔を合わせる相手なので、受け渡しはスムーズなものだ。滞りなく全てを渡し、代わりに補給班が取ってきてくれた食材入りの麻袋を受け取る。
「今日の昼餉は?」
「キノコの炊き込み飯と鶏肉の甘露煮が一口、焼き山菜を口直しに。あと塩スープがつきますね」
「そうか、それは精が出るだろうな」
「ええ、楽しみにしておいてください」
女は、今までの無表情と打って変わって、口元に笑みを浮かべた。どこか柔らかい雰囲気で接するのは、毎日やり取りのある顔馴染みだからだ。
ただ、幹部は顎に手を当て、ジッと女を見つめる。予想外の反応に、女は首を傾げた。
「何か良いことでもあったのか?」
返ってきた言葉は、一間前に主から聞かれた質問とほとんど同じだ。
狼狽えた女は、「え・・・なぜ分かるのです?」と思わず純粋な疑問をぶつけるだけ。
幹部は顎に手を当てたまま、「うーん」と唸った。
「いやなに、どこか楽しげであったからな」
「そうですか、分かりやすいつもりはないのですが・・・」
「日頃との差よ。知る者が見れば、一目瞭然だ」
これはきっと、イーガとしては失態なのだろう。
女は肩をすくめて「迂闊でした」と軽く頭を下げた。
「なに、コーガ様には黙っておこう。これで気を引き締めれば良いのだ。で、何かあったのか?」
割と親しい幹部にそこまで追求されては、言わずにおれぬもの。
女は、受け取った麻袋をギュッと抱きしめ、俯き加減に「実は・・・」と切り出した。
「本日の朝食を、コーガ様が全て完食してくださったのです。しかも大絶賛で!おかわりまでしてくださる始末です。このようなこと初めてで感無量でした」
『む!?これすげー美味いな!!腕を上げたぞ、最高に俺様好みだ!おかわりあるか!?』
頭に浮かぶのは、今朝方の主の姿だ。
それからも美味い美味いと食べ続けていた彼を思いだし、女はまた口許が緩んでくるのを自覚した。
「そうか、それは良かったな」
「はい!飯炊き番としては、やはり美味いと食べてくれると嬉しいものです。それが敬愛する方ならなおさら・・・」
話を続けようとして、女はハッと思いとどまる。感情を晒すのは失態。今しがた気を引き締めたばかりだったのに。
それに、飯炊き番の都合を幹部に聞いてもらうのも悪い。きっと理解の得難いことだろう。
女は、緩んだ口元を引き締めた。
「あ・・・ごめんなさい、業務に戻りますね」
「ん、後程」
さっと頭を下げ、次に顔を上げた瞬間には、またいつもの陶磁器のような面持ちに戻っていた。
そのまま踵を返し、自室さながらの炊事場へと戻っていく。
今朝は随分時間をかけて仕事をしてしまったので、昼の準備を急がねばならない。
料理はほぼ完成しているといっても、ここからが大変だ。今しがた使った道具の片付けに、昼餉の配膳、終わり次第コーガへ料理を持っていき、好き嫌いの多い彼の食事を見届ける・・・。
頭が次の作業のことでいっぱいだったからだろう。後ろで見送る影が二つに増えていることに、女は全く気付かない。
「あれほどにこやかな娘は見たことありません」
幹部は影からぬっと現れた主君に、動じることなく淡々と告げた。
「そーか」
一間前、急に幹部の前へ現れ、『飯炊き女がご機嫌な理由を探ってくれ』と頓珍漢な任務を告げて、影に溶けた主。
そして、滞りなく任務を終えたあとも、その考えを窺い知ることのできない、淡々とした様子の主。
しかし、幹部は一連の流れで事を察し、彼の胸中を、ある程度理解したつもりであった。
「よほど嬉しかったのでしょうね」
「そうだな」
「コーガ様、照れてらっしゃいますか?」
そのまま自室へ戻ろうとするコーガは一度止まり、振り返ることなく「そんなこたねえ」と呟いた。
のしのしとまた歩きだすコーガの背に、幹部は「やれやれ」と思いを巡らせるのであった。