【ss】コーガ様 夢
ここからの退屈な景色は、まるで俺様のようだ、とコーガは思っていた。
イーガ団の総長・コーガの部屋から見える景色は、いつだってそう変わらない。
代々に伝わる大穴と、周りを囲む山々。そして向こう側に積もる真っ白な雪。
イーガ団の縄張りだと野生動物も分かっているのか、この辺りをうろつくと聞く狼も、大穴の近くには現れない。
生き物の気配すらないシンとした静かな世界は、退屈で、不変で、ひどくつまらないもののようにコーガは思っていた。
その退屈を変えるのは、結局のところ、自分の手でどうにかするしかないのだろう。
怪しく光る提灯の赤い光に、扉から差し込む青白い月光。
コーガは、扉の柱に背を預け、見慣れた景色に煙を吹きかけてやった。
これだけでも、随分印象が違うもんだ。と、コーガは満足げに笑う。
一人遊びの子供のようだが、長い夜の帳を過ごすにはちょうど良いのかもしれない。
たまの気晴らしにはなるのだろうと、コーガは、靄越しに大きな満月を仰いだ。
「コーガ様、お夜食をお持ちしました」
ひとつの気配が部屋に近づいてくるかと思えば、ガララと無遠慮に引き戸が開けられ、女の声が部屋に響いた。
部屋に入ってきたのは、コーガの食事番を一手に引き受けている飯炊き女だ。
暗殺集団の中では異質でもあるかっぽう着姿に、口元を晒すようなイーガの反面。
それは、料理を作る際に、全面の仮面は邪魔でしかないと、コーガに直談判した結果の姿であった。
気配を殺すことを是とするイーガ団において、女の行動がなんと雑な行いかは想像に難くない。
本来であれば叱責や説教だけでは済まされない失態ではあるが、コーガが気に留める様子はなかった。
というのも、これには理由がある。以前、飯炊き番があまりに気配を消しすぎて、人様に見られたくないコーガのアレコレを目撃する、という事故が起きていたのだ。
それからというもの、飯炊き番は敢えて気配を消さずにコーガの部屋へ訪れ、わざと音をたてて扉を開けるようになった。
今回も、飯炊き番は、主君の沽券を守ったに過ぎない。
ぷかぁ、と柔らかな煙を吐きながら、コーガは暢気に「おー、そこ置いといてくれー」と返事する。
いつもであれば、よっこらしょと、年齢相応の台詞と共に立ち上がるところだが、今回はそうしない。
それもそのはずで、飯炊き番には決して言えぬことだが、実は少し前にツルギバナナを3本ほど食べたばかりであった。
腹が減っていないので、食事をする気も、もちろん起きない。
栄養をしっかりとれ、と平時から口うるさく言ってくる飯炊き番には、絶対に秘密にしたい事実であった。絶対に。
願わくばこのまま食事を置いて出て行ってもらおう、と考えていたコーガは、ちらりと飯炊き番に視線を移す。
が、食事の前に座していた彼奴は、気付けばどこにも姿が見えなくなっていた。
「コーガ様!またツルギバナナを食べたでしょう!あれほどダメだと言ったのに!!」
首を伸ばして飯炊き番を探していると、なんと死角をついて怒声を浴びせられた。
しかもツルギバナナのことまでバレている。捨てたはずの皮まで見つけ出してきたらしい。なんて恐ろしいやつ。
射るような鋭い声音に怯える気持ちもあったが、心の中を読まれまいとコーガは一つ咳ばらいをする。コホン。いやなに、そこまでビビっているわけではない。
「仕方ねえだろ、食事の時間が遅いのがいけないんだ。俺様のせいじゃねえぞ」
「少しは我慢してください、栄養が偏ります。それでなくとも好き嫌いが激しいんだから…」
日ごろよりコーガの料理を一人で任されている飯炊き番にとって、主君の行動は頭痛のする思いである。
ツルギバナナばかりを食べたがるコーガに、何とかバランスの良い食事をさせたいと、日頃から苦心する飯炊き番は、まるで母のようでもあり、娘のようでもあった。
反面から露になった唇が、ムッと不服そうに歪められているのを目にしたが、コーガは一切見て見ぬふりをする。
付き合いの長い飯炊き番は、主君がどれほど頑固で、いい加減で、気分屋なのかを知っていた。
わざとらしくため息を吐きながら、飯炊き番は主君の側に、音もたてず座すことにした。
コーガは、飯炊き番が諦めたのを知って、またぷかぁと、月光に向かって煙を吐く。
「コーガ様、それは・・・キセル、ですか?」
興味深く目にしたのは、見たこともない、30センチほどのキセルだ。
無論、嗜好品である道具で、余裕のない日々を送る飯炊き番には、縁遠いものである。
主君が、煙草を吸うとは知らなかった。
まじまじと見つめられて応じるかのように、コーガはコン、と戸をキセルで叩いて灰を捨てる。慣れた仕草に、飯炊き番はますます視線を奪われる。
「コーガ様がキセルを嗜むなど、全く知りませんでした」
「まあ、たまにしか吸わんからな。お前、吸ったことあるか?」
「ありません、キセルは嗜好品ですし」
コーガの手つきを追うように、飯炊き番は顔を動かせる。
自分が嗜む行為を、目の前の女は経験したことがない、という。
なんとなく、優越感だ。
彼女に見せつけるように、コーガは慣れた手つきで煙草を丸め、火皿へ詰めていく。
近場にあった提灯でじりじりとキセルに火をつけ、ゆっくりゆっくり、煙を肺に入れていった。
ツルギバナナで腹も満ち、美しい月夜に向けて煙を吐けば、目の前には興味津々といった様子の飯炊き番。
コーガは、女に気付かれないように、グッと拳を握った。
なんと良い気分なんだろうか。
これほどこの女に優越感を覚えたことは、今までないんじゃないだろうか?
普段から頭が上がらない飯炊き番。それだけに、コーガの中でむくむくと勝者の感覚が頭をもたげていく。
「吸ってみるか?」
「いいんですか?興味あります!」
良い気分だったからだろう。何とはなしに、彼女をからかいたくなった。
誘ってみれば、存外彼女は食い気味に応じた。
齢30と思えない素直な好奇心、正座のままズイと近づいてきた飯炊き番に、思わず笑い出しそうになるのを堪えつつ、火種が零れないよう注意しながらキセルを渡す。
飯炊き番の女は、壊れものを扱うかのように丁寧に指を這わせた。キセルを目線の高さに持ち上げて、側面をまじまじと見つめる。
「・・・美しい装飾ですね」
「代々伝わるキセルだからな、年代もんだ」
イーガ団を象徴するかのような赤い羅宇には、螺鈿での装飾が施されている。
瞳と涙を象った装飾は、シーカー族の文様なのか、イーガ団の文様なのか、敢えて向きが不鮮明で、分からない。
その曖昧さが、年代ものという言葉の裏打ちでもあるようだった。
「もうすでに火がついてるからな。ゆっくり息を吸うんだぞ、早すぎると燃え尽きちまう」
コーガの説明に、飯炊き番は見よう見まねでキセルを手に持ち、吸い口を唇に当てがった。
その覚束ない口元へ、コーガのニヤニヤとした面持ちが向けられていることに、女は露とも気付かない。
コーガは内心で、飯炊き番が勢いよく咳込むことを望んでいた。
普段から、自分の下で働いているとは思えない、キツい言動。
嫌いだといっている料理も平気で出してきて、食べなければツルギバナナは無し、と非道な行いも平気でする冷血漢。
その一方で知識が豊富、幹部からの信頼も厚いので、食事に関して不満を言うことも許されない空気。
いかにも仕事のできる女、という印象で、なかなか隙を見せない相手だ。
だが、今日は初めての煙草の味に、情けなくもむせてもらおうか・・・と密かに考えていたのである。
ただ、コーガの密かな企みは、早々に叶わぬことだと明白になった。
飯炊き番は、案外煙草の煙に強かったようである。
むせることなく、嫌な顔をするでもない。ゆっくりと味わうようにキセルを咥え、じりじりと火種が赤く光る様子は、彼女が煙をしっかりと肺に送っていることを示しているようだ。
飯炊き番は、ついばむような唇で、煙をふぅ、と外に向かって鋭く吐き出した。
月光に映し出される頬の輪郭と、艶めかしさまで感じる口元の線は、誰かのそれを求めているような雰囲気さえ感じられる。
キセルに添えられる繊細な指の先は、儚げな所作に色気を覚えるほどだ。
正直、彼女の姿に、息を飲んだ。
今まで退屈だと思っていたこの景色が、全く色を変えて目の前に現れた。
提灯に照らされた頬は怪しく光り、月光に照らされた指先は神々しさを纏っている。
遠くの景色を見やる彼女には、そのまま消えてしまうのではないかと、そんな刹那さも垣間見た気がして。
気付けば、コーガはキセルを持つ彼女の手を取り、自らの身体に引き寄せていた。
耳に届いた小さな悲鳴は、イーガとしては失態だ。その無防備さに、そのまま顎を取ってしまおうかと考える。しかし、彼女はきっと嫌がるだろう。良い雰囲気だったとしても、そういう女だ。俺様の飯炊き番は。
二人にとって、それは酷く一瞬の出来事で、考えるべきことの多い出来事だった。だからだろう、二人は気付かなかった。コーガが彼女を引き寄せたとき、火皿から火種が飛んだということに。まさに燃えながら、コーガの薄い団服に、付着してしまうだろうことに。
「あぢぢぢぢッッッ!!!」
まさに彼女の顎をとる瞬間、キセルから飛んだ火種は、つつがなくコーガの太ももに着地した。全く予想だにしていなかった突然の痛みに、コーガは飛び上がるほど驚いた。
瞳を閉じようとしていた飯炊き番も、主の騒ぎにハッと我に返ってキセルを見る。火種が無いことに気付いて、コーガの身に起こったことを推察した。
「大丈夫ですか!?コーガ様、今すぐ氷を・・・」
「だ、大丈夫だ!これくらい何でもない・・・」
「ダメですッ、火傷は痕になりますから!すぐ戻ってきますゆえ!」
そのまま、飯炊き番は立ち上がり、どたばたと騒ぎながら扉の奥へと消えていく。
あわよくばもう一度良い雰囲気に・・・と考えていたコーガの思いは、煙のように失せてしまった。
そして、ただの火傷にしては慌てた様子の飯炊き番に、ああ、これは逃げられたんだな、とはっきり理解した。
さほど準備に時間がかからないはずの氷を、すぐに持ってくるのなら良し。
時間がかかるのなら、・・・まぁそういうことだ。
コーガは、シンと静まり返った部屋のなか、「くそお」と一人でぼやいた。
辺りを見回すと、あれだけ慌ただしく去っていたにもかかわらず、煙草盆の上へ丁寧に置かれたキセルを見つけた。拾い上げて、むしゃくしゃする気持ちを鎮めるためにも、火皿に新しい煙草を丸める。
提灯で火をつけて、ぷはぁと月光に向けて煙を吐いた。
いつまで彼女を待つべきか?
・・・きっと一服が終わるまでで、充分だろう。
扉の柱に背を預け、いつもより時間をかけて吸おうかと考えながら、コーガは、ただただ退屈な夜の帳を眺めるのであった。