【ss/not夢】イーガ団員の日常話

「私、姫シズカが好きなんです」
 暴力と暗殺蔓延(はびこ)るこの集団において、彼がその構成員に恋心を抱くには、その一言だけで充分だった。
 初めて彼女に出会ったのは、イーガ団アジトの医務室内。彼女はイーガにやってきたばかりの、新人構成員の一人だった。
 イーガへやって来た者は、最低限の武術を学び終えた後に、総長と幹部の相談の元、集団を形成する各班へと振り分けられる。彼女は、医療班へと配属された女性だった。
 彼が密偵として情報収集をした際、魔物に襲われ怪我をし、怪我を癒そうと医務室へ訪れたのが、運命の出会い。
 初対面とは思えないほど話が弾んだ。彼女は彼と違い、イーガの大半を占めるシーカーの出ではなく、魔物に襲われて天涯孤独となった故に、イーガ団へ流れ着いたという。隠密という手前、村の名前や詳しい土地のことなど明かさないが、同じ境遇である彼が彼女に強く共感したのは、当然の結果であった。
 どんな話をしたかは、正直既に覚えていない。ただ、心がやけに浮つき、明るい日差しのような時間になったことは胸に強く刻まれている。隠密として過ごす日々の中で、初めての感覚だった。
 なにより、姫シズカが好きだという一言が彼の気持ちをかっさらった。あれは淑やかで上品、高貴なイメージを持つ可憐な花だ。噂によれば女神の血を引く姫巫女もことさらに愛で、手をかけているという。
 女性らしさ爆発。男だろうと女だろうと関係なく隠密に明け暮れる集団だ。他者の血と涙に塗れる彼の日常において、予想外に飛び出た一言は鮮烈だった。彼はそうしてすぐさま恋へ落ちたのだった。
 彼は確信した。これは運命だと。これほど強烈に彼女を思い、引き寄せられるのだ。この出会いは然るべき巡り合わせであるのだと、彼は強く強く思い込んでしまった。
 彼が次に医務室を訊ねたとき、どうにも覚束ない手つきで包帯を巻く構成員とまみえ、この人だ、と彼は思った。医療班へやってきた新人構成員。仮面で顔は隠れていようと、以前に会話をし、恋の種を植えられた彼女に違いない。

「君のことが、もっと知りたい」

 包帯を巻く彼女の手を取り、面に迫った。このタイミングを逃せば、この華憐な女性は、他の団員に口説かれてしまうかもしれない。それほどイーガ団は男団員に比べて女団員が少なく、恋人に飢えた野郎の多い集団だったから。

「え……それって……」
「今日、夕餉でも一緒に、どうかな」

 心臓がバクバクと高鳴って仕方ない前回あれだけ話が盛り上がった相手なのだ。つつがなく受け入れてくれると思ってはいたが、女を口説くのなんて初めてだった。急な話に言葉を失う彼女の狼狽も理解できるが、気遣いを持てるほどの余裕は、この時の彼にない。
「まぁ……いいですけど」と小さく帰って来た返事は、彼が思ったよりも前向きではなかった。しかし、OKはOKである。彼は内心の喜びのまま、その場で勢いよく拳を握って立ち上がった。巻かれたばかりの包帯の下で、傷口が開くのを代償として。
 いたたと腹を押さえる彼に、彼女は笑ってくれた。
 初めて共にした食事の味は分からなかった。彼にとって、これははっきりとデートだったから。彼女もそうだったのだろう。前回あれほど盛り上がったというのに、夕餉の最中、どれほど彼が話を振っても言葉少なに相槌を打つだけで、彼女の話をしてくれない。緊張して口が回る自分と反対に、彼女は意識したが故に、無口になる性質だったのだろう。
 でも、彼はそれで満足だった。それこそ、彼女が自分のことを異性として見ている証拠のようなもの。矢継ぎ早に話を展開し、一所懸命に口を回す。それでも彼女は曖昧な反応しか返さなかったが、大きく舌を噛んだ瞬間に、彼女はとうとう笑みを零した。仮面が有るにもかかわらず口元へ手をやる彼女を見て、「なんて上品な人なのだろう」とうっとりした。

 それから、わざと医務室へ訪れては彼女を誘い、食事をとる関係が始まった。そもそもが意気投合したところから始まった関係なのだ。恋仲になるのは早かった。
 食事を共にとり、仲を深め、アジトを抜け出しては、素顔での逢瀬を繰り返した。口付けをし、何度も肌を合わせ、彼女の美しい瞳を覗き込みながら将来を約束した。赤子ができたと知らされたとき、これほど人生で嬉しいことはないと、初めて知る喜びに身体を震わせた。
 夫婦となってからも、彼と彼女は愛情を分かち合った。彼女の誕生日には、必ず姫シズカを贈った。赤子の誕生日にも、歳の数だけ姫シズカを飾った。彼は隠密に身を賭しながらも、最愛の妻と共に安寧の日々を過ごした。何年も、何年も、何年も。

 ──死が愛する二人を分かつ。それは生物である限り、避けられない絶対だ。
 寿命の幾分か長いシーカー族である彼と違い、老いた彼女が先に、床へ臥した。もう長くないだろうことは、ずっと一緒だったのだからお互いに分かっている。
 すっかり小さく皺がれた彼女の手をとりながら、彼は毎日、彼女の大好きな姫シズカを、枕元へ飾った。

「私、貴方に言わなきゃいけないことがあって」

 それは唐突な言葉だった。意を決したように掠れた声を絞りだす彼女に、彼は「なんだい」と穏やかに目を細める。

「死ぬまで、言わないでおこうと思っていたのだけれど」
「言ってごらん。今更僕らに、秘密なんて」
「貴方に、がっかりされるのが怖くて」

 陰った瞳に「言ってごらん」と促す声は、血と涙に塗れた嘗ての反逆者とは思えないほど、温かく優しい。面を最後につけたのは何年も前のこと。素顔を晒す彼らは、すっかり穏やかになった毎日を静かに享受していたから。

「私、姫シズカって、別に好きじゃないの」

 彼女の面持ちは深刻だった。照れることもなくなった今時分にもかかわらず、彼の目を直接、見られない。

「姫シズカが好きって言った女性は、たぶん、私じゃないの。私が好きなのはずっとツルギソウだったから」
黙っていて、ごめんなさい。その声は一段と小さくて、遠くを見つめる瞳は憂いを帯びていて。
 今際(いまわ)の際に事実を告げたことを、酷く後悔していた。
「そっかぁ」と、彼は白髪の頭を掻いた。それはシーカー族の特徴ともいえる色。しかし、年老いて白髪となった、愛しい人と同じ髪色でもある。
彼は、目尻の皺を一層深くして、彼女の伏せられた瞼を間近に覗き込んだ。

「君じゃないって、分かっていたよ」
「え!」
「ごめんなぁ、俺も言い出せなかったんだ。ごめんなぁ、今まで姫シズカが好きって、嘘を吐かせて」
「そんな、まさか」
「姫シズカが好きかどうかなんて、とっくの昔にどうでも良くなってたんだよ」

 彼女の白髪をかさついた指先で撫でる。驚きに見開かれた瞳は、昔と変わらず美しい輝きをもったままだ。

「僕が愛したのは姫シズカの人じゃない。紛れもなく、君なんだから」

もう何十年も連れ立った彼女が、漸く仮面を脱いでくれた気がした。

 イーガに所属する人間が両親の死に目に会えないのは、全ての団員が了する定めである。
 姫シズカを一輪、墓標に供え、手を合わせ終わった息子は、それでも毅然とした面構えであった。
 たくさんの愛情を受け、両親と同じ道を歩むと言ったその時の顔と少しも変わらない、毅然とした。

「もっと、早くに来たかったんだ」

 ぽつと呟かれたその言葉に、彼がどれほど後悔を含ませていたかは、同じ隠密の親でしか分からない。

「任務を抜け出せば、良かった」
「そんなこと言うなよ。母さんは、嬉しがってるぞ。お前が来てくれて」
「……だといいな」

 アジトで訃報を聞き、すぐさま疾風の如く駆け付けたという息子に、「茶でも入れるよ」と踵を返す。きっと無茶をしてここまでやってきたのだ。すぐさまトンボ帰りをするだろうことは、息子と同じ任についていた彼にとって、想像するに容易い。
「そういえば」背を追う息子の何気ない一言に、彼はゆっくりと振り返る。

「なんでツルギソウも混ざってるんだ? 今まで姫シズカばっかりだったのに」

 先に供えられていた姫シズカの花束に混ざるツルギソウ。姫シズカと共に過ごしてきたのは、息子も同じだった。
 困ったように眉尻を下げ、風に揺れる花束へ視線を遣った。

「俺が聞かなかったのが悪いんだ。他に好きな花はないかって」

 哀愁の滲んだ穏やかな笑み。息子もそれ以上はなにも言わなかった。
 彼が胸に抱く小さな後ろめたさは、誰にも知られず、誰にも言わず、このまま土へと還っていく。

 僕がいくときも、ちゃんと花束を準備するよ。
姫シズカとツルギソウ。二つの花を混ぜた花束を君が許してくれると祈って。
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