【ss/not夢】イーガ団員の日常話
俺は、神の宿る大地と称されたハイラルで暗躍する隠密集団、イーガ団に所属するしがない男だ。
集団の中でも、配属されているのは医療班。基本的にはアジトに設置された医務室で、患者がやってくるのを外に出ることもなく、ただただ待つ毎日である。
ハイラルの端、アッカレまで行く団員も多い中で、谷間に身を置くだけの日々をつまらないと思うだろうか。否。実はそうでもない。団員しか利用しない場所のはずなのに、この医務室には、本当にいろんな事情を抱えたやつが日毎にやって来るからだ。
イーガ団は世に憚る暗殺集団。外回りしていたら怪我は枚挙に暇がないし、それでなくとも日々の鍛錬中に捻ったり傷めたりのぼせたり、不調の原因に満ちている。
ちょっと阿呆なやつが多いのも原因のひとつになるだろうか。夕餉に出た魚の団子が美味かったからと懐に忍ばせて、何日か後に食べて腹痛を起こしたと聞かされた時はさすがに頭を抱えたもんだ。
ただまぁ、本当に治療の必要なやつが「どうにかしてくれ」と来るんだったらまだ良い。医務室のエキスパートたる俺だって、やってやろうじゃないかと医療班魂が囃されるというものだ。ただ、そうじゃないやつもやって来るから、困ってる。イーガ団は世に憚る暗殺集団。各団員の業務はそれぞれがそれなりに責任が重く、身体的にも精神的にも結構しんどい。
早い話、「ちょっと体調悪い気がするな、医療班で診断が下れば御の字。業務サボりたいなあ」というトンチキがいるわけだ。
医療班員は、全員が全員、医療に通じているわけじゃない。新人なんかだと、「腹が痛い」と言われて原因が分からなければオロオロしちまって、「ちょっと休んでいきますか」と提案せざるを得なくなる。柄が悪い団員が多いから、新人のかわいこちゃんは萎縮しちまって余計にそうだ。鼻の下伸ばして「いいのか?じゃあ、遠慮なく」とか言いながら布団に潜り込もうとするクソ共のドタマ叩いて追い出すのも、エキスパートたる俺の役目である。
まぁ、イーガの業務がしんどいのは理解できる。
俺は医療班に異動して結構長いから機会はとんと減っちまったが、外回りの団員は、人を手に掛ける任務も未だに多い。厄災が復活して暫く経つとはいえ、残った王家関係者を炙り出してどうにかするのは、隠密班の業務なわけだ。
新人はどんだけ覚悟をしていようが、大体一回は精神的に病む。体調不良で医療班へやってきた団員からよくよく話を聞いてみたら壊れる寸前で、コーガ様に話を通して暫く休みの手配をとったことだって、一度や二度じゃ済まない。
そうかと思えば、「あの子のことを思うと胸が痛いんです」とか抜かしやがる団員も現れる。最近あった話じゃあ、女構成員から「相手が鈍感すぎて、どれだけアプローチしても気付かれないんです」と泣きつかれたこともあった。「上司だろうとなんだろうと無理やり唇を奪っちまえば良いんだ」と助言して、後日「やってやりましたよ!」と嬉し気に報告され、それはそれで悪い気がしなかった。
恋愛相談も完璧にこなせるもんだから、医務室は毎日、てんてこまいなわけだ。
「よくもそこまで人様の世話になれるもんだね」と感心するほど、さまざまな理由で団員がやってくる中で、俺の医療班としてのスキルは留まるところを知らない。
怪我・病気・精神疾患・カウンセラー・サボり・恋愛相談・ムチウチ・マッサージ・霊障・将来への不安・過去への懺悔、ありとあらゆるイーガ団員の不調を治療してきたのがこのベテラン医療班・俺である。
ただ、そんな俺でも、あまり診たくない苦手なやつはいる。
演習だかに他の医療班員が着いていったため、医務室に俺一人きりになったときのことだ。
怪我人やサボリも来ずに静かな時間が続いたために、ため込んだ書類仕事を片付けちまおうと俺は机に向かっていた。
どんな怪我が多かったか、なにが原因だったか。カルテを詳細に作って報告書へ上げておけば、次またそいつが訪れたときに新人団員でも対応ができる。治療のみでなく、カルテ作りも医療班員の立派な仕事のひとつだ。
「もし、今良いですか」
医務室の戸口で、気配なく低い声が響いた。イーガは隠密集団。こんなのは日常茶飯事だ。
俺は余裕たっぷりに、ゆっくりと振り返った。そして誰が来たかを認め、思わず「げえ・・・」と心の中で思いっきり悪態をついた。
そこに立っていたのは、一人の幹部。あんまり診たくない男だ。理由は今に分かると思う。
それでも、医務室に残されたのは俺一人だし、幹部というだけで構成員よりよっぽど偉い相手だし、俺は恭しく立ち上がってウェルカムな空気を醸した。心は全くノーサンキューだが、これは大人として取るべき振る舞いである。
「どうされましたか、怪我か病気か」
「いえね、以前も診てもらったことがあるのですが、少し肩回りが重くて」
「傷めましたか?」
「うーん、傷めたのでしょうかねぇ。ほら、幹部役の得物は重いでしょう。私は少々、凝りやすい性質みたいで」
「はぁ」
「以前、医療班の方に揉んでもらったら、随分軽くなったんですよ。また頼めないかなと思いまして」
きたぞ。俺は内心で思いっきり舌打ちをした。
幹部という役職の圧に負けて、実はこいつを、過去に診てやったことがある。それが結局運の尽きだ。こいつは医療班をマッサージ屋か何かと勘違いしてしまった。確かに、医療班は筋や骨への造詣も深く、俺くらいになればマッサージなんて屁でもない。とかく利用者なんてもんは、一度許した特別事例に胡坐を掻いて、それが当然の権利とばかりやってもらおうと主張するもんなんだ。
くそが。そもそもこいつのことを一度診てやったときは「医療班にもかかわらずこのようなことも診られないのですか?」とか煽ってきたから乗っかっちまっただけなのに。
つまるところ、今悪態を吐いているのは、煽られてまんまと特別サービスを施した過去の俺へ向けてである。断りゃ、ベテラン医療班としての矜持が廃る。全くとほほだ。
「以前幹部殿の肩を診たのは俺です。今はちょうど時間もありますし、また診ましょうか」
「いいんですか?ありがとうございます、助かりますよ」
いいんですか、だと? わざとらしい言い方に、額に青筋でも浮かび上がった気がした。お前がこのセリフを誘導したんだろーが。
この幹部は物腰柔らかで丁寧な言葉こそ使うが、相当性格が悪いことで有名だった。人を騙すことに全く抵抗がないとか、自分を好いてる女の恋心も平気で任務に利用するだとか。
世間に顔向けできない活動をおこなってる集団としては、この幹部の振る舞いこそが正しいんだろうか。いやしかし、俺たちゃ信条があるからこそ汚いこともできるってだけで、良心の呵責がないわけじゃない。今俺がされたみたいに、過去を引き合いに出して人の善意に全力で乗っかってくるこの幹部は、ただ純粋に人として性格が終わってるだけだろう。そうに違いない。
面下で思いっきりあかんべーと舌を出しながら、仕方ないので手の平も差し出した。促されたまま医務室の椅子に浅く腰掛けた幹部は、無防備に背中を俺に晒し、そのおもっくるしい肩回りの筋肉を向けてくる。
正直、本当は身体に触れたくなかった。こいつの肩を揉むのは、逆に俺の肩が重くなりそうだ。直接触れるマッサージはつかれる。はぁ。でもまぁ、医療班スペシャリスト・俺としては、ちょっと頑張るしか他にない。
ぱんぱんに張った僧帽筋に指を這わす。やっぱり俺の肩まで重くなるようだった。ビリビリと感じる、〝ならでは”の存在感に「ちょっと失礼しますね」と丁寧に断って、親指でまずはゆっくり筋肉をほぐしていく。
「もっと強くお願いしますよ、思い切りやってください」
「ちょっとマッサージするだけですから」
「そうですか。・・・万年肩凝りで、最近は頭痛も酷くて。いやぁ、貴方に診てもらって助かります」
「なんでこんな肩に?」
「なんででしょうねぇ、昔はこれほど肩凝りに悩まなかったのに」
「日頃の行い、ですか」
俺の言葉に、幹部は「ふふふ」と笑った。
徐々に指先に力を籠め、本格的に筋肉の筋を揉み解していく。気持ち良いのか「あー」という彼の唸り声を耳にしながら、俺は徐々に汗ばんで冷たくなっていく自らの身体を自覚していた。肉体労働にも程がある。全く、とんでもない沙汰に巻き込まれたもんだ。
「まぁ、確かに日頃の行いなんでしょうねぇ。風斬り刀は得物の中でも軽い方だと思ってましたが、常に持っていれば肩にも負担がかかります」
「ちょっと、やめた方がいいのでは」
「そりゃ鬼円刃や首刈刀の方が負担にはならないでしょうが、今更でしょう。幹部役としても、短刀じゃ示しがつきません」
「このままでは戻れなくなりますよ」
「大袈裟ですね。たかが肩凝りで。死ぬわけでもあるまい」
「心配です、今ならまだ間に合うのに」
「心配?構成員が幹部に、随分殊勝なことを言いますね。まるでツレのようだ」
吐き捨てるような声音に、揉む手が思わず止まる。「しかしこの部屋寒いですね」と身体を擦る幹部と同じで、すっかり俺の肩周りは重くなって、指先まで冷たくなるほどだったが、そんなことどうでも良い。
「幹部殿、ツレ、とは」と、今しがた彼が口走った気になる単語を問いただす。結局はこの質問が良くなかったわけだが、問わねばどちらに転がるか分からなかった。いかにエキスパートと言えども、選択を間違うこともある。
幹部は「ん?ツレですか?」と、なんでもないように小さく天井を仰いだ。
「いや、何のことは無い、外の村にね、女がいるんですよ」
「恋人、ということですか?」
「まぁ、そういうことになるんでしょう。私の素性を知らない女でね、束縛心が強くて。暫く行かないと追い縋って面倒なんです」
「はぁ、だからか。なるほど」
「どうせ会わなくなれば、他の男を見つけるでしょう。あの女も私に愛があるわけじゃなさそうですし」
「そうですか?」
「なんせ顔を合わせれば泣くばかりです。愚痴と苦言ばかりを口にして」
「でもまぁ、お互い愛が全くないってことは無いでしょう」
「少なくとも、私はもう、どうでも良いと思ってます」
「そんなこと言わないで」
「会ったばかりの頃はああじゃなかったのに。いつもここぞとばかり、泣き顔を見せつけてくる」
「知ってほしいんですよ、自分の気持ちを」
「全く嫌味な女だ。言葉で言えば済むことを、ただはらはらと泣くだけだから」
「喧嘩するからでしょう」
「そうですね、一ヶ月も前になりますか。業務のことを知りたがったので口争いになりました」
「不安なんです、彼女は」
「言葉を尽くしても、どうせ不安は消えないんだ。付き合ってる暇なんて、ありませんし」
「寂しいです。孤独で、押し潰されそうで」
「これ以上依存なんてされたら敵いませんよ、やっぱりそろそろ別れようか・・・」
「そんなこと言わないで、そんなこと」
「所詮身寄りのない女でした。私が会わなくたって、また一人に戻るだけで」
「アナタは、悪くない」
「そうでしょう。私もそう思ってます」
「アナタは悪くない。アナタは悪くない。悪くない悪くない悪くない悪くない」
俺はそのまま、悪くない、悪くない、と繰り返し言い聞かせた。
その間、幹部に何事か言われたが、それどころじゃなかった。幹部のマッサージはやめた。それどころじゃなかった。
医療班エキスパート・俺の力をもってしても、こうなってはお手上げだ。所詮俺は第三者。余計なこと、聞かなければ良かった。
酷く寒い。肩が重い。空気が鬱蒼としている。ここまで酷くなってはもうどうにもならない。ばかな男だ。
俺は、訝し気に振り返る幹部から一歩、二歩下がって距離を取り、深く息をついた。
「どうにかできそうだったのに。余計なことを言うから」
「何なんです、貴方。さっきから」
「幹部殿の肩は、俺にはどうにもできません。いや、どうにもできなくなりました。あとは貴方の行い次第です」
「どういう意味です」
「俺はちょっと、名前までは分かりませんが、彼女さんがいらっしゃるのって、ククジャ谷の辺りの村ですよね」
面があっても、俺の言葉で顔色が悪くなるのが分かる。そもそも鬱蒼とした空気を纏う男だった。
なぜそれを、と問うので、俺は彼の後ろをぼんやりと眺めた。
「彼女さんは、髪が肩辺りの長さで、軽く内側に巻かれてる茶髪。目のパッチリした茶色い瞳で、背丈は、このくらいの、華奢な人では」
「・・・なぜ、知ってるんです」
「亡くなってます」
「は」
「貴方に会いたかったみたいだ」
俺の視線につられて、それまでゆったりとした振る舞いの幹部がバッと勢いよく振り返る。
いくつか並んだ敷布団、その向こうには、アジトを形作る岩壁と、ほの明るい行燈が立っている。彼にはそれだけだろう。徐々に、彼の肩がゆっくり上下し始める。はぁはぁと、隠しもしない息遣いの音が聞こえてくる。
「帰ってあげてください。もしくは、お祓いしてもらってください。貴方の肩は、俺にももうどうにもできないから」
医務室にいるのは俺と幹部の二人だけのはずなのに、たくさんの人が黙っているだけの空間みたいだ。耳に染み入る静寂の中、空気に押されているみたいでもある。指先が冷えるのに、頬を撫でる空気は生温かい。まるで、人の、吐息のような温かさで。
幹部は沈黙のまま、すくっと立ち上がった。ありがとうも、すまないも、行ってみるも、うんともすんとも何も言わずに踵を返し、そのまま医務室の岩戸を抜けて去っていった。せっかく診てやったのに、なんて性格の悪い男だ。
しかし、彼は行ってあげるんだろうか。彼を待ってる恋人の家に。あれだけ人様の機微が分からない男を待つ、彼女さんの家に。
「っはー、つかれた」
しかしまぁ、骨が折れた。少しばかり、嘘を吐いた。非常に面倒なことをしちまったが、ああでも言わなきゃ、あの人は家に向かわなかっただろう。
彼が家に着いたら嘘に気付くはず。なくなったと思った大切なものに気付くはず。ばかな男だ。これでまた肩凝りをしちまうかどうかは彼次第。
またつかれてたら、その時は、その時だ。
嫌な気を纏う男が姿を消して、妙な気配も全く感じ取れなくなった後、俺は一回伸びをした。
うっぐぐぐ・・・と思いっきり声を出して呻きながら気をはらうと、徐々に指先へ血の気が通ってくる。さっきまで羽交い絞めにされるようだった肩回りもすっかり元通りだ。
ああ、良かった。どうやら俺はつかれてないみたいだ。
途中だったカルテ作りを再開させようと、俺は机に向かった。他の団員への周知のためにも、さっきの幹部のカルテをまず書こうと思った。
所属:諜報
症状:肩の重み
治療:説得と嘘
備考:医療班員は彼に触れないこと
彼らがどうにかまとまるのを、俺は祈るばかりである。
集団の中でも、配属されているのは医療班。基本的にはアジトに設置された医務室で、患者がやってくるのを外に出ることもなく、ただただ待つ毎日である。
ハイラルの端、アッカレまで行く団員も多い中で、谷間に身を置くだけの日々をつまらないと思うだろうか。否。実はそうでもない。団員しか利用しない場所のはずなのに、この医務室には、本当にいろんな事情を抱えたやつが日毎にやって来るからだ。
イーガ団は世に憚る暗殺集団。外回りしていたら怪我は枚挙に暇がないし、それでなくとも日々の鍛錬中に捻ったり傷めたりのぼせたり、不調の原因に満ちている。
ちょっと阿呆なやつが多いのも原因のひとつになるだろうか。夕餉に出た魚の団子が美味かったからと懐に忍ばせて、何日か後に食べて腹痛を起こしたと聞かされた時はさすがに頭を抱えたもんだ。
ただまぁ、本当に治療の必要なやつが「どうにかしてくれ」と来るんだったらまだ良い。医務室のエキスパートたる俺だって、やってやろうじゃないかと医療班魂が囃されるというものだ。ただ、そうじゃないやつもやって来るから、困ってる。イーガ団は世に憚る暗殺集団。各団員の業務はそれぞれがそれなりに責任が重く、身体的にも精神的にも結構しんどい。
早い話、「ちょっと体調悪い気がするな、医療班で診断が下れば御の字。業務サボりたいなあ」というトンチキがいるわけだ。
医療班員は、全員が全員、医療に通じているわけじゃない。新人なんかだと、「腹が痛い」と言われて原因が分からなければオロオロしちまって、「ちょっと休んでいきますか」と提案せざるを得なくなる。柄が悪い団員が多いから、新人のかわいこちゃんは萎縮しちまって余計にそうだ。鼻の下伸ばして「いいのか?じゃあ、遠慮なく」とか言いながら布団に潜り込もうとするクソ共のドタマ叩いて追い出すのも、エキスパートたる俺の役目である。
まぁ、イーガの業務がしんどいのは理解できる。
俺は医療班に異動して結構長いから機会はとんと減っちまったが、外回りの団員は、人を手に掛ける任務も未だに多い。厄災が復活して暫く経つとはいえ、残った王家関係者を炙り出してどうにかするのは、隠密班の業務なわけだ。
新人はどんだけ覚悟をしていようが、大体一回は精神的に病む。体調不良で医療班へやってきた団員からよくよく話を聞いてみたら壊れる寸前で、コーガ様に話を通して暫く休みの手配をとったことだって、一度や二度じゃ済まない。
そうかと思えば、「あの子のことを思うと胸が痛いんです」とか抜かしやがる団員も現れる。最近あった話じゃあ、女構成員から「相手が鈍感すぎて、どれだけアプローチしても気付かれないんです」と泣きつかれたこともあった。「上司だろうとなんだろうと無理やり唇を奪っちまえば良いんだ」と助言して、後日「やってやりましたよ!」と嬉し気に報告され、それはそれで悪い気がしなかった。
恋愛相談も完璧にこなせるもんだから、医務室は毎日、てんてこまいなわけだ。
「よくもそこまで人様の世話になれるもんだね」と感心するほど、さまざまな理由で団員がやってくる中で、俺の医療班としてのスキルは留まるところを知らない。
怪我・病気・精神疾患・カウンセラー・サボり・恋愛相談・ムチウチ・マッサージ・霊障・将来への不安・過去への懺悔、ありとあらゆるイーガ団員の不調を治療してきたのがこのベテラン医療班・俺である。
ただ、そんな俺でも、あまり診たくない苦手なやつはいる。
演習だかに他の医療班員が着いていったため、医務室に俺一人きりになったときのことだ。
怪我人やサボリも来ずに静かな時間が続いたために、ため込んだ書類仕事を片付けちまおうと俺は机に向かっていた。
どんな怪我が多かったか、なにが原因だったか。カルテを詳細に作って報告書へ上げておけば、次またそいつが訪れたときに新人団員でも対応ができる。治療のみでなく、カルテ作りも医療班員の立派な仕事のひとつだ。
「もし、今良いですか」
医務室の戸口で、気配なく低い声が響いた。イーガは隠密集団。こんなのは日常茶飯事だ。
俺は余裕たっぷりに、ゆっくりと振り返った。そして誰が来たかを認め、思わず「げえ・・・」と心の中で思いっきり悪態をついた。
そこに立っていたのは、一人の幹部。あんまり診たくない男だ。理由は今に分かると思う。
それでも、医務室に残されたのは俺一人だし、幹部というだけで構成員よりよっぽど偉い相手だし、俺は恭しく立ち上がってウェルカムな空気を醸した。心は全くノーサンキューだが、これは大人として取るべき振る舞いである。
「どうされましたか、怪我か病気か」
「いえね、以前も診てもらったことがあるのですが、少し肩回りが重くて」
「傷めましたか?」
「うーん、傷めたのでしょうかねぇ。ほら、幹部役の得物は重いでしょう。私は少々、凝りやすい性質みたいで」
「はぁ」
「以前、医療班の方に揉んでもらったら、随分軽くなったんですよ。また頼めないかなと思いまして」
きたぞ。俺は内心で思いっきり舌打ちをした。
幹部という役職の圧に負けて、実はこいつを、過去に診てやったことがある。それが結局運の尽きだ。こいつは医療班をマッサージ屋か何かと勘違いしてしまった。確かに、医療班は筋や骨への造詣も深く、俺くらいになればマッサージなんて屁でもない。とかく利用者なんてもんは、一度許した特別事例に胡坐を掻いて、それが当然の権利とばかりやってもらおうと主張するもんなんだ。
くそが。そもそもこいつのことを一度診てやったときは「医療班にもかかわらずこのようなことも診られないのですか?」とか煽ってきたから乗っかっちまっただけなのに。
つまるところ、今悪態を吐いているのは、煽られてまんまと特別サービスを施した過去の俺へ向けてである。断りゃ、ベテラン医療班としての矜持が廃る。全くとほほだ。
「以前幹部殿の肩を診たのは俺です。今はちょうど時間もありますし、また診ましょうか」
「いいんですか?ありがとうございます、助かりますよ」
いいんですか、だと? わざとらしい言い方に、額に青筋でも浮かび上がった気がした。お前がこのセリフを誘導したんだろーが。
この幹部は物腰柔らかで丁寧な言葉こそ使うが、相当性格が悪いことで有名だった。人を騙すことに全く抵抗がないとか、自分を好いてる女の恋心も平気で任務に利用するだとか。
世間に顔向けできない活動をおこなってる集団としては、この幹部の振る舞いこそが正しいんだろうか。いやしかし、俺たちゃ信条があるからこそ汚いこともできるってだけで、良心の呵責がないわけじゃない。今俺がされたみたいに、過去を引き合いに出して人の善意に全力で乗っかってくるこの幹部は、ただ純粋に人として性格が終わってるだけだろう。そうに違いない。
面下で思いっきりあかんべーと舌を出しながら、仕方ないので手の平も差し出した。促されたまま医務室の椅子に浅く腰掛けた幹部は、無防備に背中を俺に晒し、そのおもっくるしい肩回りの筋肉を向けてくる。
正直、本当は身体に触れたくなかった。こいつの肩を揉むのは、逆に俺の肩が重くなりそうだ。直接触れるマッサージはつかれる。はぁ。でもまぁ、医療班スペシャリスト・俺としては、ちょっと頑張るしか他にない。
ぱんぱんに張った僧帽筋に指を這わす。やっぱり俺の肩まで重くなるようだった。ビリビリと感じる、〝ならでは”の存在感に「ちょっと失礼しますね」と丁寧に断って、親指でまずはゆっくり筋肉をほぐしていく。
「もっと強くお願いしますよ、思い切りやってください」
「ちょっとマッサージするだけですから」
「そうですか。・・・万年肩凝りで、最近は頭痛も酷くて。いやぁ、貴方に診てもらって助かります」
「なんでこんな肩に?」
「なんででしょうねぇ、昔はこれほど肩凝りに悩まなかったのに」
「日頃の行い、ですか」
俺の言葉に、幹部は「ふふふ」と笑った。
徐々に指先に力を籠め、本格的に筋肉の筋を揉み解していく。気持ち良いのか「あー」という彼の唸り声を耳にしながら、俺は徐々に汗ばんで冷たくなっていく自らの身体を自覚していた。肉体労働にも程がある。全く、とんでもない沙汰に巻き込まれたもんだ。
「まぁ、確かに日頃の行いなんでしょうねぇ。風斬り刀は得物の中でも軽い方だと思ってましたが、常に持っていれば肩にも負担がかかります」
「ちょっと、やめた方がいいのでは」
「そりゃ鬼円刃や首刈刀の方が負担にはならないでしょうが、今更でしょう。幹部役としても、短刀じゃ示しがつきません」
「このままでは戻れなくなりますよ」
「大袈裟ですね。たかが肩凝りで。死ぬわけでもあるまい」
「心配です、今ならまだ間に合うのに」
「心配?構成員が幹部に、随分殊勝なことを言いますね。まるでツレのようだ」
吐き捨てるような声音に、揉む手が思わず止まる。「しかしこの部屋寒いですね」と身体を擦る幹部と同じで、すっかり俺の肩周りは重くなって、指先まで冷たくなるほどだったが、そんなことどうでも良い。
「幹部殿、ツレ、とは」と、今しがた彼が口走った気になる単語を問いただす。結局はこの質問が良くなかったわけだが、問わねばどちらに転がるか分からなかった。いかにエキスパートと言えども、選択を間違うこともある。
幹部は「ん?ツレですか?」と、なんでもないように小さく天井を仰いだ。
「いや、何のことは無い、外の村にね、女がいるんですよ」
「恋人、ということですか?」
「まぁ、そういうことになるんでしょう。私の素性を知らない女でね、束縛心が強くて。暫く行かないと追い縋って面倒なんです」
「はぁ、だからか。なるほど」
「どうせ会わなくなれば、他の男を見つけるでしょう。あの女も私に愛があるわけじゃなさそうですし」
「そうですか?」
「なんせ顔を合わせれば泣くばかりです。愚痴と苦言ばかりを口にして」
「でもまぁ、お互い愛が全くないってことは無いでしょう」
「少なくとも、私はもう、どうでも良いと思ってます」
「そんなこと言わないで」
「会ったばかりの頃はああじゃなかったのに。いつもここぞとばかり、泣き顔を見せつけてくる」
「知ってほしいんですよ、自分の気持ちを」
「全く嫌味な女だ。言葉で言えば済むことを、ただはらはらと泣くだけだから」
「喧嘩するからでしょう」
「そうですね、一ヶ月も前になりますか。業務のことを知りたがったので口争いになりました」
「不安なんです、彼女は」
「言葉を尽くしても、どうせ不安は消えないんだ。付き合ってる暇なんて、ありませんし」
「寂しいです。孤独で、押し潰されそうで」
「これ以上依存なんてされたら敵いませんよ、やっぱりそろそろ別れようか・・・」
「そんなこと言わないで、そんなこと」
「所詮身寄りのない女でした。私が会わなくたって、また一人に戻るだけで」
「アナタは、悪くない」
「そうでしょう。私もそう思ってます」
「アナタは悪くない。アナタは悪くない。悪くない悪くない悪くない悪くない」
俺はそのまま、悪くない、悪くない、と繰り返し言い聞かせた。
その間、幹部に何事か言われたが、それどころじゃなかった。幹部のマッサージはやめた。それどころじゃなかった。
医療班エキスパート・俺の力をもってしても、こうなってはお手上げだ。所詮俺は第三者。余計なこと、聞かなければ良かった。
酷く寒い。肩が重い。空気が鬱蒼としている。ここまで酷くなってはもうどうにもならない。ばかな男だ。
俺は、訝し気に振り返る幹部から一歩、二歩下がって距離を取り、深く息をついた。
「どうにかできそうだったのに。余計なことを言うから」
「何なんです、貴方。さっきから」
「幹部殿の肩は、俺にはどうにもできません。いや、どうにもできなくなりました。あとは貴方の行い次第です」
「どういう意味です」
「俺はちょっと、名前までは分かりませんが、彼女さんがいらっしゃるのって、ククジャ谷の辺りの村ですよね」
面があっても、俺の言葉で顔色が悪くなるのが分かる。そもそも鬱蒼とした空気を纏う男だった。
なぜそれを、と問うので、俺は彼の後ろをぼんやりと眺めた。
「彼女さんは、髪が肩辺りの長さで、軽く内側に巻かれてる茶髪。目のパッチリした茶色い瞳で、背丈は、このくらいの、華奢な人では」
「・・・なぜ、知ってるんです」
「亡くなってます」
「は」
「貴方に会いたかったみたいだ」
俺の視線につられて、それまでゆったりとした振る舞いの幹部がバッと勢いよく振り返る。
いくつか並んだ敷布団、その向こうには、アジトを形作る岩壁と、ほの明るい行燈が立っている。彼にはそれだけだろう。徐々に、彼の肩がゆっくり上下し始める。はぁはぁと、隠しもしない息遣いの音が聞こえてくる。
「帰ってあげてください。もしくは、お祓いしてもらってください。貴方の肩は、俺にももうどうにもできないから」
医務室にいるのは俺と幹部の二人だけのはずなのに、たくさんの人が黙っているだけの空間みたいだ。耳に染み入る静寂の中、空気に押されているみたいでもある。指先が冷えるのに、頬を撫でる空気は生温かい。まるで、人の、吐息のような温かさで。
幹部は沈黙のまま、すくっと立ち上がった。ありがとうも、すまないも、行ってみるも、うんともすんとも何も言わずに踵を返し、そのまま医務室の岩戸を抜けて去っていった。せっかく診てやったのに、なんて性格の悪い男だ。
しかし、彼は行ってあげるんだろうか。彼を待ってる恋人の家に。あれだけ人様の機微が分からない男を待つ、彼女さんの家に。
「っはー、つかれた」
しかしまぁ、骨が折れた。少しばかり、嘘を吐いた。非常に面倒なことをしちまったが、ああでも言わなきゃ、あの人は家に向かわなかっただろう。
彼が家に着いたら嘘に気付くはず。なくなったと思った大切なものに気付くはず。ばかな男だ。これでまた肩凝りをしちまうかどうかは彼次第。
またつかれてたら、その時は、その時だ。
嫌な気を纏う男が姿を消して、妙な気配も全く感じ取れなくなった後、俺は一回伸びをした。
うっぐぐぐ・・・と思いっきり声を出して呻きながら気をはらうと、徐々に指先へ血の気が通ってくる。さっきまで羽交い絞めにされるようだった肩回りもすっかり元通りだ。
ああ、良かった。どうやら俺はつかれてないみたいだ。
途中だったカルテ作りを再開させようと、俺は机に向かった。他の団員への周知のためにも、さっきの幹部のカルテをまず書こうと思った。
所属:諜報
症状:肩の重み
治療:説得と嘘
備考:医療班員は彼に触れないこと
彼らがどうにかまとまるのを、俺は祈るばかりである。