「コーガ様・スッパ」が登場する話

 ちょっくら、会いに行きてぇ奴がいる。
 不意に呟いたコーガの一言に、スッパは「え」と少々面食らった。
 イーガの総長たるコーガは、なにかと気まぐれな一面のある男だ。思いつきのように「今日はちょっくら訓練でもするか」と言いながら鍛錬場に顔を出したり、「ちょっくら凍らせたバナナでも食いたいな」と、カルサー谷を登り、ツァボ雪原にバナナを埋めに行くこともある。
 薄着のまま行って風邪を引いて帰ってくることもしばしばで、前々から伝えていた予定がおじゃんになったのは記憶に新しい。

 それにしても今日の気まぐれときたら、「ちょっくら会いに行きたいやつがいる」だと。朝餉もそこそこに、今日の業務を全てすっぽかそうと言うのだから、如何ともしがたい。
 気まぐれに付き合わされ、業務が滞り困るのは総長の右腕たるスッパなので、あまりに唐突な申し出は、敬愛する主の言葉と言えど断りたいのが本音であった。

「今日、でござるか?」
「ああ、今日だ。今からだ」
「今日は自分も、幹部を集めて鍛錬の予定が・・・・・・」
「別に急がねえだろ。また明日にでもやったらいいんだ」
「そもそも、何某に会うのでござる」
「イーガの生き字引って呼ばれてる爺さんだ。ボケて来たっつーから、様子でも見に行こうかと思って」

 このような目的を告げられれば、押し黙るより他にない。
 そんな立場の人間がいるとは筆頭幹部を務めるスッパでさえ知らなかったが、イーガにとって重要な人物であるのは確かだ。
 反論を重ねる気を起こさせず、気まぐれに部下を付き合わせる手腕は見事である。黙りこくったスッパの肩を叩き、コーガは「行くぞ!」と腕を掲げた。
 スッパは近場の幹部に本日の業務を早口で捲し立て、意気揚々とステップを踏む主の背を追い、カルサー谷を後にした。

 コーガは最初、確かに「ちょっくら」と言った。
 その言葉の通りならば、ゲルド砂漠の近辺、もしくはデグドの谷を抜けた辺りだろうと、多くの人間は予想をたてる。スッパもご多聞にもれず。
 しかし歩けども歩けども、一向に目的地には到着しない。いくらハイラルの地を縦横無尽に駆けるスッパと言えど、曲がりくねる道を散々歩かされれば、今が何地方にいるのかすら検討がつかなくなる。

 度々、主が休憩を提案し、ぜいぜいはあはあと息を切らして座り込む。
 「どこへ向かわれているのでござるか」と問うても、彼からは「ちょっとな」と返ってくるのみである。
スッパは三度聞いたところで、もう何も聞くまいと、ただ足を動かし到着を待つことにした。


 随分歩き、到着したのは夜になってから。「着いたぞ」とコーガが指を差したのは、深い森の中、あばら家のような木造建築だった。
 周囲の木々に溶け込むように建っていたそれは、到底、人が住んでいるようには思えない。
 じっとりと湿気の多い環境で、朽ちた木壁には苔が生えている。忘れ去られた物置とでも言えそうなほどの、粗末な建物だった。

 待ち合わせだろうか。あばら家をじっと見つめるスッパを置いて、主君は伸びきった青草を意に介さず進んでいく。

「来たぜ爺さん。生きてるか」

 建付けの悪い木扉を無理に開け、顔だけを中へ入れたコーガへ返ってきたのは、呻くような濁声。
 そのまま開き切らない扉に身体を捻じ込ませ、部屋の中へと入っていった。
 「失礼するでござる」と、主君に倣ってスッパも顔を入れる。
 途端、ツンと鼻をついたのは、籠ったカビのにおいと、果物の発酵臭。外観からの想像通り、部屋の中も随分荒れていた。いつから掃除してないのかと思うほど、目につく家財道具の多くが、埃とカビで黒ずんでいる。
 あまりのみすぼらしさに、ここへ住んでいるわけではないだろうと一瞬思ったが、どうやらそうでもないらしい。
 窓際のベッドには一人の老人が寝転がっている。白茶けたシーツに沈んで首だけを回す振る舞いは慣れたもので、その老人が紛れもなくここの家主なのだと、すぐ分かった。


「・・・・・・そいつは?」
「こいつはスッパ。優秀なやつでな、俺様の右腕として、筆頭幹部を任せてんだ」
「・・・・・・ふーん。イーガも変わっちまったんだな。そんな大役、個人に任せるなんざ」

 はっきりとした齢も分からないほど年老いた老人は、眉間にしわを寄せ、細めた瞳で部屋へ入ったスッパを睨みつける。
 集団の先達とはいえ、あまりに不躾な態度だろう。しかし、自分に向けられる懐疑的な瞳よりも、主君への荒い言葉遣いに、胸中が波立った。
 むっと沸き立ったスッパの激情を察したらしい主君が、邪推な目つきでじろじろと睨み続ける老人を「まぁまぁ」と宥める。コーガという男は、よくよく空気の読める男であった。

「スッパは特別なんだ。腕も立つし、今じゃスッパがいないと、イーガは回んねえ」
「・・・・・・ま、もう俺には関係ないこった。好きにしな」

 鼻を鳴らす老人は、どの立場で物を言っているというのか。いくら生き字引とはいえ、ただ長生きをしているだけのこと。今敬うべきは、目の前にいるイーガ団総長、コーガ様だというのに。
 敬愛する主に対してあり得ない物言いに、スッパは耐えきれず背を折り、小声で「コーガ様」と名前を呼んだ。

「ボケてるつったろ。俺様が総長だって分かってねえんだ。多めにみてやれ」

 物言いたげな響きを理解したのか、主君は手壁を作って、耳打ちをする。
 な、と仮面越しの瞳で後押しすれば、物分かりの良い右腕が、御意にと受け入れるしかないと分かっているのだ。

 しかし・・・・・・。スッパには、主君の言葉通りに、彼がボケているとは到底信じられなかった。
 皺だらけでこけた頬の老人とは思えないほど、一本芯のある口調。
 窪んだ眼孔の奥、白茶けた瞳に宿るのは、まだ現役を思わせる戦場のギラつき。
 老齢らしく小さく縮んだ体躯も、きっとウン十年前は大きく、逞しかったのだろうと、想像するに容易い貫録がある。
 地肌の多い頭に残る、絹のように透き通る白髪は、老いさばらえて色素が抜けたわけではないだろう。
彼はイーガの団員。引退したがために、シーカー族固有の髪色が顕現した故か。

 未だ警戒心を胸に老人を睨みつけるスッパとの合間に入るよう、コーガはその場に置いてあった木箱を引き寄せて腰かけ、土産物として携えていたツルギバナナを枕元に置いた。

「そろそろ逝っちまうだろうと思って様子を見に来たんだ。身体の調子はどうだ?」
「お前は本当に失礼なやつだな、まだ若い衆には負けんぞ」
「動けねえくせに何言ってんだ!」
「俺の助言がなけりゃ、お前だって困るくせに」

 罵る二人の声には笑みすら漂い、やけに楽しげに見える。
 昔馴染み。戦友。腐れ縁。長年隣で主君を見続けていたスッパだが、二人の関係性に当てはまる言葉をいまいち見つけられないでいる。もちろん、一団員と主君、という関係でないのは確かだろうが。
 問いたい気持ちはあれど、二人の空気に入り込める余地も感じない。
 それは少しの寂寥感。彼に着いていくと決めた日から今日に至るまで、常に主君を見続けていた彼が知る、初めての主君。
 一人の従者として何も言わず、後ろで控えているのが正解かと、スッパは楽しげに肩を揺らす主の後ろで立ちんぼとなった。

「で、本懐はなんだ。お前さんがここに来たってことは、実際俺の助言が欲しいんだろう」
「違うっつーの、だから本当にあんたが逝っちまうだろうと思って・・・・・・」
「御託は良い。王家とそろそろヤり合うんだろ?なあ?」

 老人の白い瞳が得意げに細められる。誰にも悟られない心情とて見透かす目つきに、コーガは喉奥で笑った。

「あんたはやっぱり勘が良いな、それもある!」

 ぱしんと膝を打って人差し指を突き立てると、「どれほど長い間、イーガを見てきたと思ってんだ」と満更でもないように老人も笑った。
 笑いながら、老人は酷く咽て咳き込む。そもそもが、濁声の呼吸音が混ざる声だった。
 「大丈夫かよ」とコーガが心配する声を余所に、胸へ手を当てた死にぞこないが深呼吸を終える。

 口元の唾液を拭いながら、隙間風を感じる吐息をコーガに向けた。
 面を覗くのは、鋭い瞳。底光りするのは、戦場の灯りそのもののように見えて。

「死ぬことは考えといた方が良いだろうな」

 び、と湿気た部屋に漂う死のにおいに、コーガは「爺さんはいつも大袈裟なんだ」と一笑に付すが、ベッドに沈んだ老人は不服そうに眉間に皺を寄せる。それはコーガよりも圧倒的な先達だと予感するに余りある仕草だった。

「お前は昔からツメが甘いんだ。総長務められてんのが不思議なくらい」
「へいへい。悪うござんした、ツメが甘くて」
「誰かお前のために死ぬこたぁ考えとけよ、常に」
「分かってるっての!あんたに言われんでも!」
「お前が阿呆だと、イーガは全滅すんだ」

 言葉尻に滲む嘲笑の響き。その理由は分からない。しかし、なじる数々の言葉は、イーガ団総長の後ろでただ沈黙を貫いていた巨漢の足を進ませた。

「先ほどから聞いていれば、コーガ様に対し、あまりに無礼でござる」

 そも、仕えるべきはイーガではなくコーガである彼に、男が先達かどうかなど関係はなかった。
 自らが敬愛する主君をなじる男に、殺意を向ける。それは彼にとって当然であり、考えるまでもない反射。
 スッパは、グッと老人の寝る布団に近づき、酷く皺枯れた老人を間近で見下ろす。

「あ?だからどうした」
「いくら元老とはいえ、コーガ様への侮辱は看過できぬ。訂正めされよ」

 返ってくるのは、見上げられているとは到底思えない、射殺す様な目つきだ。
 狼狽する主君の「おい、スッパ」という声は、あまり耳に届かない。胸中では滾る害意が渦巻いて、鼓膜に栓でもされたかのように、世界の音がぼやけて聞こえる。

 胸倉でも掴もうかというスッパの殺気に、老人はコーガへと視線をくべた。
 とはいえ、呆れ果てたようにため息を漏らすだけで、常人ならば声も出ぬほどの威圧で迫るスッパなど、意に介してもない。それは、よっぽど人生経験に富み、修羅場を潜り抜けた故。
 主君へのあるまじき態度を許せないスッパが、若くて余裕のない男だという証左のようでもあった。

「こいつはなんなんだ。飼いならせてねえぞ」
「スッパ、下がれ。良いんだ。爺さんはボケてるんだから」
「しかしコーガ様、この者の発言は到底痴呆で済まされるような言葉では・・・・・・」
「だーっもう!スッパ!ちょっと外、出といてもらえるか!?これじゃ話が進まねえ!」

 ビリビリとした威圧に挟まれ、コーガはビシッと扉を指さした。
 荒げる声に、スッパはじっと視線を返し、一間の後、御意にと頭を下げる。その胸にあるのは、多少の後悔と、老人に対する疑念心。
 しかし、今のこの場においては、自らの方が邪魔者であり、弁え知らずの愚か者であった。無意識に刀の柄へ添えていた手を下ろし、踵を返す。
 建付けの悪い木戸を開け、扉を潜ろうかという直前。視線だけを中ほどへ遣り、さっさと行けとでも言わんばかりの老人を、ねめつけた。

「次またコーガ様を侮辱するような言があれば、元老とて容赦しないでござる」

 湿気た狭い部屋に、巨漢の低い声はよく馴染む。殺意を億尾にも隠さぬ捨て台詞を置き、身を捩りながら、スッパは外へと出ていった。

 残されたのは、「だはー」と息を吐いて天井を仰ぐコーガと、楽しげにくつくつ笑って見せる老人だけだ。

「あいつぁ、真っ先に死ぬだろう。血の気が盛んすぎだ」

 痰絡んだ笑い声を出しながら、老人は細めた瞳をコーガへ返す。「あんたもな!!」と勢いよく指を突き付けるコーガの叫び声など、どこ吹く風という様子だった。

「それが俺なんだ。お前は日和見すぎだ」
「試す真似するなよ!俺様の右腕だぞ」
「お前のな。コーガ様でなく」

 にや、と口端だけで笑われて、コーガは瞬間、ぎくりとした。
 老人はくつくつと笑いながらも尚続ける。

「見てりゃ分かった。あの男、イーガじゃなく、お前に命を懸けてるな?団員の信仰も御せないお前に、王家がやれるのかね」

 責める声音に、コーガは静かに頭を掻いた。何も言えない。言わない。イーガの面で、ただ老人を見返した。
 彼は嘲るように歪めた口元を暫く湛えていたが、つと瞳を細める。その先は、湿気た木造建築の壁があるだけだ。
 いや、もっとその奥。向こう側を見ている。遠い目で、唇を結び、息を吐く。

「いや・・・・・・羨ましいよ、お前が。自分についてくる人間がいるなんてなぁ。俺の時には居なかった」

 ぽつと呟かれた声には、微かに過去を懐かしむ色。「みんな逝っちまったなぁ」と独り言つ声に、コーガは老人の、白く濁った瞳を覗き込んだ。
 自らも覚えのある、彼の過去が見える。雄々しく、たくましく、憧れを抱いていた、華々しい立ち姿。
彼はいつから、こんなにも小さく、しわがれてしまったのか。

 ふ、と彼の表情に生気が戻り、視線が動く。改めて口端を歪める老人は、また得意げな表情を晒す。
 それは、いつかカルサー谷の大穴の前。寝転びながら浮かべていた表情と同じように見えた。

「しかし、王家とついにぶつかるんだな。お前の代で」
「ま、安心しろよ。俺様がしっかり、役目を継いでんだから」
「誰も不安がっちゃいねえよ。安心してっから、俺はお前に任せたんだ」

 笑った拍子、また老人は酷く咽かえった。吐きでもするのではないかと思うほど、酷く。
 コーガは身動ぎせずに、その様を見るだけだ。老いさばらえた死にぞこないに、嘗ての逞しい恰幅を、見るだけだ。
 喘鳴を続けながら、老人はコーガに笑いかける。「次はお前が生き字引になるのかねぇ」と呟く、ため息交じりの声。それは決して返事を求めているわけではないだろう。

「実際、そろそろ逝くんだろう?」
「そうだな、お前の顔も見たことだし」
「まさかこのままここで、じゃないよな。動けるのか?」
「バカいうな、それくらいの体力はある」
「場所はどこら辺だ」
「海の見えるところだ。良い場所を見つけたんだ。海は良いぞ。ゲルドの砂漠を思い出す」

 穏やかな瞳に映るのは、おそらく彼が過去に何度も目にした砂漠の光景だろう。
 荒涼とし、どこまでも続いていくような不変の砂地。照りつける太陽の光を跳ね返し、輝いても見える黄金の大地。
 飽きるほど見たその光景を海に重ね、心のどこかで求めてしまうのは、なぜだろう。

 コーガは、「どっこいせ」と膝に手をつきながら、立ち上がった。

「最後の務めだな。息災で」
「お前もな。死ぬなよ」

 返ってきた存外真剣な声に鼻を鳴らし、コーガは後ろ手を振りながら、あばら家の扉へ手をかけた。

 相変わらず建付けの悪い扉の隙間から身をよじり、外に出た瞬間、視界に飛び込んできたのは、右腕の部下だった。
 扉の真ん前で立ちんぼとなるのは、もしかしたら中の様子を窺っていたからかもしれない。
 暗闇の中、松明も持たずに月灯りに浮かび上がる仮面の姿は不気味だ。
 しかしそれ以上に、誰にでも牙を剥き、飛び掛からんと気を張る右腕に、安心感のような不思議な感覚も覚えてしまう。

 「コーガ様」と名を呼ぶ彼の肩を叩き、主君は「けえるぞ」とのしのし歩き始めた。

「もう良いのでござるか?」
「ああ、帰りは早いぞ。もうここへ来る事もなくなったからな」
「・・・・・・左様でござるか」
「爺さん、スッパのこと心配してたぞ。血気盛んすぎるってな。死ぬなよともな」

 左様でござるか、と改めて不服を滲ませた声に、コーガは喉奥で笑って見せる。

「あんまり敵意もってやんなよ、爺さんは、俺様の行く末みたいなもんなんだからな」
「それは・・・・・・どういう・・・・・・」
「俺様も長生きして、生き字引になりてえって話だ」

 まずは、王家に勝たんとなー。後頭部で腕を組んで呟いたのは、目下の悩みでもある。その言葉にどれほどの気概が含まれているのか、右腕ならば、分からないわけもなかった。

「自分が、守る故」

 背にかかる真剣な声に、コーガは老人の言葉を思い出す。
 どう収まるかは分からない。しかし、この男ならば、自らを犠牲にすることを厭わないだろう。一切の躊躇なく、身体を捧げるだろうことは、生き字引でなくとも想像するに容易い。

 「おう、頼りにしてるかんな」と返す声に陽気さを滲ませたのは、彼がコーガ様故だ。
 ふと、全てを見送り、これから一人で逝く男の眼孔を胸中に思い出した。
 いつかは自分も、彼に喋ってやりたいと思う。コーガ様としてではなく、その前の話なんかを、自分に付き従うこいつに。

 今日のような日が来ることを、彼は月夜に願うばかり。



4/9ページ
スキ