■「コーガ様・スッパ」が登場する話
ちょっくら、会いに行きてぇ奴がいる。
不意に呟いたコーガの一言に、スッパは「え」と少々面食らった。
イーガの総長たるコーガは、なにかと気まぐれな一面のある男だ。思いつきのように「今日は久しぶりに弓でも射るか」と言いながら鍛錬場に顔を出したり、「凍らせたバナナでも食いたいな」と言ってツァボ雪原へ行ったり忙しない。薄着のまま行って風邪を引くこともしばしばあり、前々から予定していた模擬演習がおじゃんになったのだって記憶に新しい。
それにしても今日の気まぐれときたら、「会いに行きたい奴がいる」だと。朝餉もそこそこに、今日の業務を全てすっぽかそうと言うのだから、コーガのスケジュール管理を丸投げされているスッパとしては如何ともしがたい。
気まぐれに付き合わされ、業務が滞り困るのは総長の右腕たる自分だ。あまりに唐突な申し出は、敬愛する主の言葉と言えど、断りたいのが本音であった。
「今日、でござるか?」
「ああ、今日だ。今からだ」
「今日は自分も、幹部を集めて鍛錬の予定が……」
「別に急がねえだろ。また明日にでもやったらいいんだ」
「そもそも、何某 に会うのでござる」
「イーガの生き字引って呼ばれてる爺さんだ。ボケてきたっつーから、様子でも見にいこうかと思って」
スッパは二の句を継げなくなった。生き字引なんて立場の人間がいるとは、筆頭幹部を務めるスッパをもってして初耳である。イーガにとって重要な人物に違いなく。このような目的を告げられれば、押し黙るより他にない。
反論を重ねる気を起こさせず、気まぐれに部下を付き合わせる手腕はさすが総長。黙りこくった右腕の肩を叩き、コーガは「行くぞ!」と腕を掲げた。
スッパといえば、近場の幹部に本日の業務を早口で捲し立て、意気揚々とステップを踏む主の背を追い、カルサー谷を後にした。
コーガは最初、確かに「ちょっくら」と言った。
その言葉の通りならば、ゲルド砂漠の近辺、もしくはデグドの谷を抜けた辺りだろうと多くの人間は予想をたてる。スッパも御多分に漏れてない。
しかし歩けども歩けども、一向に目的地に到着しない。いくらハイラルの地を縦横無尽に駆けるスッパと言えど、曲がりくねる道を散々歩かされれば今が何地方かすら分からなくなる。「どこへ向かわれているのでござるか」と問うても、彼からは「ちょっとな」と返ってくるのみだ。
スッパは三度聞いたところで、もうなにも聞くまいと、心を無にしてただ足を動かし続けることにした。
歩くにつれ、夜が更けこんできた。辺りが暗闇に沈んでから、漸く「着いたぞ」と到着宣言。コーガが指を差したのは、深い森の中に佇む、木造建築のあばら家だった。
朽ちた木壁には苔が生えていて、まるで周囲の木々に溶け込み、擬態でもしているようだ。忘れ去られた物置のようにも見え、到底、人が住んでいるようには思えない。
ここで待ち合わせているのだろうか。粗末な建物をじっと見つめるスッパを置いて、主君は伸びきった青草を意に介さず進んでいく。
「来たぜ爺さん。生きてるか」
建付けの悪い木扉を無理に開け、顔だけを中に入れたコーガに、呻くような濁声が返ってくる。そのまま開き切らない扉にたっぷりとした身体を捻じ込ませ、主君は部屋の中へ入っていった。
「失礼するでござる」と、主君に倣ってスッパも顔を入れる。途端、ツンと鼻をついたのは、籠ったカビのにおいと、果物の発酵臭。いつから掃除してないのかと思うほど、目につく家財道具の多くが、埃とカビで黒ずんでいる。外観からの想像通り、部屋の中も荒れ放題だ。
廃墟といって申し分ない状態に、やはり住居ではないだろうと思いかける……が、どうやらそれこそが思い違いであったらしい。
窓際のベッドに、一人の老人が寝転がっている。白茶けたシーツに沈んで首だけを回す振る舞いに貫禄がある。紛れもなくこの老人が家主だ。彼はここに住んでいる。
はっきりとした齢も分からないほど年老いた老人は、部屋へ入ったスッパを細い瞳で睨みつけてくる。
「……そいつは?」
「こいつはスッパ。優秀なやつでな、俺様の右腕として、筆頭幹部を任せてんだ」
「……ふーん。イーガも変わっちまったんだな。そんな大役、個人に任せるなんざ」
集団の先達とはいえ、初対面の人間に対してあまりに不躾な態度。しかし、自分に向けられる懐疑的な瞳よりも、主君への荒い言葉遣いが気になった。
スッパが面下で顔を顰めさせたのを、主君は敏く察したらしい。邪推な目つきで睨み続ける老人を「まぁまぁ」と宥めるコーガは、よくよく空気の読める男であった。
「スッパは特別なんだ。腕も立つし、今じゃスッパがいないと、イーガは回んねえ」
「……ま、もう俺には関係ないこった。好きにしな」
そういって、ふんと老人は鼻を鳴らしてみせる。
いくら生き字引とはいえ、どの立場で物を言っているというのか。ただ長生きをしているだけのくせをして、今敬うべきは、目の前にいるイーガ団総長コーガ様だというのに。
敬愛する主に対してあり得ない物言いに、スッパは耐えきれず背を折り、小声で「コーガ様」と名前を呼んだ。
「ボケてるつったろ。俺様が総長だって分かってねえんだ。多めにみてやれ」
物言いたげな響きを理解したのか、言葉ひとつ伝える前に先を越されてしまった。手壁の中で「な!」と後押しすれば、物分かりの良い右腕が、御意にと受け入れるしかないことを分かっているのだ。
しかし……。仮面越しに、スッパは老人を睨みつける。主君の言葉通りに、彼がボケているとは到底信じられなかった。
皺だらけでこけた頬の老人ではあるが、口調には凛とした芯が宿っている。窪んだ眼孔の奥、白茶けた瞳に宿るのは、まだ現役を思わせる戦場のギラつき。老齢らしく小さく縮んだ体躯も、きっとウン十年前は大きく逞しかったのだろうと、想像するに容易い貫録がある。絹のように透き通る白髪だって、老いさばらえて色素が抜けたわけではないだろう。彼はイーガの団員。引退したがために、シーカー族固有の髪色が顕現した故か。
未だ警戒心を胸に老人を睨みつけるスッパとの合間に入るよう、コーガはその場に置いてあった木箱を引き寄せて腰かけた。土産物として携えていたツルギバナナを、お供え物のように枕元へそっと置く。
「そろそろ逝っちまうだろうと思って様子を見に来たんだ。身体の調子はどうだ?」
「お前は本当に失礼なやつだな、まだ若い衆には負けんぞ」
「動けねえくせになに言ってんだ!」
「俺の助言がなけりゃ、お前だって困るくせに」
罵る二人の声には笑みすら漂う。荒い口調がやけに楽しげだ。それは昔馴染み。戦友。腐れ縁。全部が当てはまりそうで、しかしそれだけではなさそうだ。長年隣で主君を見続けていたスッパとて、二人の関係性に当てはまる言葉を見つけられなかった。もちろん、一団員と主君、という関係でないのは確かだろうが。
問いたい気持ちはあれど、二人の空気に入り込める余地も感じない。彼に着いていくと決めた日から今日に至るまで、常に主君を見続けていた彼が知る、初めての主君のように見えた。
一人の従者としてなにも言わず、後ろで控えているのが正解か。スッパは楽しげに肩を揺らす主の後ろで立ちんぼとなる。
「で、本懐はなんだ。お前さんがここに来たってことは、実際俺の助言が欲しいんだろう」
「違うっつーの、だから本当にあんたが逝っちまうだろうと思って……」
「御託は良い。王家とそろそろヤり合うんだろ?なあ?」
老人の白い瞳が得意げに細められる。誰にも悟られない心情とて見透かす目つきに、コーガは喉奥で笑った。
「あんたはやっぱり勘が良いな、それもある!」
ぱしんと膝を打って人差し指を突き立てると、「どれほど長い間、お前らを見てきたと思ってんだ」と満更でもないように老人も笑った。
しかし、その笑い声が空咳に変わり、そのまま咽て酷く咳き込む。そもそもが、濁声の呼吸音が混ざる声だった。「大丈夫かよ」とコーガが心配する声を余所に、胸へ手を当てた死にぞこないが深呼吸を終える。
口元の唾液を拭ってから、面を覗く。鋭い瞳に底光りするのは、戦場の灯りそのもののように見えて。
「死ぬことは考えといた方が良いだろうな」
び、と湿気た部屋に漂う死のにおい。「爺さんはいつも大袈裟なんだ」と一笑に付すが、ベッドに沈んだ老人は不服そうに眉間に皺を寄せるだけだ。
「お前は昔からツメが甘いんだ。総長務められてんのが不思議なくらい」
「へいへい。悪うござんした、ツメが甘くて」
「誰かお前のために死ぬこたぁ考えとけよ、常に」
「分かってるっての!あんたに言われんでも!」
「お前が阿呆だと、イーガは全滅すんだ」
「先ほどから聞いていれば、老人。お主はコーガ様に対し、あまりに無礼でござらんか」
老翁の言葉が、沈黙を貫く巨漢の足を進ませた。
そも、仕えるべきはイーガではなくコーガである彼に、男が先達かどうかなど関係ない。自らが敬愛する主君をなじる男に、殺意を向ける。それは彼にとって当然の反射であったのだ。
スッパは、酷く皺枯れた老人に近寄り、彼を見下ろした。
「あ? だからどうした」
「いくら元老とはいえ、コーガ様への侮辱は看過できぬ。訂正めされよ」
低い声で唸る。しかし返ってくるのは、影の中で閃く射殺す様な目つきだ。狼狽する主君の「おい、スッパ」という声が、暈 聞こえる。胸中では害意が渦巻いて、鼓膜に栓でもされたように世界の音が霞む。
胸倉でも掴もうかというスッパの殺気。しかし老人は、常人ならば声も出ぬほどの威圧を意に介さず、巨体越しのコーガへ視線をくべた。
「こいつはなんなんだ。飼いならせてねえぞ」
「スッパ、下がれ。いいんだ。爺さんはボケてるんだから」
「しかしコーガ様、この者の発言は到底痴呆で済まされるような言葉では……」
「だーっもう! スッパ!ちょっと外に出といてもらえるか!? これじゃ話が進まねえ!」
ビリビリとした威圧に挟まれ、コーガはビシッと扉を指をさす。スッパは伸ばされた指先と、扉、それから主君に視線を移し、仮面の瞳をじっと見つめた。もう一度コーガが指をくんっ、と動かしたのを合図に、御意に、と渋々頭を下げる。
胸に燻る多少の後悔と、老人への疑念心。しかしこの場においては自らの方が邪魔であり、弁え知らずの愚か者なのか。無意識に刀の柄へ添えていた手を下ろし、踵を返した。
建付けの悪い木戸を開け、扉を潜ろうかという直前。視線だけを中ほどへ遣り、さっさと行けと言わんばかりの老人をねめつけた。
「次にまたコーガ様を侮辱するような言があれば、元老とて容赦しない」
湿気た狭い部屋に、巨漢の低い声はよく馴染む。殺意を露ほども隠さぬ捨て台詞を置き、スッパは身を捩りながら扉の外へと抜けていった。
残されたのは、「だはー」と息を吐いて天井を仰ぐコーガと、楽しげにくつくつ笑って見せる老人のみ。
「あいつぁ、真っ先に死ぬだろう。血の気が盛んすぎだ」
痰絡んだ笑い声を出しながら、老人は細めた瞳をコーガへ返す。「あんたもな!!」と勢いよく指を突き付けるコーガの叫び声など、どこ吹く風で。
「それが俺なんだ。お前は日和見すぎだ」
「試す真似するなよ! 俺様の右腕だぞ」
「お前のな。コーガ様でなく」
にや、と口端だけで笑う。コーガが惜しげもなく狼狽し、芝居がかった身動ぎに、愉快な気持ちが抑えきれなかったから。
老人はくつくつと笑いながらも尚続ける。
「見てりゃ分かった。あの男、イーガじゃなく、お前に命を懸けてるな? 団員の信仰も御せないお前に、王家がやれるのかね」
責める音を宿す声に、コーガはなにも言わず頭を掻く。ぐうの音も出ない。仮面越しに、ただ老人を見返した。
老人は嘲るように歪めた口元を湛えていたが、暫くしてつと瞳を細める。その先は、湿気た木造建築の壁があるだけだ。
いや、もっとその奥。向こう側を見ている。遠い目で、唇を結び、息を吐く。
「いや……羨ましいよ、お前が。自分についてくる人間がいるなんてなぁ。俺の時には居なかった」
ぽつと呟かれた声には、微かに過去を懐かしむ色。「みんな逝っちまったなぁ」と独り言つ声に、コーガは老人の、白く濁った瞳を覗き込んだ。
自らも覚えのある、彼の過去が見える。雄々しく、たくましく、憧れを抱いていた、華々しい立ち姿。彼はいつから、こんなにも小さく、しわがれてしまったのか。
ふ、と彼の表情に生気が戻り、視線が動く。改めて口端を歪める老人が、また得意げな表情に戻った。それは、いつかカルサー谷の大穴の前。寝転びながら浮かべていた表情と同じようだった。
「しかし、王家とついにぶつかるんだな。お前の代で」
「ま、安心しろよ。俺様がしっかり、役目を継いでんだから」
「誰も不安がっちゃいねえよ。安心してっから、俺はお前に任せたんだ」
笑った拍子、また老人は酷く咽かえった。吐きでもするのではないかと思うほど、酷く。コーガは身動ぎせずに、落ち着くまで待った。老いさばらえた死にぞこないに、嘗ての逞しい恰幅を見ながら。
喘鳴 のまま、「次はお前が生き字引になるのかねぇ」とため息交じりに呟く。それは決して返事を求めているわけではないだろう。
「実際、そろそろ逝くんだろう?」
「そうだな、お前の顔も見たことだし」
「まさかこのままここで、じゃないよな。動けるのか?」
「バカいうな、それくらいの体力はある」
「場所はどこら辺だ」
「海の見えるところだ。良い場所を見つけたんだ。海は良いぞ。ゲルドの砂漠を思い出す」
荒涼とし、どこまでも続いていくような不変の砂地。照りつける太陽の光を跳ね返し、輝いても見える黄金の大地。飽きるほど見たその光景を海に重ね、心のどこかで求めてしまうのは、なぜだろう。
コーガは、「どっこいせ」と膝に手をつきながら、立ち上がった。
「最後の務めだな。息災で」
「お前もな。死ぬなよ」
返ってきた存外真剣な声に鼻を鳴らし、コーガは後ろ手に振った。いつまでも湿っぽいのは似合わない。
相変わらず建付けの悪い扉の隙間から身をよじって外へ出た瞬間、まず視界に飛び込んできたのは、部下の胸板だった。
扉の真ん前で佇む自らの右腕。もしかしたら今まで、中の様子を窺っていたからかもしれない。
暗闇の中、月灯りに浮かび上がる仮面の姿は不気味だろう。先達にすら牙を剥き、飛び掛からんとするこの男。目をかけたいと思うのは当然じゃないか。
「コーガ様」と心配そうに名を呼ぶ部下の肩を叩き、コーガは「けえるぞ」とのしのし歩き始めた。
「もう良いのでござるか?」
「ああ、帰りは早いぞ。もうここへ来ることもなくなったからな」
「……左様でござるか」
「爺さん、スッパのこと心配してた。血気盛んすぎるってな。死ぬなよともな」
左様でござるか、と改めて不服を滲ませた声に、コーガは喉奥で笑ってみせる。
「あんまり敵意もってやんなよ、爺さんは、俺様の行く末みたいなもんなんだからな」
「それは……どういう……」
「俺様も長生きして、生き字引になりてえって話だ」
まずは、王家に勝たんとなあ。後頭部で腕を組んで呟いたのは、目下の悩みでもある。その言葉にどれほどの気概が含まれているのか、右腕ならば、分からないわけもない。
「自分が、守る故」
背にかかる真剣な声に、コーガは老人の言葉を思い出す。
この男ならば、自らを犠牲にすることを厭わないのだろう。それに一切の躊躇を持たないだろうことは、生き字引の爺さんでなくとも想像するに容易い。
しかしコーガは、「おう、頼りにしてるかんな」と返す声に陽気さを滲ませる。それは自分が、コーガ様だからだ。
ふと、いつかは自分も、彼に喋ってやれるのだろうか、と思った。コーガ様としてではなく、その前の話なんかを、自分に付き従うこいつに。
全てを見送り、これから一人で逝く老翁。
その寂しげな眼孔が、柔らかな月光に重なって見えた。
不意に呟いたコーガの一言に、スッパは「え」と少々面食らった。
イーガの総長たるコーガは、なにかと気まぐれな一面のある男だ。思いつきのように「今日は久しぶりに弓でも射るか」と言いながら鍛錬場に顔を出したり、「凍らせたバナナでも食いたいな」と言ってツァボ雪原へ行ったり忙しない。薄着のまま行って風邪を引くこともしばしばあり、前々から予定していた模擬演習がおじゃんになったのだって記憶に新しい。
それにしても今日の気まぐれときたら、「会いに行きたい奴がいる」だと。朝餉もそこそこに、今日の業務を全てすっぽかそうと言うのだから、コーガのスケジュール管理を丸投げされているスッパとしては如何ともしがたい。
気まぐれに付き合わされ、業務が滞り困るのは総長の右腕たる自分だ。あまりに唐突な申し出は、敬愛する主の言葉と言えど、断りたいのが本音であった。
「今日、でござるか?」
「ああ、今日だ。今からだ」
「今日は自分も、幹部を集めて鍛錬の予定が……」
「別に急がねえだろ。また明日にでもやったらいいんだ」
「そもそも、
「イーガの生き字引って呼ばれてる爺さんだ。ボケてきたっつーから、様子でも見にいこうかと思って」
スッパは二の句を継げなくなった。生き字引なんて立場の人間がいるとは、筆頭幹部を務めるスッパをもってして初耳である。イーガにとって重要な人物に違いなく。このような目的を告げられれば、押し黙るより他にない。
反論を重ねる気を起こさせず、気まぐれに部下を付き合わせる手腕はさすが総長。黙りこくった右腕の肩を叩き、コーガは「行くぞ!」と腕を掲げた。
スッパといえば、近場の幹部に本日の業務を早口で捲し立て、意気揚々とステップを踏む主の背を追い、カルサー谷を後にした。
コーガは最初、確かに「ちょっくら」と言った。
その言葉の通りならば、ゲルド砂漠の近辺、もしくはデグドの谷を抜けた辺りだろうと多くの人間は予想をたてる。スッパも御多分に漏れてない。
しかし歩けども歩けども、一向に目的地に到着しない。いくらハイラルの地を縦横無尽に駆けるスッパと言えど、曲がりくねる道を散々歩かされれば今が何地方かすら分からなくなる。「どこへ向かわれているのでござるか」と問うても、彼からは「ちょっとな」と返ってくるのみだ。
スッパは三度聞いたところで、もうなにも聞くまいと、心を無にしてただ足を動かし続けることにした。
歩くにつれ、夜が更けこんできた。辺りが暗闇に沈んでから、漸く「着いたぞ」と到着宣言。コーガが指を差したのは、深い森の中に佇む、木造建築のあばら家だった。
朽ちた木壁には苔が生えていて、まるで周囲の木々に溶け込み、擬態でもしているようだ。忘れ去られた物置のようにも見え、到底、人が住んでいるようには思えない。
ここで待ち合わせているのだろうか。粗末な建物をじっと見つめるスッパを置いて、主君は伸びきった青草を意に介さず進んでいく。
「来たぜ爺さん。生きてるか」
建付けの悪い木扉を無理に開け、顔だけを中に入れたコーガに、呻くような濁声が返ってくる。そのまま開き切らない扉にたっぷりとした身体を捻じ込ませ、主君は部屋の中へ入っていった。
「失礼するでござる」と、主君に倣ってスッパも顔を入れる。途端、ツンと鼻をついたのは、籠ったカビのにおいと、果物の発酵臭。いつから掃除してないのかと思うほど、目につく家財道具の多くが、埃とカビで黒ずんでいる。外観からの想像通り、部屋の中も荒れ放題だ。
廃墟といって申し分ない状態に、やはり住居ではないだろうと思いかける……が、どうやらそれこそが思い違いであったらしい。
窓際のベッドに、一人の老人が寝転がっている。白茶けたシーツに沈んで首だけを回す振る舞いに貫禄がある。紛れもなくこの老人が家主だ。彼はここに住んでいる。
はっきりとした齢も分からないほど年老いた老人は、部屋へ入ったスッパを細い瞳で睨みつけてくる。
「……そいつは?」
「こいつはスッパ。優秀なやつでな、俺様の右腕として、筆頭幹部を任せてんだ」
「……ふーん。イーガも変わっちまったんだな。そんな大役、個人に任せるなんざ」
集団の先達とはいえ、初対面の人間に対してあまりに不躾な態度。しかし、自分に向けられる懐疑的な瞳よりも、主君への荒い言葉遣いが気になった。
スッパが面下で顔を顰めさせたのを、主君は敏く察したらしい。邪推な目つきで睨み続ける老人を「まぁまぁ」と宥めるコーガは、よくよく空気の読める男であった。
「スッパは特別なんだ。腕も立つし、今じゃスッパがいないと、イーガは回んねえ」
「……ま、もう俺には関係ないこった。好きにしな」
そういって、ふんと老人は鼻を鳴らしてみせる。
いくら生き字引とはいえ、どの立場で物を言っているというのか。ただ長生きをしているだけのくせをして、今敬うべきは、目の前にいるイーガ団総長コーガ様だというのに。
敬愛する主に対してあり得ない物言いに、スッパは耐えきれず背を折り、小声で「コーガ様」と名前を呼んだ。
「ボケてるつったろ。俺様が総長だって分かってねえんだ。多めにみてやれ」
物言いたげな響きを理解したのか、言葉ひとつ伝える前に先を越されてしまった。手壁の中で「な!」と後押しすれば、物分かりの良い右腕が、御意にと受け入れるしかないことを分かっているのだ。
しかし……。仮面越しに、スッパは老人を睨みつける。主君の言葉通りに、彼がボケているとは到底信じられなかった。
皺だらけでこけた頬の老人ではあるが、口調には凛とした芯が宿っている。窪んだ眼孔の奥、白茶けた瞳に宿るのは、まだ現役を思わせる戦場のギラつき。老齢らしく小さく縮んだ体躯も、きっとウン十年前は大きく逞しかったのだろうと、想像するに容易い貫録がある。絹のように透き通る白髪だって、老いさばらえて色素が抜けたわけではないだろう。彼はイーガの団員。引退したがために、シーカー族固有の髪色が顕現した故か。
未だ警戒心を胸に老人を睨みつけるスッパとの合間に入るよう、コーガはその場に置いてあった木箱を引き寄せて腰かけた。土産物として携えていたツルギバナナを、お供え物のように枕元へそっと置く。
「そろそろ逝っちまうだろうと思って様子を見に来たんだ。身体の調子はどうだ?」
「お前は本当に失礼なやつだな、まだ若い衆には負けんぞ」
「動けねえくせになに言ってんだ!」
「俺の助言がなけりゃ、お前だって困るくせに」
罵る二人の声には笑みすら漂う。荒い口調がやけに楽しげだ。それは昔馴染み。戦友。腐れ縁。全部が当てはまりそうで、しかしそれだけではなさそうだ。長年隣で主君を見続けていたスッパとて、二人の関係性に当てはまる言葉を見つけられなかった。もちろん、一団員と主君、という関係でないのは確かだろうが。
問いたい気持ちはあれど、二人の空気に入り込める余地も感じない。彼に着いていくと決めた日から今日に至るまで、常に主君を見続けていた彼が知る、初めての主君のように見えた。
一人の従者としてなにも言わず、後ろで控えているのが正解か。スッパは楽しげに肩を揺らす主の後ろで立ちんぼとなる。
「で、本懐はなんだ。お前さんがここに来たってことは、実際俺の助言が欲しいんだろう」
「違うっつーの、だから本当にあんたが逝っちまうだろうと思って……」
「御託は良い。王家とそろそろヤり合うんだろ?なあ?」
老人の白い瞳が得意げに細められる。誰にも悟られない心情とて見透かす目つきに、コーガは喉奥で笑った。
「あんたはやっぱり勘が良いな、それもある!」
ぱしんと膝を打って人差し指を突き立てると、「どれほど長い間、お前らを見てきたと思ってんだ」と満更でもないように老人も笑った。
しかし、その笑い声が空咳に変わり、そのまま咽て酷く咳き込む。そもそもが、濁声の呼吸音が混ざる声だった。「大丈夫かよ」とコーガが心配する声を余所に、胸へ手を当てた死にぞこないが深呼吸を終える。
口元の唾液を拭ってから、面を覗く。鋭い瞳に底光りするのは、戦場の灯りそのもののように見えて。
「死ぬことは考えといた方が良いだろうな」
び、と湿気た部屋に漂う死のにおい。「爺さんはいつも大袈裟なんだ」と一笑に付すが、ベッドに沈んだ老人は不服そうに眉間に皺を寄せるだけだ。
「お前は昔からツメが甘いんだ。総長務められてんのが不思議なくらい」
「へいへい。悪うござんした、ツメが甘くて」
「誰かお前のために死ぬこたぁ考えとけよ、常に」
「分かってるっての!あんたに言われんでも!」
「お前が阿呆だと、イーガは全滅すんだ」
「先ほどから聞いていれば、老人。お主はコーガ様に対し、あまりに無礼でござらんか」
老翁の言葉が、沈黙を貫く巨漢の足を進ませた。
そも、仕えるべきはイーガではなくコーガである彼に、男が先達かどうかなど関係ない。自らが敬愛する主君をなじる男に、殺意を向ける。それは彼にとって当然の反射であったのだ。
スッパは、酷く皺枯れた老人に近寄り、彼を見下ろした。
「あ? だからどうした」
「いくら元老とはいえ、コーガ様への侮辱は看過できぬ。訂正めされよ」
低い声で唸る。しかし返ってくるのは、影の中で閃く射殺す様な目つきだ。狼狽する主君の「おい、スッパ」という声が、
胸倉でも掴もうかというスッパの殺気。しかし老人は、常人ならば声も出ぬほどの威圧を意に介さず、巨体越しのコーガへ視線をくべた。
「こいつはなんなんだ。飼いならせてねえぞ」
「スッパ、下がれ。いいんだ。爺さんはボケてるんだから」
「しかしコーガ様、この者の発言は到底痴呆で済まされるような言葉では……」
「だーっもう! スッパ!ちょっと外に出といてもらえるか!? これじゃ話が進まねえ!」
ビリビリとした威圧に挟まれ、コーガはビシッと扉を指をさす。スッパは伸ばされた指先と、扉、それから主君に視線を移し、仮面の瞳をじっと見つめた。もう一度コーガが指をくんっ、と動かしたのを合図に、御意に、と渋々頭を下げる。
胸に燻る多少の後悔と、老人への疑念心。しかしこの場においては自らの方が邪魔であり、弁え知らずの愚か者なのか。無意識に刀の柄へ添えていた手を下ろし、踵を返した。
建付けの悪い木戸を開け、扉を潜ろうかという直前。視線だけを中ほどへ遣り、さっさと行けと言わんばかりの老人をねめつけた。
「次にまたコーガ様を侮辱するような言があれば、元老とて容赦しない」
湿気た狭い部屋に、巨漢の低い声はよく馴染む。殺意を露ほども隠さぬ捨て台詞を置き、スッパは身を捩りながら扉の外へと抜けていった。
残されたのは、「だはー」と息を吐いて天井を仰ぐコーガと、楽しげにくつくつ笑って見せる老人のみ。
「あいつぁ、真っ先に死ぬだろう。血の気が盛んすぎだ」
痰絡んだ笑い声を出しながら、老人は細めた瞳をコーガへ返す。「あんたもな!!」と勢いよく指を突き付けるコーガの叫び声など、どこ吹く風で。
「それが俺なんだ。お前は日和見すぎだ」
「試す真似するなよ! 俺様の右腕だぞ」
「お前のな。コーガ様でなく」
にや、と口端だけで笑う。コーガが惜しげもなく狼狽し、芝居がかった身動ぎに、愉快な気持ちが抑えきれなかったから。
老人はくつくつと笑いながらも尚続ける。
「見てりゃ分かった。あの男、イーガじゃなく、お前に命を懸けてるな? 団員の信仰も御せないお前に、王家がやれるのかね」
責める音を宿す声に、コーガはなにも言わず頭を掻く。ぐうの音も出ない。仮面越しに、ただ老人を見返した。
老人は嘲るように歪めた口元を湛えていたが、暫くしてつと瞳を細める。その先は、湿気た木造建築の壁があるだけだ。
いや、もっとその奥。向こう側を見ている。遠い目で、唇を結び、息を吐く。
「いや……羨ましいよ、お前が。自分についてくる人間がいるなんてなぁ。俺の時には居なかった」
ぽつと呟かれた声には、微かに過去を懐かしむ色。「みんな逝っちまったなぁ」と独り言つ声に、コーガは老人の、白く濁った瞳を覗き込んだ。
自らも覚えのある、彼の過去が見える。雄々しく、たくましく、憧れを抱いていた、華々しい立ち姿。彼はいつから、こんなにも小さく、しわがれてしまったのか。
ふ、と彼の表情に生気が戻り、視線が動く。改めて口端を歪める老人が、また得意げな表情に戻った。それは、いつかカルサー谷の大穴の前。寝転びながら浮かべていた表情と同じようだった。
「しかし、王家とついにぶつかるんだな。お前の代で」
「ま、安心しろよ。俺様がしっかり、役目を継いでんだから」
「誰も不安がっちゃいねえよ。安心してっから、俺はお前に任せたんだ」
笑った拍子、また老人は酷く咽かえった。吐きでもするのではないかと思うほど、酷く。コーガは身動ぎせずに、落ち着くまで待った。老いさばらえた死にぞこないに、嘗ての逞しい恰幅を見ながら。
「実際、そろそろ逝くんだろう?」
「そうだな、お前の顔も見たことだし」
「まさかこのままここで、じゃないよな。動けるのか?」
「バカいうな、それくらいの体力はある」
「場所はどこら辺だ」
「海の見えるところだ。良い場所を見つけたんだ。海は良いぞ。ゲルドの砂漠を思い出す」
荒涼とし、どこまでも続いていくような不変の砂地。照りつける太陽の光を跳ね返し、輝いても見える黄金の大地。飽きるほど見たその光景を海に重ね、心のどこかで求めてしまうのは、なぜだろう。
コーガは、「どっこいせ」と膝に手をつきながら、立ち上がった。
「最後の務めだな。息災で」
「お前もな。死ぬなよ」
返ってきた存外真剣な声に鼻を鳴らし、コーガは後ろ手に振った。いつまでも湿っぽいのは似合わない。
相変わらず建付けの悪い扉の隙間から身をよじって外へ出た瞬間、まず視界に飛び込んできたのは、部下の胸板だった。
扉の真ん前で佇む自らの右腕。もしかしたら今まで、中の様子を窺っていたからかもしれない。
暗闇の中、月灯りに浮かび上がる仮面の姿は不気味だろう。先達にすら牙を剥き、飛び掛からんとするこの男。目をかけたいと思うのは当然じゃないか。
「コーガ様」と心配そうに名を呼ぶ部下の肩を叩き、コーガは「けえるぞ」とのしのし歩き始めた。
「もう良いのでござるか?」
「ああ、帰りは早いぞ。もうここへ来ることもなくなったからな」
「……左様でござるか」
「爺さん、スッパのこと心配してた。血気盛んすぎるってな。死ぬなよともな」
左様でござるか、と改めて不服を滲ませた声に、コーガは喉奥で笑ってみせる。
「あんまり敵意もってやんなよ、爺さんは、俺様の行く末みたいなもんなんだからな」
「それは……どういう……」
「俺様も長生きして、生き字引になりてえって話だ」
まずは、王家に勝たんとなあ。後頭部で腕を組んで呟いたのは、目下の悩みでもある。その言葉にどれほどの気概が含まれているのか、右腕ならば、分からないわけもない。
「自分が、守る故」
背にかかる真剣な声に、コーガは老人の言葉を思い出す。
この男ならば、自らを犠牲にすることを厭わないのだろう。それに一切の躊躇を持たないだろうことは、生き字引の爺さんでなくとも想像するに容易い。
しかしコーガは、「おう、頼りにしてるかんな」と返す声に陽気さを滲ませる。それは自分が、コーガ様だからだ。
ふと、いつかは自分も、彼に喋ってやれるのだろうか、と思った。コーガ様としてではなく、その前の話なんかを、自分に付き従うこいつに。
全てを見送り、これから一人で逝く老翁。
その寂しげな眼孔が、柔らかな月光に重なって見えた。