【ss/not夢】イーガ団員の日常話
イーガ団は皆、素顔を見られないために同じ仮面をつけているのは、ご存知の通りだろう。
しかし、仲間内で素顔を晒すのが禁忌かといえば、決してそうではない。
純粋に生活の邪魔でもあるし、食事時、風呂、就寝時など、着けたままという方がどうかしてる。
いくらそれなりの工夫がしてある逸品といえど、さすがに息苦しいし、視界も狭い。
ただ、だからといって脱ぎ散らかしてしまえば、それはそれで問題があった。コーガ様とスッパ様以外が身に着ける仮面は、幹部だろうが構成員だろうが皆形が一緒で、つまるところ、外せばどれが誰のものか判別がつかなくなる。
形が同じであるなら、どれを着けても一緒だと思うだろうか?
否。さすがに良い大人が他人様の吐息がかかった面を共有するなんて耐えられん。俺は存外、潔癖っぽいところがあった。他の者だって、同じようなもんだろう。
であるからして、面裏には一様に、誰が誰のものかを判別するために、何かしらの印を刻むのが常だった。
例えば俺は、イーガにやってきた日付を刻んである。これは団員の中では結構、定番だ。同じ日付に入団を果たした者も多いが、さすがに筆跡で誰のものかは判別できる。
次に多いのは、嘗て名乗っていた自分の名だろうか。
スッパ様の面裏にも、入団時に刻まれた拙い文字が刻まれているという。俺はそれを聞いて、あの鉄の如き冷たい御人がなんと微笑ましいか、と胸を暖かくしたものだ。
しかし、名前を捨ててイーガに入団した者も多いので、意外とこちらは少数派である。
名を刻む者は、個を失いたくない者たちなのだろう。
ともすれば主のために命すら厭わない者の多いこの集団で、主はそれを望んでいない。それを理解した上で嘗ての自分を失いたくないと、誰にも見られないはずの面裏に、心のどこかで感じる焦りを刻んでいるのではなかろうか。
他にも、個を失いたくないと足掻く者たちの刻印は、名以外にも見て取れた。
例えば、嘗て住んでいた村。親の名前。思い出の場所。胸に残る格言・・・。
自分を形作り、自分を象徴する言葉を刻むのは、過去を捨てた俺にも理解できる所業である。
そう、面裏とは、イーガの誰もが持つ個を表現するに相応しい聖域だった。
名前が二つ並んでいれば、血に濡れながらも生涯を共にすると約束した者たちの刻印に。
抉り痕があれば、記憶にも残したくない後悔を、消えない痕に変えた愚か者の証明になる。
いやそもそも、なぜ俺がここまで他人の面裏に詳しいのかと疑問に思うだろう。
これはあまり大声では言えない趣向だが、俺は人の面裏を覗き見るのが好きだった。
他人の人生に踏み込むような背徳感。酒の席で話題に出せば、酔った勢いで俺はこうだと自ら晒す奴もいる。懐に一歩入ったようで、急に親近感が湧くのも面白い。
聖域と言いながら、個を理解してほしいと望む者の多さに、俺は興味と好奇心を抑えられない性質なのだ。
ただもちろん、その聖域に触れられたくない者もいる。
当然だ。自分の人生、存在の証左ともいえる面裏を、目的を同じくしているというだけでは明かす理由にならない。
しかし俺は、明かしたがらない奴の面裏を暴こうと思ってしまったことがある。
これは懺悔のひとつだ。どうか聞いてくれないだろうか。そして、俺が暴いてしまった事実の業を、あなたも一緒に背負って欲しい。
言い訳にもならないが、俺のその振る舞いは、ほんの些細な好奇心でしかなかったのだ。
そいつは、同僚の中でも異質なやつだった。
酒に飲まれるほどは酒を飲まず、打ち解けたようで心を開かず、それでいて任務を必ず遂行する、幹部に一番近い男。
そいつは素顔を晒せど、いつも面を張り付けたような笑みを口元に浮かべていた。
「お前ら、面裏に何か刻んでるか?俺は入団した日付だが」
例の如く、俺は酒の席で仲間が酔った頃合いを見計らい、面裏の話を持ち出した。
まずは自分の話を晒すのが、相手の懐に潜り込む最善の策だ。小さな親近感は、秘密を明かされた側にも「自分も同じ話をせねば」と、責任感を生む。
つつがなく目論見通りに、一様に自己開示を始めるのにも、一種の高揚を覚えてしまうものだ。
「俺は母ちゃんの名前だな、赤子の時に死んじまったから、忘れたくねえと思って」
「自分の名前だ。まぁ、分かりやすいだろ?」
「恥ずかしい話、恋人の名前をな。彼女も、俺の名を刻んでくれている」
「お前は?何か刻んでるか?」
酒を片手に促すと、そいつはいつもきまって、同じセリフを繰り返す。
「別に。何も刻んでいませんよ」
酒を煽ってから口元に笑みを浮かべるのは、決して親しみを滲ませていたわけではない。
むしろ、同僚たる俺たちを遠ざけるような物言いで、微かな苛立ちを覚えたのは確かだった。
人の聖域を暴くのに、決して固執していたわけではない。ただ、なぜかそいつがすらりと俺の言葉を躱し、幾度問うても真実を告げないその口元に、躍起になってしまったのだ。
いつもは上手くいく人心掌握の術が、彼奴に効かないことにも、不満があったのかもしれない。
酒を飲み、全員が全員、寝静まった頃。
俺はその日なぜか寝つきが悪く、隣で寝息を立てるあいつのことが目に入った。
布団に埋まり、布から出るのは黒い髪の毛だけである。
枕の上にはあいつの面。イーガの瞳が天井を見つめ、ただ不用心にも、その場に伏せてあるだけだった。
俺のその振る舞いは、ほんの些細な好奇心でしかなかったのだ。
決して個を見せないあいつ。目的を同じにして、同僚の俺たちにも心を見せないあいつ。
俺は他人の面裏を知るのが趣味だった。聖域に踏み込むのが好きだった。
魔が差した、としか、いいようがない。
俺はあいつが寝息をたてているのを視認して、布団からずりずりと這い出た後、面を手に取って静かに裏返した。
日付は刻まれていない。名前も刻まれていない。言葉ではない。何が書いてあるか分からない。
そこに書いてあるのは、数だった。
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正正
面裏を埋め尽くさんとするその文字に、俺はただただ、息をするのを忘れた。
「見ましたね」
途端、面を掴む俺の手が、驚くほど強い力で握られた。
暗闇に光るその瞳。決して初めて見る相好では無いはずなのに、俺は心臓を掴まれるような底の知れなさと、冷たさを覚える。
まるで仲間に向ける視線ではない。途端、正の数が頭によぎる。
こいつは、この目で、正の文字を刻むのか。
面裏の暗闇に、俺が足を踏み入れた報いなのか。
固まる俺を尻目に、手の平からするりと面を奪い去り、あいつは静かに仮面を身に着けた。
そのまま何事もないように、また布団に埋まっていく。素顔を面で隠したままで。
いや、面裏を、その素顔に隠したままで。
瞳に宿る光が面裏に隠されたと同時に、俺の心臓がばくばくと鼓動を始めた。胸の周りに緊張が走る。身体がいまいち動かない。
「お前のその、裏」
聞かねばならないだろう。足を踏み入れたのは俺だった。ここまできてやめるほど、俺はイーガで剣呑に触れていない。
途切れた言葉に応じ、あいつは布団に入ったまま、面だけを俺に向けてきた。
あいつが言葉を発するまでの刹那、息を呑む刹那、冷ややかな手指に、じわりと汗が滲む刹那。
「人生の一端ですよ」
笑みすら感じるその声に、俺は言葉を返せなかった。
正の数を人生の一端と言い切るあいつは、きっとこの集団においては優秀だったのだろう。
暫くして幹部に昇格し、アジトで見かけることは、とんとなくなった。
きっと正の数は今も増え続けている。他人の面裏を気にする俺には分かるのだ。
それは確信にも似た、憶測に過ぎないの、だが。
登場人物
「俺」
人の面裏を無理やり覗き見たのは、後にも先にもこの一度きり。
「幹部になった団員」
暗殺業務担当。まだまだ数字が足りない。