【ss/not夢】イーガ団員の日常話






 買い物に行く当日の朝は、朝凪の澄み渡る空気が心地良い快晴だった。
 崖あいを抜けて燦燦と降り注ぐ太陽光線が、ひっそりと佇んでいるはずの道祖神を照明のように明かしている。吸い寄せられるように近づくと、顔部分を覆う白布が砂だらけだった。
 これもなにかの縁。気まぐれにはたはたと払ってやって、清々しく、足を踏み出していく。

 待ち合わせは、アジトの坂を下った谷の入り口だった。遠目にぽつんとした人影が見えて、既に彼が到着しているようだ。下り坂に引っ張られながら駆け足で近寄っていく。
「お待たせ」私の声に合わせて振り返る彼。冒険者の服装で、イーガの仮面は無論つけていない。本人の面影は残るものの変装をした顔だ。
 私の姿を捉えた瞬間、笑みを作りかけた彼の瞳が、はたりとした。
 吊るされた道切のぶつかる音が、頭上で鼓のように谷間に響く。からんからん。

「か、幹部さん……?」
「すまない。待たせた。準備に手間取って」
「準備って、その」

 言葉を続ける代わりに、彼はそろそろと私の方を指さしてきた。その控えめな指がなにを言いたいのか分からないほど、私は察しの悪い女じゃない。
 首飾りから繋がる紫色の胸当てに、ふんわりと膨らみのある生成りのシャルワール。風をよく通すコットン生地はブロックプリントが施され、渋い色の金糸が贅沢に縁を渡っている。肩口から腕の先、更に腰回りまで大きく露にした煌びやかな洋服は、砂漠に住まうゲルド族の民族衣装────通称「淑女の服」と呼ばれるものだった。
 もちろん自前ではない。男子禁制であるゲルドの街へ潜入するための、変装道具を借りただけだ。ただ、イーガの戦闘部隊に属する私がこれを着る機会なぞ今まで一度たりともなく、ましてやデートのタイミングで袖を通すことになるとは思わなかった。いわば仕事着。『今着なきゃいつ着るってんですか!』と送り出してくれたあの二人には悪いが、やはり背徳感が付き纏う。
 それに、問題なのはそれだけじゃなかった。露出が多すぎてやけにスウスウするし、まるで宙ぶらりんにされて、地面に足がついていないみたいに妙に心細い。

「その、向かうのはカラカラバザールだろう? ちょうどいいと思って。……どうだろうか」

 彼からなにか一言欲しい。そうすればきっと、この居た堪れなさはすぐにでも掻き消えるだろう。催促になってしまったが、せめてなにかを掴んでいたくて、むやみやたらと腹や腕を摩った。

「い……」彼が一度咳を挟んだ。
「良いと思います! 砂漠は暑いですし、ゲルドのそれなら涼しくいられますね! さすがです、幹部さん!」

 彼は続け様、間髪入れずに「行きましょう!」と腕を上げた。そして遠慮なく踵を返し、キビキビと砂地を進みだす。
 その変わり身の早さに目を白黒させた私は、一瞬間をおいてから「ま、待ってくれ」と歩きだした。服について、彼がなにかを付け足すことはもう無かった。
 可愛いとか、似合ってるとか、もしくは似合ってないのか、もう少しなにかありはしないのか。 ざり、ざり、と砂をにじる音だけが続く。少し間を開けて先を行く彼の背中が、どこか遠く見えて仕方ない。





 カラカラバザール。過酷な灼熱砂漠に突如として現れるオアシスは、いつだって旅人の癒やしの場となる。ゲルドの中間地として開かれたここは、今日も多種多様な種族で賑わっていた。
 地べたにゲルド織の敷物を広げ、砂漠の名物を並べるゲルドの女たち。ヒンヤリメロンやビリビリフルーツ、肉などの食材だけでなく手工品までもが陳列されている。
 市場の端から奥までを確認していると、彼がおもむろに店の一角を指さした。

「あっ、矢があります! ちょっといいですか?」

 言うや否や露店に向かう彼の背を追いかける。ここに来る道中、彼がゲルドの武器を探していることは聞いていた。
 敷物に矢を並べた露店だった。鉄製のものだけでなく、炎の矢や氷の矢、電気の矢、爆弾矢まで揃い踏みだ。これだけあるのなら弓も……としげしげ眺めるが、それらしいものは見当たらない。
 老齢な店の主人に「弓はないのか」と聞けば、彼女はにわかに眉根を寄せ、白茶けた瞳で上から下までを眺めまわしてくる。

「弓も持たずに砂漠渡りするやつなんざ居ないからね。壊れたってんならチョイと見るくらいはしてやるが」
「いや、ゲルドの弓がどんなものなのか、興味があってな。購入は難しいと知っている。試し撃ち……ああ、見られるだけでもいいんだが」
「だったら、私のがある」店の主人はそういって、背中にうず高く積んだ荷物の隙間から、ひとつの弓を取り出した。細かな彫りが刻まれた黄金の装飾。間違いなくゲルドの弓だ。

「試し撃ちでもなんでもしたらいいさ。矢の代金はもらうがね」

 無遠慮に差し出された弓を受け取った恋人は、重さを量るように上下に振ってみたり、裏表に返してみたり、そこから主人と話し始めた。
 彼の横顔は真剣だった。いつもは柔らかい柳眉が今ばかり凛と吊り上がっている。カッコいいな。休みの日にこうやって武器を調べに来るほど真面目な団員なんて、他にもいるんだろうか。私も昔はそういうことがあったかもしれないが、こんな──。
 きら、と鋭い光を感じた。思わず出処に視線を遣ると、隣の商店からだ。まるでそれ自体が太陽のような光源みたいで、首を傾けると、白からピンク、青色や黄色にまで、反射の色味を変えていく。あれはもしかして。

「どうしました?」

 彼だ。不思議そうな表情を浮かべた彼に、顔を覗き込まれていた。私は瞼を見開いて、なにも言わずにすぐさま首を横に振る。視界の端には、未だに光がひらひら動いている。
 彼は頭を掻いた。

「俺にゲルドの弓は荷が重いようです。全然弦が引けなくて……。ちょっと試してみてくれませんか」
「あ、あぁ。いいぞ。こうだろうか?」

 受け取った傍から右手で弦を引くと、それは思った以上に易々と伸びてくれた。「おお」と声を漏らす恋人と、感心したように唸る店の主人。

「あんたいいねぇ。ゲルドの兵士たちに勝るとも劣らない屈強な体にその弓の姿勢! ただもんじゃないだろ。神託一家の騎士様とか?」
「いや、私は」
「ま、なんでも構わんさ。そうだ、矢の一本でも撃っとくれよ。あんただったら気持ちいい矢、ひゅーんって飛ばしてくれんだろ? 冥途の土産にするさね」

 下から矢羽根を突き出され、肩を竦めた。弓矢なんてアジトでもできる。そんなことをするためにバザールへ来たわけじゃない。
 はっきり断るのも空気が悪くなりそうで恋人の顔を見たら、なんと口元に笑みを湛えながら何度も頷いてくるではないか。露骨に渋い顔を作り、私の気持ちよ伝われ、と願っても無駄だった。あろうことか矢羽根を積極的に受け取って、「はい、どうぞ」と差し出してくる。もう少し観察眼を養うべきだ、と幹部らしく叱責した方が良かったのだろう。
 とはいえ、悪気無さそうなニコニコ顔は、可愛らしくさえある。元々、少し童顔の気がある彼だ。いいところを見せたい。いやしかし、これはいいところなのか? 女性らしいとは、程遠いような。
 彼の笑顔と矢羽根、そしてもう一度笑顔に視線を戻す。屈託ない顔。日焼けで少し、赤く照った頬。
 これは決して、彼の笑みに負けたからじゃない。店主に言われたから、仕方なくだ。内心で言い訳をしつつ、私は結局矢羽根を受け取ることにした。

 指を舐めて湿らせ、風向きを見る。──西から東の方だ。それならと、オアシスを越えた向こう側に生えるヤシの実に目標を定めた。
 矢を番えて強く引っ張ると、みし、と軋んだ音とともに弦から粉が浮いた。古い、が、いけるか────。
 多少の違和感を見逃すべきではなかったろう。照準を合わせた瞬間だった。

 ブチッ。
「────アッ……!?」

 張りつめた弦の感覚がなくなった。撚った細糸の一本一本がピチピチと千切れていくのだけははっきり分かったが、短く悲鳴を上げる間にも、空気の抵抗を受けながらはらはらと麻糸が枝垂れていく。
 壊れた。いや、壊した。この手で人の物を。よりにも寄って、彼氏の目の前で。

「古いモンだから仕方ないよ」と笑う主人に、私たちは二人揃って頭を下げた。



「……これからどうしましょうか」

 矢の束を背負った彼が言う。じっぱひとから十把一絡げになったそれは、弦を壊した弁償代として購入したものだ。ゲルドの女主人には「別に必要ない」と言われたが、せめてなにか買わなければ気が済まない。折衷案として少し値引きしてくれたので、彼と折半して購入したのだった。
 重い荷物もあることだし、本来であれば帰途についても良い按配だろう。
 しかし私は、「えーと」と指先を捏ねる。

「実は……隣の店が気になっていてな。見てもいいか?」
「隣? 肉ですか?」
「そっちじゃなくて、反対!」
「反対?」

 ひょいと顔を覗かせた彼は、「ああ!」と得心したような声を上げた。
 さっきからちらちら見えていたゲルドの露天商。民族衣装やゲルド織の絨毯といった手工品を取り扱う雑貨店だ。
 彼を引き連れておずおず近づいていけば、瞼に赤い色粉を乗せた妙齢の店主が、「ヴァーサーク!」と手を打った。人懐こい笑みにつられて「ヴァーサーク」とぎこちなく返す。確か、こんにちは、みたいな意味だったはず。
 「素敵なお召し物!」とか「試着します?」とか続けてくる店主に曖昧な笑みを返しつつ、近くに寄って腰を落とす。目的はトルソーに着せられた目玉商品ではなく、敷物に並べられた方だった。
 太陽の光をギラギラと跳ね返す宝飾品。宝飾文化が盛んなゲルドのアクセサリーは、ハイラルに住まう全女子の憧れだろう。私だって御多分に漏れず、絢爛な輝きに釘付けになった。こうまで間近で見たことがなかったのだ。
 ルビーやサファイア、琥珀にオパール。今まで単なる金策のための石でしかなかったはずなのに、目に飛び込んでくるそれらは、まったく違う意味を纏っているように見えた。多面に削られた宝石が動くたびに放たれる異なる色は、研ぎ澄ました刀剣の鈍い輝きとは違う。まるで生まれてきたことを祝福するような、生命力のある光のようで。

「綺麗でしょう? お姉さん運がいいですよ、普段はバザールでアクセサリーなんか売らないんだから! 今回は職人が持ってけ、ってきまぐれ起こしまして、いつもは街まで行かないと買えないんです」
「それは確かに、運が良いんだろうな。きっと」
「お姉さん、肌が白いから派手な色よりダイヤみたいなのが似合いそうです。これ、着けてみます?」

 店の主人が手に取ったのは、大粒のダイヤが一つついた頭飾り。モチーフはおそらく月桂冠だ。王族が身に付けるような派手さがある。私の趣味でもないし、冠なんてとてもじゃないが普段使いできない。「いや……」と口にしながら視線を泳がせた先、白い石が目に入った。
 真っ白な満月を思わせる石の、耳飾りだった。水面に浮かぶ油分のような虹色が、上品なまだら模様を描いている。
 手を伸ばした瞬間、女主人は目敏かった。

「それはオパール! シンプルで良いかもしれません、今回の作品は高品質な石で作れたって職人も喜んでました。着けるだけでも是非!」

 あっという間に手の上へ耳飾りを乗せた主人は、ニコニコと貼り付けたような笑みで見つめてくる。
 こういう押し売りは些か苦手だ。身を引きそうになりながらチラリと後ろを見遣れば、恋人も興味津々といった風に並べられた売り物を眺めていた。そこで私の視線に気づいたのか、「着けてみたらいいじゃないですか」と一言。水を得た魚のように、改めて「ささ」と店主から促され、しょうがなく耳たぶを探る。とはいえここに来たいと言ったのは私であって、アクセサリーを見たいといったのも私であった。耳飾りを着用する流れになって、心のどこかでほっとしたのは確かだ。
 手間取りつつも耳たぶに引っ掛け終わると、はっきりとした重みを感じた。「どうだろうか」と主人を見れば、その途端に「あら~~~!」と大袈裟な高声が上がった。

「とってもお似合いですよ! 白い肌と筋肉を引き立ててます! この丸みを帯びたオパールの曲面と三角筋の流れが見事にマッチしていて最高~! いいもの見せてもらっちゃって、まぁ~!」

 言い過ぎだろう、と思いつつ、褒められること自体は決して悪い気がしないのだから、私も簡単な女だ。唇をどんな形に保てばいいのか分からず、下唇を噛んだり、口の端を引き絞ったり、むずむずした。
 それから誤魔化すように「どうだ?」と彼に振り返る。彼も良い表情をしたら、きっと私はこれを買ってしまう。
 しかし、彼は一瞥をくれて、「良いと思います」とあっさり頷くだけだった。そして次の瞬間には、違う商品に目を遣っている。なんだ。それは本当に、良いと思ってる時の反応なのか、どうなんだ。

「……ちなみに値段は」
「700ルピーです」
「な……」

 ななひゃくルピー! 我々にとってはとんでもない金額だ。なんせイーガ団は、別にコーガ様から給与を貰っているわけじゃない。ツルギバナナの市場価格が30ルピーだから、……とにかく高い。高すぎる。
 それになにより、今回は彼の買い物に付き合うだけだと思っていたから、私自身ルピーをあまり持ってきていない。黙って耳飾りを外し始めると、「あ、お気に召しませんでした?」と幾分落ち着いた声音で顔を覗かれた。

「……もう少し考えようかと思う。すまないが」
「あ、だったら琥珀の耳飾りはどうです? チョッピリお安くできますが」
「いや、そうだとしても、だな」
「ちょっと……いいですか、ちょっと……」

 立ち上がろうと膝に手をかけた瞬間、恋人が肩に触れてきた。
 何事かと見上げれば、眉尻の下がった表情。顔の前で、そっと両手を合わせる。

「すいません、俺少し用事を思い出して……少しここで、商品見ながら待っててもらえませんか?」
「えっ、用事!? だったら私も一緒に行くぞ、一人で残っていてもしようがない」
「いや、すぐ帰ってきます。こんな機会もないですし、ゆっくり見といてください! すいませんけど」

 それだけ言い残して、恋人はすぐさま走って行ってしまった。
「ま……!」と手の平を持ち上げるが、虚空を掴むだけだ。置いていかれてしまった。一緒に行こうと誘ってきた相手から。よく知りもしないバザールのど真ん中に?

「さっ! 彼氏さんもそう言ってくれてることですし、これもつけてみましょう!」
「う、うむ……」

 店主の瞳が、並べられたアクセサリーのようにギラついた瞬間を垣間見た。









 雑貨屋から逃げ出した。脱出した、と言っても良い。「ちょっと休憩させてくれ」と半ば強引にその場を離れたのだが、「お客さーーーん!」と最後まで店主から叫ばれたのは心底困った。 
 あのゲルドの主人、一通りを試着させたうえで「新しい衣装も試しましょう!」と、トルソーから服を外し始めたのだ。このままではなにか買うまで離してもらえない。興味がないわけではなかったが、これも苦渋の決断だ。いやしかし疲れた。

 ただ、心配なのは彼のことだった。恋人があの場から離れて暫くが経つ。オアシスの周辺をぐるりと一周してみたものの、彼らしき姿はどこにも見当たらない。仕方ないので露店の方へ戻ると、矢を売ってくれたおうなが「砂漠の方へ歩いて行くのを見た」という。

「あの男大丈夫かい? あんたよりよっぽど細っこいし綺麗な顔してたから、武器なんかに慣れてないんだろ? 一人で大丈夫か心配はしてたんだが……。止める間もなく走って行っちまって」

 アジトで鍛錬を続けている彼が、今更砂漠の魔物に後れを取るとは思えない。ただ、妙な胸騒ぎがあるのも確かだった。「すまない、ありがとう」とだけ伝え、彼女が見たという方向を捜し歩くことにした。

 周辺を歩くこと暫く。しかし彼の姿は一向に見えず、ただただ当てもなくさ迷うことになってしまった。もしかするともうバザールに戻っているのかもしれない。なら改めて引き返すだけだが、……どうも引っ掛かる。
 こうまで時間のかかる「用事」とやらは、いったい何なんだ。彼は私に対して配慮を欠かさない人間だが、それ以上に慎重気味な人だ。事前に相談もなしに走っていくなんて彼にしては珍しいし、本当に……急にどうしたというのか。

 そこでふと気付く。岩陰から、魔物の騒ぐ声が聞こえた。
 鼻を鳴らすのはボコブリンか。それにリザルフォスの金切り声も。
 争ってる。まさか────? 嫌な予感がして砂に足を取られながら全力で走っていくと、見慣れた背丈の人が視界に入った。

「……!!」

 恋人だ。なぜか私の恋人が、短剣を振るいながら魔物と戦っている。
 周囲には、既にボコブリンやリザルフォスを屠った残骸が転がっている。怪我をしている様子はないが……しかし、茫洋とした砂漠に喘鳴が響くほど、その息は上がっている。
 なぜここで。どうして。その間にも彼は、盾を構えるボコブリンにジリジリ迫りながら、掲げられた刃を避ける。そして一撃。このままいけばすべて片付けられそうではある、が。

「──あッ」

 振るっていた小刀が、盾に防がれ、砕けた。
 彼は、盾を持っていない。地面を見渡す。こん棒を見つけて、飛び退きながら近づいていく。しかし、盾を持つボコブリンの後ろ──リザルフォスが矢を構えて、今にも撃たんとしている。他のマモノだって、まだ。
 まずい。頭の中で声が鳴り響く。

「私の恋人になにしてるんだッ!!」

 次の瞬間に私の身体はもう、彼らの前に躍り出ていた。
 その場に落ちていた彼の握りこぶしほどの岩を掴み、振りかぶり、力の限り撃ち込む。ボコブリンを通り過ぎ、岩が脳天に直撃したトカゲが、ゲギャアッ、と呻きながら吹っ飛んだ。派手に木箱を壊しながら倒れ込むと、破片の隙間から霞となって空気に散っていった。
「幹部さんッ」恋人の狼狽した声。地団駄を踏むボコブリンが、改めてこん棒を振り上げる。

「避けろッ」

 ボロキレのような板を拾い上げて猛進すると、彼は粉塵を上げる私を躱し、砂漠へ飛び込んだ。ガンッ、と大きな衝撃が板越しに襲ってくる。みしりと板が軋むが、少しもってくれればそれでしい。

「ぬんッ……!」

 体重をかけ、ボコブリンを押し倒した。潰れたやっこの首飾りを掴み、宙に振りかぶって岩場に叩きつける。ぐしゃ、と脳天がかち割れる音。呻き声を漏らすボコブリンの首をへし折り、塵に流した。手を払う暇もなく、ひゅんっ、と空気を裂く矢の音が聞こえた。シャルワールのふくらみを貫通させたのは、最後の一体だ。身を翻して地面の矢を拾い、今しがたトカゲが使っていた弓に番えた。岩場の上に魔物のシルエットに向け────射った。ぱしんという音と、砂地を散らす音。呼吸を整え、辺りを見回す。新手は──いないか。気付けばなんの音もなくなっている。やったか。どうやらすべて片付けられた、らしい。

「か」

 続く緊張感に差し込まれる声。
 後ろを振り向けば、私の恋人が、両手を握って立っている。

「幹部さんっ、凄すぎますッ! まさか武器なしでこんな……! やっぱあなたは俺のあこがれだ! マジで強すぎる!」

 堰を切ったような上ずり声で、彼はすごいすごいと捲し立てた。投石ひとつでリザルフォスを撃ち、ボコブリンを片手投げして葬り、調整もしていない魔物の武器で脳天をかち割った。そんなことを平然とやってのけるなんて、さすが幹部さんです、と。
 それをすべてやった。この私が。別にすごくない。こんなの日常で、一切の狼狽も後悔も躊躇もない。しかし今日私は、違ったんだ。もっと違う日にしたかった。

「……良くないよな、これは」

 自然と、口から零れていた。
 それまで興奮したようにはしゃいでいた彼が、え、と面食らった顔をする。

「せっかくこんな洋服を着てきたのに、穴まで開けて……はしたない。女としてあるまじきだ。君にいいところを見せたかった。でもこんな姿じゃない。もっと違う……。やっぱり私は女として、だめなんだと思う」
「な、なにを……」
「私の言ってる意味、分かるんじゃないか? 私のこと、女として見ることなんてできないはずだ。惰性か、はたまた同情か、そんな気持ちで付き合ってくれてるなら、もういい。やめよう。まだ何もしてないんだ。元に戻るのだって、難しくないだろう」
「そんなこと思ってません! 俺はあなたを、一人の女性として」

 ぎり、と奥歯を噛む音が耳元で鳴った。内側から骨を伝い、全身に響くみたいに。まだそんなことを。君は私に、期待を持たせて。拳を握る。痛いくらいに。

「そんなの建前だ! だって君は、恋人らしいことをひとつもしないじゃないかっ。手を繋いだり、キスだって! 女だと思えないからだろっ、正直に言ってくれた方がマシだ!」
「そ、それは……」

 彼は口を噤んで、それから砂漠の砂に視線を落とした。図星だったから? やっぱり惰性だったから? 自分の理性が「そうに違いない」と告げても、おかしなものだ。心のどこかではそれを信じたくない自分が必死に理性に抗っている。
 都合の良いことを考えてしまうのだ。彼が黙ったままなのは、図星を突かれて言葉を失くしたというより、必死に言葉を考え出しているような沈黙に思えてしまって。
 しかし、たとえそれが真実だったとして、彼の次の台詞を女である私が想像するなんて、とうてい無理だったに違いない。

「知られたくなかったから……」

 ザラザラと流れる風の音が、彼の声を掻き消す。
 よく聞こえなくて「なに……」と返す。
 すると、キッと鋭い眼差しで、彼の顔が勢いよく持ち上がった。

「俺がッ、貴女のことエロい目で見てるって、知られたくなかったから……!」
「え、ろ……」

 なんといった? エロい目……? 誰が?
 見たことないくらい、凛とした顔つき。童顔、と思った柔らかさが、一切抜けて。
 ずん、と一歩足を踏み出した。

「俺、幹部さんの筋肉ムキムキなところ、本当に憧れてて」
「あ、あぁ……さっきも、そんなこと」
「最初はすげえって思ってただけだったんすけど、ずっと見てたらこう、装束越しにも分かる割れた腹筋とか、上腕二頭筋の盛り上がりとか、大腿四頭筋の凹凸とか、めっちゃセクシーだなと思うようになって!」
「せ……」
「でも、そんなの良くないと思ったんです。俺は幹部さんの身体が好きなんじゃなくて、俺に真剣に向き合ってくれた、真っすぐな気持ちが好きだって思ったから。……なのに、こんなの、……ダメだと思って」

 尻すぼみになる言葉。切々と胸に訴えかけるようで、身体の奥がきゅっと縮まる。そのまままた、とくとくと脈動の音が聞こえ始める。

「なのに幹部さん、手料理作ってくれて、いい匂いするし、身体柔らかいし、ゲルドの服可愛いし、俺やばくてッ」
「えっ、えっ、そうなのか?」
「エロすぎるんす……! 俺がどれだけ自分を抑えるのに苦労したか、知ってますか!?」
「また言った……」もはやそれは、嬉しがっていいのかどうなのか、ちょっと分からない。
 そこで少し身体を背け、後ろに散らばる武器を見る。

「本当は俺一人でこいつら倒したかったのに……バレちまうし」
「そうだ。なぜ一人でこんな無茶を」
「耳飾り、プレゼントしたいと思って。矢買うのに金使っちまったから、金工面しようと思って……」

 魔物の遺した角や尻尾は良い金になる。確かにこれだけの量を持って行けば、数百ルピーは下らないだろう。呆れる自分もいるが、それよりももっと大きな感情が胸の中で渦巻いた。彼は、私のためにこんな危険を冒してくれた。
 それに今までのアプローチも意味があったって。こんな、こんなことって。

「嬉しいッ」
「ぐえッ」

 私は彼を抱きしめ、持ち上げた。もう全力で。今まで触れられずに枯渇していた愛情を、この抱擁ですべて取り戻すように。「ぐううう」と押し付けた胸元からくぐもった唸り声が聞こえる気がしたが、少しくらいいいだろう。許してもらいたい。だって、自分の筋力だってこの激情を押さえることができないのだ。
 この暫くの計画は意味があった。あろうことか彼の激情を煽り、好きだって、セクシーだって。ふふふ。ってことは、女性なりの魅力が私にもあったってことで。
 ぱしぱしと腕を叩かれる。顔の蒼くなってきた彼からタンマを申し渡されたところで、私は彼を解放した。

「すまない、嬉しくてつい……料理も、衣装も、君は気付いてくれてたんだな。とても嬉しい」
「そりゃ、気付きます。俺、貴女のこと好きなんすよ。ほんとに」
「ふふ……ああそうだ。ついでと言ってはなんなんだが、私からも、君に渡したいものがあって」
「ん?」
「これ、なんだが」

 せっかくだ。手の内をすべて晒したくなった。懐に忍ばせていた四角い布切れ──無事蛙の一筆をしたためたお守りを、彼に差し出した。
 一度は渡すことを諦めたお守りだ。知らない人間が見れば、単なる継ぎ接ぎにしか見えないだろう。そうだったとしても、私はどうにも処分することができずにいた。いつかもう少し、彼と思いを通じ合えたなら。そんな願いを込めて持ち歩いていたのだが、まさにそのタイミングがやってきた。今なら彼に、胸を張ってこれを渡せる。

「初めて手縫いしてみたんだ。所謂お守り、というか……。この前、ぬいぐるみをプレゼントしてくれたろう? あのとき、渡しそびれてしまって」
「これを、俺に……?」
「ああ。大事にしてくれると嬉しい」

 差し出したまま、彼は暫く身動きをしなかった。やっぱりだめか、とは思わない。だってお守りを見つめる彼の表情が、揺れて、ふやけて、疼いて、まるで嬉しさを上手く形作れない百面相のようだった。
 ややあって、彼が優しい手つきで掬い上げていく。手の中に収まるそれは、やっぱり私が持っているときより随分大きく見えた。しかしおにぎりのときと違って、邪魔になることもないはずだ。
 視線を落としたまま下唇を噛み締める彼──かと思えば、呆けたような表情が、ゆっくりと持ち上がる。

「幹部さんッ!」
「おわっ」

 彼に突進された。勢いよく体重をかけた全力の突進。がっちり組み合った後もグググと押され、私の踵がどんどん砂に埋もれていく。一応踏ん張るが、柔らかい地面のここでは我慢が利かない。

「ど、どうした。そんなに押されると、私」急になぜ。やめてほしい、というつもりで相撲の如く応じると、彼がズイ、と顔を近づけてくる。

「押し倒して良いですか」
「へ」
「貴女が強いから、俺、押し倒せないんすよッ」

 押し倒す。それはつまり。どういうことだ。

「押し倒されてください、いいならっ」

 力の入った苦し気な声。いいって。なにがだ。
 バクバクと、徐々に強く早く、身体が脈動する。彼の瞳が真ん前にあって、食いしばる薄色の唇が目に入った。息が上がる。一呼吸ごとに力が抜けていって、膝をつきそうになる。でもそれって、「いい」って言ってるのと一緒じゃないか──。
 あっ、と思ったとき、視界が回った。砂地が、岩場が、空が、ぐるんと一変して、いつの間にか背中に柔らかな砂を感じている。押し倒された。彼に。
 彼が、顔の横に手をついて、上から私を見下ろした。真剣な瞳。見たことない顔つき。

「幹部さん、顔赤いっす」
「君も……随分焼けてる」
「可愛い」
「は……」
「可愛いことされると困ります」
「こ、困るって、なにが」

 その瞬間、太ももになにか当たった。
 えっ、と思って視線を動かせば、私の脚を跨ぐ彼の脚。その中央だ。盛り上がってる。どれだけ鍛えたって、私の身体にはあり得ない肉の張りつめ方で。
 ぱくぱくと口を開閉していると、彼が両手で頬を包んでくる。

「分かるでしょ。分かりますよね!?」
「え、あ、あ」
「もう俺、我慢しませんから」

 見たことのないギラついた彼の瞳。
 このとき生まれて初めて、自分より小さな男に、私は心臓を射すくめられていた。



















【登場人物】
「女幹部さん」
イーガの団員になるべく育てられた結果、他の幹部同様ムキムキマッチョに成長しました。
乙女らしく男性にリードされたい気持ちが強い。彼氏の気遣い屋なところが好き。

「彼氏」
女顔の美人な男構成員。顔で苦労した結果イーガ団に流れ着いた元民間人。
彼女の筋肉に劣情を催してることを知られたくなかった。ちょっと性癖を拗らせてる人。

「隊長」
女幹部さんと同じ共寝所の住人。過去になにかあったらしくて男に懐疑的。
女の子の方が好きかも。

「彼氏持ちだった団員」
隠密班に彼氏がいたが、数か月で破局。あんなにラブラブだったのに悲しみ。
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