ゲイシュン(本編+後日談)

 イーガへやってきて、数年。
 ただ業務に勤しむ毎日だった私に、恋人ができた。

「お疲れ様です、幹部さん!」

 アジトの門をくぐった瞬間、玄関で待ってくれていたらしい恋人が小走りで駆け寄ってくる。
 外はもう真っ暗だ。今日業務から帰ると約束していたとはいえ、まさかこんなに早く会えるとは思っていなくて驚いた。
 恋人とは帰宅の度に顔を合わせてはいるものの、間近で対峙するのにはまだ慣れない。気恥ずかしくて岩床の目地を見つめ、それからやっと「お疲れ様」と口にした。
 しかし逸らした視線は、「あ」という一言にすぐ呼び戻される。

「これ、どこかに引っ掛けてきたんですか?」

 指をさされた箇所を目で追うと、腰のあたりに肌色が覗いていた。親指の先ほどのぽっかりした穴だ。とはいえ、知らない間に木にひっかけて服を破くのは、別に珍しいことではない。
「これくらい」とバツが悪くて隠した手を問答無用で掴まれ、玄関を抜け、そこらに転がる岩石を体のいい椅子として座らされた。恋人が懐から取り出した薄べったい巻き布の中には、いつも持ち歩く一組の針と糸が忍ばせてある。地面に膝をついた恋人は「失礼します」と断って、裾に手を潜り込ませながら一も二もなく穴の修繕をし始めた。

 相変わらず用意のいい人だ。額にかけたイーガの仮面を眺めながら感心する。針先を見つめる真剣な眼差し。手際のいい指先。適当を許さない職人気質なこだわり。がさつな私じゃ、こうはいかない。
 谷を渡る風が、頭の高いところでひゅうひゅうと笛のように鳴るのを聞いた。音は何重にも重なっていて、和音のようでもあった。そこにシマオタカのヒョロロ、という歌声が合わさって、いよいよ音楽の体を為してくる。恋人と共に過ごすときはいつもこうだ。二人でいると、陰の世界にいる限り無関係だと思っていた「幸せ」の正体が、なんとなく分かる気すらする。
 幹部になって、仕事は順風満帆。可愛らしい恋人は、私を慮ってくれている。眠るときに他人の健康を願えるなんて、これほど満たされることはそうないに違いない。

 ……ただ、こんな私にだって、悩みはある。

「はい、できましたよ!」恋人の顔が持ち上がった折、透き通るような瞳と視線がぶつかった。
 あ、と小さく漏らしたのは、恋人だったのか、私だったのか。そんな些細なことなんてどうでも良くなるくらい奇妙に、周囲の音が消えた。
 柔らかく曲げられていた口元が、今は呆けたように開いている。皮膚が薄くて、桃色に色づいた唇だ。そこを見ていると、どきん、どきん、と内側からの振動が大きくなっていく。
 土につく手の平を、少し動かせば触れられる。恋人の、そのほっそりとした指に。
 やるか。
「き」
「いやあ今晩はなんだか寒いなあ!! やっぱずっと外にいると身体が冷えますねえ!!」
 恋人はやにわに上半身を持ち上げて、腕を絡めるように自分自身を抱きしめた。高速で摩擦するのなんか迫真だが、どこか大袈裟すぎるようにも見える。
 本当は首を横に振って、二人で暖まろう、とでもいいながらその肩を引き寄せれば良かったのかもしれない。とはいえ私は、そのちぐはぐした仕草を指摘できないまま「あ、あぁ……そうだな」と弱く頷くだけ。
 だってそんなはしたないこと、女がするもんじゃないだろう。貞淑に、慎ましく。少なくとも、女とはそうあるべきと母から教わった。
 行き場のなくなった手を元に戻し、同意するよう太ももを摩ってみせた。
「すまない、寒いのに繕ってもらって。いつもありがとう。私は君ほど上手く修繕できないから、とても助かっている」
「いえっ、いいんすよ! 俺が得意なことなんてこれっくらいですから。また穴が開いたら直します!」
 屈託のない笑み声の裏で、仮面が彼の口元を隠していく。まるで視線から逃れたいみたいに。
 ありがとう、と返事しながら、腹の奥でぶすぶすと燻るなにかがあるのを、私ははっきりと感じ取っていた。










 彼と付き合い始めて、ちょうど4ヶ月というところ。私たちは未だに、手すら繋いでいない清らかな関係のままだった。
 始めはそういうものなのだと思っていた。恋愛とは、時間をかけて徐々に親交を深めていくものなのだと。しかしある日、共寝所で日誌を書いている最中に、相部屋の住人がこんな話をしているのが耳に入ってきた。

「告白されて10日、やっと彼と二人きりになりまして……」
「えっ、ヤったってこと!?」
「……えへ」

 これが如何に衝撃的だったか。日誌に残ったじわっと滲む墨の広がりが、当時の動揺を物語る。
 気付けば、キャアキャアと騒ぐ二人の話に耳をそばだて始めてから数十分。彼女は告白の初日で手を繋いで口付けを交わし、三日後には二人きりでのデート、一週間経って晩酌をし、そして十日目に同衾したということらしい。その進み方がありふれているのかどうか判断はつかないにせよ、私と比べて一歩も二歩も先を行っているのは確かである。
 盗み聞いた進行度合いの話を、私は密かに日誌へ書き残した。未だ手すら繋いでいない私を悶々とさせるには、彼女らの密談は充分すぎる秘密情報であったのだ。

 それからというもの、せめて彼からの愛情を受け取れるように、私なりのアプローチを開始した。
 逢瀬では今までより歩幅一つ分距離を詰めるようにし、なにも持たない手の平を無駄に身体の横でブラブラさせた。恥ずかしさを押し殺して仮面を取り、素の目で彼の瞳をまじまじと見つめることだって。
 しかし、これらの努力は今のところ、何の成果も得られていない。結果の伴わない努力は努力のうちに入らない、なんて言ってるやつもいるが、であるなら私のこれは一体なにに該当するというんだろうか。
 この数か月、彼とは心を通わせてきたつもりだ。しかし彼はまるで蝶だった。柔らかく手の中へ収めようとしても、ひらひら指先を掻い潜る。彼は私の下心に気付かず、いつも核心めいた瞬間に視線をそらしてしまうのだ。

「それってさぁ、もう他の人に興味が移っちゃったんじゃない?」

 とある盗み聞きの夜。件の二人の会話が、ボディブローのように腹部を直撃する。
 それは、「最近、彼が全然相手をしてくれなくて」という相談への回答だった。私に向けられた言葉では決してないし、状況だって全然違う。
 しかしボディブローは尚続く。

「で、でも一応向こうから会おうって言ってくれるんだよ。他の人に興味が移ったんだったら、そんなことなくない?」
「どうだか……他の人に興味が移ったのを気取られたくなくて、罪悪感があるから声をかけてるのかも」

 罪悪感。彼は優しい人だし、その可能性は大いに考えられる。しかし、それだけで毎度玄関で待ってくれるだろうか? 違うだろう……と思いたいが。思い、たいが、そうも言いきれないのが口惜しい。

「そうなのかな……忙しいから、私に構う時間がないのかなって思ってたんだけど」
「でも、忙しいのは今に始まったことじゃないわけでしょ。急に変わったんだったらなにかあったのかもよ。喧嘩して嫌なところが見えたとか、倦怠期とかさ」

 まだ付き合いたてで倦怠期? ……いや、付き合いたてだと思ってるのは私だけなんだろうか。もしくは、嫌なところが見えた? それもあり得る。そもそも私のことを、好きで付き合ってくれているのかどうか怪しいし。

「喧嘩もしてないし、倦怠期ってほどまだ付き合ってないし……」
「えーじゃあもしかして……外の女と浮気とか!?」

「なあ」

 気付けば、私は彼女たちに声をかけていた。
 目を丸く見開いた二人が、勢いよく同時に振り返る。

「あッ、幹部さん!」
「ご、ごめんなさいッ、騒がしくしてしまって……もうやめますから」
「いや、違うんだ。その……君らの話を聞いてしまって申し訳ないんだが、少し気になることがあって」

 二人は顔を見合わせる。それから「なんでしょう?」とキョトン顔で返事されて、私は居住まいを正した。

「やっぱり……男性があまり積極的になってくれないってのは、そういうこと……なのか?」

 急に割り込んで、何を話そうとしてるんだ、と自分でも思う。しかし、バカみたいな失敗を繰り返し、一向に解決する兆しが見られない現状に、藁にも縋る思いだったのだ。
 私の言葉を聞いた彼女達は、目を二度三度分かりやすくまばたきして、唇をほんの少し開けたまま、動かなくなった。まったく同じ顔つきで、呆気に取られたという表現がよく似合う顔だ。そんな顔をさせるほど間抜けな話を、相部屋の住人というだけで漏らしてしまった。バカだ、本当に。
「いや、やっぱり忘れてくれ」と振り返ろうとした瞬間だ。
「えええーーーっ!」という大声に鼓膜を貫かれた。

「か、幹部さん!? えっ! もしかしてそれって、幹部さんの想い人の話ですか!?」

 唇を両手で抑える一人と、私に向かってつんのめってくるもう一人。どちらもさきほどと打って変わって瞳が爛々と輝いている。まるで誕生日のご馳走を、突然友人から供されたみたいに。

「い、いや、想い人というか……恋人の、話で」
「キャーーーッ!!!!」

 もっと詳しく聞かせてください、と身を寄せ合う彼女らに手を引かれて壁際のベッドに座らされた私は、容赦も隙もない質問の猛攻にあった。
 どこで出会ったのか。いつ頃付き合い始めたのか。どんな人なのか。どこの部班所属なのか。どんな顔で、身長は? 好きな食べ物は。私の恋愛遍歴は。女に興味はあるか。エトセトラエトセトラ。
 今思えば、悩みを解決するのに関係ない情報もあっただろう。しかし今まで恋にまつわる会話を他人と交わす機会なぞなかった私は、最愛の人の話を誰かに聞かせたいとどこかで願っていたのかもしれない。なんだかんだ洗いざらい喋ってしまったのは、隠密としてあまりに軽薄だったかと思う。

 質問が一段落した。ほぉ、と夢を見るような恍惚とした表情で、一人が後ろ手をついた。

「まさか幹部さんと恋バナできるなんて、最高です。しかも甘いやつ……かぁー、ご馳走様です。この部屋で良かった」
「ご馳走したつもりはないんだが」
「でも、すごく良い感じじゃないですか? 会えてないならまだしも、あんまり焦る必要ないと思いますけど……」

 彼氏がいる、と話していた彼女の悩みに比べれば、確かに表面的な問題は無さそうにも思える。しかし腹の奥では、やっぱりずっと、なにかが燻っているのだ。
 いつか煙が上り、そこから火が立つのではないかと思う、なにかが。

「……彼は、私とは共通点があると言ってくれるんだ。小さい頃に苦労をしたみたいで……。だから、なんというか、私への気持ちが恋とか愛とか、本当はどうなのか分かってないんじゃないかと思って。似た人間への仲間意識で一緒にいるだけ、というか。……告白も私からだったし、彼から好きとか愛とか聞いたこともないし」
「……」
「要するに、愛されてる自信がないんだ。腕っぷしが強いってだけで女扱いもされたことないし、そんな私に、彼が、本当に……」

 言葉が失せていく。どちらかが「幹部さん」と小さく呟くが、次が出ないまま一度噤む。それからしんとした。彼女たちも、私と同じことを思っているのかもしれない。
 彼は、勢いに任せて告白を受け入れたものの、考え直してしまったのだ、これは恋心ではなかったと。だから私がいくらアプローチを仕掛けても気付かずに、いや気付かないふりをして、曖昧な関係を続けようとしている。
「やっぱり、彼とはこのまま」と言いかけ、しかし続きを遮るように、片方がその場に立ち上がった。

「作戦っ、立てましょう!」

 目をパチクリと瞬かせた。「さ、作戦?」隣で話を聞いていたもう一人を見遣れば、彼女も得心したように頷いて立ち上がり、首を力強く上下に振ってみせる。

「幹部さんは、頼りがいがありすぎるんです! おそらくそれが、次の段階に進めない原因になってるんじゃないかって、お話を聞いていて思いました!」
「恋人さんって、最近入団したばっかりなんですよね? 恋愛面でもひっぱって貰いたがってるんじゃないでしょうか!? 幹部さん、カッコいいから……!」
「そ、それは買いかぶりすぎな気がするが……」

 二人が「いえっ」と迫真の顔で迫ってくる。

「幹部さんは自分が如何にカッコイイかを自覚するべきです!」
「そうです! 女子団員の中でどれほど人気があるかご存じないんです! 彼氏にしたい幹部ナンバーワンですよ!?」
「彼氏? 彼氏はおかしくないか?」
「だから、逆に男性からしてみたら不安になるのかもと思いました。自分より強くてカッコいい幹部さんと、本当に付き合っていけるのかって思ってるんじゃないかと」
「……それは」
「なので! とにかく、幹部さんが女性であることを意識させるのが、一番良いアピールになるんじゃないかと考えます!」

 いまいち要領を得ずに「女性であることを?」と繰り返すと、彼女の瞳がきらりと光る。
 恋人へのアプローチ計画が始まった瞬間だった。


計画1、手仕事にチャレンジ。

「手仕事に女性性を見出す輩は難儀なことに非常に多いです。女の仕事だって押し付けてくるクソッタレとお付き合いしてるんであれば、たとえ幹部さんの恋といえど応援しがたいものですが、自発的におこなうのであれば女性っぽさのアピールになるはずです」
「なにやら恨み節を感じるが、確かに私もそう思う。今までは彼に甘んじ過ぎていた。私からも歩み寄れば、きっと悪くない印象を与えられそうな気がする」
「その心意気や素晴らしいです。というわけでさっそく、簡単な針仕事にチャレンジしてみましょう!」

 それから数日、私は彼女たちと共に、縫製のいろはについて学ぶことになった。
 針の持ち方や糸の通し方に始まり、波縫いに玉結び、本返し縫い、まつり縫い、はしご縫い。彼女たちと比べて一回りも二回りも大きく、皮も厚くて豆だらけの手の平だ。繊細な指先の感覚に頼れず、等間隔に糸を渡すことさえ儘ならない。この期間で、何本の針を折ってダメにしたことか。
 それでも私は、ついに一つの作品を作り出した。片手に収まるくらいの、小さなお守り袋だ。赤い生地に白糸でイーガのマークを刺繍したそれは、初めてにしてはなかなかどうして悪くないと思える。中には、念を込めて一筆した「無事蛙」という札を忍ばせた。

「気をつけて行ってくるんだぞ」

 決戦は、彼が諜報の一環でフィローネへ発つという日。玄関先、これから行くという彼に笑いかけながらも、私が気にしていたのは懐にしまったお守りだ。
 いつ渡そうか、どうしようか。そこだけ発熱したように存在感があって、会話の内容がいまいち頭に入ってこない。渡すタイミングをはかるのも難しく、敵の隙をついて反撃を叩き込む方が、何倍も簡単なのではないかとも思った。
 きっかけを掴めないまま、彼がちらりと外を見る。その後で玄関中央の見張り台へも視線を遣った。もうそろそろ行くつもりなのだろう。

「幹部さんも明日出立ですよね。気をつけて。……なんて、俺が心配する余地なんてないかもしれませんが」
「何を言う。その心遣いが嬉しいよ。最愛の人から心配されて、嬉しくないわけがない」

 手汗が滲んできた気がして、装束に擦りつける。このままでは彼が行ってしまう。今しかないのに。
 出すぞ──。なるべく自然を装って、トクトクと鳴り続ける心臓の方へゆっくり指先を伸ばしていく。

「君と会えないことが、私にとっては寂しく思える、だから……」布越しに、わずかに盛り上がった凹凸へ触れた。
「そう言ってくれると嬉しいです。だとしたら、俺、幹部さんに渡したいものがあって」
「……渡したいもの?」
「はい、これなんですけど」

 彼が差し出してきた手の平の上に、見慣れない……いやデザイン自体は見慣れたものが乗っている。

「お守り、作ってみたんす。俺よりよっぽど危険なことしてるし……受け取ってくれると嬉しいっす」

 わずかに毛羽立つそれは、お守りという言葉から想起できるようなものではなかった。
 一つ目の仮面をかぶった赤い人型で、頭のところから黒い毛糸がふわっと飛び出している。ベルトや手足の布帯、首巻きの筋なんかも丁寧な細い刺繍で再現されていて、誰がどう見ても、イーガの構成員をかたどった小さなぬいぐるみだ。
 構成員の彼が、小さい構成員の彼を、手に乗せている。

「えッ!? なんだこれ!? 君が作ったのか!?」
「はい。俺が居ない間、貴女のお守りになれば良いなと思って」
「凄いな!? え! 凄い! 可愛い! 可愛すぎないか!? ありがとう! すごく嬉しい!!」

 私の元へやってきた小さな命……もといぬいぐるみに感嘆の息を漏らすと、彼が「良かった~」と頬を掻いた。

「じゃ、俺行ってきますね。俺だと思って大事にしてください!」

 ハッとした。嬉しがってる場合じゃない。私だって彼に贈り物があるだろう。
「まっ──」と言いかけて、しかし言葉が潰える。
 言えるか? こんなに素敵なお守りを渡されたうえで、私のぞんざいなお守りを渡したいなんて。
 彼が踵を返す。そのまま足を踏み出して、次の一歩も。徐々に小さくなっていく背中を見つめるだけで、私は引き留めることをしなかった。
 あれだけ熱かったのに。懐のお守りは、この頃すっかり温度を失くしていた。


「ガッデム!!」

 ことのあらましを件の二人に話した途端、彼女たちは額に手をつき天を仰いだ。

「まさかタイミングがだだ被りになるとは……しかもこんなクオリティの高いお守りまで贈られるなんて。嬉しいけど! でも~!」
「しかしめちゃ可愛いですね……私も欲しくなっちゃう。彼氏に似たぬいぐるみ」
「やらないぞ。私のだ」
「それはそうと、せっかく苦労して作ったのに渡せなかったのは痛いですね……帰ってきたときに改めて渡せたらいいんですが」

 彼から貰ったお守りと、自分で作ったお守り。手の中に収まった二つを交互に見比べた。
 縫製に挑戦した今だからこそ、彼の丁寧な仕事ぶりがよく分かる。等間隔に渡る細かな糸。隙間のない艶やかな刺繍面。適切に簡略化されたぬいぐるみのデザイン。職人芸と言わずしてなんと言おう。まるでこの道で食ってる匠の作品じゃないか。
 これを作り上げた人物に、どうしてこんな継ぎ接ぎしただけの布を渡せるだろう。彼女らの言葉へ曖昧に笑い返し、「あー……機会があれば、な」と、自作のお守りを懐にしまった。

「よし、じゃあ彼と会うまでに、次のステップについて相談しましょうか」

 次に会えるのは、おそらく七日後。業務から帰ってきた彼に女性らしさをアピールするため、私たちは次の手段を考えることにした。


計画2、彼の胃袋をつかむ。

「アプローチの方向性は手仕事のときと同じですね。世の男は、女に料理を担当して欲しいなんて甘ったれた考えを持つ奴輩が多いです。その上で味に文句をつけてくるあんぽんたんもいますが、胃袋を掴めばこっちのもの! 一気に形勢逆転ですよ!」
「君は過去に男となにかあったのか? それに形勢逆転とは」
「彼氏さんの好きなもの作ってあげたら喜びますよ。もしくは幹部さんの得意料理とか」

 包丁すら持ったことのない私は、もちろん大した料理経験もない。外回りをするときは火で炙った塊肉を丸かじりするだけだし、あれを料理と呼ぶかどうかは意見の分かれるところだろう。
 しかし、そんな中でもひとつだけ、作り方を知っているものがある。

「米なら……上手く炊けるな……」

 はじめちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火をひいて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな。
 母親が家政の合間に口ずさんでいた歌だ。単なる気晴らしの歌だと思っていたそれが、炊飯を説明していると知ったのはいつだったろう。父との鍛錬中、剣を振りながら耳に入ってきたそれを覚えたおかげで、人に振るまえるくらいには美味い白米が炊けると自信がある。

「お米! いいじゃないですか! まさか米が苦手って人間はいないでしょうし!」
「おにぎりにしたらどうです? 魚の解し身とかいれて! 外で食べれば二人っきりになれますし!」

 そんなこんなで、次なる計画は「ドキドキ!おにぎり持参ピクニックデート」ということにお題目が決まった。

 業務をこなしつつ、七日後の決戦に備えておにぎり作りの業を磨く日々が始まった。
 マイ飯盒を持ち歩き、旅先で米を炊いては握り飯の練習に勤しむ。それに加えて材料の調達にも奔走した。具材はヘブラで採ったマックスサーモン。岩塩はゴロンの目利きから購入した高級品。そして米は、ハテノ村で今年作ったばかりの新米だ。

 七日はあっという間に過ぎ去り、私はアジトへと帰ってきた。彼と会うのは晩。その前に、おにぎり作りを完遂せねばならない。
 飯炊き番に事情を話し、炊事場の一か所を借りられることになった。
 先に魚を焼き、それから米を炊く。はじめちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火をひいて……。頭の中で口ずさみながら、出来上がるまでに岩塩と解し身を準備する。それも終われば、あとはジッと火の番である。

「あの……幹部さん、火なら私が見ていましょうか。炊飯って結構時間がかかりますし」
「いや、許されるならここで見届けさせてほしい。これは私の沽券に関わるのだ」

 隣で鍋を混ぜる飯炊き番を手の平で制すと、彼女は「はぁ、そうですか」と拠所ないように肩を竦めてみせた。

 辺りに、米の炊きあがる甘い香りが漂ってくる。耳を澄ませば、ぱちぱち水分の弾ける微かな音。頃合いか。満を持して蓋を開ければ、柔らかな湯気と共に、つややかに粒立つ白米が整列するように鍋の底を埋めている。

「わあ、綺麗に炊けてますね!」

 プロのお墨付きだ。私も胸を張って、深く頷いた。
 しゃもじで混ぜ返し、椀に敷き詰めるように米をよそって、マックスサーモンの解し身を中心に添える。その上にまた、柔らかな米の布団。岩塩を馴染ませた手の平に柔らかく乗せると、熱い。当たり前だ。しかしここからは、握り飯と私との一騎打ちでもある。
 力を込めすぎず、ふんわりと、米を握っていく。空中に放る一瞬で灼熱を逃がし、ハイラルの大地を作ったと言われる正三角を目指して。

「──……完璧だ」

 そして遂に、握りが完成した。片手拳一つ分くらいの、丸みを帯びた三角形が4つ。彼の分と、私の分だ。
 真っ白な三角握りたちが、照明を跳ね返して白光しているようだった。


 夕方にアジトへ帰宅してきた彼を引き連れ、私たちはカルサー谷の高台へ登った。
 目的はもちろん「ドキドキ!おにぎり持参ピクニックデート」である。そんな裏の計画を露とも知らない彼は「珍しいっすね、こんなとこまで登るなんて」と、不思議そうに辺りを見回した。
 さあ、遂に。体の良い岩に腰をおろした私は、満を持して提げたバナナの葉の包みを取り出してみせる。外回りで持たされる携行食と同じ包みだ。

「実は、夕餉を作ってきたんだ。簡単なものではあるんだが、一緒に食べよう」
「えっ、夕餉を!? 幹部さんが!?」
「ああ、炊事場を借りて、君が帰ってくる前にな」

 これなんだが、と4つ分の握り飯が入った葉の包みを私と彼の間に置く。「開けていいですか」という声に、高鳴る心臓を悟られないよう平然を装って頷くと、彼は、葉っぱの中心で蝶結びをしていた蔦を解いた。張りのある葉をはらりと捲ると、未だ人肌ほどの熱を宿す白いおにぎりが、暮れなずむ空の元に晒される。

「こ、これは……」
「マックスサーモンの解し身を入れて、握り飯にしてみた。気に入ってくれるといいんだが」

 整列した4つの握り飯は若干の崩れはあったものの、おおむね握ったときと同じ形を保っている。彼は始め、片手でがっちりと掴み取り、すぐさま下から支えるように両手に乗せた。目の高さまでおそるおそる持ち上げ──そこで初めて、妙な違和感を持った。
 彼が、ごくりと喉仏を動かす。

「お……大きいですね」
「……」

 握り飯が、やけに巨大だ。両手じゃないと持ちきれないそれは、彼の華奢な肩と見比べると、ヒンヤリメロンとリンゴくらい大きさが違って見える。というか、彼の頭と同じくらいの大きさに見えるな。さすがにそれは言い過ぎか?
 自分で作っているときはこんな違和感なんてなかったが────試しに持ってみると、握り飯は私の片手にすんなりと収まる大きさだった。そりゃそうだ。この手で握った。
 そこでハッとなる。
 もしかして、私の手って想像以上にデカいのか?
 彼の手と自分の手、交互に視線をさ迷わせるが、大きいというか、ゴツい? いや、手の大きさというよりこれは、私の食べる量の問題────問題点が次々に上ってくるが、ぐるぐる考えているうちに彼がニッコリと笑う。「頑張って食べますね!」だと。ああ、本当は頑張らなくったっていいはずだったのに。
 宣言通りに彼はモリモリと食べてくれたのだが、二つ目の握り飯を半分ほど腹に収めた時点で、「ギブです」と白旗を挙げた。薄い腹が、今ばかりコーガ様を思わせるほどはちきれんばかりだ。
 このとき負けてしまったのはきっと彼の方ではなく、完食を果たされなかった私の方だったかと思う。


「おあああ~~~愛がっ、愛が大きすぎましたね。彼ピへの愛が」

 いつもの二人の咆哮が女部屋に響き渡る。ボスボスと悔し気にベッドを殴りつけるが、これは私のベッドだぞ。埃がたつからやめてほしい。

「今回は自分の手の大きさと、彼の胃袋の大きさを考慮してなかったのが敗因だ。愛とかそういうんじゃない。まぁ愛もあるが」
「私もッ、幹部さんが手ずから握ったおにぎり食べたい!」
「そこは彼氏じゃないのか? 私の食べたってどうしようもないだろう」
「でも! 食べきれなかったというだけで、胃袋はつかめたはず! 彼ピの好きな料理を作ってあげれば今度こそイチコロですよ! そしてゆくゆくは『俺に毎日おにぎりを握ってください』と。ひひひ」
「食べきってもらえなかったしなぁ」
「量の調整なんてすぐです! 胃袋鷲掴み作戦は継続ということで! 次行ってみましょう!」

 拳を握る団員。この頃にはもう、彼女たちの提案に異議を唱える気はさらさらなくなっていた。


 相談の晩から一夜明け、昼前。今回の戦場はアジトの鍛錬部屋だ。
 二人で過ごす場所としてはお決まりの部屋だが、今日は身体を鍛える以上に目的がある。計画の三つ目は、彼の背中に胸を押し付けることだった。

『男性を悩殺する王道テクです! 女性らしさをアピールするなら、やっぱり女性しか持ちえない武器を使うのがよろしいでしょう! 男共はおっぱいに目がないボンクラばっかなので一発ですよ!』

 吠え猛った時の、拳に浮かんだ青筋が目に浮かぶ。彼女は過去になにかあったとしか思えないのだが、何の引き出しもない私にとってはそのアドバイスがありがたい。
 しかし、胸を押し付ける、なんて。櫓の梁で懸垂しながら悶々と考える。
 これはいわゆる、房中術の一つだろう。戦闘部隊の前線にいた私は耳年魔的にやり方を知っているだけで、房中術を試す機会なぞ一度たりとも無かった。それに、自らの身体で男がなびくとも思えない。なにせ自分自身ですら、胸のふくらみが乳房なのか筋肉の発達の所為なのか、あまり分かっていないのだ。

 そんな私が、胸を……。ちらと視線を上げれば、彼がまさに、矢を射るところだった。
 ひゅっ、と空を裂く音をたて、放った矢が真っすぐに飛んでいく。とす、と矢尻が刺さったのは円状に引かれた線の外側だ。
「あー……」と悔し気に唸り、ぴんと伸ばされていた背筋が山を描く。

「なかなか上手くいかねえや。弓術はここの基本だってのに、くそ」
「きっと肩回りに力が入ってるんだ。もしくは、矢羽根をつかむ手の形がおかしいか。もういっかいやってみよう」

 声を投げると、彼は真剣にコクリと頷き、改めて弓を構えた。
 ギリギリ、と弦を引っ張る肩が、指摘した通りに張っている。それに左ひじも。「やっぱり、力が──」とまで言いかけて、ふと気付く。
 今がチャンスでは?
 彼の背中は隙だらけだ。一切の警戒心を感じさせないガラ空き。胸で襲うなら、今。

「……」

 生唾を呑み込み、そろりそろりと彼の真後ろへ近寄った。

「し……失礼する」

 身体へ沿わせるように傍へ立ち、彼の右手に柔らかく指先を重ねた。ぴくり、と筋ばった肩が跳ねる。余計に手の平へ力が入ったのは、気のせいか。
 彼の手の甲を、手の平で包む。

「ほら、手……力が入ってるから、抜かないと」
「は……はい」
「あと、こっちの肘も。手の平の中の形も大事だから、しっかり意識して」

 もう片方の手で、彼の肘から指先まで伸びるように、撫でていった。そして弓幹を握る左手を、同じように柔らかく包み込む。まるで、いつかの潜入業務で見かけた社交ダンスのような格好で。
 目の前で揺れる彼の黒髪が、身じろぐ度に私の仮面と擦れてカサカサと音を立てた。辛うじて未だ密着はしていないものの、ほんの少し距離があいてるだけ。空気を伝って、彼の体温が分かるようで。
 や……やる、ぞ。
 バクバクと騒ぎ始める胸のまま、静かに深呼吸して、腹の奥を膨らませた。

「──こう、いう形で」
 むにぃ。
「ぐっ、と持って」

 彼の骨ばった背中の形に、肉が変形した。
 心臓の音が、身体の中に響いてゆく。

「そ、れで、弓を押すときは一瞬、呼吸止めて」

 止まってるのは私の方だ。ばか。

「わ、分かったか? なら、押して。っどうぞ」

 肩へ伸し掛かるみたいに、潰れた胸のまま息を吸った。
 これだけ脈拍が早ければ、きっと彼にも伝わってる。彼はどう思ってる? 自分の音がうるさくてどうだか分からない。

「っふ……」

 呼吸の一瞬、弓が押されて飛び出す。すぐさま耳を打つ、とす、と刺さる音。けれどそれより、心臓の音の方が近い。私のか、それとも、彼のか? 脈動を探る間に、張りつめた背中が緩む。
 するりと彼が抜けていった。触れ合っていたのは、たぶんほんの刹那のことだった。身体の中はまだうるさい。

「か」彼が振り返る。「幹部さんっ! いけました! ど真ん中に命中です!」

 見遣ると、確かに細い矢柄が的の真ん中から生えている。にょっきりと。

「さすがです! 言われた通りにしただけでこんなに変わるなんて! 教え方が上手すぎる! さすがとしか言いようがない!」
「わ、わたしは……」
「キリもいいし、俺ちょっと手水場に行ってきますね! すぐ戻ってきますから、すんません!」

 彼は弓をその場において、次の瞬間には駆けだしていた。「い、行ってらっしゃい」と返す頃に、もう姿は見えない。
 場に残されたのは、的のど真ん中に命中した矢。足元に転がる二連弓。恋人に置いて行かれた私。
 ……どうなんだ。これって結局、なんの結果も残せてないのでは?
 それより、唐突に破廉恥な事実が頭を駆けていく。彼に乳房を押し付けた。未だ手も繋いでいない男の背中に。
 私は、痴女か────。そんな言葉が頭に浮かんだ。

「……ぐぅッ」

 恥ずかしいッ。触れ合いを強請るよりもよっぽど居た堪れなくないかッ。

 仮面越しの顔を両手で覆って、その場で猛烈にスクワットした。動いてないとやってられない。身体を、いや自分自身を苛めないと恥でどうにかなってしまいそうで。
 鍛錬場の端から端まで走り込みし、腹筋・背筋・懸垂・素振り・バイシクルクランチ・倒立腕立てで筋肉を追い込む。途中、汗で重くなってきた装束が邪魔で脱ぎ捨てた。みしみしと身体が音を立てるが、そんな筋繊維の悲鳴より、今は自らの柔らかい乙女の部分が重傷だ。痛い。痛すぎる。痛覚を上書きしたくて身体を痛めつける。二日酔いの痛みに酒を流し込むが如く。ああいや、それは愚か者のすることだな。さすがにそんなバカと一緒にされたくはない。ない、けどッ。

「なにしてるんすかッ、幹部さん!!」

 突如鍛錬場に高声が響いた。
 見ると、恋人の彼が扉に立っている。手水場から帰ってきたのだ。しかし、両手を震わせながら凄む様子に身に覚えがない。風斬り刀の切っ先を下ろし「ど、どうかしたか」と問えば、ずかずかやってきた彼に肩をガシリと掴まれた。
 仮面がぶつかって、カツンと音をたてた。

「装束は!? なんで下着一枚で素振りやってんです!?」
「えっ、いや、汗まみれになったから、邪魔で」
「ダメですよッ、そんな恰好で!! 早く上、着てくださいッ」

 慌てた様子で辺りを見回すと、放られた装束を見つけたらしい。すぐさま手に掴んで戻ってきて、一も二もなくズボッと私の頭に被せてきた。彼がこうまで強引に、それに怒気を露にするなんて初めてだ。
 腕を通しながらすまないと呟くが、彼は聞こえていないのか、私の真ん前で黙ったまま腕を組むだけだ。なぜだかその背中に、鬼でも住んでるみたいに見える。弓を引く時とまるで違う雄々しさ。殺気? どうも、なんだか……私は余計なことばかりやっている気がする。
 着替え終わったことを告げると、彼はパッと振り返った途端、良かったと言いたげに胸へ手を当てた。

「今度から、人目のあるところで上着なんて脱がないでくださいね、俺との約束」
「あ、あぁ……すまなかった。今度からしない」
「……鍛錬の度に脱いでたわけじゃありませんよね」
 図星だ。「いやっ、してない」首をぶんぶんと振った。嘘だ。「今日が初めてだ」昨日も脱いだ気がする。
 彼は小刻みに首を振りながら「なら良いんですけど」と呟いた。私の狼狽えには気付かなかったらしい。良かった。

「あ、そういえば幹部さん、折り入って頼みがあるんですが」
「……頼み?」
 
 叱責の流れでそのようなことを言われると思わず、「なんだろうか」と促す。
 彼は言葉に詰まりながらも、「実は」と頬を掻いてみせた。


「デートォ!?!?!?」

 共寝所。いつもの彼女たちに告げたら、二人から一斉に詰め寄られた。
 もはやお決まりの集会となった三人の会合だが、今の時刻は就床前。人差し指を立ててしーっと険しい顔を作ると、彼女たちも慌てて両手で唇を押さえた。しかし表情はそわついたままだ。今にも悲鳴が飛び出そうではあるが、なんとか我慢をしている。
 これ以上騒がないだろうと見当をつけてから、私は胡坐の前で手を組んだ。

「いや、デートというわけじゃない。彼には、カラカラバザールでの買い物に付き合ってくれと言われただけだ」
「それって、やっぱりデートですよね……!? うひょ~! テンション上がる~!」
「こら、女の子がうひょーとか言うんじゃない。はしたないぞ」
「もうこれは、計画の最終段階に進んでもいいのでは!? やるっきゃないですよ! ね、隊長!」

 男に厳しく、親身に助言をしてくれていた女団員に、彼氏持ちの団員が告げる。彼女は隊長だったのか。
 隊長は何度も深く頷きながら、力強いまなじりを私に向けてきた。

「そうですね、やりましょう幹部さん! このデートで彼ピの股間直撃! ギッタンギッタンのバッコンバッコンにしちゃいましょう!」
「そうですそうです! 私の代わりに幸せになってください! 幹部さん!」

 拳を天井に突き上げる二人。多くの団員が寝転ぶ中で力強く天井に伸ばされた二本の腕は、美しくすらある。私も頷き、そして拳を握った。このとき、私たちの心は一つになったも同然だった。
 相部屋というだけで親身になってくれた二人。よくここまで付き合ってくれたものだと思う。ときには共に落ち込み、ときには励まされた。感謝を伝えるべきだろう。彼とデートへ赴けるのは、まさに彼女たちが居てくれたからなのだ。
 しかし、その前に。

「君……恋人と別れてたのか……」
「……えへ」

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