「コーガ様・スッパ」が登場する話

ハイラルの地に平穏が訪れてから、早や数年が経つ。
厄災の残した爪痕は大きい。しかし、厄災の滅殺という目的のために結束した各部族は、その度協力をしながらも、またそれぞれの生活へと帰っていった。

一つは王家の友として。
一つは王家の矛として。
一つは勇者の友として。
一つは勇者の支えとして。
そして、一つは、主を標として。

この時ばかり、刹那に約束を結んだハイラルの陰は、また王家から離れ、ひっそりとした谷の間へと身を沈めていった。
何をすべきかは分からない。しかし、嘗て抱いていた目的の代わり、各々の胸には輝かしい御方が存在する。
彼がいれば、彼らは大丈夫だった。その確信がある。己等を導く存在として、彼がいれば何も問題はない。
それがたとえ、盲目的な忠義、信仰心だとしても。




「暇だなー」

彼らを導く存在は、毎日が暇だった。
やることといえば、毎日毎日飽きもせず、好物のバナナを貪り食べるだけ。食べては放り、食べては放り。
寝転がる隣には既に、バナナの皮がこんもりと小高い山になっている。

どれほどの時間そうしていたかは分からない。
日が昇っては布団から起きだし、朝餉を食べ、彼の右腕が彼らに指示を出すのを見届ける。
その後、崖の上で寝転がり、昼餉の支度が出来たと言われれば重い体を起こし、食事が済めばまた崖を登ってやってきて。
夕餉が出来たと言われれば・・・、一日の内にだって、同じことの繰り返しだ。

時間の感覚が既にない。当たり前だろう、同じことしかしていないのだから。
そんな感覚、持つ必要もない。嘗て同胞たちと抱いていた王家打倒の夢が散った、今となっては。

足首を膝にかけて空を行く雲を眺めていると、時間の経つ事実だけは如実に理解できる。
風があろうとなかろうと、雲さえあれば、如実にだ。

「コーガ様、お忙しいところ申し訳ござらぬ。暫しご相談したいことがあるでござる」

寝転がって雲を見て、バナナを食べ呆けている今時分。お忙しいとは、なんとも皮肉が利いている。
しかし、彼の部下たる巨漢の男は、酷く真面目でお世辞にも皮肉の言える性分ではないと、重々理解していた。
そも、毎日がこんな感じで、いちいちツッコんでもいられない。

「どうかしたかぁ?」と首だけ後ろに傾けて、彼は、食べ終わったばかりのバナナの皮を放り投げた。

「は、王家研究所から伝達がありまして、遺物の新たな可能性を発見し、シーカーの技術を継ぎしイーガからも、意見を頂戴したいとのこと」
「あー」
「つきましては、遺物に知のある人間を数人寄越して欲しいと、書簡に書いてあるでござる。いかがしましょう」
「んー」

厄災が消滅し、ハイラルに平穏が訪れたとはいえ、それまでにイーガが行ってきた咎が不問にされたわけでもない。
しかし一度は志を共にし、平和のために拳を合わせた仲である。王家は、今後協力を要請した際に受け入れることで、今までイーガが行ってきた罪に目を瞑ろうと提案してきた。

アジトをほぼ壊滅させられ、罪に目を瞑ろうもクソもないだろうに。
彼としては、この拍子に土地を移り、ハイラルを捨てたって良かった。信仰対象としての厄災がいなくなったこの国に残る意味などないし、彼らが信仰しているのは、彼だった。

しかし、彼にとっても彼らにとっても、紛れもなくこの国は故郷であり、存在意義のひとつでもあった。
伝統、過去、遺志を捨てて亡命を選ぶより、協力の将来を選んだ方が命があると、彼は総長の立場で、ただ静かに頭を下げた。

その見返りに、度々こうして書簡が送られる。最初は何を要求されるかと身構えたものだが、蓋を開けてみれば、やれ研究に付き合えだの、やれ復興するのに人手を貸してほしいだの、さながら何かの便利屋扱い。実際、その程度にしか思われていないのだろうが。

「いかがしましょうたって、応じるしかねえからな」

足を組みなおして、いつのまにか手についていたバナナの筋を飛ばす。
本当はこのような些事、彼に相談せずとも采配を下せるのがスッパという男である。しかし、王家の書簡という手前、一介の団員だけで決することができないのも事実。
スッパは彼の言葉に応じ、その場で片膝をつく。

「研究班の若手と、古代シーカーの文献を整理している人間に行かせても良いでござるか。コーガ様の、了承さえ得られれば」
「おう、それで良いぞ」
「御意に。それでは」

即座に立ち上がり、躊躇も遠慮もなく来た道を戻る部下は、これ以上ないほどよく出来た男だった。総長の代理とでもいうような右腕の働きは、彼がおらずとも、この集団が安泰していくことを示唆している。

彼らの象徴としてでしか、もはや自分の存在意義はないのだろう。

「・・・そろそろだなぁ」

どこまでも遠い碧空。ゆるりと漂う積乱雲。
彼は一人、穏やかなそのときを、頭に思い描くだけ。










どいつもこいつも、阿呆ばかりだなあと、彼は平生から思っていた。
己等が信仰していたはずの厄災が討たれても、彼らは全く変わらない。
それどころか、王家と繋がりができたことで、安定的に食事やバナナが供給されることに、嬉しささえ滲ませる始末。

阿呆だなあ。俺たちの神が、討たれたんだぞ?
俺たちも、神を討つのに加担したんだぞ?

毎晩の如くどんちゃん騒ぎで夕餉を囲む彼らに、頬杖をつきながらため息を零す。

俺たちゃあ、決してまともな死に方はしないだろう。
だのになんでお前らは毎日、そこまで楽しそうなんだ?

零したため息にさえ気遣う彼らに、手を振って応えるのは同じく気遣いだ。

阿呆だなあ。莫迦だなあ。

そんな彼らは、とっくに厄災なんて信じていないと、自分だって分かってた。
自分さえいれば彼らは続いていくのだと。それは憶測ではなく確証なのだと。
だって彼らは、嘗ての自分と同じであるのだから。









「コーガ様、お忙しいところ申し訳ござらぬ。暫しご相談したいことがあるでござる」

今日も空は遠く澄んでいる。
片足を膝にかけて寝転ぶ彼に、皮肉でもない言葉をかける右腕さえ、いつもと変わらない。
惜しむらくは、美しい碧空に、雲の一つも浮かんでいないことだろうか。
崖に囲まれただだっ広い広間では、雲さえないというのに日もささず、うすら寒いのも残念だ。

頭の先にかかった声に首だけ回し、「なんだ」と食べかけのバナナをその場に置く。

「王家に遣わした団員の働きが予想以上とのこと。このまま彼らを身受けしたいと研究所から通達がありまして」
「まじかよ、言いたい放題いいやがる」
「いかがいたしましょう」
「いかがいたしましょうたって、どうすっかな」

腕を組んで見せた瞬間、右腕の男は逡巡もなく、彼の頭の傍で膝をつき、イーガの面を覗き込んだ。
同胞と道を違え、天地を逆さにした印の面。それこそが、今まさに手を取り合おうという問いに悩む、皮肉にしかなっていないのに。

「期間を設け、貸し出すという話にすり替えようかと。イーガも人手が足りぬ故」
「おう、それで良いだろ。外部の知識を得られて、こっちにも利がある」
「御意。では早速」

巨漢の男は足早に去っていく。その足並みだって、いつも同じだ。
逡巡もなく、狼狽もなく、遠慮もない。それは彼が、標となっているからこそ。
相変わらず優秀な男の背を見送ることもせず、彼は置いたバナナを手に掴み、力の限り投げ飛ばした。
寝たままの姿勢が良くなかったのか、バナナはすぐ傍にへたりと落ちた。










その日、彼が一日を過ごしたのは自室の布団の中だった。
見たものといえば、自室の天井。干したばかりの布団。バナナの黄色。扉の隙間から見える、雲一つない空。
朝焼けのオレンジから、宙を感じる青色となり、ただ辺りを囲む、黒となる。
ああ、雲なんて無くても、時間は経っていたんだなあ。

「コーガ様、お夜食をお持ちしました」

今日初めて姿を見る右腕が、卓盆を持って現れる。おぅ、と声だけを返し、布団の中からその巨漢を見つめた。
背中を丸めて卓を置き、続けて隣に端座する右腕は、彼が布団から這い出るのを待っている。這い出ると、確信をもって待っている。
なぜならそれが、毎日の彼だから。

彼は、くつくつと笑った。面越しの額に手を置き、ただ、くつくつと。それでも右腕の男は動かない。
いくら優秀でできる男だろうと、右腕の男もまた、阿呆の彼らと同様に、盲目的に彼を信仰する一人でしかないのだと。

「スッパ。俺様、お前に言っておきたいことがあるんだわ」

それは唐突だったろう。いつもであれば改めて、このような言葉は口にしない。
如何ようにも、と返ってくる声は逡巡も、狼狽も、遠慮もなく、ただ純真に、彼の言葉を待つだけで。
この男に告げるのは酷だろうと、彼だって分かっていた。

「俺様、そろそろ逝くわ。夜食も、バナナも、あんまり食えねえ」

今日見たのはバナナの黄色。皮も剥かず、ただ丸のまま手に握られた、バナナの黄色だけだった。
は。と、息を吐いただけなのか、それとも問い返しただけなのか、男が紡いだのはただの音だった。

「朝も起きられねえし、食事も食べられねえ。身体動かすのもしんどいし、たぶん、そろそろ、逝く」

自覚があった。緩やかに、穏やかに、自分は終息へと向かっている。そんな自覚が。

「いく、とは、どこに」

完璧を体現したような男だと思っていた。そんな男が、随分間抜けなことを聞く。しかも、震える響きを、少しも隠しもしないで。
彼はからから笑って見せて、その後酷く咽てから、肺を落ち着かせるように深く息を吐いた。

「お前は変わんねえなぁ」

それまで座ったまま身じろぎもしなかった右腕の男が、途端弾かれたように彼の傍に寄る。
布団から覗く面はいつもの如く、嘗ての反逆の印。それがただ動かずに、天井だけを見つめている。
呼吸のしづらささえ感じる動悸に肩を上下させながら、右腕の男は両ひざをついた。

「貴方がいけば、俺は、イーガは、どうすれば」
「それでも俺は逝く。ただ、コーガはいる。面倒みてやってくれ。あいつらにゃ、必要な存在だ。ただし、他言無用だぞ」
「なぜ、自分に」
「言っとかなきゃ、お前にはバレちまうだろ。そうなりゃ、イーガがここで終わっちまう」

コーガが存在する限り、イーガはこのハイラルの地に生き続ける。
それは、王家の闇として。嘗ての同胞の陰として。
彼らの標である、コーガさえいれば。

「お前がいれば、次のコーガも安心だ」

彼の声は、穏やかだった。静かだった。
嘗て自分に、手を差し伸べてくれた時のような。
イーガにやってきた、何者も受け入れてくれるような。
遥か彼方に違えた、自身の、父のような。

「貴方と、共に生きたい」

気付けば口に出ていたその言葉に、後悔など、微塵もない。
しかし情けない。ああ、情けない。これほど上ずる声を聞かせたことがあるだろうか。これほど御せぬ胸の内に、乱されることはあっただろうか。
右腕は頭を垂れた。床に額を擦り付け、血の滲むほど、拳を握りこんで。

「自分は、貴方だったから、ここにいる」
「そう言うよなぁ、お前はなぁ」

彼には分かっていた。長く共に過ごしたこの男が、こうまでみっともない恥を晒すことも。
鼻声すら隠さず、外聞なく要望を伝えることも、彼には分かっていた。
だからこそ続ける。それは決して皮肉ではなく、純粋な問いとして。

「バナナをお前にやったのが俺だって、自信あんのか」

男の過去に温かな染みがあるからこそ、こうまで一途でいられる。

「俺の前かもしんねーだろ、確証あんのか」

盲目的な忠義こそ、揺らいでしまえば一瞬だ。
それでも信義を、忠義を、持つことはできるのか。

一間の逡巡の気配。面が持ち上がり、イーガの瞳と視線が合う。
いやきっと憶測だが、面下の瞳と瞳すら、確かにこの時、視線の先は合っていた。

「あります」

その、太く、低く、しっかりとした、鼻声といったら。
彼は掠れた声で「はは」、と笑った。

「そう、言うよなぁ、お前はなぁ」

手を伸ばす。その先には、嘗て確かに子どもだった男の、頭がある。
忘却の彼方、遥か昔に覚えがある。
温かい手の平。大きな手の平。
皺がれた、知らない手の平。

「これは、俺様がお前に伝える、最後の任務だからよ」

頼んだな、と呟いて、彼はそのまま眠りについた。
右腕の男は寝息を耳にしながらも、ただ朝焼けに焦がれるまで、その場に座していた。










それからというもの、右腕は常に彼を視界にいれるよう努める毎日だ。
昼寝をするというのなら共に出向き、食事を取るというのなら隣で食った。
どこにもいかぬよう、一人でいかぬよう、彼の右腕は、共に生きたいと請うた言葉を、胸に抱き続けていたのだ。ずっと。いつまでもずっと。

「コーガ様、お忙しい所申し訳ござらぬ。ご相談したいことがあるでござる」

それはいつかと同じ、雲ひとつない碧空の美しい日。

別の団員に呼ばれた拍子、少し席を外してから彼の元へ戻ってくると、先ほどと同じく、地面に寝転がる黒い元結が見えた。

「ん、なんだ。相談って」

彼はその場でむくりと起き上がり、胡坐をかいた。頬杖をついて、「言ってみろ」と、面を傾ける。
言葉は出ない。それは逡巡。狼狽。遠慮。いや、・・・後悔。

「スッパ?」

充分だった。たったそれだけの振る舞いで。
ああ、いってしまわれたんだと、右腕の男が理解するには、充分だった。



「なんでもござらぬ。この間、フィローネに向かった団員から、増員の要請が来ておりまして・・・」







雲一つない青空の元、これからも彼らの日々は続いていく。
貴方がいなくなった後も、平然と、いつまでも、ずっと、ずっと。

その言葉は確かに呪いだろう。それを承知で、貴方は呟いた。

俺は貴方が憎らしい。貴方に縛られていると知っていて、するりと抜け出た貴方が、とても。


生涯をかけて、貴方のいないこの集団で、俺は生きていくしかない。この地獄のような平穏の中で、ただ一人、いつまでも。




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