【ss/not夢】イーガ団員の日常話
娯楽のない辺境でむさくるしい巨漢と二人きりとあらば、たとえ大願を胸に秘めし集団の一員と言えど辟易してくるのが道理であろう。少なくとも無人の掘っ建て小屋へ勝手に荷物を詰め込み、鹿砦と蛙の道祖神で縄張りを示した彼は、これ以上にすべきこともなく持て余し気味の日々がはっきりと気重であった。
支部でやることと言えば、周辺団員から集められた地底へ送り込むための荷物の管理と、地底から送られてきたよく分からない資源の管理。縫製に詳しい民間人を捕えて装束作りを強制させていた過去もあるが、にっくき姫付きの剣士に逃がされてからというもの後任はまだ見つかっていない。忌々しくもあの優男が近場をうろちょろしているという報告も受けている。派手に動いたことが原因で、また彼奴に邪魔されたら面倒だ。
そんなわけで、構成員の彼は資材の管理の傍ら、チミチミと慣れない縫製の仕事に勤しむ日々を続けていた。
しかし、刀を振るい、闇夜に乗じて人様の首を刈っていた男たちが一つ所に留まって、チクチク黙々と布に針を刺す。隣に座した男の吐息すら耳に聞こえてきそうなほど狭い家の中でだ。しかも、膝を突き合わせているのは、自分より立場も腕力も上である幹部役だ。
これがどれほど息の詰まる状況だか、社会に出たことのある成人ならばつぶさに理解が及ぶだろう。純粋な同期とか、同じ立場の構成員が隣なら、まだ下世話話でも交わしてやいのやいのできたはず。最近あっちの方はどうなんだよ~とか、あっちってどっちだよ~とかなんとか小突きつつ適当言ったりして。
イーガという集団は全員仮面をつけていて個人を晒さないからこそ、中身があるんだかないんだか分からない話で距離感を詰めていくのが、絆を築き上げる定石だ。いくら志同じくコーガ様に忠誠を誓う同胞だったとして、個人的に信頼のおける人間かどうかは別問題であるので。
しかし、幹部役との毎日は、仕事以外に話を交わすことがない。
こういう状況なら上役が気を利かせて喋ってくれりゃあいいのに、と構成員は考えたが、幹部は真面目な青年であるようだった。おそらく自分よりも年下。若いなりに頭が固いようで、業務中に駄弁を弄することを避けているらしい。
それにもしかすると、彼としてはこう考えているのかもしれない。「こういう状況なら、年上が気を利かせて何か喋ってくれれば良いのに」と。
表情を窺い知られぬようにと仮面をつけているにもかかわらず、結局仲間内では、相手の表情や出方を伺っているのだから阿呆らしいったらありゃしない。とはいえ沈黙のまま午前中を過ごし、昼餉を食い、いつのまにか陽が落ちて就床するのも生きてる心地が無くなってしまう。
仕方ないので、構成員は針を進める指先から顔を上げ、何か一言話題を提供することにした。
「今日、いい天気っすね」
「ああ、そうだな。いい天気だ」
「日中は漸くちょっと暖かくなってきましたね、朝は寒くって」
「ああ、そうだな。朝は寒いな」
「この前、白い蝶が飛んでたんすよ。ああ春だなーと思って」
「ああ、そうか。もう春なんだな」
へへへ、と軽薄に笑いながら無理に続けた話が、さながら池に投げ入れた平石のように沈んでいく。
幹部は会話を交わしている合間も、手元の装束作り──彼は仮面担当なので木の削りだし作業だったが──から、目を離さない。相槌だって適当極まってる。まともに取り合ってくれさえしないのか、はたまた集中していて言葉が出てこないのか。
カッカッ、という木を削っていく音だけが後に続く。開け放した小窓からは冷涼な清風が吹き込んできているが、息の詰まるような空気を一新させることはない。ああ、無情。こんな日々を、いつまで繰り返せば良いのやら。
と、構成員が将来の展望にまで憂いを走らせた、そのときだ。ココン、ココンという木の扉を叩く音がした。
幹部と構成員、両名の一つ目が手元から扉へと移される。妙なリズムのノック音は、団員の間で取り決められたイーガ団であるという証だった。
下っ端である構成員が一もにもなくヨッコイセと立ち上がり、覗き穴から外を見る。視界に飛び込んできたのは、三歩分ほど間を空けて静と立つ、スカートを着た婦人の姿。
構成員は、今まで胸に詰まっていたコルクが抜けたように「あぁ!」と声を上げながら扉を開け放ち、それから後ろへ振り返った。
「幹部さん!奥さんいらっしゃいましたよ!」
目が合った瞬間に小首を傾げた笑顔の人は、度々幹部を訪ねに来る彼の奥方であった。
■
雑然とした小汚い部屋の中、男と二人きりの生活において来訪者の存在は、まるで魚にとっての水だった。つまり息がしやすいってことであるが、中でも幹部の元へやってくる小柄な奥方は、縁も所縁もないはずの構成員にとってはっきりと美味しい酸素になっている。
まどやかに「こんにちはぁ」とスカートを持ち上げる会釈は、小春の陽射しを思わせる朗らかさ。差し入れに持ってきてくれるパンも彼女の手作りという話で、挽きたての小麦の味は夫だけでなく構成員の胃袋までもを掴んでいる。さらに今日は、気を利かせて葡萄酒まで忍ばせてくれているという話じゃないか。
やってきて早々、物資で散らかりまくった部屋の中を掃除してくれたり、昼餉を作り始めてくれたり。その俊敏な働きっぷりに、ここに住んでるんだっけ?と一瞬信じそうになるほどだ。
幹部さんがしきりに「道中大丈夫だったか」「こうまで足繁く来なくて良いのに」としつこく構ってやってるのも理解が及ぶ。
最初こそその見せつけるようなイチャイチャっぷりに構成員は腹を立てていたものだが、これほど夫のためにあくせく働いてくれているのだ。彼が申し訳なくなるのも道理だし、奥さんのことを大事にしたくてしょうがないんだろう。
それになにより、純粋に”結婚”というものに興味が沸いた。これこそが所謂”理想の夫婦”ってやつに近くないか? 自分もいつか、気の良い嫁さんが欲しい。純粋にそんな風に思わせてくれる二人だからこそ、構成員は文句を飲み下すだけだったのである。
かたり、かたり、と硬い音が耳を過ぎていって、そろそろかと頭に浮かぶ。思った通り「準備ができました」と彼女に告げられ、構成員は食い気味に顔を上げた。
それまで地図やら筆録の紙やらが広がっていた机の上は綺麗サッパリ片付けられて、代わりに食器が占領している。ふんわりと湯気をたたせているのは、今しがた彼女の手にかかっていたスープとパンだ。
幹部と二人きりのときは、昼餉の準備なんて面倒で、物資のツルギバナナを拝借しながら作業を続けてしまう。しかし、やはり暖かい食事は人の琴線に触れるものである。
構成員は思わず「ありがてぇ」と息交じりに呟き、さながら光に寄せられる蛾のように机へついた。
その後ろで、幹部が首筋を掻く。
「本当に・・・・・・すまない。お前だって忙しいだろうに、こんなことまでさせて」
「良いんですよ。それに、じゃないと貴方、ご飯を適当にするでしょう? こんなところで倒れられては他の人に迷惑ですからね。しっかりと暖かいものを食べて、元気でいてもらわないと」
「ちゃんと食べてる。夜なんかは特に、肉とか」
「私は野菜のことを言ってるんです」
水差しを傾けてコップに注ぎながら、彼女が口をとがらせる。その拗ねた言い回しは新妻の如く。お互いに心配の押収をしているわけだから、これは立派な惚気合いだ。
ことりとコップを置いた拍子に「いっぱい食べてくださいね」と屈託ない笑顔を向けられ、「すいやせん」と首だけで会釈する。彼女はクルンと軽やかなステップで炊事場へ戻っていって、包丁やまな板なんかをまとめ始めた。
あとは俺がやるからとか、お前も昼餉を食べてくれ、とか。幹部は椅子に座ろうとせず、彼女の背中を追いかける。腹がグウグウ鳴って仕方ない構成員としてはさっさと椅子に座って欲しいものだが、もちろん上司なのでそんなことは言えない。
鶴の一声となったのは、まさに幹部の嫋やかなお嫁さん。キッと吊り上げた眉尻のまま、彼女は下から自身の夫を睨みつけた。
「この後も業務があるんですから、貴方はご飯を食べててください! こういうときでも無ければ支部を整えるのも大変でしょうし、私はついでに薪を拾ってきますから!」
「か、幹部の奥方にそんなことさせられないっすよ!薪くらい、あっしが後で準備しますから!」
「気にしないでくださいな、家でもやってることですから」
たまげた。どうやらこの短い滞在時間の中で、燃料たる薪が少なくなっていることにも気付いていたらしい。
飯のお預けを食らっている構成員もさすがに尻を浮かせたが、彼女にヒラヒラと手の平を振られれば、この場において一番の下っ端は何も言えなくなる。目の前の飯も美味そうだし。
「じゃあ、ちょっと行ってきますね。そんなに遅くはなりませんから」と滲ませた笑みは、躊躇なく閉じられた戸の向こうに消えていった。それから扉越しにざ、ざ、と砂地を踏みしめていく音が続く。後に残るのは、そもそもここの管理をしているはずの男が二人だけ。どっちが客人だかわかりゃしない。
幹部も構成員も暫く扉を惚けたように見つめていたが、香ばしい香りを纏った湯気は容赦なく鼻腔を擽ってくる。ぐぅ、とどちらの音か分からぬ腹が鳴ったところで、「食べるか」と零した幹部の言葉を皮切りに、二人は椅子に深く腰かけた。
ふんわり湯気の立つスープは、うっすらと白濁した淡黄色。底にはキューブ上の小さな野菜が沈み、一口サイズのゴロッとした猪肉が二欠片入っている。
存在感のあるそれは引き締まっていて食べ応えがあった。いつも構成員や幹部が作る時とは違って生臭い血のニオイなんか一切しない。火で炙ったらしいパンもまるで焼きたてを思わせるように柔らかく、旨味が沁みだしたスープと良く合った。
この前話したときには、煮込んでホロホロと崩れるくらいになった肉ならば、挟んで食べるのが一番美味しいと教えてくれたっけ。つまらない日々で冷めきった心に、彼女の作った暖かいスープとパンが、じわじわと沁み入ってくるようだった。
改めて考えても、羨ましい。料理ができて、気が利いて、掃除をしてくれて、旦那のことを慮ってくれる、小柄で笑顔の素敵な奥さん。およそ妄想し得る限り完璧な女性じゃないか。
「いやぁそれにしても・・・・・・良い奥さんですよね」
スープにビシャビシャとつけたパンを仮面の隙間から啜りながら、構成員は自然と彼女の話題を口走っていた。
「こんな辺鄙な場所まで来てくれるなんて・・・・・・幹部さん、愛されてますよねー羨ましい」
「ん・・・・・・まぁ・・・・・・ありがたい話だ、ほんと」
「あっしもあんな奥さん欲しいですよ、健気で、優しくて、しおらしくて・・・・・・」
「・・・・・・」
「でも心配じゃないです? あんな可愛らしい人、ほんとは近くで守りたいのに!とかって思っちゃうでしょ」
パンに伸ばしかけていた幹部の指先がピタリと止まる。
彼が面下で眉を顰めたことに、呑気にも皿の淵に口をつけてゴクゴクとスープを流し込む構成員は気付かない。
「あっしだったら、いっそのこと支部の近くに引っ越してもらうとか考えちまいますね。心配に身をやつすくらいなら」
「心配・・・・・・あいつを?」
「え?だって、あんだけ甲斐甲斐しく気にかけてやってるじゃないですか。心配なんじゃないんです? 奥さん、あんだけ可憐だし」
「何言ってる、あいつは・・・・・・強さだけで言ったら、俺なんかよりずっと上だ」
えっ。と言葉を失くした構成員に、幹部が言い募る。
「嫁はずっと戦闘部隊の最前にいたんだ。札とか暗器の使い方がベラボーに上手くてな。扮装も暗殺もお手のもんだぞ」
「えええ、お淑やかなあの人が? 俄かには信じられません」
「そもそもこんな辺鄙なところに度々やってくる健脚だぞ。ここへ来たときのあの涼しい顔、あいつにとってなんでもない証拠だろ。俺ですら嫌になるくらいの場所なのに」
「・・・・・・そういえば」
「真意を徹底的に殺す隠密のやり方よな。お前は騙されてるんだ。まんまと」
幹部はうんうんと頷きながら、大仰に腕を組んでみせた。
「俺はあいつに頭が上がらなくてなぁ・・・・・・。ちょっと酒を飲んで帰宅が遅くなった日、扉を開けたらクナイが飛んできてたまげたものだ。フードを丁度縫い留められて動けなくなった。今何時か分かってるんですかーとな。平謝りして事なきを得たが、楽しみにとってある酒を全部割られそうな勢いだった」
「へ、へぇ・・・・・・」
「支部勤めになってから、なかなか家に帰る機会もないだろう。だからか最近は妙にピリピリしていてな・・・・・・。宥めすかすのも大変なんだ。正直ここに来てる間も、爆弾樽に火をチラつかせてるみたいで気が気でない」
さすがに言い過ぎじゃないか?と思ったが構成員は口を噤んだ。
尚も幹部は言い募る。
「役職こそ俺の方が上だが、俺はあいつを絶対に怒らせたくない。怒るとライネルみたいに闘気が逆立ってな、矢を飛ばしてくるんじゃないかと恐ろしくて・・・・・・実際飛ばされたことがあるし、あの状態だと本当にライネルみたく、火を吹いてもおかしくなさそうで、それで──」
そのときだった。ひゅっ、と風を切る音が耳を掠めた。
幹部の仮面を擦っていき、それからトス、と小気味良い音。え。幹部を眼前に、一部始終を目撃していたはずの構成員にも、何が起こったか咄嗟に分からない。
フードを巻き込んで綺麗な穴を開けた何かが、幹部の背後の壁に刺さっている。・・・・・・クナイだ。指で示そうかと思ったが、動けない。背後から感じる殺気が、幹部にだけでなく自分にも二手目三手目を放ってくるのではなかろうか。そう感じさせるような重たい空気があった。瞠目しながら、微動だにできないほどの。
「随分楽しそうにお話しされてますね、貴方」
ほどなくして、ぎ、と蝶番を軋ませる音と、柔らかな声が部屋に響く。開け放たれた扉の先には、もちろん幹部の奥方の姿だ。
いやそれだけなら良い。なぜ肩に斧を担いでいるんです。ア、後ろに薪が置いてありますね、拾うと言ったのは建前で、ワンピースに隠されてる剛腕で薪を割っていたわけですか。さすが戦闘部隊。逆光でギラリと光る鉄の板面と、口端を持ち上げた冷ややかな笑みがやけに似合うのも理解が及ぶ。
「妻の陰口なんて、御人が悪いですよ。まるで私が夫を蔑ろにする愚妻みたいな言い方」
「そ、そんなことは・・・・・・言ってなくてだな・・・・・・」
「ともかく、お口に気をつけてくださいな。辺境だからってどこに耳があるか分からぬと、隠密であれば肝に銘じておいてくださいね」
「・・・・・・すまん」
最後ににっこりと笑った彼女は、「ではまだ薪割りがありますので」と断って、扉を閉めた。あとはただ、水を打ったような沈黙が場に満ちる。
指先ひとつ動かすのも億劫な中、先に言葉を発したのは幹部だった。
「・・・・・・な、怖いだろう」
「・・・・・・」
「良い嫁なのには間違いないが・・・・・・良い嫁で居させるのが大変なんだ」
ため息交じりの声。いやでもちょっと言わせてほしい。悪い嫁にさせたのはあんたの陰口の所為だろと。変なことしなければ、彼女は良い嫁のままだったろと。
もちろんそんなことは言えないに決まってるので、「ソデスネー」と返した構成員は、手の中に収めたままだったパンを齧った。
彼らを見て理想の夫婦だと思うのはやめた方が良さそうだ。すっかり冷めて硬くなったパンを咀嚼する間、構成員は自らの結婚観を見直そうかと、心に決めたのであった。
支部でやることと言えば、周辺団員から集められた地底へ送り込むための荷物の管理と、地底から送られてきたよく分からない資源の管理。縫製に詳しい民間人を捕えて装束作りを強制させていた過去もあるが、にっくき姫付きの剣士に逃がされてからというもの後任はまだ見つかっていない。忌々しくもあの優男が近場をうろちょろしているという報告も受けている。派手に動いたことが原因で、また彼奴に邪魔されたら面倒だ。
そんなわけで、構成員の彼は資材の管理の傍ら、チミチミと慣れない縫製の仕事に勤しむ日々を続けていた。
しかし、刀を振るい、闇夜に乗じて人様の首を刈っていた男たちが一つ所に留まって、チクチク黙々と布に針を刺す。隣に座した男の吐息すら耳に聞こえてきそうなほど狭い家の中でだ。しかも、膝を突き合わせているのは、自分より立場も腕力も上である幹部役だ。
これがどれほど息の詰まる状況だか、社会に出たことのある成人ならばつぶさに理解が及ぶだろう。純粋な同期とか、同じ立場の構成員が隣なら、まだ下世話話でも交わしてやいのやいのできたはず。最近あっちの方はどうなんだよ~とか、あっちってどっちだよ~とかなんとか小突きつつ適当言ったりして。
イーガという集団は全員仮面をつけていて個人を晒さないからこそ、中身があるんだかないんだか分からない話で距離感を詰めていくのが、絆を築き上げる定石だ。いくら志同じくコーガ様に忠誠を誓う同胞だったとして、個人的に信頼のおける人間かどうかは別問題であるので。
しかし、幹部役との毎日は、仕事以外に話を交わすことがない。
こういう状況なら上役が気を利かせて喋ってくれりゃあいいのに、と構成員は考えたが、幹部は真面目な青年であるようだった。おそらく自分よりも年下。若いなりに頭が固いようで、業務中に駄弁を弄することを避けているらしい。
それにもしかすると、彼としてはこう考えているのかもしれない。「こういう状況なら、年上が気を利かせて何か喋ってくれれば良いのに」と。
表情を窺い知られぬようにと仮面をつけているにもかかわらず、結局仲間内では、相手の表情や出方を伺っているのだから阿呆らしいったらありゃしない。とはいえ沈黙のまま午前中を過ごし、昼餉を食い、いつのまにか陽が落ちて就床するのも生きてる心地が無くなってしまう。
仕方ないので、構成員は針を進める指先から顔を上げ、何か一言話題を提供することにした。
「今日、いい天気っすね」
「ああ、そうだな。いい天気だ」
「日中は漸くちょっと暖かくなってきましたね、朝は寒くって」
「ああ、そうだな。朝は寒いな」
「この前、白い蝶が飛んでたんすよ。ああ春だなーと思って」
「ああ、そうか。もう春なんだな」
へへへ、と軽薄に笑いながら無理に続けた話が、さながら池に投げ入れた平石のように沈んでいく。
幹部は会話を交わしている合間も、手元の装束作り──彼は仮面担当なので木の削りだし作業だったが──から、目を離さない。相槌だって適当極まってる。まともに取り合ってくれさえしないのか、はたまた集中していて言葉が出てこないのか。
カッカッ、という木を削っていく音だけが後に続く。開け放した小窓からは冷涼な清風が吹き込んできているが、息の詰まるような空気を一新させることはない。ああ、無情。こんな日々を、いつまで繰り返せば良いのやら。
と、構成員が将来の展望にまで憂いを走らせた、そのときだ。ココン、ココンという木の扉を叩く音がした。
幹部と構成員、両名の一つ目が手元から扉へと移される。妙なリズムのノック音は、団員の間で取り決められたイーガ団であるという証だった。
下っ端である構成員が一もにもなくヨッコイセと立ち上がり、覗き穴から外を見る。視界に飛び込んできたのは、三歩分ほど間を空けて静と立つ、スカートを着た婦人の姿。
構成員は、今まで胸に詰まっていたコルクが抜けたように「あぁ!」と声を上げながら扉を開け放ち、それから後ろへ振り返った。
「幹部さん!奥さんいらっしゃいましたよ!」
目が合った瞬間に小首を傾げた笑顔の人は、度々幹部を訪ねに来る彼の奥方であった。
■
雑然とした小汚い部屋の中、男と二人きりの生活において来訪者の存在は、まるで魚にとっての水だった。つまり息がしやすいってことであるが、中でも幹部の元へやってくる小柄な奥方は、縁も所縁もないはずの構成員にとってはっきりと美味しい酸素になっている。
まどやかに「こんにちはぁ」とスカートを持ち上げる会釈は、小春の陽射しを思わせる朗らかさ。差し入れに持ってきてくれるパンも彼女の手作りという話で、挽きたての小麦の味は夫だけでなく構成員の胃袋までもを掴んでいる。さらに今日は、気を利かせて葡萄酒まで忍ばせてくれているという話じゃないか。
やってきて早々、物資で散らかりまくった部屋の中を掃除してくれたり、昼餉を作り始めてくれたり。その俊敏な働きっぷりに、ここに住んでるんだっけ?と一瞬信じそうになるほどだ。
幹部さんがしきりに「道中大丈夫だったか」「こうまで足繁く来なくて良いのに」としつこく構ってやってるのも理解が及ぶ。
最初こそその見せつけるようなイチャイチャっぷりに構成員は腹を立てていたものだが、これほど夫のためにあくせく働いてくれているのだ。彼が申し訳なくなるのも道理だし、奥さんのことを大事にしたくてしょうがないんだろう。
それになにより、純粋に”結婚”というものに興味が沸いた。これこそが所謂”理想の夫婦”ってやつに近くないか? 自分もいつか、気の良い嫁さんが欲しい。純粋にそんな風に思わせてくれる二人だからこそ、構成員は文句を飲み下すだけだったのである。
かたり、かたり、と硬い音が耳を過ぎていって、そろそろかと頭に浮かぶ。思った通り「準備ができました」と彼女に告げられ、構成員は食い気味に顔を上げた。
それまで地図やら筆録の紙やらが広がっていた机の上は綺麗サッパリ片付けられて、代わりに食器が占領している。ふんわりと湯気をたたせているのは、今しがた彼女の手にかかっていたスープとパンだ。
幹部と二人きりのときは、昼餉の準備なんて面倒で、物資のツルギバナナを拝借しながら作業を続けてしまう。しかし、やはり暖かい食事は人の琴線に触れるものである。
構成員は思わず「ありがてぇ」と息交じりに呟き、さながら光に寄せられる蛾のように机へついた。
その後ろで、幹部が首筋を掻く。
「本当に・・・・・・すまない。お前だって忙しいだろうに、こんなことまでさせて」
「良いんですよ。それに、じゃないと貴方、ご飯を適当にするでしょう? こんなところで倒れられては他の人に迷惑ですからね。しっかりと暖かいものを食べて、元気でいてもらわないと」
「ちゃんと食べてる。夜なんかは特に、肉とか」
「私は野菜のことを言ってるんです」
水差しを傾けてコップに注ぎながら、彼女が口をとがらせる。その拗ねた言い回しは新妻の如く。お互いに心配の押収をしているわけだから、これは立派な惚気合いだ。
ことりとコップを置いた拍子に「いっぱい食べてくださいね」と屈託ない笑顔を向けられ、「すいやせん」と首だけで会釈する。彼女はクルンと軽やかなステップで炊事場へ戻っていって、包丁やまな板なんかをまとめ始めた。
あとは俺がやるからとか、お前も昼餉を食べてくれ、とか。幹部は椅子に座ろうとせず、彼女の背中を追いかける。腹がグウグウ鳴って仕方ない構成員としてはさっさと椅子に座って欲しいものだが、もちろん上司なのでそんなことは言えない。
鶴の一声となったのは、まさに幹部の嫋やかなお嫁さん。キッと吊り上げた眉尻のまま、彼女は下から自身の夫を睨みつけた。
「この後も業務があるんですから、貴方はご飯を食べててください! こういうときでも無ければ支部を整えるのも大変でしょうし、私はついでに薪を拾ってきますから!」
「か、幹部の奥方にそんなことさせられないっすよ!薪くらい、あっしが後で準備しますから!」
「気にしないでくださいな、家でもやってることですから」
たまげた。どうやらこの短い滞在時間の中で、燃料たる薪が少なくなっていることにも気付いていたらしい。
飯のお預けを食らっている構成員もさすがに尻を浮かせたが、彼女にヒラヒラと手の平を振られれば、この場において一番の下っ端は何も言えなくなる。目の前の飯も美味そうだし。
「じゃあ、ちょっと行ってきますね。そんなに遅くはなりませんから」と滲ませた笑みは、躊躇なく閉じられた戸の向こうに消えていった。それから扉越しにざ、ざ、と砂地を踏みしめていく音が続く。後に残るのは、そもそもここの管理をしているはずの男が二人だけ。どっちが客人だかわかりゃしない。
幹部も構成員も暫く扉を惚けたように見つめていたが、香ばしい香りを纏った湯気は容赦なく鼻腔を擽ってくる。ぐぅ、とどちらの音か分からぬ腹が鳴ったところで、「食べるか」と零した幹部の言葉を皮切りに、二人は椅子に深く腰かけた。
ふんわり湯気の立つスープは、うっすらと白濁した淡黄色。底にはキューブ上の小さな野菜が沈み、一口サイズのゴロッとした猪肉が二欠片入っている。
存在感のあるそれは引き締まっていて食べ応えがあった。いつも構成員や幹部が作る時とは違って生臭い血のニオイなんか一切しない。火で炙ったらしいパンもまるで焼きたてを思わせるように柔らかく、旨味が沁みだしたスープと良く合った。
この前話したときには、煮込んでホロホロと崩れるくらいになった肉ならば、挟んで食べるのが一番美味しいと教えてくれたっけ。つまらない日々で冷めきった心に、彼女の作った暖かいスープとパンが、じわじわと沁み入ってくるようだった。
改めて考えても、羨ましい。料理ができて、気が利いて、掃除をしてくれて、旦那のことを慮ってくれる、小柄で笑顔の素敵な奥さん。およそ妄想し得る限り完璧な女性じゃないか。
「いやぁそれにしても・・・・・・良い奥さんですよね」
スープにビシャビシャとつけたパンを仮面の隙間から啜りながら、構成員は自然と彼女の話題を口走っていた。
「こんな辺鄙な場所まで来てくれるなんて・・・・・・幹部さん、愛されてますよねー羨ましい」
「ん・・・・・・まぁ・・・・・・ありがたい話だ、ほんと」
「あっしもあんな奥さん欲しいですよ、健気で、優しくて、しおらしくて・・・・・・」
「・・・・・・」
「でも心配じゃないです? あんな可愛らしい人、ほんとは近くで守りたいのに!とかって思っちゃうでしょ」
パンに伸ばしかけていた幹部の指先がピタリと止まる。
彼が面下で眉を顰めたことに、呑気にも皿の淵に口をつけてゴクゴクとスープを流し込む構成員は気付かない。
「あっしだったら、いっそのこと支部の近くに引っ越してもらうとか考えちまいますね。心配に身をやつすくらいなら」
「心配・・・・・・あいつを?」
「え?だって、あんだけ甲斐甲斐しく気にかけてやってるじゃないですか。心配なんじゃないんです? 奥さん、あんだけ可憐だし」
「何言ってる、あいつは・・・・・・強さだけで言ったら、俺なんかよりずっと上だ」
えっ。と言葉を失くした構成員に、幹部が言い募る。
「嫁はずっと戦闘部隊の最前にいたんだ。札とか暗器の使い方がベラボーに上手くてな。扮装も暗殺もお手のもんだぞ」
「えええ、お淑やかなあの人が? 俄かには信じられません」
「そもそもこんな辺鄙なところに度々やってくる健脚だぞ。ここへ来たときのあの涼しい顔、あいつにとってなんでもない証拠だろ。俺ですら嫌になるくらいの場所なのに」
「・・・・・・そういえば」
「真意を徹底的に殺す隠密のやり方よな。お前は騙されてるんだ。まんまと」
幹部はうんうんと頷きながら、大仰に腕を組んでみせた。
「俺はあいつに頭が上がらなくてなぁ・・・・・・。ちょっと酒を飲んで帰宅が遅くなった日、扉を開けたらクナイが飛んできてたまげたものだ。フードを丁度縫い留められて動けなくなった。今何時か分かってるんですかーとな。平謝りして事なきを得たが、楽しみにとってある酒を全部割られそうな勢いだった」
「へ、へぇ・・・・・・」
「支部勤めになってから、なかなか家に帰る機会もないだろう。だからか最近は妙にピリピリしていてな・・・・・・。宥めすかすのも大変なんだ。正直ここに来てる間も、爆弾樽に火をチラつかせてるみたいで気が気でない」
さすがに言い過ぎじゃないか?と思ったが構成員は口を噤んだ。
尚も幹部は言い募る。
「役職こそ俺の方が上だが、俺はあいつを絶対に怒らせたくない。怒るとライネルみたいに闘気が逆立ってな、矢を飛ばしてくるんじゃないかと恐ろしくて・・・・・・実際飛ばされたことがあるし、あの状態だと本当にライネルみたく、火を吹いてもおかしくなさそうで、それで──」
そのときだった。ひゅっ、と風を切る音が耳を掠めた。
幹部の仮面を擦っていき、それからトス、と小気味良い音。え。幹部を眼前に、一部始終を目撃していたはずの構成員にも、何が起こったか咄嗟に分からない。
フードを巻き込んで綺麗な穴を開けた何かが、幹部の背後の壁に刺さっている。・・・・・・クナイだ。指で示そうかと思ったが、動けない。背後から感じる殺気が、幹部にだけでなく自分にも二手目三手目を放ってくるのではなかろうか。そう感じさせるような重たい空気があった。瞠目しながら、微動だにできないほどの。
「随分楽しそうにお話しされてますね、貴方」
ほどなくして、ぎ、と蝶番を軋ませる音と、柔らかな声が部屋に響く。開け放たれた扉の先には、もちろん幹部の奥方の姿だ。
いやそれだけなら良い。なぜ肩に斧を担いでいるんです。ア、後ろに薪が置いてありますね、拾うと言ったのは建前で、ワンピースに隠されてる剛腕で薪を割っていたわけですか。さすが戦闘部隊。逆光でギラリと光る鉄の板面と、口端を持ち上げた冷ややかな笑みがやけに似合うのも理解が及ぶ。
「妻の陰口なんて、御人が悪いですよ。まるで私が夫を蔑ろにする愚妻みたいな言い方」
「そ、そんなことは・・・・・・言ってなくてだな・・・・・・」
「ともかく、お口に気をつけてくださいな。辺境だからってどこに耳があるか分からぬと、隠密であれば肝に銘じておいてくださいね」
「・・・・・・すまん」
最後ににっこりと笑った彼女は、「ではまだ薪割りがありますので」と断って、扉を閉めた。あとはただ、水を打ったような沈黙が場に満ちる。
指先ひとつ動かすのも億劫な中、先に言葉を発したのは幹部だった。
「・・・・・・な、怖いだろう」
「・・・・・・」
「良い嫁なのには間違いないが・・・・・・良い嫁で居させるのが大変なんだ」
ため息交じりの声。いやでもちょっと言わせてほしい。悪い嫁にさせたのはあんたの陰口の所為だろと。変なことしなければ、彼女は良い嫁のままだったろと。
もちろんそんなことは言えないに決まってるので、「ソデスネー」と返した構成員は、手の中に収めたままだったパンを齧った。
彼らを見て理想の夫婦だと思うのはやめた方が良さそうだ。すっかり冷めて硬くなったパンを咀嚼する間、構成員は自らの結婚観を見直そうかと、心に決めたのであった。