「コーガ様・スッパ」が登場する話

 息せき切って部屋に飛び込んできた団員は、仮面を持ち上げながら叫んだ。
 厄災の復活。並びに、カラクリ兵の出現と、ハイラル城の陥落。
 今や城下は火の海と化し、憎き王家は一族郎党、所在不明。既に多数の死者があり、危惧していた五英傑も行方知れずになっている、と。

 部屋にひしめいていたイーガの民は、快哉を叫んだ。
 ついにこの日がやってきたのだ。先祖代々から募らせてきた宿願が形となり、奴らに牙を向いた。握った拳を突き上げ、主君の名を口々に称える。瞬発的な高揚感に、彼らははっきりと酔いしれた。

「お前!なんでそんなに静かなんだ!?厄災の復活だ!俺たちの宿願が遂に叶ったんだぞ!?」

 ただ一人。その雑踏の中で、立ちすくむ男がいた。
 同僚が上ずった声で肩を叩く。しかし、それでも彼は微動だにしない。真正面を見据え、ぶつかられても、ただよろめくだけ。ゆら、と立ち揺れる様は、今にも倒れこんでおかしくないと思わせる。

「どうかしたのか!なんでそんな湿気てんだ!今このとき喜ばなかったらいつ喜ぶ!?」
「・・・・・・の、・・・・・・そこで・・・・・・」
「あ!?」

 ぎ、と首が動いた。
 涙を逆さに掲げたイーガの仮面。それが、岩戸の暗闇に濡れていた。

「俺の彼女・・・・・・あそこで諜報やってたんだ」

 低い声の意味が、瞬時に身体を凍らせる。
 鬨の声が岩戸の中に反響し、その場へ彼らだけを取り残していくかのようだった。








 あれから何度も陽が沈み、月が昇った。
 厄災の復活が告げられてからの数日間、アジトでは毎晩のように宴会が催されている。総長たるコーガこそ「全部が終わってからにしろ」と苦言を漏らしたが、長年の宿願が果たされたのだ。結局は主君不在の元、有志が勝手に食堂へ集まり、酒をかっくらっている。

「お前、本当に行かないのか?せっかく良い酒を開けるってのに」

 振り返る団員に「ああ、いいんだ」と片手を上げて応じたのは、昼の守衛を務める男だった。
 俺も酒を飲みたいとぼやいた夜番に、「だったら俺が見といてやるから」と提案し、業務を請け負ったのだ。
 本来の夜番が申し訳なさそうな態度を見せたのはほんの一瞬のこと。彼に背を向けると、次の瞬間には軽やかに足が前へ進みだす。浮ついた心根をこれほど隠さずに居られるのも、正に今が大願成就の時だからなのだろう。

 暫くすると、岩廊下の奥から、団員たちの笑い声が微かに響いてくる。玄関のしんと沈黙の満ちた空間に、その音だけが異様に賑やかだ。ただ一人で高い天井の玄関に残された男は、暫くその声に耳を傾けた。
 普段であれば、宴会中とはいえ玄関にはまばらに人の出入りがあった。しかし今日はここ最近と違い、広いホールには彼しか立っていない。
 人一人の終生とは比べ物にならないくらい長い歳月をかけ、漸く悲願を叶えられたのだ。有志とは言ったが、酒の席に出ているのはアジト内にいる団員のほとんどだ。今祝わずして、この集団が連日酒を飲む機会などありはしない。

 男は、この瞬間を、待っていた。────玄関でたった一人になる、今日のこの瞬間を。

 断続的に笑い声の聞こえる暗闇を見つめる。傷の入った風斬り刀の柄を、厚い皮の指先で撫でながら。
 暫くして、柄をぎゅっと握り込むと、男はおもむろに踵を返した。耳だけは反響音にそばだてていた。木の門へ手をかけ、軋む音すらたてないよう慎重に開いていく。

 人一人抜けられるくらいの隙間から、夜風がするりと滑り込んでくる。蝋燭の明かりで灯された玄関とは裏腹に、高い崖に囲まれた外は深淵に近く暗かった。
 月もなく、星も見えない深更だ。まるで人一人飲み込むのなんか、わけも無いほどの。
 その暗さに息を呑み、しばし立ちすくんだ。闇の奥を見つめるのは、自らの心を覗くのと同じようだ。
 指先を持ち上げる。微かに震えて止まらず、一度力強く握り込む。それから仮面に手をかけ、剥ぎとった。視線は動かさず、イーガの仮面を地面に伏せて、その場に置いた。
 深呼吸によって鎮めようとしたのは、気の昂りか、それとも濃い闇への恐怖だろうか。
 長く吐き出した息が底を尽いた拍子、男は一歩、恐る恐る門の外へと足を踏み出していく。


「どこ行こうってんだ。こんな夜更けに」


 下り坂に差し掛かった、そのときだった。突然響いた声に、身体が硬直する。
 人の気配などなかった。瞠目しながらぎこちなく振り返ると、先ほどまで何もなかったはずの暗がりに、確かな人影がある。
 随分恰幅が良く、特徴的な襟首が際立つ出で立ち────誰か分からないわけがない。壁に寄りかかっていたのは、イーガ団をまとめあげる総長・コーガその人だったのだから。

 「コーガ様・・・・・・」 紡いだ声が掠れる。砂粒を運ぶ鋭い風の音にも負けるほどだ。その男の弱弱しさに、コーガがふっと、空気を緩めるような息を吐く。

「感心しねえな。守衛が門から離れて、どっか行こうなんざ」


 ゆっくりと近づいてくるコーガに、男の呼吸は徐々に浅くなり始めたようだった。
「なにも」奇妙に、半笑いの声になる。「なにもありませんよ。少し・・・・・・空気に当たろうかと思いまして」

「イーガの面を置いて、か?」

 コーガがひらりと見せつける。手の中におさまっているのは、異様に白く視線を誘う木の面。
 彼が先ほど扉の前へ置いた、集団の証であった。

「いくら近場ったって、そこに置いてくこたぁねーだろ。なぁ」

 一歩一歩、緩慢な動きでコーガが歩んでくる。そのたびに、男の額にうすらと脂汗が滲み始める。

「もしかしてだけどよぉ、まさか、ってことも、あんのかなと思って」
「・・・・・・まさか、とは。なんの、ことでしょう」
「とぼけんなよ。城行くつもりだろ。違うか?」
「なぜ、・・・・・・城だなんて」
「あいつを・・・・・・お前のツレ、探しに行こうとしてんだろ」

 男の瞳孔が開き、地面を見たままの瞳が揺れる。
 脂汗が垂れる。砂と草履の擦れる音が、近づく。
 男の指が、影に紛れて、ゆっくりと柄にかかる。
 主君が、一太刀の距離で、立ち止まった。

「────すまなかった」

 柄を握りしめる、直前。
 主君の沈み込むような苦い声が、男の鼓膜を揺らした。

「あいつが災禍に巻き込まれたのは、俺様のミスだ。早くに撤収を命じなかった。早くに言ってりゃ、免れた可能性だってある。・・・・・・そりゃああくまで、可能性の話だが」
「・・・・・・」
「俺様が憎いか?・・・・・・憎いだろ。分かってる。でもな、足抜けは許されねえ。これが血の掟だ。どんだけお前の意思が固くとも、これだけは絶対に、認めねえ」

 息混じりに捲し立てると、コーガは男に、仮面を突き付けた。

「だから戻ってこい。何カ月かかったって良い。道中でちょっと休んだって良い。俺様が許可する」
「コーガ様・・・・・・」
「仮面はさっき、忘れたんだろ。他の後始末は、俺様がつけといてやるから・・・・・・戻って来なきゃ承知しねえ」

 男は、瞠目したまま仮面を見つめた。一段と眉間に皺をよせ、真意を探るように視線を上げる。
 しかし、目の前の主君は動じず、ただじっと、男が受け取るのを待っているだけだった。今ここで道を決めろと、骨ばった手の平から突きつけられているようでもあった。

 ──これは情などではないと分かっている。これは血による呪いなのだ。
 彼にも、自分にも、団員全てに通っているイーガの血。その面をとる意味があるだろうか。一度彼に背いた自分は、きっともう今までの自分でいられない。
 それでも貴方は背負わせる。死ぬことは許されぬ。生きてる限りこの世は続くのだと。
 ・・・・・・そのときこの呪いは、いつか救済へと変わるのだろうか。

 男は、じっくりと黙ったあと、つと手を差し出す。そして、イーガの仮面を、受け取った。
 暫し手の中の動かぬ瞳と見つめ合い、歪んだ瞼を伏せる。素顔を面の闇に閉じ込めた男は、何も言わずにコーガの前へ直立した。
 深々とした一礼。それは頭の上で結った黒髪が枝垂れるほど深く、美しい礼だった。


 男が坂を下っていく。雄々しいイーガの背中が、徐々に砂塵に紛れ、霞んでいく。
 視界から消えるまで見送っていたコーガは、暫くしてどっかりとその場で胡坐をかいた。
 微かに俯き、ぼやきのような声で呟く。

「中央は未だにカラクリ兵がうようよしてるって話だ。やべえ場所にちげえねぇ。・・・・・・ばかな男だ。どっちみち死にに行くようなもんだ。・・・・・・ほんとに、ばかな男だ」

 「戻って来なきゃ承知しねえぞ」と小さく付け足して、コーガは後ろをちらりと見遣る。 

「・・・・・・やるのは、抜けたってはっきりしたときだけで良い。お前らも無理だけはすんなよ。・・・・・・行け」

 声を投げかけた瞬間、コーガの横を風が通り過ぎていった。
 それは暗闇を駆ける影。ひとつ、ふたつ────。気配も姿も悟らせぬ彼らは次第に輪郭を虚ろにさせ、夜の闇に溶け消えていく。

 その場に残ったのは、コーガただ一人。
 しんと場が静まり返った空間で、コーガは我慢しきれないように「だはー」と息を吐き、勢いよく後ろ手をついた。
 調律もしない濁声のままにああああと唸り、ひとしきり息交じりの感情を零した。そしてがっくりと項垂れながら猫背になる。
 仰いだ空には、月も星もない。何の希望も持てない真っ暗だ。
 濛々とゲルドの空に立ち込めるのは、北東から流れてくる黒い霧。・・・・・・これもいつか雨雲になるのだろうか。

 懐から好物のバナナを取り出し、ほとんど習性のように皮を剥いた。そして、一口。
 咀嚼の隙間から「しんど・・・・・・」という言葉が漏れてくる。もうそれ以上は言わないように、コーガは無理やり苦いバナナを詰め込んで蓋をしていくのであった。



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