【ss/not夢】イーガ団員の日常話
この度、研究班に新たな団員が仲間入りすることになった、と幹部役から聞かされても、その時点では何も思わなかった。だから面倒見てやってくれ、と言われても。頼めるか?と明確に肩を叩かれるまでは、何も。
勇者暗殺の責務を負う隠密集団・イーガ団に所属する一団員、それが私である。配属されているのは、古代のオーパーツでもある「ゾナウギア」と呼ばれる不可思議な部品を用い、乗り物を作成する研究班。手先が器用であったり、完成品に名前をつけるためのネーミングセンスが必要だったり、何かと技術的な一面が活躍する特殊な部署だ。
イーガは脳みそが筋肉で出来ているのかと思うほど単細胞な人間が多いから、それなりの頭脳が必要だと言われる研究班を希望する人間は少ない。勇者抹殺、ならびにコーガ様の大いなる夢を果たすためにはゾナウの技術が必要不可欠であり、日に日に需要が増える一方、研究班は今の今まで二人で成り立つ極々小さな部署だった。
なのに、突如としてやってきた新人の面倒を見ろ? 一瞬何を言われたのかが分からなかった。これから業務に入ろうかという時間に作業場へ押しかけてきた目の前の幹部は、部署のまとめ役を買ってはいるが、ゾナウギアを始めとした古代技術への造詣が深いわけでもなく、研究班の業務に理解があるわけでもない。どれほど研究班が忙しく、新人の面倒を見られる状況じゃないかが分かっていないのだ。今だって業務を中断して話を聞いてやっているのすら、時間が惜しくて仕方がないというのに。
「なぜ私が見なければならないのか、理解に苦しむが」
「仕方ないだろう。向こうはTOGEXの修理に追われて到底新人の面倒を見られる状況じゃあない。新しい機体の設計は後回しで良いから、とりあえずこいつにネジとかゾナウギアとかの基本を叩きこんでやってくれ。せめて簡単な修理が一人で出来るようになるくらいに」
向こう、というのは、作業場を柵で隔てた奥にいる、もう一人の同僚のことだ。同僚はもっぱら、地底で故障を起こしたTOGEXという名の乗り物の修理に追われている。新しい兵器開発を私に丸投げして。
修理をさせたいのなら、やっぱり新人の教育なんか向こうに頼めば良いのに。思ったそのままを口にしたら、「文句を言うんじゃない!」と叱責された。脳筋の頭にも分かるよう丁寧な反論を並べ立てでもしてやろうかと言葉を考え始めた隙に、幹部は端から何も聞くつもりがないように「頼んだからな」と去って行く。
元はといえば流通班を取り仕切っていたり、アジトの裏門で守衛を兼任していたり、何かと忙しい男だ。正直、人手が少ないからという理由だけで単にまとめ役を請け負っている得たいの知れない研究班に、そこまでの時間を使いたくないのだろう。
理解はできるが、逃げるように去っていく彼の背中に無性に腹が立ち、ゾナウのロケットでも打ち込んでやろうかと辺りを探したが、今となっては少し遅い。
広い作業場に残されたのは新人団員と自分、そして、我関せずという顔で、ずっと金槌をカンカンやってる同僚の三人だけ。
簡単な修理が一人で出来るようになるくらい、と言ったって、目の前の新人がどこまで特殊な研究班員に値する技術を持っているかすら知りもしないのに無茶を言うなと言いたい。
ひとつ深い溜め息を吐いてから新人に向き直る。初対面らしく身体を竦め、もじもじと胸の前で指先を捏ね繰り回す及び腰。先達から声を掛けられるのを待っているのか、促されなければ挨拶のひとつもできない意気地なし。最近、イーガへの入団を決める外部入団者は死んだオクタの吸盤みたいにぐでんぐでんな人間ばかりだと聞いていたが、まさか頭脳派と呼ばれる研究班にもその余波がやってくるとは思わなかった。
何も言わずにじいっと見つめていたからか、さすがに新人も居たたまれなくなったのかもしれない。「あ、あの・・・・・・」と発した密か声を聞いていたくなくて、遮るように口を開いた。
「君に問おう」
「は、はい?」
「あっちの趣味の悪い『TOGEX』と、この『スベルDEATH3』、どちらが美しいかね?」
これは、研究班以外の人間と喋る際に、度々投げかける問いかけである。
私はひそかに、同僚の作るTOGEXと、自身の作った最高傑作品でもあるスベルDEATH3を内心で競い合わせていた。ごちゃごちゃと目につく部品を片っ端からくっつけ、ただただいかつく仕上げたTOGEXなど、私の美的センスと程遠い。付け加えることが同僚の美であるのなら、私の美は、余計なものを削ぎ落すシンプルさにある。如何に不必要なものを取り払い、単純ながら凶悪で、機能性に長けた乗り物を作れるか。スベルDEATH3に込めたのは、引き算の美学そのものだ。
しかし、ここのやつらと来たら、私の美学をいまいち理解しないばかりか、同僚の作ったTOGEXの賛同者が少しばかり多い。だからこそ、こうして初対面の機会があれば相手に問いかけ、芸術を理解する種を蒔くように心掛けている。
一切の事情を知らない新人は、「えーと・・・・・・」と手を慌てさせながら、何度も何度もTOGEXとスベルDEATH3を交互に見やるばかりだった。
研究班の門戸を叩く酔狂者だから期待をしたが、結局は他の団員と寸分違わず愚者だったのだ。少しは見込みのある人間がやってきたかと考えた自分がバカだった。
「これすら答えに惑うようではこの先が・・・・・・」
「り、両方美しいと思います!好きです!両方!」
思いやられる。と、続けようとしたら、拳を握って迫る新人に先を越された。
「TOGEXはガチャガチャした装甲と、とにかくデカいのが美しいっていうか、カッコいいなって思います!対してスベルDEATH3は、スマートな見た目が過不足ない感じで洗練されてて、最先端のオシャレって感じで美しい?です!!自分には絶対思いつかない設計で、凄いなって思います!!」
それまでもじもじと肩を縮まらせていた人間とは思えない勢いで、新人はおそらく興奮していた。
今までこれほどまでに、研究班の作った成果物に対して熱意を持った人間がいただろうか。否。少なくとも私は初めて目の当たりにした。TOGEXとスベルDEATH3のどちらが好きかと聞いたとき、大概の人間は半笑い、もしくは心底面倒くさそうに「はいはい滑る方滑る方」などと適当に応える輩ばかりだったのだ。
思ってもみない熱量に面食らって最初こそ言葉を失ったが、唐突に得も言えない感情が胸にしみ出してきた。それはおそらく愉快という感情で、「ふふ、ふ」と勝手に笑みが零れたのを、仮面越しの口元へ手を当てて押さえる。背を丸めて俯き、その後もいまいち大げさになり切れない笑いを漏らしながら、研究班にやってきた有望な新人の仮面をはっきりと見返した。
「なかなか分かってるじゃないか! TOGEXよりスベルDEATH3の魅力を多く挙げたのが気に入った。良いだろう、ここでの面倒を私がみてやるとしよう」
「ほんとですか!?ありがとうございます!」
「とはいうものの、まずは君の情報が欲しい。研究班はイーガの中でも特殊な部署だと分かっているな?モノづくりが得意なことと、ネーミングセンスに長けたものでないと研究班は勤まらない。そうだな、例えば・・・・・・」
作業台に振り返り、何かめぼしいものはないかと探した折、ネジや鉄糸、書き途中の図案に紛れた一枚の紙を見つけ、「ああ、丁度良い」と手に取った。
「知っているかと思うが、これはお尋ね者となっている剣士の手配書だ。もし君だったら、この絵の男になんと名前をつける?」
新人に突き出したのは、イーガの全団員に周知させるために配られた宿敵の手配書だ。
色墨のイラストは、髪の毛が黄色、目が青という特徴は押さえているものの、人間というよりはマモノに近い形相で描かれている。大きく開けた口元からは巨大な牙が見え、頭からは二本の角が飛び出た絵のような人間が本当に存在しているとは、もちろん誰も思っていない。とはいえ描いた人間の心象がそのまま写されているようで、私はこの絵が存外に好きだった。
新人はまじ、と顔を近づけて剣士の手配書を見つめ、「うーん」と唸りながら顎に手をかける。
些か急な提案だったに違いない。しかし、これくらいで文句を言われては研究班としてやっていけない。と思ったのも束の間、微かに深く俯いた新人の首が僅かに傾き、ボソリとくぐもった声が聞こえた。
「・・・・・・金髪剣士 おにブリン、とか」
「ふむ・・・・・・なるほど、金髪で剣士というそのままの特徴を入れ込みながら、絵を踏襲して鬼とマモノの名前を掛け合わせたわけか。確かに私たちにとってマモノみたいなものだしな」
「か、解説やめてくださいよぉ・・・・・・」
「君のネーミングセンスは分かった。さすがにここへくるだけのことはあるようだな。ひとまず合格といったところだろう」
この一瞬で導きだした答えとしては、まずまずといったところだ。素直に褒めると、新人は「ほんとですか?良かった!」と照れくさそうに頭をかいた。
「では、君の実力も分かったところで、まず手始めに工具の使い方でも教えていくとするか。しっかりと私の説明を聞いていたまえ」
手配書をまた机の上に放り、並べて置いてあった工具を漁り始める。新人の元気な「よろしくお願いします!」という声が耳を掠めた途端、よく分からないムズ痒さが背骨を走っていったのは確かである。
これはひとつの責任か。無理に背負わされたものではあるが、これくらいの重さなら悪くない。しかし万が一潰れでもしないよう、猫背気味だった背を少しだけ伸ばすことにした。
新人はモノづくりにおいてなかなかどうして覚えが良く、私の説明を次々と吸収していった。
ネジの締め方、鉄糸の巻き方などの基礎的な技術。図面の読み方といった設計にまつわる知識。乗り物づくりの要ともいえるゾナウギアについても、この短期間で知識を付け始めているのだから驚くばかりだ。
口に出した言葉全てを聞き逃さず筆録しようと真剣に話を聞く姿勢にも感心したし、「ゾナウギアで必要なエネルギーとはなんなのでしょうか」「結晶を使わずにエネルギーを生成する機械を作ることはできないのでしょうか」なんて、考えてもみなかった新しい発想の質問が飛び出るものだから、素直に唸らざるを得ない。
何より新人は、スベルDEATH3に対して非常に好意的だった。肝いりの作品を誉めそやす相手に対し、それだけでも少し便宜を図ってやろうという下心を持ってしまうのは、人間の持つ本能的な弱さであるように思う。
「スベルDEATH3は、今までスナザラシでしか移動できなかった砂漠ですらとてつもない早さで走るんだ。操縦桿をつけることで、まるで自分の手足みたいに自在に動かせるのも長所と言える」
「ソリ自体に扇風機をつけるなんて、今まで帆を使って風を読む必要があったことを考えるととんでもない発想ですよ・・・・・・人類はまた一つ新しい叡智を得たに等しいです」
「地底という未知を開拓するには、どんな状況でも柔軟に対応できる乗り物が必要不可欠だ。スベルDEATH3の鉄棘さえ除けば、たちまち水中でも利用できる乗り物に様変わりする。シンプルで洗練された設計のスベルDEATH3だからこそ可能な業だろうなぁ」
「水陸両用を想定した、ということですか・・・・・・!?天才です、さすがです、自分にはそんな発想絶対に思い浮かびません・・・・・・!まさかツーウェイ・・・・・・いえ、砂漠でも乗れることを考えたらスリーウェイだなんて!」
自作の乗り物について、1を伝えれば同じ熱量で褒め言葉が返ってくる。これで良い気にならない人間がいるだろうか。少なくとも私は研究班で心血を注いで開発してきた乗り物に対して並々ならぬ情熱を傾けているため、同じく情熱を抱いていると見える新人の態度は印象が良い。
いつもなら、幾ら同士だろうが、無断で触ろうものなら瞬発的にとさかに来て「触んじゃねえ!」と怒鳴りでもするところだ。しかし新人が「すげぇ・・・・・・」と独り言ちながらスベルDEATH3を撫でても、まぁ多めに見るかと許容できるくらいには、私はこの新人を気に入っている。
「スベさんは、もちろんスベルDEATH3に乗ったことがあるんですよね?」
素性を隠して生活するイーガでは他団員に本名を明かすことはしないので、呼びづらいという理由で新人は私のことを「スベさん」と呼ぶ。そのままだが、スベルDEATH3の頭文字をとって「スベさん」だ。
お気に入りであるスベルDEATH3の名前が由来で、更にスベルDEATH3の「さん」にまで掛かっているらしい。先達に向ける呼名としては馴れ馴れしい気もするが、意外としっくりきて満更でもない。
スベルDEATH3の棘部分を撫でながら何気無しに問われ、私は力強く頷いた。
「もちろんだ。砂漠をスベルDEATH3で走るのは気持ちが良いよ。まるで自分自身が風になったみたいに感じられて」
「そうなんですか。自分もいつかスベルDEATH3に乗ってみたいなぁ」
「今度、試運転もかねて乗せてやろう。きっと君もスベルDEATH3の乗り心地を気に入ると思う」
アジトに籠りきりで開発をしているものだから、ここ暫くスベルDEATH3で砂漠に降り立つような機会は持てていない。随分過去の思い出を回顧したものだが、とはいえあの時の高揚感は簡単に忘れられるものではなかった。
自らが設計し、見た目も機能性も理想的な逸品で実際に砂漠を駆けたあの日。アジトのぼんやりとした行燈ではなく、砂漠のギラついた太陽光を受けながら走るスベルDEATH3は随分誇らしげだった。スナザラシに引かれながら風を切る感覚を想起させる一方で、まさにこの手で右に左に自由に動かすことのできる喜び。人間はあの瞬間、きっと一つ上のステージに降り立ったに違いないと今なお確信をしている。
新人にあの時の高揚を語って聞かせてやりながらスベルDEATH3を撫でると、砂塵の混じった風が仮面を撫でる音が、耳元で掠めていく気すらする。
「・・・・・・スベさんは、スベルDEATH3が本当に好きですよね。自分の作ったものに誇りを持てるのって、なんか良いですね」
うっとりした声音で紡がれたその台詞に、心の底から同調して頷く。
「TOGEXと違って、故障で戻ってこないのも私の自慢だ。きっとシンプルな作りをしてるからアレより頑丈なんだろうな」
「シンプルイズベスト、なんですね。洗練されてて、本当にすごいです」
「私の理想が詰まった一作だよ。スベルDEATH3を地底に何台も輩出してきた。見た目の美しさだけじゃなく、機能性も完備している正真正銘の最高傑作だ。これ以上の物は作れないと自負もある」
言葉の通り、さまざまな乗り物を開発し、地底に送り込んできた私だが、特にこのスベルDEATH3は群を抜いて気に入っている。乗り物としても兵器としても隙のない設計なのに、基本的な要素はたったの3つ。洗練されたネーミングも合わさって、これ以上ないものが出来たとつくづく思っていた。
ゴチャゴチャと多くの部品をネジや鉄糸で繋いだTOGEXは、無理な設計をしているからか、地底へ送り込んでもすぐに故障を起こしてアジトに返ってくる。新しい乗り物の開発が主たる業務のはずなのに、同僚は壊れやすい乗り物の修理に追われ、開発に関しては私が多くを受け持っている現状だ。それだけでも、同僚に対する苛立ちと、同時に自分は良いものを作っているという誉れを深める理由となっている。
「自分で設計した乗り物で風を切るのは気持ちが良いんでしょうね。・・・・・・自分もいつか、スベさんみたいに、自分の最高傑作を乗り回してみたいなぁ」
新人とはまだ出会って日が浅い。それでもさまざまな意見を交わしてきたつもりであったが、今漏らした言葉は、胸に抱く本音であったように思う。私は新人の奥底に眠る情熱に、今この瞬間、初めて触れたのだ。
同じ志を胸に抱く人間とはいえ、我々は仮面を身に付け、素性を明かさないまま生活を共にする隠密。個の露出とも言える本音や夢を語る相手は、きっと誰でも良いわけではないだろう。イーガの先達と後輩という関係以上にもう一歩踏み込んでも良い相手だと、新人は無意識に認識したわけだ。
その栄誉に報いるためには、ならば応えてやらねばなるまい。私はここ暫く机の上に放置されていた書きかけの作図を広げ、筆を手に取った。
「では、今日から設計図の書き方を教えてやろう。既存の乗り物についての知識ばかりでは、君の奥底に眠った芸術を見る機会が持てないからな」
仮面をつけていれども、新人がぱっと表情を明るくさせたのが分かる。「本当ですか!?ありがとうございます!」と応えた新人が筆録の準備を終えるのを待ってやってから、私は滔々と作図の説明を始めるのだった。
そんな新人との不可思議な絆を深める日々の中、新人が、地底を見学しに行く運びとなった。新しい乗り物を設計するにあたり、どのような動作環境かを把握する必要があるだろうという幹部の提案が発端だ。
私でさえ一度も訪れたことのない地底に、先んじて新人を遣わせるなんて順番が違うんじゃないか。と文句でも言いたいところだが、同僚を含めて現職は既に何台も乗り物を設計している身。今更地底見学を行う必要もないと判断されたのかもしれない。
幹部に連れられて旅立っていく新人を見送れば、久しぶりに他人を気にせず一人きりで開発作業に没頭できる時間が訪れた。ここ最近生まれたてのヒヨコのように後をついて回る新人がすっかり居なくなったわけだから、作業場が広く、静かに感じられるのは当然だろう。
これこそ今まで享受していた作業環境そのものであったわけだが、逆に「本当にこんな環境で作業をしていて良いのか」と考えすぎて落ち着かない。いつもは耳について仕方がなく、邪魔にしかならない同僚の金槌の音が、この日ばかりは居心地の悪さを紛らわせるのに一役買っていた。
さて、夕方になって、新人が深穴から帰ってくる時刻である。面倒を見てやってる先達として迎えてやった方がいいだろうと、当初聞いていた時刻に合わせて夕餉を済ませた。
地底の暗闇から帰ってきた新人の姿が視界に入った瞬間、「お疲れ」と声をかけてやると、俯き加減だった仮面を小さく会釈させたのが見えた。どうやら随分疲れているらしい。
「深穴はどうだった?」
「ええ・・・・・・まぁ・・・・・・」
これほど辛気臭い様子は初めてで妙に引っ掛かった。いつもならば、どれほど作業が立て込んでいる状況でも、子犬のような溌剌さを失わないのに。
そのまま暇を貰うというので、ずっしりと重い何かを負ぶさったかのような丸い背中を、私は何も言わずに見送った。
その日からだ。道具の基礎を身に着けた新人は、幹部が当初言っていた通り既存の乗り物の修理に当たることとなり、私の元で勉強をすることがなくなった。毎日あーでもないこーでもないと修理に奔走する同僚の元で、機体を直す方法を学ぶらしい。
あれだけスベさんスベさんとことあるごとに話しかけられていた相手から、今では朝と帰りにしか挨拶されない。新人がやって来る以前のことを考えれば一日の内に喉を使う時間は増えた方だが、唐突に空白の時間が増したように感じてしまう。
実際、一人での作業時間が帰ってきただけだ。それは確かに集中できる時間だったが、どうも響きの悪い金槌の音ばかりが耳について開発業務が進まない。
耳障りなのは元より、新人が地底から帰ってきた時に感じた引っ掛かりが、いつまでも思い起こされて座りが悪かった。
新人と改めて話す機会を得たのは、少し冷える晩のこと。
既に業務時間は過ぎ、夕餉を済ませ、湯浴みの後に寝ようかという時刻だ。作業机に書きかけの作図を出しっぱなしにしていたかもしれない、とたまたま様子を見に来たとき、夜にしては違和感を覚える光景を見た。
手元が暗いからという理由で作業時間にのみ咲かせるアカリバナは、部屋を退散するのと同時に摘み取って処分するのが決まりである。にもかかわらず、作業場は煌々とした明るさに包まれており、同僚の作業机の前で、件の新人がウンウンと唸りながら頭を抱えていたのだ。
声を掛けても良かった。が、最近とんと会話のなくなった新人相手に、どう声を掛けて良いのか検討がつかない。作業場の入り口からそっと様子を伺って、そのまま踵を返すことにした。
湯浴みを済ませて寝ようかと考えていたが、作業場よりも随分冷えた岩廊下を進む度、たった一人で作業場に残っていた新人の背中がどうも気にかかる。
一旦、珈琲でも飲んでゆっくりしようか。作業のお供として馴染み深い飲み物ではあるが、あれを飲むと眠気が遠ざかるので、いつもであれば寝る前の摂取は避けている。しかし今日は、まるで整頓されていない作図中の机みたいな頭を、すっきりした苦味で押し流したかった。夕餉が終わったばかりのタイミングだ。きっと片付けをしている炊事担当に頼めば、すぐさま珈琲を準備してくれるに違いない。
炊事場に辿り着き、思惑通り顔なじみの炊事担当が未だに作業をしていたので、「珈琲を一杯」と頼む。炊事担当には「今?」と少し嫌な返事を返されたが、なんだかんだ炊事場の奥へ消えていくので帰りを待った。
待っている間、水場だからだろうが随分寒く感じて身震いする。
そういえば今日は作業場も寒かった。今はあの広い作業場に新人一人しかいないから、余計に寒く感じることだろう。
うんうんと頭を抱えながら、若者なりにイキイキした背中を、この時ばかりはこれでもかというくらい丸まらせて、あのだだっ広い中で身を縮ませるのだろうか。
たった一人、深穴から戻ってきたときと同じような、丸い背中のまま。
「…すまない、珈琲をもう一杯、追加で頼めるか?」
湯気のたつカップを渡された折、人差し指を一本立てて見せつける。馴染みの炊事担当には今度こそ悪態を吐かれたが、それでも準備してくれるのだ。文句くらいは甘んじて受けようかと思った。
■
二つの珈琲カップを手に作業場へ戻ってくると、新人は未だに鉄糸を手に持って格闘している真っ最中だった。
一歩足を踏み出した瞬間、ちょうど顔を上げた新人と柵越しに視線がかち合う。仮面なんか関係ないくらいに狼狽してみせた新人が可笑しくて「まだやってるのか」と声をかけたが、呆けた仮面を晒すだけで声も出ないらしい。すぐそばまで寄って、やっと「お疲れ様です」とだけ絞ったような声が返ってきて、それも少し、間の抜けた感じで可笑しかった。
「もうとっくに作業時間は終わってるだろう。それに君だけとは・・・・・・。あいつはどうした?」
「トゲさんはもう作業から上がってまして・・・・・・。どうしても鉄棘を固定させるのが難しくて、練習してたんです」
「あまり根を詰め無い方が良い。珈琲を淹れてきてやった、少し休憩しないか?」
「でも・・・・・・」
「研究班は技術は元より、アイディアを生み出す発想力が大切だ。それは疲れていない脳みそじゃないとなかなか生み出せないものだ。ほどよく休息をとることは、我々にとって業務のひとつなのだよ」
言葉と共にクッと珈琲を突き出す。新人は新人は私とカップを交互に見やった後、逡巡したのだろうが「いただきます」と、結局は遠慮がちにカップを引き取っていった。
仮面の隙間からカップの縁に口をつける新人の横に座り、倣って、ズ・・・・・・と黒い液体を身体に入れる。好みの生ぬるい苦味が口の中に広がり、やはり乱雑に散らかった頭の中をスッキリさせてくれる気がした。
作業をやめたこの部屋は、広さもあるからかしんと静まり返って空気が重い。まともに新人と喋るのはいつぶりだろうか。毎日律儀に面倒を見ていた時とは違って、どこかよそよそしいオーラを感じ取っていた。
あれだけ気さくにゾナウギアについて語り合っていたのが嘘のようだが、とはいえ、そんなのは会話の糸口に関係ない。聞きたいことがあるから聞く。結局人間とは、自分がしたいと感じたことしか前向きになれない生き物なのだから。
「最近は修理作業ばかりだな、君はどちらかといえば作図作業がしたいのだと思っていたが」
身体ごと新人の方に傾け、アカリバナの光を背負って影が濃くなった仮面を覗き込めば、新人は萎縮したように肩を竦めてみせた。
「ええ・・・・・・個人的な希望はそうですが、足りてないのは修理屋だそうで」
「そうか。・・・・・・それもこれもアイツが脆い乗り物を作るからだろうな。もっとシンプルに、頑丈な乗り物を生み出せば良いのに。大変だろう、こんなにごちゃごちゃとたくさんくっついたものを直すのは」
「いやぁ・・・・・・はは」
両手に包み込んだカップを親指で撫でながら新人が曖昧に言葉を濁す。まぁ、今は彼奴に師事しているわけだし、私の言に明確な肯首ができないのも無理はない。
なんとはなし続かない会話の合間に、いつもは柵越しにしか見ないTOGEXへ視線を向けた。ここまで近くで見るのは初めてかもしれない。相変わらず「あるだけの鉄棘を目いっぱいくっつけました」というデザインには、同僚の烏滸がましさそのものが現れているようでどうにも鼻について仕方ない。
「・・・・・・スベさんは、自分の作ったものがぞんざいに扱われてたら、どうしますか」
渋い気持ちでTOGEXを眺めていたら、唐突に新人が沈黙を破った。
その視線は仮面に隠れていて分からないが、あまり減っていない珈琲の水面に注がれているように思えた。すくなくともこちらは見ていない。そもそも隠密集団の一員が相手なのだから感情の機微など判断しづらいものだが、輪をかけて新人が何を考えているか分からない。
しかし、今まで温和に明るい語り口調を崩さなかった人物とは思えないほど、その声色は神妙だった。
「ぞんざいとはどういう意味だ?例えば」
「えっと、自分が丹精込めて生み出した作品が、望まれない使われ方をしていたり、その辺にほっとかれていたり・・・・・・ってことです」
「なるほど。確かにそれはぞんざいだ」
「設計したい気持ちもあるんですけど、そんな風に扱われたらどうしようって思うと、考えちゃって・・・・・・」
新人は黒い水面を見たまま顔を上げない。波紋すら立たないその小さな水たまりは、新人の悩みを吸い込む沼になっているのだろうか。ただ静謐に自らを映すその黒へ、自問自答を繰り返している。飲み込むことはせずに。
私は、生ぬるい珈琲を少しずつ口に含みながら、「そうだな・・・・・・」と、今しがた言われた通りの光景を頭に思い浮かべた。
しかし、こんなものは道理が決まっている。どう扱われようと結局、芸術家としての受け取り方なんぞ最初からひとつしか存在せず、私の中では決まり切ったことである。
「もちろんまずは怒りが来るが、・・・・・・結局関係ないな」
おもむろに新人の顔が持ち上がり、「関係ない?」と訝し気な声で繰り返されたのを、柵越しの最高傑作を見ながら穏やかに頷いてみせた。
「ぞんざいに扱う人間は、私の作ったものが理解できない愚か者だ。しかしそもそも芸術なんてのは、100人が100人、創作者の意図を理解できるものじゃない。理解できない人間の感覚を、私が操作できるものでもない。崇める人間も居れば、ぞんざいに扱う人間も居る。そのどちらかの評価しか存在しない」
「・・・・・・ぞんざいに扱われても良い、ってことですか?」
「もちろんムカつくよ。しかしアートとは、理解できない人間にとって塵芥に過ぎないのだと思ってる」
芸術に身を賭すものとしての戒めだ。自らにも改めて言い聞かせるつもりで力を込めれば、新人は「・・・・・・そこまで割り切れるのは凄いです。自分にはとても・・・・・・」と語尾を萎ませる。
逆に、新人の気を落とさせてしまったらしい。そのつもりはなかったので肩を竦め、新人の肩をぽん、と叩いてやった。
「まぁ、君が作るのはアートというだけに留まらず、機能重視の乗り物だ。求められるものに応えられれば、まずぞんざいに扱われることなんてないはずだ」
「・・・・・・ありがとうございます。なんというか、ちょっとすっきりしました。地底から帰ってきてずっと悩んでて・・・・・・」
「持論を解説したまでだ。せめて理解者が多いことを祈ろうじゃないか。どんなものにだって、必ず一人は理解者がいる。スベルDEATH3にも、TOGEXにも、君がこれから作るものにも」
「・・・・・・自信はありませんが」
そう感じるのも無理はない。なぜなら、新人は未経験者なのだ。未だ踏み入れたことのない世界に対し、臆病風を吹かせ、心配に身をやつすのは当然だ。
だからこそ私は、咄嗟に返ってきた反論にあっけらかんと笑いかけた。
「何言ってるんだ、自分がいるだろ。まずは自分という理解者がいることを、芸術に身を置くものは理解してなきゃいけない」
今度こそ、仮面がパッと持ち上がり、肩を膨らませた新人は「はい!」と力強く頷いた。手元を照らすアカリバナの光が反射して、イーガの仮面が今までに見たこともないほど、白く眩く光っていた。
どうやら、自分は後輩を励ますことに成功したようだ。達成感もあり、会話の継ぎ目に珈琲を一口飲みこむと、つられるように新人も仮面の隙間からカップを勢いよく傾けた。ただ、その次に紡がれたのは「うえ」という思ってもみない声で、新人は珈琲が苦手だったらしいと思い至る。
「なんだ、もしかして苦手なのか」と思ったままを声に出せば、牛乳がないと飲めないのだとか。どこか幼い印象のある新人だったが、まさか味覚まで幼いとは思わなかった。
とはいえ、その幼さは決して短所ではないはずだ。無邪気な目があるからこそひたむきで、やりたいと思ったそのままに研究班を選ぶことができたのだ。心に従う素直さをいつまでも保つのはこの世界において難しい。とかく、大衆から謗られるような大志を胸に日々を過ごすこの集団においては特に。
自分もかくありたいと、ふっと頭に上った。それは明らかに学びであり、まさか研究班員としてのいろはを教え込んでいた新人に、芸術家の気付きを与えられることになろうとは思わなんだ。
「それにしても、修理に回されるのは災難だった。設計の業務に回れると良いんだがね」
「あ・・・・・・それなんですが、スベさん。えっと・・・・・・」
新人はきっと、自分の元へいれば良い作品を産み出すだろうに、最近は修理作業ばかりをさせられている。そう思って新人に寄り添ったつもりだったが、しかし改めて新人の仮面が曇ったので首をかしげた。
「自分、修理の方法を教わったら地底で業務をすることになってて・・・・・・。そもそも地底で簡単な修理なら済ませられるようにって計画だったみたいで・・・・・・」
言いづらそうに言葉を萎えさせる新人の言葉を聞いて、内心で小さく合点がいく。なるほど、だから現職の研究班員を差し置いて地底を見学しに行ったのか。
新人はどうやら、気にしすぎな性質であるらしい。先輩として正しく振る舞うためにも、肩を落とす新人に「そうか」となんでもないように珈琲を口に含む。
「最前線での業務は気苦労も多いが、それだけ君に期待を寄せられているということなんだろうな。しっかり頑張ることだ」
「せっかく作図の方法まで教えてもらったのにすみません」
「なに、気に病むことはない。身に着けた技術は一生ものだ。君が設計業務に携わる日に、また生かせば良いんだ。それまで各々のステージで頑張ろう」
「・・・・・・はい!」
それから二人で、冷めきった苦い珈琲を啜った。飲み干した私はふうと息を吐き、新人は「うえ」と舌を出す。全く同じタイミングだったのがおかしくて、思わず「ははっ」と声を上げて笑ってしまった。照れ笑いが帰ってくる。大丈夫だ。苦くても笑えるのだから、きっと新人は大丈夫に違いなかった。
■
作業机の上には、書きかけの作図、文具、ネジや鉄糸といった工具類に、行き詰ったときの気晴らしでもある花札。それらが一見散乱している中、隙間を見つけて淹れたばかりの珈琲カップを置いた。
作業を始める直前の、束の間の暇。いつも業務時間ギリギリにならないと現れない同僚は相変わらず姿が無く、柵越しに寂しげなTOGEXを眺めながら、湯気に向けて息を吹きかけて珈琲を冷ます。
音もなく、静かな朝だ。何者にも触れられない作業場の道具たちは、誰かが居なければ眠りについているのと同じなのだろう。つい最近は新人が彼らを早く起こしていたものだが、元の持ち主だけになれば、誰もかれもが寝坊助に逆戻りするわけだ。
「はよーさん、相変わらず早いな」
朝ならではの時間をゆっくりと楽しんでいたらば、背中に聞き馴染みのある声がかかった。もちろん唯一作業場を共にする同僚のものだが、違和感もあって眉をひそめた。同僚はなにかと私を軽んじる傾向があるために、作業場へやってきたタイミングでの挨拶なんて、いつもなら絶対にしないのに。
一体どういう風の吹き回しなのだろうか。「ああ」とだけ返して注視すれば、なんとそのまま私の元へ近づいてくる始末。本当に、業務時間ギリギリにやってきてどういうつもりなのだ。
「あいつが行ってから早数週間だな」
おもむろに始まったのは、数週間前に地底へと異動になった新人の話だった。
私は同僚の話を聞きながら珈琲を啜る。
「寂しいんじゃないか? あんたに懐いてた」
「仕方ないだろう。最初からそういう話だったと聞いた」
「そんなあんたに朗報だ。先ほど幹部から手紙をもらった。あいつがしたためたんだと。読むか?」
スッと無造作に差し出されたのは、赤い便箋。イーガ団員同士での書簡のやり取りでよく見かけるが、まさか自分にそれが送られるとは思っておらず、「私に?」と仮面の裏で目を見張る。
答えなく、代わりにぐっと突き出される便箋を受け取れば、同僚は何も言わずにすたすたと歩いて行ってしまう。その片手には同じ便箋が握られていた。どうやらあの新人は、研究班の先輩二人に向けて、それぞれ手紙をしたためたらしい。
珈琲カップを一旦机の上に置き、便箋から静かに手紙を取り出す。紙には、文字を書き慣れていないらしく、墨の跡が少々乱雑に踊っていた。
『スベさんへ。
研究班ではお世話になりました。暫く地底で過ごすことになりそうで、いつまた会えるか分からないので、感謝を手紙にしたためて送りたいと思います。
あなたの作ったスベルDEATH3、この度やっと初めて地底で乗れました。地上と違って視界が悪いから、今度は砂漠で乗ってみたいです。貴方が言ったように、砂漠の風を切って走るその日が待ち遠しい。
地底では修理の作業に追われて、毎日忙しいです。でもやりがいを感じています。
そもそもスベルDEATH3に修理依頼はあまりないけれど、万が一故障が起きても安心してください。地上へは、ひとつも持って上がらせません。だからスベさんは、アジトで開発の業務に集中してくださいね。
結局自分は、なにかを開発することは出来なかったけど、最近は地底で自分なりに設計図を書き始めました。いつかこの作品が形になって、理解してくれる人間が出来れば良いなと願ってます。
スベさんの言葉で、自分は新しい一歩が出たんだと思ってます。
スベさんから教わった大切なこと、自分は決して忘れません。そしてスベさんはスベさんの道を、どうかそのまま突き進んでください。
また今度一緒に珈琲飲みましょうね。今度は牛乳を入れて 笑
研究班 新人より』
上から下まで何度も読み返しながら、珈琲を啜る。
作業のお供としてではなく、暖かく解けた心に流し込む珈琲は、いつもより美味く感じられて不思議だった。これは新たな知見を得た。珈琲の連れとして、これほど相性の良いものがあったなんて。
「元気そうだなー、あいつ」と、柵越しにわざとらしく張った声が聞こえてくる。そうだな、くらい相槌を返そうかと思ったが、いややめた。
この時ばかり、新人との思い出に浸かっておきたい。そしてそれはきっと、同僚だって同じだ。返事を求めているわけじゃないだろう。
「さ、今日も俺は修理だ修理。いくら下で簡単な修理をしてるからって、俺様が頑張らないと地底が回らねえからな」
とはいえだ、ムかつくことを言われた場合は話が違う。まるで研究班の主軸とでも言いたげな物言いに、鼻をならしながらカップを置いた。
「君のは壊れやすすぎるんじゃないか?スベルDEATH3は下で修理するだけで充分だと書いてあったぞ」
「うるせえな、それだけ酷使されてんだよ。こっち見んなよ」
「送り込んだ矢先から出戻りするじゃないか。酷使とかそういう話じゃないのは明白だろう。君のは、壊れやすすぎるんだ」
「使われりゃ壊れるのが当たり前なんだよ!一台も戻ってこないお前の方が異常だ!人気ないんだよ!お前のは!」
「ふふ、負け惜しみはよしたまえ。ごちゃごちゃと物を多くつければ良いと思ってるから、そういうことになるんだ」
「あーもういいから黙れって!仕事始めるぞ仕事!!」
その途端、同僚は金槌でトンカンやり始めて、会話を強制的に終わらせる。やれやれ、と首を振って、暖かい内に全て飲んでしまおうと改めて珈琲カップを手に取った。
新人は今日も地底で修理作業をしているのだろうか。その片手間で、自らの芸術と向き合っているのだろうか。
あれだけ真面目で幼く、感性豊かな新人なら大丈夫。新人の手掛けた芸術品に乗り込むのも、そう遠くないに違いない。
珈琲を飲み干して作業机の隅に置く。一旦書きかけの作図を終わらせたら、また改めて炊事場に珈琲を貰いに行こう。
そのときはそうだな、珍しく牛乳をいれて、作業のお供にしてみたいと思う。
勇者暗殺の責務を負う隠密集団・イーガ団に所属する一団員、それが私である。配属されているのは、古代のオーパーツでもある「ゾナウギア」と呼ばれる不可思議な部品を用い、乗り物を作成する研究班。手先が器用であったり、完成品に名前をつけるためのネーミングセンスが必要だったり、何かと技術的な一面が活躍する特殊な部署だ。
イーガは脳みそが筋肉で出来ているのかと思うほど単細胞な人間が多いから、それなりの頭脳が必要だと言われる研究班を希望する人間は少ない。勇者抹殺、ならびにコーガ様の大いなる夢を果たすためにはゾナウの技術が必要不可欠であり、日に日に需要が増える一方、研究班は今の今まで二人で成り立つ極々小さな部署だった。
なのに、突如としてやってきた新人の面倒を見ろ? 一瞬何を言われたのかが分からなかった。これから業務に入ろうかという時間に作業場へ押しかけてきた目の前の幹部は、部署のまとめ役を買ってはいるが、ゾナウギアを始めとした古代技術への造詣が深いわけでもなく、研究班の業務に理解があるわけでもない。どれほど研究班が忙しく、新人の面倒を見られる状況じゃないかが分かっていないのだ。今だって業務を中断して話を聞いてやっているのすら、時間が惜しくて仕方がないというのに。
「なぜ私が見なければならないのか、理解に苦しむが」
「仕方ないだろう。向こうはTOGEXの修理に追われて到底新人の面倒を見られる状況じゃあない。新しい機体の設計は後回しで良いから、とりあえずこいつにネジとかゾナウギアとかの基本を叩きこんでやってくれ。せめて簡単な修理が一人で出来るようになるくらいに」
向こう、というのは、作業場を柵で隔てた奥にいる、もう一人の同僚のことだ。同僚はもっぱら、地底で故障を起こしたTOGEXという名の乗り物の修理に追われている。新しい兵器開発を私に丸投げして。
修理をさせたいのなら、やっぱり新人の教育なんか向こうに頼めば良いのに。思ったそのままを口にしたら、「文句を言うんじゃない!」と叱責された。脳筋の頭にも分かるよう丁寧な反論を並べ立てでもしてやろうかと言葉を考え始めた隙に、幹部は端から何も聞くつもりがないように「頼んだからな」と去って行く。
元はといえば流通班を取り仕切っていたり、アジトの裏門で守衛を兼任していたり、何かと忙しい男だ。正直、人手が少ないからという理由だけで単にまとめ役を請け負っている得たいの知れない研究班に、そこまでの時間を使いたくないのだろう。
理解はできるが、逃げるように去っていく彼の背中に無性に腹が立ち、ゾナウのロケットでも打ち込んでやろうかと辺りを探したが、今となっては少し遅い。
広い作業場に残されたのは新人団員と自分、そして、我関せずという顔で、ずっと金槌をカンカンやってる同僚の三人だけ。
簡単な修理が一人で出来るようになるくらい、と言ったって、目の前の新人がどこまで特殊な研究班員に値する技術を持っているかすら知りもしないのに無茶を言うなと言いたい。
ひとつ深い溜め息を吐いてから新人に向き直る。初対面らしく身体を竦め、もじもじと胸の前で指先を捏ね繰り回す及び腰。先達から声を掛けられるのを待っているのか、促されなければ挨拶のひとつもできない意気地なし。最近、イーガへの入団を決める外部入団者は死んだオクタの吸盤みたいにぐでんぐでんな人間ばかりだと聞いていたが、まさか頭脳派と呼ばれる研究班にもその余波がやってくるとは思わなかった。
何も言わずにじいっと見つめていたからか、さすがに新人も居たたまれなくなったのかもしれない。「あ、あの・・・・・・」と発した密か声を聞いていたくなくて、遮るように口を開いた。
「君に問おう」
「は、はい?」
「あっちの趣味の悪い『TOGEX』と、この『スベルDEATH3』、どちらが美しいかね?」
これは、研究班以外の人間と喋る際に、度々投げかける問いかけである。
私はひそかに、同僚の作るTOGEXと、自身の作った最高傑作品でもあるスベルDEATH3を内心で競い合わせていた。ごちゃごちゃと目につく部品を片っ端からくっつけ、ただただいかつく仕上げたTOGEXなど、私の美的センスと程遠い。付け加えることが同僚の美であるのなら、私の美は、余計なものを削ぎ落すシンプルさにある。如何に不必要なものを取り払い、単純ながら凶悪で、機能性に長けた乗り物を作れるか。スベルDEATH3に込めたのは、引き算の美学そのものだ。
しかし、ここのやつらと来たら、私の美学をいまいち理解しないばかりか、同僚の作ったTOGEXの賛同者が少しばかり多い。だからこそ、こうして初対面の機会があれば相手に問いかけ、芸術を理解する種を蒔くように心掛けている。
一切の事情を知らない新人は、「えーと・・・・・・」と手を慌てさせながら、何度も何度もTOGEXとスベルDEATH3を交互に見やるばかりだった。
研究班の門戸を叩く酔狂者だから期待をしたが、結局は他の団員と寸分違わず愚者だったのだ。少しは見込みのある人間がやってきたかと考えた自分がバカだった。
「これすら答えに惑うようではこの先が・・・・・・」
「り、両方美しいと思います!好きです!両方!」
思いやられる。と、続けようとしたら、拳を握って迫る新人に先を越された。
「TOGEXはガチャガチャした装甲と、とにかくデカいのが美しいっていうか、カッコいいなって思います!対してスベルDEATH3は、スマートな見た目が過不足ない感じで洗練されてて、最先端のオシャレって感じで美しい?です!!自分には絶対思いつかない設計で、凄いなって思います!!」
それまでもじもじと肩を縮まらせていた人間とは思えない勢いで、新人はおそらく興奮していた。
今までこれほどまでに、研究班の作った成果物に対して熱意を持った人間がいただろうか。否。少なくとも私は初めて目の当たりにした。TOGEXとスベルDEATH3のどちらが好きかと聞いたとき、大概の人間は半笑い、もしくは心底面倒くさそうに「はいはい滑る方滑る方」などと適当に応える輩ばかりだったのだ。
思ってもみない熱量に面食らって最初こそ言葉を失ったが、唐突に得も言えない感情が胸にしみ出してきた。それはおそらく愉快という感情で、「ふふ、ふ」と勝手に笑みが零れたのを、仮面越しの口元へ手を当てて押さえる。背を丸めて俯き、その後もいまいち大げさになり切れない笑いを漏らしながら、研究班にやってきた有望な新人の仮面をはっきりと見返した。
「なかなか分かってるじゃないか! TOGEXよりスベルDEATH3の魅力を多く挙げたのが気に入った。良いだろう、ここでの面倒を私がみてやるとしよう」
「ほんとですか!?ありがとうございます!」
「とはいうものの、まずは君の情報が欲しい。研究班はイーガの中でも特殊な部署だと分かっているな?モノづくりが得意なことと、ネーミングセンスに長けたものでないと研究班は勤まらない。そうだな、例えば・・・・・・」
作業台に振り返り、何かめぼしいものはないかと探した折、ネジや鉄糸、書き途中の図案に紛れた一枚の紙を見つけ、「ああ、丁度良い」と手に取った。
「知っているかと思うが、これはお尋ね者となっている剣士の手配書だ。もし君だったら、この絵の男になんと名前をつける?」
新人に突き出したのは、イーガの全団員に周知させるために配られた宿敵の手配書だ。
色墨のイラストは、髪の毛が黄色、目が青という特徴は押さえているものの、人間というよりはマモノに近い形相で描かれている。大きく開けた口元からは巨大な牙が見え、頭からは二本の角が飛び出た絵のような人間が本当に存在しているとは、もちろん誰も思っていない。とはいえ描いた人間の心象がそのまま写されているようで、私はこの絵が存外に好きだった。
新人はまじ、と顔を近づけて剣士の手配書を見つめ、「うーん」と唸りながら顎に手をかける。
些か急な提案だったに違いない。しかし、これくらいで文句を言われては研究班としてやっていけない。と思ったのも束の間、微かに深く俯いた新人の首が僅かに傾き、ボソリとくぐもった声が聞こえた。
「・・・・・・金髪剣士 おにブリン、とか」
「ふむ・・・・・・なるほど、金髪で剣士というそのままの特徴を入れ込みながら、絵を踏襲して鬼とマモノの名前を掛け合わせたわけか。確かに私たちにとってマモノみたいなものだしな」
「か、解説やめてくださいよぉ・・・・・・」
「君のネーミングセンスは分かった。さすがにここへくるだけのことはあるようだな。ひとまず合格といったところだろう」
この一瞬で導きだした答えとしては、まずまずといったところだ。素直に褒めると、新人は「ほんとですか?良かった!」と照れくさそうに頭をかいた。
「では、君の実力も分かったところで、まず手始めに工具の使い方でも教えていくとするか。しっかりと私の説明を聞いていたまえ」
手配書をまた机の上に放り、並べて置いてあった工具を漁り始める。新人の元気な「よろしくお願いします!」という声が耳を掠めた途端、よく分からないムズ痒さが背骨を走っていったのは確かである。
これはひとつの責任か。無理に背負わされたものではあるが、これくらいの重さなら悪くない。しかし万が一潰れでもしないよう、猫背気味だった背を少しだけ伸ばすことにした。
新人はモノづくりにおいてなかなかどうして覚えが良く、私の説明を次々と吸収していった。
ネジの締め方、鉄糸の巻き方などの基礎的な技術。図面の読み方といった設計にまつわる知識。乗り物づくりの要ともいえるゾナウギアについても、この短期間で知識を付け始めているのだから驚くばかりだ。
口に出した言葉全てを聞き逃さず筆録しようと真剣に話を聞く姿勢にも感心したし、「ゾナウギアで必要なエネルギーとはなんなのでしょうか」「結晶を使わずにエネルギーを生成する機械を作ることはできないのでしょうか」なんて、考えてもみなかった新しい発想の質問が飛び出るものだから、素直に唸らざるを得ない。
何より新人は、スベルDEATH3に対して非常に好意的だった。肝いりの作品を誉めそやす相手に対し、それだけでも少し便宜を図ってやろうという下心を持ってしまうのは、人間の持つ本能的な弱さであるように思う。
「スベルDEATH3は、今までスナザラシでしか移動できなかった砂漠ですらとてつもない早さで走るんだ。操縦桿をつけることで、まるで自分の手足みたいに自在に動かせるのも長所と言える」
「ソリ自体に扇風機をつけるなんて、今まで帆を使って風を読む必要があったことを考えるととんでもない発想ですよ・・・・・・人類はまた一つ新しい叡智を得たに等しいです」
「地底という未知を開拓するには、どんな状況でも柔軟に対応できる乗り物が必要不可欠だ。スベルDEATH3の鉄棘さえ除けば、たちまち水中でも利用できる乗り物に様変わりする。シンプルで洗練された設計のスベルDEATH3だからこそ可能な業だろうなぁ」
「水陸両用を想定した、ということですか・・・・・・!?天才です、さすがです、自分にはそんな発想絶対に思い浮かびません・・・・・・!まさかツーウェイ・・・・・・いえ、砂漠でも乗れることを考えたらスリーウェイだなんて!」
自作の乗り物について、1を伝えれば同じ熱量で褒め言葉が返ってくる。これで良い気にならない人間がいるだろうか。少なくとも私は研究班で心血を注いで開発してきた乗り物に対して並々ならぬ情熱を傾けているため、同じく情熱を抱いていると見える新人の態度は印象が良い。
いつもなら、幾ら同士だろうが、無断で触ろうものなら瞬発的にとさかに来て「触んじゃねえ!」と怒鳴りでもするところだ。しかし新人が「すげぇ・・・・・・」と独り言ちながらスベルDEATH3を撫でても、まぁ多めに見るかと許容できるくらいには、私はこの新人を気に入っている。
「スベさんは、もちろんスベルDEATH3に乗ったことがあるんですよね?」
素性を隠して生活するイーガでは他団員に本名を明かすことはしないので、呼びづらいという理由で新人は私のことを「スベさん」と呼ぶ。そのままだが、スベルDEATH3の頭文字をとって「スベさん」だ。
お気に入りであるスベルDEATH3の名前が由来で、更にスベルDEATH3の「さん」にまで掛かっているらしい。先達に向ける呼名としては馴れ馴れしい気もするが、意外としっくりきて満更でもない。
スベルDEATH3の棘部分を撫でながら何気無しに問われ、私は力強く頷いた。
「もちろんだ。砂漠をスベルDEATH3で走るのは気持ちが良いよ。まるで自分自身が風になったみたいに感じられて」
「そうなんですか。自分もいつかスベルDEATH3に乗ってみたいなぁ」
「今度、試運転もかねて乗せてやろう。きっと君もスベルDEATH3の乗り心地を気に入ると思う」
アジトに籠りきりで開発をしているものだから、ここ暫くスベルDEATH3で砂漠に降り立つような機会は持てていない。随分過去の思い出を回顧したものだが、とはいえあの時の高揚感は簡単に忘れられるものではなかった。
自らが設計し、見た目も機能性も理想的な逸品で実際に砂漠を駆けたあの日。アジトのぼんやりとした行燈ではなく、砂漠のギラついた太陽光を受けながら走るスベルDEATH3は随分誇らしげだった。スナザラシに引かれながら風を切る感覚を想起させる一方で、まさにこの手で右に左に自由に動かすことのできる喜び。人間はあの瞬間、きっと一つ上のステージに降り立ったに違いないと今なお確信をしている。
新人にあの時の高揚を語って聞かせてやりながらスベルDEATH3を撫でると、砂塵の混じった風が仮面を撫でる音が、耳元で掠めていく気すらする。
「・・・・・・スベさんは、スベルDEATH3が本当に好きですよね。自分の作ったものに誇りを持てるのって、なんか良いですね」
うっとりした声音で紡がれたその台詞に、心の底から同調して頷く。
「TOGEXと違って、故障で戻ってこないのも私の自慢だ。きっとシンプルな作りをしてるからアレより頑丈なんだろうな」
「シンプルイズベスト、なんですね。洗練されてて、本当にすごいです」
「私の理想が詰まった一作だよ。スベルDEATH3を地底に何台も輩出してきた。見た目の美しさだけじゃなく、機能性も完備している正真正銘の最高傑作だ。これ以上の物は作れないと自負もある」
言葉の通り、さまざまな乗り物を開発し、地底に送り込んできた私だが、特にこのスベルDEATH3は群を抜いて気に入っている。乗り物としても兵器としても隙のない設計なのに、基本的な要素はたったの3つ。洗練されたネーミングも合わさって、これ以上ないものが出来たとつくづく思っていた。
ゴチャゴチャと多くの部品をネジや鉄糸で繋いだTOGEXは、無理な設計をしているからか、地底へ送り込んでもすぐに故障を起こしてアジトに返ってくる。新しい乗り物の開発が主たる業務のはずなのに、同僚は壊れやすい乗り物の修理に追われ、開発に関しては私が多くを受け持っている現状だ。それだけでも、同僚に対する苛立ちと、同時に自分は良いものを作っているという誉れを深める理由となっている。
「自分で設計した乗り物で風を切るのは気持ちが良いんでしょうね。・・・・・・自分もいつか、スベさんみたいに、自分の最高傑作を乗り回してみたいなぁ」
新人とはまだ出会って日が浅い。それでもさまざまな意見を交わしてきたつもりであったが、今漏らした言葉は、胸に抱く本音であったように思う。私は新人の奥底に眠る情熱に、今この瞬間、初めて触れたのだ。
同じ志を胸に抱く人間とはいえ、我々は仮面を身に付け、素性を明かさないまま生活を共にする隠密。個の露出とも言える本音や夢を語る相手は、きっと誰でも良いわけではないだろう。イーガの先達と後輩という関係以上にもう一歩踏み込んでも良い相手だと、新人は無意識に認識したわけだ。
その栄誉に報いるためには、ならば応えてやらねばなるまい。私はここ暫く机の上に放置されていた書きかけの作図を広げ、筆を手に取った。
「では、今日から設計図の書き方を教えてやろう。既存の乗り物についての知識ばかりでは、君の奥底に眠った芸術を見る機会が持てないからな」
仮面をつけていれども、新人がぱっと表情を明るくさせたのが分かる。「本当ですか!?ありがとうございます!」と応えた新人が筆録の準備を終えるのを待ってやってから、私は滔々と作図の説明を始めるのだった。
そんな新人との不可思議な絆を深める日々の中、新人が、地底を見学しに行く運びとなった。新しい乗り物を設計するにあたり、どのような動作環境かを把握する必要があるだろうという幹部の提案が発端だ。
私でさえ一度も訪れたことのない地底に、先んじて新人を遣わせるなんて順番が違うんじゃないか。と文句でも言いたいところだが、同僚を含めて現職は既に何台も乗り物を設計している身。今更地底見学を行う必要もないと判断されたのかもしれない。
幹部に連れられて旅立っていく新人を見送れば、久しぶりに他人を気にせず一人きりで開発作業に没頭できる時間が訪れた。ここ最近生まれたてのヒヨコのように後をついて回る新人がすっかり居なくなったわけだから、作業場が広く、静かに感じられるのは当然だろう。
これこそ今まで享受していた作業環境そのものであったわけだが、逆に「本当にこんな環境で作業をしていて良いのか」と考えすぎて落ち着かない。いつもは耳について仕方がなく、邪魔にしかならない同僚の金槌の音が、この日ばかりは居心地の悪さを紛らわせるのに一役買っていた。
さて、夕方になって、新人が深穴から帰ってくる時刻である。面倒を見てやってる先達として迎えてやった方がいいだろうと、当初聞いていた時刻に合わせて夕餉を済ませた。
地底の暗闇から帰ってきた新人の姿が視界に入った瞬間、「お疲れ」と声をかけてやると、俯き加減だった仮面を小さく会釈させたのが見えた。どうやら随分疲れているらしい。
「深穴はどうだった?」
「ええ・・・・・・まぁ・・・・・・」
これほど辛気臭い様子は初めてで妙に引っ掛かった。いつもならば、どれほど作業が立て込んでいる状況でも、子犬のような溌剌さを失わないのに。
そのまま暇を貰うというので、ずっしりと重い何かを負ぶさったかのような丸い背中を、私は何も言わずに見送った。
その日からだ。道具の基礎を身に着けた新人は、幹部が当初言っていた通り既存の乗り物の修理に当たることとなり、私の元で勉強をすることがなくなった。毎日あーでもないこーでもないと修理に奔走する同僚の元で、機体を直す方法を学ぶらしい。
あれだけスベさんスベさんとことあるごとに話しかけられていた相手から、今では朝と帰りにしか挨拶されない。新人がやって来る以前のことを考えれば一日の内に喉を使う時間は増えた方だが、唐突に空白の時間が増したように感じてしまう。
実際、一人での作業時間が帰ってきただけだ。それは確かに集中できる時間だったが、どうも響きの悪い金槌の音ばかりが耳について開発業務が進まない。
耳障りなのは元より、新人が地底から帰ってきた時に感じた引っ掛かりが、いつまでも思い起こされて座りが悪かった。
新人と改めて話す機会を得たのは、少し冷える晩のこと。
既に業務時間は過ぎ、夕餉を済ませ、湯浴みの後に寝ようかという時刻だ。作業机に書きかけの作図を出しっぱなしにしていたかもしれない、とたまたま様子を見に来たとき、夜にしては違和感を覚える光景を見た。
手元が暗いからという理由で作業時間にのみ咲かせるアカリバナは、部屋を退散するのと同時に摘み取って処分するのが決まりである。にもかかわらず、作業場は煌々とした明るさに包まれており、同僚の作業机の前で、件の新人がウンウンと唸りながら頭を抱えていたのだ。
声を掛けても良かった。が、最近とんと会話のなくなった新人相手に、どう声を掛けて良いのか検討がつかない。作業場の入り口からそっと様子を伺って、そのまま踵を返すことにした。
湯浴みを済ませて寝ようかと考えていたが、作業場よりも随分冷えた岩廊下を進む度、たった一人で作業場に残っていた新人の背中がどうも気にかかる。
一旦、珈琲でも飲んでゆっくりしようか。作業のお供として馴染み深い飲み物ではあるが、あれを飲むと眠気が遠ざかるので、いつもであれば寝る前の摂取は避けている。しかし今日は、まるで整頓されていない作図中の机みたいな頭を、すっきりした苦味で押し流したかった。夕餉が終わったばかりのタイミングだ。きっと片付けをしている炊事担当に頼めば、すぐさま珈琲を準備してくれるに違いない。
炊事場に辿り着き、思惑通り顔なじみの炊事担当が未だに作業をしていたので、「珈琲を一杯」と頼む。炊事担当には「今?」と少し嫌な返事を返されたが、なんだかんだ炊事場の奥へ消えていくので帰りを待った。
待っている間、水場だからだろうが随分寒く感じて身震いする。
そういえば今日は作業場も寒かった。今はあの広い作業場に新人一人しかいないから、余計に寒く感じることだろう。
うんうんと頭を抱えながら、若者なりにイキイキした背中を、この時ばかりはこれでもかというくらい丸まらせて、あのだだっ広い中で身を縮ませるのだろうか。
たった一人、深穴から戻ってきたときと同じような、丸い背中のまま。
「…すまない、珈琲をもう一杯、追加で頼めるか?」
湯気のたつカップを渡された折、人差し指を一本立てて見せつける。馴染みの炊事担当には今度こそ悪態を吐かれたが、それでも準備してくれるのだ。文句くらいは甘んじて受けようかと思った。
■
二つの珈琲カップを手に作業場へ戻ってくると、新人は未だに鉄糸を手に持って格闘している真っ最中だった。
一歩足を踏み出した瞬間、ちょうど顔を上げた新人と柵越しに視線がかち合う。仮面なんか関係ないくらいに狼狽してみせた新人が可笑しくて「まだやってるのか」と声をかけたが、呆けた仮面を晒すだけで声も出ないらしい。すぐそばまで寄って、やっと「お疲れ様です」とだけ絞ったような声が返ってきて、それも少し、間の抜けた感じで可笑しかった。
「もうとっくに作業時間は終わってるだろう。それに君だけとは・・・・・・。あいつはどうした?」
「トゲさんはもう作業から上がってまして・・・・・・。どうしても鉄棘を固定させるのが難しくて、練習してたんです」
「あまり根を詰め無い方が良い。珈琲を淹れてきてやった、少し休憩しないか?」
「でも・・・・・・」
「研究班は技術は元より、アイディアを生み出す発想力が大切だ。それは疲れていない脳みそじゃないとなかなか生み出せないものだ。ほどよく休息をとることは、我々にとって業務のひとつなのだよ」
言葉と共にクッと珈琲を突き出す。新人は新人は私とカップを交互に見やった後、逡巡したのだろうが「いただきます」と、結局は遠慮がちにカップを引き取っていった。
仮面の隙間からカップの縁に口をつける新人の横に座り、倣って、ズ・・・・・・と黒い液体を身体に入れる。好みの生ぬるい苦味が口の中に広がり、やはり乱雑に散らかった頭の中をスッキリさせてくれる気がした。
作業をやめたこの部屋は、広さもあるからかしんと静まり返って空気が重い。まともに新人と喋るのはいつぶりだろうか。毎日律儀に面倒を見ていた時とは違って、どこかよそよそしいオーラを感じ取っていた。
あれだけ気さくにゾナウギアについて語り合っていたのが嘘のようだが、とはいえ、そんなのは会話の糸口に関係ない。聞きたいことがあるから聞く。結局人間とは、自分がしたいと感じたことしか前向きになれない生き物なのだから。
「最近は修理作業ばかりだな、君はどちらかといえば作図作業がしたいのだと思っていたが」
身体ごと新人の方に傾け、アカリバナの光を背負って影が濃くなった仮面を覗き込めば、新人は萎縮したように肩を竦めてみせた。
「ええ・・・・・・個人的な希望はそうですが、足りてないのは修理屋だそうで」
「そうか。・・・・・・それもこれもアイツが脆い乗り物を作るからだろうな。もっとシンプルに、頑丈な乗り物を生み出せば良いのに。大変だろう、こんなにごちゃごちゃとたくさんくっついたものを直すのは」
「いやぁ・・・・・・はは」
両手に包み込んだカップを親指で撫でながら新人が曖昧に言葉を濁す。まぁ、今は彼奴に師事しているわけだし、私の言に明確な肯首ができないのも無理はない。
なんとはなし続かない会話の合間に、いつもは柵越しにしか見ないTOGEXへ視線を向けた。ここまで近くで見るのは初めてかもしれない。相変わらず「あるだけの鉄棘を目いっぱいくっつけました」というデザインには、同僚の烏滸がましさそのものが現れているようでどうにも鼻について仕方ない。
「・・・・・・スベさんは、自分の作ったものがぞんざいに扱われてたら、どうしますか」
渋い気持ちでTOGEXを眺めていたら、唐突に新人が沈黙を破った。
その視線は仮面に隠れていて分からないが、あまり減っていない珈琲の水面に注がれているように思えた。すくなくともこちらは見ていない。そもそも隠密集団の一員が相手なのだから感情の機微など判断しづらいものだが、輪をかけて新人が何を考えているか分からない。
しかし、今まで温和に明るい語り口調を崩さなかった人物とは思えないほど、その声色は神妙だった。
「ぞんざいとはどういう意味だ?例えば」
「えっと、自分が丹精込めて生み出した作品が、望まれない使われ方をしていたり、その辺にほっとかれていたり・・・・・・ってことです」
「なるほど。確かにそれはぞんざいだ」
「設計したい気持ちもあるんですけど、そんな風に扱われたらどうしようって思うと、考えちゃって・・・・・・」
新人は黒い水面を見たまま顔を上げない。波紋すら立たないその小さな水たまりは、新人の悩みを吸い込む沼になっているのだろうか。ただ静謐に自らを映すその黒へ、自問自答を繰り返している。飲み込むことはせずに。
私は、生ぬるい珈琲を少しずつ口に含みながら、「そうだな・・・・・・」と、今しがた言われた通りの光景を頭に思い浮かべた。
しかし、こんなものは道理が決まっている。どう扱われようと結局、芸術家としての受け取り方なんぞ最初からひとつしか存在せず、私の中では決まり切ったことである。
「もちろんまずは怒りが来るが、・・・・・・結局関係ないな」
おもむろに新人の顔が持ち上がり、「関係ない?」と訝し気な声で繰り返されたのを、柵越しの最高傑作を見ながら穏やかに頷いてみせた。
「ぞんざいに扱う人間は、私の作ったものが理解できない愚か者だ。しかしそもそも芸術なんてのは、100人が100人、創作者の意図を理解できるものじゃない。理解できない人間の感覚を、私が操作できるものでもない。崇める人間も居れば、ぞんざいに扱う人間も居る。そのどちらかの評価しか存在しない」
「・・・・・・ぞんざいに扱われても良い、ってことですか?」
「もちろんムカつくよ。しかしアートとは、理解できない人間にとって塵芥に過ぎないのだと思ってる」
芸術に身を賭すものとしての戒めだ。自らにも改めて言い聞かせるつもりで力を込めれば、新人は「・・・・・・そこまで割り切れるのは凄いです。自分にはとても・・・・・・」と語尾を萎ませる。
逆に、新人の気を落とさせてしまったらしい。そのつもりはなかったので肩を竦め、新人の肩をぽん、と叩いてやった。
「まぁ、君が作るのはアートというだけに留まらず、機能重視の乗り物だ。求められるものに応えられれば、まずぞんざいに扱われることなんてないはずだ」
「・・・・・・ありがとうございます。なんというか、ちょっとすっきりしました。地底から帰ってきてずっと悩んでて・・・・・・」
「持論を解説したまでだ。せめて理解者が多いことを祈ろうじゃないか。どんなものにだって、必ず一人は理解者がいる。スベルDEATH3にも、TOGEXにも、君がこれから作るものにも」
「・・・・・・自信はありませんが」
そう感じるのも無理はない。なぜなら、新人は未経験者なのだ。未だ踏み入れたことのない世界に対し、臆病風を吹かせ、心配に身をやつすのは当然だ。
だからこそ私は、咄嗟に返ってきた反論にあっけらかんと笑いかけた。
「何言ってるんだ、自分がいるだろ。まずは自分という理解者がいることを、芸術に身を置くものは理解してなきゃいけない」
今度こそ、仮面がパッと持ち上がり、肩を膨らませた新人は「はい!」と力強く頷いた。手元を照らすアカリバナの光が反射して、イーガの仮面が今までに見たこともないほど、白く眩く光っていた。
どうやら、自分は後輩を励ますことに成功したようだ。達成感もあり、会話の継ぎ目に珈琲を一口飲みこむと、つられるように新人も仮面の隙間からカップを勢いよく傾けた。ただ、その次に紡がれたのは「うえ」という思ってもみない声で、新人は珈琲が苦手だったらしいと思い至る。
「なんだ、もしかして苦手なのか」と思ったままを声に出せば、牛乳がないと飲めないのだとか。どこか幼い印象のある新人だったが、まさか味覚まで幼いとは思わなかった。
とはいえ、その幼さは決して短所ではないはずだ。無邪気な目があるからこそひたむきで、やりたいと思ったそのままに研究班を選ぶことができたのだ。心に従う素直さをいつまでも保つのはこの世界において難しい。とかく、大衆から謗られるような大志を胸に日々を過ごすこの集団においては特に。
自分もかくありたいと、ふっと頭に上った。それは明らかに学びであり、まさか研究班員としてのいろはを教え込んでいた新人に、芸術家の気付きを与えられることになろうとは思わなんだ。
「それにしても、修理に回されるのは災難だった。設計の業務に回れると良いんだがね」
「あ・・・・・・それなんですが、スベさん。えっと・・・・・・」
新人はきっと、自分の元へいれば良い作品を産み出すだろうに、最近は修理作業ばかりをさせられている。そう思って新人に寄り添ったつもりだったが、しかし改めて新人の仮面が曇ったので首をかしげた。
「自分、修理の方法を教わったら地底で業務をすることになってて・・・・・・。そもそも地底で簡単な修理なら済ませられるようにって計画だったみたいで・・・・・・」
言いづらそうに言葉を萎えさせる新人の言葉を聞いて、内心で小さく合点がいく。なるほど、だから現職の研究班員を差し置いて地底を見学しに行ったのか。
新人はどうやら、気にしすぎな性質であるらしい。先輩として正しく振る舞うためにも、肩を落とす新人に「そうか」となんでもないように珈琲を口に含む。
「最前線での業務は気苦労も多いが、それだけ君に期待を寄せられているということなんだろうな。しっかり頑張ることだ」
「せっかく作図の方法まで教えてもらったのにすみません」
「なに、気に病むことはない。身に着けた技術は一生ものだ。君が設計業務に携わる日に、また生かせば良いんだ。それまで各々のステージで頑張ろう」
「・・・・・・はい!」
それから二人で、冷めきった苦い珈琲を啜った。飲み干した私はふうと息を吐き、新人は「うえ」と舌を出す。全く同じタイミングだったのがおかしくて、思わず「ははっ」と声を上げて笑ってしまった。照れ笑いが帰ってくる。大丈夫だ。苦くても笑えるのだから、きっと新人は大丈夫に違いなかった。
■
作業机の上には、書きかけの作図、文具、ネジや鉄糸といった工具類に、行き詰ったときの気晴らしでもある花札。それらが一見散乱している中、隙間を見つけて淹れたばかりの珈琲カップを置いた。
作業を始める直前の、束の間の暇。いつも業務時間ギリギリにならないと現れない同僚は相変わらず姿が無く、柵越しに寂しげなTOGEXを眺めながら、湯気に向けて息を吹きかけて珈琲を冷ます。
音もなく、静かな朝だ。何者にも触れられない作業場の道具たちは、誰かが居なければ眠りについているのと同じなのだろう。つい最近は新人が彼らを早く起こしていたものだが、元の持ち主だけになれば、誰もかれもが寝坊助に逆戻りするわけだ。
「はよーさん、相変わらず早いな」
朝ならではの時間をゆっくりと楽しんでいたらば、背中に聞き馴染みのある声がかかった。もちろん唯一作業場を共にする同僚のものだが、違和感もあって眉をひそめた。同僚はなにかと私を軽んじる傾向があるために、作業場へやってきたタイミングでの挨拶なんて、いつもなら絶対にしないのに。
一体どういう風の吹き回しなのだろうか。「ああ」とだけ返して注視すれば、なんとそのまま私の元へ近づいてくる始末。本当に、業務時間ギリギリにやってきてどういうつもりなのだ。
「あいつが行ってから早数週間だな」
おもむろに始まったのは、数週間前に地底へと異動になった新人の話だった。
私は同僚の話を聞きながら珈琲を啜る。
「寂しいんじゃないか? あんたに懐いてた」
「仕方ないだろう。最初からそういう話だったと聞いた」
「そんなあんたに朗報だ。先ほど幹部から手紙をもらった。あいつがしたためたんだと。読むか?」
スッと無造作に差し出されたのは、赤い便箋。イーガ団員同士での書簡のやり取りでよく見かけるが、まさか自分にそれが送られるとは思っておらず、「私に?」と仮面の裏で目を見張る。
答えなく、代わりにぐっと突き出される便箋を受け取れば、同僚は何も言わずにすたすたと歩いて行ってしまう。その片手には同じ便箋が握られていた。どうやらあの新人は、研究班の先輩二人に向けて、それぞれ手紙をしたためたらしい。
珈琲カップを一旦机の上に置き、便箋から静かに手紙を取り出す。紙には、文字を書き慣れていないらしく、墨の跡が少々乱雑に踊っていた。
『スベさんへ。
研究班ではお世話になりました。暫く地底で過ごすことになりそうで、いつまた会えるか分からないので、感謝を手紙にしたためて送りたいと思います。
あなたの作ったスベルDEATH3、この度やっと初めて地底で乗れました。地上と違って視界が悪いから、今度は砂漠で乗ってみたいです。貴方が言ったように、砂漠の風を切って走るその日が待ち遠しい。
地底では修理の作業に追われて、毎日忙しいです。でもやりがいを感じています。
そもそもスベルDEATH3に修理依頼はあまりないけれど、万が一故障が起きても安心してください。地上へは、ひとつも持って上がらせません。だからスベさんは、アジトで開発の業務に集中してくださいね。
結局自分は、なにかを開発することは出来なかったけど、最近は地底で自分なりに設計図を書き始めました。いつかこの作品が形になって、理解してくれる人間が出来れば良いなと願ってます。
スベさんの言葉で、自分は新しい一歩が出たんだと思ってます。
スベさんから教わった大切なこと、自分は決して忘れません。そしてスベさんはスベさんの道を、どうかそのまま突き進んでください。
また今度一緒に珈琲飲みましょうね。今度は牛乳を入れて 笑
研究班 新人より』
上から下まで何度も読み返しながら、珈琲を啜る。
作業のお供としてではなく、暖かく解けた心に流し込む珈琲は、いつもより美味く感じられて不思議だった。これは新たな知見を得た。珈琲の連れとして、これほど相性の良いものがあったなんて。
「元気そうだなー、あいつ」と、柵越しにわざとらしく張った声が聞こえてくる。そうだな、くらい相槌を返そうかと思ったが、いややめた。
この時ばかり、新人との思い出に浸かっておきたい。そしてそれはきっと、同僚だって同じだ。返事を求めているわけじゃないだろう。
「さ、今日も俺は修理だ修理。いくら下で簡単な修理をしてるからって、俺様が頑張らないと地底が回らねえからな」
とはいえだ、ムかつくことを言われた場合は話が違う。まるで研究班の主軸とでも言いたげな物言いに、鼻をならしながらカップを置いた。
「君のは壊れやすすぎるんじゃないか?スベルDEATH3は下で修理するだけで充分だと書いてあったぞ」
「うるせえな、それだけ酷使されてんだよ。こっち見んなよ」
「送り込んだ矢先から出戻りするじゃないか。酷使とかそういう話じゃないのは明白だろう。君のは、壊れやすすぎるんだ」
「使われりゃ壊れるのが当たり前なんだよ!一台も戻ってこないお前の方が異常だ!人気ないんだよ!お前のは!」
「ふふ、負け惜しみはよしたまえ。ごちゃごちゃと物を多くつければ良いと思ってるから、そういうことになるんだ」
「あーもういいから黙れって!仕事始めるぞ仕事!!」
その途端、同僚は金槌でトンカンやり始めて、会話を強制的に終わらせる。やれやれ、と首を振って、暖かい内に全て飲んでしまおうと改めて珈琲カップを手に取った。
新人は今日も地底で修理作業をしているのだろうか。その片手間で、自らの芸術と向き合っているのだろうか。
あれだけ真面目で幼く、感性豊かな新人なら大丈夫。新人の手掛けた芸術品に乗り込むのも、そう遠くないに違いない。
珈琲を飲み干して作業机の隅に置く。一旦書きかけの作図を終わらせたら、また改めて炊事場に珈琲を貰いに行こう。
そのときはそうだな、珍しく牛乳をいれて、作業のお供にしてみたいと思う。