「コーガ様・スッパ」が登場する話

 突っぱねた指先さえ朧になる幽暗。遠目で見つけたほの明るい場所へ辿り着いたとき、彼はそれまでにない違和感に気付いた。
 生物の息遣いが全く感じられないこの暗がりにおいて、微かに耳を掠める音があるだけでも即座に警戒心が掻き立てられる。にもかかわらず、あろうことか彼が捕まえたその音は、ぼそぼそと不明瞭に絞り出される何かの声を思わせたのだ。その上信じがたいことに、ここへ辿り着くまでに見かけた闇を纏うマモノでもなく、生きている人の声、のような。
 隠密集団の総長・コーガは、自身の境遇に恥じない身のこなしで気配を全く消し、音の出どころを探った。違和感の正体は、なんのこともなくすぐさま彼の知るところとなった。
 薄ぼんやりと光る瘤を孕む木。腕を回しても届かないほど太い幹だか根だかの隅っこへ、身を隠すように蹲る何かがいる。
 ここに住まう新手の種族か。それとも遂に気が狂い、自分の脳みそが幻覚を見せるようになったのか。己にすら向けた疑いの目は、影から覗くとある物を捉えてすぐさま晴れてゆく。見間違いでなければ、いかにも自らが引き連れる隠密集団・イーガ団の団員が身に纏う装束そのものだったのだ。
 こんな太陽光のひとつすら存在しない不毛の土地で同志と出会うなぞ、俄かには信じられないのが道理であろう。しかし彼には、団員がこの場にいる理由の検討がついていた。
 彼自身が憎き怨敵によって地上から姿を消し、団員と音沙汰が取れなくなったことこそに、原因が集約されているに違いない。

 彼らのアジトが存在するゲルド地方・カルサー谷には、その昔から不可思議に地面を貫く穴・・・・・・通称・深穴が存在していた。
 綺麗な正円は決して自然に出来たものではないと確信できるものの、では人の手によって掘られたかといえば到底信じられない規模で、見る者の首を傾げさせる。
 なにせ覗き込んだとしても底が見えず、何者でも吸い込んでしまうような漆黒が蔓延るだけなのだ。真上から降り注ぐ太陽の光さえ出ることも叶わない深淵。イーガの親御は手のつけられない自らの子供に「そんなに好き勝手してると深穴からおばけが出てきますよ」と脅すことが決まり文句になっているが、口にする大人の方がうっすら真実かもしれないとぞくぞくするほどに、闇は色濃く、得体が知れない。
 穴の周壁にはシーカー族の伝統的な装飾が施されているために、その昔は儀式に利用されていたのだろうと推測される。しかし、現存のイーガにはその名残がなく、昨今は現総長が昼寝の際に食べたバナナの皮を投げ入れる[[rb:芥場>あくたば]]としてしか出番がなかった。
 その深穴に、憎き怨敵──百年前、英傑の一人に任命された剣士・リンクとの激闘の末、コーガは突き落とされてしまった。まさか、自らがバナナの皮と同じ芥場への運命をたどるとは、勇者が現れる直前の昼寝では寸分も考えていなかったところである。

 シーカー族に伝わる浮遊術によってその場での落命だけは免れたものの、一切の光すら届かないほどの奈落から地上に戻る術は無い。そもそも戻ったとして、自分をここへ突き落とした件の剣士が、地上で幅を利かせているに違いない。
 無計画に戻っても仕方ないと自らを言い聞かせながら、地上へ残してきた団員達が助けを寄越してくれるまで、地底で日々を過ごす羽目になったのだ。
 本来であれば、両目を潰されたような幽暗に、地上ではあり得ない未知の生態系、食べ物もまともにない不毛の土地とくれば、精神に異常を来したとして一つもおかしくなかっただろう。しかしコーガは、掃いても掃いてもいつのまにか階段の隅に溜まっている砂漠の砂粒よりもしぶとかった。
 この世がゆるゆると終焉に向かっていく様を、バナナなんぞ食べつつ団員を指揮してきた彼の十数年は暇を極めており、その膨大な時間を、知の民シーカー族の長に相応しく瞑想に当ててきた。自らに向き合い、精神を統一することで暗闇においても理性を失わなかったのは、たゆまぬ努力の結果ともいえよう。
 加えて、イーガの団員は一人残らず総長たる自分を敬愛に近く慕っていると自負がある。彼らが自らに向ける日々の尽力を考えれば、いつかこの深穴へ助けに来てくれるだろうという確信めいた希望があった。
 その邂逅が今なのだろう。と、ここまでがコーガの推察である。

 木の影から見えるその赤い装束に、嬉しさと喜びに乗じた勢いのまま、声でもかけたら良かったのかもしれない。
 しかしコーガ自身、安堵はしたものの警戒心が0でなかった。感情を殺し、理性を伴った情報収集こそ隠密の由縁。様子を見る意味合いも込めて、まずはザッザッと足音を立ててみる。ここは音のない世界である。これだけの砂粒の摩擦音でも、たった一人で無音を過ごしていた団員ならば直ちに来訪者に気付くはず。
 相手方からなにかしらの動きが見られると期待したものの、しかしコーガの予想は外れ、木の陰に寄りかかるそのイーガの装束らしき人物は、うんともすんとも動かない。
 なんでだ。聞こえてんだろ。と思いはしたが、気を取り直して近場に転がっていた石ころを、装束の近くに投げてみた。音で気付かないのならば視覚的に気付かせようという魂胆だった故だが、その人物の目の前に転がっていっても、全くの無反応。
 何度も投げたことで石がまばらに散らかっておはじき遊びの様相を呈してきたものだから、さすがにコーガも首を捻った。もしや、死んでいる?不安に思って木の真後ろにまで近づくと、いややはり生きている人間だ。何事かをぼそぼそと不明瞭に囁きながら、先ほど同様、木に寄りかかって蹲っている。
 そして、近場まできて漸く分かった。どうにも今まで確証が持てなかったが、彼はやはりイーガの人間で、おまけに難関と言われる幹部昇格試験を突破し、精鋭として団をまとめる幹部役を担う男であった。

「よお、大丈夫か」

 満を持して声をかけた瞬間である。突如としてその幹部が金切り声を上げて絶叫をした。掠れてはいるものの距離を考えない腹からの大声に、思わず「いッ!?」と耳を塞ぐほどだ。後ずさりでコーガとの距離をとる幹部は、腕を振り回しながら滅茶滅茶に暴れた。「おい!?大丈夫か!?」とコーガがどうにか落ち着かせようとするが、彼は全く気付いた素振りなく、叫びながら首を振っている。
 イーガの幹部役といえば、全てがすべて難所を潜り抜けてきた猛者共で、如何なる状況に陥ろうとも決して理性を失わず、感情の律し方を心得ている者ばかりのはずである。目の前の男は間違いなくイーガの幹部であるが、そんな男がこのような恐慌状態に陥るなど、長年のイーガ総長経験でも見たことが無い。

「おい!しっかりしろ!俺様だ俺様!イーガ団の総長コーガ様だぞ!?」

 暴れる巨漢の肩をどうにか掴んで揺らし、焦点すら怪しい彼の視線を誘う。割れた面から覗く瞳は右往左往と酷くぶれ、過呼吸にでもなっているのではないかと思うくらい息も荒かった。
 しかし、何度も何度もコーガから声を掛けられて、目の前の人間が自身の主だと気付けたのだろう。大きく上下していた肩が徐々に落ち着き始め、覚束なかった瞳の焦点が合う。
 面の亀裂から見える瞳が漸く意思を持って自分を見た、と思ったら、ぐるんとその瞳が上向きになり、身体の支えが無くなって重力に引っ張られる。
 筋肉ダルマの巨漢は上半身だけでも重く、急に感じる体重には驚いたが、コーガはなんとか彼の肩を支えてやった。かなり重くて、結局のところすぐさま砂地に横たえることになったが。
「おい!」と幹部の肩を揺さぶるものの、今度こそ何の反応もない。どうやら意識を失っているようだった。

「なんだってんだ・・・・・・」

 地底では慣れたはずの静寂が、また改めて場に満ちる。
 困惑したコーガの脳裏に残ったのは久々に聞いた人の声と、怯えきった彼の瞳だけだった。






 焚火がユラユラと作る影を手持ち無沙汰に見ていると、「う・・・・・・」と微かなうめき声が聞こえた。
 何もないよりマシだろう、と寝込む彼の上にかけてやっていた大きな木の葉がずり落ちている。額を抑える彼に寄って、「大丈夫か」と面を覗き込むと、まどろむようにはっきりしない幹部の瞳が、次第に自分へピントを合わせていく。
 顔つきに正気が宿った、と思ったら、幽霊でも見たかのように目を見開き、彼は微かに後ずさりしながらコーガから距離をとった。

「コーガ様・・・・・・!? そんな、嘘だ。コーガ様がこんなところに居るわけがないっ、あり得ない」
「落ち着け、ほんもんだよ。俺様はお前の主、イーガ団総長コーガ様だ」
「ほ、本当に・・・・・・コーガ様なのですか」
「ああ、本当だ」

 動揺で改めてパニックになられでもしたら大変だ。さすがにこの巨漢に理性なく暴れられたら、腹も減ってる今時分、抑えきれる自信がない。
 低く落ち着いた声音で、癇癪を起した子供へ伝えるようにゆっくり言い聞かせてやると、興奮して荒く上下し始めた幹部の肩が徐々に凪いでいく。
 最後にひとつ深呼吸をして漸く落ち着きを取り戻し、現実を直視できるようになったらしい。未だ信じられないものでも見る目付きには変わりなかったが、その瞳にはしっかりと彼の理性が見て取れた。

「コーガ様が、なぜここに・・・・・・。いや、私は、いったいなぜ、ここで寝ているというのでしょう」
「俺様の顔を見るなり喚いて気を失ったんだ。葉っぱは布団代わりに俺がかけてやったんだが・・・・・・覚えてねえのか?暴れて大変だったんだぞ」

 上半身を起こした幹部は、やはりどこか、頭がはっきりしないのだろう。額を押さえながら「そういえば・・・・・・」と呟いたきり、ほんの少し前の記憶にもかかわらず鮮明に思い出せないのか、小さく首を振ってみせた。

「申し訳ございません、朦朧としていたので、いまいち・・・・・・」
「いや良いってことよ。しかし、驚いたぞ。まさかこんな地底で団員に会うなんて」
「私もです。一人で気が狂って、このまま死ぬものだと思っていました。それもコーガ様に会えるなんて、なんたる幸運でしょう」
「その口ぶりから察するに、俺様を探しに来たわけじゃないんだな?それにあのパニクりよう・・・・・・。その恰好も相当だし、一体全体お前になにがあったってんだ」

 幹部の姿は酷い有様であった。
 装束はところどころ破れ、木でできているはずのイーガの面は割れて半壊状態。肌を辛うじて覆う布も茶色く斑に薄汚れており、小さな怪我を数えきれないほどしていることが一目で見て分かる。
 彼の様相を一言で表すのであれば、さながらボロ雑巾という言葉が相応しい。
「はっ・・・・・・それが・・・・・・」と幹部は伏し目がちに握った自身の拳に視線を落とす。何か言いたげに開かれた口元が、かと思えば何も言わずにカタカタと歯を鳴らし始めた。肌が白くなるほど握られた指先は震えを押さえるためであろうが、その拳すら全体が小刻みに震えている。

「大丈夫か・・・・・・?」とコーガが異常を察して顔を覗き込むと、地面を見つめたまま重く頷いてみせた。
 身体の中にずっしりと溜まった息を深く吐き切り、幹部はコーガにこれまでの経緯を語り始めた。




 ──私がこの暗闇へと訪れることになったのは、他でもない宿敵、近衛の騎士に全ての原因があります。
 コーガ様が行方不明となった後、イーガ団は一時、カルサー谷のアジトの撤退を余儀なくされました。ゲルドから盗み出した雷鳴の兜を奪われ、あまつさえ兵糧のツルギバナナも全て彼奴に奪われた当時、あの場に居続けることは得策ではないと判断したからです。
 しかし、決してコーガ様のお命と宿願を諦めたわけではありませんでした。彼奴が厄災討伐を企てる合間、裏では方々で連携を取りあい、コーガ様の安否、並びに彼奴の動向調査を続け、一矢報いる隙を伺っていたのです。
 私は隠密部隊として矢面に立ちつつ、度重ねて刃を交えました。彼奴は聞きしに勝る強者で、古代シーカーの不可思議な技術を使いこなしており、私がどれほどの強襲を仕掛けても恥ずかしながら歯が立たず・・・・・・。遂にある時、古代技術の奇術を受けた私は、彼奴の真剣をしっかと身体に浴びてしまったのです。

 命からがら更なる追撃から逃れられはしたものの、朦朧としていた私は足を踏み外し、空中へと投げ出されました。重力のままに落ちる最中、それが底も知れない穴だったと気付いたときは、もう命運尽きたと思いました。
 しかし、私が落ちた真下には、どうやら巨大な木々が植わっていたようです。暗闇の中で何が起きたかはわかりませんが、何度も地面ではない柔らかな衝撃を身に受け、落下による落命だけは免れました。おそらく、巨大な葉・・・・・・。悪運だけは強くて本当に助かった。
 身体の節々が痛むので、どうやら自分は生きているようだと理解できたものの、辺りは一面真っ暗で天地左右も見て分からぬ暗黒が広がるばかり。真っ暗闇の中では時間の感覚さえ覚束なく、日の元でどれほどの日数が経っているのかも分かりません。今だってそうです。何日、いや、こうしてる合間にも一分一秒の感覚が覚束なくなっていくようです。

 しかし命がある。得体の知れない植生とはいえ、木々がある。どうにかなるかもしれないと思いました。身に忍ばせていた火打石と周囲の木々で焚火をし、仮の拠点を作りました。
 この暗闇・・・・・・地底は、未知でしかありません。ハイラルにこのような地底が広がっているなぞ、誰が想像したでしょう? イーガの掟に則り、まずは情報収集を試みたものの、正直に言って分からないことだらけです。途方もなく広大で端も見えないということ。独特の自然体系が確立されているということ。マモノが採石場のような場所で拠点を作っていることくらいしか・・・・・・。
 コーガ様は既にみられましたか?まるで酷い火傷痕のように広がる沼のような存在を。・・・・・・見られたのですね。そこかしこにありますから、それも当然でしょう。
 私は愚かにも、あれに触れてしまいました。その途端、全身の力が抜けて強烈な眩暈に襲われ、立っていられなくなったのです。そもそも怪我をしていたこともあり、私は膝から崩れ落ちました。
 あれは危ない。危険すぎます。隠密として、これでも常に死を間近に感じながら生きてきました。あの沼は、その死を直接予感させる。決して触れてはいけません、コーガ様もどうかお気をつけください。

 私はなんとか這うようにその場から離れ、肩で息をしながらどうにかこうにか拠点へと戻りました。焚火は消えかけており、途方もなく深い暗闇にまた閉じ込められる前に、次の手を考えなければならなくなったのです。
 とはいえ、選択肢は幾分もありますまい。ツルギバナナをいくつか忍ばせていたので、当分はなんとか生きられるかもしれないが、拠点周りでは水場を見つけられなかったのです。水が無ければすぐさま動けなくなる。幸いなことに、周囲を見て回る間、私は遠目にほの明るく光るなにかを見つけていました。カンテラに集う蛾のように、一旦光に向かって歩いてみよう。私はそこで移動を決意しました。
 消えかけの焚火で、即席の松明を作りました。ただ、火を保つ脂がないために、いつまでもつか分かりません。移動はひとつの賭け。しかし、その場に留まったとして、命の灯が消える確率は同じことだったでしょう。

 移動し始めてから、私は小さく自らの算段を後悔しはじめました。この空間は、私が思っていたよりも複雑で、広大だったのです。確かに、目的地に据えた光までの道のりは、決して平易なものでは無いと覚悟していました。しかし、今まで到底見たことが無いほど巨大な木の根がそこかしこに蔓延り、行く先をことごとく邪魔するなんて私の常識には無かった。平地であると油断した先に、例の沼が突如として現れるのにも心底参りました。うねる様に遠回りを続けた結果、灯りが遠ざかり、迷宮に迷い込んだのだと錯覚しました。
 暗闇は、人の心を壊します。距離も、時間も、自分がその場に居ることさえも覚束なくなる。身体の節々がギシギシと軋み、じっとしていてもズキズキと疼く痛みだけが、生への実感でした。このとき、私は近衛騎士から受けた傷に、感謝すらしていました。
 しかし、徐々に疲労は溜まり、足は鉄枷でも着けられているかのように重くなりました。手足を覆う鉄の荊を取り外し、身軽になっていたにもかかわらずです。加えて、暗闇を探索する最中、この場に居続けることが死に繋がることも、薄々分かってきました。道中で水場を見つけて辛うじて渇きは癒やせても、湖には魚一匹泳いでいません。忍び寄る死の影を意識し始めてしまったのです。

 私はついに、水場に寄った所為で乾いた木枝を見つけ損ね、足下を照らす明かりを失ってしまいました。
 今度こそ絶望しそうになりました。焼け落ちた炭でどうにかならないかとかき集めましたが、触る端から崩れ、粉屑と化していくのでどうにもなりません。地底の砂と炭を混ぜ、これが何かしらに作用して発火すれば良いのにと、バカな空想をしました。それだけ頭がおかしくなりかけていたんです。
 暗殺の道に身を賭した私には、似合いの最期なのでしょう。それまで影を落としていただけの死が、確かに私の背中に、その体重を乗せようとしているのだと分かりました。

 しかし、私はまだ見放されていなかった。目の前を、蛍が通ったのです。それは普段見かけるシズカホタルとは似ても似つかない蟲でしたが、確かに蛍のように発光する生き物でした。そっと両手で捕まえると、無数の羽根をばたつかせて飛ぶ、ホタルというよりはトンボのような蟲でした。たった一尾でしたが、私は確かにそれに救われた。
 死なせないように手で覆いながら、またよろよろと歩き始めました。とても足元を照らすには足りない光源でしたが、無いよりマシ。それに正気を保つのに必要でした。
 できれば、もう数匹捕まえて光源にできれば良い。火打石があと少し残っていたので、乾いた木々が見つかるまでで良い。割り切ってゆっくりゆっくりと足で地面を探りながら、なだらかな丘を乗り越えると、そこで信じられないものを見つけました。

 ホタルの群れが、まるで夜の空に散りばめられた星明りのように、一帯を照らしていたのです。
 これを頼りに、目的の灯りまで辿りつけるかもしれない。絶望に苛まれていた私は、思わず安堵しました。シズカホタルの温かみある光ではないにせよ、その見たことも無い青白い光が、ハイラルの見慣れた夜景を思い出させました。バクバクと鳴り続ける心臓が徐々に凪ぐほどに、それはとても美しい光景だった。
 しかし、いざ捕まえようとした私は、ある違和感に気付きました。ゆらゆらとホタルを思わせるその光に近づくと、それは物体を伴っていなかったのです。・・・・・・信じられませんよね、私も驚きました。ただ光の球がふわふわと湯気立つように揺れ、近づきすぎると地面を照らすほどだった明るさがなりを潜めるのですから、こんなものがこの世にあるのかと感心しました。
 それらが、地面すれすれの場所をただ揺れて浮いている。居場所なんて無いように、私と同じくさ迷い歩くように、ただゆらゆらと。
 まるで、本や伽話に聞く魂のようだと、咄嗟に思いました。

 触れることも、ましてやホタルのように捕まえることもできないその明かりは、どうやら私が目指す目的地まで続いているようでした。その頃、手の中に捕まえていた蟲は随分弱って発光しなくなっていたので、代わりにその明かりを頼りに、目的地を目指すことにしました。
 今思えば、この時から既に違和感があった。何事か、さわさわと音が聞こえていたんです。最初は、先ほど通ってきた沢の水音かと思いました。それほど連続し、ずっと耳を掠めたままだったので。
 しかし、どうも違う。そんな無機質な音じゃない。では、遠くに聞こえるマモノの声か。いや、それも違う。もっと明確に、何事かを呟くような、しかもそれでいて、自らの耳元で聞こえるような、そんな音。・・・・・・声。
 声だ。声が聞こえたんです。どこから?それは、光の球から発せられていました。最初は、今度こそ気が狂ったかと思いました。でも、そうじゃない。まだそうじゃないんです。まさかと思いました。この暗闇に落ちてからずっと、人の声なんか聞いていなかったのに、久しぶりに意味のある言葉が耳に入ってきた。懐かしくさえ思いました。 嬉しかった。わくわくしながら、なんと言っているんだろうと、耳を傾けました。聴覚を研ぎ澄ませました。そんな余計なことしなければ良かった。でも聞いてしまったんです。私の耳には確かに聞こえました。

 お前を絶対に許さない。





 そこまで聞いて、コーガはただ一言、「・・・・・・ほぉ」と唸った。

「耳を疑いました。でも、一度はっきりと聞いてしまうと、その後はまるで洪水のように、彼らの声が次々に耳へと入ってきたのです。お前を絶対に許さない。痛くて痛くて堪らない。死にたくなかった。俺を覚えてるか、お前のことは忘れない。私がなぜ死ななければいけなかったのか」

「それらが全部、光の球から聞こえてきたって?」

「ええ、そうです。・・・・・・私はその光の球を、魂のようだと最初に思いました。その憶測はおそらく当たっていたのだと思っています。生まれてこの方、隠密の輩として人を屠れるように、殺しの技術を磨いて生きてきました。時には愛を囁き、心を開いた女を手にかけたこともありますし、命乞いをする人間の首を撥ねたこともあります。もちろんそれらは全てイーガの大義のためにおこなったことであり、私自身が後悔をする気など毛頭ありません。しかし青い光は、私が屠ってきた人間の魂は、地底にいて、私が天地も時間も分からない暗闇で死ぬことを望み、待っていた」

「それこそ自分が作り出した幻聴って可能性は?」

「・・・・・・否定はできません。ただ、その、実は今も、見えていて・・・・・・」

 つ、と震える指先が指し示すのは、コーガの背中に黒々と広がる暗闇。一瞥をくれるが、「んん」とコーガは首を捻るだけだった。

「あれの所為で私は気が動転し、しかし走ることも振り切ることも出来ず、耳を塞ぎながらうるさいうるさいと呟きながらどうにかここまで歩いてきたのです。なるべく明かりを直視しないように焦点を敢えて外し、フラフラと朦朧に歩く私は、誰がどう見ても気が触れていた」

「仕方ねえわな、そんな目に遭っちゃ。お前にとっては災難だった」
「しかし、コーガ様に会えました。これほど安堵する出来事もありません。本当に良かった」
「とはいえ、俺様も深穴から出られずにフラフラしてっからな、あんまり良い状況じゃねえが・・・・・・一人よりは二人だわな。地上のやつらも、もう少し落ち着けば助けに来てくれるだろうし」

 その頃には、あれだけ怯えきった表情を浮かべていた幹部に、イーガの人間として相応しい凛々しさが戻ってきていた。隠しきれない精神の消耗は感じられるが、おそらくもう恐慌状態に陥ることもありはしないだろう。それだけに、自らの主君との邂逅は、彼にとって頼りとなっている。
 コーガは、ぱしっと膝を打って、その場に立ち上がった。

「なんか食えるものでも探してくるか!お前が言ったホタルだがな、尻の方に可食部があんだ、ちょっくら採ってくる」
「ほ、ホタルをですか?あまり無理めされずとも・・・・・・」
「動けるときに食えるもんは準備しとかなくちゃな!」

 やる気満々で腕をぐるぐる回す主君の様子に、彼の存在そのものに安堵を覚えている幹部が反対の意を唱えられるわけもない。
「分かりました」と肩を竦める幹部に踵を返し、「あ、そういえば」とコーガは背中の暗がりに親指を指した。

「お前、あいつらにもビビってるようだがな、あれは大丈夫だぞ。俺様が保証する」

 え、と返事に惑う幹部に、コーガが続ける。

「呪詛吐かれたのはまぁ・・・・・・災難だったが、あんま気にすんな。通りすがりみたいなもんだ」
「こ、コーガ様も、魂の声が聞こえるので?」
「あー、まぁ。そうだな。魂かどうかは知らんが」

 質問責めにされようとするところ、コーガは首を掻いて「んじゃ、俺様行ってくるから」と、闇に姿を溶かしていった。のしのしと歩く様は、まるでアジト内を闊歩する姿と同じであった。

 火のついた枝すら持たずに行ってしまったコーガは、道中の危険に見舞われないのだろうか。本来であれば主君を追いかけるべきだ。幹部は腰を持ち上げてから、その闇の深さをしっかりと見つめ、そうしてまたすとんと座り込んだ。すっかり彼は、闇への恐怖を身体に刻み込まれてしまっていた。
 主君の動向が心配なのはそうなのだが、それより気になることもある。暗がりにゆらゆらと朧に見える青白い光。魂だと自分自身も言ったが、主に否定されず、あまつさえ肯定されたような台詞に、今までそんなものを信じていなかった彼の常識が覆された。疑心が証明されたようなものなのだ。
 あれは大丈夫。主君の言っていた台詞の意味が気にかかる。

 幹部は、青白い光に恐る恐る近づいて行った。耳を近づけると、やはりそれらは何事かを呟いていた。
 幹部の肌が粟立ったのは、彼らから聞こえてきたその言葉の意味そのものではない。光の群れは十数を超える。その全てから、同じ言葉が聞こえてきたからである。
 これは本当に、魂なのだろうか。だとしたら、主君は、どんな心算でこれを聞き続けていたのだろうか。
 それらは一心に、彼の主君の名を呼び続けていた。



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