【ss/not夢】イーガ団員の日常話

私は、生まれつき目が見えない。
人を襲う魔物蔓延るこの世界で、私の境遇を不幸だと思うだろうか。生きづらいのではないかと。実は、意外とそうでもない。一つの感覚器官が使えないと、他の感覚が研ぎ澄まされるものだ。鼻は遠くから漂うニオイを敏感に嗅ぎ取り、耳はどんなに小さな物音でも拾い上げる。肌は霧の一粒を如実に感じ取れるようだし、舌先だって、料理人のそれよりもよっぽど繊細な自負があるほどだ。
この世界を生きるにおいて、私の境遇は全く不幸などではないと、胸を張って言えるだろう。
しかし、まぁ残念なこともある。生まれつき暗闇しか知らない自分は、世界に広がるというイロやケシキを見ることが叶わない。それだけが口惜しい。
だから私は、旅に出た。
あれは、40を過ぎた頃だ。ただ老いた両親を一人で看取った私は、この先どう生きていこうかを悩んでいた。恐らく、盲人の面倒を見てくれるような酔狂な人間は、この先いないに違いない。思えば、何かと不自由な人生だった。盲目の自分を心配し、村の外から出ないように縛る両親。その愛はありがたくも窮屈で、この年になるまで世界の広さを知らない、抜け作が出来上がってしまったわけだ。
人生に悲観したわけじゃない。この先の将来を、諦めてしまったわけでもない。ただ、イロやケシキだけでなく、世界の広さすら知らない自分に、心底嫌気が差してしまっただけなのだ。
だから私は、旅に出た。
家に戻るつもりはなかった。たぶん自分は、この先で命を落とすだろう。それでも良かった。抜け作のまま死ぬよりは、そちらの方が随分有意義だと思った。何もない今ままでの暗闇に、私はほとほと愛想をつかしていたのだ。
世界の広さを、自分はどこまで知れるだろう。すぐに命を落としてしまうかもしれない。そう心配していたが、意外にも私はしぶとかった。視覚を犠牲に鋭敏になった他の感覚が、私を生かしてくれたのだ。豚や牛の糞のニオイが漂えば、ボコブリンやモリブリンのいる証拠。羽ばたき音が聞こえれば、キースがやって来る前触れ。湿気た空気を肌が包めば、リザルフォスが身を潜めている知らせ。盲目の自分でも、危険極まりないこの世界でどうにかやっていけるのだと知った。
それは結局、油断だった。研ぎ澄まされた自分の感覚に驕ってしまったのが、良くなかったのだ。
街道沿いを歩くと決めていたのに、私は初めて歩くこのハイラルに、興味を強めてしまった。聞いたこともないカラコロとした音や、嗅いだこともない青臭いニオイ。フフフ、と誰かが誘うような笑い声が、森から聞こえてきた。徐々に街道沿いから逸れ、魔物の気配がしたら再び戻る。これを繰り返すことによって、整備された道以外を歩いても、なんだ生きているじゃないかと、私は誤った成功体験を積み重ねてしまった。
ある日私は、ついに街道を見失った。どれだけ道を戻ろうと、歩めども歩めども足先に伝わるのは砂利ではなく、草だった。肌を撫でていく風はひやりと冷たく、既に日は落ちていることも分かっている。このままではマズい。夜行性の獣にでも見つかったら、きっと私の命はここまでだろう。野生動物にも悟られぬよう息を殺しながら、じりじりと歩みを進めていく。
すると、少し行った先、妙なニオイが鼻をついた。嗅いだことのないニオイだ。川の近く、生臭さを伴う水のようなニオイ。かと思えば、甘ったるい果物の熟れたニオイと、鉄鉱石を触った後の手のニオイに、微かな腐臭。なにより、焚火のニオイが混ざっているのも、無視できなかった。
最初は、魔物の集まりでも近くにあるのかと思った。しかし、牛や豚の糞のニオイや、リザルフォスの主食だという、魚介のニオイは感じない。私はよくよく、好奇心の強い性質だった。感じたことのないニオイに、僅かな期待を感じ、森の奥へと足を進めてしまったのだ。
「誰だ」
突如として響いた声に、私は随分驚いた。何故かと言えば、真後ろから、一間も距離なく声がしたからだ。こんなことは初めてで、まさか人がいるとは露とも思わず、情けなくも大きな叫び声をあげた。
「ここで何をしている。こんな森の奥で」
「わ、私は道に迷っただけです。街道から外れたら、戻れなくなってしまって」
「街道ならそう遠くない。嘘をつくな」
「本当です。目が見えなくて、足先に頼っていたものですから」
「目が見えない?本当か?」
「はい。本当です」
じっと、疑わしい目で睨まれている実感があった。それもそうだろう。暗がりに沈んだ森の中を、照明さえ持たない何かが現れたら、きっと目に頼って生きている人間なら警戒して仕方ない。そうならないために四感を存分に生かしているつもりであったが、目の前の人物のことを悟れなかった。私が今まで頼り切っていた己の感覚とは、所詮その程度だったということだ。
目が見えない。疑わしいその事実を信じてもらうためには、どうしたら良いか。私は身振り手振りで説明しようかと思ったが、目の前の人物には必要無かったらしい。「そうか。それはすまなかった」と、拍子抜けするほど簡単に、彼は私のことを信じてくれた。
「街道は、そう遠くないと仰いましたね?どちらの方か、教えていただいてもよろしいですか?」
「何かの縁だ。手を引いてやろう」
「いいんですか?それはありがたい。いやあ、本当に困っていたもので」
「こちらだ」
急に現れた私の存在こそ怪しく、恐ろしかっただろう。それでも、目の前の人は親切に手を取ってくれた。困ったときにはお互い様。人とは助け合いの生き物なのだなぁと、私は酷く喜んだ。
彼は、湿った手袋を身に着けていた。手袋越しでも分かるほど、マメだらけの堅い手の平だ。冒険者や行商人などでもない。きっと、城の兵士として務めている人なのかもしれない。その親切心の出所に当たりをつけて、私はよっぽど、彼を信頼してしまった。
「貴方は、なぜ一人で歩いているんだ?」
「いえね、盲目なもんで村から出たことが無かったんですが、この年になって世界の広さを知りたいな、なんて思ってしまいまして」
「なるほど。しかし、世を渡るには、あまりに不便だろう」
「それが意外と、目以外に頼れば、生きていけることが分かったんです。鼻や耳には、ちいとばかし自信があるんですよ」
「そうか、鼻や耳にはな」
「はい。さっきはそれで、あすこにたどり着いたんです」
「ほう。それは気になる。どういうことかな?」
「嗅いだことのないニオイがしたんですよ。生臭い水みたいな、熟れた果実みたいな、鉄鉱石と、食べ物が腐ったニオイも」
実は、先ほどのニオイが、彼から微かに漂っていた。特に熟れた果実のニオイが強い。聞いても良いだろうか?このニオイは何なんですかと。口にしようかどうしようか迷っていると、「そら、街道だぞ」と、彼が呟いた。
「この先を真っすぐ行けば、街道に出る。俺はそこまでは行けない。ここまでだ」
「いやあ助かりました。ありがとうございます。貴方は命の恩人です。何か心ばかり、お礼をしたいものですが」
「なに、お礼なぞ良いんだ。それよりだ、俺から3つ助言がある。聞いてくれるか?」
唐突の話に首をひねるが、口にした通り、彼はまごうことなき命の恩人だ。助言を受け入れない理由がない。「なんでしょうか」と、私は手の平を合わせた。
「ひとつは、街道から逸れた道は、もう歩かないことだ。今日は俺がいたから良いものの、盲人が街道から逸れるのは、余りにも危険すぎる」
「心配してくれるんですか。ありがとうございます」
「ふたつは、川べりでよおく手を洗うことだ。俺が手を引いたから、あんたの手の平が汚れちまった」
「そんなことまで気にしていただいて、貴方は良い人だなぁ」
「最後に。今後、またさっきのニオイを嗅いだら、すぐさまその場を離れた方が良い。忠告したぞ」
「はあ、分かりました。ニオイの正体は気になりますが、仕方ないですね」
自分が盲目であることを悔いた。きっと目が見えていたら、目の前にどんなイロが、どんなケシキが広がっていたのか、すぐさま理解できただろうに。と同時に、40も過ぎて、好奇心が抑えきれず、振り回されてしまう現状にも、呆れて笑いが出てしまう。
「いやあ、お恥ずかしい。自分は、好奇心の強い性質でして。目が見えれば、ニオイの正体を見つけることだって出来たでしょうに、残念だ」
「そうかい。でもきっと今日ばかり、あんたはその見えない目に、助けられてるぞ」
「見えない目にですか?」
「ああ。万が一見えてたら、俺はあんたも殺さなくちゃならなかったから」
ひゅ、と吹いた風が、体中の血を凍らせたかのように、全身の体温を奪った。どういうことですか、と随分枯れた声で問うと、その音は空気に吸い込まれでもするように、消えていった。先ほどまで音を反響させていた人の塊が、その場にいない。もし、と少しばかり大きな声を出しても、ハイラルの平原に音が吸い込まれていくだけだ。
また風が、ひゅっと吹いた。今度は背筋が冷たくなった。あの人は、あんたも、といった。あんたも。あんたも。そこで思い出した。熟れた果実のニオイは、バナナだ。食べごろになった、バナナのニオイだ。

その日から、私が街道沿い以外を歩くことは、なくなった。
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