【ss/not夢】イーガ団員の日常話
俺たちは、ヒトではなくマモノなのだと、どこかで信じていたかった。
コーガ様に忠誠を誓い、世の人間共が厄災と畏怖するガノン様復活のため、俺はこの国の端から端までを走り回った。すべては、俺に不遇を強いるこのくそったれの世界を、まるっきり直して住みやすくしたかったから。
この世界に蔓延るマモノは、ガノン様の力が宿るイキモノだった。いや、厳密にいえばイキモノではないのかもしれない。彼奴等は七日に一度訪れる「赤い月」の晩に、終えたはずの生をこの世に取り戻す。いわば不死身の物体だ。
赤い月が頭の真上に上がると、地底深くから怨念のような力が滲み出してくる、……気がする。目には見えないが、確かに無数の手の平が俺の身体に縋り、纏わりついてくるような感覚がある。成長痛で身体の節々が疼くように、居てもたってもいられなくて、俺は毎度体力が尽きるまで鍛錬や走り込みで身体を苛め抜いた。月を見て遠吠えしたくなる狼とは、こんな気持ちなのかと共感した。
なんでこうも血が滾るのか。答えは簡単。俺たちにも、ガノン様の力が混ざってるからに違いない。ブラッディムーンとも呼ばれるように、血が沸騰するんじゃないかって興奮を感じるのは、きっとガノン様の意思だ。赤い月と同じ色の装束を身に纏い、ガノン様の動脈を駆ける血の一滴になる。俺はこれで、不死身になれる。何度だって蘇る。コーガ様に、ガノン様に忠誠を誓っている限り。
そんな夢想を信じるくらい、俺は赤い月の力に酔っていた。
―――バカだった。
俺は、大馬鹿だった。
伸びきった雑草と、空を占める木の葉の隙間から赤い月が昇るのを、朦朧とする意識のまま見届ける。葉の影を縫って、赤い月光が俺を照らし出す。指先すら一本も動かせずに地面へ横たわる、間抜けで情けない俺の姿を。
―――少し前に降った雨の所為で、地面がぬかるんでいるのに気付かなかった。マモノに襲われ、崖際に攻めたてられた拍子に滑り、そのまま落ちた。随分な高所だったものだが、伸びきった柔らかい雑草がクッションになったおかげで、落命だけは免れた。
ただ、本当に一歩も動けない。血が出ている風はないが、身体の骨が何本かイッてる感覚はある。節々が軋み、少しでも力を込めれば、連結したように足の先から首の骨にまで痛みが走った。
動けない。だが、たぶんこのまま動かなければ、死ぬ。憶測ではなく、確信がある。
赤い月が昇ったとき、微かにでも「助かるかも」と思った自分は愚かだった。ガノン様の力を帯びたマモノとして存在する俺ならば、きっと赤い月の力が満ちたとき、いつものような血の滾りを覚えるはずだと。生へのエネルギーに溢れ、この時ばかりでも痛みがなくなるのではないかと。
赤い月が真上に昇り、禍々しい手の平が縋りついて来るいつもの感覚。ただ、それだけだった。覚えたのは吐き気と、得も言えない胸クソ悪さだけだった。
自嘲した。俺が信じていた厄災の力は、結局俺たちではなく、マモノに与えられただけのものだったのだ。それまで俺を包み、寄り添ってくれていたはずの月光が沈み、暗闇に取り残される。俺はただ、一人であった。
しかし奇妙なことが起こった。瞼を一度伏せて開けると、地面に伏した俺を、俺が見ていた。伏した方の俺は死んでいた。血も、怪我もなく、病気をしていたわけでもない。ただ、俺を見つめる俺には、俺が死んでいることが分かっていた。
暗い林が赤く染まった。頭上にはいつの間にか、赤い月が昇っている。その途端、伏していた俺を目に見えない力が取り巻いて、暫くの後、すっくと立ち上がった。生き返ったのだ。伏していた俺は、マモノだった。
良かったな。やっぱりマモノだったんだ。喉から出ない声を彼にかけるが、彼はこちらを振り向かない。いつの間にか携えていた二連弓と矢を持って、真っすぐ歩いて行ってしまう。
どこに行くんだ。そっちはカルサー谷じゃない。戻れよ。戻れ。俺は俺の居場所に帰りたい。行きたくない。お前は俺のはずなのに。お前は、俺じゃなくなったのか。蘇ったら、俺である保証はないのか、変わってしまうのか。そうか、やっと分かった。マモノだって赤い月が昇っても、失せてしまうんだ。死んだら、死んだままなんだ……。
纏わりつくまどろみから瞼を開ければ、木の葉から覗く空が赤色に染まっているのが見えた。
ただその赤は、決して赤い月の所為ではない。流れる雲が朱色に染まるのは、地平線に沈み込む夕焼けの所為だろう。
藤、青竹、勿忘草を思わせる色がだんだんと変わる空。そこに薄ぼんやりした雲が霞みたいに全部を覆って、夕焼けの朱色を染めだしている。
すべての奥に、なにも言わずにあったのは、丸くて白い、お月さま。
綺麗だなぁ。
死んだ後の世界はきっと、ああいう場所のことを言うんだろうなぁ。
開き切らない瞼の隙間から眺める景色に、身体の内側から蕩けて地面に沁み込んでいくみたい。このままずっと、見ていたい。
だけど、しばらくして、丸いお月さまは形を崩した雲に汚されていった。せっかく綺麗な白面なのに勿体ない。雲から逃げればいいのに、なんでお月さまは立ち止まったままなのか。
「今日はかわいい空だねぇ」
耳元を、聞き馴染みのある声が通った気がした。
「まるで夢の中か、天国か、桃源郷みたいな、かわいい空」
声に誘われて、改めて空を見る。朱色に薄づいた霞雲に覆われる、藤、青竹、勿忘草の空。そしてまん丸の白い月。
確かに、これは、夢の中か、天国か、桃源郷みたいだ。
「でも、雲が月を汚してる」
「汚してる、なんて、あなたは面白い表現をするね」
「空を見てかわいい、なんていうのも変だ」
「でも、かわいいよ。楽しいときの、心の中みたい」
そうだ。俺はこの空を、月を、一度誰かと見たことがある。大事な人。俺を待ってくれてる人。
「お前はおかしなことを言うなぁ。楽しいとき、お前はこんな色の心をしてるのか?」
「うーん、待って、ちょっと違うかも。考え直す」
「そんなこと言ってたら、日が沈んできた」
「わあ、落ちるのが早すぎる! えーとえーと」
「早くってば」
日が落ちる。星の光が、空の端からはっきりと見え始めてくる。朱色がなくなって、青が黒く濃くなっていって、月が薄ぼんやりと、光りを増していって。
「あぁ、分かった! 簡単だ!」
そうやって、見慣れた顔で、微笑んでみせて。
「あなたと一緒にいるときの、心の中だよ」
すっかり陽なんてなくなったはずなのに、その頬にはしっかりと夕陽の色が残っていた。そのはにかんだ頬こそ、可愛らしかった。思っただけで、伝えなかった。俺の頬にもきっと、夕陽の色が移っていたから。
残して逝きたくないなぁ。
きっと俺が帰らなきゃあ、子どもみたいなことを言うあいつは、きっと月を見られなくなる。こんなに綺麗なお月さまなのに。この月があいつにとって、思い出したくない嫌な記憶になってしまう。それはダメだろ。こんなに綺麗な、お月さまなのに。
指先に、試しに力を込めてみた。寝て起きたからだろうか、全体に広がる痛みは少し和らぎ、それぞれの筋肉を動かせる気がした。
まずはせめて俯せになろうと思って、ごろんと寝返りを打つ。手を伸ばした先に、ハイラルダケが見えた。ずりずり這っていって、生のまま齧りついた。正直キノコなんて生で食いたくなかったが、ゆっくり咀嚼して腹の中に収めるたび、徐々に身体に血が巡っていくような感覚があった。
俺は、生きている。まだ、生きられる。大丈夫。大丈夫だろ。
鎧や脚絆を緩慢な動きで取り払った。仮面も装束と一緒にその場へ置いた。今はとにかく、命を拾うことに専念する。街道に出さえすれば、きっと誰かが見つけてくれるはず。
生きて谷に戻ろう。戻らなきゃいけない。そしてあいつに伝えたい。
俺を生き返らせたのは赤い月じゃあなくて、夢の中みたいな、かわいいお月さまだったんだよ、と。
コーガ様に忠誠を誓い、世の人間共が厄災と畏怖するガノン様復活のため、俺はこの国の端から端までを走り回った。すべては、俺に不遇を強いるこのくそったれの世界を、まるっきり直して住みやすくしたかったから。
この世界に蔓延るマモノは、ガノン様の力が宿るイキモノだった。いや、厳密にいえばイキモノではないのかもしれない。彼奴等は七日に一度訪れる「赤い月」の晩に、終えたはずの生をこの世に取り戻す。いわば不死身の物体だ。
赤い月が頭の真上に上がると、地底深くから怨念のような力が滲み出してくる、……気がする。目には見えないが、確かに無数の手の平が俺の身体に縋り、纏わりついてくるような感覚がある。成長痛で身体の節々が疼くように、居てもたってもいられなくて、俺は毎度体力が尽きるまで鍛錬や走り込みで身体を苛め抜いた。月を見て遠吠えしたくなる狼とは、こんな気持ちなのかと共感した。
なんでこうも血が滾るのか。答えは簡単。俺たちにも、ガノン様の力が混ざってるからに違いない。ブラッディムーンとも呼ばれるように、血が沸騰するんじゃないかって興奮を感じるのは、きっとガノン様の意思だ。赤い月と同じ色の装束を身に纏い、ガノン様の動脈を駆ける血の一滴になる。俺はこれで、不死身になれる。何度だって蘇る。コーガ様に、ガノン様に忠誠を誓っている限り。
そんな夢想を信じるくらい、俺は赤い月の力に酔っていた。
―――バカだった。
俺は、大馬鹿だった。
伸びきった雑草と、空を占める木の葉の隙間から赤い月が昇るのを、朦朧とする意識のまま見届ける。葉の影を縫って、赤い月光が俺を照らし出す。指先すら一本も動かせずに地面へ横たわる、間抜けで情けない俺の姿を。
―――少し前に降った雨の所為で、地面がぬかるんでいるのに気付かなかった。マモノに襲われ、崖際に攻めたてられた拍子に滑り、そのまま落ちた。随分な高所だったものだが、伸びきった柔らかい雑草がクッションになったおかげで、落命だけは免れた。
ただ、本当に一歩も動けない。血が出ている風はないが、身体の骨が何本かイッてる感覚はある。節々が軋み、少しでも力を込めれば、連結したように足の先から首の骨にまで痛みが走った。
動けない。だが、たぶんこのまま動かなければ、死ぬ。憶測ではなく、確信がある。
赤い月が昇ったとき、微かにでも「助かるかも」と思った自分は愚かだった。ガノン様の力を帯びたマモノとして存在する俺ならば、きっと赤い月の力が満ちたとき、いつものような血の滾りを覚えるはずだと。生へのエネルギーに溢れ、この時ばかりでも痛みがなくなるのではないかと。
赤い月が真上に昇り、禍々しい手の平が縋りついて来るいつもの感覚。ただ、それだけだった。覚えたのは吐き気と、得も言えない胸クソ悪さだけだった。
自嘲した。俺が信じていた厄災の力は、結局俺たちではなく、マモノに与えられただけのものだったのだ。それまで俺を包み、寄り添ってくれていたはずの月光が沈み、暗闇に取り残される。俺はただ、一人であった。
しかし奇妙なことが起こった。瞼を一度伏せて開けると、地面に伏した俺を、俺が見ていた。伏した方の俺は死んでいた。血も、怪我もなく、病気をしていたわけでもない。ただ、俺を見つめる俺には、俺が死んでいることが分かっていた。
暗い林が赤く染まった。頭上にはいつの間にか、赤い月が昇っている。その途端、伏していた俺を目に見えない力が取り巻いて、暫くの後、すっくと立ち上がった。生き返ったのだ。伏していた俺は、マモノだった。
良かったな。やっぱりマモノだったんだ。喉から出ない声を彼にかけるが、彼はこちらを振り向かない。いつの間にか携えていた二連弓と矢を持って、真っすぐ歩いて行ってしまう。
どこに行くんだ。そっちはカルサー谷じゃない。戻れよ。戻れ。俺は俺の居場所に帰りたい。行きたくない。お前は俺のはずなのに。お前は、俺じゃなくなったのか。蘇ったら、俺である保証はないのか、変わってしまうのか。そうか、やっと分かった。マモノだって赤い月が昇っても、失せてしまうんだ。死んだら、死んだままなんだ……。
纏わりつくまどろみから瞼を開ければ、木の葉から覗く空が赤色に染まっているのが見えた。
ただその赤は、決して赤い月の所為ではない。流れる雲が朱色に染まるのは、地平線に沈み込む夕焼けの所為だろう。
藤、青竹、勿忘草を思わせる色がだんだんと変わる空。そこに薄ぼんやりした雲が霞みたいに全部を覆って、夕焼けの朱色を染めだしている。
すべての奥に、なにも言わずにあったのは、丸くて白い、お月さま。
綺麗だなぁ。
死んだ後の世界はきっと、ああいう場所のことを言うんだろうなぁ。
開き切らない瞼の隙間から眺める景色に、身体の内側から蕩けて地面に沁み込んでいくみたい。このままずっと、見ていたい。
だけど、しばらくして、丸いお月さまは形を崩した雲に汚されていった。せっかく綺麗な白面なのに勿体ない。雲から逃げればいいのに、なんでお月さまは立ち止まったままなのか。
「今日はかわいい空だねぇ」
耳元を、聞き馴染みのある声が通った気がした。
「まるで夢の中か、天国か、桃源郷みたいな、かわいい空」
声に誘われて、改めて空を見る。朱色に薄づいた霞雲に覆われる、藤、青竹、勿忘草の空。そしてまん丸の白い月。
確かに、これは、夢の中か、天国か、桃源郷みたいだ。
「でも、雲が月を汚してる」
「汚してる、なんて、あなたは面白い表現をするね」
「空を見てかわいい、なんていうのも変だ」
「でも、かわいいよ。楽しいときの、心の中みたい」
そうだ。俺はこの空を、月を、一度誰かと見たことがある。大事な人。俺を待ってくれてる人。
「お前はおかしなことを言うなぁ。楽しいとき、お前はこんな色の心をしてるのか?」
「うーん、待って、ちょっと違うかも。考え直す」
「そんなこと言ってたら、日が沈んできた」
「わあ、落ちるのが早すぎる! えーとえーと」
「早くってば」
日が落ちる。星の光が、空の端からはっきりと見え始めてくる。朱色がなくなって、青が黒く濃くなっていって、月が薄ぼんやりと、光りを増していって。
「あぁ、分かった! 簡単だ!」
そうやって、見慣れた顔で、微笑んでみせて。
「あなたと一緒にいるときの、心の中だよ」
すっかり陽なんてなくなったはずなのに、その頬にはしっかりと夕陽の色が残っていた。そのはにかんだ頬こそ、可愛らしかった。思っただけで、伝えなかった。俺の頬にもきっと、夕陽の色が移っていたから。
残して逝きたくないなぁ。
きっと俺が帰らなきゃあ、子どもみたいなことを言うあいつは、きっと月を見られなくなる。こんなに綺麗なお月さまなのに。この月があいつにとって、思い出したくない嫌な記憶になってしまう。それはダメだろ。こんなに綺麗な、お月さまなのに。
指先に、試しに力を込めてみた。寝て起きたからだろうか、全体に広がる痛みは少し和らぎ、それぞれの筋肉を動かせる気がした。
まずはせめて俯せになろうと思って、ごろんと寝返りを打つ。手を伸ばした先に、ハイラルダケが見えた。ずりずり這っていって、生のまま齧りついた。正直キノコなんて生で食いたくなかったが、ゆっくり咀嚼して腹の中に収めるたび、徐々に身体に血が巡っていくような感覚があった。
俺は、生きている。まだ、生きられる。大丈夫。大丈夫だろ。
鎧や脚絆を緩慢な動きで取り払った。仮面も装束と一緒にその場へ置いた。今はとにかく、命を拾うことに専念する。街道に出さえすれば、きっと誰かが見つけてくれるはず。
生きて谷に戻ろう。戻らなきゃいけない。そしてあいつに伝えたい。
俺を生き返らせたのは赤い月じゃあなくて、夢の中みたいな、かわいいお月さまだったんだよ、と。