【ss】ブレワイ・祠チャレンジの敬語幹部夢 

後悔なんぞありません。それが私の人生だと、覚悟は随分前に済ませておきましたから。

隠密なんて任務をおこなっていて、まともに死ねるとはそもそも思っていませんでした。おそらく誰かに殺される。安穏たる世に生まれた人間であれば、それは恥であったでしょう。しかし、とかくイーガという集団において、それは誉れでもある死に方だった。

私も数々の先達と同じ末路を辿るようです。浅葱色の瞳をした優男。刃を刀で受けて分かりました。多くの戦場を駆けた歴戦の振る舞いは、恐らく私以上に、多くの生を奪っている。そして、多くの生を背負っている。

ヒラリと月光を反射する剣に斬られる寸前、全ての動きが酷く緩慢に見えました。走馬灯とはよく言ったもので、隙をついて頭を巡ったのは、確かに今までの人生でした。

なにかと厳しい両親の元に育った私は、幼い時分、同年代の人間と遊んだ記憶がありません。
来る日も来る日も木刀を持ち、村に備え付けられた吊るし木に打ち付ける毎日。
厄災の何たるか、シーカー族であった両親の血に宿る、宿命の何たるかを昏々と説かれた幼少期に、友人と、そして両親と、笑った記憶すらないのです。
ただ隠密として成長を遂げる間に、きっと人情なんてものを、失ってしまったのでしょう。
いや、そもそも、人として当たり前の感情が育たなかった、というべきかもしれません。

初めて人を手にかけたのは、齢にして15歳のとき。
諜報員として潜り込んだ駐屯地で、王家の兵士を殺しました。
入隊した日が同じだというだけで、なにかと世話を焼いてくる男でした。

「まだ間に合う。こんなことは辞めろ。上に掛け合うから、そんな組織から足を洗え」
「お前はこんなことやる奴じゃないだろう。騙されてるんだ。書簡は破れ。お願いだから」

飯を共に食いました。厳しい訓練を共に受けました。
泥だらけになりながら仰向けに寝て、男が胸に抱く夢の話を満月の光と共に聞きました。
薄く浮かべた笑みに返ってくるのは、日を重ねる毎に深まる口元の皺でした。

私がそれまで彼に向けていた笑顔は、偽るための面だった。それでも彼は、私に大きな信頼を寄せてしまっていたのです。
暗がりで書簡を本拠へ送ろうとするところ、彼は真剣な形相で私に詰め寄り、肩を掴んで揺さぶりました。
それまで笑顔ばかりだった男が見せた初めての表情。心から私を思う彼の気持ちに、胸が震えました。
嬉しかった。心が一瞬でも、満たされるようだった。

分かったと告げ、彼が背を向けた瞬間に背へ突き立てた小刀は、今でもまだ私の愛刀です。
見知った人を殺すのがこんなに簡単で、一切の躊躇や後悔もないものだと、それまでの私は知りませんでした。

人情を失った私はきっと、人としては欠陥品なのでしょう。

人を殺しました。裏切った仲間を殺しました。それらは全て敵でした。
しかし、面越しの私に信頼を寄せた人間を手にかけるほど、情愛を感じる己もいるのです。
私の顔を知らないくせに、真剣な眼差しで、真摯な言葉を紡ぐ姿に、胸が震えてしまうのです。
愛を囁き、女を抱く瞬間よりも、よっぽど私は愛されているんだなぁと感じることができました。

思えば、愛を知らない人生でした。

両親が愛を唱えるのは、唯一信仰の対象となっているコーガ様へのみ。私は生まれた瞬間から、血を絶やさぬために顕現した同志でしかありませんでした。叱咤激励し、期待を唱え、重荷を背負わせ、イーガの掟に沈めた両親が抱えていたのは、愛ではなく、義務だった。
それが無体だったとは言いません。両親への理解はあるつもりです。
ただ、まじまじと正面から見つめられることのない生涯で、命乞いの瞳に昂りを感じた私はきっと、ネジの外れた男なのでしょう。

それでも、私に着いてくる頭のおかしな女はいました。

どれだけ酷く扱っても、どれだけ適当にあしらっても、どれだけ心のない愛を囁いても、いつも笑顔を絶やさない女。まるでひな鳥か何かのように、私の後ろを小さな足取りで着いてくる女。
鬱陶しいと思っていました。こちらから与える分と同じだけ、応えるだけで良かったのに。面倒くさい女に懐かれてしまったものだと、任務終わり必ず額に面をかけ、近づいてくる満面の笑みに眉を顰めたものでした。

それでも、彼女はいつでも、私の傍にいました。

人を殺したときも。裏切った仲間を殺したときも。血に塗れたときも、死にそうになったときも。
いつでも、彼女は笑顔を浮かべていました。
馬鹿の一つ覚えのようなその笑みが、私は不愉快でした。癇に障りました。手を上げたこともあった。
それでも彼女は困ったように眉尻を下げるだけで、面を外した先にはいつも笑顔がありました。

「なぜ貴女は、いつでも笑顔なのです」

私と違い、笑顔と共に愛の言葉を口に憚らない彼女の首にこそ手をかければ、きっといつものように、真剣な情愛をそこで覚えたのでしょう。
しかし隠密といえど、仲間に手をかけることなど許されません。その代わり、余計なことを言おうものなら、すぐ様また手をあげて、私から去らせようと考えていました。問いかけは、女を遠ざける理由を探していたからでしかありません。

「貴方が、泣きそうな顔をしていたからですよ」

また癪に障る笑みを浮かべ、彼女は静かに答えました。
彼女と違い、私は面を取って逢瀬をしたことはありません。その答えは方便だと、すぐ分かりました。

「嘘おっしゃい。私は貴女の前で、面を取ったことなんかありませんよ」
「寝ているときに取りました。お顔を拝見したかったので」

それも方便です。構成員如きが私の面に手をかけたところで、気付かないわけがない。

「笑み以外の表情を、忘れたのですか」
「いいえ、貴方の前で、面をとっているときだけ、笑ってます」

「貴女と話していると、イライラします」
「私はとても、幸せです」

その顔も、胸に刺さって抜けないような、朗らかな満面の笑みでした。

「なぜいつも笑みなのか、本当のことをおっしゃいなさいな」

酷く冷たい言い方をしました。私はそれだけ、彼女のことがどうでも良い存在だった。早く去って行って欲しかった。もう二度と、私に笑みなど見せないで欲しかった。

ほらだって、なぜ彼女がいつも笑みを浮かべていたのか、聞いたはずのその理由を、全く覚えていないのだから。

騎士の振るった刃が肉に食い込む痛みで、目の前に広がっていた過去は霧散していきました。
きっと剣は手入れなどされていないのでしょう。皮膚に引っ掛かりながら引かれる刃は、決して生易しい痛みを与えなかった。
首筋から大きく肩にかけて裂かれ、パッと血のしぶきが上がり、視界がぐるりと反転しそうになりました。手先足先からさっと体温が引いていき、ぴりぴりとした痺れの後、感覚がなくなっていく。
そのまま足元が崩れ、視界が横たわる。黒ずむ景色の中で、刃を収める、騎士の姿。
ああ、負けた。ああ、このまま死ぬしかないのか。

後悔なんぞありません。それが私の人生だと、覚悟は随分前に済ませておきましたから。

ただひとつ、後悔があるとすれば、私はまっとうな愛を知らなかった。今際の際に自分を見つめる瞳にだけ、真剣な情を覚えた。両親にすら教わらなかった愛を、死の間際にしか、感じられなかった。
自分をどこまでも追いかける、あの笑みにすら。

「なぜいつも笑みなのか、本当のことをおっしゃいなさいな」

視界が次第に曇る中、耳に掠めたのは、私と彼女の声でした。

「仕方ありません。本当のことを言いましょう」
「もったいぶることもないでしょうに。どうせくだらぬこと」
「ええ、そうですね。貴方にとっては、そうかもしれません」
「まぁ、どうぞ」
「イーガの人間は、一人で逝くでしょう?きっと貴方も、一人で逝くでしょう?」
「それこそ隠密の誉れです」
「その時思い出す私の顔は、笑顔であってほしいのです。貴方のことを愛していると、思い出してから逝って欲しいのです」
「なんと、傲慢な」
「だから私は笑顔でいたい」
「思い出しませんよ、今際の際に、貴女の顔なぞ」
「それでも良いです。これは私の勝手です」

そういって笑う女の顔は、またいつものように虫唾が走るほどの、春の日差しのような、顔だった。

後悔なんぞありません。それが私の人生だと、覚悟は随分前に済ませておきましたから。

痛みか火傷か凍傷か、それすら分からない滾りが袈裟型に迸り、身体中の水分が 地面にしみ込んでいく。

後悔なんぞ、なかったはずだったのに。
逝く前に見えたのは、貴女の顔だった。いつまでも残る、貴女の笑顔だった。

足先から、冷たくなる。指先からも。真ん中に向かって、徐々に、徐々に。
目の前に広がる死は、黒くて、孤独で、無だ。
貴女がいなければ、貴女の笑顔がなかったら、きっと私は怖かった。そして、寂しかったかもしれない。

視界が、失せていく。色も、失せていく。私は、逝く。一人で。一人で。

死は、誉まれ。でも、少しの後悔と、貴女を思い出せた、安心。
ああ、そうか。あれは確かに愛だった。貴女の笑顔は確かに、愛だったんだ。
何もない世界へ落ちていく感覚。でも確かに、胸の真ん中へあるのは、貴女の笑顔と共にある、じんわりとした温かさ。

そうか、これが、そうなのか。 私は随分前から、これを知っていた気がする。
自らの今際に気付くなぞ、なんと私は愚かで、滑稽なのだろう。
でも、それでも、良かった。今生の後悔が、無くなった。これで逝ける。満足して。

最期に一つ、貴女に願いたい。
傲慢だと思うでしょう。大馬鹿だと思うでしょう。
それで良い。たわごとだと思ってくれれば、ただそれで。
今際に貴女の笑顔を思い出した、愚かな男のただ一つの願いです。

どうか、私の居ない世界でも、貴女だけはそのままの笑顔で、幸せにおなりなさい。
愛を与えてくれた貴女に、幸あらんことを。
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