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クリスマス楽しみですねぇ、と、密かに思いを寄せる女に言われて、男は意味が理解できなかった。もちろん、今しがた口にした、クリスマスというイベントの意味についてではない。
男は、隠密集団たるイーガへやってくる不届き者を払う役目を負っている。幹部である彼の周りをうろちょろし、残念ながら理解を得られなかった発言をしたのは、イーガ団員の装束を縫製する針子の一人である。
彼女が口にしたクリスマスとは、神の地と呼ばれるハイラルを創った女神を祭る目的で、主に信仰者を中心に執り行われている降誕祭だ。女神の血を引くと言われる王家に刃を向けるイーガでも、クリスマスを意識した催しものは行われているが、女神への信仰というよりは、年末という時期を鑑みた一年の締めの祝い、という意味合いが強い。
とはいえ、ささやかに手の込んだ料理が振る舞われる程度の、簡素な祭事である。少なくとも幹部はそう認識していた。
確かに、普段とは違う飯が食えるのだから楽しみといえば楽しみだが、目の前の女のようにスキップして見せるほどではないだろう。
彼女はそもそも、他人に心算を悟られぬように仮面の常態が決まりであるイーガの団員とは思えないくらい、感情表現に憚らない。今回も周囲に満開の花でも散らしながら歩いていると空目するほど、彼女のワクワクとした期待は分かりやすかった。
玄関口にいる商業班団員に装束を届けに来たついでに、なんとはなしに始まった会話だ。
恋心を明確に抱きながらも、部署の違う彼女と接点を持つには、自ら話しかけるしか他にない。彼女とすれ違うときには「ご苦労」と重厚な声をかけることを心がけているわけだが、その作戦は何かと功を奏していた。持ち前の明るさと愛想の良さで、無事にこの男にも懐いた針子の女が「そういえば」と冒頭の台詞を持ち掛けてくるほどに、彼らの仲は深まっている。
しかし、それほど心を寄せる彼女の言葉だったとしても、クリスマスが楽しみと言った本意が分からない。幹部は首を傾げて見せた。
「楽しみ・・・・・・か? 俺はそうでもないが」
「えッ!台座さん、クリスマスが楽しみじゃないんですか!?ご馳走と、プレゼントの交換と、お歌と、楽しいことがたくさんあるのに!?」
「何を言ってるんだ・・・・・・馳走はまぁ、いつもよりはそうだが、プレゼントの交換と歌って、何のことだ。イーガのアジトで、そんなことすると思ってるのか?」
彼女は時折、意味の分からないことを口走る。というのも、彼女がアジトへとやってきたのはここ数か月の話であり、未だイーガでの不文律が身についていなかった。団の中で地位を持つ幹部役の男に「台座さん」というふざけたあだなをつけるのだから、締まりのなさはよっぽどだ。
おそらく今しがた口にしたのも、イーガに来る以前の習慣なのだろう。幹部が呆れた様子で否定すれば、針子は仮面越しの頬を両手で挟み、「がーん」とわざわざショックを口にした。敢えて自らの感情を大げさに表現するなんて、なんのための仮面なんだ、と思ったのも束の間、一切の遠慮もなく彼女はがっくりと項垂れてみせる。
「そんなぁ・・・・・・クリスマス大好きなのに・・・・・・一年の内で一番大好きなのに・・・・・・イーガ団がそんなにつまらない場所だったなんて思ってませんでした・・・・・・」
「つまらないとか言うな、ばか者。お前はここを勘違いしてるのではないか? 女神の生誕祭を、王家に背く我らが祝うわけなかろう」
「そうかもしれませんけど、私はただ美味しいものとプレゼント交換と、お歌で楽しく騒ぎたいだけなんです。女神様の生誕祭とかは、関係なく」
「お前みたいのがいるから、神の威厳が失墜していくんだろうな」
それでなくとも、最近のイーガは外部入団の者が増え、主が信仰心を捧げる力の化身に対し、軽んじた言動の目立つ者が多い。もちろん、団員を直接的に導いているのは団の総長・コーガ様なわけで、幹部としては主に対する忠誠心さえあるのなら見逃してやろうという温情があった。とはいえ針子の発言は、神への信仰心が薄れつつあるのはどこも一緒なのかと、神に対して思いを馳せるのに充分だ。
苦々しく睨んでも、針子は「はぁ~」と大げさにため息を吐くばかりで意に介さない。そもそも恐らく彼女は、真正面に立つ男がどれほど仮面越しに他意の籠った視線を向けていても、気が付くような洞察力がない。
「じゃあ私はこれで・・・・・・」と、先ほどまで散らしていた花の雰囲気はどこへやら、今は菌類の成長に相応しいほどの湿気を纏っている。ずりずりと足を引きずり、項垂れたまま去っていこうとするので、幹部は「待て」と丸まった背中に声を掛けた。
「そこまで落ち込むな。業務に障るだろ」
「だって、ここ最近ずっと楽しみにしてた行事が無いって分かったんですよ。落ち込むなと言われても無理です。そっとしておいてください」
「大人なら切り替えろ、子供じゃあるまいし」
「仕事はきちんとしますよ、でも、それ以外は時間薬に任せます・・・・・・」
「おい・・・・・・」
「少しくらい凹ませてください・・・・・・大人にだって、落ち込みたいくらいあるもんです」
未だギリギリ10代である彼女は、割に自分自身を大人扱いして鼓舞する癖がある。
そんなところがまだ幼いと思われる要因のひとつなのだが、このときの彼女は、目に余るほど明るく、前向きで、さっぱりした普段の様子が全く失せていた。いつもなら、少しの失敗ではあっけらかんとしたまま、幹部役がどれだけ叱責しても、「すみませんでしたぁ」と間延びした声で謝罪するだけの彼女がだ。気まずさに尾鰭を付けない天才だと思っていたが、これほど目に見えて落ち込むなんて。
自身の取り巻く商業班の団員であったり、他の一構成員を相手にしていたのであれば、幹部も「そうか分かった」と幾らでも見て見ぬふりしただろう。イーガは気色を他人に悟らせてはいけない隠密集団。自らの感情のコントロールさえできない者に居場所などなく、内勤の人間とて同じこと。いざという局面で、失敗し命を落とすようなことになっても、それは本人の責任であり、いくら同士といえど尻拭いなぞしない。
しかし、彼は今回に限り、見て見ぬふりできなかった。
密かに思いを寄せる女がどんよりと暗い空気を持ち帰ろうとしている。加えて、そんな湿気を与えてしまったのは、他でもなく正に自分の所為である。
そのまま行かせられようか。否。無骨でクソ真面目な堅物に、そんな判断は下せない。
「俺と、クリスマスパーティするか?」
言ってみただけ。そう、彼は、思いついたことを言ってみただけ。
本気でしたいと思ったわけでもない。本当に彼女が受け入れるだろうと思ったわけでもない。ただ、彼女を項垂れさせたまま帰したくなかっただけだ。このまま放置すれば、彼女は一週間だって一ヶ月だって落ち込んだままだったろうし。
しかし、口にした途端にパッと持ち上がった仮面は、蝋燭の灯りを反射させているだけなのに、それまでの湿気を思わせないくらいに爛々と明るかった。木に塗装された印とは思えないほど、面の瞳自体がキラキラ輝いているように見えた。
グイッと、何の関係でもない異性にしては些か近すぎるほど詰め寄って来て、大の大人である幹部は勢いに気圧される。後ずさりして仰け反らなければ、彼女の柔らかい肌と自分の筋肉は密着したことだろう。そうなったら、途端に騒ぎだす男の本能のままに抱きしめでもしない限り、ぐつぐつ煮立ち始めた欲求は治まらなかったに違いない。
彼女はこういうとき、どれほど目の前の男が理性の崖っぷちに立っているのか、そして自分の魅力がジリジリと崖上のスペースを削り取っていっているのか、一切想像しないのだ。
「え!台座さんと!?いいんですか!?」
「あ、ああ・・・・・・馳走と、プレゼントの交換と、歌だろう? 歌は良く知らんが、まぁ後の2つならなんとかなるんじゃないかと思ってだな」
「やります!台座さんとクリスマスします!!わ~!楽しみ!!やったー!!」
幹部の太い腕を掴んでぴょんぴょんとその場で跳ねてみせるのは、まさに幼い子供のよう。
対して幹部は大人であった。興奮で熱くなった彼女の手の平から、幹部の心臓にまで熱が伝っていき、血液を迸らせる。彼女の指先以上に身体全体の体温が上がったのは、きっと気のせいではないだろう。
「楽しみにしてますね~!」と、廊下を曲がる最後まで、針子は歓喜に憚らなかった。両手をぶんぶんと振る彼女が奥へと去っていったとき、とんでもない約束をしてしまったものだと今更ながらに後悔する。しこりと、彼女の指先に近い熱が、胸の奥に残っている。
誰にも気付かれないように深呼吸をし、何事もなかったかのようにまた、木戸を睨む守衛番の業務に戻ろうとした。しかし、「台座さ~ん」と背後から這い寄るキシついた男の声により、幹部は平穏無事に業務へ戻れないと悟る。
もっとも面倒な事態だ。彼女とのやり取りを全て見ていただろう商業班の団員がやってきた。
「見てましたよ~、針子ちゃんと二人っきりでクリスマスパーティするんすかぁ? よくやりますね~幹部ともあろう方が、あんな若い子と」
「ばかものッ、見てたなら分かるだろ!成り行きでしかないんだ、茶化すな!」
「あ、じゃあ俺も参加して良いですか?パーティは人数が多い方が楽しいですよね?」
「何言ってる。貴様なぞお呼びでないわ。去ね」
じろ、と殺気の籠った仮面を向けても、針子に振り回されている事実に畏怖も畏敬もないのか、構成員は「ひひひ」と引き笑いを漏らすだけだ。
「それにしても、若い女に贈り物なんて、当てはあるんですかぁ?台座さん、こういうの苦手そうですよねぇ」
「貴様に台座さんと呼ばれる筋合いはない。まぁ、なんとかなるだろ。針仕事に就いてるんだから、布とか、毛糸とか・・・・・・」
「それ本気で言ってます?個人的な贈り物に、仕事道具を渡そうとしてる、ってことすか?」
「・・・・・・確かにそうだな」
「やっぱりセンスないわこの人」
構成員の軽口に胸倉でも掴もうかと一瞬怒りの感情がもたげたが、指摘はごもっともでもある。ふぅーと息を長く吐いて額に浮き出た青筋の怒りを抑えつつ、組んだ腕を掴む指先に力を込めて、自らを落ち着かせた。
商業班の団員は数人いるが、その中でもこの男は、幹部の恋愛事情に何かと首を突っ込みたがって、ひっかきまわしてくる厄介者だ。
至極まともなアドバイスをすることもあれば、明らかに茶々だと分かるようなアドバイスをすることもある。面倒なのは、塩梅が絶妙なこと。そして幹部にその判断が付くほどの恋愛経験が無いということだった。
男のアドバイスを真面目に聞くつもりなど毛頭ない。今までだって、快楽主義を思わせる構成員の振る舞いに、幹部はまんまと巻き込まれたことがある。彼女に本気の恋心を抱く男としては、彼の気まぐれなアドバイスに付き合って関係が瓦解でもしたら目も当てられない。
そうなれば、男の首に手を掛けることこそ無いかもしれないが、今後の人生で相対する度、理性を保っていられるか分からない。
しかしだ。今しがた口にしたアドバイスは、腹の立つ言い方ではあるものの至極まともだった。聞いてみるだけなら良いのかもしれない。そう、聞いてみるだけなら。
「そこまで言うのであれば、貴様には提案があるんだろうな」と仮面越しに横目でちらりと睨みつけると、構成員はまた「ひひひ」と可笑し気にひきつった笑いを漏らしてみせた。
「提案って言われちゃうとねえ、俺は責任とれないんで」
「・・・・・・失敗したとして、貴様に責任を取れとは言わん」
「本当かな~。台座さん、すぐ突っ走って俺たちに当たり散らしてくるから」
「コーガ様に誓う。今回そんなことはせん」
「ま、いいですけどね。じゃあ独り言ってことで聞いていただきたいですが、ゲルドの街も近いわけですし? やはり若い女には、アクセサリーなんかが定番じゃないですかねぇ?」
アクセサリー。身を粉にしてイーガに従事してきた幹部としては、人生でもっとも親近感の沸かない存在だろう。
どんなものがあるかも知らない。なぜわざわざ邪魔になるものを付けるのかも分からない。デザインがどれほど多岐に渡っているのかの見当もつかない。
そんな男が、若い娘の喜ぶだろうアクセサリーなど知っているわけもなく。
「アクセサリーか」と渋るように繰り返す幹部に、構成員はねっとり這うように凭れ、追いかけて彼に耳打ちをした。
「耳飾りや首飾り、腕輪足輪なんかがありますがね、とかく良い仲になりたいなら指輪がおすすめですよ。なんせ、愛を誓う道具として使われてるわけですし」
「それはさすがに・・・・・・指輪の贈り物なんて、一生の愛を捧げるために使うもんじゃないのか?」
「そういう気概を俺は持ってるぞ、って覚悟の証ですよ。そんな覚悟も無しに、彼女を口説こうとしてるわけですかぁ?」
「いや、そういうわけでは・・・・・・」
「一本気のある男であればあるほど、こういうときは自らの覚悟を見せるもんです。そんな覚悟も持てない男に、女が惚れると思いますか」
「ぬぅ」
「それに、今回は単なるプレゼント交換です。シンプルに、彼女へ似合うと思うものを渡してあげれば良いざんしょ」
「そういうものか・・・・・・」
「そういうものです、そういうものです」
背を丸まらせて深く考え込む幹部の様子に、耳打ちしていた構成員はまた引き笑いを零して「頑張ってくださいね」と背中を叩く。
不敬だぞ、といつもなら怒るところ、「おう」とだけぼやくに留まる彼の悩みは、この時頂点に達していたのは言うまでもない。
■
贈り物について悩みに悩んだ数日が経ち、ついにクリスマスパーティ当日がやってきた。
業務終わりの縫製室。日中に訪れる際には布や糸、危なっかしいもので針さえ床に散乱する場所ではあるが、さすがに業務が終わればそれらも定位置へと片付けられている。普段からこうしろ、と思わなくもないが、いくら幹部とはいえ、技術職である彼女たちお針子集団に、一方的な口は挟めない。この集団は前線に立つ団員の地位こそ高く設定されているが、内勤がいなければとても成り立たない規模なのだ。機嫌を損ねられてボイコットでもされたら業務に障る。
布が積み上げられた縫製室は埃っぽく、岩壁に囲まれるのみの部屋とは違ってどこか空気が温かい。音の反響が少ないからだろうか、なぜか妙な静けさと圧迫感があり、団員の中でも特に巨漢で圧が強いと噂される彼は、いつもここにきて窮屈さを覚える。
それでも、狭い部屋の中で敷物を広げ、ちまっと座って待つ彼女を視界に入れたときだけは、この狭い部屋の居心地の良さをはっきりと感じる。狭いからこそ、二人で過ごすためだけに作られた室(むろ)のようにも思え、気持ちがそわそわと浮ついて仕方がなくなる。
「台座さん!お疲れ様です、ついにこの日が来ましたね~!」
座ったまま興奮したように腰をバウンドさせる針子は、既に仮面を着けていなかった。むしろ彼女にとって、仮面を着けている状態こそが珍しい。針仕事のときは「手元が見えづらいから」と、そして幹部と二人きりのときは「表情が分からないと話しづらいだろうから」と、彼女はいつも仮面を外す言い訳を並び立てる。最初こそその度に「仮面をつけろ」と叱責したものだが、意外と頑固な彼女の言い分と、その可愛らしい笑顔に負けて、最近は何も言わず見て見ぬふりするのが常だった。
「うむ」と彼女の言葉に頷き返しながら、両手で激しくおいでおいでと招かれるままに歩を進める。
彼女の前まで到着すると、そのキラキラと行燈の灯を反射する瞳が眩かった。これからどんな楽しいことが待っているのかと問われている。期待そのものを自分自身に背負わされているような目つきで、幹部は二人きりという状況で顔を覗かせてきた邪な気持ちを払うべく、「ん、んん」とわざとらしく咳ばらいをした。
「他の団員はもう居ないようだな?業務は完全に終わったのか?」
キョロキョロと見回してみせたのは、もちろん彼女との逢瀬を他の団員に見られたくなかったのもあるが、ここの先達針子に会いたくなかった、という理由が大きい。
先達の針子は構成員という手前、幹部よりも地位こそ低いものの歴が長い。針子という技術職にやっと入ってきたこの針子娘を、一団員という以上に可愛がっているのがよく分かる。そして、幹部が彼女に想いを寄せているのも、先達にはバレている。
早い話、釘を打たれているのだ。「いくら幹部殿とはいえ、むやみに手を出したら承知しません。コーガ様にすぐ言いつけますから」と、クリスマスパーティのために縫製室を借りようという話を持ち掛けたとき、キツい言葉で宣誓された。
本当であれば「上司に向かって」などと叱責しても良かったのだろうが、不覚にも若い娘に落ちてしまった後ろめたさもある。苦々しく了承したものの、あれを機に先達針子への苦手意識は高まる一方であった。
目の前の針子娘は、幹部の心の弱みなど知ったこっちゃない。満面の笑みで、自らの隣をポンポンと叩いて早く座るように促してくる。
「ええ!今日は早めに終わらせようという話になったので!台座さんによろしく、と言っていましたよ」
「そ、そうか・・・・・・。もしかして、俺たちがここを使うから、早く終わらせることになったのか? それなら申し訳ないことをしたな」
「いえ、クリスマスだからですよっ、やっぱりイベントは満喫したいものです!」
「・・・・・・関係あるか?少し夕餉が豪華になるだけだろ」
「先輩たちは、恋人さんと一緒に過ごすようですから、早めに終わらせたかったのではないでしょうか?」
恋人。まさかこの状況で彼女がそんな言葉を口にすると思わず、幹部は「こ」と口にしたきり繰り返せなかった。
男と二人きりでいるにも関わらず、ましてやその男が恋心を持て余して悩んでいるにもかかわらず、恋人と口に憚らない針子娘。人の気も知らないでよくもまぁ、と頭の中では、その朴訥で無邪気な顔に悪態をつく。
普段であれば、そのまままたわざとらしく咳払いでもして話題を背けたかもしれない。しかし今日は、クリスマスで、二人きりで、特別な聖夜だ。
普段と違うことでもしてみようか。自分ばかりが狼狽えるのも腹が立つだけだから、少し意地悪をしてみたくなってしまった。
「しかし、良かったのか」と座り込み、口端をにやと曲げながら、彼女の反応を観察するように顔を真正面から覗き込んだ。
「クリスマスは恋人と過ごす、が世間の潮流だろう。お前は、そういうのと過ごさなくて良かったのか?」
「え? だって台座さんが一緒に過ごしてくれるって言うのに、他の人が要りますか?」
当然とばかりキョトンと返されて、幹部は咄嗟に下唇を噛んだ。何を言ってるのか分かってるのか、この娘は。布山に吸い込まれたはずの彼女の言葉が何度も頭の中で跳ね返り、その度顔に熱が集まっていく気がする。
鎌をかけるなんてやめれば良かった。何も返さず胡坐をかいた膝の上で拳を握っていれば、様子のおかしい大男など意に介さず、針子娘がコップやお皿をその場に並べていく。
「台座さんが飲むかな~と思って炊事場にお酒をとりに行ったんですが、余分はないって断られちゃいました」
「む・・・・・・それはまぁ構わんが、何を代わりに飲むつもりだ?」
「私の秘蔵っ子を出しますよ!この日のために飲むのを我慢してたんです」
「秘蔵っ子? そんな別に良いぞ、お前が普段飲んでる酒なら、それは自分で楽しめば良いだろう」
「酒じゃありません、リンゴジュースです。はい!台座さんの分!」
「・・・・・・」
とっとっと、とコップに注がれた液体は黄味がかった濁り水で、一瞬本当に酒かと思い高揚したが、なんてことはない。彼女が言うように本当にただのリンゴジュースであった。
年が若くて子供舌で、外出する機会も少ないだろう彼女が酒を嗜むとは最初から思っていなかったが、とはいえ今日は、成人を迎えた男女が過ごすクリスマスパーティなのに。華やかなリンゴの瑞々しい香りを放つコップを上から覗き込みながら、幹部はすぐそこまでついて出そうになっている本音を押し留める。
彼女の方を向けばふんふんと鼻歌を歌いながら、炊事場で振る舞われていたのだろう揚げ鶏やら揚げ芋やらを皿に盛りつけ始めたので、準備してきた荷物をその場に出そうと彼女に倣った。
事前に相談していたのは、食堂で受け取れる飲み物や夕餉の品は針子の娘が。アジト外でなければ手に入らない特別な品は、幹部が調達するという話でまとまっていた。
「揚げ物なんて珍しいですよねえ、イーガ団はさっぱりした食事ばかりだから、こってり系が食べられるなんて夢みたい」
「大げさだな。まぁ確かに、普段と違う飯が食えるのはクリスマスの良いところだな」
「あっ、ビリビリフルーツ!苺!ヒンヤリメロン!わ~豪華ですね~!果物の盛り合わせなんて台座さんさすが~!」
「そこまで珍しいものじゃないが・・・・・・ゲルドまで行ったんでな、ついでだついで」
丸のままの果物を並べていくごとに歓声が沸き上がるものだから、幹部は鼻高々で腕を組む。
ついでとは言ったが、実際はしっかりとこの日のために目算をつけていたものだ。ゲルド砂漠のフルーツと言えば瑞々しく、砂漠の特産物として他の地方からも行商人が買いに来るほど有名である。
これも商業班の構成員から聞いていたのだが、とかくクリスマスなんぞのイベント事に砂漠のフルーツは人気が高く、当日になれば手に入りづらくなるから気を付けろとのことだった。
商業班の構成員は直属の上司たる幹部の厳格さに辟易し、ここぞとばかり恋の邪魔をする輩も多いものだが、正直言ってこの助言に助けられたのは事実だ。谷を降りてカラカラバザールまで行った際、果物はそれも残すところ一つ二つで、今を逃せば向こう一週間は新たに採りにも行かないと説明された。言われるがままに購入を決意し、ほくほく顔でアジトへとんぼ返りしたのが数日前の話。
今あるもので終売と迫り、焦って客が購入していった後、悠々と商品を補充する。それが観光地として名高いカラカラバザールにありがちな手口だと、買い物に慣れない彼が気付くわけもない。
リンゴジュース、食堂で振る舞われているのと同じ夕餉の揚げ物、幹部が購入してきた果物が敷物に並べられ、縫製室のクリスマスパーティは準備が整った。
ご馳走、とは言えないかもしれないが、普段の質素なアジトでの食事を思えば、華やかに見えるのは間違いない。
並べられた食事を眺める針子は、分かりやすく目をキラキラと輝かせている。指を組んで見せ、弛緩しきった彼女の表情を見るのは気分が良かった。クリスマスパーティなんて当初は成り行き任せに提案してしまったが、突発的に彼女を誘ったのは正解だったに違いない。
「じゃあ、パーティの始まりですね、かんぱーい!」
コップを片手に高々と天井に掲げ、その後零れないようにカチンとぶつけ合ってから、二人きりの宴が始まった。
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クリスマスパーティ。幹部にとってそれは未知に違いなかったが、蓋を開ければどうということはない。いつもと同じく食事を楽しみ、最近の話や昔の話をし、和やかな空気で笑い合う。そこまで特別なものでもないが、なかなかに良い気分なのは確かだ。
歌をうたおうと立ち上がり、実際にその場で楽し気に声を響かせ始めた針子にやんややんやと手を打った。照れ笑いの後、「台座さんも」と誘われ、見様見真似で歌って苦笑いを浮かべられたのも、きっとこの先良い思い出になるに違いない。
飲み物や食べ物に酒精なんぞは霞ほども含まれていなかったわけだが、二人は結局酔っていた。
部屋を照らす行燈は、赤い色のイルミネーション。高く積まれた布山は背の高いクリスマスツリーで、目の前で笑う人物はお互いにとってのサンタクロースだ。
一瞬でもそんな空想に浸ってしまうほどに、彼らはこの宴にくらくらと酔っている。
「台座さん、顔が赤いですよぉ。お酒も飲んでないのに」
遠慮のない指先が、少しずり上げただけの仮面から覗く肌に伸びてくる。指先と頬が触れるか触れないかという距離で止まった。その遠慮のなさは、不文律に染まっていない彼女であってもあまりに突飛だろう。
鏡もない縫製室で、本当に肌が赤いかどうかを自分で確認する術はない。しかし、実際そうなんだろうという認めたくない実感はある。
そう。俺は酔っている。これは酔っているんだ。と頭で呟いてから、どこかふわふわまとまらない考えの中、少しだけ彼女に寄った。熱くなった頬が、少し汗ばんだ彼女の指先にピトリと触れ合って、そのまま彼女に撫でられた。
そういえば髭をそのままにしていた気がする。ざりざりとした音を楽しむように、彼女が自分の顎を熱心に擦っていく。
「酔ったんだ。酒が無くても、こういうときは酔うもんだ」
そうなんですかぁ、と答えた声はいつもより芯がなく、そのままへにゃりと破顔してみせるものだから呆れた。こんな荒唐無稽な相槌に、彼女は心から納得したように受け入れるのだから心配になる。素直で無邪気で、真っ白な彼女が眩い。
これほどまでどっぷりと夢想に酔える理由を、幹部は分かっている。目の前の彼女のつやつやとした頬が、いつもより桃色に染まっている理由と同じであれば良い。年の差も地位の差もある男はこの時ばかり、夢の中みたいな甘やかな空間の中で、微かに願うのを許して欲しいと思ったのだ。
■
広げられた料理が空になる。皿には、しゃぶりつくされた揚げ鶏の骨と、食後のデザートとして置かれていた果物の皮のみが転がるだけだ。秘蔵っ子と称したリンゴジュースの瓶を逆さにしても一滴も垂れず、片目を瞑って瓶の口を覗く針子が名残惜しそうに眉尻を下げる。
布山の合間で繰り広げられていた大騒ぎの終焉だ。うろちょろ歩き回る彼女が転びでもしないよう幹部が片づけを始めれば、漂う閉幕の香りに、針子は寂しさを滲ませた。
「楽しかったなあ。毎日クリスマスだったら良いのになあ」
「何をバカげたことを言ってる。ほら、お前も手伝え。俺にばっかりやらせるな」
「でも片付けが終わっちゃったら、パーティもおしまいになっちゃいます」
「お前はこのゴミ溜めの中で、明日から業務をするつもりか?良いから片付けろ」
じろりと睨めば、はーいと素直に片付け物をおこなうのだから憎めない。とはいえ、布を汚さないように宴の最中から細心の注意を払っていたし、大人二人きりの飲み会でそもそもそこまで散らかるものでもない。ゴミと食器だけまとめるのに、時間はかからなかった。
さっぱりと片付いた敷物を見渡して、「じゃあ」と針子が改めて腰を落ち着ける。
それはひとつの幕開けの号令。期待の籠った瞳が幹部の面に向けられて、背筋の伸びるようなピンとした空気が広がった。
「ついに、プレゼント交換、・・・・・・ですね!?」
プレゼント。その言葉に幹部の胸がどきりと一度、大きく飛び跳ねる。
遂にこの瞬間がやってきた。目をまんまるに見開き、幼子のように頬を上気させる針子は、待ちきれないように手をそわつかせている。
あれだけ宴自体が盛り上がったことを考えると、幕引きを飾る”これ”の責は重い。最後の最後に期待外れのものを渡しでもしたら、記憶に残るのは楽しかった宴そのものではなく、がっかりとしたこの瞬間になるに違いない。
彼女を絶対に喜ばせられるという自信がない以上、プレゼント交換を締めに回したのは悪手だったかもしれない。幹部はこの時初めて、その考えに思い至った。
「そうだな」と返す声は平静を装うが、正直なところ、とても落ち着ける状況ではない。
片思いの相手に、いやそもそも他人様に贈り物などしたことのない男が、自ら悩み、選んだものを彼女に披露する。受け入れられるかどうかも分からない。喜んでくれるかどうかも分からない。イーガの不文律に染まっていない自由な彼女が何を好きかなんて、業務以外で話す機会を設けられなかった彼が察することなど、できるはずもなく。
しかし彼は、彼女のためにひとつを選び出した。それまで彼女の視界に入らないよう隠していた小さな贈り物を、幹部はいそいそと取り出してみせる。
その宝石みたいな瞳に期待の色が宿っているのを確かめ、静かに彼女へ差し出した。
大きくてごつごつした手の平に、ぽつんと乗せられた贈り物。なめし革があしらわれた青い箱だ。
「俺からは、これをやる」
身を乗り出して青い箱にくぎ付けとなっていた針子に向けて、幹部は厳かに蓋を開けていく。開くのと同時に、針子の瞳も比例して大きく見開かれるのが、印象的だった。
箱の中に鎮座していたのは、金色の指輪がひとつ。太陽を思わせる彫刻の周りには、派手ながら高貴な印象のある花模様が塗装されている。少し幅広に作られたそれは、一目見て宝飾に長けたゲルド族の作ったものだと分かるアクセサリーだった。
呆けたように口を開け、目を見開いたまま針子は微動だにしない。手に取って欲しくて、促すように「ん」と突きつけると、改めて両手を差し出してきたので、幹部はその小さな手の平へ静かに青い箱を乗せる。
「果物を買いに行ったと言ったろ。たまたまな、目に入ったものだから。お前にも良いかと思って」
自分の気持ちに憚らない彼女なら、すぐにでも「嬉しい」とか「ありがとうございます」とか、感想を漏らすかと思っていた。しかし指輪を箱から摘まみとっても、まじまじと見つめるだけで何も言わないし、呆けたままなので何を考えてるかも分からない。
「石付きと悩んだんだが、ギラギラした宝石よりはシンプルな方が良いかと思った。それにこういうものは、業務の邪魔にならない方が良いんだろ。俺は詳しくないが、店のやつにそうだと勧められたんだ」
「・・・・・・」
「それにしてもな、お前にこういった類のイメージがなくて少し苦労した。今度贈るときはしっかりお前の意見も聞きたいが・・・・・・あ、いや、今度があるかどうかは分からんな。今回も何せ急な話だったし、また機会があればというだけで」
「・・・・・・」
「次があればの話だぞ。次がもしあるんだったとしたら、今度は一緒に店へ行こう。お前の趣味も知れるしな。ちょうど良いよな!・・・・・・な!?」
静かな時間が過ぎるのに耐えられなくて言い訳がましいことを口にするが、バクバクと鳴り始めた心臓をそれだけで誤魔化すことはできない。
というか、なぜ黙ったままなんだ。これじゃああまり自分の趣味ではなく、ただ反応に困って言葉を考えているように思えてしまう。台座の幹部は意外と後ろ向きなところのある男だった。
最後に「・・・・・・何か言え」と照れ隠しで腕を組めば、ゆっくりと指輪から視線を外す針子の丸い目が、幹部のイーガの仮面を捉える。
行燈の光を受けて静かに瞬くその瞳が美しく、また一段と強く胸を掴まれた気がして、ぐうっと心臓に痛みが広がった。
「これって指ぬきですよね? ありがとうございます!」
にこーっと曲げられた口元から飛び出てきたのは心外な言葉だ。なんだそれは。聞いたこともない単語に思わず「ゆ、指ぬき?」と狼狽えると、針子はきょとんと表情を変えて首を傾げてみせる。
「違うんですか?幅が広くて薄めで、指ぬきかと思ったんですが・・・・・・。さすがに指輪じゃないですよね、恋仲でもないですし」
ぐさ
「それにしてもゲルドにも指ぬきなんて売ってるんですね~!アクセサリーのイメージが強かったけど、ああいうのは業務の邪魔になっちゃって着けられなくて・・・・・・。そもそもあんまり興味も無くて避けてたんですが、指ぬきがあるならもっと早く見てみれば良かった!」
ぐさぐさ
「これでお仕事いっぱい頑張れます!針仕事がはかどるような可愛い道具を選んでくれるなんて、台座さんらしいですね!明日からモリモリ繕っていきますよ~!」
ぐさぐさぐさ
言う人が言えば、そして聞く人が聞けば、その全ての言葉は嫌味にしか思えなかっただろう。しかし性質が悪いのは、針子が純粋な気持ちを吐露しているということであり、その全てが幹部の心を抉っているということである。
幹部としても、彼女が嫌味なくそれらを発していると分かるからこそ、何も言えない。先ほどまでドキドキバクバクと騒がしかった心臓が、今は別の理由でキリキリと痛んでいる。言葉一つひとつがクナイのように鋭くて、しっかりと刺し傷を作られていくような気がした。もうやめて欲しい。これ以上は立ち直れなくなるから。
こうまで言われて、今更「それは指輪だ」と訂正できる人間などこの世にいるだろうか。居たとしたらよっぽど、この度の贈り物で愛の告白を覚悟した者なのだろう。もしくは気まずい空気を楽しめるマゾヒストだ。
幹部は堪え性こそあるものの、告白への覚悟を決めたわけでもなく、マゾヒストというわけでもない。きりきり痛む胸を無意識にグッと抑え、彼女の弁を肯定することしか術がなかった。
「・・・・・・そうだ、指ぬきだ。喜んでもらえて良かった」
彼女が投げたそれらが本当のクナイであれば、全てに命中した幹部は、このとき吐血して倒れこんでいたはずである。あまりに鋭すぎたもので。
しかし、遠慮無しに右手の中指に指輪を通した彼女の満足そうな顔を見て、贈って良かったとも自然に頭へ上った。今の今までぎくしゃくとどこか堅かった身体が、何物からも解放されたような気分である。ふわっと心の内が彼女の笑顔に満たされて、プレゼント交換とは、これのことだったのかと錯覚するほどに。
確かに、思っていた通りの贈り物にはならなかった。しかし、指に装着し、行燈の光に透かして「可愛くて綺麗」とうっとりして見せるのは、はっきり指輪と認識し、贈り贈られしたとしても同じであったろう。
そう。同じだ。彼女が、自分の贈ったものを身に着け、喜んでいる。それで良いではないか。
いつまでも楽し気に、指にはめられた指ぬきを見つめる彼女に、一つ咳ばらいをする。確かに彼女からは笑顔を返されたが、これはクリスマスの交換会。ただ男から現物を渡すだけで終わり、というだけのイベントではないのだ。
「あー、俺からは以上だ。・・・・・・お前からも何か貰えると、期待していいんだよな?」
遠慮がちに言い切れば、彼女は思い出したように「あっ」と手を打って立ち上がる。そのまま布山の奥へと向かっていくので、なぜと不思議に思ったが、程なくして後ろ手に何かを隠しながら彼女が戻ってきた。
意味深げな「ふっふっふ」という笑みをわざとらしく口に出しつつ、針子はニヤリと片方の口角を器用に上げる。
「私からはこれです!じゃーん!!」
大げさなのは彼女の常。だが幹部は彼女の思った通りに目を剥いて、「こ、これは・・・・・・」と言葉を失った。
「セーターです!!私が編みました!!」
発声と同時に目の前に広げられたのは、極厚のセーターであった。針子の頭の先よりも少し高い位置で広げられたセーターは、にもかかわらず針子の足先しか覗かないほどに巨大である。もちろんそれは、幹部役の中でも巨漢と称される彼に合わせたからで、一目一目編み込んでいくことを考えると、どれほど途方もない時間がかかったことかが偲ばれた。
言葉を失ったのは素直に感動したからだ。一方的に想いを寄せている彼女が自分のことを考え、手ずから編んでくれたセーターを贈ってくれた。感動故に、言葉が出ない。それは確かである。
しかし、幹部が言葉を失ったのにはもうひとつ、明確な理由があった。聞くべきだろう。聞かなければこれを受け取る資格がない。なぜと思いながらこれに腕を通すのは失礼だ。彼は無骨ながら、クソ真面目な男だった。
「なぜ・・・・・・バナナ柄なんだ」
緑地のセーターの全面に施されたのは、ビビッドな黄色が映えるバナナの総柄。無骨でクソ真面目な鬼幹部として知られる彼にしては、いささか愉快な模様であるのは想像に難くない。
厳かにふんわりと手の平に乗せられたので、セーターと針子の得意げな過去を交互に見つめた。近くで見ても明らかにバナナの柄であるし、それが彩度の低い緑色の中で際立っている。小柄な針子娘が持っていたときは一見して布団かと空目したが、自分で提げてみれば、おそらく丁度良いサイズ感であろうことも分かる。
困惑した様子を見せる幹部に対し、針子はまたしても「ふっふっふ」とわざとらしい笑みを口にしながら、パチン、と指を鳴らして格好をつける。子供っぽい彼女は、不意にわざとらしく茶目っ気を見せるのだ。
「台座さんが好きなもの、と考えてバナナにしてみました!イーガの皆さんは全員バナナ好きですし、これさえ着ていれば、羨ましがられること間違いなしですよ!」
デザインに難しさはいらない。聞いてしまえば、いつだって理由は単純なことだ。
単純だからこそ理解しやすく、納得もしてしまう。幹部は自信満々で「可愛いでしょう!」と迫ってくるお針子娘に、「そうだな。嬉しいぞ」と返す他に言葉は無い。どれだけ平坦に紡ごうとも、その言葉以外には。
柄はともかくとして、極厚に編まれたセーターは温かそうだし、何より手が込んでいると一目でわかる。カルサー谷は朝晩の寒暖差が激しく、彼女と顔を合わせるとき、何かと「今日は寒いなぁ」と話題に困って口にしたのを覚えていたのかもしれない。
幹部としては、若さにかまけて薄着でちょろちょろアジト内を闊歩する彼女を心配しての台詞なわけだが、彼女は彼女で、「台座さんは寒がり」「隙間風の多い玄関で立ちっぱなしだから」と勘違いしている節があった。確かにそうではあるのだが、そうではない。
そうだ。冷える夜の寝間着にでもさせてもらおう。それならば最大限にこのセーターを楽しめる。
改めて、ありがとなと感謝の言葉を口にしつつそのまま引き取ろうかと思ったら、針子娘がにこにこ顔のまま、とんでもないことを口にして固まった。
「明日からは、このセーターがあるので業務中もあったかいはずです。活用してくださいね!」
どうやら彼女は、業務中の着用を想定して、この愉快なバナナセーターを編んだらしい。
本気か、と咄嗟に彼女の顔を見返すが、朴訥な童顔に冗談の類は感じられなかった。本気なのだ。まあ、彼女にしてはいつものことだった。
「いや、それは」
「すっごく編むの大変だったので、いっぱい使って欲しいです!商業班の皆さんにも見てもらいたいんです、頑張って作った私の作品を!」
「そうだな、しかし」
「これを着て台座に立ってるとこ見るの楽しみですね~。絶対かっこいいし可愛いです。早く明日にならないかな~」
「とはいえ俺にも威厳が」
「ちゃんと寸法を測って、装束の上からでも着られるように編み図を書いて編んだんで、邪魔にもなりません、安心してくださいね」
「分かった。ありがとうな」
幹部は負けた。幼子のように純粋な瞳を向ける一人の女に。
幹部は、受け入れるしかなかった。これほど自分を思いながら作られた贈り物に報いなければ、彼女に恋心を寄せる資格はないとも分かって。
こうして、イーガの中で鬼のあだ名を持つ無骨な幹部と、一人の新人お針子団員とが繰り為すクリスマスパーティは、幕を閉じたのであった。
最後の最後まで、彼女のあどけない笑顔を守れたことは、これからの幹部にとって大いなる意味を持つに違いない。そうだといいですね。
次の日。バナナの総柄セーターを着て玄関口に立つ幹部が目撃される。
見た人間全てのリアクションを困らせた彼のその姿が、暫く商業班員の間で揶揄いのネタになったことは、言うまでもない。
そして、先達針子からも指ぬきについて苦言を言われて頭を抱えることになるのだが、それは宴から数日後の話である。
男は、隠密集団たるイーガへやってくる不届き者を払う役目を負っている。幹部である彼の周りをうろちょろし、残念ながら理解を得られなかった発言をしたのは、イーガ団員の装束を縫製する針子の一人である。
彼女が口にしたクリスマスとは、神の地と呼ばれるハイラルを創った女神を祭る目的で、主に信仰者を中心に執り行われている降誕祭だ。女神の血を引くと言われる王家に刃を向けるイーガでも、クリスマスを意識した催しものは行われているが、女神への信仰というよりは、年末という時期を鑑みた一年の締めの祝い、という意味合いが強い。
とはいえ、ささやかに手の込んだ料理が振る舞われる程度の、簡素な祭事である。少なくとも幹部はそう認識していた。
確かに、普段とは違う飯が食えるのだから楽しみといえば楽しみだが、目の前の女のようにスキップして見せるほどではないだろう。
彼女はそもそも、他人に心算を悟られぬように仮面の常態が決まりであるイーガの団員とは思えないくらい、感情表現に憚らない。今回も周囲に満開の花でも散らしながら歩いていると空目するほど、彼女のワクワクとした期待は分かりやすかった。
玄関口にいる商業班団員に装束を届けに来たついでに、なんとはなしに始まった会話だ。
恋心を明確に抱きながらも、部署の違う彼女と接点を持つには、自ら話しかけるしか他にない。彼女とすれ違うときには「ご苦労」と重厚な声をかけることを心がけているわけだが、その作戦は何かと功を奏していた。持ち前の明るさと愛想の良さで、無事にこの男にも懐いた針子の女が「そういえば」と冒頭の台詞を持ち掛けてくるほどに、彼らの仲は深まっている。
しかし、それほど心を寄せる彼女の言葉だったとしても、クリスマスが楽しみと言った本意が分からない。幹部は首を傾げて見せた。
「楽しみ・・・・・・か? 俺はそうでもないが」
「えッ!台座さん、クリスマスが楽しみじゃないんですか!?ご馳走と、プレゼントの交換と、お歌と、楽しいことがたくさんあるのに!?」
「何を言ってるんだ・・・・・・馳走はまぁ、いつもよりはそうだが、プレゼントの交換と歌って、何のことだ。イーガのアジトで、そんなことすると思ってるのか?」
彼女は時折、意味の分からないことを口走る。というのも、彼女がアジトへとやってきたのはここ数か月の話であり、未だイーガでの不文律が身についていなかった。団の中で地位を持つ幹部役の男に「台座さん」というふざけたあだなをつけるのだから、締まりのなさはよっぽどだ。
おそらく今しがた口にしたのも、イーガに来る以前の習慣なのだろう。幹部が呆れた様子で否定すれば、針子は仮面越しの頬を両手で挟み、「がーん」とわざわざショックを口にした。敢えて自らの感情を大げさに表現するなんて、なんのための仮面なんだ、と思ったのも束の間、一切の遠慮もなく彼女はがっくりと項垂れてみせる。
「そんなぁ・・・・・・クリスマス大好きなのに・・・・・・一年の内で一番大好きなのに・・・・・・イーガ団がそんなにつまらない場所だったなんて思ってませんでした・・・・・・」
「つまらないとか言うな、ばか者。お前はここを勘違いしてるのではないか? 女神の生誕祭を、王家に背く我らが祝うわけなかろう」
「そうかもしれませんけど、私はただ美味しいものとプレゼント交換と、お歌で楽しく騒ぎたいだけなんです。女神様の生誕祭とかは、関係なく」
「お前みたいのがいるから、神の威厳が失墜していくんだろうな」
それでなくとも、最近のイーガは外部入団の者が増え、主が信仰心を捧げる力の化身に対し、軽んじた言動の目立つ者が多い。もちろん、団員を直接的に導いているのは団の総長・コーガ様なわけで、幹部としては主に対する忠誠心さえあるのなら見逃してやろうという温情があった。とはいえ針子の発言は、神への信仰心が薄れつつあるのはどこも一緒なのかと、神に対して思いを馳せるのに充分だ。
苦々しく睨んでも、針子は「はぁ~」と大げさにため息を吐くばかりで意に介さない。そもそも恐らく彼女は、真正面に立つ男がどれほど仮面越しに他意の籠った視線を向けていても、気が付くような洞察力がない。
「じゃあ私はこれで・・・・・・」と、先ほどまで散らしていた花の雰囲気はどこへやら、今は菌類の成長に相応しいほどの湿気を纏っている。ずりずりと足を引きずり、項垂れたまま去っていこうとするので、幹部は「待て」と丸まった背中に声を掛けた。
「そこまで落ち込むな。業務に障るだろ」
「だって、ここ最近ずっと楽しみにしてた行事が無いって分かったんですよ。落ち込むなと言われても無理です。そっとしておいてください」
「大人なら切り替えろ、子供じゃあるまいし」
「仕事はきちんとしますよ、でも、それ以外は時間薬に任せます・・・・・・」
「おい・・・・・・」
「少しくらい凹ませてください・・・・・・大人にだって、落ち込みたいくらいあるもんです」
未だギリギリ10代である彼女は、割に自分自身を大人扱いして鼓舞する癖がある。
そんなところがまだ幼いと思われる要因のひとつなのだが、このときの彼女は、目に余るほど明るく、前向きで、さっぱりした普段の様子が全く失せていた。いつもなら、少しの失敗ではあっけらかんとしたまま、幹部役がどれだけ叱責しても、「すみませんでしたぁ」と間延びした声で謝罪するだけの彼女がだ。気まずさに尾鰭を付けない天才だと思っていたが、これほど目に見えて落ち込むなんて。
自身の取り巻く商業班の団員であったり、他の一構成員を相手にしていたのであれば、幹部も「そうか分かった」と幾らでも見て見ぬふりしただろう。イーガは気色を他人に悟らせてはいけない隠密集団。自らの感情のコントロールさえできない者に居場所などなく、内勤の人間とて同じこと。いざという局面で、失敗し命を落とすようなことになっても、それは本人の責任であり、いくら同士といえど尻拭いなぞしない。
しかし、彼は今回に限り、見て見ぬふりできなかった。
密かに思いを寄せる女がどんよりと暗い空気を持ち帰ろうとしている。加えて、そんな湿気を与えてしまったのは、他でもなく正に自分の所為である。
そのまま行かせられようか。否。無骨でクソ真面目な堅物に、そんな判断は下せない。
「俺と、クリスマスパーティするか?」
言ってみただけ。そう、彼は、思いついたことを言ってみただけ。
本気でしたいと思ったわけでもない。本当に彼女が受け入れるだろうと思ったわけでもない。ただ、彼女を項垂れさせたまま帰したくなかっただけだ。このまま放置すれば、彼女は一週間だって一ヶ月だって落ち込んだままだったろうし。
しかし、口にした途端にパッと持ち上がった仮面は、蝋燭の灯りを反射させているだけなのに、それまでの湿気を思わせないくらいに爛々と明るかった。木に塗装された印とは思えないほど、面の瞳自体がキラキラ輝いているように見えた。
グイッと、何の関係でもない異性にしては些か近すぎるほど詰め寄って来て、大の大人である幹部は勢いに気圧される。後ずさりして仰け反らなければ、彼女の柔らかい肌と自分の筋肉は密着したことだろう。そうなったら、途端に騒ぎだす男の本能のままに抱きしめでもしない限り、ぐつぐつ煮立ち始めた欲求は治まらなかったに違いない。
彼女はこういうとき、どれほど目の前の男が理性の崖っぷちに立っているのか、そして自分の魅力がジリジリと崖上のスペースを削り取っていっているのか、一切想像しないのだ。
「え!台座さんと!?いいんですか!?」
「あ、ああ・・・・・・馳走と、プレゼントの交換と、歌だろう? 歌は良く知らんが、まぁ後の2つならなんとかなるんじゃないかと思ってだな」
「やります!台座さんとクリスマスします!!わ~!楽しみ!!やったー!!」
幹部の太い腕を掴んでぴょんぴょんとその場で跳ねてみせるのは、まさに幼い子供のよう。
対して幹部は大人であった。興奮で熱くなった彼女の手の平から、幹部の心臓にまで熱が伝っていき、血液を迸らせる。彼女の指先以上に身体全体の体温が上がったのは、きっと気のせいではないだろう。
「楽しみにしてますね~!」と、廊下を曲がる最後まで、針子は歓喜に憚らなかった。両手をぶんぶんと振る彼女が奥へと去っていったとき、とんでもない約束をしてしまったものだと今更ながらに後悔する。しこりと、彼女の指先に近い熱が、胸の奥に残っている。
誰にも気付かれないように深呼吸をし、何事もなかったかのようにまた、木戸を睨む守衛番の業務に戻ろうとした。しかし、「台座さ~ん」と背後から這い寄るキシついた男の声により、幹部は平穏無事に業務へ戻れないと悟る。
もっとも面倒な事態だ。彼女とのやり取りを全て見ていただろう商業班の団員がやってきた。
「見てましたよ~、針子ちゃんと二人っきりでクリスマスパーティするんすかぁ? よくやりますね~幹部ともあろう方が、あんな若い子と」
「ばかものッ、見てたなら分かるだろ!成り行きでしかないんだ、茶化すな!」
「あ、じゃあ俺も参加して良いですか?パーティは人数が多い方が楽しいですよね?」
「何言ってる。貴様なぞお呼びでないわ。去ね」
じろ、と殺気の籠った仮面を向けても、針子に振り回されている事実に畏怖も畏敬もないのか、構成員は「ひひひ」と引き笑いを漏らすだけだ。
「それにしても、若い女に贈り物なんて、当てはあるんですかぁ?台座さん、こういうの苦手そうですよねぇ」
「貴様に台座さんと呼ばれる筋合いはない。まぁ、なんとかなるだろ。針仕事に就いてるんだから、布とか、毛糸とか・・・・・・」
「それ本気で言ってます?個人的な贈り物に、仕事道具を渡そうとしてる、ってことすか?」
「・・・・・・確かにそうだな」
「やっぱりセンスないわこの人」
構成員の軽口に胸倉でも掴もうかと一瞬怒りの感情がもたげたが、指摘はごもっともでもある。ふぅーと息を長く吐いて額に浮き出た青筋の怒りを抑えつつ、組んだ腕を掴む指先に力を込めて、自らを落ち着かせた。
商業班の団員は数人いるが、その中でもこの男は、幹部の恋愛事情に何かと首を突っ込みたがって、ひっかきまわしてくる厄介者だ。
至極まともなアドバイスをすることもあれば、明らかに茶々だと分かるようなアドバイスをすることもある。面倒なのは、塩梅が絶妙なこと。そして幹部にその判断が付くほどの恋愛経験が無いということだった。
男のアドバイスを真面目に聞くつもりなど毛頭ない。今までだって、快楽主義を思わせる構成員の振る舞いに、幹部はまんまと巻き込まれたことがある。彼女に本気の恋心を抱く男としては、彼の気まぐれなアドバイスに付き合って関係が瓦解でもしたら目も当てられない。
そうなれば、男の首に手を掛けることこそ無いかもしれないが、今後の人生で相対する度、理性を保っていられるか分からない。
しかしだ。今しがた口にしたアドバイスは、腹の立つ言い方ではあるものの至極まともだった。聞いてみるだけなら良いのかもしれない。そう、聞いてみるだけなら。
「そこまで言うのであれば、貴様には提案があるんだろうな」と仮面越しに横目でちらりと睨みつけると、構成員はまた「ひひひ」と可笑し気にひきつった笑いを漏らしてみせた。
「提案って言われちゃうとねえ、俺は責任とれないんで」
「・・・・・・失敗したとして、貴様に責任を取れとは言わん」
「本当かな~。台座さん、すぐ突っ走って俺たちに当たり散らしてくるから」
「コーガ様に誓う。今回そんなことはせん」
「ま、いいですけどね。じゃあ独り言ってことで聞いていただきたいですが、ゲルドの街も近いわけですし? やはり若い女には、アクセサリーなんかが定番じゃないですかねぇ?」
アクセサリー。身を粉にしてイーガに従事してきた幹部としては、人生でもっとも親近感の沸かない存在だろう。
どんなものがあるかも知らない。なぜわざわざ邪魔になるものを付けるのかも分からない。デザインがどれほど多岐に渡っているのかの見当もつかない。
そんな男が、若い娘の喜ぶだろうアクセサリーなど知っているわけもなく。
「アクセサリーか」と渋るように繰り返す幹部に、構成員はねっとり這うように凭れ、追いかけて彼に耳打ちをした。
「耳飾りや首飾り、腕輪足輪なんかがありますがね、とかく良い仲になりたいなら指輪がおすすめですよ。なんせ、愛を誓う道具として使われてるわけですし」
「それはさすがに・・・・・・指輪の贈り物なんて、一生の愛を捧げるために使うもんじゃないのか?」
「そういう気概を俺は持ってるぞ、って覚悟の証ですよ。そんな覚悟も無しに、彼女を口説こうとしてるわけですかぁ?」
「いや、そういうわけでは・・・・・・」
「一本気のある男であればあるほど、こういうときは自らの覚悟を見せるもんです。そんな覚悟も持てない男に、女が惚れると思いますか」
「ぬぅ」
「それに、今回は単なるプレゼント交換です。シンプルに、彼女へ似合うと思うものを渡してあげれば良いざんしょ」
「そういうものか・・・・・・」
「そういうものです、そういうものです」
背を丸まらせて深く考え込む幹部の様子に、耳打ちしていた構成員はまた引き笑いを零して「頑張ってくださいね」と背中を叩く。
不敬だぞ、といつもなら怒るところ、「おう」とだけぼやくに留まる彼の悩みは、この時頂点に達していたのは言うまでもない。
■
贈り物について悩みに悩んだ数日が経ち、ついにクリスマスパーティ当日がやってきた。
業務終わりの縫製室。日中に訪れる際には布や糸、危なっかしいもので針さえ床に散乱する場所ではあるが、さすがに業務が終わればそれらも定位置へと片付けられている。普段からこうしろ、と思わなくもないが、いくら幹部とはいえ、技術職である彼女たちお針子集団に、一方的な口は挟めない。この集団は前線に立つ団員の地位こそ高く設定されているが、内勤がいなければとても成り立たない規模なのだ。機嫌を損ねられてボイコットでもされたら業務に障る。
布が積み上げられた縫製室は埃っぽく、岩壁に囲まれるのみの部屋とは違ってどこか空気が温かい。音の反響が少ないからだろうか、なぜか妙な静けさと圧迫感があり、団員の中でも特に巨漢で圧が強いと噂される彼は、いつもここにきて窮屈さを覚える。
それでも、狭い部屋の中で敷物を広げ、ちまっと座って待つ彼女を視界に入れたときだけは、この狭い部屋の居心地の良さをはっきりと感じる。狭いからこそ、二人で過ごすためだけに作られた室(むろ)のようにも思え、気持ちがそわそわと浮ついて仕方がなくなる。
「台座さん!お疲れ様です、ついにこの日が来ましたね~!」
座ったまま興奮したように腰をバウンドさせる針子は、既に仮面を着けていなかった。むしろ彼女にとって、仮面を着けている状態こそが珍しい。針仕事のときは「手元が見えづらいから」と、そして幹部と二人きりのときは「表情が分からないと話しづらいだろうから」と、彼女はいつも仮面を外す言い訳を並び立てる。最初こそその度に「仮面をつけろ」と叱責したものだが、意外と頑固な彼女の言い分と、その可愛らしい笑顔に負けて、最近は何も言わず見て見ぬふりするのが常だった。
「うむ」と彼女の言葉に頷き返しながら、両手で激しくおいでおいでと招かれるままに歩を進める。
彼女の前まで到着すると、そのキラキラと行燈の灯を反射する瞳が眩かった。これからどんな楽しいことが待っているのかと問われている。期待そのものを自分自身に背負わされているような目つきで、幹部は二人きりという状況で顔を覗かせてきた邪な気持ちを払うべく、「ん、んん」とわざとらしく咳ばらいをした。
「他の団員はもう居ないようだな?業務は完全に終わったのか?」
キョロキョロと見回してみせたのは、もちろん彼女との逢瀬を他の団員に見られたくなかったのもあるが、ここの先達針子に会いたくなかった、という理由が大きい。
先達の針子は構成員という手前、幹部よりも地位こそ低いものの歴が長い。針子という技術職にやっと入ってきたこの針子娘を、一団員という以上に可愛がっているのがよく分かる。そして、幹部が彼女に想いを寄せているのも、先達にはバレている。
早い話、釘を打たれているのだ。「いくら幹部殿とはいえ、むやみに手を出したら承知しません。コーガ様にすぐ言いつけますから」と、クリスマスパーティのために縫製室を借りようという話を持ち掛けたとき、キツい言葉で宣誓された。
本当であれば「上司に向かって」などと叱責しても良かったのだろうが、不覚にも若い娘に落ちてしまった後ろめたさもある。苦々しく了承したものの、あれを機に先達針子への苦手意識は高まる一方であった。
目の前の針子娘は、幹部の心の弱みなど知ったこっちゃない。満面の笑みで、自らの隣をポンポンと叩いて早く座るように促してくる。
「ええ!今日は早めに終わらせようという話になったので!台座さんによろしく、と言っていましたよ」
「そ、そうか・・・・・・。もしかして、俺たちがここを使うから、早く終わらせることになったのか? それなら申し訳ないことをしたな」
「いえ、クリスマスだからですよっ、やっぱりイベントは満喫したいものです!」
「・・・・・・関係あるか?少し夕餉が豪華になるだけだろ」
「先輩たちは、恋人さんと一緒に過ごすようですから、早めに終わらせたかったのではないでしょうか?」
恋人。まさかこの状況で彼女がそんな言葉を口にすると思わず、幹部は「こ」と口にしたきり繰り返せなかった。
男と二人きりでいるにも関わらず、ましてやその男が恋心を持て余して悩んでいるにもかかわらず、恋人と口に憚らない針子娘。人の気も知らないでよくもまぁ、と頭の中では、その朴訥で無邪気な顔に悪態をつく。
普段であれば、そのまままたわざとらしく咳払いでもして話題を背けたかもしれない。しかし今日は、クリスマスで、二人きりで、特別な聖夜だ。
普段と違うことでもしてみようか。自分ばかりが狼狽えるのも腹が立つだけだから、少し意地悪をしてみたくなってしまった。
「しかし、良かったのか」と座り込み、口端をにやと曲げながら、彼女の反応を観察するように顔を真正面から覗き込んだ。
「クリスマスは恋人と過ごす、が世間の潮流だろう。お前は、そういうのと過ごさなくて良かったのか?」
「え? だって台座さんが一緒に過ごしてくれるって言うのに、他の人が要りますか?」
当然とばかりキョトンと返されて、幹部は咄嗟に下唇を噛んだ。何を言ってるのか分かってるのか、この娘は。布山に吸い込まれたはずの彼女の言葉が何度も頭の中で跳ね返り、その度顔に熱が集まっていく気がする。
鎌をかけるなんてやめれば良かった。何も返さず胡坐をかいた膝の上で拳を握っていれば、様子のおかしい大男など意に介さず、針子娘がコップやお皿をその場に並べていく。
「台座さんが飲むかな~と思って炊事場にお酒をとりに行ったんですが、余分はないって断られちゃいました」
「む・・・・・・それはまぁ構わんが、何を代わりに飲むつもりだ?」
「私の秘蔵っ子を出しますよ!この日のために飲むのを我慢してたんです」
「秘蔵っ子? そんな別に良いぞ、お前が普段飲んでる酒なら、それは自分で楽しめば良いだろう」
「酒じゃありません、リンゴジュースです。はい!台座さんの分!」
「・・・・・・」
とっとっと、とコップに注がれた液体は黄味がかった濁り水で、一瞬本当に酒かと思い高揚したが、なんてことはない。彼女が言うように本当にただのリンゴジュースであった。
年が若くて子供舌で、外出する機会も少ないだろう彼女が酒を嗜むとは最初から思っていなかったが、とはいえ今日は、成人を迎えた男女が過ごすクリスマスパーティなのに。華やかなリンゴの瑞々しい香りを放つコップを上から覗き込みながら、幹部はすぐそこまでついて出そうになっている本音を押し留める。
彼女の方を向けばふんふんと鼻歌を歌いながら、炊事場で振る舞われていたのだろう揚げ鶏やら揚げ芋やらを皿に盛りつけ始めたので、準備してきた荷物をその場に出そうと彼女に倣った。
事前に相談していたのは、食堂で受け取れる飲み物や夕餉の品は針子の娘が。アジト外でなければ手に入らない特別な品は、幹部が調達するという話でまとまっていた。
「揚げ物なんて珍しいですよねえ、イーガ団はさっぱりした食事ばかりだから、こってり系が食べられるなんて夢みたい」
「大げさだな。まぁ確かに、普段と違う飯が食えるのはクリスマスの良いところだな」
「あっ、ビリビリフルーツ!苺!ヒンヤリメロン!わ~豪華ですね~!果物の盛り合わせなんて台座さんさすが~!」
「そこまで珍しいものじゃないが・・・・・・ゲルドまで行ったんでな、ついでだついで」
丸のままの果物を並べていくごとに歓声が沸き上がるものだから、幹部は鼻高々で腕を組む。
ついでとは言ったが、実際はしっかりとこの日のために目算をつけていたものだ。ゲルド砂漠のフルーツと言えば瑞々しく、砂漠の特産物として他の地方からも行商人が買いに来るほど有名である。
これも商業班の構成員から聞いていたのだが、とかくクリスマスなんぞのイベント事に砂漠のフルーツは人気が高く、当日になれば手に入りづらくなるから気を付けろとのことだった。
商業班の構成員は直属の上司たる幹部の厳格さに辟易し、ここぞとばかり恋の邪魔をする輩も多いものだが、正直言ってこの助言に助けられたのは事実だ。谷を降りてカラカラバザールまで行った際、果物はそれも残すところ一つ二つで、今を逃せば向こう一週間は新たに採りにも行かないと説明された。言われるがままに購入を決意し、ほくほく顔でアジトへとんぼ返りしたのが数日前の話。
今あるもので終売と迫り、焦って客が購入していった後、悠々と商品を補充する。それが観光地として名高いカラカラバザールにありがちな手口だと、買い物に慣れない彼が気付くわけもない。
リンゴジュース、食堂で振る舞われているのと同じ夕餉の揚げ物、幹部が購入してきた果物が敷物に並べられ、縫製室のクリスマスパーティは準備が整った。
ご馳走、とは言えないかもしれないが、普段の質素なアジトでの食事を思えば、華やかに見えるのは間違いない。
並べられた食事を眺める針子は、分かりやすく目をキラキラと輝かせている。指を組んで見せ、弛緩しきった彼女の表情を見るのは気分が良かった。クリスマスパーティなんて当初は成り行き任せに提案してしまったが、突発的に彼女を誘ったのは正解だったに違いない。
「じゃあ、パーティの始まりですね、かんぱーい!」
コップを片手に高々と天井に掲げ、その後零れないようにカチンとぶつけ合ってから、二人きりの宴が始まった。
■
クリスマスパーティ。幹部にとってそれは未知に違いなかったが、蓋を開ければどうということはない。いつもと同じく食事を楽しみ、最近の話や昔の話をし、和やかな空気で笑い合う。そこまで特別なものでもないが、なかなかに良い気分なのは確かだ。
歌をうたおうと立ち上がり、実際にその場で楽し気に声を響かせ始めた針子にやんややんやと手を打った。照れ笑いの後、「台座さんも」と誘われ、見様見真似で歌って苦笑いを浮かべられたのも、きっとこの先良い思い出になるに違いない。
飲み物や食べ物に酒精なんぞは霞ほども含まれていなかったわけだが、二人は結局酔っていた。
部屋を照らす行燈は、赤い色のイルミネーション。高く積まれた布山は背の高いクリスマスツリーで、目の前で笑う人物はお互いにとってのサンタクロースだ。
一瞬でもそんな空想に浸ってしまうほどに、彼らはこの宴にくらくらと酔っている。
「台座さん、顔が赤いですよぉ。お酒も飲んでないのに」
遠慮のない指先が、少しずり上げただけの仮面から覗く肌に伸びてくる。指先と頬が触れるか触れないかという距離で止まった。その遠慮のなさは、不文律に染まっていない彼女であってもあまりに突飛だろう。
鏡もない縫製室で、本当に肌が赤いかどうかを自分で確認する術はない。しかし、実際そうなんだろうという認めたくない実感はある。
そう。俺は酔っている。これは酔っているんだ。と頭で呟いてから、どこかふわふわまとまらない考えの中、少しだけ彼女に寄った。熱くなった頬が、少し汗ばんだ彼女の指先にピトリと触れ合って、そのまま彼女に撫でられた。
そういえば髭をそのままにしていた気がする。ざりざりとした音を楽しむように、彼女が自分の顎を熱心に擦っていく。
「酔ったんだ。酒が無くても、こういうときは酔うもんだ」
そうなんですかぁ、と答えた声はいつもより芯がなく、そのままへにゃりと破顔してみせるものだから呆れた。こんな荒唐無稽な相槌に、彼女は心から納得したように受け入れるのだから心配になる。素直で無邪気で、真っ白な彼女が眩い。
これほどまでどっぷりと夢想に酔える理由を、幹部は分かっている。目の前の彼女のつやつやとした頬が、いつもより桃色に染まっている理由と同じであれば良い。年の差も地位の差もある男はこの時ばかり、夢の中みたいな甘やかな空間の中で、微かに願うのを許して欲しいと思ったのだ。
■
広げられた料理が空になる。皿には、しゃぶりつくされた揚げ鶏の骨と、食後のデザートとして置かれていた果物の皮のみが転がるだけだ。秘蔵っ子と称したリンゴジュースの瓶を逆さにしても一滴も垂れず、片目を瞑って瓶の口を覗く針子が名残惜しそうに眉尻を下げる。
布山の合間で繰り広げられていた大騒ぎの終焉だ。うろちょろ歩き回る彼女が転びでもしないよう幹部が片づけを始めれば、漂う閉幕の香りに、針子は寂しさを滲ませた。
「楽しかったなあ。毎日クリスマスだったら良いのになあ」
「何をバカげたことを言ってる。ほら、お前も手伝え。俺にばっかりやらせるな」
「でも片付けが終わっちゃったら、パーティもおしまいになっちゃいます」
「お前はこのゴミ溜めの中で、明日から業務をするつもりか?良いから片付けろ」
じろりと睨めば、はーいと素直に片付け物をおこなうのだから憎めない。とはいえ、布を汚さないように宴の最中から細心の注意を払っていたし、大人二人きりの飲み会でそもそもそこまで散らかるものでもない。ゴミと食器だけまとめるのに、時間はかからなかった。
さっぱりと片付いた敷物を見渡して、「じゃあ」と針子が改めて腰を落ち着ける。
それはひとつの幕開けの号令。期待の籠った瞳が幹部の面に向けられて、背筋の伸びるようなピンとした空気が広がった。
「ついに、プレゼント交換、・・・・・・ですね!?」
プレゼント。その言葉に幹部の胸がどきりと一度、大きく飛び跳ねる。
遂にこの瞬間がやってきた。目をまんまるに見開き、幼子のように頬を上気させる針子は、待ちきれないように手をそわつかせている。
あれだけ宴自体が盛り上がったことを考えると、幕引きを飾る”これ”の責は重い。最後の最後に期待外れのものを渡しでもしたら、記憶に残るのは楽しかった宴そのものではなく、がっかりとしたこの瞬間になるに違いない。
彼女を絶対に喜ばせられるという自信がない以上、プレゼント交換を締めに回したのは悪手だったかもしれない。幹部はこの時初めて、その考えに思い至った。
「そうだな」と返す声は平静を装うが、正直なところ、とても落ち着ける状況ではない。
片思いの相手に、いやそもそも他人様に贈り物などしたことのない男が、自ら悩み、選んだものを彼女に披露する。受け入れられるかどうかも分からない。喜んでくれるかどうかも分からない。イーガの不文律に染まっていない自由な彼女が何を好きかなんて、業務以外で話す機会を設けられなかった彼が察することなど、できるはずもなく。
しかし彼は、彼女のためにひとつを選び出した。それまで彼女の視界に入らないよう隠していた小さな贈り物を、幹部はいそいそと取り出してみせる。
その宝石みたいな瞳に期待の色が宿っているのを確かめ、静かに彼女へ差し出した。
大きくてごつごつした手の平に、ぽつんと乗せられた贈り物。なめし革があしらわれた青い箱だ。
「俺からは、これをやる」
身を乗り出して青い箱にくぎ付けとなっていた針子に向けて、幹部は厳かに蓋を開けていく。開くのと同時に、針子の瞳も比例して大きく見開かれるのが、印象的だった。
箱の中に鎮座していたのは、金色の指輪がひとつ。太陽を思わせる彫刻の周りには、派手ながら高貴な印象のある花模様が塗装されている。少し幅広に作られたそれは、一目見て宝飾に長けたゲルド族の作ったものだと分かるアクセサリーだった。
呆けたように口を開け、目を見開いたまま針子は微動だにしない。手に取って欲しくて、促すように「ん」と突きつけると、改めて両手を差し出してきたので、幹部はその小さな手の平へ静かに青い箱を乗せる。
「果物を買いに行ったと言ったろ。たまたまな、目に入ったものだから。お前にも良いかと思って」
自分の気持ちに憚らない彼女なら、すぐにでも「嬉しい」とか「ありがとうございます」とか、感想を漏らすかと思っていた。しかし指輪を箱から摘まみとっても、まじまじと見つめるだけで何も言わないし、呆けたままなので何を考えてるかも分からない。
「石付きと悩んだんだが、ギラギラした宝石よりはシンプルな方が良いかと思った。それにこういうものは、業務の邪魔にならない方が良いんだろ。俺は詳しくないが、店のやつにそうだと勧められたんだ」
「・・・・・・」
「それにしてもな、お前にこういった類のイメージがなくて少し苦労した。今度贈るときはしっかりお前の意見も聞きたいが・・・・・・あ、いや、今度があるかどうかは分からんな。今回も何せ急な話だったし、また機会があればというだけで」
「・・・・・・」
「次があればの話だぞ。次がもしあるんだったとしたら、今度は一緒に店へ行こう。お前の趣味も知れるしな。ちょうど良いよな!・・・・・・な!?」
静かな時間が過ぎるのに耐えられなくて言い訳がましいことを口にするが、バクバクと鳴り始めた心臓をそれだけで誤魔化すことはできない。
というか、なぜ黙ったままなんだ。これじゃああまり自分の趣味ではなく、ただ反応に困って言葉を考えているように思えてしまう。台座の幹部は意外と後ろ向きなところのある男だった。
最後に「・・・・・・何か言え」と照れ隠しで腕を組めば、ゆっくりと指輪から視線を外す針子の丸い目が、幹部のイーガの仮面を捉える。
行燈の光を受けて静かに瞬くその瞳が美しく、また一段と強く胸を掴まれた気がして、ぐうっと心臓に痛みが広がった。
「これって指ぬきですよね? ありがとうございます!」
にこーっと曲げられた口元から飛び出てきたのは心外な言葉だ。なんだそれは。聞いたこともない単語に思わず「ゆ、指ぬき?」と狼狽えると、針子はきょとんと表情を変えて首を傾げてみせる。
「違うんですか?幅が広くて薄めで、指ぬきかと思ったんですが・・・・・・。さすがに指輪じゃないですよね、恋仲でもないですし」
ぐさ
「それにしてもゲルドにも指ぬきなんて売ってるんですね~!アクセサリーのイメージが強かったけど、ああいうのは業務の邪魔になっちゃって着けられなくて・・・・・・。そもそもあんまり興味も無くて避けてたんですが、指ぬきがあるならもっと早く見てみれば良かった!」
ぐさぐさ
「これでお仕事いっぱい頑張れます!針仕事がはかどるような可愛い道具を選んでくれるなんて、台座さんらしいですね!明日からモリモリ繕っていきますよ~!」
ぐさぐさぐさ
言う人が言えば、そして聞く人が聞けば、その全ての言葉は嫌味にしか思えなかっただろう。しかし性質が悪いのは、針子が純粋な気持ちを吐露しているということであり、その全てが幹部の心を抉っているということである。
幹部としても、彼女が嫌味なくそれらを発していると分かるからこそ、何も言えない。先ほどまでドキドキバクバクと騒がしかった心臓が、今は別の理由でキリキリと痛んでいる。言葉一つひとつがクナイのように鋭くて、しっかりと刺し傷を作られていくような気がした。もうやめて欲しい。これ以上は立ち直れなくなるから。
こうまで言われて、今更「それは指輪だ」と訂正できる人間などこの世にいるだろうか。居たとしたらよっぽど、この度の贈り物で愛の告白を覚悟した者なのだろう。もしくは気まずい空気を楽しめるマゾヒストだ。
幹部は堪え性こそあるものの、告白への覚悟を決めたわけでもなく、マゾヒストというわけでもない。きりきり痛む胸を無意識にグッと抑え、彼女の弁を肯定することしか術がなかった。
「・・・・・・そうだ、指ぬきだ。喜んでもらえて良かった」
彼女が投げたそれらが本当のクナイであれば、全てに命中した幹部は、このとき吐血して倒れこんでいたはずである。あまりに鋭すぎたもので。
しかし、遠慮無しに右手の中指に指輪を通した彼女の満足そうな顔を見て、贈って良かったとも自然に頭へ上った。今の今までぎくしゃくとどこか堅かった身体が、何物からも解放されたような気分である。ふわっと心の内が彼女の笑顔に満たされて、プレゼント交換とは、これのことだったのかと錯覚するほどに。
確かに、思っていた通りの贈り物にはならなかった。しかし、指に装着し、行燈の光に透かして「可愛くて綺麗」とうっとりして見せるのは、はっきり指輪と認識し、贈り贈られしたとしても同じであったろう。
そう。同じだ。彼女が、自分の贈ったものを身に着け、喜んでいる。それで良いではないか。
いつまでも楽し気に、指にはめられた指ぬきを見つめる彼女に、一つ咳ばらいをする。確かに彼女からは笑顔を返されたが、これはクリスマスの交換会。ただ男から現物を渡すだけで終わり、というだけのイベントではないのだ。
「あー、俺からは以上だ。・・・・・・お前からも何か貰えると、期待していいんだよな?」
遠慮がちに言い切れば、彼女は思い出したように「あっ」と手を打って立ち上がる。そのまま布山の奥へと向かっていくので、なぜと不思議に思ったが、程なくして後ろ手に何かを隠しながら彼女が戻ってきた。
意味深げな「ふっふっふ」という笑みをわざとらしく口に出しつつ、針子はニヤリと片方の口角を器用に上げる。
「私からはこれです!じゃーん!!」
大げさなのは彼女の常。だが幹部は彼女の思った通りに目を剥いて、「こ、これは・・・・・・」と言葉を失った。
「セーターです!!私が編みました!!」
発声と同時に目の前に広げられたのは、極厚のセーターであった。針子の頭の先よりも少し高い位置で広げられたセーターは、にもかかわらず針子の足先しか覗かないほどに巨大である。もちろんそれは、幹部役の中でも巨漢と称される彼に合わせたからで、一目一目編み込んでいくことを考えると、どれほど途方もない時間がかかったことかが偲ばれた。
言葉を失ったのは素直に感動したからだ。一方的に想いを寄せている彼女が自分のことを考え、手ずから編んでくれたセーターを贈ってくれた。感動故に、言葉が出ない。それは確かである。
しかし、幹部が言葉を失ったのにはもうひとつ、明確な理由があった。聞くべきだろう。聞かなければこれを受け取る資格がない。なぜと思いながらこれに腕を通すのは失礼だ。彼は無骨ながら、クソ真面目な男だった。
「なぜ・・・・・・バナナ柄なんだ」
緑地のセーターの全面に施されたのは、ビビッドな黄色が映えるバナナの総柄。無骨でクソ真面目な鬼幹部として知られる彼にしては、いささか愉快な模様であるのは想像に難くない。
厳かにふんわりと手の平に乗せられたので、セーターと針子の得意げな過去を交互に見つめた。近くで見ても明らかにバナナの柄であるし、それが彩度の低い緑色の中で際立っている。小柄な針子娘が持っていたときは一見して布団かと空目したが、自分で提げてみれば、おそらく丁度良いサイズ感であろうことも分かる。
困惑した様子を見せる幹部に対し、針子はまたしても「ふっふっふ」とわざとらしい笑みを口にしながら、パチン、と指を鳴らして格好をつける。子供っぽい彼女は、不意にわざとらしく茶目っ気を見せるのだ。
「台座さんが好きなもの、と考えてバナナにしてみました!イーガの皆さんは全員バナナ好きですし、これさえ着ていれば、羨ましがられること間違いなしですよ!」
デザインに難しさはいらない。聞いてしまえば、いつだって理由は単純なことだ。
単純だからこそ理解しやすく、納得もしてしまう。幹部は自信満々で「可愛いでしょう!」と迫ってくるお針子娘に、「そうだな。嬉しいぞ」と返す他に言葉は無い。どれだけ平坦に紡ごうとも、その言葉以外には。
柄はともかくとして、極厚に編まれたセーターは温かそうだし、何より手が込んでいると一目でわかる。カルサー谷は朝晩の寒暖差が激しく、彼女と顔を合わせるとき、何かと「今日は寒いなぁ」と話題に困って口にしたのを覚えていたのかもしれない。
幹部としては、若さにかまけて薄着でちょろちょろアジト内を闊歩する彼女を心配しての台詞なわけだが、彼女は彼女で、「台座さんは寒がり」「隙間風の多い玄関で立ちっぱなしだから」と勘違いしている節があった。確かにそうではあるのだが、そうではない。
そうだ。冷える夜の寝間着にでもさせてもらおう。それならば最大限にこのセーターを楽しめる。
改めて、ありがとなと感謝の言葉を口にしつつそのまま引き取ろうかと思ったら、針子娘がにこにこ顔のまま、とんでもないことを口にして固まった。
「明日からは、このセーターがあるので業務中もあったかいはずです。活用してくださいね!」
どうやら彼女は、業務中の着用を想定して、この愉快なバナナセーターを編んだらしい。
本気か、と咄嗟に彼女の顔を見返すが、朴訥な童顔に冗談の類は感じられなかった。本気なのだ。まあ、彼女にしてはいつものことだった。
「いや、それは」
「すっごく編むの大変だったので、いっぱい使って欲しいです!商業班の皆さんにも見てもらいたいんです、頑張って作った私の作品を!」
「そうだな、しかし」
「これを着て台座に立ってるとこ見るの楽しみですね~。絶対かっこいいし可愛いです。早く明日にならないかな~」
「とはいえ俺にも威厳が」
「ちゃんと寸法を測って、装束の上からでも着られるように編み図を書いて編んだんで、邪魔にもなりません、安心してくださいね」
「分かった。ありがとうな」
幹部は負けた。幼子のように純粋な瞳を向ける一人の女に。
幹部は、受け入れるしかなかった。これほど自分を思いながら作られた贈り物に報いなければ、彼女に恋心を寄せる資格はないとも分かって。
こうして、イーガの中で鬼のあだ名を持つ無骨な幹部と、一人の新人お針子団員とが繰り為すクリスマスパーティは、幕を閉じたのであった。
最後の最後まで、彼女のあどけない笑顔を守れたことは、これからの幹部にとって大いなる意味を持つに違いない。そうだといいですね。
次の日。バナナの総柄セーターを着て玄関口に立つ幹部が目撃される。
見た人間全てのリアクションを困らせた彼のその姿が、暫く商業班員の間で揶揄いのネタになったことは、言うまでもない。
そして、先達針子からも指ぬきについて苦言を言われて頭を抱えることになるのだが、それは宴から数日後の話である。