【本編】鬼の幹部が恋をした!

 冬隣りの寒風が、骨身に凍みる秋の朝。
 天変地異を皮切りに朝晩の寒暖差が激しくなったゲルド地方では、ヘブラやラネールでしか見られなかったダイヤモンドダストが見られるようになった。煌めく大気と砂漠が織りなす絶景は観光客に人気だが、地元民は三日も経てば慣れてしまって見向きもしない。
 とりわけ谷に住み着く鬼共は、そもそも幻想的な風景に思いを馳せる情緒など持ち合わせているわけもない。
 それより、氷の粒が証となるその寒さが身に堪える。木の門から忍び寄る氷点下の隙間風は、通りかかる誰も彼もの身震いとクシャミを誘った。玄関で物販業務に携わる商業班の団員に至っては、身を縮ませながらよろよろとやってきて、日が昇る時間まで蹲る始末だ。
 ただ一人、中央の見張り台で仁王立ちする「鬼の幹部」を除いて、の話である。

「・・・・・・あの人、寒くないのか。あんな真正面で」
「さすが鬼の幹部、業務に対する責任感はホンモンだわ・・・・・・オレには無理だ」

 微動だにせず門構えと対峙する幹部を見て、寒さに震える団員達はドン引きながら・・・・・・否、尊敬を新たにしながら立ち去っていく。
 彼が携わっている門番という役どころは、なにかと刺激好きなイーガの団員から理解されがたい。
 同輩が帰ってくれば門を開けてやって、入団希望者であれば方法の指示。敵手であれば近場にいる者で警備隊を組み、速やかにこれを撃退する。とはいえ普段は身内しか門を叩かないのが現実で、要するに暇を極める業務なのだ。
 そんなクソほどつまらない業務と、凍えるような寒さの中で向き合っている。容赦ない態度で接しても部下からの尊敬を失わないのは、彼自身が自らに対しても容赦ないからであるのは間違いない。

 しかし、彼がイーガで確立した模範的立ち位置は、突如として心の中へ吹き込んできた突風によって、瓦解する寸前であった。
 その突風とはなにか。
 無論ご推察の通り、女である。

「幹部殿、少し良いですか?」

 寒さを感じさせない仁王立ち男の下へやってきたのは、旅人に扮装した若い団員だった。これから出立するらしく、パンパンに膨れ上がった背中の荷が、長旅を思わせる。
 幹部は謹厳な立ち姿を崩さず、なんだと見張り台の上から彼を見下ろした。

「ちょっと今回、支給のツルギバナナを少し多めに頂きたいなぁ、なんて思ってまして・・・・・・」
「なぜだ。余分に食べたいのであれば、実費で物販から購入するか、道中で探すのが決まりであろう」
「えっと、ですね、そのぉ・・・今回の諜報任務なんですが、長時間のはりこみが予想されまして」
「はッ、針子がどうしたって!?」

 急な野太い低音に団員の肩が跳ねる。大股で階段を降りてきた幹部に気圧され、団員は両手を突き出しながら後ずさった。

「は、針子!?違いますッ、”はりこ”じゃなくて、”はりこみ”です!張り込みの間はまともに動けないし、できれば多めにバナナを貰いたいって話です!」

 首をブンブンと横に振る団員に、「あ、あぁ・・・・・・針子じゃなくて、はりこみか・・・・・・」と、幹部は聞き違いを理解して小さくぼやいた。

「わかった、一房余計に持ってけ。・・・・・・その代わりしっかりやれよ」
「ありがとうございます!あと、手の中に納まるような、クナイより目立たない武器が欲しいんです。それこそ針みたいな。何か妙案ありませんか?」
「だったら縫製班に行け。針なら幾らでもあるだろう」
「・・・・・・縫製班ですか?」
「待ち針とか、縫い針とか・・・・・・」
「さすがにそれじゃあ急所を狙えないです!俺が欲しいのは暗器ですよ、暗器!」

 拳を握って何かを刺すような仕草に、再びハッとなる。

「そ、そうだよな・・・・・・だったら、女衆に簪を用立ててもらったら良いんじゃないか。あれも暗器だ」
「アッ確かにそうですね、ありがとうございます!ちょっくら行ってみます!」

 それでは失礼します、の声と共に団員が去っていく。しっかりと背負われた膨れた鞄が、ゆさゆさと彼の背中で揺れている。廊下を曲がっていくまで目で追って、それから幹部は、はぁ~と大げさにため息を吐いてみせた。

 このところ、ずっとこんな調子だ。耳に入ってくる言葉が、頭で理解する前に形を変えてしまう。よく考えれば、・・・・・・いや、そこまで考えずとも、相手がそんなことを言っているはずがないと、すぐに分かることなのに。
 今だってそうだ。はりこみが針子、暗器の話で縫製班だなんて、自分でもなんでそうなるのか意味が分からない。少し前には、張り子人形のことも針子と勘違いしたし、新人と勘違いしながらニンジンの話に首を突っ込んだ。イーガのアジトで何故そんな話題が出ていたのか文脈は覚えていないが、本当にちょっと、最近の自分はおかしい。

 もはやノイローゼ。以前から悩みの種となっている動悸や胸の苦しさも相変わらずで、本来ならば、全部ひっくるめて医療班に相談するのが一番なのだろう。しかし足を向ける気はどうしても起こらない。
 思い出されるのは、惚気を聞かされたと言わんばかりだった医療班員の声。改めて症状を伝えたところで、どうせ「はいはい恋の病ね」などと、半笑いでいなされるのがオチだ。

 結局、自分のことは自分でどうにかするしかないのだ。あの新人針子が頭に住み着いてから自身に巻き起こっている体調不良。恋の病なのか、ストレスの所為なのか。これを理論的に、正確的に、真正面から向き合って紐解かねばならない。

 実のところ、彼が守衛の任に就いている間に考えていることと言えば、ここ最近このようなことばかりであった。暇や寒さなどどうでも良い。だって頭の中は忙しく、考えている間に身体が発熱してしまうのだから。
 大仰に腕を組み、物思いに耽っているだけで、勝手に若手が尊敬してくれる。これはもう幹部にとって、僥倖としか言いようがない状況なのであった。

 そしてついに、バカ真面目に考えあぐねた結果、彼はひとつの答えに辿り着く。
 この気持ちを判断するために、自分は何をおこなっていくべきか。
 彼が下したのは、「もっと彼女と話をすべきだ」という結論だった。

 よくよく考えてみれば、彼女のことを何も知らない。分かっているのは、イーガに入団することになった経歴と、隠密集団に似つかわしくない性格をしていること。あとは、他の団員から鬼の幹部と呼ばれて敬遠されている男を、台座さんなんてふざけたあだ名で呼ぶことだけである。

 敵を攻略するために、情報がどれほど重要な意味を持つか、鬼の幹部は腹の底から理解しているつもりだ。
 体調不良を敵とするならば、その原因である彼女に詳しくなるべきだろう。医療班に言われた通り、恋の病か、はたまた単なるストレス過多なのか、会話を通せば自ずと分かるはず。
 くすぶり続ける火には雨を待つのではなく、桶で汲んだ水をぶっかける方が早く鎮火するものだ。そんなことはボコブリンでさえ知っている。さあ、解決の糸口は掴めた。この気持ちに早くケリを着けたい。

 ・・・・・・しかし、彼は今日も見張り台の上で門を睨み、立ち尽くすのみ。意気込みとは裏腹に、台座さんと初めて呼ばれたあの日から彼女とは会えてない。
 それはなぜか。単純明快、縫製室を訪れる理由がないからである。

「今日も今日とて暇ですねぇ~」
「・・・・・・うむ」

 客もなく、暇に違いないバナナ売りに同族だと見なされたらしい。その実、幹部の頭の中は別件で一杯だ。背後の男には一瞥もせず、気もそぞろに生返事をする。

 彼女と最後に見えたのは何日前になるだろうか。しかし、女に会いたいというそれだけの理由で縫製班を訪ね、談笑に耽るなんて彼には選べない。イーガという集団に身を捧げてきた信条を壊すようなものなので。

 まとめ役を担うようになったからこそ他の部署に赴いているが、元来守衛番は動かないことこそが業務なのだ。彼女の来訪を待つしかないという事実が、どうにも歯がゆくて心が疼く。
 頭に浮かぶのは、数日前に自分を覗いてきた朴訥な瞳。その中に映っていた自分自身は、酷く間抜けだった。彼女にもそう映っただろうか。もう少しゆっくりと話をすることができれば、あれは普段の自分とは違ったのだと伝えられるのに。

「・・・・・・んな・・・・・・旦那ってば」

 腕組みをしながら悶々と考えを巡らせていると、揺れる何かが視界に入ってきて我に返った。
 さっきまで物販にいたバナナ売りが、気付けば眼前に居る。ブンブンと顔の前で揺れていたのは、遠慮のない彼の手のひらだった。
 「どうかしたか」と、何事もなかったかのように仰々しく取り繕う。いつから惚けていたのかは考えない。「やっとか」と言いたげなバナナ売りのわざとらしいため息が、強めに背中を叩いてくるようで痛かった。

「さっきから随分説明してるのに!ちょっくら用事があるんで席を立ちますよってんです。ほら、他の野郎どもも離席してるから」

 なに?と辺りを見回せば、確かに人っ子一人いない。離席の確認をその都度おこなっているわけでもないので、今の今まで一切気が付かなかった。
 商業班員は、不埒者がやってきたときの警備隊の任も兼ねている。万が一の事態が訪れたときに誰もいないと困るので、最後の一人ともなれば、幹部に一声かけるのが暗黙の了解である。
 しん、と静まり返った玄関ホールは別段珍しい物でもない。しかしこの時ばかり、どうにも寝首をかかれた気になって、天井にも壁にも置いてけぼりにされたようだった。

「他の奴らはどこへ」
「知りませんよ。手水場か、早い昼飯か、商談で外にってやつもいるんじゃないですか?」
「お前はどこに行くつもりだ?」
「売りもんの敷物がさすがにボロくなってきちまったから、縫製班に行って布を貰ってこようかと」
「縫製班に行くのか!?」

 思わず身を乗り出した幹部の声に、バナナ売りはギョッと身を縮めた。巨躯の圧迫感には見慣れていようとも、普段は落ち着いた人物が急に発する大声にはギクリとするものだ。
 「ええ、まあ・・・・・・」と、いつもの闊達さを潜ませた男の言葉に、幹部は握ろうにも開こうにも落ち着かない手の平を戦慄かせた。

 自分がこれほど脚を向けたいと願う場所へ、今まさに目の前の男が行こうとしている。どれほど来訪の理由を探そうと見当たらない新人針子・・・・・・もとい、縫製班の元へだ。バナナ売りが恨めしいが、そんなことは口が裂けても言えない。
 そもそも商業班は布を扱う機会が意外に多く、縫製班と通通であるらしかった。その一方で、彼らをまとめるだけの幹部は、装束が破れたときくらいしか世話になることがない。正直言って、わざと破いてしまおうかと考えたこともある。指先でつまんだ布を寸でで離せたのは、彼にまだ理性が残っていたからである。
 幹部役も、敷物を使うような業務に当たっていれば良かった。バナナ売りの代わりに縫製班に行ってやりたい。業務を肩代わりするようなことが出来れば良いのに・・・・・・。

 と、ここまで考え、幹部はふっと閃いた。そうだ。代わりに行ってやれば良いのだ。
 ん、んんとわざとらしく咳ばらいをして、バナナ売りの注意を引く。つい、と向けられたイーガの一つ目。動きもしないその瞳に胸中を覗かれでもしないよう、幹部は無理くりに胸を張った。

「その業務、俺が代わりに行って来よう」

 「えッ」とバナナ売りが素っ頓狂な声を漏らす。それでも幹部は、堂々と彼を見下ろすだけだ。

「旦那が?なぜです?」
「俺も縫製班に用事があったのを思い出した。ついでだから、お前のも行ってきてやろうかと思ってな」
「じ、じゃあ俺は後で行きますよ。旦那が帰ってきたら、昼飯がてら向かいまさぁ」
「同じ班で業務をまとめられるならば、一度に行った方が良いだろう。何度も何度も別の団員に来られては、針子も対応だけで手一杯になるしな」
「でも、・・・・・・幹部役に雑務を任せるなんて・・・・・・」
「なに、気にするな。自らの部員を気に掛けるのが幹部の役目だ」

 我ながら完璧な作戦だ。言い切ってしまえば、さも他意なく業務を告げる大男に見えるはず。目論見通り、バナナ売りからは「左様ですか」と納得したような返事が返ってきて、幹部は内心で拳を握った。
 まとめ役としての責任を果たすだけで彼女に会えるのだから、これ以上の理由はない。

「あ、なんなら俺がまとめて行きましょうか。旦那も忙しいでしょう」
「いや俺が行く。業務の相談をするのだ、俺自身が行かんと話が進まん。お前はここに残れ」

 有無を言わさない物言いは鬼の幹部の常ではあるが、その気迫はいつにも増して凄みがある。いくら歴の長い団員とはいえ、一介のバナナ売りがそれ以上の物言いを出来るわけもない。
 「あ、あ~・・・・・・さいですか・・・・・・じゃあ」と、遠慮がちに差し出された敷物を、幹部はむんずと掴んで受け取った。

 雑に畳まれた敷物は、ボロさよりも茶色に変色した染みが目立つ。なんとなく甘ったるいにおいも漂い、到底、食品が置いてあったとは思えないほどに汚かった。
 もしや、洗ったことがないのだろうか。バナナ売りが律儀ではないと知っていたが、まさか、一度も?
 衛生的にも、さすがに問題がある。潔癖の気がある幹部は、もっと早くに声をかけるべきだったかと自身の管理の甘さを痛感しつつ、眉間に皺を寄せた。
 
「サイズと、色と、布の厚さと、同じくらいの奴を頼みます」
「・・・・・・分かった。少し待ってろ。その代わりに守衛は頼んだからな」

 敷物の取扱いについては今後指南するとして、とりあえずは縫製班だ。普段は無駄口や茶々が多くて面倒な男だが、今回ばかりは彼の存在に助けられた。用事があるという言は真っ赤な嘘だが、これならば周囲から疑われることも、信頼が失墜することもありはしまい。

 行ってくると残し、颯爽とバナナ売りの横をすり抜ける。意気揚々と大股で廊下に向かう姿は、まるで拙いスキップをしているようでもあった。





 鬼の幹部がようやく掴んだ、縫製室への機会。
 あの屈託のない新人針子に再び会えるかもしれない、最大のチャンス到来である。

 迷路のように入り組んだ廊下の先を真っすぐに見つめながら、幹部はほとんど無意識に進んでいく。何度曲がっても目的地に着かない細道は、ここしばらくの頭の中のようでもある。
 毎日起きがけに、今日こそはと期待した。昼間は来訪の理由を探し、今日も叶わなかったと想いを燻らせて床に入った。何日もぐねぐねさ迷い続けた暗がりを、これでようやく抜けられる。

 会えると決まったわけではない。彼奴は新人で、ちょうど届け物をしに席を立っている可能性もある。そわつく胸を押さえなければ、バカを見るのは自分自身だ。
 でも、もし今日、本当に会うことができたらば。
 ふわ、と頭の中に浮かんできたのは、朴訥な彼女の瞳。幹部は手の中の砂っぽい敷物を無意識に握る。

 まともに話がしたい。まだ人となりすら知らない新人と、何でもない日々の話がしてみたい。
 初対面では怒鳴り散らし、前回なんて、急に口へ出された「台座さん」というあだ名に気を取られて、説教をしてしまった。幹部役としていくら正しかろうと、感じの良い出会いだとは到底思えない。一方的なやりとりだった。

 理想は、飄々とした主君が、若手団員と交わしているような世間話だ。
 となるとここは、気候の話題から入るのが鉄則だろうか。それとも、イーガに馴染めたかどうかを、いの一番で聞いてやるべきだろうか。
 ・・・・・・いや、そういえば自己紹介をしていない気がする。相手の信頼を得るためにも、まずはそれから始めるべきか・・・・・・。

 腕を組み、背中を丸めながらブツクサと独り言を続ける巨漢の姿は異様だ。彼を横切る団員は声を掛けようとして寸でのところで皆やめて、目線を合わせるべきか逸らすべきか決めきらない不格好な会釈で通り過ぎていく。もちろん幹部がそれに気づき、咎めるようなことはありはしない。

 廊下の奥に、縫製室の扉が見えた。戸もカーテンも無い入口越しに、団員が一人座り込んでいる。──新人の針子だ。
 どくん、と一度心臓が大きく高鳴って、それからとめどなくなる。急に染み出してきた汗が装束の中に滞って気持ちが悪い。一歩一歩近づいていくが、気配をまるっきり消した幹部に彼女が気付いた様子はなかった。
 とりあえず天気の話から始める。それは良い。しかし、いざ目の前にすると、なんと声を掛ければ良いか分からない。
 よお? いや・・・・・・、元気か? ・・・・・・違うか。ちゃんとやってるか。・・・・・・ううん・・・・・・。

「ん?」

 ぱっ、と彼女の顔が持ち上がる。直前に、幹部はビタンッと扉の傍に張り付いて姿を隠した。
 バクバクと鳴り続ける心臓。まともにできない呼吸。全身の発汗。例の体調不良が発症しているのは明らかだ。挨拶すら決めてない以上、彼奴と対面するのはもう少し、心臓が落ち着いてから──。

「幹部さん?そこで何してらっしゃるんですか?」
「どわッ!?」

 ひょこ、と戸の奥から生えてきた幼顔。まさか突拍子もなく下から覗き込まれるとは思いもよらず、遠慮なしに声が出た。
 この拍動の騒がしさは、決してときめきとかそういう類のものではない。まるで幽霊でも見たときのような・・・・・・。いや、見たことなど実際にはないが。
 ともかく幹部は心臓の音を誤魔化すように、荒くなった息で怒鳴った。

「急に声をかけるなバカモノ!驚くだろうが!」
「だって、壁に隠れてるから・・・・・・。びっくりしたのはこっちの方です、まさか台座さんだなんて!危ない人かと思いました!」

 正論だ。女一人で過ごす部屋の前に、大男が隠れていたら確かに恐怖もあろう。
 「む・・・・・・それは確かに・・・・・・すまん」と謝る。が、しかし、このまま言いくるめられるのは幹部の役どころが泣く。

「・・・・・・それはさておき、お前また仮面を外してるのか!?いい加減にここの不文律に従え!」

 針子はまた、額にイーガの仮面をかけて素顔を晒していた。
 鼻先に遠慮なしに指をつきつけると、しかし彼女はここぞとばかりに胸を張る。

「台座さん、針子の仕事を全然分かってませんね!仮面をつけて針仕事ができると思ってるんですか!先輩もみんな作業中は仮面を外してます、私だけじゃありません!」

 ・・・・・・確かに、縫製室にやって来る度、慌てた様子で仮面を弄る先達の針子を見たことがある。そういうことだったのか、と初めて腑に落ちた。と同時に、確かにそれもそうだという納得も。
 上手い反論が思いつかず、暫し彼女と睨み合う。
 一生懸命に吊った彼女の表情は初めてだ。無理に寄せられた眉間の皺に、オタテリスが口の中いっぱいに木のみを含んだみたいな頬。灯りを反射する光の横に、また自分自身の姿が見える。
 じわ、と胸元から熱が立ち昇ってくるのを感じ、それが耳にまで到達した瞬間、幹部は仮面の下で視線を逸らすしかなかった。それでも留まることを知らない熱に、ふっと身体を反転させる。・・・・・・要するに、彼女の朴訥さに白旗をあげた。

 「・・・・・・だったら仕方ないな。見逃してやる」と苦し紛れに言えば、針子はその瞬間、勝ち誇ったようにへらりと表情を崩して見せた。

「それで、何か御用ですか?今は私しかいませんが、伝言なら承りますよ!」
「いやなに、そこまでのことじゃない。・・・・・・これなんだがな」

 敷物を差し出すと、両手で受け取った針子が首を傾げた。

「これって?」
「売り物を乗せる敷物に使っていた。ボロくなったから同じようなものと変えたいんだ。ちょうど良い布はあるだろうか」

 敷物を広げた瞬間に、甘ったるいバナナのにおいが漂い、ざらざらと砂粒が落ちた。玄関先で使う敷物はいつもこうだが、予想以上に砂汚れがひどい。
 「うわぁ」と一言唸った針子は廊下の隅でバサバサと扇ぎ、それから縫製室の床に広げた。
 しげしげ眺める彼女は、特に何も言わなかった。しかし、茶色い染みに釘付けとなった顔を見れば、何を考えているかくらいすぐ分かる。

「・・・・・・俺の持ち物ではないからな?バナナ売りから頼まれたんだ。ボロくなったら定期的に替えるみたいでな・・・・・・」
「なるほど・・・・・・少し、待っててくださいねぇ!」

 これが自分の所業だと思われたら最悪だ。思わず零した言い訳に、針子は是とも否とも示さず素直に頷く。どちらともとれる淡泊な反応に言い訳を重ねたくなったが、寸でのところでやめておいた。

 敷物を指先で擦り、えーっと、と立ち上がった彼女が向かったのは、壁際に積まれた布の山だった。
 イーガで利用する生地の全てが、この縫製室に集められている。棒状に丸められた生地の山や、四角に畳まれて積み重ねられた生地の塔。そのどれもこれもが赤いのは、まさに集団の象徴でもあるからだ。イーガの装束を始め、暖簾や砂除け、風呂敷にも赤い布を利用している。違うのは素材や薄さだが、素人のパッと見では分かるわけもない。

 しかし、一つひとつを指先で擦っていく針子はさすがだった。ふんふん頷きながら次々に渡っていく指先は、随分ためらいがなくて感心する。
 それと同時に、絶妙なバランスを保つ布の塔が、触っていくうちに崩れやしないかと妙にハラハラした。
 商業班の団員相手なら、遠慮無しに「バカモノ!」とでも怒鳴っただろう。しかし、疼く唇を噤めたのは、彼女の仕事ぶりを尊重したかったからこそ。真剣な瞳の彼女は、なんせ入団したばかりの新人なのだ。

「あっ、これが良さそう!」

 ぱっとその場で膝立ちになり、布の中腹辺りをひっつかんだ。途端、変に傾いた塔を見て、幹部は慌てて「待て!」と背後へまわる。
 彼女の頭の上で布を押さえてやれば、自分の影の中に収まったおぼこ娘が、何も分かっていないようなキョトン顔で見上げてきた。

「無理に出せば崩れるだろう!・・・・・・押さえててやるからそのまま引け」
「あ、確かにそうですね、ありがとうございます!台座さん!」

 へら、と照れたように針子の頬が緩む。その顔を見た瞬間、日光に刺されたときの瞼のような痛みが幹部の胸を襲った。暗がりと思えないほどに、その頬が眩しく見えて、下唇を噛んで誤魔化した。
 針子がそれに気付くわけもなく、ぱっと布山に振り返り、布を抜き出そうと力を込める。その指先は、さっきと打って変わって慎重で、僅かに見える瞳も酷く真剣だった。

 ──やはり、真面目ではある。あれだけヘラヘラと笑っていた彼女の変わり身には少し驚かされる。注意されたことを即座に理解し、素直に生かす振る舞い。いつか先達の針子が言っていた言葉を思い出す。
 何事にも前向きで、明るく、一生懸命。その評価はどれも的を射ている。ついでに、イーガのルールを教えるのが大変、という言葉もだが。

 社会からのはみ出し者として、イーガに在籍する人間はみな捻くれている。
 言葉遣いは荒く、不真面目で、自分勝手なやつばかりだ。馬宿で働いていても不思議じゃない若い娘が選ぶ場所として、ここは物騒すぎる気がする。
 ・・・・・・なにか、のっぴきならない理由でもあるのだろう。イーガの団員はおしなべてなにかを抱える人間ばかりだ。彼女もきっと、そうなのかもしれない。
 艶々と行燈の光を跳ね返す黒い髪の毛が、影の中にあっても閃いて見える。さらりと揺れる真っすぐな髪は随分柔らかそうで。・・・・・・本当に、イーガの団員のそれとは、似ても似つかない。

「取れました!ありがとうございます、台座さん!」

 それまで真剣に布へと注がれていた顔に見上げられる。まるでイーガでは見たことのない満面の笑みで、しっかりと弧を描いた瞼と口元にも見慣れない。でも、悪い気もしなかった。むしろ、ずっと見ていても飽きやしない。そんな風に思ってしまったのは確かだ。
 彼女はきょと、と目を丸くして、いそいそと身体を反転させた。抜き取ったばかりの布を抱きしめて、顔を埋めながら目だけで幹部を見上げる。

「台座さん、取れましたっ。もう押さえなくて大丈夫です。台座さんがそのままだと、えっと・・・・・・動けません!」

 急に八の字になった眉に首を傾げる。動けないとは・・・・・・どういう、と言いかけて、幹部はやっとハッとした。
 布を押さえるといいつつ、膝立ちした彼女を天蓋の如く上から覆っている。まるで布山に彼女を追いたて、体全部で牢を作っているような。
 これじゃあまるで、若い娘を襲う寸前の悪漢──今この場に誰か来たら、到底言い訳もできない恰好なのは間違いない。

 囲いを作っていた腕をパッと後ろ手にし、「す、すまんッ」と上ずった声で後ずさった。
 若い娘に、あり得ない。矜持ある幹部役としても、ましてや、自分の胸に掲げる信条を考えても。

 しかし、彼女はさほど気にした様子もなくすっくと立ち上がり、幹部の横を通って布をばさっと部屋に広げた。何も気にならないのか、それとも気にしないようにしているのか。
 淡々と作業に戻る肝の座りっぷりには感心する。その分幹部は、周囲に積まれた部屋の布布に、後ろ指でも指されてでもしているような気になった。

「ありゃあ、ちょっとだけ大きい。これは切らないとダメですね」

 元々の敷き布に重ねると、縦横それぞれで手の平ほど差があったらしい。
 幹部が上から覗き込むのとすれ違いで立ち上がった針子は、「どこだっけなぁ」といいながら道具の詰まった木箱を漁り始めた。「あったあった」と、布の四つ角に文鎮を置いて、また「えーと」と呟きながら木箱へ向かっていく。
 戻ってきた彼女の手には、随分大きく見える裁断用の鋏。布の前に厳かに正座をし、ひとつ深呼吸して見せる。それから彼女は、拳ひとつほどの距離で爛々と布を睨み、ゆっくりと鋏の刃をあてがった。

 「適当に使う敷物だから、そこまで慎重じゃなくとも」と口に出かかったが、彼女は酷く真剣だ。余計なことをいって水を差したくない。
 ショリ、ショリ、と布を断つ音だけが部屋に鳴る。
 道具を求めて部屋の中を歩く足取りは頼りなげだったが、なかなかどうして鋏使いは様になっている。気付けば息を止め、彼女の眼差しに目を奪われるくらいには。
 こんなにまじまじと、女の顔を見たことがない。行燈の灯りで、瞳に落ちた睫毛の影が長かった。瞳は黒だろうか。薄暗いアジトの中でしか見られないのが、少し残念だ。

 ちゃきん、という小気味よい金属音を最後に、針子がふーっ、と大袈裟に息を吐きながら身体を持ち上げる。
 完成か。つられて胸を緩ませる。しかし、彼女はまたおもむろに立ち上がり、今度は木箱から刷毛と陶器のツボを手に戻ってきた。

「それは?」
「[[rb:膠 > にかわ]]をマモノ素材と合わせた解れ止め液です、切ったままだと糸が出てきちゃうので! これで仕上げたら完成ですよー!」
「ほお、そのようなものがあるとは知らなかった。さすがだな」
「本当は糸で止めた方が良いんでしょうけど、すごーく時間がかかっちゃうので」

 今まさに断ち切った布の端を繊細な刷毛使いで撫でると、トロッとした茶色の液体が沁み込んでいく。
 解れ止め液の存在も、布端の処理も聞いたことがなかった幹部は、しなやかな指を目で追うばかりだ。爪の先についた膠さえ黒光りして得意げに見える。
 塗り終わった針子が、布の角を持って扇ぎながら立ち上がる。宣言通り、これで作業は終わりらしい。
 大人一人が寝転んでも余る大きさの布だ。膝を駆使して畳みだす針子に手を貸そうかと立ち上がるが、提案をする前に両手へ乗るサイズに整えられた。

 「はい!これで完成です!」と差し出された、新品の敷き布。それに、針子の屈託ない笑顔。
 遠慮なく向けられたそれらに視線を落とす。手早く受け取らなければ不自然だ。
 しかし同時に頭の中で声が響く。
 このまま受け取ればすぐさま帰ることになる。果たして本当に、それで良いのか、と。
 体調不良の原因を探るため、自分は縫製室にやってきた。彼女となんでもない話をし、どんな人となりなのかを知りたかったから。
 しかし、蓋を開けてみればどうだ? 世間話らしいことなんて、何一つ交わしていない。ここへ来る前に腹の中で決めた気候の話はどうした。イーガに馴染めたかどうか質問するんじゃなかったのか。自己紹介は?あれだけ悶々と考えていたのに、なにひとつ話題に出せていない。

「・・・・・・台座さん?」

 きょとん、と首を傾げられ、幹部は白か黒かを決めきらないまま、敷物に指をかけた。「助かった、感謝する」とゆっくり引き寄せながらも、頭の中では続けるべき言葉をおおわらわで考える。
 もう少し彼女と話がしたい。なにか。何か一言で良い。せめてもう少し、彼女と他愛ない話ができれば──。

「そういえば、私が縫った装束は、あの後どうですか?変なとこありませんか?」

 唐突に耳を打つ話題。通りすがりに腕を掴まれるような感覚に、幹部は「装束?」とハッとなった。
 言葉を重ねるより先に、針子が幹部の周囲を回り出す。顎に手をかけ、装束の縫い目一つひとつに目をこらす顔は真剣そのものだ。
 しかし幹部は、何か珍妙な動物に囲まれた草食動物になったようで、なんとなく彼女を目で追うことしかできない。

「あ、ああ、直しで返ってきたものに関しては申し分ない。・・・・・・最初はどうなることかと思ったが、しっかり業務に従事しているらしいな」
「もちろんですよー。素直で物分かりの良いところが私の長所です!台座さんにはご迷惑おかけしまして、大変すみませんでした」
「理解したなら良い。・・・・・・それはそうと、その台座さんはどうにかならんのか。仮にも俺はお前の上司だぞ。普通に幹部と呼べ」
「でも、幹部さんってたくさんいらっしゃるし・・・・・・じゃあ、お名前教えてください!名前で呼びます!」

 名案を思い付いたとでも言いたげにパッと弾けた表情に、幹部は思わず「ばかもの」と返す。

「イーガの団員として従事する間に、個人の名などない。我々はただの陰。・・・・・・お前、他の団員にもそうやって本名を聞いて回ってるんじゃないだろうな」
「うー、じゃあどうやって呼べば良いんですか?皆さん、生活しづらいでしょう」
「大体が役職で呼んでいるな。バナナ売りとか、鍛錬班幹部とか」
「台座さんの役職は?」
「一応俺は商業班兼守衛番だ」
「でも縫製班も見てますよね?他にも、おまとめ役?とか」
「まぁ・・・・・・そうだな」
「どの役職で呼べば良いんですか?商業班幹部さん?守衛番さん?まとめ役さん?」

 言い募られ、改めて考えるが確かにどれもしっくりは来ない。そもそも彼は普段から役職名で呼ばれておらず、不服ながら「鬼の幹部」という通名で呼ばれることがほとんどだった。
 いつの頃から呼ばれ始めたかも覚えていない、思い入れのない呼び名だ。畏怖の意味合いが強いと分かるために、上に立つ幹部役としてちょうど良いという理由だけで甘んじていた。

 そのあだ名を、彼女にも呼ばれる。今までそう呼ばれていたというだけで。他の団員たちと同じように「鬼の幹部さん」と、畏怖を込めて、彼女から?
 今までだって、彼女の存在が近かったわけではない。しかし呼び名とは不思議だ。たった一言変わると想像しただけで、彼女との間に仕切り布ができるように感じてしまう。決して取り払えない、厚い、ゴワついた仕切り布が。

「・・・・・・台座さんで良い」

 ぼそりと呟くと、彼女から「えっ、良いんですか?」と意外そうな声が返ってきた。

「ただし、大声では呼ぶなよ。あと、周囲に団員が居る時はなるべく控えてくれ。俺の沽券にかかわる」

 難しい顔をしていた針子の表情がにんまりと解れていく。「分かりました!」と敬礼する姿勢は一人前だ。しかし、こんなに楽し気な敬礼は見たことがない。今まさにぴょんぴょん跳ねて、小躍りでも始めそうな敬礼。壁際の行燈は彼女だけを照らしているように見えた。

 面下で頬が緩み始めるのを慌てて引き締め、さすがにそろそろ帰らねばと思いたつ。このまま居続ければ、失うのは自分の信条だけに留まらない。
 「そろそろ行く。ではな」と告げて踵を返す。間髪入れずに、背中へ「お疲れ様です、台座さん」という声が追ってくる。その声は、口端がしっかりと持ち上がった時の音で、やっぱりどうしても頬が緩んで仕方なかった。

 縫製室から出て暫くしてからちらりと見遣ると、針子は既に次の作業へととりかかっているようだった。窮屈な部屋の中で、針子は一生懸命にうろうろと歩き回っている。
 暗い廊下の行き先に浮き上がる四角い景色を視界に収め、鬼の幹部は大きく息を吸いながら、その場を後にした。

 玄関へたどり着き、いの一番に出迎えたのは守衛を任せていたバナナ売りだった。

「お帰りなさいまし。なんだかご機嫌ですね」
「ん、まあな」
「縫製班との仕事の相談、上手くまとまったんで?」
「おう、まあな」

 こうまで他人に心情を悟られるのは、隠密にとっての恥だろう。しかし、今日はおよそ欠点が無いくらいの完璧な日になった。業務に差支えさえなければそれで良い。

 彼女に会えないのであれば、会う理由を作れば良い。全く単純なことだった。これで漸く、体調不良がただのストレスなのか恋の病なのかどうか、白黒つけられる。
 無意識に拳を握りしめた幹部が考えだしたのは、次なる一手だ。

 バナナの置かれた新品の敷物だけが、幹部の仮面に閃く微光を緩やかに見守っているようだった。


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