【本編】鬼の幹部が恋をした!
朝。鬼の幹部は出勤してきた商業部の団員を集め、会合を開いた。
昨日の売上、物品の入荷状況、各団員のスケジュール確認。「なにか連絡事項のあるやつはいるか」と問われ、誰もなにも言わずにしんとする。
淡々と進む会議は、なんの変哲もないいつもの光景そのものだ。幹部が冒険者に変装し、パンパンに膨らんだ背嚢が足下に置かれていること以外の話である。
短髪の黒髪、精悍な顔つきの青年に扮した幹部は、すんとした顔で締めの挨拶に入った。
「では、事前に伝えてあった通り、俺は今日一日アジトを出る。門番をよくよく任せたのと、急務があれば裏手の流通班幹部へ頼むように」
解散。高らかに放った宣言の後、なにか言いたげな沈黙。しかしそれもほんの一瞬のことで、商業班員たちは意味ありげな視線を残しつつ、気だるげに店の方へ散っていく。
そのじっとりとした視線が、商談に対するアドバイスをしてやろうという善意の視線ではないことを知っている。
幹部は「さてと」と背嚢を背に負った。
「まさか旦那が、本当に外出することになっちまうとはね」
すぐ背後で呆れたような声が聞こえた。首だけで振り返れば、会議のときから微動だにしていないバナナ売りが背中を丸めて突っ立っている。
忙しいはずの朝だ。さっさと業務に入ればいいものを、一言言わないと気が済まないらしい。面倒極まりない部下の性分に、幹部は小さくため息を吐く。
腰に手を当て、舐めるような角度で睨むバナナ売り。上司であるはずの幹部に、まるで喧嘩を吹っ掛けでもするかのようにチンピラめいた姿勢である。
「俺が適当こいた売り言葉を旦那が買い叩くなんてねぇ。心底自分の放言癖が嫌にならぁ」
「そういうな。実際、俺はこれでも感謝してるくらいなんだ。行商人とのやり取りが上手くいけば、ぽかぽか薬が手に入る。逆に上手くいかなければ、少なくともお前の溜飲は下がるだろ。大いに勉強させてもらうとしよう」
「まあそっちもそうですがね。俺が言ってんのはデートの方でさァ」
さらりと言ってのける三文字。即座に掻き消すよう、断固として吠える。
「だからっ、デートじゃないと言っているだろうが! 単にこれは業務の一環! あいつを連れ立つのはたまたまタイミングがあったからだ!」
「そうは言っても旦那~、若い嬢ちゃんと二人っきり、しかも相手はハート刺繍の娘っ子って話じゃないですか。デートじゃないって方が無理だって自分でも分かってるでしょ~」
「断じてッ、デートじゃッ、ない!」
棘売りに端を発した『鬼の幹部殿は縫製班の新人とデートするらしい』という話は、演出じみた内容を孕みつつ商業班員に拡散されている。
長い付き合いの間柄だ。目が合う度に「デートといやぁカラカラバザールです、旦那」「デートすんなら相手の子にサイフなんて出させちゃダメですよ、旦那」「デートで良い雰囲気になったら、すかさずキスしちまったらいい、旦那」などと軽々しく助言し始めるものだから、この二三日に溜まった鬱憤で堪忍袋はタプタプであった。怒気を帯びた訂正で発散してきたものの、普段は物分かりの良いバナナ売りまで揶揄してくるのだから、いよいよ鬱憤水が氾濫し、ついでに緒まで千切れかけている。
しかしこのバナナ売り。大概の団員が萎縮する幹部の咆哮を意に介さない。あまつさえ感慨深そうにウンウンと唸ってみせるのだから、それなりの修羅場をくぐった商売人は根性逞しい。
「いえね、旦那。俺ぁ喜んでるんですよ。ちょっと前まで色恋のことを軽んじてた旦那が、ついに恋の深穴に真っ逆さまってね。つまり、この前言ってた腑抜けとか面倒事とか、今全部自分に返ってきてるってこった。しんどいっすねぇ。ケケケおもしろ」
「貴様それ以上俺をこけにするなら分かってるんだろうな。鬼の幹部のあだ名は伊達じゃないと教えようか」
「でも実際、夢中になれる相手を見つけたってのぁ、なんとも良い話じゃないですか。だって針子ちゃんにマジなんしょ?」
「バカ言ってないで仕事につけ! お前だって商談があるんだろう!」
しっしっと払われたバナナ売りはケケケとまた笑い、「ポカポカ薬、頼みましたからね」と残して下がっていった。それからも横目で振り返られ、わざとらしく口元に手を当ててシシシとわざとらしく笑って見せる。
しかしよくよく見れば、既に物販についている他のやつらも露骨にこちらを向いている。仮面があってさえそれが分かるのだから、野次馬を隠す気もないらしい。
幹部は舌打ちする。「行ってくる!」と最後に怒鳴って、一つ目の視線がやかましい玄関から抜け出した。
既に朝暘を迎えた時刻である。カルサーの谷間は薄暗いが、パックリと割れた崖あいの高いところには、青く澄み渡る空が覗く。微かに見える照らされた崖上も、日陰とは違って煌々と真っ白だ。今日も暑くなるんだろうか。シマオタカの歌うような鳴き声が、谷渡りの風に混ざって辺りへ響いている。
朝のキンと冷えた空気に手のひらを擦りながらも、小柄な人影を目で探った。しかし、目に入るのは赤茶の岩ばかりで、誰かいそうな気配は微塵もない。
まあ、何事もマイペースな彼女が後から来ることなんて、想定内だ。少し行ったところで壁に凭れ、門扉を睨みながら待つことにした。
この時間はまだ寒く、ポッケにルビーの懐炉を忍ばせておいて正解だった。片手だけでも温めながら、ふと、彼女はこういった類いの準備はしてきていないだろうなと想像する。
先日の相談会で告げたのは、「先達にしっかり話を聞き、砂漠渡りに相応しい準備をしてくるように」とだけ。あの時は慌てていたし、すべて先達に丸投げしたようなものだ。はてさてどこまで仕上げてくるか。
あの門扉からひょこっと現れて、「台座さん、お待たせしました!」と針子は現れるだろう。それから鼻先を赤くさせた彼女が、こちらに向かって小走りでやってくる。大袈裟に息を荒げて、その吐息がすべて白いモヤになっていて。
そこまで考えて、胸の辺りが妙にざわっとした。
唐突の実感。これから彼女と二人きりになる。
さんざ否定はしたものの、言い逃れなんてできようか。世間一般の感性であれば、これはデートと呼ばれる類の外出なのだ。
「いやッ、デートじゃない。これは違う。そうじゃない」
幹部は頭を振る。しかし次々に胸中へ立ち上る自分の声が、否定を許さない。
彼女もそう思っているだろうか。これを機に、もしや少し関係が深まる可能性もあるのだろうか。
すべてを振り払いたくて、ダンッと足を鳴らした。
「断じてっ、違う!」
「何が違うんですか?」
「どわっ!?」
突然の声に心臓が飛び跳ねる。脇の下からひょこ、と覗き込んできたのは、正に待ち人である針子だった。
この光景、既視感。「なぜお前はいつもいつも!」と苦言を呈せば、針子は露骨に唇を尖らせてみせた。
「えーっ、声かけましたよ。台座さんが気付かなかっただけです、お待たせしましたって言いましたもん」
それが事実ならとんでもない失態である。失速して「む・・・」と唸れば、しかし妙なことに気づいた。
自分を見つめる真ん丸の瞳。ふっくらとした血色の良い頬、それにちまりとした唇。普段の生活で仮面から覗く相好と、一切変わっていないような。
イーガ団員は外出の際、業務だろうがプライベートだろうが、徹底した変装が義務付けられている。もちろんそれは素性を隠すための不文律なわけだが、目の前の娘は物々しい冒険者の服に着替えただけで、お世辞にも変装とは言えない見てくれであった。
まさか。「お前・・・その格好・・・」と指をさせば、針子は幹部の疑念に気付かないらしい。申し訳なさそうにするでもなく、むしろこれ見よがしに披露するかのように両手を広げてみせた。
「言われた通り、砂漠渡りにぴったしな洋服を着てきました! いつもの装束の方が動きやすいですが、これもなかなか可愛くっていいですね」
「そうじゃなくて、変装はどうした? 術は?」
「あ、えっと、どうにかしようと思ったんですが、その・・・上手くできなくて・・・」
気まずそうに視線を逸らす針子に、幹部は頭を抱えたくなった。呆れた。術を扱えなかったとしても、化粧なりなんなりできたろうに。
「だ、ダメですか」と、可愛さを全力で利用した上目遣いで同情を誘ってこようとするのだから、いや彼女にそんな策謀が図れるとは思っていないが、幹部は弾かれたように荷物からあるものを取り出した。
「せめて髪の毛を隠せ! まったくっ」
ぽすっ、と頭に乗せてやったのは、くたびれた折編み笠だ。「おわあなんですかこれ」と大騒ぎする彼女は、シーカーに伝わるこれを見たことがないらしい。
折編み笠は、カカリコ村で今も使われる伝統の民芸品である。いぐさを半月型に織って作る笠は通気性に富み、砂塵や直射日光から身体を守ってくれる。あの湿地に伝わる道具がこんな乾燥地帯でも活躍するのだから、さすが知の民と謳われるシーカーであろう。
首の下で紐を結んでやりながら滔々と語るものの、針子からは「そうですかぁ」と生返事しか返ってこない。「できたぞ」と目を上げれば、なぜか彼女がいやに真剣な顔をしていた。
見つめているのは、おそらく自分。思わず怯むほど、黒い瞳が爛々としている。「・・・どうした」とどぎまぎしながら眉を顰めると、針子はいっそう目に力を込めて言った。
「台座さんの顔、初めて見たなと思って・・・なんだか不思議な感じです」
「ばかもの。変装してるに決まってるだろう。素顔とは似ても似つかん」
「そうなんですね」と言いながらも、彼女はまじまじとした視線を崩さない。加えて、今にも手を伸ばしてペタペタ触ってきそうじゃないか。
変装とはいえ、なにも身に着けない状態で注視されるのは居心地が悪い。すぐさま逃げるべきなのに、しかしなぜだか、針子の顔から目が離せない。
よくよく考えれば、装束以外の姿を見るのはこれが初めてだ。軽鎧 の下には厚手のシャツを仕込み、動きやすそうな短パンとレザーのハイブーツ。ベルトでしっかりと固定し、ウエストポーチですべてをまとめあげている。あどけない顔のまま野性的な服を着るのに、なぜだか胸がぎゅっと詰まるようだった。
ふい、と暫くしてやっと背を伸ばす。仮面がないとこうまで視野が変わるのかと、改めて突きつけられた気がした。
「素顔なら・・・顔を誰ぞに覚えられると困る。お前は、あまり前へ出過ぎないように」
苦し紛れに言葉を捻りだす。こんな時でもなければ決して見ることの叶わなかった姿に違いなく、内心で拳を握るのは許して欲しい。
「はい、心得ました。笠、ありがとうございます! 台座さんっ」
「あと、今日は俺のことを台座さんと呼ぶんじゃない。さすがに訝しがられるからな」
「じゃあ、なんと呼べば・・・?」
「・・・ダイとでも呼んでもらおうか。お前のことはハリと呼ぶ」
「はい! 分かりました! ダイさん!」
「では行くとしよう。ハリ、逸れるんじゃないぞ」
針子がピシリと敬礼し、「よろしくお願いします!」と続く。そうして一歩足を踏み出すと、数歩の距離からざ、ざ、と砂を踏みしめる音が聞こえ始める。
かくして、目指すのは砂漠のオアシス・カラカラバザール。
行商人探し、並びに初デートが幕を開けたのであった。
■
正直なところ、幹部はこの度の遠征に、少なからず不安を覚えていた。
そうでなくとも現在、不治と言われる体調不良に見舞われ、方々 に失態を晒し続けている。これほど自分自身をコントロールできなくなることなど一度もなく、彼女と出会ったから以降、すべて想定外のことなのだ。
二人きりでデートとなれば、自分をどれだけ見失うか分からない。
とはいえ、今のところは大丈夫そうだと安堵もしている。鼓動は安定。顔面も冷静。いつ魔物や狼が来ても良いように、警戒心もバッチリだ。死と隣り合わせの砂漠に向かうからこそ、不思議と心が凪いでいるからかもしれない。
ひんやり薬をどのタイミングで飲むべきか。休息どこで挟むか。彼女には、何の武器を持たせるべきか。黙々と足を動かしつつ、砂漠渡りの具体的な策を考える。
「ま、待ってくださあい!」
谷間に声が反響する。そこではた、と立ち止まって、振り返った。
針子が、随分坂の上の方にいる。足をもつれさせながら、駆け足で。こうまで距離が開いていることに気付かなかった。
そのまま頭から転げるんじゃなかろうか、とわずかに緊張が走ったものの、針子は何事もなく目の前に到着した。目の前でハァハァやりだす彼女に、幹部は「遅いぞ」と部下を叱咤する癖で腕を組む。
「もう少しシャキシャキ歩かんか。日が暮れるぞ」
「台座さんが早すぎるんですッ! ほとんどかけっこでしたッ」
「そんなことないだろう。隠密であればこのくらい」
「私はっ、ちょっと前まで普通の一般人だったんですっ!」
「む・・・」
「そんなに早く歩けません! 逸れるんじゃないって台座さんが言ったのに、台座さんが逸れさせるのは無しじゃないですかっ?」
息交じりの猛抗議。それも確かに、一理ある。
「分かった、そうしたらお前が先を歩くといい。俺は着いていくから」と素直に引き下がると、針子はふんすと額の汗を拭って前を進み始めた。
しかしその足の遅いこと。よちよち歩く彼女の横につきながら、こりゃあいつ到着できるか分からんぞと、スケジュールの立て直しを考えざるを得なくなる。
カラカラカラ、と頭上で乾いた音がした。さざなみのように上から下に音が連なっていって、その先は砂漠に繋がっている。
今から、あそこに二人で。ちらりと彼女の顔を覗こうとしたが、笠が邪魔で顔が見えない。
「私、イーガ団に来てから初めて砂漠を歩きます」
不意に、笠が喋った。
「だから、すごい楽しみです。どんな場所なんだろうって」
「入団のとき、砂漠は通っただろう? 過酷なばかりで、あまり面白い場所じゃあないぞ」
「あのときはスナザラシで送ってもらったんです。だから、広いなーとしか思わなくて」
新人をスナザラシで護送とは、随分手厚いもてなしを受けたらしい。鍛錬部屋で、彼女にトレーニングをつけてやったことが思い出される。一切筋肉の育ってない体さばきは、そりゃあ酷いものだった。
「お前も、せめて自分の身を守れるくらい戦えればな・・・。ああ、しかし砂漠を渡るなら、ただ強いだけじゃあいささか厳しいか。知識がないと」
「知識?」
「ここは気候の変動が激しいからな。砂嵐の対処法とか、暑さ寒さに対抗できる食べ物なんかを知っておらねばまともに移動もできん」
「なるほどぉ・・・てことは、外回りの団員さんは、みんな物知りってことですね?」
経験で知っているだけのことを「物知り」というのか分からない。幹部は肩を竦めて「まあ・・・そうだな」と返す。
「あっ、じゃあついでに、前々から気になってたこと聞いても良いですか?」
顔を上げた針子が、そのまま問答無用でぱたぱた駆けていく。
ぴっと指した先には、一つ目の印が描かれた布を顔に被さるずんぐりとした蛙。カルサー谷やイーガのアジト内に鎮座する、見慣れた石像であった。
「これ! なんのために置いてるんだろう、ってずっと気になってて! あと上でカラカラ鳴ってるやつも!」
彼女が指さした先には、谷の間を渡るおびただしい数の紐。そこには、赤い塗料の塗られた木札が通され、風に揺られてカラカラと音を立てている。
忙しなく上と下と視線を巡らせる針子に、幹部は「ふむ」と顎をしゃくった。
「道祖神と道切だな。両方ともなわばりを示す目印だが・・・古来より外からやってくる魔を払う意味がある。ここからは何人 も入るなと、敵を退けているわけだ」
「そんな意味があったんですね!? やっと謎が解けました! さすが台座さん! ありがとうございます!」
ド直球ストレートの褒め言葉だ。幹部は「このくらい」と得意気に言いかけて、次の瞬間ハッとする。
今日は仮面がないのだ。だらしない顔を見せればその瞬間、自分の威厳は終わってしまうのではなかろうか。
好いた女にカッコいいと思われたいのは、古今東西の男が一様に抱く矜持に違いない。そんな矜持は愚かであると数多の女は切り捨てるだろうが、とはいえ幹部は男側の人間だ。
頬の内側をしこたま噛み、許可も出していないのに勝手に緩む頬を戒める。今日は絶対、なにがなんでも表情を崩さないと決めた瞬間であった。
谷を抜けると、いよいよ無尽蔵に広がる砂漠とご対面である。陽はそろそろ一日のうちで最強の炎暑を呈し始めており、まるで、真上で巨大な何かが焚火を燃やし、昼飯として自分たちを焼いているようじゃないか。
「うひゃ~暑い~」と漏らす針子と共にひんやり薬を喉に流し、いよいよ砂漠を渡っていく。
目的地でもあるカラカラバザールは、カルサー谷から歩いて小一時間ほど。足にじゃれつく細かな砂を蹴りつつ、そして魔物がいないか周囲を警戒しつつ、ただ黙々と歩く。何度か岩陰で休息を挟み、太陽を真上に迎える直前のこと。
砂地から一変、青々しい雑草が植わる地へ、ついに辿り着く。
「──ここが、カラカラバザール・・・!」
灼熱の太陽光をキラキラと反射する美しい湖面。オアシスを取り囲むように伸びる生命力にあふれたヤシの木。岩石群の合間を渡り、穏やかな風が頬を撫でていく。
カラカラバザール──ゲルドの女王が管轄するこじんまりとしたマーケットの名だ。
外からやってきた行商人にも開かれる自由度の高さは、懐の深い女王の御霊の如し。はるか遠いハテノやオルディンの産物が手に入ることもあり、知る人ぞ知る秘密の交易所と化している。
ここに部族の垣根はない。無論、ハイラル王家に仇なすイーガの民を除いての話である。
「兄さん寄っといでよ!」
「そこの嬢ちゃん、安くしとくよ!」
それまで敷物の上でダラリと溶けていた露店の女店主たちが、冒険者に扮した二人を見つけたらしい。しゃかりきになって手を打ち、呼び込みの声には商魂が滲む。
あれこそ商売人のあるべき姿。と思うものの、それと同時に隠しもしない瞳のギラつきに、どこか近づきがたい雰囲気があるのも確かだった。商業班員にも同じことが言えるが、商売人の現金な振る舞いが、幹部はどうも好きになれない。
「うわ~!! すごいすごい! いろんなものがたくさんある! フルーツ美味しそう、お肉も焼きたて! 台座・・・ダイさんっ、行きましょう! お店見て回りたいです!」
しかし、針子は違った。大きく見開かれた瞳には、ゲルドの燦燦とした太陽光が目いっぱいに跳ね返る。百万点の笑顔でぴょんぴょん飛び跳ねる仕草はなんと愛らしい・・・いや、幼いのだろうか。
幹部は改めて内側の頬肉を噛みつつ、「あのなぁ」と文句っぽい声色を作る。
「お前、目的を忘れるんじゃないぞ。俺達は観光で来てるわけじゃないんだ」
「分かってます! でもどっちみち、毛糸とポカポカ薬については聞かなきゃいけないですよね!?」
「まぁ」
「だったら行きましょ! 早く、全部!」
小走りで先を行く彼女。振り返りながら精一杯に手招きされれば、応じるより他に打つ手なし。
幹部は仕方なし、じりじりと露店に近づいていくのであった。
「ヴァーサーク! 可愛らしいお嬢さん! せっかくカラカラバザールに来たなら記念にいかがです? ゲルドのお洋服なんて!」
二人はまず、もっとも毛糸が見込めそうな衣料店を訪れることにした。
敷物の上に置かれたトルソーには、販売員のゲルド族と同じような民族衣装が着せられている。鳥の羽根をイメージさせる華やかな模様はすべて丁寧な刺繍で繕われ、小さな色石が星を散らしたようにところどころ編みこまれている。なんとも派手で、贅沢なデザインだ。
もちろんそんなものを買いにきたわけではないので「あーいや、俺達は」と断ろうとする。その時、トルソーの衣装におず、と手が伸びてきた。
ぎょっとして振り向けば、針子がキラキラとした表情で売り物の袖に触れている。
「なにを」と言おうとしたところ、それより先に「素敵でしょ~!?」と販売員に押しのけられた。
「これ、袖のところは金糸で刺繍してあるの! 胸のところもね! あととびっきりなのは、砂漠でも涼しく過ごせるようにサファイアのビーズを編みこんでましてぇ! これさえ着てればひんやり薬なんて必要なし! どうですか~?」
「ええっ、サファイア!? すごいっ、でもお高いんでしょう?」
「これは確かに特別製ですけどネ! でもお値段が気になるなら、私たちが着てる普段着とかはどうです? もうちょっとお安くできますケド!」
「わあ、可愛い~。でも、お洋服買いにきたわけじゃないしなぁ」
「あら、なにかお探しのものがあったの? なにかしら?」
「毛糸だ。ここは各地から行商人が来るだろう。取り扱ってる者がいないか探しに来たんだ」
そこで漸く、満を持して野太い声が二人の間に割って入る。
じろりと眼光鋭く見下ろすと、それまで意気揚々としていた店員が鼻白んだ顔で黙り込む。じっくりと辺りを見回すものの、あるのは薄地の布と宝飾品ばかりで、毛足の長い商品があるようには見えない。
「さすがにここで毛糸は売ってないだろう?」と品定めの目を向けると、店員は萎縮したように肩を竦めてみせた。
「さすがに・・・そうですねぇ。砂漠にもこもこしたニット製品はあんまり必要ないし・・・あっても綿糸くらいしか・・・」
「欲しいのは羊毛なんです。やっぱりゲルド地方で手に入れるのは難しいのかなぁ」と、針子。
女店主は顎に手をつき「ううん、さすがにウチでの取り扱いはちょっと・・・。他の種族の行商人だったら持ってるかもしれませんネ」そういって、岩場の方へ視線を遣る。
暑さに慣れないのか、日陰にはぐったりとした表情で座り込む数人の異邦人があった。傍に大きな荷物がどっかりと置いてあって、どうやらあれらが、違う地方からやってきた行商人らしい。
年齢も種族もてんでバラバラだが、中にはリト族の姿も見える。彼らは極寒地域に住む種族であるし、もしや目当てのものを取り扱っているかもしれない。
「そうか。すまんな」と口にしながらも、もう既に心は別の行商人に向いていた。
「ちなみにぽかぽか薬の売り手も探してるんだが、心当たりはあるか?」
「うーん、分かりませんねぇ。最近は夜が寒いし、そちらの方がまだ誰か持ってそうですけど」
「そうか。恩に着る、邪魔をしたな」
すぐさま足を出そうとしたところ、「あっ、お客さんっ」と店主に呼び止められる。
「試着だけでもいかがです? ゲルドの装束!」
「それは結構。服を買いにきたわけじゃないのでな」
「でも、着てみるだけでも! せっかくですし」
「しつこいな。俺達は別に・・・」
「台座さ・・・ダイさん、ダイさんっ」
しつこい店員をぴしゃりとはねつけようとした瞬間、後ろから裾を引っ張られた。
何事かと見下ろすと、笠の影から針子の顔が覗いている。目をまんまるに開いて、眉を八の字に曲げて。口元をもにょもにょと動かし、なんだか照れ臭そうにして。
その強請るような顔は、まさか。
「私、ちょっと着てみたいです、ダメですか?」
やはりだ。「おい・・・今日は観光に来たわけじゃないとあれほど・・・」と苦く漏らすが、懇願するようにパチンッと顔の前で手を打たれる。
「後生です!お願いします!台座・・・ダイさんっ」
必死に丸まった背中を見て、思わず閉口する。突きっ返せば彼女の不服を買いそうだし、買うわけでもないのに試着するのもバカバカしい。どう応えれば適切か、女の扱いに慣れない無骨漢には見当もつかない。
それよか気になるのは、さっきからたびたび漏れる「台座」という言葉である。先ほど決定した話とはいえ、さすがに口にしすぎではなかろうか。
ちらりとトルソーに着せられた装束を見遣る。女にとって、こういう類の洋服はそれほど着たいと思うものなのだろうか。こんなに派手で、ヒラヒラした、露出度の高い。
そこでふと気付く。
これを針子が着る? この激しく露出の高い、民族衣装を?
それから彼女が袖を通す姿を想像するのに、幾分の時間もかからなかった。
ほんの少し色づいた真っ白な肌を覆う、上品なラベンダー色の生地。たっぷりとした布地は、きっと彼女のきゅっとくびれた腰回りを強調するだろう。そして自分を見つめる、ぽっと赤く照った恥ずかしそうな笑顔。台座さん、なんて、あのころころした声で呼ばれたら・・・。そんな想像をしてしまった。ほんの一瞬だけ。一瞬だけである。
「ほら、彼女さんもこう言ってることですし」
彼女さん。一拍遅れてはっと我に返った幹部は、慌てて「彼女じゃない!」とはねつける。
幹部は勢いよく背を向けた。
「試着はしない! いくぞッ! 今日はそんなことをしてる時間なんてないんだ!」
妄想に勝ったのである。そして、古今東西の男が抱いて然るべき愚かな本能にも。このとき幹部の肩には、勝者のタスキがかかっていたはずだ。
それが、そうじゃないかもしれないと気付いたのは、オアシスのほとりまで退散したときのことだった。
「待ってくださいよぉ」と追いかけてくる針子の声に、「ハリ、お前なあ」と振り返り、はたとする。
視線がかち合ったのは、自分をひたと睨む目。これでもかと寄せられた眉根。そこで気が付いた。針子が露骨に、怒った顔を浮かべているではないか。
そんなにあの衣装が着たかったのか──毒気を抜かれてから、新たに罰の悪さを注入されるようだった。さりとてあんな露出度の高い服の試着なんて、此度の彼女の保護者としてとうてい認められない。それに男として、耐えられそうもない。
膨らんだ頬から、今にも文句の言葉が飛び出してきそうである。
幹部は「そんなに睨むな」と肩を竦めてみせた。
「さっきも言ったが、俺達に試着するような余裕はないし、時間もないんだ。それは次回、お前の自由時間のときにしてくれ」
「お洋服ちょびっと着るだけだったら、そんなに時間なんてかかりませんっ」
「そもそも業務中に試着というのがおかしな話だろう」
「でもですね! 台座・・・ダイさんがそんな風に言うなら、私だって言いたいことがありますよ!」
「なんだ、言ってみろ」
「私は今日、そもそもお休みです!」
正論である。
幹部は「む・・・」と返答に窮した。
「業務でここに来てるのはダイさんだけで、私はもっと自由にお店を見て回るケンリがあると思います!」
正論に次ぐ正論。彼女はときたま、非常に鋭いことを言う。
幹部は堪らず奥歯を噛み締めて唸った。なんと返すのが正解か分からない。
矜持をすべて取っ払って良いのであれば、そりゃ着てほしい。しかしあれを着た針子を眼前にしたら、いくらなんでも幹部たる威厳を保つ自信がない。たぶん、顔が熱くなって動悸が激しくなって、例の病状に襲われること請け合いだ。ここで自らの矜持を捨て去るのか? きっと似合うに決まってるが、だらしない顔を決して彼女には見せたくない。
悩む幹部の隣で、針子はシュンと俯いてみせる。
「・・・でも、試着する時間がないのはそうですし、お洋服は諦めます。それに、お金もないのに試着するのは、お店にとっても冷やかしになっちゃうと思うから・・・」
「そ・・・そうか」
「ただ、その代わり他のお店に寄らせてください! せっかく来たんだから全部見て回りたいんですっ」
お願いします、と手を打つ針子に、幹部は観念し、「分かった」と頷いてみせた。
「なら、お前が買い物をしている間に、俺はめぼしい人間に聞き込みをするとしよう。一通りの用事が終わったらまたここに集合だ」
ぱっと嬉しそうに顔を綻ばせて「はいっ、分かりました!」と敬礼する針子に、やれやれと息を吐く。
他の団員相手だとこうはならない。そもそも買い物の許可を取りに来る生真面目な団員など居ないが、気持ち良く提案を受け入れられるのは、彼女だからだ。本当に、恋の病とは恐ろしいものである。
くれぐれもオアシスからは離れないように。最後に言い聞かせて、彼女が改めてゲルド族が運営する露店に歩いていくのを見送った。
さてここからは本格的に業務の時間である。
周辺でたむろする行商人に、片っ端から声をかけていく。取扱いがあるかどうかを聞くのはもちろん、薬や毛糸を作る資材の取り扱い、それらを扱う商品との横の繋がり、仕入れの依頼の可否。思いつく限り質問した。
しかし、世間は冬に入るといえ、日中は酷暑の砂漠地帯である。手荷物を切り詰めつつ売れ筋を見極めることこそ重要な商売人に、需要がないものを持ち歩く阿呆などいない。
毛糸はおろかポカポカ薬すらなんの手ごたえもないまま、すべての行商人に声をかけ終わってしまった。唯一、「もし取り扱いのあるやつがいたら話しておくよ」とは言われたものの──正直言って、こうまで成果を得られないとすると困ったものである。
『あっれぇ~?? 旦那ァ、あンだけタンカ切っといて手応えなしたぁ、どういう了見です? いンや~さすがの鬼の幹部殿も、やっぱ専門が違うと手も足も出ねえってことでさァね~! 今後、俺達に商売のことで口出しすンのはやめてもらいましょうか! ええ!?』
バナナ売りの高々とした勝利宣言が脳内に聞こえてくる。それ自体はもはや受け入れても仕方ないにせよ、成果0の帰宅を甘んじるのは矜持が廃る。せめてとばかり、目に入ったポカポカダケをプチプチと摘んだ。岩陰の隅に座って土をいじくり回す巨漢の画は非常にシュールである。
「あ、台座さ・・・ダイさんっ」
「ああ、針子か。買い物は良いの、か」
唐突の声に振り返った瞬間、幹部は目を剥く。
そこにいたのはもちろん針子だ。しかし、二手に分かれる前と随分様子が違う。
両手いっぱいに抱えたのは、色とりどりのフルーツだった。ヒヤヒヤメロンにビリビリフルーツ、イチゴ。いや、それだけならまだ理解できる。プルプル揺れるのはチュチュゼリーじゃないか。なぜ。
「・・・どうした、これは」ニコニコしながら近づいてくる針子に、思わず口角がひくつく。
「お土産ですよ! 先輩に砂漠のフルーツを買っていってあげようと思って!」
「それは良いとして、なぜチュチュゼリーまで? 必要か? これは」
「ひやひやして気持ちいいよって言われて買ってみました。たしかにこれ、持ってるだけでひんやりしてサイコーです。砂漠を歩くのにちょうど良さそうじゃないですか?」
傍に寄って気付く。周囲に冷気を放つそれは、単なるゼリーではなくアイスチュチュゼリーであった。
確かにアイスチュチュゼリーは身体を冷やしてくれるし、砂漠では活躍するかもしれない。ただ、チュチュゼリーは衝撃に脆く、持ち運びに向かないのだと彼女は知っているのだろうか? 下手をすれば爆発し、熱砂の中で自分が氷像になりかねない。
針子が砂漠の真ん中で固まってしまう場面を想像し、いやいやそれは、と頭を振る。
なにから説明すべきか考えていると、針子は「あっちで食べましょうっ」とオアシスのほとりにさっさと歩いていってしまう。
元より、そろそろ昼飯のつもりだった。早々にチョコンと座ってみせる針子を、幹部も眉間に皺を寄せたまま粛々と追いかけた。
「────ゲルドキャニオン馬宿に行商人が?」
ゲルドの露店で買った肉を食べながら、カラカラバザールで得た情報を交換する。
なにも成果がなかったと告げる幹部に対し、一生懸命に骨付き肉に齧りつく針子が呟いたのは、目的に繋がる可能性を秘めた情報であった。
「はい。ゲルドのお姉さんが教えてくれました。砂漠の入口に馬宿があるから、そこに行けば行商人に会えるかもしれないって」
「しかしあすこは確か、最近廃業になったばかりだと聞いたが」
ゲルドキャニオン馬宿は、かつて栄えるゲルド地方で唯一の馬宿であった。しかしこの数か月の合間にハイラルを襲った天変地異により街道が飛来物で埋まり、人足が激減。新たな街道を整備したところで利用者を呼び戻せず、廃業に追い込まれた場所だとか。
営業もしていない馬宿で行商人に会えるとは考えられない。
針子はゴクンと大袈裟な動きで飲み下してから「それがですねっ」と揚々語る。
「営業自体はやってないそうなんですけど、魔物があんまり出ないのも分かってるから、あの辺りで休憩をとる人が多いんですって! 周辺に休憩場所がないから、っていう話みたいです」
「それを・・・ゲルドの店主が?」
「はい。チュチュゼリーのお姉さんがそうだって。狩りに行ったついでに、あそこでよく会うんだって教えてくれました!」
まさか、諜報の「ち」の知らない娘が、これほど益になる情報を掴んで戻ってくると誰が思うだろうか。それも一次情報。並の諜報員でもおざなりにする輩の多い裏付けまでしっかりと取っている。
「でかしたな、針子」とほめそやすと、針子は「えへへ」と肉の油で照った唇をニコッと緩めてみせた。
「じゃあ、お昼ご飯を食べたら次は馬宿に出発ですね! 急いで食べます」とまた小さな口で一生懸命かぶりつく針子に、「いやそんなに急がなくていい」と、既に食べ終わった幹部が首を振る。
「しかし、あすこに行くにはまた砂漠を小一時間ほど歩くぞ。いくら薬があるとはいえ、この暑さは体力を削る。それに、谷に帰るとなったら日が暮れる。本当に大丈夫か?」
「大丈夫です! アイスチュチュゼリーもありますし、お肉も食べて体力回復! チャンスがあるなら動くだけ! ですよ!」
両の細腕をムンッと持ち上げてガッツポーズをしてみせる針子に、「そうか」とほっと息を吐く。
本人のやる気があるのであれば、着いていくしか他にない。それに、無理だと思ったらその時点で戻ればいい。その判断をするのが、此度の自分の仕事でもあるのだ。
昼餉を済ませた二人はカラカラバザールを発つ。
向かうは廃業のゲルドキャニオン馬宿。太陽が、そろそろ西に傾き始める時刻のことである。
昨日の売上、物品の入荷状況、各団員のスケジュール確認。「なにか連絡事項のあるやつはいるか」と問われ、誰もなにも言わずにしんとする。
淡々と進む会議は、なんの変哲もないいつもの光景そのものだ。幹部が冒険者に変装し、パンパンに膨らんだ背嚢が足下に置かれていること以外の話である。
短髪の黒髪、精悍な顔つきの青年に扮した幹部は、すんとした顔で締めの挨拶に入った。
「では、事前に伝えてあった通り、俺は今日一日アジトを出る。門番をよくよく任せたのと、急務があれば裏手の流通班幹部へ頼むように」
解散。高らかに放った宣言の後、なにか言いたげな沈黙。しかしそれもほんの一瞬のことで、商業班員たちは意味ありげな視線を残しつつ、気だるげに店の方へ散っていく。
そのじっとりとした視線が、商談に対するアドバイスをしてやろうという善意の視線ではないことを知っている。
幹部は「さてと」と背嚢を背に負った。
「まさか旦那が、本当に外出することになっちまうとはね」
すぐ背後で呆れたような声が聞こえた。首だけで振り返れば、会議のときから微動だにしていないバナナ売りが背中を丸めて突っ立っている。
忙しいはずの朝だ。さっさと業務に入ればいいものを、一言言わないと気が済まないらしい。面倒極まりない部下の性分に、幹部は小さくため息を吐く。
腰に手を当て、舐めるような角度で睨むバナナ売り。上司であるはずの幹部に、まるで喧嘩を吹っ掛けでもするかのようにチンピラめいた姿勢である。
「俺が適当こいた売り言葉を旦那が買い叩くなんてねぇ。心底自分の放言癖が嫌にならぁ」
「そういうな。実際、俺はこれでも感謝してるくらいなんだ。行商人とのやり取りが上手くいけば、ぽかぽか薬が手に入る。逆に上手くいかなければ、少なくともお前の溜飲は下がるだろ。大いに勉強させてもらうとしよう」
「まあそっちもそうですがね。俺が言ってんのはデートの方でさァ」
さらりと言ってのける三文字。即座に掻き消すよう、断固として吠える。
「だからっ、デートじゃないと言っているだろうが! 単にこれは業務の一環! あいつを連れ立つのはたまたまタイミングがあったからだ!」
「そうは言っても旦那~、若い嬢ちゃんと二人っきり、しかも相手はハート刺繍の娘っ子って話じゃないですか。デートじゃないって方が無理だって自分でも分かってるでしょ~」
「断じてッ、デートじゃッ、ない!」
棘売りに端を発した『鬼の幹部殿は縫製班の新人とデートするらしい』という話は、演出じみた内容を孕みつつ商業班員に拡散されている。
長い付き合いの間柄だ。目が合う度に「デートといやぁカラカラバザールです、旦那」「デートすんなら相手の子にサイフなんて出させちゃダメですよ、旦那」「デートで良い雰囲気になったら、すかさずキスしちまったらいい、旦那」などと軽々しく助言し始めるものだから、この二三日に溜まった鬱憤で堪忍袋はタプタプであった。怒気を帯びた訂正で発散してきたものの、普段は物分かりの良いバナナ売りまで揶揄してくるのだから、いよいよ鬱憤水が氾濫し、ついでに緒まで千切れかけている。
しかしこのバナナ売り。大概の団員が萎縮する幹部の咆哮を意に介さない。あまつさえ感慨深そうにウンウンと唸ってみせるのだから、それなりの修羅場をくぐった商売人は根性逞しい。
「いえね、旦那。俺ぁ喜んでるんですよ。ちょっと前まで色恋のことを軽んじてた旦那が、ついに恋の深穴に真っ逆さまってね。つまり、この前言ってた腑抜けとか面倒事とか、今全部自分に返ってきてるってこった。しんどいっすねぇ。ケケケおもしろ」
「貴様それ以上俺をこけにするなら分かってるんだろうな。鬼の幹部のあだ名は伊達じゃないと教えようか」
「でも実際、夢中になれる相手を見つけたってのぁ、なんとも良い話じゃないですか。だって針子ちゃんにマジなんしょ?」
「バカ言ってないで仕事につけ! お前だって商談があるんだろう!」
しっしっと払われたバナナ売りはケケケとまた笑い、「ポカポカ薬、頼みましたからね」と残して下がっていった。それからも横目で振り返られ、わざとらしく口元に手を当ててシシシとわざとらしく笑って見せる。
しかしよくよく見れば、既に物販についている他のやつらも露骨にこちらを向いている。仮面があってさえそれが分かるのだから、野次馬を隠す気もないらしい。
幹部は舌打ちする。「行ってくる!」と最後に怒鳴って、一つ目の視線がやかましい玄関から抜け出した。
既に朝暘を迎えた時刻である。カルサーの谷間は薄暗いが、パックリと割れた崖あいの高いところには、青く澄み渡る空が覗く。微かに見える照らされた崖上も、日陰とは違って煌々と真っ白だ。今日も暑くなるんだろうか。シマオタカの歌うような鳴き声が、谷渡りの風に混ざって辺りへ響いている。
朝のキンと冷えた空気に手のひらを擦りながらも、小柄な人影を目で探った。しかし、目に入るのは赤茶の岩ばかりで、誰かいそうな気配は微塵もない。
まあ、何事もマイペースな彼女が後から来ることなんて、想定内だ。少し行ったところで壁に凭れ、門扉を睨みながら待つことにした。
この時間はまだ寒く、ポッケにルビーの懐炉を忍ばせておいて正解だった。片手だけでも温めながら、ふと、彼女はこういった類いの準備はしてきていないだろうなと想像する。
先日の相談会で告げたのは、「先達にしっかり話を聞き、砂漠渡りに相応しい準備をしてくるように」とだけ。あの時は慌てていたし、すべて先達に丸投げしたようなものだ。はてさてどこまで仕上げてくるか。
あの門扉からひょこっと現れて、「台座さん、お待たせしました!」と針子は現れるだろう。それから鼻先を赤くさせた彼女が、こちらに向かって小走りでやってくる。大袈裟に息を荒げて、その吐息がすべて白いモヤになっていて。
そこまで考えて、胸の辺りが妙にざわっとした。
唐突の実感。これから彼女と二人きりになる。
さんざ否定はしたものの、言い逃れなんてできようか。世間一般の感性であれば、これはデートと呼ばれる類の外出なのだ。
「いやッ、デートじゃない。これは違う。そうじゃない」
幹部は頭を振る。しかし次々に胸中へ立ち上る自分の声が、否定を許さない。
彼女もそう思っているだろうか。これを機に、もしや少し関係が深まる可能性もあるのだろうか。
すべてを振り払いたくて、ダンッと足を鳴らした。
「断じてっ、違う!」
「何が違うんですか?」
「どわっ!?」
突然の声に心臓が飛び跳ねる。脇の下からひょこ、と覗き込んできたのは、正に待ち人である針子だった。
この光景、既視感。「なぜお前はいつもいつも!」と苦言を呈せば、針子は露骨に唇を尖らせてみせた。
「えーっ、声かけましたよ。台座さんが気付かなかっただけです、お待たせしましたって言いましたもん」
それが事実ならとんでもない失態である。失速して「む・・・」と唸れば、しかし妙なことに気づいた。
自分を見つめる真ん丸の瞳。ふっくらとした血色の良い頬、それにちまりとした唇。普段の生活で仮面から覗く相好と、一切変わっていないような。
イーガ団員は外出の際、業務だろうがプライベートだろうが、徹底した変装が義務付けられている。もちろんそれは素性を隠すための不文律なわけだが、目の前の娘は物々しい冒険者の服に着替えただけで、お世辞にも変装とは言えない見てくれであった。
まさか。「お前・・・その格好・・・」と指をさせば、針子は幹部の疑念に気付かないらしい。申し訳なさそうにするでもなく、むしろこれ見よがしに披露するかのように両手を広げてみせた。
「言われた通り、砂漠渡りにぴったしな洋服を着てきました! いつもの装束の方が動きやすいですが、これもなかなか可愛くっていいですね」
「そうじゃなくて、変装はどうした? 術は?」
「あ、えっと、どうにかしようと思ったんですが、その・・・上手くできなくて・・・」
気まずそうに視線を逸らす針子に、幹部は頭を抱えたくなった。呆れた。術を扱えなかったとしても、化粧なりなんなりできたろうに。
「だ、ダメですか」と、可愛さを全力で利用した上目遣いで同情を誘ってこようとするのだから、いや彼女にそんな策謀が図れるとは思っていないが、幹部は弾かれたように荷物からあるものを取り出した。
「せめて髪の毛を隠せ! まったくっ」
ぽすっ、と頭に乗せてやったのは、くたびれた折編み笠だ。「おわあなんですかこれ」と大騒ぎする彼女は、シーカーに伝わるこれを見たことがないらしい。
折編み笠は、カカリコ村で今も使われる伝統の民芸品である。いぐさを半月型に織って作る笠は通気性に富み、砂塵や直射日光から身体を守ってくれる。あの湿地に伝わる道具がこんな乾燥地帯でも活躍するのだから、さすが知の民と謳われるシーカーであろう。
首の下で紐を結んでやりながら滔々と語るものの、針子からは「そうですかぁ」と生返事しか返ってこない。「できたぞ」と目を上げれば、なぜか彼女がいやに真剣な顔をしていた。
見つめているのは、おそらく自分。思わず怯むほど、黒い瞳が爛々としている。「・・・どうした」とどぎまぎしながら眉を顰めると、針子はいっそう目に力を込めて言った。
「台座さんの顔、初めて見たなと思って・・・なんだか不思議な感じです」
「ばかもの。変装してるに決まってるだろう。素顔とは似ても似つかん」
「そうなんですね」と言いながらも、彼女はまじまじとした視線を崩さない。加えて、今にも手を伸ばしてペタペタ触ってきそうじゃないか。
変装とはいえ、なにも身に着けない状態で注視されるのは居心地が悪い。すぐさま逃げるべきなのに、しかしなぜだか、針子の顔から目が離せない。
よくよく考えれば、装束以外の姿を見るのはこれが初めてだ。
ふい、と暫くしてやっと背を伸ばす。仮面がないとこうまで視野が変わるのかと、改めて突きつけられた気がした。
「素顔なら・・・顔を誰ぞに覚えられると困る。お前は、あまり前へ出過ぎないように」
苦し紛れに言葉を捻りだす。こんな時でもなければ決して見ることの叶わなかった姿に違いなく、内心で拳を握るのは許して欲しい。
「はい、心得ました。笠、ありがとうございます! 台座さんっ」
「あと、今日は俺のことを台座さんと呼ぶんじゃない。さすがに訝しがられるからな」
「じゃあ、なんと呼べば・・・?」
「・・・ダイとでも呼んでもらおうか。お前のことはハリと呼ぶ」
「はい! 分かりました! ダイさん!」
「では行くとしよう。ハリ、逸れるんじゃないぞ」
針子がピシリと敬礼し、「よろしくお願いします!」と続く。そうして一歩足を踏み出すと、数歩の距離からざ、ざ、と砂を踏みしめる音が聞こえ始める。
かくして、目指すのは砂漠のオアシス・カラカラバザール。
行商人探し、並びに初デートが幕を開けたのであった。
■
正直なところ、幹部はこの度の遠征に、少なからず不安を覚えていた。
そうでなくとも現在、不治と言われる体調不良に見舞われ、
二人きりでデートとなれば、自分をどれだけ見失うか分からない。
とはいえ、今のところは大丈夫そうだと安堵もしている。鼓動は安定。顔面も冷静。いつ魔物や狼が来ても良いように、警戒心もバッチリだ。死と隣り合わせの砂漠に向かうからこそ、不思議と心が凪いでいるからかもしれない。
ひんやり薬をどのタイミングで飲むべきか。休息どこで挟むか。彼女には、何の武器を持たせるべきか。黙々と足を動かしつつ、砂漠渡りの具体的な策を考える。
「ま、待ってくださあい!」
谷間に声が反響する。そこではた、と立ち止まって、振り返った。
針子が、随分坂の上の方にいる。足をもつれさせながら、駆け足で。こうまで距離が開いていることに気付かなかった。
そのまま頭から転げるんじゃなかろうか、とわずかに緊張が走ったものの、針子は何事もなく目の前に到着した。目の前でハァハァやりだす彼女に、幹部は「遅いぞ」と部下を叱咤する癖で腕を組む。
「もう少しシャキシャキ歩かんか。日が暮れるぞ」
「台座さんが早すぎるんですッ! ほとんどかけっこでしたッ」
「そんなことないだろう。隠密であればこのくらい」
「私はっ、ちょっと前まで普通の一般人だったんですっ!」
「む・・・」
「そんなに早く歩けません! 逸れるんじゃないって台座さんが言ったのに、台座さんが逸れさせるのは無しじゃないですかっ?」
息交じりの猛抗議。それも確かに、一理ある。
「分かった、そうしたらお前が先を歩くといい。俺は着いていくから」と素直に引き下がると、針子はふんすと額の汗を拭って前を進み始めた。
しかしその足の遅いこと。よちよち歩く彼女の横につきながら、こりゃあいつ到着できるか分からんぞと、スケジュールの立て直しを考えざるを得なくなる。
カラカラカラ、と頭上で乾いた音がした。さざなみのように上から下に音が連なっていって、その先は砂漠に繋がっている。
今から、あそこに二人で。ちらりと彼女の顔を覗こうとしたが、笠が邪魔で顔が見えない。
「私、イーガ団に来てから初めて砂漠を歩きます」
不意に、笠が喋った。
「だから、すごい楽しみです。どんな場所なんだろうって」
「入団のとき、砂漠は通っただろう? 過酷なばかりで、あまり面白い場所じゃあないぞ」
「あのときはスナザラシで送ってもらったんです。だから、広いなーとしか思わなくて」
新人をスナザラシで護送とは、随分手厚いもてなしを受けたらしい。鍛錬部屋で、彼女にトレーニングをつけてやったことが思い出される。一切筋肉の育ってない体さばきは、そりゃあ酷いものだった。
「お前も、せめて自分の身を守れるくらい戦えればな・・・。ああ、しかし砂漠を渡るなら、ただ強いだけじゃあいささか厳しいか。知識がないと」
「知識?」
「ここは気候の変動が激しいからな。砂嵐の対処法とか、暑さ寒さに対抗できる食べ物なんかを知っておらねばまともに移動もできん」
「なるほどぉ・・・てことは、外回りの団員さんは、みんな物知りってことですね?」
経験で知っているだけのことを「物知り」というのか分からない。幹部は肩を竦めて「まあ・・・そうだな」と返す。
「あっ、じゃあついでに、前々から気になってたこと聞いても良いですか?」
顔を上げた針子が、そのまま問答無用でぱたぱた駆けていく。
ぴっと指した先には、一つ目の印が描かれた布を顔に被さるずんぐりとした蛙。カルサー谷やイーガのアジト内に鎮座する、見慣れた石像であった。
「これ! なんのために置いてるんだろう、ってずっと気になってて! あと上でカラカラ鳴ってるやつも!」
彼女が指さした先には、谷の間を渡るおびただしい数の紐。そこには、赤い塗料の塗られた木札が通され、風に揺られてカラカラと音を立てている。
忙しなく上と下と視線を巡らせる針子に、幹部は「ふむ」と顎をしゃくった。
「道祖神と道切だな。両方ともなわばりを示す目印だが・・・古来より外からやってくる魔を払う意味がある。ここからは
「そんな意味があったんですね!? やっと謎が解けました! さすが台座さん! ありがとうございます!」
ド直球ストレートの褒め言葉だ。幹部は「このくらい」と得意気に言いかけて、次の瞬間ハッとする。
今日は仮面がないのだ。だらしない顔を見せればその瞬間、自分の威厳は終わってしまうのではなかろうか。
好いた女にカッコいいと思われたいのは、古今東西の男が一様に抱く矜持に違いない。そんな矜持は愚かであると数多の女は切り捨てるだろうが、とはいえ幹部は男側の人間だ。
頬の内側をしこたま噛み、許可も出していないのに勝手に緩む頬を戒める。今日は絶対、なにがなんでも表情を崩さないと決めた瞬間であった。
谷を抜けると、いよいよ無尽蔵に広がる砂漠とご対面である。陽はそろそろ一日のうちで最強の炎暑を呈し始めており、まるで、真上で巨大な何かが焚火を燃やし、昼飯として自分たちを焼いているようじゃないか。
「うひゃ~暑い~」と漏らす針子と共にひんやり薬を喉に流し、いよいよ砂漠を渡っていく。
目的地でもあるカラカラバザールは、カルサー谷から歩いて小一時間ほど。足にじゃれつく細かな砂を蹴りつつ、そして魔物がいないか周囲を警戒しつつ、ただ黙々と歩く。何度か岩陰で休息を挟み、太陽を真上に迎える直前のこと。
砂地から一変、青々しい雑草が植わる地へ、ついに辿り着く。
「──ここが、カラカラバザール・・・!」
灼熱の太陽光をキラキラと反射する美しい湖面。オアシスを取り囲むように伸びる生命力にあふれたヤシの木。岩石群の合間を渡り、穏やかな風が頬を撫でていく。
カラカラバザール──ゲルドの女王が管轄するこじんまりとしたマーケットの名だ。
外からやってきた行商人にも開かれる自由度の高さは、懐の深い女王の御霊の如し。はるか遠いハテノやオルディンの産物が手に入ることもあり、知る人ぞ知る秘密の交易所と化している。
ここに部族の垣根はない。無論、ハイラル王家に仇なすイーガの民を除いての話である。
「兄さん寄っといでよ!」
「そこの嬢ちゃん、安くしとくよ!」
それまで敷物の上でダラリと溶けていた露店の女店主たちが、冒険者に扮した二人を見つけたらしい。しゃかりきになって手を打ち、呼び込みの声には商魂が滲む。
あれこそ商売人のあるべき姿。と思うものの、それと同時に隠しもしない瞳のギラつきに、どこか近づきがたい雰囲気があるのも確かだった。商業班員にも同じことが言えるが、商売人の現金な振る舞いが、幹部はどうも好きになれない。
「うわ~!! すごいすごい! いろんなものがたくさんある! フルーツ美味しそう、お肉も焼きたて! 台座・・・ダイさんっ、行きましょう! お店見て回りたいです!」
しかし、針子は違った。大きく見開かれた瞳には、ゲルドの燦燦とした太陽光が目いっぱいに跳ね返る。百万点の笑顔でぴょんぴょん飛び跳ねる仕草はなんと愛らしい・・・いや、幼いのだろうか。
幹部は改めて内側の頬肉を噛みつつ、「あのなぁ」と文句っぽい声色を作る。
「お前、目的を忘れるんじゃないぞ。俺達は観光で来てるわけじゃないんだ」
「分かってます! でもどっちみち、毛糸とポカポカ薬については聞かなきゃいけないですよね!?」
「まぁ」
「だったら行きましょ! 早く、全部!」
小走りで先を行く彼女。振り返りながら精一杯に手招きされれば、応じるより他に打つ手なし。
幹部は仕方なし、じりじりと露店に近づいていくのであった。
「ヴァーサーク! 可愛らしいお嬢さん! せっかくカラカラバザールに来たなら記念にいかがです? ゲルドのお洋服なんて!」
二人はまず、もっとも毛糸が見込めそうな衣料店を訪れることにした。
敷物の上に置かれたトルソーには、販売員のゲルド族と同じような民族衣装が着せられている。鳥の羽根をイメージさせる華やかな模様はすべて丁寧な刺繍で繕われ、小さな色石が星を散らしたようにところどころ編みこまれている。なんとも派手で、贅沢なデザインだ。
もちろんそんなものを買いにきたわけではないので「あーいや、俺達は」と断ろうとする。その時、トルソーの衣装におず、と手が伸びてきた。
ぎょっとして振り向けば、針子がキラキラとした表情で売り物の袖に触れている。
「なにを」と言おうとしたところ、それより先に「素敵でしょ~!?」と販売員に押しのけられた。
「これ、袖のところは金糸で刺繍してあるの! 胸のところもね! あととびっきりなのは、砂漠でも涼しく過ごせるようにサファイアのビーズを編みこんでましてぇ! これさえ着てればひんやり薬なんて必要なし! どうですか~?」
「ええっ、サファイア!? すごいっ、でもお高いんでしょう?」
「これは確かに特別製ですけどネ! でもお値段が気になるなら、私たちが着てる普段着とかはどうです? もうちょっとお安くできますケド!」
「わあ、可愛い~。でも、お洋服買いにきたわけじゃないしなぁ」
「あら、なにかお探しのものがあったの? なにかしら?」
「毛糸だ。ここは各地から行商人が来るだろう。取り扱ってる者がいないか探しに来たんだ」
そこで漸く、満を持して野太い声が二人の間に割って入る。
じろりと眼光鋭く見下ろすと、それまで意気揚々としていた店員が鼻白んだ顔で黙り込む。じっくりと辺りを見回すものの、あるのは薄地の布と宝飾品ばかりで、毛足の長い商品があるようには見えない。
「さすがにここで毛糸は売ってないだろう?」と品定めの目を向けると、店員は萎縮したように肩を竦めてみせた。
「さすがに・・・そうですねぇ。砂漠にもこもこしたニット製品はあんまり必要ないし・・・あっても綿糸くらいしか・・・」
「欲しいのは羊毛なんです。やっぱりゲルド地方で手に入れるのは難しいのかなぁ」と、針子。
女店主は顎に手をつき「ううん、さすがにウチでの取り扱いはちょっと・・・。他の種族の行商人だったら持ってるかもしれませんネ」そういって、岩場の方へ視線を遣る。
暑さに慣れないのか、日陰にはぐったりとした表情で座り込む数人の異邦人があった。傍に大きな荷物がどっかりと置いてあって、どうやらあれらが、違う地方からやってきた行商人らしい。
年齢も種族もてんでバラバラだが、中にはリト族の姿も見える。彼らは極寒地域に住む種族であるし、もしや目当てのものを取り扱っているかもしれない。
「そうか。すまんな」と口にしながらも、もう既に心は別の行商人に向いていた。
「ちなみにぽかぽか薬の売り手も探してるんだが、心当たりはあるか?」
「うーん、分かりませんねぇ。最近は夜が寒いし、そちらの方がまだ誰か持ってそうですけど」
「そうか。恩に着る、邪魔をしたな」
すぐさま足を出そうとしたところ、「あっ、お客さんっ」と店主に呼び止められる。
「試着だけでもいかがです? ゲルドの装束!」
「それは結構。服を買いにきたわけじゃないのでな」
「でも、着てみるだけでも! せっかくですし」
「しつこいな。俺達は別に・・・」
「台座さ・・・ダイさん、ダイさんっ」
しつこい店員をぴしゃりとはねつけようとした瞬間、後ろから裾を引っ張られた。
何事かと見下ろすと、笠の影から針子の顔が覗いている。目をまんまるに開いて、眉を八の字に曲げて。口元をもにょもにょと動かし、なんだか照れ臭そうにして。
その強請るような顔は、まさか。
「私、ちょっと着てみたいです、ダメですか?」
やはりだ。「おい・・・今日は観光に来たわけじゃないとあれほど・・・」と苦く漏らすが、懇願するようにパチンッと顔の前で手を打たれる。
「後生です!お願いします!台座・・・ダイさんっ」
必死に丸まった背中を見て、思わず閉口する。突きっ返せば彼女の不服を買いそうだし、買うわけでもないのに試着するのもバカバカしい。どう応えれば適切か、女の扱いに慣れない無骨漢には見当もつかない。
それよか気になるのは、さっきからたびたび漏れる「台座」という言葉である。先ほど決定した話とはいえ、さすがに口にしすぎではなかろうか。
ちらりとトルソーに着せられた装束を見遣る。女にとって、こういう類の洋服はそれほど着たいと思うものなのだろうか。こんなに派手で、ヒラヒラした、露出度の高い。
そこでふと気付く。
これを針子が着る? この激しく露出の高い、民族衣装を?
それから彼女が袖を通す姿を想像するのに、幾分の時間もかからなかった。
ほんの少し色づいた真っ白な肌を覆う、上品なラベンダー色の生地。たっぷりとした布地は、きっと彼女のきゅっとくびれた腰回りを強調するだろう。そして自分を見つめる、ぽっと赤く照った恥ずかしそうな笑顔。台座さん、なんて、あのころころした声で呼ばれたら・・・。そんな想像をしてしまった。ほんの一瞬だけ。一瞬だけである。
「ほら、彼女さんもこう言ってることですし」
彼女さん。一拍遅れてはっと我に返った幹部は、慌てて「彼女じゃない!」とはねつける。
幹部は勢いよく背を向けた。
「試着はしない! いくぞッ! 今日はそんなことをしてる時間なんてないんだ!」
妄想に勝ったのである。そして、古今東西の男が抱いて然るべき愚かな本能にも。このとき幹部の肩には、勝者のタスキがかかっていたはずだ。
それが、そうじゃないかもしれないと気付いたのは、オアシスのほとりまで退散したときのことだった。
「待ってくださいよぉ」と追いかけてくる針子の声に、「ハリ、お前なあ」と振り返り、はたとする。
視線がかち合ったのは、自分をひたと睨む目。これでもかと寄せられた眉根。そこで気が付いた。針子が露骨に、怒った顔を浮かべているではないか。
そんなにあの衣装が着たかったのか──毒気を抜かれてから、新たに罰の悪さを注入されるようだった。さりとてあんな露出度の高い服の試着なんて、此度の彼女の保護者としてとうてい認められない。それに男として、耐えられそうもない。
膨らんだ頬から、今にも文句の言葉が飛び出してきそうである。
幹部は「そんなに睨むな」と肩を竦めてみせた。
「さっきも言ったが、俺達に試着するような余裕はないし、時間もないんだ。それは次回、お前の自由時間のときにしてくれ」
「お洋服ちょびっと着るだけだったら、そんなに時間なんてかかりませんっ」
「そもそも業務中に試着というのがおかしな話だろう」
「でもですね! 台座・・・ダイさんがそんな風に言うなら、私だって言いたいことがありますよ!」
「なんだ、言ってみろ」
「私は今日、そもそもお休みです!」
正論である。
幹部は「む・・・」と返答に窮した。
「業務でここに来てるのはダイさんだけで、私はもっと自由にお店を見て回るケンリがあると思います!」
正論に次ぐ正論。彼女はときたま、非常に鋭いことを言う。
幹部は堪らず奥歯を噛み締めて唸った。なんと返すのが正解か分からない。
矜持をすべて取っ払って良いのであれば、そりゃ着てほしい。しかしあれを着た針子を眼前にしたら、いくらなんでも幹部たる威厳を保つ自信がない。たぶん、顔が熱くなって動悸が激しくなって、例の病状に襲われること請け合いだ。ここで自らの矜持を捨て去るのか? きっと似合うに決まってるが、だらしない顔を決して彼女には見せたくない。
悩む幹部の隣で、針子はシュンと俯いてみせる。
「・・・でも、試着する時間がないのはそうですし、お洋服は諦めます。それに、お金もないのに試着するのは、お店にとっても冷やかしになっちゃうと思うから・・・」
「そ・・・そうか」
「ただ、その代わり他のお店に寄らせてください! せっかく来たんだから全部見て回りたいんですっ」
お願いします、と手を打つ針子に、幹部は観念し、「分かった」と頷いてみせた。
「なら、お前が買い物をしている間に、俺はめぼしい人間に聞き込みをするとしよう。一通りの用事が終わったらまたここに集合だ」
ぱっと嬉しそうに顔を綻ばせて「はいっ、分かりました!」と敬礼する針子に、やれやれと息を吐く。
他の団員相手だとこうはならない。そもそも買い物の許可を取りに来る生真面目な団員など居ないが、気持ち良く提案を受け入れられるのは、彼女だからだ。本当に、恋の病とは恐ろしいものである。
くれぐれもオアシスからは離れないように。最後に言い聞かせて、彼女が改めてゲルド族が運営する露店に歩いていくのを見送った。
さてここからは本格的に業務の時間である。
周辺でたむろする行商人に、片っ端から声をかけていく。取扱いがあるかどうかを聞くのはもちろん、薬や毛糸を作る資材の取り扱い、それらを扱う商品との横の繋がり、仕入れの依頼の可否。思いつく限り質問した。
しかし、世間は冬に入るといえ、日中は酷暑の砂漠地帯である。手荷物を切り詰めつつ売れ筋を見極めることこそ重要な商売人に、需要がないものを持ち歩く阿呆などいない。
毛糸はおろかポカポカ薬すらなんの手ごたえもないまま、すべての行商人に声をかけ終わってしまった。唯一、「もし取り扱いのあるやつがいたら話しておくよ」とは言われたものの──正直言って、こうまで成果を得られないとすると困ったものである。
『あっれぇ~?? 旦那ァ、あンだけタンカ切っといて手応えなしたぁ、どういう了見です? いンや~さすがの鬼の幹部殿も、やっぱ専門が違うと手も足も出ねえってことでさァね~! 今後、俺達に商売のことで口出しすンのはやめてもらいましょうか! ええ!?』
バナナ売りの高々とした勝利宣言が脳内に聞こえてくる。それ自体はもはや受け入れても仕方ないにせよ、成果0の帰宅を甘んじるのは矜持が廃る。せめてとばかり、目に入ったポカポカダケをプチプチと摘んだ。岩陰の隅に座って土をいじくり回す巨漢の画は非常にシュールである。
「あ、台座さ・・・ダイさんっ」
「ああ、針子か。買い物は良いの、か」
唐突の声に振り返った瞬間、幹部は目を剥く。
そこにいたのはもちろん針子だ。しかし、二手に分かれる前と随分様子が違う。
両手いっぱいに抱えたのは、色とりどりのフルーツだった。ヒヤヒヤメロンにビリビリフルーツ、イチゴ。いや、それだけならまだ理解できる。プルプル揺れるのはチュチュゼリーじゃないか。なぜ。
「・・・どうした、これは」ニコニコしながら近づいてくる針子に、思わず口角がひくつく。
「お土産ですよ! 先輩に砂漠のフルーツを買っていってあげようと思って!」
「それは良いとして、なぜチュチュゼリーまで? 必要か? これは」
「ひやひやして気持ちいいよって言われて買ってみました。たしかにこれ、持ってるだけでひんやりしてサイコーです。砂漠を歩くのにちょうど良さそうじゃないですか?」
傍に寄って気付く。周囲に冷気を放つそれは、単なるゼリーではなくアイスチュチュゼリーであった。
確かにアイスチュチュゼリーは身体を冷やしてくれるし、砂漠では活躍するかもしれない。ただ、チュチュゼリーは衝撃に脆く、持ち運びに向かないのだと彼女は知っているのだろうか? 下手をすれば爆発し、熱砂の中で自分が氷像になりかねない。
針子が砂漠の真ん中で固まってしまう場面を想像し、いやいやそれは、と頭を振る。
なにから説明すべきか考えていると、針子は「あっちで食べましょうっ」とオアシスのほとりにさっさと歩いていってしまう。
元より、そろそろ昼飯のつもりだった。早々にチョコンと座ってみせる針子を、幹部も眉間に皺を寄せたまま粛々と追いかけた。
「────ゲルドキャニオン馬宿に行商人が?」
ゲルドの露店で買った肉を食べながら、カラカラバザールで得た情報を交換する。
なにも成果がなかったと告げる幹部に対し、一生懸命に骨付き肉に齧りつく針子が呟いたのは、目的に繋がる可能性を秘めた情報であった。
「はい。ゲルドのお姉さんが教えてくれました。砂漠の入口に馬宿があるから、そこに行けば行商人に会えるかもしれないって」
「しかしあすこは確か、最近廃業になったばかりだと聞いたが」
ゲルドキャニオン馬宿は、かつて栄えるゲルド地方で唯一の馬宿であった。しかしこの数か月の合間にハイラルを襲った天変地異により街道が飛来物で埋まり、人足が激減。新たな街道を整備したところで利用者を呼び戻せず、廃業に追い込まれた場所だとか。
営業もしていない馬宿で行商人に会えるとは考えられない。
針子はゴクンと大袈裟な動きで飲み下してから「それがですねっ」と揚々語る。
「営業自体はやってないそうなんですけど、魔物があんまり出ないのも分かってるから、あの辺りで休憩をとる人が多いんですって! 周辺に休憩場所がないから、っていう話みたいです」
「それを・・・ゲルドの店主が?」
「はい。チュチュゼリーのお姉さんがそうだって。狩りに行ったついでに、あそこでよく会うんだって教えてくれました!」
まさか、諜報の「ち」の知らない娘が、これほど益になる情報を掴んで戻ってくると誰が思うだろうか。それも一次情報。並の諜報員でもおざなりにする輩の多い裏付けまでしっかりと取っている。
「でかしたな、針子」とほめそやすと、針子は「えへへ」と肉の油で照った唇をニコッと緩めてみせた。
「じゃあ、お昼ご飯を食べたら次は馬宿に出発ですね! 急いで食べます」とまた小さな口で一生懸命かぶりつく針子に、「いやそんなに急がなくていい」と、既に食べ終わった幹部が首を振る。
「しかし、あすこに行くにはまた砂漠を小一時間ほど歩くぞ。いくら薬があるとはいえ、この暑さは体力を削る。それに、谷に帰るとなったら日が暮れる。本当に大丈夫か?」
「大丈夫です! アイスチュチュゼリーもありますし、お肉も食べて体力回復! チャンスがあるなら動くだけ! ですよ!」
両の細腕をムンッと持ち上げてガッツポーズをしてみせる針子に、「そうか」とほっと息を吐く。
本人のやる気があるのであれば、着いていくしか他にない。それに、無理だと思ったらその時点で戻ればいい。その判断をするのが、此度の自分の仕事でもあるのだ。
昼餉を済ませた二人はカラカラバザールを発つ。
向かうは廃業のゲルドキャニオン馬宿。太陽が、そろそろ西に傾き始める時刻のことである。