【本編】鬼の幹部が恋をした!
針子の後を追って、幹部はイーガ団アジトの食堂へやってきた。
四角い部屋の壁に沿って置かれた座敷卓が、団員よって埋め尽くされている。扉をくぐった瞬間に身体を包む、料理のにおいとムワッとした熱気。同輩と心置きなく話ができる唯一の場であるが、この賑々しさがいつもどうも頭に響く。
炊事担当からうどんの乗った盆を受け取った二人は、隣り合って座れる場所はないかと部屋の隅にまで目を遣った。しかし、時刻は昼時。いくらイーガ団員が昼だろうと夜だろうと業務に没頭するきらいがあるとはいえ、三食の時間に食堂が混むのは当然か。
何度も右に左に首を回して見せた針子は、最後困ったように肩を竦めた。
「あちゃあ、どこもかしこも埋まってますねぇ。うどん貰う前に、席を取っとくべきでした」
「まさかこうまで席が埋まってるとは」
「この時間、いつもこうなんです。私もいっつも座れなくて」
「弱ったな。あまり席探しで時間を取られたくはないが……」
「幹部殿、幹部殿! こっちこっち!」
辺りを眺めていると突然、背後から声がする。見れば、座敷卓の上から一人の構成員が手招きしている。声や仕草だけではどの部班かも判断できない、見知らぬ団員だった。
周囲を見回しても、他に幹部役はいない。呼ばれる心当たりもなく首を微かに捻ると、構成員は大袈裟な動作で自身の座る卓を指さしてみせる。
「俺、もう食い終わったからここ使ってくださいよ。席空いてなくて探してるみたいだったから!」
「ああ! すまん、助かった」
「へへへ、いいんですよ。ごゆっくり」
構成員は卓を跨ぎ、首だけの会釈を残して立ち去っていった。「ありがたく使わせてもらおう」と針子に一瞥し、席に着く。
「優しい人がいて良かったですね!」と横並びで針子が盆を置くが、おそらくそうではないと心当たりがあった。
地位ある幹部役に、おためごかしで擦り寄る団員は少なくない。さっきの軽薄な笑み。「良いようにしてくださいよぉ」と言外に言い聞かせられるようでもあった。とはいえ、実際に観察眼がなければ上司の困りごとに気付くこともできないのだ。そういう意味で、まぁ良いようにしてやろうかと思ってしまう自分もいる。
去っていった団員の背中を目で追いかけていると、針子が腰掛けてくる。妙に窮屈で、この狭い空間に熱がこもった気がした。
そこで、漸くはっとなる。
今から一緒に飯を食うのか? 針子と、この距離で?
彼女が縮こまるような正座をしたとしても、自分自身が巨漢の胡坐とあらば、座敷卓にスペースの余裕はない。ほんの少しの地震でも来れば、肌が触れ合う近さである。仮面を額にかけた針子がへらっと無防備な笑みを向けてきて、なんだ。頬に落ちた睫毛の影までよく見えるじゃないか。室温が高くなったような気がしたのは、空気越しに伝わる体温の所為か?
幹部の焦りに針子は一切気付いていないらしい。意気揚々とフォークを持ち、当然とばかりに手を合わせた。
「これでやっとおうどん食べられますね、お腹ぺこぺこです」
「うむ……俺も、朝餉から随分開いたからちょうど良かった」
「台座さん、朝早いんですもんね。では、早速食べましょう! いただきまー」
「待て、飯の前に仕事の話をまとめたい。いくつか確認事項があるから、忘れないうちに」
「……仕事?」
「外出するんだろう。日付は早くて二日後を予定しているが、出立の時刻と帰宅の予定時刻。あとは向かう場所もいま決めておきたい。それと、他の団員に聞いておいて欲しいことがあるから、筆録を……」
人差し指、中指、と数えながらふと視線を上げて、幹部は言葉を噤んだ。
針子が固まっている。手を合わせたままの格好で。下唇をむっと噛み、見上げてくる瞳が酷く恨めしそうだった。まるで「なんで空気を呼んでくれないのか」と攻め立てられているようである。
食べたい。早く食べたい。このままじゃうどん伸びちゃう。相談はあとでいいから、先にご飯を食べましょう。
目は口ほどにものを言う。他の団員に睨まれたのならば、見て見ぬふりをしたかもしれない。それができないのは、やはり仮面がないからだ。それに彼女の瞳が、思わずズルいと思うほど自分を見つめてくるからだ。
幹部はぐ、と気圧されてから、静々とうどんに向き合った。
「……先に食うか。伸びるしな」
「やった! いただきまーす!」
待て、から、良し、と許可を出された飼い犬のように、針子はすぐさまうどんを掬い上げた。今日の昼餉は、野菜がたっぷり入った味噌煮込みうどんだ。タバンタ小麦を使ったうどんは割と頻出のメニューだが、味付けは仕入れ状況によって毎回違う。ガッツニンジンにカボチャまで入った汁は、同族村の家庭料理でもある。
針子はするるる、と豪快に啜り、ちゅるん、と勢いのまま汁気を飛ばした。行儀が良いとはとうてい言えないものの、食べっぷりは見ているだけで気持ちが良い。
いつかに頬を膨らませて怒ってみせたときも同じことを思ったが、オタテリスが木の実を含んだ顔と瓜二つだ。ただ、あれは野生の動物で、咀嚼の度にウンウン頷くような隙を見せることはないだろう。この娘の緩みきった目尻。ぱんぱんに膨らませた柔そうな頬。決して野生では生きていけまい。
「台座さんも早く食べないと! 伸びますよ!」
「ああっ、……そうだな」
我ながら変なことを考えた。虚を突かれたようにハッと我に返り、言われるがまま箸を持つ。
仮面を口の分だけずり上げ、一応ふう、と息を吹きかけるものの、うどんはすっかり冷めていて人肌の温度しかなかった。しかも不思議なことに、味がない。味噌のコクも、塩っ気も。いや、分からないと言った方が正しいか。その原因は隣のオタテリスであって、この味覚障害は恋の病がもたらす諸症状のひとつなのであった。
いまいち箸の進まない幹部の横で、針子が湯呑を煽り、「ぷはあ!」と満足気な息を吐く。
「お味噌味のうどん、私初めて食べました。とっても美味しい! これはハマりますねっ」
「ここらじゃ味噌自体が貴重だしな。誰ぞがカカリコにでも行ったんだろう。あすこは気に食わんが、まぁ、飯は舌に馴染むな」
「へ~よく分かりませんが、そうなんですねぇ?」
ずぞぞ、とうどんを啜る針子に倣って、二口目を啜った。食堂では盆を手に持った多くの団員が行き交っていて、目にも耳にも賑々しい。ほとんどはアジト内で従事する人間だが、外回りから帰ってきたらしい変装の団員もある。動きの癖に見覚えのある者。まったく見覚えのない者。ここも随分、人が増えたものだ、とぼんやり思う。
ふとなにか視線を感じて、幹部は横目をやった。口を微かに動かしながらこちらを見る針子がいた。なぜ、とどきまぎしたものの、しかし目線が合わない。彼女が見ているのは、もう少し下の方だ。
ごくんとうどんを飲み込む。「……なんだ」と、丸い瞳に圧されれば、そう問わざるを得なかった。
「台座さんの仮面の下を見るの、初めてだなぁって思って。お髭生えてるんですね、知りませんでした!」
仮面を常態とするイーガでは、毎日髭を剃る人間は少数派である。幹部も御多分に漏れずだ。確か前回剃ったのは一週間も前のことで、今は小指の先ほど伸びている。
指先でざり、と撫でながら「ああ、これか」とぼやく幹部に、針子が毒気なく言ってのける。
「真っ白なんですねぇ、なんだかおじいさんみたい!」
「お……ッ!?」
おじいさん。可愛らしい唇から飛び出した言葉にしては、いささかパンチが強すぎる。さながら体重を全部乗せた渾身の右ストレート。ドスン、と腹部直撃の痛みを振り払い、幹部はドンッと拳で食卓を叩いた。
「違うッ!! 俺はまだ30代だ! 髭が白いのはシーカー族だからだッ!!」
食堂の喧騒に紛れる怒張声。しかし隣近所で飯を食う団員は漏れなくビクンッと肩を跳ねらせ、彼らの様子にそっと覗く。そんな野次馬的視線を、幹部はひと睨みで散らし……まったくもって理不尽である。
凄む幹部の様子をもろともせずに、針子は「あ、そっか!」と得心したように手を打った。
「シーカー族って白髪なんでしたっけ! じゃあ髪の毛は……?」
「染めてるんだっ。そもそもイーガに入団するなら黒染めがしきたりだ。他の団員だって大体そうだし、まったくの地毛の方が珍しいぞ」
「そうなんですねっ、知りませんでした。じゃあ、私って少数派なんですねえ」
「そういうことになる。まあ、そっちの方が楽でいい。黒染めには時間がかかるから」
へぇーと何度も頷く針子が、今度は頭の先を観察しだしたのが丸わかりだった。できる限り背筋を伸ばして、下手をしたら今にも立ち上がりそうである。
もはや見ないふりしながら残りのうどんをずるずると平らげ、幹部はさっさと仮面を元に戻した。それでなくとも、いくら同輩とはいえ素顔を晒すのに抵抗がある。他の者だってそうだ。なのにこの針子ときたら、素顔で、それもまったくの抵抗感なく、ズイと椀を覗き込んでくるんだから。
「えっ、もしかしてそれでおしまいですかっ!?」と、大袈裟に聞かれ、すべてを飲み込んだ幹部は、「お前が遅いんだろう。まあ、待ってやるからゆっくり食べろ」と壁に体重を預ける。それからずるずるずるっ、と勢いよく食べ始める姿を見て、やれやれと思った。ゆっくり食べろと言った傍から急ぐんだ。ただ、そのあまのじゃくが憎めないのも確かであって。
手持無沙汰にハイラル草のおひたしで箸休めをし、見るとはなしに食堂へ視線を向ける。
「ぐっ」、と鈍い声が聞こえたのは、その後すぐだった。
「げほげほっ、ゲホッ!!」
「なにやっとるんだっ、ほら、茶を飲め……あ」
胸に手をあてて盛大に咳き込み続ける針子に湯呑を差し出すが、中身がない。なぜ残しておかないッ、と一瞬理不尽な文句が出かかったが、幹部は一も二もなく炊事場にすっ飛んでいき、コップ一杯の水をくんで戻ってきた。顔を真っ赤にさせた針子に「ほら、水」とコップを渡すと、すぐさま煽って空になる。
「っはぁ」と盛大な溜息。濡れた口元を手の甲で拭った針子は、そこで漸く落ち着くことができたらしい。「ありがとうございます、うどんで死んじゃうところでした」と冗談が出たところで、幹部もふと、肩の力が抜けるのを感じた。
「大袈裟だなっ、しかしお前はなぜそうまでドンくさいんだ。共に外出するのは良いが、不安になってきたぞ、俺は」
「えへへ、ごめんなさい気をつけます! でも、なにかあったら今みたいに、助けてくれるってことですもんね」
照れか恥じか、俯き加減に見える涙のきらめく瞳に、幹部は唇を噛んだ。心臓のど真ん中が射貫かれたのだ。好いた女の上目遣いが琴線に触れない男など、この世に存在するものか。
露骨に仮面を背け、それから盛大に茶を啜った。じゃないと口許がだらしなく崩れそうだった。湯呑にほとんど中身はなかったが、そんなこと、啜らない理由にならない。
暫く空気を啜り、体裁を整え終えた幹部は、針子の健気な視線に応えるべく口を開く。
「……お前と出会ってから、調子が狂うことばかりだ」
「そうなんですか? 私は台座さんと会ってから、かなり充実してますよ!」
その後すぐに「というか、ここに来られてから?」と訂正が入って、一瞬で強張った身体が緩む。本当に、この娘の言動は心臓に悪い。
「マリッタ支部も楽しかったですけど……アジトの方が人いっぱいで、お仕事もいろいろあって楽しいです。お布団もしっかりしててよく眠れますし!」
「お前はマリッタ支部から寄越されたんだったか。……しかし変わってるな。あすこは支部の中でももっとも過酷な場所だぞ。周囲にはなにもないし、洞穴に荷を運んだだけの場所だったと思ったが」
「え~、でも寒くもないし暑くもないし。ご飯があって雨風が凌げるってだけでサイコーでしたよ」
針子が、改めてうどんを啜り始める。なんの感慨もない顔で言ってのけたが、彼女はただの民間人だったはずなのだ。
幹部はことりと湯呑を置く。
「お前、どういう生活を送ってたんだ。それまで」
イーガにやってくる人間は、脛に傷のある者ばかり。特に民間人から入団した者はおしなべてその傾向があり、だからこそ過去の話を詮索するような真似は、暗黙の了解として避けられている。
それを破ってしまったのは、結局彼女のことを知りたかったから。それが許されると、どこかで自分を甘やかしてしまったから。
うーん? と小さく唸りながら、針子がまだ幼さの残る薄い口元に指先をあてる。
「マリッタに行く前はー……、行商の人のお手伝いをしてました。行く先々でお仕立てしたり、作った小物を売ったり……台座さんみたいに荷馬車の番もしてましたよ! だから馬宿で寝られるときはいいけど、そうじゃないときは野宿ばっかりで」
「家は? 冒険者というわけではなかったんだろう?」
「えっと、お父さんとお母さんが死んじゃってからは叔母さんと二人暮らしで……ただ、17歳になったら独り立ちしなさいっていわれてて、それで」
「……そこからずっと、流しをやってたわけか?」
「そうですね、いろんな行商人さんのお手伝いしながら、なんとか生活してました!」
明るい表情のまま紡がれる昔話。声だっていつも通り、鈴の音を転がしたように澄んでいる。しかし、どうしてだろうか。その視線がなにを捉えているか分からない。言葉を選ぶ一瞬の沈黙。周囲はうるさいままのはずなのに、幹部の耳には、彼女の声以外が消えてなくなったようだった。
針子が、過去を思わせない朗らかな表情で、幹部に微笑みかける。
「だから、マリッタの団員さんに見つかって連れてかれたとき、良かったーって思いました。外は魔物も人も怖くって! 捕まった時はどうなるんだろうって思ったけど、お仕事してたらすっごく褒めてくれて」
「マリッタの団員さん、みんな仲良しなんですよ」続く声には懐かしさが滲む。きっと本当に、彼女にとっては良い思い出なのだ。無理に仕事をさせられただけだというのに、それでも彼女はそう言い切れる。
しかし、次の瞬間に針子の表情が変わった。人差し指を捏ねながら、気まずそうに俯く。
「だから私、ここでも仲良しの人ができればなって思ってて……。どうにかなりませんかねぇ、台座さん」
まるきり唐突な相談で目を剥いた。それまでに辺りを取り巻いていたしんみりとした空気が、あっという間に搔き晴れる。
「な、なぜ俺に聞く」
「え? だってこの前、新人に困りごとがないか聞いてやるって言ってませんでした?」
確かに言った。確かに。飯を一緒に食おう、という誘い文句のついでにそんなようなことを。
「そ……」そんなこと言ったか、ととぼけるのは簡単だ。しかし、真面目な彼が下手な取り繕いなど土台できるわけもなかった。「うだな……」
だからといって、彼女の悩みを解決に導けるかと言われれば、否。なんせ幹部の方こそ友人の一人もいないのだ。飯だって、いつも一人で食っている。誰かと隣り合い、和気あいあいと会食することなんて数年ぶり。いや、幹部が話し手になったことを考えれば、初めての機会だったかもしれない。
要するに寂しい男だ。相談相手を間違っている。二人の話に聞き耳を立てる人間がいたとしたら、誰もが誰も、そう頭に上ったに違いない。お嬢さん、その人は周囲から怖がられているお偉いさんで、コミュ力だったら貴女の方が格上なんですよ、と。
しかし、幹部は一世一代の賭けに出る。
「……飯なら、俺が一緒に食ってやるが」
いつもの腹式呼吸の音ではない。食堂を取り巻く喧騒や、うどんを啜る音にすら負けるような声だった。
針子はきょとんと目を丸くし、幹部を見返す。少し身じろげば、膝すら触れる近い距離。結局それが良かったのだ。だから耳に届いた。
口をぽかんと半開きにさせ、それからゆっくりと、両端が持ち上がっていく。ごく自然な動作で、まるで耐えきれないと言われているように。
破顔、という言葉がこれほど似合う表情を、幹部は見たことがなかった。
針子が身を乗り出す。ひた、と柔らかい膝が温かかった。
「いいんですか……! 台座さん、私と仲良しにっ?」
「いやっ、そうは言っていない! 飯くらいだったらいつでも付き合う、と言っただけだ。そこまで気安くされても困る!」
「分かりました! 私のランチ仲間第一号ですねっ、嬉しい! えーっ、ありがとうございます!」
「昼に限ってはいないぞ。いつでも、だな……」
「ふふっ、じゃあご飯仲間ですね、都合がつけばお願いしますね!」
満面の笑みに憚らない彼女の顔を見ていると、一言だって逆らえない気がしてくる。矜持だろうと責任だろうと労力だろうと、一切省みる必要なんてない。心の底からそう思えてくるのだ。
「うむ」と口ばかりは雄々しく返事して、また湯呑を口につける。針子は残りのうどんを啜った。ずるずるという音と、食堂の賑やかさが耳に入ってくる。まだまだ昼餉のピークは続きそうだ。
しかし、なにか忘れている気がする。
自分達がここにやってきたのは、ランチ仲間としてではなかったような。
「……外出の話! 忘れていた!」
はっとなって口にした言葉に、針子も一緒になってはっとする。
席の埋まる食堂の中、二人は居心地の悪さを感じながらも外出の相談を進めていくのであった。
次回、初デート!