【完結済】イーガの男は忘却女の首を刈れるのか?

天気の良い日だった。
太陽はどこにいても同じだ。なのに、砂漠で感じる日差しと、平原で感じる日差しは随分違って柔らかい。
夜を生きる俺にとっては、どっちもどっちで辟易するほど眩しいことには変わりない。
ただ、女はそうでもないらしい。冒険者に身を扮した彼奴が小さく鼻歌を歌っている声が、ずっと耳に聞こえていた。
天気の良い日に外回りをするときは、いつもこうだった。なぜ機嫌が良いのか過去に聞いたときは「何故か楽しくなるんです」と言われた。鼻歌を歌っている間は生気のない顔が楽しげだから、俺もそれ以上は何も言わなかった。

隣り合って道を行くのにも、もう慣れたものだ。触れ合うか触れ合わないかという距離感は、きっと周囲からの警戒心を掻き消すのにも役立っていたに違いない。諜報任務はあまり得意ではないが、こいつと二人で行くときは少し気が楽なのは確かだ。

「おや、あんたたち」

集落にたどりついたとき、それでも出迎えた村人は、少し怪訝そうな表情だった。

「・・・初めて見る顔だね、こんなところに何をしに?」
「ただの冒険者です。もし食べ物か何かを売ってるところがあれば、教えてもらいたくて」
「この先に野菜を売ってる女がいたが。・・・そういえば最近は見ないな。そもそも出不精ではあったが」
「そうですか。まぁ行ってみます。ありがとう」

眉間にしわを寄せたままの村人に軽く会釈をして、俺たちはまた歩き出した。
背中に訝しげな視線が刺さっているのを感じたが、それもきっと、すぐに逸らされる。ここの村人は、臭いものには蓋をし、見ないふりをする性質なのだと女から聞いていた。
それよりも、村人の視線から逃れるように俯き、そのまま顔を上げない女の強張った顔が気になった。
暫くして遠慮がちに村々を見回し始めたので、やはり思うところがあるのだろう。いつもの豪胆さに隠れる気弱さを、気付かれない程度に横目で見つめることにした。

「久しぶりです、帰ってくるの」
「外回りのときも、この辺りは寄らなかったか?」
「だって、覚えてなかったですもん。村の場所なんて全然」

それもそうか。と相槌を打ちながら、まばらに建ち並ぶ家々を横目で通り過ぎていく。

目的の家は、集落と少し離れたところに建っていた。
林に飲み込まれそうなほど鬱蒼とした見た目。いや、それは結局、暫く誰も住んでいないからかもしれない。一人で住むには随分大きな家だ。日陰の白壁は苔で緑色に染まり、キノコがところどこに生えている。屋根には雑草が顔を出しているし、木戸は朽ちて外れかかっていた。もはや廃墟と説明されても疑わない。

しかし、「あちゃあ」と言いながら女が寄ったのは、家の隣に広がる畑であった。
おそらくさまざまな種類の作物を植えていたのだと思うが、今は何も残っていない。食べ散らかされ、土も踏まれて荒らされた形跡がある。恐らく野生動物か、ボコブリンなどの魔物の仕業か。
屈みこんで、枯れた蔓をつまんだ背中は小さく、よほど大事だったのかと、女の新たな一面を見た気になった。

「今年はたくさん採れそうだったのになぁ」
「何を植えてたんだ」
「ハイラルトマトとか、ガッツニンジンとか」
「何も残ってないな」
「まぁ・・・どっちみち、これほどほっといたら、全部ダメになってたでしょうけどね」
「また植えたら良い。今度はそうだな、ツルギバナナとか」
「こんなとこに植えても育ちませんよ」

膝を払いながら立ち上がった女は、呆れたように笑った。
この辺りは確かにツルギバナナを見かけないし、流通もしていない。なるほどそうか。育たないからなのかと、言われて初めて思い当たる。

「でも、そうですね。好物だし、育ててみるのもありかも」

コーガ様が、カルサー谷でバナナの生育を計画していると聞いたこともある。
冗談めかして笑ったこいつの言葉は、もしかすると何かに昇華される日が来るかもしれない。そんなの俺だって、本気で思ったわけじゃないが、それも良いなと頭を掠めていったのは事実だ。

ギ、と軋んだ音を立てながらでも、外れかけの木戸はきちんと役割を果たした。
薄暗い家の中に入ると、湿気たカビのにおいが鼻をつく。岩壁の家は水気が籠りやすいし、外が雑草に囲まれてるので、蒸れたにおいがするのは当然かもしれない。
しかし、女がイーガへ発ったあの日のまま、部屋の様子は変わっていなかった。薪のくべられた暖炉に、人が抜け出た形の布団、そして机の上に放られた日記。

女は部屋に入ると「はぁー」と深くため息を吐き、暫し仁王立ちとなった。辺りを見回してから「帰ってきちゃった」と小さく呟き、感慨深そうに埃だらけの机を擦る。

「変わって無くて良かった」
「物取りに入られた形跡はないな」
「取るものがありませんから。それこそ畑の野菜くらいしか」

大きくて立派な棚や、意匠の凝らされたテーブル、椅子が並ぶ中で、取るものがないとはどういうことか。と思ったら、確かに女の言う通りだった。
大きな食器棚の中には、皿が一枚、二枚と重ねられているだけで、それもかなり古ぼけている。本棚も数冊が横になっているだけで、あまり家具としては使われていないようだ。
立派な家ながら、素朴な暮らしの跡に、ちぐはぐとした印象を受けた。女一人で最低限の生活を送っていたのがありありと分かる。

「洋服だけでも、持って行こうかなぁ。イーガの装束は可愛くないし」

棚に畳んであった服を広げて首を傾げる様子に、こいつも服へ執着するのかと、意外に思った。が、女とは得てしてこんなものだろう。外回りの業務に行くだけなのに、今日は何を着ていくかと騒ぐ女連中の声を聞いたことがある。要するにこいつも、どこにでもいる女と同じなのだ。俺が、知らなかっただけで。

「まぁ、確かにあっても困らないな。変装用の服にも使えるし」
「えっ、変装用にするんですか。私の服を」
「何着もあるなら、少しくらい提供したらどうだ。イーガは物資に困ってるんだ」
「うーん。とりあえず一張羅だけにしておきます。自分用に」

提供すれば良いのに。と思ったが、大切そうにまた畳んで机の上に置く女に、それ以上無理強いすることもなかろう。俺は口を噤んだ。
部屋を一回りして、女はつと、暖炉の前に屈みこむ。置いてあった火打石をカッカッと擦り合わせて薪に火をつけると、その後は段々と大きくなる火の影をじっと見つめ続けた。何も言わず、膝を小さく畳んで屈みこむ姿は、自分を抱きしめているようにも見えた。

「この家と畑は、両親が遺してくれたものなんです」

パキパキと火が爆ぜる音に紛れ、おもむろに語り出す。薄暗い中でオレンジに染められた横顔は遠い目をしていた。その先に見ているのはきっと、やっと取り戻した過去の光景なんだと思う。

「あんまり覚えていないけど、両親の髪は黒かった。そこに赤髪の私が生まれたから、すごく困惑したらしくて。家族がバラバラになってもおかしくなかったのに、両親は集落の隅に家を建てて、三人で生きることを選んだ」
「立派な両親じゃないか」
「でも、幼いときに死んじゃって、それからは私ひとりになった」

ふっと瞳を伏せて、「立派、なんでしょうね、それでも」と呟いた声は、自らを言い聞かせるように聞こえた。

「私の人生は、日記の通りです。親が居なくなって、村の人から嫌がられて、ツラくて苦しいことが、たくさんあった」

立ち上がり、窓辺の机に置かれたままとなっていた日記の表紙を、指で撫ぜる。
両手で持ち上げ、じっと見つめた先、女は何を思っているのだろうか。その背中は寂しげで、今にも消えそうなほど儚い。小さく俯き、物言わぬ刹那の間、部屋の中は暖炉の音しか存在しない。

近づいて、肩に手をかけ、寄り添ってやれば良いのだろうか。支えるような言葉をかけ、励ましてやったら良いのだろうか。隠密に生きてきた俺は、女一人慰める知恵を持っていないことに、この場で初めて気が付いた。
しかし、俺の逡巡など関係ないように、女は「でも」と身体を反転させる。

「親からは愛されてた。それに本当に嫌がられてたらここに居ないし、畑を手伝ってくれる人とか、良くしてくれる人もいました。日記ほど悪いことばっかじゃなかったって、私の頭の中にはきちんと残ってます。私の生は無意味でも、死んでもなんでも良い、なんてこともなかった」

しっかりと今を生きる人間の顔だった。声を返す一瞬の間、女はずんずんと暖炉に向かい、日記を火の中に放り込んだ。

分厚いそれが完全に焼け落ちるのには時間がかかるだろう。しかし勢いを増し、踊るようなオレンジで包み込まれる彼女の過去は、誰にも知られることなくこのまま灰になる。
徐々に黒くなっていくそれを、二人で黙ってじっと見つめた。木の爆ぜる音に混ざって、紙が燃えるカサカサとした音が聞こえた。ゆらゆら揺らめく炎の影が、女の頬を、髪を、撫でているようだ。しっかりと開かれた瞳を小さく覗き込めば、その瞳孔にも過去の燃える様が見て取れる。

「一応聞くが、戻りたいと思うか、元の生活に」
「全然。イーガでの、貴方に掬われた生活の方が、ずっと温かいから」

ぱっと勢いよく上げられた顔は、見たこともないくらい、穏やかだった。細められた目に、緩やかに曲げられた口元。なにを考えているのか、はっきりと伝わってくる。あれだけ曖昧で、何の感慨もない顔をしていた女が、穏やかな顔で笑っている。まるで冬の間に固く閉じられた蕾が、やっと春を迎えて綻ぶように。


「私を諦めないでいてくれて、ありがとう」


こんな顔は見たことが無い。返す言葉が思いつかず、居心地も悪く、ただ頬を掻く。そんなつもりもなかったことを、改めて言われるのには慣れていない。俺の勝手だっただけなのに、それを説明するのもバカらしくて。
正面に向いたままどうこう言うのは、どうも性に合わない。俯き加減にそっぽを向いた。

「・・・暗殺を生業にする人間に、生かしてくれてありがとうなんて言うもんじゃない。それは俺にとって、不名誉なことだ」

実際、女と関わる間、俺はヘマばかりしてきた。
殺しの現場を女に見られ、その後見逃したこと。イーガへ連れ帰ればどうにかなると思い込み、記憶がすぐ戻るだろうと軽く見積もっていたこと。鍛錬で無茶をさせたこと。女の頼る場所になったことや、女の赤い髪ばかりが、色づいて見えるようになったこと。

しかし、確かに、記憶を捨てさせ、殺さない選択をしたのは、ヘマでは無かった、のかもしれない。
俺は、彼女の強い瞳を見返した。

「ただ、まぁ、良かった」

それに返ってきたのは、ただ言葉なく、より活き活きと深まった笑みだった。

過去が灰になる。暖炉の火が消える。また家の中が暗がりに沈み、3人の家族が住んでいたここが、無人になる。
女はワードローブを一着手にかけ、俺の元へと寄り添ってきた。


「帰るか。俺たちの居場所はここじゃない」


すっかり黒く染まった頭を撫でつける。
赤くもなく、整髪して短くなったそれは、やっぱり柔らかくて綿のようだった。
「はい」と返事する彼奴の目は、薄く開かれ、だがしっかりと前を向いていた。


俺たちは木戸を抜け、最後に一度、中を覗き込む。
赤髪の女が住んでいた世界。俺たちが邂逅を果たした、きっかけの場所。


「行ってきます」と呟いた声を残し、ぎぃ、と蝶番を軋ませながら、俺たちはひっそりと戸を閉めた。


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