【完結済】イーガの男は忘却女の首を刈れるのか?

女がイーガへやってきて数日が経った。
イーガの人間は、働かざるもの食うべからずという言葉通り、谷間に身を置くのであれば全員が全員、何かしらの役目を請け負っている。コーガ様の宿願を果たすために暗殺や諜報をおこなうだけでなく、集団として存在し続けるためには衣食住を整える専任も必要だ。
ただ人からイーガに入団を果たした女は、どんなに非力で知識が無かろうと支障のない「物資管理班」の一員として、居場所を得ることになった。
物資管理班をまとめる幹部役には嫌な顔をされたが、事と次第によっては足抜けを企てる可能性もある。重要機密に触れない部署への配属は仕方ないと説明し、最後には渋々押し付けられてくれた。

とはいえ、イーガの本懐は隠密。いつ何時、間者や魔物、敵方に押し入られるとも分からん不穏な集団として、非戦闘員といえど日頃から身体を鍛え、術を磨くのも仕事の内である。せめて弓の引き方や刀の振るい方を知りでもせねば、お荷物であることから変わらない。せめて自分の身は自分で守れるようになるまでは面倒を見ねばと、腹を括っていた。

奴にかまけている間は、俺も諜報や暗殺業務に出向くことができない。イーガの花形と言われる隠密部隊の仕事は、正しく俺の矜持になっている。さっさと女を使えるものになるまで鍛えあげ、ハイラルを駆ける色鮮やかな毎日に戻りたい。

ここ数日で、やつと過ごす一日の流れができあがっていた。物資管理班の善意で、彼奴の仕事は午前中をもって終わるように調整されている。未だ慣れぬことも多い故、午後から鍛錬や学びの時間に宛がえるようにとだ。やつが仕事をおこなっている間に、俺は俺自身の鍛錬を終え、昼餉を食べ、やつに相対する。
その後は夕餉の時刻まで付きっ切りでイーガでの生き方を叩きこんだ。

「来たか、女」
「来いと言われてるので」

修練場の一角。昼餉を食い終わったら来るようにと伝えてあるが、やってくるのはいつも俺の方が先だ。
一旦木箱に座らせてイーガの理を説くものの、こいつはいつも眠そうで腹が立つ。滔々と語る間にこっくりこっくりと船を漕ぎだすので、呆れて立たせるのが常だった。どこまでも他人事。耳元の鉄飾りを指先でくるくると弄り、興味がないのを隠しもしない。

実際、何を俺に脅されても、聞き飽きた淡泊な声音で、気の無い返事が返ってくるばかりであった。

「イーガは暗殺を生業にしている。貴様が記憶を失ったのは正にその現場を見たからだが、ここにいる以上、貴様が人を手に掛ける可能性も0ではない」
「そうですか」
「もちろん死と隣り合わせの業務故、新人たるお前が直ぐ様外回りをするようにはならん。腕を磨き、技術を身につけた暁に、という話だ。肝に銘じておけ」
「はあ、わかりました」

全てが全てこのような調子で、何を言っても受け入れる。しかしその実、真に理解をしているようには聞こえないし、自分に言われているのだと自覚もないに違いない。そのどこまでも他人事な声色に、胸中でいつも腹の虫が騒ぎ出し、やる気のない彼奴へむける視線にどうしても蔑みがこもる。

「拒否感は、ないのか。人間の首を刀で裂き、血を滴らせ、心臓を刀で刺せと言ってるんだぞ。お前の薄い覚悟で出来るのか」

人差し指をやつの面先につきつけると、漸く怒気に気付いたのか、奴はそこでやっと居住まいを正す。それまで手持ち無沙汰にしていた両手を膝の上に置いて、首を傾げて見せた。

「でも、そうしないとここでは生きていけないのですよね?」
「怖くはないのか。嫌だと思わないのか」
「大丈夫でしょう。私なら平気です」
「なぜ言いきれる」
「死ぬのと殺すのは、同じところにあると思うからです」

理解ができない。一度は死を受け入れ、生を放ったとして、ここまで他人事になれるのか?

「受け入れるということか?全て」
「それしかないんでしょう?」

至極当然と返されて、俺はそれ以上の問答をやめた。

確かにこいつが歩んできた道のりは光も無く、止む気配の無い雨の日のようなものだったのだろう。しかし、陰ではあるが新たな居場所と人生を掴んだのだ。これから先にすら頓着ない意味が分からない。
記憶を失う前の女を俺は知らないが、日記に吐かれた恨みつらみを思い出す度、きっと以前の彼奴も今と同じように、いつ林の奥にふらりと足を踏み入れるか分からない顔をしていたに違いないと考える。その生への無責任さに、俺はいつまでも腹のむかつきを止められないのだ。

彼奴に仮面を渡して良かった。またあの気だるげな瞳を見たら、俺は彼奴の首に手をかけるのを、止められなかったかもしれない。




■ ■ ■



昼餉を食っている最中、食堂で女を見た。
相変わらずのボサボサとした赤髪は、集団の中でどうしたって目立つ。この後どうせ鍛錬場で顔を合わせるのだ。声を掛けようかとも思ったが、せめて昼時くらいはあの生気のない声を聞いていたくなく、俺は結局声を掛けなかった。

その時、食堂は割と混雑していて、彼奴が座れるような卓は残っていなかった。確認してから飯を受け取れば良いものを、彼奴はやはりどんくさい。盆に昼餉をめいいっぱい盛ってから空いた卓が無いことに気付き、右往左往と食堂を歩き回っていた。
俺がいた卓は、詰めれば一人分くらいの余裕がある。こっちを見ているように面が向けられ、変な罪悪感から「まずい」と思ったが、あいつは俺の近くを素通りしていった。
俺だと気付かなかったのだろうか。面を上げたままの彼奴は、吸い寄せられるように部屋の一角へと歩いていく。

女を手招きしていたのは、一人の構成員だった。卓に二人分の盆を並べ、談笑しながら席につく。
仮面を外した先、朗らかに笑う顔が見えた。いつもの死にそうな顔じゃない。そこらへんにいる人間と同じ顔だ。
てっきりいつまでも気だるげな顔をしているものだと思っていたので、肩透かしを食らった気分になった。

なんとなく居心地が悪かった。座席に惑う彼奴に声を掛けなかったからかもしれない。もしくは、見たことの無い笑みを浮かべていたからかもしれない。早く食堂から出たくて、白米に味噌汁をかけ、俺は一気に掻き込んだ。最後に茶で流して漬物を口に放り、バリバリ咀嚼しながら立ち上がった。







彼奴との縁は、とりあえずイーガで使い物になるまでだ。
面倒を見るのはそこまで。その後に記憶が戻り、イーガを拒絶し、結果としてまた命を狙われたとして、俺には関係ない。どうなろうと、知ったこっちゃない。
衣食住を宛がい、仕事を宛がい、イーガの理を叩き込んだ。あとは技術の粋を身につけるのみ。使い物になるまでの辛抱だ。一人でも生きていけるようになれば、漸く俺は、晴れて隠密の日常へと戻ることができる。

彼奴との毎日は安穏すぎる。ギラギラと夜半を駆ける俺にとって、この日々は退屈だった。
岩戸の暮らしは灰色だ。早く、全てに色のある外へ戻りたかった。

結局は、この短気こそが、彼奴の自覚を失わせていたことに、俺は気付いていなかった。






■ ■ ■





弓矢の鍛錬。ギリギリと限界まで引き絞った弦に弾かれ飛んだ矢は、勢いこそあれどいつも的には当たらない。
そもそも、彼奴なりに限界というだけで、引きが足りないのも関係しているだろう。こればかりは短期間でどうにかなるものでもないが、彼奴は圧倒的に筋肉量が足りなかった。弦を引く腕はいつもプルプルと震えていた。身体が揺れれば矢が真っすぐ飛ばないのは当然だ。

彼奴の後ろに立ち、ため息を一つ溢す。「次」と一言告げれば、彼奴は一度肩で大きく息を吐き、また矢を番える。
これを何度繰り返せば良いだろう。昨日から始めた弓矢の鍛錬だったが、成長の兆しは一切見えない。

「脇を絞めろ。背筋を伸ばせ。真っすぐ立ちすらできなければ、矢が的を射るなんぞ、夢のまた夢だ」
「・・・っ」
「放て!」

号令と共に矢が飛んでいく。しかし、今度は的に当たらないどころか、ふわりと弦に押し出されでもするように、緩やかに山を描いてそのまま地面に浅く刺さった。
引き絞る力が、あまりに足りてない。舌打ちをして、「次」と促せば、女はまた何も言わずに弦に矢を番う。
が、今度は引き絞ることなく、そのまま手の平を下げた。体を上下にさせて荒く呼吸したかと思ったら、矢が彼奴の手の平から地面に滑り落ちる。やる気がないやつだとは思ったが、鍛錬に付き合う俺を後ろにしながら、放棄するとはあまりに舐めている。それでなくとも、女の面倒など見たくないのに。

俺はため息を吐きながら女に近寄った。ふつふつと沸く怒りに任せ、怒鳴りでもしないように、「お前なぁ」と感情を押し殺しながら矢を拾う。
そこで、少し違和感を覚えた。矢羽根が赤い。本来だったら白、もしくは使い古されて黄味の入った矢羽根のはずだが、妙に掠れた赤が、羽根を染めていた。

俺はこの色をよく知っている。ぱっと振り返って女の手を掴むと、確かに手の平に巻いた帯が湿っていた。
「いッ・・・」と小さく呻く女に構わず腕に巻かれた帯を解く。現れたのは、爛れたように裂かれた手の皮膚だった。おそらく、弓矢の稽古で擦れ、裂けたのだろう。血豆が破れ、更に稽古を強制したからこうなった。
特に指先が酷い。布という行き先が無くなり、じわりとその場に溜まっていく血に、紡ぐべき言葉を失った。

「これは」
「すみません。上手く持てなくて」
「なぜこうなるまで言わなかった」
「言っても、無駄かと」
「矢すら握れぬほどになるまで黙ってるやつがあるか、俺はそこまで残酷じゃない」
「違うのですか?私を殺そうとしたのに」

はたと、立ち止まる気になった。確かに、俺が焦るのはおかしい。記憶が戻り、応え次第では殺そうとしている女の心配をする必要があるだろうか。

「私のことなどどうでも良いと、そう思っているのかと思ってました」

途端、新しい居場所がありながら生に頓着の無い彼奴ではなく、俺の方が、歪で不気味な存在に思えてきた。
何故焦った。何故心配する。何故尽くしている。何故罪悪がある。全てはっきりと応えられない。歪だ。俺の方がよっぽど、理解できない。仕方ないからか、コーガ様に言われたからか、悲観した顔がむかつくからか、いつまでも死にたい顔をしているからか。

彼奴の質問には応えず、俺は腰に提げていた水筒の水で、彼奴の手を流してやった。小さく呻いた声は、死も、殺しも、痛みも受け入れた人間とは思えないほど、生きた人間のそれだった。

清浄な布帯など手元になく、この日の鍛錬はこれでお開きとなった。
彼奴を医務室へと送り届ける間、妙な沈黙が居心地悪く、俺は「さっきのだが」と、小さく振り返る。

「今はイーガに身を置く団員の一人だ。お前に手をかけることは、もうしない」
「記憶が戻っても?」
「・・・お前次第だ」

間髪入れずに重ねられた質問に、そのままを応えたのはまずかっただろうか。彼奴は「そうですか」と、また気のない返事を口に出す。しかし、なぜだかその声音が、随分弱弱しく聞こえた気もする。
廊下の先に医務室が見えたのを良いことに、俺は「ではな」と踵を返し、纏わりつく罪悪から逃げ出した。
彼奴が一人で、どんな面持ちのまま医務室へ向かっているのかなんて、知りたくも無かった。

そのまま鍛錬場へ戻り、片づけをおこなう間、俺はずっと考えた。
彼奴のイーガへの向き合い方。俺の彼奴への向き合い方。

そしてこの日、俺には分かったことがある。
彼奴が受け入れているのは、死でも、殺しでも、痛みでもない。
彼奴が拒絶しているのは、生でも、居場所でも、イーガでもない。

ただ、俺だ。俺の無体を受け入れ、俺自身を拒絶している。ただそれだけだ。
あいつがここで生きることに猜疑を抱いていたのは、正しく俺の方だったのだ。

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