【完結済】イーガの男は忘却女の首を刈れるのか?
次の日。
暗殺業務からアジトへ帰って暫くは、休日となるのが定石である。昼も夜もなく業務をおこなう隠密部隊だからこそ、休みであれば昼過ぎまで布団に入っていたいもの。俺の休日は、いつも昼過ぎから始まるのが常だった。
しかし、俺の日常は、今日ばかり覆されている。いや、今日以降か。もちろんそれは、昨晩俺が連れてきた女の面倒を見る、という、文字通り面倒な業務を主から言い渡されたからだ。
少しくらい、虚を混ぜて話せば良かったかもしれない。しかし俺には、どうしても敬愛する主君に嘘を交えて話すなど、選択肢としてありなかった。
朝の支度を終え、朝餉を食い終わってから廊下で待っていると、頭上で赤髪を結った構成員が姿を現した。
やはり彼奴の髪は目立つ。隠密としてはどうかと思うが、行燈しかないアジトの岩廊下はいつだって薄暗い。遠目で見たってすぐに分かるあれは、むしろ見落とさなくて良いのかもしれない。
仮面越しの世界に慣れないのだろう。昨日別れたときよりよっぽど、よろよろと覚束ない足取りだった。壁際に置いてある壺や箱に足を引っかけながら廊下を歩く様は新人ならでは。いや、以下だろう。
俺の元へ到着するのを仁王立ちで待ったが、彼奴は気付かないのかそのまま素通りしていった。「待て」と首根っこを捕まえれば、漸くやつは間抜けにも「昨日の?」と、俺の存在を認識した素振りを見せた。
「ここの皆さんは、こんなに視界の悪い中で生活をしているのですか?」
「貴様が慣れておらんだけだ。慣れればどうということもない」
「それにしたって邪魔でしょう、このような面」
「貴様、その口たたっ切ってやろうか。イーガの面は我らの誇り。今後そのような口をきいたらただでは済まんと思え」
ドスを利かせた声で睨めば、彼奴はまた「はぁ、すみません」と容量を得ない反応を示した。
こいつに脅しはきかない。苛立たしいが、女に声を荒げるのもいっぱしの男としてみっともないと思い直す。俺は「まあいい」と、自分を諫めるためにもひとつため息を吐いた。
「あれから、何か思い出したか」
「いえ、何も」
「そうか、では医務室へ向かう」
一応、聞いてみただけだ。分かっていた返事を耳にして踵を返すと、突如「ぐぅ」と、空気の抜けるような音が聞こえた。
彼奴に視線を返すと、さっと腹を手で押さえる。朝餉が終わったばかりの時刻だが、もしやこいつは、何も食っていないのか。昨晩アジト内を見回った際に、食堂もしっかり案内してやったのに。
「朝餉は」
「はぁ、食べてません」
「なぜ」
「気付けば終わってました」
「昼餉まで食わんつもりだったのか」
「そうなります、だって何もないので」
呆れた。まさか生きるに必要な食さえ頓着ないとは。
時は戦乱で、確かにハイラルの民草は、その多くが飢えている。イーガだって同じだ。しかし、体力がなければいざという時に動けぬ。動けねば、隣に居座っている死に陣地を取られるだけだ。決して飢えることの無いように常日頃から食に気を遣うのは、隠密の理である。
俺は、こいつの食にまで口を出さねばならないのか。心底、面倒を見ろといわれ、了承したことが悔やまれる。俺は痛む額に手を当てて「あー」と呻き、懐に持っていたツルギバナナを差し出した。
「これを食え。食わねば動けん。今日一日は長いからな」
「ありがとうございます。これは・・・」
「ツルギバナナだ。イーガの主食のようなもの。大事に食えよ。俺の好物をやるんだ」
昨晩アジトへ来たときにツルギバナナの保管庫も見せたはずだが、彼奴は初めて見るもののように、受け取ったバナナをしげしげと観察した。と思うと、おもむろに端を持って折ろうとするので、「待て」と両手を包んで留めた。
片手で端を掴むように促し、ヘタから一筋、皮を剥いてやる。猿真似とはよく言ったもので、その後は俺の真似をして、彼奴は漸くバナナの皮を剥くことに成功した。
こいつが住んでいた地域にツルギバナナはあまり流通していない。記憶喪失故かどうかは分からないが、まさかバナナの食べ方まで教えることになるとは先が思いやられる。
面をほんの少しずらして、いかにも食べづらそうにバナナを頬張るものだから、俺はもたもたした仕草に腹を据えかね、彼奴の面を剥ぎ取った。
「食い方が汚い。慣れるまでは面を取って食え」
「いいのですか、誇りなのでは」
「その誇りが、汚れるという話をしてるんだ」
胸中がざわつく。正直、子供にでも物を教えている気分だ。いや、子供の方が、まだ容量が良いのではないかと思えた。
俺は小さい口でもたもたとバナナを食べる彼奴に、「行くぞ」と背中を向け、廊下を歩き出す。
隠密の「お」の字も知らない彼奴は、俺の後を足音高く着いてくる。これから教え込まなければならない膨大な知識と技術の量を頭に結び、くらくらと眩暈でもしそうになった。
医務室へ訪れた彼奴は、医療班の指示の元、身体をくまなく検査されたらしい。
らしい、というのは、その間、医務室から出るように促されたからだ。留まろうとしたところ「装束を脱ぐので」と、空気の読めない男のように扱われて参った。
女は装束を脱ぐにも人目を憚る。やっぱり、俺がやつの生活を見る現状は、誰がどう考えても面倒だ。
「身体は健康的です。なぜ記憶を失ったか、心当たりは?」
ぎし、と木椅子を軋ませながら手を組む医療班員は、俺も度々面識のある団員だ。構成員ではあるものの、医療の腕が見込める男なので普段から何かと頼りにしている。
しかし、女は端から応える気が無いのか、医療班員に問われても耳元で揺れる鉄飾りを指で弄るだけだった。
こいつはどこまでいっても他人事だ。答えを待つより俺が応えた方が早かろうと、短気ながらも息を吐いて、医療班員の視線を呼ぶ。
「俺の見立てでは、殺しを目の当たりにしたのが原因じゃないかと思っているが」
「なるほど。強いショックで記憶喪失をしたと。その可能性は高いかもしれませんね」
「やはりそう思うか」
「初任務の後、部分的に記憶がない団員も多いですし」
「そうか。大体どれくらいで記憶を取り戻すんだ?」
途端、医療班員は肩を竦めてみせた。
「そればっかりは、ちょっと」
「すぐ思い出すだろ。違うのか」
「何年も思い出さない人もいますよ。徐々に記憶を取り戻したり、一気にパッと全部思い出したり」
「こいつは?」
「オレには分かりません。また同じ場面を見せるとか、記憶に繋がるような出来事があれば、一気に思い出す可能性もありますが、無理くり進めれば心を壊しかねないので」
「・・・そうか」
なんてこった。またもや目算が外れた。記憶が戻り、イーガを拒絶するなら足抜けと称して口封じ、受け入れるのなら改めて生き方を教えてやろうかと思っていたが、どうやら計画を立て直す必要がありそうだ。痛む頭を診てもらおうかと思ったが、説明の終わった医療班に問答無用で「お大事に」と言われてしまっては、口を挟めなかった。声に促されて医務室を抜け、俺は改めて痛む額を押さえた。
「なぜ貴方が頭を抱えてるんです」
「抱えてなどいない。荷物の面倒をいつまで見にゃならんのかと、頭痛がするだけだ」
「きちんと、働きますから」
「そうしてもらわねば、俺も報われん」
とにもかくにも、仕事をあてがうべきだろう。記憶を失っていようと、イーガの理を知らずとも、無理なくこなせる業務が良い。新人の多くは、調達された物資をアジト内に分配する物資管理班に配属される。そこの幹部役にとりあえず押し付けるか。
瞼裏で新たな目算を立て、「来い」と告げて歩き出す。数歩と歩いた後、先ほど背を追いかけてきた小うるさい足音が聞こえないので、俺は立ち止まって振り返った。
「私に、思い出して欲しいんですか?」
面と面の視線がぶつかった瞬間の、彼奴の第一声がそれだった。
その声は無感情を思わせたが、問われた内容にギクリとした。いくら生に執着のない人間だからとて、殺すか殺さないかの判断をつけるためだとは、口にできない。「思い出して欲しいというか」と、情けなくも口ごもり、続きの言葉を紡げなかった。
「思い出しても、出さなくても、貴方には関係ないのでは?」
ゆっくりと近づかれ、真下から見上げられる。それはまじまじと、至極もっともな質問だった。
そうだろう。そうだろうな。俺には直接、関係のないことだ。記憶を取り戻し、その後にイーガを拒絶し粛清されようが、記憶を失くしたままイーガに居つき、隠密の生活を享受しようが。
コーガ様には、面倒を見ろと言われたまで。記憶を取り戻せ、とは言われていない。確かにそうだ。確かに。
ただ、関係ないと言われれば、砂塵の舞うようなじゃりじゃり感が胸中に散らばる気がする。
「顔」
咄嗟に紡ぎ、仮面を下から持ち上げて、彼奴の素顔を晒す。面下にあったのは、酷く他人事で、死んでるんだか生きてるんだか分からない、色の無い瞳。
死に抗わず、何をどうされたって受け入れるのだろう、全てに諦めた表情。この顔だ。この顔。
「人生に悲観したその顔が、むかつくんだ」
パッと手を離すと、暖簾のように顔が隠される。鼻にでも勢いよく当たったのか、大袈裟に「あいた」と呟く彼奴に隠密の業を教えるのは、労力のいることだろう。
「そうですか」とそれでも白けたままの声を背に聞きながら、俺は今度こそ歩を進め、まずは物資管理班の幹部の元を目指すのだった。