【完結済】イーガの男は忘却女の首を刈れるのか?
冒険者へと身を扮し、道中で捕まえた馬の背に女を乗せ、丸一日を走った。
日記を読む限り、女は生涯、家の近辺より遠くへ行ったことが無かったのだという。
ゲルド砂漠を目にしたとき、女は一面の黄金色に目をひらき、小さく感嘆の声を漏らしていた。
「初めて見ます、すごい光景・・・。もっとも、本当に初めてかどうかはわかりませんが・・・」
丸一日俺の背へ捕まっていたからか、そんなくだらない軽口を叩くほど、女との間には妙な親近感ができていた。
運搬専門のスナザラシで女と共に砂漠を渡り、カルサーの谷までやってきたときには、既にまた、日はとっぷりと暮れていた。
酷く細い弓張月の灯りに照らされて坂を上る際中、どうにも進まない彼奴の足取りに何度も立ち止まる。道中でどうやら憔悴した様子。肩で息をしながらノロノロと上るので、俺は痺れを切らして女をおぶさった。
随分軽くて驚くのと同時、汗まみれの身体が纏わりつくのに少々嫌悪感を覚えた。しかしごめんなさい、と謝られるので文句は言えない。まさにここへ誘ったのは俺なのだから、これくらいの尻拭いは、してやるのが道理だろう。
しかしまさか、これ以上の尻拭いをさせられることになろうとは、この時の俺には一切予感できていなかった。
アジトに到着し、俺は女を廊下の一角に待たせながら、コーガ様へ便宜を図りに行った。
暗殺現場を見られ、口封じをしようとしたが記憶喪失。そのままにしておけぬので連れ帰ったと。
そして、記憶が戻り、イーガを拒否するようであればその時点で改めて首に刃をかけるつもりだと。
コーガ様の懐は深い。彼奴の境遇と、俺の目算への理解を示してくださり、女はここでの生活を許されることとなった。
・・・しかし、外れた目算もあった。俺が直接、女の面倒を見ろとの話だ。正直、暗殺業務でハイラル各地を飛び回る俺が、一人の人間の面倒を見切れるとは思えぬ。
「少しくらい、通常業務は休んでも良いから」と朗々と語る主君に口を挟みたくなったが、「失態の尻拭いはしなきゃなぁ」と低い声で言われれば、ぐうの音も出ない。俺は押し黙り、御意にと返すばかりとなった。
総長室から廊下へ出ると、女の姿が見えない。すぐ隅で立たせていたのに、と思って目を凝らすと、丁度行燈の灯りもささない暗がりに、座り込んでいるのが見えた。膝を立て、顔を隠すように蹲っている。腹でも痛いのかと、俺も同じく座り込みながら顔を覗いた。
衣擦れの音で、俺が傍に寄ったことが分かったのだろう。ゆっくりと上げた顔は覇気がない。と思ったらへらりと笑みを浮かべられ、気を配った俺を揶揄うようでむっとした。
「お帰りなさい。随分長いお話でしたね」
「我らの主君に事情を説明していた。お前がイーガへ身を寄せるのも受け入れられた」
「それは、ありがとうございます。しっかり働きます」
「そうだな。・・・慣れるまで、俺がお前の面倒を見るようにと、主には言われている」
「はあ、そうですか」
「しかし、自分のことはなるべく自分でせよ。俺も暇じゃない」
踵を返すと、ただぼっとしていた女が立ち上がり、覚束ない足取りでよろよろとついてくる。随分小さな歩幅だ。見失わないように気をつけてもいないのか、少し歩くだけでもすぐに彼奴は姿を消した。岩廊下に響く声で「どこですかー」と叫ばれて、何度か後戻りをする羽目になった。
戻ってため息を吐く度に、またへらりとふざけた笑いを零される。それは、戻らなくても良いのに、わざわざ戻ってきたんですか、とでも言いたいような顔。まるで、本当はこのまま消えたいのに、俺がいるから消えることが出来ない、とでも言いたげな笑顔。俺は内心で苛立ちを募らせた。
湯浴み処や食堂、女部屋などを一通り案内し、明日の朝に医務室へ行くことと、後は自由に過ごすことを伝えた。責任感が無いと思うだろうか。しかし、男が女の面倒を見るなんて、性別ではっきりと生活が分かれているこの集団において、このくらいが関の山だろう。
岩戸で過ごしやすいように環境は整えてやるつもりであったが、そもそも団員として働かせるつもりはあまりない。心的外傷による記憶喪失など、どうせ一時的なもの。少し待って記憶を取り戻したとき、改めて彼奴に問えば良い。
この時の俺は、随分軽い目算を持っていた。
「ありがとうございます、では」と頭を下げて去ろうとする女に、俺ははたと気付いて待ったをかけた。
「その恰好でフラつかれては目立つ。装束を渡すので、今後はそれを着るように」
女がそれまでに着ていたのは、昨晩布団に寝転がっていたときと同じ洋服であった。つまり寝間着だ。白茶け、着古したようにへたったローブ型の寝間着。アジト内を案内する際にも、他の構成員から随分奇異な視線を向けられていた。
イーガのアジト内で、冒険者などに変装した姿を見せることはあれど、寝間着で歩き回る人間なんていない。ましてや、ずり下がるほどほつれた寝間着を着て、ともすれば肩が露出するほどだらしない姿をさらす人間など、いるわけがない。
物資の保管所へ連れていき、彼奴に装束一式を手渡した。
「構成員の服だ。これさえ着てれば目立つこともあるまい」
「ありがとうございます。こんな上等な服を」
「洗濯などの些事は、女部屋の住人に聞いてくれ。さすがに俺も、女部屋の決まり事までは分からん」
「はぁ。でも、その他の面倒は見てくれるんでしょう?」
「・・・そのように言われたからな」
「明日になって、貴方を探す手立てがありません。貴方も、私と分かりますか?」
「イーガは黒髪を誇りにしている。赤髪はおまえばかりだ。見紛うことなどない」
ここへ来るまでに風で煽られ、日光に晒され、散々砂に吹かれた彼奴の赤髪はボサボサだった。黒髪を誇りにし、日ごろから整髪しているイーガの団員と、このように目立つ赤髪を見間違うわけがない。
女は少し目を見開いて、「そうですか」とだけ呟いた。深く納得がいったらしい。
「ではな、明日、迎えに行く」
「おやすみなさい」
頭を下げ、そのまま踵を返す女同様、俺も踵を返した。
しかし疲れた。脛に傷のある人間をイーガへ招くことはあれど、さすがに記憶喪失の女を誘い、あまつさえ面倒を見るようにと主君から釘を刺されることはない。後進の育成だとか新人の面倒だとか、前線に携わってきた俺には、今まで関係のない業務であったのに。
まさか記憶を失い、生に対しての執着を一切持たない女に目を掛けなければならなくなろうとは。
気が重い、と思った。が、恐らく湯浴みをし、なにか腹にでも入れれば気も紛れるだろう。とりあえずは今回の業務に一区切りを打ちたい。
俺は明日から始まる気重な仕事を忘れるために、湯浴み処へと向かった。
その間、おやすみなさい。と言われた言葉がやけに耳の奥で繰り返されていたが、なぜこうまで気になるかは分からなかった。
日記を読む限り、女は生涯、家の近辺より遠くへ行ったことが無かったのだという。
ゲルド砂漠を目にしたとき、女は一面の黄金色に目をひらき、小さく感嘆の声を漏らしていた。
「初めて見ます、すごい光景・・・。もっとも、本当に初めてかどうかはわかりませんが・・・」
丸一日俺の背へ捕まっていたからか、そんなくだらない軽口を叩くほど、女との間には妙な親近感ができていた。
運搬専門のスナザラシで女と共に砂漠を渡り、カルサーの谷までやってきたときには、既にまた、日はとっぷりと暮れていた。
酷く細い弓張月の灯りに照らされて坂を上る際中、どうにも進まない彼奴の足取りに何度も立ち止まる。道中でどうやら憔悴した様子。肩で息をしながらノロノロと上るので、俺は痺れを切らして女をおぶさった。
随分軽くて驚くのと同時、汗まみれの身体が纏わりつくのに少々嫌悪感を覚えた。しかしごめんなさい、と謝られるので文句は言えない。まさにここへ誘ったのは俺なのだから、これくらいの尻拭いは、してやるのが道理だろう。
しかしまさか、これ以上の尻拭いをさせられることになろうとは、この時の俺には一切予感できていなかった。
アジトに到着し、俺は女を廊下の一角に待たせながら、コーガ様へ便宜を図りに行った。
暗殺現場を見られ、口封じをしようとしたが記憶喪失。そのままにしておけぬので連れ帰ったと。
そして、記憶が戻り、イーガを拒否するようであればその時点で改めて首に刃をかけるつもりだと。
コーガ様の懐は深い。彼奴の境遇と、俺の目算への理解を示してくださり、女はここでの生活を許されることとなった。
・・・しかし、外れた目算もあった。俺が直接、女の面倒を見ろとの話だ。正直、暗殺業務でハイラル各地を飛び回る俺が、一人の人間の面倒を見切れるとは思えぬ。
「少しくらい、通常業務は休んでも良いから」と朗々と語る主君に口を挟みたくなったが、「失態の尻拭いはしなきゃなぁ」と低い声で言われれば、ぐうの音も出ない。俺は押し黙り、御意にと返すばかりとなった。
総長室から廊下へ出ると、女の姿が見えない。すぐ隅で立たせていたのに、と思って目を凝らすと、丁度行燈の灯りもささない暗がりに、座り込んでいるのが見えた。膝を立て、顔を隠すように蹲っている。腹でも痛いのかと、俺も同じく座り込みながら顔を覗いた。
衣擦れの音で、俺が傍に寄ったことが分かったのだろう。ゆっくりと上げた顔は覇気がない。と思ったらへらりと笑みを浮かべられ、気を配った俺を揶揄うようでむっとした。
「お帰りなさい。随分長いお話でしたね」
「我らの主君に事情を説明していた。お前がイーガへ身を寄せるのも受け入れられた」
「それは、ありがとうございます。しっかり働きます」
「そうだな。・・・慣れるまで、俺がお前の面倒を見るようにと、主には言われている」
「はあ、そうですか」
「しかし、自分のことはなるべく自分でせよ。俺も暇じゃない」
踵を返すと、ただぼっとしていた女が立ち上がり、覚束ない足取りでよろよろとついてくる。随分小さな歩幅だ。見失わないように気をつけてもいないのか、少し歩くだけでもすぐに彼奴は姿を消した。岩廊下に響く声で「どこですかー」と叫ばれて、何度か後戻りをする羽目になった。
戻ってため息を吐く度に、またへらりとふざけた笑いを零される。それは、戻らなくても良いのに、わざわざ戻ってきたんですか、とでも言いたいような顔。まるで、本当はこのまま消えたいのに、俺がいるから消えることが出来ない、とでも言いたげな笑顔。俺は内心で苛立ちを募らせた。
湯浴み処や食堂、女部屋などを一通り案内し、明日の朝に医務室へ行くことと、後は自由に過ごすことを伝えた。責任感が無いと思うだろうか。しかし、男が女の面倒を見るなんて、性別ではっきりと生活が分かれているこの集団において、このくらいが関の山だろう。
岩戸で過ごしやすいように環境は整えてやるつもりであったが、そもそも団員として働かせるつもりはあまりない。心的外傷による記憶喪失など、どうせ一時的なもの。少し待って記憶を取り戻したとき、改めて彼奴に問えば良い。
この時の俺は、随分軽い目算を持っていた。
「ありがとうございます、では」と頭を下げて去ろうとする女に、俺ははたと気付いて待ったをかけた。
「その恰好でフラつかれては目立つ。装束を渡すので、今後はそれを着るように」
女がそれまでに着ていたのは、昨晩布団に寝転がっていたときと同じ洋服であった。つまり寝間着だ。白茶け、着古したようにへたったローブ型の寝間着。アジト内を案内する際にも、他の構成員から随分奇異な視線を向けられていた。
イーガのアジト内で、冒険者などに変装した姿を見せることはあれど、寝間着で歩き回る人間なんていない。ましてや、ずり下がるほどほつれた寝間着を着て、ともすれば肩が露出するほどだらしない姿をさらす人間など、いるわけがない。
物資の保管所へ連れていき、彼奴に装束一式を手渡した。
「構成員の服だ。これさえ着てれば目立つこともあるまい」
「ありがとうございます。こんな上等な服を」
「洗濯などの些事は、女部屋の住人に聞いてくれ。さすがに俺も、女部屋の決まり事までは分からん」
「はぁ。でも、その他の面倒は見てくれるんでしょう?」
「・・・そのように言われたからな」
「明日になって、貴方を探す手立てがありません。貴方も、私と分かりますか?」
「イーガは黒髪を誇りにしている。赤髪はおまえばかりだ。見紛うことなどない」
ここへ来るまでに風で煽られ、日光に晒され、散々砂に吹かれた彼奴の赤髪はボサボサだった。黒髪を誇りにし、日ごろから整髪しているイーガの団員と、このように目立つ赤髪を見間違うわけがない。
女は少し目を見開いて、「そうですか」とだけ呟いた。深く納得がいったらしい。
「ではな、明日、迎えに行く」
「おやすみなさい」
頭を下げ、そのまま踵を返す女同様、俺も踵を返した。
しかし疲れた。脛に傷のある人間をイーガへ招くことはあれど、さすがに記憶喪失の女を誘い、あまつさえ面倒を見るようにと主君から釘を刺されることはない。後進の育成だとか新人の面倒だとか、前線に携わってきた俺には、今まで関係のない業務であったのに。
まさか記憶を失い、生に対しての執着を一切持たない女に目を掛けなければならなくなろうとは。
気が重い、と思った。が、恐らく湯浴みをし、なにか腹にでも入れれば気も紛れるだろう。とりあえずは今回の業務に一区切りを打ちたい。
俺は明日から始まる気重な仕事を忘れるために、湯浴み処へと向かった。
その間、おやすみなさい。と言われた言葉がやけに耳の奥で繰り返されていたが、なぜこうまで気になるかは分からなかった。