【完結】かつて筆頭幹部には師と仰ぐ人がいた。
コーガ様と会合をおこなった夜が明け、太陽が顔を出し始めた頃。
研究班員の集まる書庫を訪ね、昨晩に決まった事情を説明すると、場が俄かに騒然となった。
彼らにとっては、降って沸いた千載一遇といって然るべきだろう。今まで狭い書庫に押し込められ、することといえば文献整理と近場の調査。加えて、研究班自体の重要度が低いと評されているためか、資材管理の手伝いやアジトの掃除、洗濯番に駆り出されることもしばしばあると聞く。
業務内容を伝えた際に見せた彼らの反応はさまざまだった。戦の最前線へ向かうことに緊張した面持ちを見せる者。計画の重要性を即座に理解し、自分には荷が重いと萎縮する者。
俺の恩人は部屋の奥、イーガ団員の模範とも言うべき姿で、静かに拳を握っていた。
十数年、彼女の素顔を見続けていた俺には分かる。その面の下でどれほど真剣に唇を引き絞り、すぐにでも走り出しそうな顔付きとなっているかが。
彼女はこれに賭けている。計画を説く俺へ向けられる心血の瞳が、いつにも増して見開かれているように感ぜられた。
かくして、遺物の調査隊に身を扮した俺たちは、ゲルドキャニオンに出土した神獣に向けてアジトを発った。
神獣へと辿り着くためには、まず砂漠越えを為さなければならない。
赫々たる直射日光が揺らめく陽炎を作り出しており、熱砂に焼かれた空気を吸い込む毎、気管が乾燥して焼けていく。
すぐさま水で潤したくなるものの、砂漠越えをするなら、水分は命に関わる重要な物資である。ぐったりした顔で水筒に手を伸ばす団員たちを諫める度、耳に入る自らの声で言い聞かせられている心持ちになった。
太陽が昇っている間に砂漠を渡ることなど早々ない。普段の装束と違い、砂漠を渡るために特化した服に身を包んではいたものの、それでも日光と砂の照り返しによる高熱は人の体力を如実に奪う。
半日も歩けば到着する距離ではあるものの、玉の汗もすぐ乾く灼熱に晒されて、内勤の研究班員は困憊していた。
それでも、やる気を失わない人間もいる。俺とて辟易する高温の中、先頭をずんずんと歩くのは大荷物を背負った先生だった。
いつもの彼女と比べ、疲労を感じさせないほどの力強い足取りには違和感がある。確かに彼女は鍛錬を欠かさず、年齢に見合わない体力の持ち主であろう。しかしはっきりと、その勇んだ足取りががむしゃらに見えた。
手傘をしながらも目的地から視線を逸らさない彼女に俺は早足で近づき、「先生」と密やかに声をかける。
「血気が足に見えるでござる。それほど急がずとも」
「調査が要の業務なのに、砂漠越えでもたもたしてられません。早くいけばそれだけ調査の時間を得られますから」
「しかし、気を逸っては上手くいくものも失敗に終わる可能性がある。まだ日も高いでござる、体力温存を考えねば」
「時間と体力を考えた上での足取りです」
「自分には、先生が無理をしているように見える」
途端、「無理など・・・・・・!」と刹那に眉間へ皺を寄せた先生が振り返る。
心外だとでも言いたげな不服の表情を見たのは、幼少期から今に至るまで、これが初めてだった。
「私はただ、しっかりと成果を残したいと思っただけです!全てはコーガ様のお役に立ちたくて・・・・・・。やっと舞い込んできた業務ですから」
「その気概は理解できる。しかし、到底いつもの貴女と同じとは思えぬ。いつもであれば、他の者が貴女の足に追いついていない状況に気付くはずでござろう」
その頃、重い足取りを引きずりながら、なんとか着いて来ようとする団員たちは既に遠く、大きな距離が空いていた。
砂漠のリザルフォスは、砂塵に紛れて姿が見えづらい。加え、備えが無ければ到底太刀打ちできぬような巨躯の魔物も、ここでは度々旅人を襲う。
集団の砂漠越えでは一人ひとりが離れず固まって歩くのが定石と言われ、もちろん先生も知っているはずである。
それ以前の話、いつもの先生ならば、疲労で喘ぐ彼らに慈愛を見せないわけがない。イーガの人間と思えないほど他人思いなのを、俺は身をもって知っている。彼女が他人を顧みずに歩を進めるのは、普段の冷静さを欠いている証拠にしか思えない。
俺の説得に促され、後ろを振り返った先生は「あ・・・・・・」と小さく漏らす。それから何も言わず、苦い顔で唇を絞った。
「貴女がやる気に満ちているのは分かった。しかし少し待ってほしいでござる。各地方への諜報は一人で向かうが、今日は複数での任務ゆえ」
「・・・・・・私が軽率でした。申し訳ございません、スッパ様」
視線を落とした先生の眉間には、相変わらず皺が寄っている。ぎゅっと荷物を掴む手に込められたのは、己への苛立ちだけだろうか。
初めて耳にする彼女からの敬称がやけに乾いて聞こえ、引っ掛かりながら肌を裂く棘のように思えた。あまり聞き慣れたくない。彼女が立ち止まり、視線を下げたのを良いことに、踵を返して先生を視界の外へ追いやった。
ノロノロと足を動かす団員たちに手を挙げ、一旦呼び集める。全員がそろった時点で彼らの先頭を歩き始めたが、気にかかるのは先生の様子だ。彼女は先ほどと雲泥の差で、一番後ろをとぼとぼと着いてきているようだった。
やる気に満ち、輝くような瞳から一転、今は暗い顔を浮かべているのだろうか。初めて見た苦い表情が頭へ巡る。
彼女がいつもしてくれるように、励ましのひとつでも声をかけたかった。しかし今の自分は、彼女の幼馴染としてこの場に居るわけでは無い。先生の表情を気に留めないよう無理くり前を向く罪悪に、いつか自分も慣れねばならないのだろう。
神獣の元へたどり着いたのは、日が完全に真上へ昇りつめた時分。
ハイラル王家の紋章を掲げていた俺たちは、土地を管理するゲルド族に「調査を依頼された私営団体」として神獣の極間近まで近づくことを許された。
ゲルドキャニオンの地層壁に組まれた木の足場は、神獣発掘当時のまま残されたものである。数十年も砂風に晒されていれば木の繋ぎが緩くなったり朽ちたりするものだが、その都度土地を管理するゲルド族が修繕をおこなっているらしい。
岸壁にはゲルドを始めとし、我々と同じような服装の調査隊が、崖場のそこここに立っていた。
足場を登っていき、崖の上に佇む神獣へと近づくと、折しもゲルドの管理者に視線を向けられる。その鋭い眼光には毎度こちらを見透かされるような気になるが、結局は「ご苦労」とだけ労われた。どうやら一つまみも怪しまれてはいないらしい。
「では、日が落ちきる前、声をかけるまでを調査の時間とす。各々のやり方で進めて欲しいでござる」
神獣の元へ辿り着いた団員たちは疲労を色濃く滲ませている。が、一人一人に視線を配ると、彼らはだらしなく緩んだ相好を引き締めて頷き、それぞれ思うがままに散っていった。
ここからは単独行動となる。調査が終わるまでの間、彼らの動向をつぶさに観察するのが、俺の任務だ。
団員達がじっくりと腰を据えた頃合いを見計らい、俺もおもむろに歩き出した。
ゲルドキャニオンは人気も無くうら寂しい荒廃地であったはずだが、いくつもの露営テントが張られるほど、今は活気づいている。ゲルド族と話し込むハイリアの調査隊や、黙って硝子のレンズ越しに遺物を観察する研究者たち。遺物を掘り出した当時と現況は、きっと同じような光景だったに違いない。
それにしても、問題は遺物だ。
俺は日光を手傘で遮りながら、視界に入りきらない巨大なカラクリを下から見上げた。
神の名を冠した巨大な遺物、神獣。ここまで間近で見たのは俺自身も初めてである。いつもは遠目に見るだけ、もしくは崖下から見上げるだけだった。ゆるりと触る機会など今度も無いに違いない。
巨体に触れると、砂塵まみれとなった凸凹の岩肌ながら、磨かれたような艶のある手触り。灼熱の太陽光に焦がされているにもかかわらず、熱くも冷たくも無い温度が保たれているのが不思議だ。何か特別な力が働いているのだろうが、知の無い俺には見当もつかない。
神獣という名の通り、これは生物の姿を象っているらしい。確かに遠目で見た際、四足歩行の生物が座り込んでいるようで妙な気味悪さがあった。山のように高いこれが動くというのは俄かに信じがたいが、神獣の素体は信じられないほど軽量で、問題なく縦横無尽に駆け回るのだという。
もちろんそれは、一万年前から伝わっている伽話でしか認められていない話である。過去に先生から聞いたときは、得体の知れない不気味さと興奮で、幼心に落ち着かなくなったものだ。
神獣そのものの不可思議さに囚われている班員は、俺だけではない。素体に恐る恐る触り、首を傷めてしまわないかと心配になるほど空を見上げるのは新人団員だろう。
ぽかんと呆けた様は、まるで隠密とは思えない気の抜けた表情。開けっ放しの口に砂塵が入ったのか、ぺっぺっと舌を出す姿には頭が痛くなる。
面のない振る舞いに慣れてない彼らは、内勤として外回りをしたことがないのかもしれない。彼らには今のまま、アジトで研究を続けさせた方が良さそうだ。
その点、古株の団員たちは、遺物そのものの調査というよりは、現地人への聞き取りを優先しているようで感心する。
諜報の心得は、まず人の警戒を解き、親密さを感じさせることにある。しかし、相手に存在を覚えられてはいけない。目立ちすぎることも、目立たなさ過ぎることも不十分だ。
古株に数えられる先生も、熱心にゲルドの女へ話を聞いているようだった。朗らかな笑みを浮かべて疑われることなく話し込む様子に、きっと今まで培ってきた知識を遺憾なく発揮しているのだろうと想像できる。
その姿は俺に、城で諜報をおこなう姿を連想させた。
城へ行くとなれば、彼女は喜ぶだろう。コーガ様の役に立ちたいと、文献整理以外の任務に就きたいと、ずっと口にしていた願いが叶う。
俺にとっても嬉しい話のはずだ。喜ぶべきだろう。彼女の憂いをずっと隣で見続けてきた幼馴染なのだから。彼女も俺の昇進を喜んでくれた。俺だって喜ぶべきだ。それだけで良いはず・・・・・・なのに。
「進捗は如何様でござるか」
ゲルドの民から離れ、遺物の近くで筆録を始めた先生に声をかけた。
「隊長殿」と俺を見上げた折、逆光の太陽が眩しかったのか、彼女はすぐさま手傘を作る。
影ができた彼女の瞳は、それでも爛々と日光を跳ね返しているように見えた。
「有益な情報はまだ・・・・・・。もう少しいろいろ聞けるかと思っていましたが、ゲルドの民はあまり遺物に明るくないようですね。古代シーカーの技術ですし、当然かもしれませんが」
「砂漠を守る者として、管理者の側面が強いようでござるな。これに興味を示しているのはハイリアばかりでござる」
「ハイリアの私営団体が、我々よりも遺物の詳細を掴んでいるとは到底思えません。・・・・・・やはり一度で新しい情報を掴むのは難しいのでしょうね。先人の調書以上のことは、何も見つからないかもしれません」
神獣調査は、イーガの歴史において今回が初めてというわけではない。発掘当初は幾度となくこの地へ調査隊を派遣していたとのことだ。
といっても、先祖が作ったという血縁の利を活かしてなお、王家同様に大した情報は得られず、調査は長らく中断されていた。
先人がまとめた調書をつぶさに理解できる人間は、武力中心のイーガにおいて多くない。内容を知るのはコーガ様と一部の研究班員だけのはずだが、先生も目を通していたのだろう。
ただ、「難しい」と語る彼女の表情は、憂いや迷いだけじゃない。十何年と付き合いのある俺には、その瞳の奥に宿す光の意味が分かっていた。
「どことなく、楽しげでござるな」
口にした途端、遺物に向けられていた真剣な眼差しが崩れる。困ったように眉尻を下げ、「楽しくなど・・・・・・」と俺を見返す顔付きに、照れか動揺かが滲んでいた。
「・・・・・・いえ、スッパ様に嘘を吐いても仕方ありませんね。・・・・・・貴方は私を知り過ぎているから」
「外回りの業務だから、でござるか?」
「いえ、そうではなく。・・・・・・遺物を知れるのが、嬉しくて」
彼女がこれほどまで浮ついた様子をつまびらかにするのは、久しぶりだ。上ずりが混ざった声は、自分を律しきれない程の感情で胸が満ちていると、ひしひし俺に訴えてくる。
彼女は、ほぉ、と息を吐きながら改めて手傘を作り、神獣を見上げた。それでも眩しいのか瞳を細めるが、恍惚とした表情がひどく艶やかだった。
「アジトにある古代シーカーの残した文献は、遺物に関することばかりなんです。どんな力があって、どんな功績を残してきたのか。今までだって、ヴァ・ナボリスには何度も訪れたことがあるけれど、動かないことには文字以上のことが分からなくて・・・・・・これから事実が判明するんだと思ったら、ドキドキして」
「・・・・・・ヴァ・ナボリスというのは?」
「あ、この子の名前です。四神獣にはそれぞれ、過去の賢人の名前がつけられてると文献にありました」
その後も、四神獣の名前や賢人の素性、神獣が持つ特性についてを、先生は暫く話してくれた。
風が吹き、結った髪の毛がどれほど乱れようと、彼女は意に介さない。今日一日筋肉を強張らせたような顔つきだったのが、このときばかり解れている。日光を照り返す彼女の瞳はまるで子供で、指先でしかと遺物を撫でるのも、抑えきれない好奇心に負ける童そのものだった。
研究員として、彼女はやはり優秀で、真面目で、一途だ。尊敬すべき先達の姿をまざまざと目の当たりにして、なんとなく、今ここが書庫であるような気になった。
城では、古代シーカーが作り出したカラクリ兵が日夜研究されているという。そこへ行けば彼女がずっと渇望している願いが叶うどころか、研究者としての好奇心を満たすこともできるのだろう。
額に滲む汗を拭いながら、なおも語る彼女の瞳は輝いている。星月夜の元では決して見られない瞬きであった。
日の下で見る先生がやけに遠く感じられたのは、きっと俺だけだ。俺の我儘でこの距離を埋めるべきではない。
このとき俺にできるのは、口を噤み、黙って彼女の話を聞くことだけだった。
日が傾き始め、それまでただ灼熱であったゲルドキャニオンに、暮れの空気が入り混じる。
そろそろ頃合いか。調査員に扮装した団員へ一人二人声をかけると、他の団員たちも様子を窺っていたらしい。ほどなくして全員が集まることとなった。
正味数時間の調査でそこまで重要な情報が手に入るとは毛頭考えていない。
しかし、団員たちが俺へ向けるさまざまな表情を見ていると、それが杞憂であったと思い至る。ただただ疲労を滲ませるだけでなく、凛とした満足気な顔で、どことなく自信を漂わせる者も多かったのだ。
中でも先生が俺へ向ける顔は先ほどと比べても嬉々として明るく、何か大きな情報を掴んだような様子が伺えた。
「気をつけてな」と律儀に声を掛けてきたゲルドの管理人に会釈をし、俺たちは何事もなくゲルドキャニオンを後にした。
しんがりを務めつつ、道すがら団員一人ひとりから調査報告を聞いた。
遺物の詳細。神獣の動作状況。王家とゲルドの繋がり。ゲルドの置かれている立場。・・・・・・各々の視点で得られた情報は、どれもコーガ様へお伝えするにふさわしい内容であろう。
中でも、俺に誇らし気な表情を見せていた通り、先生がもたらしたのは今後の指針となる重要な情報であった。
「・・・・・・女傑の長が、度々神獣の元へ訪れている?」
瞳を外さず、密やかな声で告げた先生の言葉をそのまま繰り返す。
土地の管理者たるゲルドの長が、古代兵器を視察するのはなんら不可思議なことではない。神獣が動くようになったという話は世間に広まりつつあるし、ゲルドの女王は、今は亡きハイラル女王と心腹の友である。先んじて機密情報が渡された可能性は高い。
しかし、これほどの調査隊が蔓延る中で、わざわざ女王本人が何度も足を運ぶ必要がどこにある? 一万年前の神獣には繰り手が居たとのことだが、もしや。
「繰り手として、名の上がっている可能性がある、ということでござるか」
ゲルドの女王はハイラル全土をもってして、優秀な戦士である。王家とゲルドの繋がりを考えても可能性は高いように思える。
俺が辿り着いた答えと同様であったらしく、小さく頷く先生はいつにも増して自信ありげな表情だった。
「ヴァ・ナボリスには女王一族と同じく、雷電の力が備わっているとも残っています。共通性を考えても、間違いないかと」
「厄介でござるな・・・・・・。あの女傑はイーガの猛者すら手に負えぬ強者。王家はハイラルの選りすぐりを繰り手に宛がおうとしているでござるか・・・・・・?」
どこまでも変わらない砂地に視線を落としながら、顎に手をかける。
繰り手の目途がつき、先んじて闇夜に葬ることが出来れば、戦況は大いに傾くはず。まずは候補となる人物を探るのが妙手であろうか。
黙った折、「あの」と神妙な声が耳を撫でた。つと目を遣れば、先生が先ほどと同じく真剣な顔でこちらを見ている。
「憶測、ではあるのですが、繰り手の候補に心当たりがあります。聞いてくださいますか」
憶測と言いつつ、先生の瞳には確信に似た光が宿っている。断る理由などなく、俺はしっかりと彼女の瞳を見ながら頷いた。
「遺物が建造された一万年前の戦では、四神獣の繰り手が各地方の部族から選出された戦士だとあります。ハイラル王家は、過去の戦を模倣しようとしているのではないでしょうか」
「各地方の部族、というと?」
「デスマウンテンのゴロンに、ラネールのゾーラ、ヘブラのリト、そしてゲルドの女傑です」
「・・・・・・此度、ゲルドの女王に話がいったことへと繋がる、でござるか」
「四神獣が存在する場所から各部族の住まう地域も近いですし、おそらくは」
「ふむ・・・・・・」
「各部族の戦士と、シーカーが作り出した遺物、そして女神ハイリアの力を継ぎし姫巫女と、退魔の剣を持つ勇者。王家は、このハイラル全土を巻き込み、厄災に抗おうとしているのかもしれません」
退魔の剣を持つ勇者。その存在を耳にして、ざわりと、唐突に何か嫌な予感が背中を駆けていく。
この急な悪寒はなんだ。今まで勇者なぞ、伽話として漠然と認識していたものでしかなかった。しかし今、神獣と繰り手が目の前に迫る現実となり、急激に得体の知れない存在が引っ掛かる。
巫女の力がないと揶揄される姫が遺物を紐解き、古代兵器に人が集まりつつある。しかし、伝説上でしか聞かれない退魔の剣は愚か、勇者などという馬鹿げた存在の情報を、ハイラル各地に忍ばせたイーガの団員が何もつかめてはいない。
不気味だ。しかし、なぜかこのとき、俺にはある人物が脳裏に浮かんで消えなかった。
単なる憶測である。いや、私怨に近い感情だった。
俺に袈裟の傷をつけた、あの男。浅葱色の瞳を闇夜に閃かせた修羅が、確かに頭を掠めていったのだ。
「・・・・・・スッパ様、大丈夫ですか」
俺を慮る声音にはっと我に返る。気付けば、無意識に仮面の袈裟傷へ触れていた。
急に黙ったのが異様に思えたのだろうか。「分かったでござる、あとはコーガ様に伝える故」と取り繕うと、先生はじっと俺を見つめた後、遠慮がちに視線を逸らし、俯く。
「・・・・・・私は、諜報の任務につけるでしょうか」
それは、先ほど打って変わって覇気のない声だった。
徐々に顔の輪郭を隠していく夕焼けの影は、彼女の不安と迷いそのものが浮き出てきたように見える。砂塵に揉まれれば立ち消える蝋燭の灯の如く、立ち姿が酷く頼りない。
今の今まで見せていた、自信ある目付きはどこへ行ってしまったのか。ただそんなことより、彼女が発した言葉の重みが、はっきりと俺の胸へのしかかった。
「・・・・・・それほどまで、任務に行きたいのでござるか?」
俺が筆頭幹部の役職を頂いてからというもの、彼女が任務に見せる気概は執着の様相を呈していた。
あれだけ自分の個を失わないように人で居続けようとした彼女が、彼女で無くなっていく様は心に痛い。まるでそれは、平穏無事な毎日を失う証左のような気すらする。
ただ、問いかけに彼女は間髪入れず、首を縦にふる。真剣な目付きに迷いなど見えない。
続け様、だからお願い、と小さく頼まれた。その声は、情けない大人の声。師として振る舞ってきた彼女が、弟子に縋らなければ叶わない願い。
さんざはぐらかしてきた彼女の頼みに、応えねばならぬ時がきたのだ。
ひゅうひゅうという砂塵を散らす風に、嘲笑われている気になる。彼女の不安の混じる丸い瞳を細く見返す。
息を吸い、言葉を発そうと喉を絞った刹那、突如「スッパ様!」と響いた声に俺は呼び止められた。
その声は、列の先頭を進んでいた団員だ。切羽詰まった焦りの音に、何かあったのだろうと察しが付く。一瞬で真剣な表情を崩した先生の隙をつき、俺は身を翻した。
「スッパ君・・・・・・」と風に紛れて小さく聞こえた気がしたが、いやよそう。振り返ればきっと、彼女の切ない表情に今度こそ掴まれ動けなくなるだろうから。
「何事でござる」と俺を呼んだ団員の元へ寄ると、あれを、と進行方向先、既に暗がりの濃くなった砂地を指さされた。
一見なんの変哲もないような光景だが、目を凝らすと違和感がある。砂地に隠れるなにかがいる。
間違いない、あれはひっそりと息を潜ませ、砂漠の景色に擬態したトカゲ型の魔物──リザルフォスだった。
一、二体であれば、内勤の研究班といえど俺を呼ぶまでもなく即座に塵にしただろう。しかし、一定の間隔を設けながらもじっと動かないリザルフォスは、10や20を越えていた。暗がりの増した砂漠において、擬態した彼奴等を正確に数えるのは難しいが、群れといって差しつかない規模だ。
「どうしましょう」と背中越しに困惑を滲ませる団員。俺は一度腕を組んで、彼らへ振り返った。
「砂漠を迂回する時間が惜しい。少々数は多いが、掃討に無理があるとは思えぬ。このまま行こうかと思う」
「こ、このままですか・・・・・・?でも、奴ら私たちの倍以上は居ます」
「無論、無策ではござらん」
おそらく、この場にいるリザルフォスは徒党を組んでいるわけではない。群れにしては一体一体の間隔が広く、おそらくそれはお互いの縄張りであった。何らかの理由があって住処を追われ、互いを牽制しながらその場に伏せているだけなのだろう。
20を越える頭数が居れど、一挙に襲われる心配がないのなら攻め入る好機は簡単に作れる。
それになにより、団員の武力をはかるのにも丁度良い相手だ。研究班においてもっとも危惧する点を見極められるとあらば、利用しない手はない。俺は団員をその場に集め、簡潔に作戦を説明した。
今日一日の業務も終盤。どうしても隠しきれない疲労を滲ませながら、団員たちは至極真面目な顔で作戦を聞く。
「では、作戦通りに」という俺の合図を皮切りに目配せをし、それぞれの武器を手に、即席の陣形を組んだ。
まずは新人を中心に二連弓を持たせ、近場のリザルフォスに奇襲をかけた。
放て、の号令と共に、夕焼けをきらりと反射する矢尻が、一直線に暗がりへと飛び込んでいく。矢を受けそのまま塵と化すリザルフォスもいたが、それだけで全てを倒せるほど甘くない。一瞬のひるみの後、生き残ったリザルフォスがこちらに気付き、人ではあり得ない速さで猛進してくる。
それらを出迎えるのは、鬼円刃を構えた剣客隊だ。ほとんど新品のような刃を日に閃かせ、リザルフォスと彼らとの近接戦闘が始まった。
やつらは鱗の厚さや堅さによってその体色を変える。擬態している中で判別するのは不可能だが、立ち上がって向かってきたのは軒並み黒く、鎧のような鱗を持つものばかりだった。
色によってリザルフォスの中でも地位が異なるのか、切れ味の良い稀有な武具を持つ傾向もある。一太刀でも浴びれば致命傷となるほどの力も持つ一方、一対一で対処できるなら、どうということはない。
「スッパ様!作戦が上手くいってます、これなら無理なく進めますね!」
剣客隊によって次々に塵と化していくトカゲを見て、新人の弓兵がしんがりの俺へ振り返る。その上気した顔へ重く頷いてから、俺はまた、新たな標的に指示を出し、放てと号令を出す。
対戦経験の少ない研究班員といえど、彼らは作戦通りによく動いてくれた。最初こそ新人は弓を番えるのにすら震えていたが、慣れれば凛々しいものだ。
戦とは慣れ、──いわば覚悟だ。何事にも臆さぬ覚悟こそ、この戦時でもっとも誇るべき強みとなる。
この経験はきっと、諜報へ行かずとも彼らを立派な隠密へと成長させるに違いない。
・・・・・・しかし、拭いきれない焦燥感のようなものも同時に覚える。俺は剣客隊として、鬼円刃で戦う一人の団員──先生を捉えていた。
彼女の戦い方は異質だ。踏み込む足は勇ましく、リザルフォスの吐き出す水鉄砲や、舌先の猛攻にも怯むことなく立ち向かっていく。何の躊躇もなく脳天をかち割っていく様は、苛烈ともいえる様相である。
それは確かに覚悟だろう。この戦時において、最も重要な素質を持っているからこそ為せる業だ。
誇るべきだろう。尊ぶべきだろう。しかし、瞳孔の開いた目付きでがむしゃらに敵へ立ち向かっていく様は、知力ある先生の本来と言い難い。
いつ怪我をしてもおかしくない。いやそれどころか、いつ命を落としてもおかしくない戦い方に、俺は気付けば己の得物に手をかけていた。
「す、スッパ様?」
「リザル共がこちらに気付き始めているでござる。自分も出る。弓兵はそのまま射撃を続けよ」
「はっ」と団員からの返答を聞き、俺も鬼円刃を片手に戦闘の中心に出た。
未だに夕焼けは残っていたが、これ以上の暗がりに沈めば矢の照準がつけづらくなってしまう。リザルフォスは残り半数というところであったが、下手をすれば混戦になりかねない状況だ。早く終わらせたい。
新しく戦場に飛び出た上背のある俺は、きっと良い的だったに違いない。夕焼けを鈍く反射する槍と共に、こちらへ猛進してくるリザルフォスが見えた。
やつらの移動速度は人間のそれを優に超えているが、目で追えないほどではない。その素早さも、圧倒的な跳躍力も、全ては自重の軽さに起因していることを俺は知っていた。
走りながら振りかぶった柄に鬼円刃を構え、弾いた瞬間に体当たりをする。それだけでもリザルフォスは簡単に弾き飛ばされ、無様にも武器を落として天を仰いだ。喉元から腹にかけての皮膚が柔らかいのは、どの色のリザルフォスも同じである。翻る前に刃を腹に突き立て、広がりつつある暗がりに葬った。
一斉に飛び掛かってくるリザルフォスを相手に鬼円刃を振るい続けたが、それは日が落ちきるまでの刹那で、体感したよりも長い時間ではなかったはずだ。気付いた頃には、目に見えるリザルフォスはあらかた倒し終わっていた。
剣客隊が肩で息をつきながら辺りを見回す。砂埃にまみれている者ばかりだが、どうやら誰も大きな怪我はなく、片をつけられたようだ。此度の遠征も、漸く終了の目途が立ちそうである。
「よくやった、残りの始末は様子を見て、近くの者が──」
そのとき、ザザザ、と砂粒をまき散らすような音が確かに背後で聞こえた。
違和感に鬼円刃を構えながら振り返ると、その瞬間、砂地から何かが飛び出してくる。新手か。逆光を背負いながら影となったそれは、確かに大型トカゲの形を成していた。
跳躍し、地面に向けて突き出された刃を躱したまま、鬼円刃で横薙ぎにする。ギギギ、という鉄同士がこすれ合う音に、小さな火花。刃が鎧に防がれた。トカゲはまた大きく後ろに跳躍し、俺との間に距離を作る。
リザルフォスのとる、典型的な策だ。奇襲の初手を防げばどうということはない。・・・・・・しかし、引き締めた油断に忍び寄る、確かな焦り。何か俺は、重大なことを見落としている気がする。
ぱりっ、という奇妙な音が断続的に聞こえる。そして、リザルフォスの大きな角に纏う微かな閃光。日の沈みかけた暗がりだからこそ目立つ、その一瞬の瞬き。
ただのトカゲじゃない。それは砂漠に潜むシビレリザルフォスだった。
焦りの正体に思い当たった瞬間、予断を許さないシビレリザルフォスが突進してきた。俺に真っすぐ向けられるのは、錆のまわった刃の切っ先。それを寸でのところで鬼円刃の輪に通して無理やりに絡めとり、間髪入れず、奴の顔に蹴りを打ち込む。
グエ、と潰した蛙のような喉声で倒れ込んだところへ、首の柔く白い皮膚を一薙ぎにする。端から塵になっていくのを視界に収め、俺は戦場の中心に振り返った。
「砂地に新手だッ!気をつけよ!」
あらん限りの声で叫ぶが遅かったらしい。ところどころから「わっ」「うお!」と団員の声が聞こえてくる。
ほとんど日が沈み切る直前、これほど視界の悪い中で新たに奇襲をかけられれば、それぞれが手一杯となることは必至だ。場が一度に混戦となる。剣客隊はまだ良い。問題なのは弓兵か。
札術を用い、橙の発火に紛れて弓兵の元へ飛んだ。
「スッパ様!」
「来る、かまえよ!」
短く発した瞬間、砂の中から数体の影が飛び出してくる。ぱり、と、またあの放電の音が耳を掠め、彼奴等が闇に乗じたシビレリザルフォスだと分かった。
跳躍の勢いに任せて振り下ろされた片手剣を避け、力任せに攻め入る。場が騒然としており、何体いるか把握できない。猛然と刃を振るい、俺はただ目の前の敵を屠った。
まずい、と声が聞こえた。声の通りに振り返れば、視界に入ったのは一体のシビレリザルフォス。その目の前には肩を押さえて座り込む団員の姿。
弓が落ちている。攻撃を食らったのか。リザルフォスが頭を大きく回し、捻じれた角がパリパリと音を立て明滅する。やつと相まみえたことのある人間であれば誰もが知っている、放電をするための前動作だった。
走りながら、逃げろ、と叫んだ。しかし、その場を取り巻く緊張の中では自らの声すら聞こえず、しっかり発声できたのかも分からない。団員も、俯いたまま動かない。しかしそれは逃げないのではなく、逃げられないからだ。分かってる。だから俺が、早くいかねばならない。もっと、もっと早く足を動かさねばならないのに。
リザルフォスが角を地面に振りおろす直前、見慣れた橙の閃光が瞬き、団員が何者かに突き飛ばされるのを確かに見た。
半球状に広がる雷電に、場が昼間のような明るさに包まれる。放電音に紛れて、微かな女のうめき声。くそ、と舌打ちをして鬼円刃を投げつけ、トカゲの頭をかちわると、そのまま彼奴は塵と化していった。
既に日は落ち、場が暗がりと静寂に沈む。その場に残ったのは、肩を押さえながら呆けた顔を晒す弓兵と、装束を黒く焦がした、一人の団員の姿。
手に持った鬼円刃を落とし、前に倒れこもうとする団員を、寸でのところで抱き留めた。焦げたにおいが鼻をつく。団員は意識を失っていた。
なぜこんな無茶をと瞬時に思った。しかし、団員の顔を見て、つぶさに心情を悟る。それから、どっどっ、と耳元で聞こえるほど騒がしく鳴る心臓音を自覚した。
腕の中で瞼を閉じた彼女の顔を見て頭に上ったのは、叱責よりも、問いかけよりも、久しぶりに思い出した、己の無力さへの呪いだ。
艶やかな黒髪を無残な縮れ毛にし、白く柔らかな頬を黒く焦がした、団員。
それは、先ほどまで勇ましく鬼円刃を振るっていた、先生だったのだ。