【完結】かつて筆頭幹部には師と仰ぐ人がいた。

 コーガ様から申しつけられた苦言について、何の答えも出せぬまま数か月が経過した。
 あの日以来、コーガ様から「女の経験」と問われることはない。
 ただ、仮面の奥、成果を告げる俺を見つめるその瞳に、どのような思惑があるかを、誰が知っていようか。
 主は言葉なく、俺を責めているのかもしれない。年齢が浅いからこそ経験を積むべきだと、部屋へ訪れる度に叱責を思い出し、答えを導けない自分自身が悔やまれる。

 崖上を訪れる度、先生が口にする女の名前も、俺を微かに追い詰めた。
 「良い人、紹介するね」と言った先生は、その言葉通り、存在も知らない団員の詳細を、事細かに伝えてくるのだ。

「凄く可愛い子なんだよ、華奢で、女の子って感じ!スッパ君は、こういう子が好きなんじゃないかな」
「資材班の子は?スッパ君のこと、良いなって言ってたよ。私が取り持ってあげようか?」
「私の研究班でね、紹介できる子がいるんだよ、とっても性格の良い子だから、会ってみて欲しいな」

 崖の上で聞かされる話は、この頃もっぱら女の話ばかり。それがやけに楽しそうに見えて、その度、心が波打った。
 そんなどうでも良い話より、彼女の何でもない日々の話が聞きたかった。
 だが、嬉しそうに話をする彼女を遮ることもできない。俺は適当に相槌を打ち、ただ遠くの星を数えるばかりだった。

「スッパ君も、大人の階段を登るんだなぁ」

 いつも感慨深げに呟かれる一言に、どれほど俺が心を乱されていたか。
 彼女が俺の心算を知る機会など、この先もきっと、無いに違いない。




 その日、俺が任務で向かったのは、とあるひとつの村だった。
 何のことは無い、ただの偵察の任務である。王家の一個小隊がここ数ヶ月、ある村に留まり、何やら怪しげな作戦を立てているという話が耳に入った。
 以前より中枢に潜り込んでいた団員から話を聞き、彼を護衛しつつ谷に戻る。
 普段と変わらない、ごく簡単な任務のはずだった。

 手筈通り、俺は旅人に扮して、落ち合う約束の場で野営をした。林の奥、少し開けた場所に焚火を灯し、ツルギバナナを火で炙る。
 月光のない新月の晩。暗がりに存在するのは、この火の灯りのみである。

 暫く待っていると、俺の元へ松明の灯りが一つ、近づいてきた。焚火にひとつ木をくべて目を凝らすと、王家の紋を刻んだ鎧が見える。暗がりで顔は分からないが、ハイラルの一般兵士だった。
 俺は「こんばんは」と、ごく普通の旅人がそうするように、親しみの籠った音で声をかける。

「お邪魔でしたかな?」
「いや、今宵は月のない侘しい晩。連れができるのは喜ばしい」
「では、ご相伴に預かっても?」
「もちろん。ツルギバナナはお好きですか」
「ああ、大好きですよ。私の主もバナナが好きで。日に55房は食べることもあります」
「なるほど。それは上々」
「この前は、やけに不気味なバナナにも手を出しておりました。小さいのですが、やけに曲がりが強く」
「ほお、それはどういう?」
「いや手に負えませんで、すぐにでも捨ておいた方が良いと申したのですがね。今まさに、そこで」
「ふむ。興味深い。初めて聞く話です。詳しく聞いても?」
「私も初めて見たんです。金色の葉に、浅葱色の種子で。危ないバナナです」
「なるほどなるほど・・・・・・では、そろそろお暇を致しましょう」
「そうですね。お願いします」

 兜の奥に潜む暗い目をしっかりと見つめ、俺たちは立ち上がった。
 ツルギバナナを懐に、焚火には土をかけて消火する。
 よくある旅人が残した跡。後から来た者には、そうとしか見えないはずだった。
 完全な闇が俺たち二人を包み込んだ。星の光さえ感じない林の中を、俺たちは足先の感覚だけで進んでいく。

 と、突然、何か風を切るような音が、俺のすぐ横を通り過ぎた気がした。
 振り向く間もなく、先ほど俺と会話を交わしていた男の「う」という呻き声。その場に倒れこむ、どさりという草音。
 続け様に、それまで覚束なかった足元が、ぼんやりとした灯りに照らされる。取り囲むように、ぼ、ぼ、と次々に松明が焚かれ、俺たち二人は暗闇の中に浮き上がった。
 辺りを見回すと、そこには何人もの王国兵が剣を構え、俺たちを取り囲んでいた。
 感じられる敵対心、そして滲む殺意。湿気た林の空気を覆う、きんと張り詰めた視線と視線。

「泳がせた甲斐があった。やはり間者であったか」

 中央最前線に立つ身なりの良い男が、蔑みを滲ませて、倒れる男を見下ろしている。
 諜報員として潜り込んでいた団員の正体に、王家の人間が気付いていた。更に、彼が尻尾を出すその瞬間に罠を仕掛けていたのだと、理解するのは一瞬だった。
 中央の男が手を翳し、部下へと指示を出す刹那、俺は戦闘服へと衣を翻し、忍ばせていた風切り刀を手に構える。
 矢の突き刺さったわき腹を押さえる団員に、戦闘行為ができるとは思えない。せめて彼が逃げる時間を、稼がなくてはなるまい。
 それは幹部として。コーガ様の恩義に報いるため。俺自身の、存在意義のため。

 俺はこのとき、自分が培ってきた実力に誇りがあり、驕りがあった。
 55名の一個小隊とはいえ、王家の兵士は民間からの出の者が多いと聞く。俺の敵ではないと、高を括ってしまったのだ。
 実際、今まで実戦を交え、打ち取って来た王家の兵士は、名のある隊長といえど難しい相手ではなかった。
 その経験そのものが、俺の隙になっていた。・・・・・・その事実に、この一戦がなければ一生、気付けなかったかもしれない。

 大きく剣を振りかぶり、一斉に向かってくる兵士は、やはり大した訓練など受けていなかったのだろう。
 隙をつき、がら空きのわき腹を風切り刀で薙ぐだけで、数人の兵士がそのまま倒れ、動かなくなる。
 殺しそのものを目的とはしていないものの、遠慮は無用。なるべく腰を落とし、築き上げてきた腕力に物を言わせ、細腕で斬りかかってくる兵士を次々と平伏させていった。

 やはり想像通り、一個小隊は俺の敵ではなかった。酷く緩やかな突きを交わし、回転の反動をつけて蹴り飛ばせば、仕込み刀が喉に食い込み絶命する。背に斬りかかられても同じこと。気配を消さぬ兵士の行動を予想するなど造作もなく、振り向きざまに腕をふるえば、敵のわき腹に刃が食い込み、血の泡を吹かせた。

「く・・・・・・こいつ強い・・・・・・ッ」

 苦々し気に歯を噛み締める隊長格の男の声に、当然、としか思えなかった。
 何のことは無い、いつもの任務と同じである。簡単で、外ならぬ俺の日常ともいえる一幕。

 ただ、胸のざわつきを感じ、どこか言い知れぬ不安を覚えていたのも事実だった。
 人を次々と屠る中、脳裏を掠めていったのは、やけに不気味なバナナの話。
 諜報を行っていた彼が口にした「金色の葉に、浅葱色の種子のバナナ」とは、一体。

 先陣をきり、俺へ襲い掛かった一兵士どもを片付けると、辺りはまた緊迫感に包まれる。
 殺意を瞳に浮かべながらも、これ以上無暗に斬りかかっても無駄だと気付いたのだろう。隊長格の男は背に控える集団を手で制した。
 その隙に草陰へ身を伏せていた諜報の団員に一瞥くれる。撤退の合図である。彼は脇腹を押さえながらも林の奥へと進んでいった。
 瞬間、逃すまいと王家の兵士が足を出すが、もちろん俺が許すはずもない。刀を構えて立ちはだかると、改めて肌を裂くような緊張が走り、その場は僅かに頓着状態となった。

 と、その時。小隊の脇から全速力で走り抜けてくる人の姿を、目の端に捉えた。
 片手剣を横に構え、俺へ猛然と向かってくる獣。否。刹那だが、はっきりと修羅を見た。
 ぞくと背を駆ける悪寒。そのまま受ければ弾かれると確信し、風切り刀を握りこむ。咄嗟に縦へ構えた先に火花が散った。
 ギリギリと競るその力が、体躯だけでは明らかに勝る俺と互角だと、俄かに信じられなかった。

 こいつだ、と俺は生唾を飲んだ。兜から覗く瞳には生気がない。いや、俺の首を狙うその浅葱色の瞳は、殺意に満ちている。金色の髪色、下から覗く三白眼に、俺はこの時ほど死を覚悟した覚えもない。

 彼奴の刃は手数が多かった。それはそうだろう、それこそ片手剣の神髄だ。刀身を抜き、限界まで軽量化した風切り刀とはいえ、次々に繰り出される彼奴の猛攻全てを受けるのは難しい。
 相性が悪い、といえば言い訳になるのだろう。時間がたてばたつほど、俺の身体に無数の切り傷が重なっていく。
 逃亡という手段を、早くとらなければいけなかったのだ。俺に責任がある。情報を持った団員よりも、俺がここで死ぬ方がまだ意義があると、そう考えてしまったのが、最大の過ち。

 どれほど打ち合ったか分からない。俺の身体は限界を迎えていたのだろう。彼奴の重い一撃を受け、腕が痺れたその先に、振りかぶった片手剣を刀身で受けられなかった。
 俺は遂に、袈裟型に大きく薙ぎられた。
 ぽたぽたと踏み荒らされた野草に鮮血が垂れる。が、傷は恐らく深くない。血が水たまりを作るほど、多く流れているだけだ。
 ここまで自らの血に塗れるのは初めてだった。視界も朧で、未だ殺意に満ちた浅葱色の瞳が、俺を捕らえて離さないのは分かる。が、どうにも腕が動かない。
 ここまでか、と膝をつきかけたその時、彼奴の横から矢が飛んできた。
 恐らく俺にとどめを刺したかったのだろう。しかし、殺し合いを中断させたにもかかわらず、矢は俺の頬を無様に掠めたのみ。
それより重要なのは、彼奴の意識が、矢によって一瞬逸れたことだ。

 視線を逸らした瞬間を、俺は見逃さなかった。
 印を結び、発火と発煙の法が施してあるイーガの札を起爆する。彼奴が気付いたころにはもう遅く、辺りに札による白煙がたちこめた。
 その期に乗じ、俺は力の限り逃走し、命からがら難局を抜け出すことに成功したのだった。

 カルサー谷に着いたときの記憶は、余りない。
 自分のものかどうかも分からない血で真っ赤に染まる俺を見て、にわかにアジト内が騒がしくなったのは覚えている。あろうことか、コーガ様まで俺の元へとやってくる始末。
 情けなかった。主が何事かを言っていたのは分かったが、聞き返すより先に、俺の意識は途切れてしまったのだ。
 ・・・・・・これ以上の不甲斐なさと無力感に苛まれることは、今後の人生において一度たりとも無いだろう。



 俺は数日の間、布団の上で眠っていたらしい。
 全く意識が無いわけでもなかった。酷く長い夢を見ていたような、まどろんでいる最中のような。
 夢うつつの中で俺の意識を繋ぎとめていたのは、耳に届くさまざまな声。
 背筋が伸びるような声。頼りがいのある声。愛しさを覚える声。聞きなれた声。
 そして、決して思い出したくなかった、遠い過去の声。


「良かった、何もなくて」

「心配したぞ、大事なくて安心した」

「良くやったなぁ、頑張った頑張った」

『どこかへ行けば良いのに』

「無理しちゃだめだよ、本当に」

「すぐに良くなるだろうな、回復力が凄まじいってよ」

「ツルギバナナ、たくさん食わしてやるからな」

『そんな目で私を見ないでよ』

「貴方の話が聞きたいな」

「お前は本当に頼りになるから」

「随分成長したよなぁ。見違えたぞ」

『あんたはいらない子だから』

「あと少しだな、スッパ。心配したんだからな」

「そろそろか?スッパ、目覚ませよ」

「スッパ君に何かあったら、わたし」




 まどろみ、夢、過去の記憶。・・・・・・いや、それは俺が作り出した、幻聴、だったんだろう。
 夢と現実の境目は酷く曖昧で、過去と現在がない交ぜになった音に、胸の内が沈んでいく。
 両親に捨てられ、両親を捨てた。居場所のない俺は、長い間、ただ途方もなく広い地上をさまよった。
 俺を苛む当時の記憶を、随分久しぶりに思い出した。

 それでも、まどろみの中ではっきりと聞こえた声は、苛む声ではなかった。
 心配、激励、安堵。
 過去を捨てた俺の現在は、決して捨てた過去のように俺を突き放しはしない。
 酷く温かく、酷く柔らかく。俺がどれほど修羅の如く道を進もうと、きっと俺の帰る居場所は、そのままそこにある。
 たとえ俺が個を失おうとも、居場所さえあれば、彼らが俺を覚えてくれさえすればそれで良いと、心から思える気がして。




 目蓋を開けると、よく見覚えのある岩天井が目に入った。
 身体が鈍りのように重く、手の平で額を押さえるのがやっとだ。ついてこない視界で周囲を見回すと、どうやらイーガのアジト内だとは、理解できた。

「お目覚めですかッ、スッパさん!」

 俺が目覚めたとすぐに気が付いたのは、医療班の構成員だ。勢いよく身を乗り出して、俺の元へと寄ってくる。
 その大声が頭に響いて鈍痛がしたが、ぐすぐすと鼻声の彼に、そこまで口を挟む気概はない。

「俺は・・・・・・どれくらい・・・・・・」
「三日ほどです。傷はどれも浅かったんですけど、とにかく出血が酷くて・・・・・・大丈夫だとは思ってたんですが・・・・・・」
「そうか・・・・・・心配かけたでござる・・・・・・」
「あ、オレ、コーガ様を呼んできますね!」

 そのまま走り出す構成員の背を送り、天井に視線を戻した。
 道すがら、脇を刺された団員と合流し、なんとか戻ってきたことは覚えている。玄関先で膝をつき、そのまま倒れこんだことも。しかし時間の感覚だけは全く覚束ない。
 三日。夢と現に苛まれていたのは、三日、だったのか。

「スッパ!起きたか、心配したぞ!」

 コーガ様が気色ばんだ様子を見せたので、俺は思わず上半身を持ち上げようとした。が、思ったよりも重い身体に反応が鈍くなる。
 コーガ様の「いいから、いいから」という手つきに甘んじ、そのまま、また布団に身体を沈めた。

「このような結果になり、自分は何と言い訳をすれば良いのか・・・・・・」
「何言ってんだ。命あっての[[rb:物種 > ものだね]]だろ。生きて帰ってくりゃ、何でもいい」
「申し訳ござらん・・・・・・」
「それよりだ、帰って来た団員から聞いた。なんでもヤバい奴が兵士にいるって?お前に傷をつけたのは、そいつだな?」

 思い出すのは、浅葱色の殺意。獲物を捕えて離さない、見開かれた瞳。
 涼しい顔をしながら滲む獰猛さを思い出し、俺は言い知れない無力感に、両の拳を握りこんだ。

「はっ・・・・・・他の兵士とは一線を画す実力。彼奴の力は底が知れず、自分でさえ手も足も出ず・・・・・・」
「お前がそうまで言うとは、相当だな。最近王家の野郎共に大した動きは無いと思ったが、そいつが焦点になりそうだ。策を労しても、全てひっくり返す切り札に成り得る」
「自分がもう少し、情報を引き出せれば・・・・・・」
「いや充分だろ。団員からも話を聞いてる。お前はよくやった」
「あいつは全く、本気では無かったでござる。俺がもう少し足掻いていれば、もっと・・・・・・」

 今まで感じたことのない挫折感だった。幼少期、自分の無力感に苛まれた時分とも、全く違う感覚。
 彼奴の浅葱色を思い出すと、胸の内にぞわぞわとした炎が灯る。俺よりも随分小さな体躯。おそらく、人を欺き、屠った経験だって、俺の方が上だろう。
 しかしなんだ、あの瞳。修羅の如く気迫。生気を感じない、眼光。ただ俺を殺さんと見開く、一途な殺意。
 どこまで自分を犠牲にすれば、あれほど、人間味を失えるのか。

「・・・・・・スッパ、この前の話、覚えてるか?」

 言葉もなく拳を握る俺に、コーガ様は穏やかな声で、その場で中腰となった。

「お前、そんなやり方じゃあ、きっとすぐに死んじまう。こりゃあ俺の勘だがな、これから恐らく世界が動く。そん時、お前に居てもらわにゃ俺様困っちまうんだわ」
「自分は、死ぬつもりなど」
「お前は自己犠牲が強すぎる。どうにかなる前に、お前は力をつけなきゃならねえ」
「・・・・・・それは、つまり」
「女の経験積んどけ。お前に今必要なのは、腕力でも知力でもねえ。覚悟だ」
「・・・・・・」
「少し待ってやろうと思ったが、そういうわけにも行かなくなった。お前に丁度良い相手を俺様が見繕ってやる」
「・・・・・・」
「数日、待ってろ」

 俺が唯一忠義を捧げるコーガ様に、抗う選択肢などない。それを理解して、コーガ様も穏やかな声音を崩さない。しかしこの時ばかり、主のその優しさが、有無を言わさぬ重みとなった。
 コーガ様が立ち去ろうというにも拘らず、面を上げることもできない。
 足音が去って暫く経っても、その場でただ布団を握りしめるしか、俺には術がなかった。


[newpage]


 自由に動けるまでに回復し、俺が向かったのは、いつもの崖の上だった。
 あの場所へ向かうまでの崖上りが、数日布団の上で生活をするだけで鈍った体に、丁度良い。
 行き慣れた崖の上へ登るだけでも体中が軋み音を立てたが、生きている心地そのもののようにも思えた。
 それに、崖を登った先、朗らかな笑みを浮かべる彼女がいると思えば、これほどの労力は全く問題ではない。

 初めての体験を、彼女に伝えたいと思っていた。
 業務の内容は伝えられない。しかし、幹部として経験を積み、知力武力共に蓄えた俺が、圧倒的な敵を前にし、負けた高揚感を、彼女に伝えたかった。
 挫折。しかしそれこそ、俺がまだ成長できる余地。
 胸に滾る深紅の炎は激動の時代に向け、猛り燃え上がらせるしか行く道がない。

 夜風に汗ばむ身体を冷やされながらも、崖の上にたどり着いた。
 久しぶりの高揚感に身をやつし、辺りを見回す。が、・・・・・・俺が期待していたあの人は、その場にいなかった。
 誰もいない荒野。太り始めた月の面が、ただ空に散る星と共に、砂漠を照らすだけである。
 先生、と口にしても、声は砂を散らす風音にかき消されるのみ。
 ごく当たり前に享受していた彼女の存在に、今更ながら気が付かされる思いであった。

 行き場のない高揚感と寂寥感を纏い、アジトへ戻った俺に声をかけたのは、守衛を務める幹部殿だった。

「スッパ、先ほどコーガ様が来られてな。部屋に来いとのお達しだ」

 どく、と、心の臓が一段と高鳴った。
 幹部殿には一礼をし、そのまま主の部屋へと足を向ける。
 戸を抜けた先、椅子に座るコーガ様は、普段と変わらない様子で、俺を見返すだけだった。

「来たか、スッパ」
「・・・・・・」
「お前に丁度良い相手を見繕った。急ごしらえだが、その先に部屋も作ってやった。そこで今、女が待ってる」

 「男ンなってこい、スッパ」と、その声音は至って真剣で、相変わらず有無を言わせない物言いで。
 不甲斐なさに拳を握る。深く一礼し、コーガ様の部屋を後にした。
 俺のこのような経験にすら思いを馳せ、どうにかしようと手を回す。・・・・・・これからの出来事よりも、主に頼らねば進まなかったこの状況が、情けなくて仕方なかった。

 足が重い。・・・・・・重くて仕方ない。一種の任務だと思えども、好きでもない女と、経験を積むために伽をする。
 やり方も先達に聞いて知っている。どうなれば終わりで、何を避けるべきなのかも。
 しかし、俺がそれをやって、何が変わるのか?
 未だ主の口にした、実力不足や覚悟の意味が、俺は腑に落ちていなかった。

 コーガ様に促されたのは、今まで倉庫の一つとして人の出入りが少ない部屋だった。
 イーガ団のアジトは、恋人の逢瀬に使える場所がなく、伽に難儀する者が多いと聞く。急ごしらえとはいえ場所を宛がわれ、人の目や耳を気にする必要がないのは、喜ぶべきことなのだろう。

 その部屋と廊下は、即席の引き戸で区切られていた。
 中に、人のいる気配。気配を殺して生活をする者の多いこの集団において、なんと不用心なと、心に棘が立つ。
 しかし、そうも言ってられまい。中にいる女も、急な話で戸惑っているだろうから。
 俺は息を吐き、扉を一度に開けた。

 視界に入って来たのは、決して広くない部屋の中央に置かれる二組の布団。行燈ひとつで照らされた部屋の中は薄暗く、白い布団が灯りの橙色に染められている。
 しかし、それよりも目を奪ったのは、夜着を纏う女の姿。
 俺に背を向け、足を崩して布団の上に座っている。イーガを象徴とする黒い髪の毛は解かれ、肩の下までの長さ。
 裾から覗く足首は、地を駆ける隠密集団とは思えないほど白く、細かった。
 女は面を着けている。誰か知らない、分からないはずだった。しかし、後ろ姿とはいえ、女が誰かなど、理解するのは一瞬だった。
 全身が一度に発汗する感覚。胸を刺す痛み。どっどっ、と早鐘を打ち始める、心の臓。
 この人だったらと。そして、この人でなければ良いと、俺が今までどれほど思ったか、願ったか、分からない相手。

「・・・・・・先生」

 足を踏み入れた俺に応じ、遠くを見つめていた彼女は振り返った。
 その場へしずしずと居直り、膝前に手をついて頭を垂れる。いつもは頭上で結われている漆黒の髪の毛が、さらりと彼女の面を隠すように揺れ落ちた。

「コーガ様より命を受け、今宵、不肖ながらお相手いたします」

 ゆっくりと顔を上げる。見つめ合い、ふっ、と息を漏らす音。
 先生は自嘲気味に笑って見せた。

「なんて。・・・・・・人が悪いよね、コーガ様。こういうときだけ、先生だろって言うんだもん」

 面を俯かせる先生は、揺らめく黒髪に指を絡ませる。
 その面下で如何様な瞳の色を浮かべているのか、俺には分かる。切なさと、憂いと、諦めを滲ませた、美しい亜麻色の瞳。俺には向けることのなかった、その色味。
 彼女が頭に巡らせているのは、目の前の俺なのか、それとも、別の人なのか。

「・・・・・・自分は、無理に抱きたいわけではござらん、先生が嫌ならば、コーガ様に・・・・・・」
「ううん、嫌ってわけじゃないの。スッパ君こそ、ごめんね。もっと若い子の方が良かったよね」
「自分は、先生が・・・・・・」
「いいよ、無理しなくて。・・・・・・でも、いろいろ教えてあげられると思うから」

 俺は、彼女と[[rb:見 > まみ]]えたときと変わらず幼くて、彼女はいつまでも先を行く大人だった。
 しかし、彼女が口にした言葉の意味を理解できぬほど、何も分からない子供のままでもない。
 齢27。添い遂げる誰かを見つけていてもおかしくない年齢の彼女は、俺の知らない世界を知っている。

 彼女はもう一度、膝の前に手をついて、頭を垂れた。

「今日は、よろしくお願いいたします」

 白い首筋が行燈の光に映されて、いつもよりやけに、艶めかしく見えた。



 ・・・・・・これらは俺が17、もしくは18の歳の、出来事である。


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