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 赤のぼんぼり。白のぼんぼり。広間に吹き溜まった風に撫でられ、右に左にゆらゆらと。
 ゲルド高地へと陽は沈み、ほつほつ照らされる白面が、どこか楽しげに行きかって。
 ただただぼんやりしてたとしても、今日は許される。自然と、そう思えてしまった。


 ──今日は、先祖を慰霊する盆祭り。
 コーガ様に身命を捧ぐ我らイーガ団もご多分に漏れず、毎年大切に迎え、慎ましやかにおこなってきた行事だ。
 突貫で祭壇を建て、粛々と手を合わせるだけだった今まで。けれど今年はまるで違う。普段はしんと静まり返る深穴の間が、今日はガラリと様相を変えている。
 崖と崖の間に渡る綱にかかった、紅白の紙提灯。その下で煌々と照らされるのは、崖際を埋め尽くす多種多様な屋台だ。はたはたと靡くのぼりの隙間を、団員達がひしめきながら歩いていく。笑い声を隠しもせずに、それどころか仮面を額にかけてる人だって。
 ひゅう、と鋭い風の音がする度、刀の代わりに差した風車の羽が一斉に回り出す。そんな些細なことに気付いてるのは、きっとこの中で私だけ。それがおかしくて、笑えちゃって。

 まがりなりにも隠密集団だ。世に憚る私たちがどうしてこんなことになってるかというと、イーガ団の総長・コーガ様のたった一言に起因する。

 今年はよォ、パアッと盆祭りしてみようぜ。

 両手を広げ、団員の前で高らかに宣言されたのは、もう半月も前のこと。
 酔った勢いみたいな言葉でこうまで真摯に祭りが開催されてしまうのだから、団員の生真面目さにもほとほと呆れてしまう。

「────先生」
 
 崖際に座って祭りの光景を眺めていると、声をかけてくる人がいた。
 私の身体を影で覆いつくすその人は、イーガ団における筆頭幹部。
 ……もとい、幼馴染で、私の”イイ人”のスッパ君だった。

「久しぶりだね、スッパ君」視線を持ち上げて、それから頬を掻く。いくら関係が変わっても、彼は相変わらず文字を教えてあげた私のことを『先生』と呼び続ける。その強情っぷりったらない。
 とはいえ、彼と相対するのは半月ぶりだ。祭りの開催宣言をした主君が「陣頭指揮は任せたぞ」と彼の肩を叩いてからというもの、すれ違うときに「おはよう」「おやすみ」という挨拶しか交わすことがなくなっていた。文句なんかじゃなく、話したいことはたくさんある。
 けれど言葉を紡ぐより先に、自然と視線は後ろに向かった。
 彼はさっきまで、コーガ様のお酌に付き合っていたはず。遠目に、天幕の下に座る主君が見えた。機嫌よく平盃を煽っている。
 絡み酒から逃げてきたなら、おおいに匿ってあげよう。そんな広い懐のつもりでどうしたのかと問えば、彼は祭りに似つかわしくない硬い声で言った。

「先生……良ければ自分と、共連れをしてくれませぬか」
「えっ、共連れ?」
「はい。実は、コーガ様に頼まれものを任されたでござる」

 おもむろに懐へ手を差し入れて、一枚の紙を取り出す。
 なになに、と受け取ると、達筆の文字が紙面を黒く埋めている。スッパ君の見慣れた字だった。

「えーと……チョコバナナ、りんご飴、焼きそば、串焼き、オクタ焼き……」

 ひとつずつ口に出していくものの、全部読み切らない内に目で追うだけにした。筆録はまだまだ続いている。この会場で供されているすべての食べ物が書かれてそうだ。
 これを主君がひとりで? にわかに信じられず、「随分多いね」と呆れて見返すものの、彼は微かに顎を引くだけだった。いくら主君がバナナの倉庫番から怒られるほどの大食漢といえど、さすがにこの量を一度に召し上がるのはいかがなものか。

「それに、最後に書いてある『的当て』ってどういうこと? スッパ君がやってこいって?」
「うむ……。欲しいのは景品だから、誰がやっても同じだろうと……」

 スッパ君も腑に落ちていないらしく、言葉尻を曖昧にさせた。
 主君は気まぐれな性格で、団員を振り回すことも決して珍しくはない。いくらコーガ様命である我々団員だって疑問を抱くときは抱くし、「御言葉ですが」と返したくなるときだって、ある。
 けれどそれは、疑問が沸いたり言葉を返したくなったりするというだけ。結局「御意」と頷くのがイーガの団員なのだ。
 その筆頭が、彼なので。

「一人で持ちきれぬ故、手の空いてる者を共連れをするようにと仰せつかり」
「ああ、それで暇そうな私のところに来たんだね。荷物持ちとして」
「……その言い方は、些か聞こえが悪いが」

 一転して漂う不満の声に「ごめんごめん」とわざとらしくオチャラケる。私に対してはすぐムッとするんだから。
 とはいえ、半月ぶりに彼と過ごせるというなら、それに乗ってあげるのも私の役目だろう。祭りの間、彼とは喋る暇さえないのだと思っていた。まるで磁石みたいにコーガ様へくっつくんだろうって。
 それに私は、打ち上げ花火の担当だ。それは最後を締めくくる見せ場であって、祭りが始まったばかりの今、要するに時間を持て余していた。

「ま、出番もまだまだだし、いいよ」

 返事を待たずに、「行こう!」と足を踏み出す。どっちみち、それぞれの出店には顔を出す予定だった。
 背中越しに感じる、スッパ君の気配。こんな日でも足音を殺して歩く彼の、真面目なこと。融通の利かないこと。
 私は小さく笑み零しながら、ジャリジャリと砂をにじって、一番近くの屋台に近づいていった。



 まず初めに訪れたのは、「チョコバナナ」の屋台だった。
 ツルギバナナの果芯に、フィローネ産のカカオで作ったチヨコレイトを纏わせる食べ物。チヨコ自体がハイラルにおいて貴重な嗜好品で、砂糖やミルクをたっぷり使って作るものらしい。まさに今回の祭りにおける目玉スイーツと言えるはず。
 人数分準備できるか分からないという謳い文句もあって、屋台の前には深穴の間を端から端まで横断する行列ができている。どうやらこの上なく盛況みたい。

「らっしゃい! ……ああなんだ、お前たちか」

 並ぶことしばらく。漸く順番が回ってきた。チョコバナナの店をせわしなく切り盛りする団員は、普段表玄関の守衛を務める幹部だった。
 お疲れ様です、と声をかけると、彼は私とスッパ君の間で視線を振り、それから「ははあ」と顎をしゃくってみせる。

「二人揃って珍しい。恥も外聞もなく逢引きとはな」

 逢引き。「違いますよっ」と咄嗟に否定したけれど、商売するときの大声でそんな事言わないで欲しい。
「ははは」と悪びれなく笑う彼は、私とスッパ君の仲に通通だ。なにせ、示し合わせて外で会おうものなら、彼が監視する玄関を通らなくちゃいけない。
 とはいえ今までにここまで露骨に仲を揶揄されたことなんてなく、だからこそ、なんて対応すれば良いか分からなかった。彼も祭りに乗じて上機嫌なのだろう。仮面を巻き込んだ額の鉢巻が面白いやら、様になってるやら。

「コーガ様から使いっぱしりを頼まれたんですって。私は筆頭幹部殿に巻き込まれて……」
「言い訳不要。というか、堂々とすれば良いだろう。みな知ってることだ」
「そういう問題じゃありません、まるで分別のついてない若い衆みたいに」
「先生……今は」

 こそ、とスッパ君に耳打ちされて我に返る。そうだった、話し込んでる場合じゃなかった。一瞬で失敗の気持ちが沸いたけど、でも私は、この人に揶揄われてる被害者では?
 とはいえ、こんな細かいことに目くじらを立てるほど、私の構成員人生は浅くない。小さく肩を揺らし続ける幹部に不満をぶつけるつもりで「チョコバナナください!」と言い放つ。

「一人一本まで注文できる。何本だ? コーガ様の分だけでいいのか?」
「そうですね一本……でもせっかくなら私の分も貰おうかな。スッパ君は?」
「自分も、できれば」
「じゃあ三本で」
「……ん……? だがそういえば、コーガ様は……」
「え?」

 ふと漏れた幹部の訝しげな声。しかし彼はすぐに、「ま、いいか」とおどける仕草で肩をすくめ、「三本!」と叫びながら振り向いた。
 即座に飛んでくる「喜んでーっ!」という合唱によくよく見れば、後ろでは絶賛チョコバナナの作業中であった。バナナの皮を剥いて串に刺す係と、チヨコレイトを溶かしながらコーティングする係。この大盛況っぷりに商品が間に合ってないのか、みんなチヨコまみれになりながら大慌てで手を動かしている。
「事前に作ってた分は、あっという間になくなっちまってな」まじまじと覗く私に気付いたのか、幹部がどこか決まり悪そうに頭を掻いた。

 それから、チヨコバナナが届けられたのはすぐだった。
 「ほら」と差し出される得体の知れない黒い棒。緩く曲線を描く形はバナナそのものなのに、においも見た目もまったく知らないものみたい。
 ごゆっくり、と片手を上げた幹部は、次の瞬間には別の団員の対応を始めた。「よお、お疲れさん。久しぶりだな、チョコバナナは一人一本までだが、どうする……」

 そうして私たちは、凄まじい行列を作る屋台を後にした。
 歩きながらも私の興味を誘っていたのは、手に収まる一本のチョコバナナだ。

「これが……噂の……」

 仮面を上げながらすん、と鼻を近づけると、甘い香りが身体の中に入ってくる。どこか香ばしくて、でも華やかで。こんな匂い、嗅いだことがない。なんのにおいに近いだろう。
 堪らずに舌先でペロ、と舐めると、すかさず降ってきたのは「立ちながら食べるのは行儀が悪いでござる」というぼそっとした低い声。
 私は額に仮面をかけながら、「あのねぇ」と挑戦的な笑みを向けた。

「なに言ってるの、お祭りのご飯といえば食べ歩きだよ。知らないの?」

 祭りのときには一斉に露店が立ち並んで、老いも若きもみんながみんな、食べ物片手に辺りをうろつくんだ。移動しながら食べないと、祭りを楽しみつくすことなんてできやしねえんだ──。
 こうやって話してくれたのは、城下街にたびたび潜入をしていた団員だった。内勤業務で外出の機会がない私に、「せめて話を聞かせてやろう」って語る彼の口ぶりはほとんど自慢で、その思惑通り、当時は羨ましくって歯痒い思いをしたものだった。
 あのとき聞いたそのままの声を再現したものの、スッパ君は憮然としながら「……知らぬでござる」と一言だけ。この人、私が適当なことを言ってると思ってるな?

「じゃあ、今日でおべんきょしましょう。串に刺すのも、食べ歩きのための工夫なんだから」
「しかし、誰ぞにぶつかりでもしたら」
「いちいち座って食べてたら、いつまでたってもお使い終わらないよ! はい!」

 スッパ君の仮面をほぼ無理やりにずり上げ、「む」と山なりになった口元めがけてチョコバナナを突きつけた。微かに身を引いてみせる彼。逃すまいと下唇を刺す。
 むに、と唇を歪めたまま動かないこと寸刻、漸く観念したのか素早く口を開き、彼は突きつけた先っぽの方を齧っていった。スッパ君は、押しに弱いのだ。
 勝手に勝利の余韻を感じつつ、私自身もバナナに齧りつく。

「これは……!」
「うむ……」

 私たちは、顔を見合わせた。

「美味しい!」
「美味でござるな」

 口の中いっぱいに広がるフルーティな香りと苦味。舌の上に乗った瞬間にじゅわぁ、と蕩けていくのが堪らない。それらがバナナの持つ南国の果実味と絡み合って、いや覆ってくれて? ……良い表現が思いつかないけどとにかくとっても甘くて美味しい!
 もともと甘いバナナに砂糖をたっぷり使った食品を合わせるなんて、どうなるんだろうってちょっぴり不安だった。けど、甘さの種類が全然違う。こんな素敵な食べ物食べたことない。ああ、幸せ! そんな四文字が自然と浮かぶ。

 自分の分を食べ始める彼に倣い、二口目を齧った。三口目。四口目……少しずつ露になっていく串を見て、そういえば彼に一口あげちゃったんだとふと思う。いやいや、さすがに一口分を惜しむなんて、そんなの、さすがに浅ましい。さすがに。

「どのようなものかと思えば、チヨコレイトとは不思議でござるな。口の中にいれるとたちまち蕩けていくでござる」
「ね。中央の人たち、こんなの食べてるんだと思うとちょっと羨ましい。ハマっちゃいそう」
「しかし、いささか甘すぎる気がしてならぬ。自分はやはり、バナナのみが好みでござる」
「あ、そう? じゃあ残りの分は私が食べちゃうけど」

 片手を差し出せば、スッパ君の動作がぴたりと止まった。
 彼の串には、あと半分くらいのチョコバナナが残ってる。ザワザワザワ。周囲の話し声が横を過ぎていく。
 それから、喧騒に紛れて声にならない呻きが聞こえた。

「……一度、自分が口をつけたものなので……」

 スッパ君にしては珍しい苦し紛れの台詞に、「それじゃあ仕方ないねぇ」とクスクス笑った。





 結局私たちは食べ歩きをすることもなく、ひとしきり食べ終えてから次へ向かうことになった。

 祭りで買い集める食べ物は、そのほとんどが見たことも聞いたこともないものばかりだった。
 段々の台に等間隔で並ぶりんご飴は、ルビーで作った芸術品みたいに光を跳ね返していたし、半球状の焼き型で作るオクタ焼きも、ピックひとつで真ん丸に捏ねられる手さばきに驚き、いつまでも見ていられるようだった。
 深穴の間に、色とりどりの玩具をいっぱいいっぱいに広げたみたい。あっち行こうよ。こっち行こうよ。彼の裾を引っ張って、気付けば二人ですべての屋台を覗き込んでいる。
 好きな場所へ、好きな人と、好きなように歩ける。
 この日だけ、私たちは子どもの顔に戻ってたのかもしれない。

 そして私たちは最後、とある屋台に辿り着いた。

「お、スッパ様。お疲れ様です。一発やっていきます?」

 人垣のできた崖際。スッパ君が近づいた途端、自然と皆が引いていって、すぐさま最前線に躍り出た。
 長机を境に、縦に寝転んだ大人が二人分くらい距離を開けて、的が設置されている。よく見慣れたそれは、普段は弓矢やクナイ投げの練習に使っている的だった。
 けれど、机に並べられた的当ての道具は、そのどちらでもない。思わず目を近づける。

「これって矢? ずいぶん……小さいね!」

 手に取ったのは、広げた私の手の平よりも小ぶりな矢だった。普段使ってるものをそっくり縮めたような見た目で、矢尻も矢羽根もそのままだ。
 こんなに小さな矢、初めて見た。スッパ君も同じだったのか、しげしげと興味深そうに眺めてる。大きな指に摘まれる様は、もはや爪楊枝にしか見えない。

「いいでしょ~。この日のために丹精込めて作ってみました。いやあここまで細っこく木を削るのってなかなか難しくて」
「これを……弓で射るのでござるか?」
「手でひゅーんって投げるんです! 三本勝負で、的に当てたら豪華景品プレゼント! さあスッパ様、やりますか!?」

 的当ては、普段の鍛練に組み込まれたイーガの基礎技術。弓矢でもクナイでもなんでもござれな筆頭幹部殿だ。彼なら難なく景品を手に入れられるだろうと思っていたけれど、雲行きが怪しくなってきた。ミニチュアの矢を投げて的に当てるゲームなんて、やったことないに違いないだろうし。
 こんな手遊びを思いつく団員の発想力に唸っていると、スッパ君がおもむろに荷物を置いた。手指を伸ばしてバキバキと関節を慣らし、両肩を持ち上げては後ろに反らし──やる気満々みたい。コーガ様の言いつけとはいえ、遊びにも手を抜こうとしないところが、なんとも彼らしい。
 覗き込むように矢尻を見つめるスッパ君の隣で、私は団員に振り返る。

「ちなみに、景品って?」
「よくぞ聞いてくれた! なにを隠そう、鉄でできたバナナの文鎮だ! コーガ様が準備してくだすった特別製だぞ、しかもサイン入り!」

 団員が親指で示した先──的当ての横に、銀色のバナナが一本置いてある。
 バナナ。誰がどう見ても鉄のバナナだった。緩く描いた湾曲は張りがあって、未だ斑点の少ない採れたてを想起した。キュッと引き締まった茎は太くて、手で捥いだような筋の凹凸まで再現されている。
 紅のビロードの上へ厳かに奉られていたそれは、他に積まれる景品よりも格上として扱われているのが明白だ。
 私とスッパ君の間を、雷撃が駆け抜けていく。

「バナナの……」
「文鎮……」

 コーガ様が準備なさった特別製。おそらく世界でひとつ。だって、コーガ様のサインまで入ってる。
 ぎら、と、団員の欲望を逆撫でながら、バナナが光る。
 私達は拳を握って頷きあった。

「絶対取ってね、スッパ君!」
「御意。不肖スッパ、全力を賭して景品を狙いに行くでござる」

 パシン、と拳を打つ彼の面に、鈍色の反射光。闘志! これはもう、頑張ってもらうしかない。

 スッパ君が矢を構えると、誰かの「スッパ様が射撃なさるってよ!」という声が辺りへ響いた。
 彼は的当ての大本命といって過言ではないはず。あれよあれよという間に団員が集まってきて、気付けば構成員も幹部も入り混じりの物見客に囲まれた。

「やれやれスッパ! 一発で当てろよ!」
「筆頭幹部の力みせてやれ!」
「バーナーナ! バーナーナ!」

 あちらこちらから怒号に近い激が飛ぶ。「静かに静かに!」と口元に人差し指を立てたけれど、血気盛んな彼らが一構成員の言うことを聞いてくれるわけもなく、熱気は増すばかりだ。普段抑圧された生活だからか、タガを外した彼らは手に負えない!
 こんな野次馬的騒ぎの中、集中なんてできるのか──ちらりとスッパ君を見上げると、裂傷の入ったイーガの瞳がまっすぐに正面に向けられている。まるで二本の愛刀を構えているときみたいに。
 ぎゅ、と身体が縮み上がる。緊張してるのは、きっと私の方だった。固唾を飲み、矢を摘む指先を見つめる。
 頑張って。口の中で紡いだ瞬間だった。

 指がゆっくりと手前に動き──ヒュッと素早く突き出された。
 ストッ。乾いた音が続く。

「どう……!?」

 崖へまばらに設置された的には────見当たらない。当たっていない。どこに?
 的の端を掠めて、後ろのガケに突き刺さってるのが見えた。
 「あ~」と、周囲から呻き声の波が沸く。

「今ので……なるほど」
「頑張って! あと二本!」

 やいのやいのと騒ぐ応援を受けつつ、スッパ君は改めて爪楊枝……に、見える矢を摘んだ。
 指先で矢柄を揉んでから、すっと構える。今度は投げるのが早かった。ひゅんっ、と音を立てて風を切る矢が、気持ち良い音をたてて突き刺さる。
 的の端っこだ。ギリギリ内側に、刺さってる。

「当たった! ってことはバナナの文鎮!?」
「おめでとうございます! けど景品はど真ん中に当てた人だけ! 端っこはノーカン!」

 俄かにワッと沸き立ったものの、ヘラヘラ答える構成員の一言で、すぐさま消沈する。そういうこと、先に説明しといてくれないかな。
 けれど、スッパ君は落ち着いたものだった。ばらけた矢羽根を丁寧に指先で撫でつけて、矢柄を指で擦る。仮面を俄かに持ち上げて唇を晒し──どうやら濡れた唇で風向きを読んでいるらしい。彼は本気だ。
 そうして上段に構えた。

「頑張って、スッパ君……!」

 最後の投擲の瞬間だ。皆が息を飲む。さすがにさっきまでうるさかった団員も静まり返り、異様な緊張感に包まれる。

 ただ一点を見つめるイーガの瞳。それが一瞬、またギラと鈍色に光った。
 ひゅっ、と矢尻が空気を割いて、突き進む。
 結果は──。




















 手に全ての商品を提げて、私たちはコーガ様の御前に向かっていた。
 私の二、三歩前を、黙って歩くスッパ君。その腰ベルトには、カラカラと風車が回ってる。
 幼少期に同じ物を厚紙で作ったことがあるけれど、装束を思わせる紅色で可愛らしい。
 的当ての、参加証だった。

「残念だったね。まさか割れちゃうなんて」
「……」

 矢の的は、輪切りにした丸太に、円を描いただけのものだった。当たり所が悪かったのか……いや、良過ぎたというべきか。目でも追えないスピードで投げられた小さな矢は、突き刺さった衝撃で的を真っ二つに破壊してしまったのだ。
「鍛練班に貸し出してもらったのにッ」という団員の悲痛な声が蘇る。
 当たりはしたけど、真ん中かどうかはもはや分からないし、壊した上で景品を持っていくなんて強盗のやることだ。
 景品は辞退して、代わりに風車を受け取ることにした。

 屋台を離れ、粛々とコーガ様の元へ進むスッパ君の足取りが鈍い。
「コーガ様になんと申せば良いか……」と落ちた声でぼやく彼に「参加証でも許してくれるよ!」とは慰めたけど、仮面に落ちた陰りはなくならなかった。
 でもよく考えたら、的当ての景品は誰であろうコーガ様が準備したものだという。コーガ様のサインが入ったバナナの文鎮を御本人が欲しがるなんて妙だ。とはいえ、普段からなにを考えてらっしゃるのか分からない御人だし、下っ端が思いを巡らせてもお考えを理解できると思えない。

 このお祭も、そろそろ閉幕のときを迎える。
 ゲルドの空はいよいよ漆黒の夜闇一色で、明々とした底からじゃあ、目を眇めても月や星がどれほど瞬いているか分からない。薄ぼんやりとした光りのシーツが空を覆ってるみたいだ。
 前を歩く大きな背中がなにも言わないのだって、暗に今日の日が終わることを予感させてるように思える。私も、そろそろ自分の仕事に向かわなきゃいけない。

 御前に辿り着くと、肘掛けに凭れた主君がやにわに居直り、「おう、あんがとな!」と迎えられた。

「待ちくたびれたぜ~、全部持ってきてくれたか?」
「はっ、ここに」

 揉み手するコーガ様の前に膝をつき、依頼の品を並べた。
 チョコバナナに、リンゴ飴。それに串焼き、焼きそば、オクタ焼き。最後に風車を添えて、この祭りで提供されているすべての食べ物が一堂に会する。まるで屋台の縮図だ。
 ひとりで持ちきれない量の食べ物は、当然、ひとりでは食べきれない量だろう。
 本当にこれら全部をおひとりで? 圧巻の光景に改めて閉口していると、主君はひょいひょいといくつかを自分の元に手繰り寄せて、後の残りを私たちの方へと寄せてくる。

「ほい、じゃあ、これお前らのな」
「……、えっ!」

 まったく予想だにしていなかった台詞だ。瞳をパチクリしながら主君を見返す。
 チョコバナナを頬張り始めたコーガ様に、スッパ君も面食らった様子を見せた。

「コーガ様が召し上がるのではない、でござるか」
「あのなぁ、俺様をなんだと思ってやがんだ。さすがにこんなに食えるわけねえだろ? 最初っからスッパの分ありきだよ」
「さ……左様でござったか」
「ああ、それとな。そろそろ花火の時間だろ。陣頭指揮ついでにちゃんと打ちあがるかどうか、お前も確認しに行ってくれないか。作り手サマと一緒に」
「は……」
「な、いいだろ?」

 あっという間に食べきったチョコバナナの串を突きつけられて、私も仮面の下で呆けてしまった。

 花火の確認なんて、正味私一人で十分だ。花火を打ち上げる係は別にいて、きちんと放射状に広がるかどうかを記録したいだけ。それは今回、ゲルドくんだり中央にまで行って花火作りを勉強した、最後の責任みたいなもので。
 作業自体はこの場でだって無理なく叶う。彼と二人で確認する必要性はどこにも──。

 そこでふと、違和感の正体が、唐突に頭を巡った。
 守衛の幹部が漏らした一言。コーガ様が準備をした的当ての景品。祭りに供されるすべての食べ物を欲しがった主君。
 もしかして、コーガ様は、最初から?

 思い当たった瞬間、ふつ、と頬に血の気の回る感覚。それから、口先が緩んで仕方なくなった。
 照れでもあったし、恥でもあった。けれどこれは……そうだな。嬉しさが一番近いんだろう。
 私たちを見てくれてる主君は、なんともお世話しいなんだから。

 隣で一緒に膝をつくスッパ君と顔を見合わせる。じっとしてると、小さく肩を竦める気配に続き、妙な空気を正すように彼が咳ばらいした。仮面の下でどんな居心地悪い顔つきになってるか、素顔を知る私には想像がついている。

「では、コーガ様のお言葉通りに」
「おう。くるしゅうない」
「なにかあれば、合図を送ります故」
「ん、分かった」

 手を振るコーガ様に二人揃って頭を下げ、荷物と共に立ち上がる。
 焼きそばをかき込み始めた主君にもう一度頭を下げると、早く行けとばかりに手で払われてしまった。
 
 目指すは崖上。
 何者も遮るものなく花火を見られる、空に一番近い場所だ。











「────わぁっ」

 深穴の間を取り囲む崖の上、眼下に広がる光景に息を飲んだ。
 赤のぼんぼり。白のぼんぼり。風に吹かれてゆらゆらと。
 ひしめく仮面が紅白の光に浮かび上がって、その瞳は動かないのに笑ってる。
 岩場の凹凸すら暗がりに沈むゲルドの大地で、ここだけが、ぽっかりと丸く繰り抜かれた、万華鏡の中みたいに。

 下からの灯りにぼんやりと照らされながら、私とスッパ君は崖際に注意深く腰掛けた。

「あ、コーガ様だ。こっちを見てらっしゃる」

 足を投げ出して寛ぎながら、コーガ様がこちらに向かって片手を挙げていた。
 私たちも手を挙げて応えると、それで主君は満足したみたい。近くを通りすぎる団員を呼び止め、絡み酒を始めたようだった。
 
「……ってことは、私たちの姿はみんなに見えてるわけだね」
「左様でござるな」
「じゃあ、変なことしないように気をつけなきゃ。……気をつけてね、スッパ君」

 肩をぽん、と叩く。スッパ君はなにも言わず、小さく首を引いてみせるだけ。心当たりがあるのか、反論も面倒だと思ったのか。そのどっちかだろうけど。

 それからは二人で、お祭りの様子をただ黙って見つめた。
 下の喧騒は、崖の上からでも微かに耳に届く。客寄せで張り切る声。ときおりドッと沸き立つ談笑の声。誰かが歌う旋律。囃す口笛。
 砂嵐が耳を過ぎるよりも絶え間ない、人の笑い声がさんざめく。
 焦点も合わさずに暗闇に浮かぶ光景を眺めていると、なんだか夢の中にいるみたい。全部が全部、現実ではないような不思議な心地。

「……楽しげでござるな」
「……うん、みんな楽しそう」

 数週間。準備は大変だった。けれど、今こうしてお祭りを眺めていると、良かったな、って自然と頭に上る。
 アジトが壊されて、厄災が滅んで、生き方を模索して。盆祭りにこんなことができるくらい、やっと体裁が整った。
 このお祭りは迎え火だけじゃなく、復興祭って意味もあるのかもしれない。
 はぁ、と身体の中から吐き切るくらい長く息を吐いて、後ろ手をついた。

「やって良かったね。私も、君と回れて楽しかった」

 今回はコーガ様にお世話を焼かれてしまったけれど、今度は素直に二人で楽しんだらどうかしら。
 チョコバナナを食べ歩きして、焼きそばをどこかの隅っこで食べて、的当てをやって、風船釣りをする。
 訥々と呟きながら、ふと思う。私も随分「そうなればいいな」ってことを想像するのが上手になった。「今度したいこと」が自然と沸いてくる。
 それってたぶん、彼と一緒にいるからだ。
 楽しいな。楽しいね。私だけじゃなく、彼もそうだったらいいのにな。

「ねえ、スッパ君はどうだった?」

 幼少期からずっとアジトで過ごしてる彼。お祭りに参加したのは、今回が初めてだったはずだ。チョコバナナだって、的当てだって、参加証の風車だって、全部全部。
 今のこの瞬間は、彼の中に積み重なってくれるかな。

「自分は……」

 一度言葉を切って、静かに息を吸う。カラカラカラ、と腰ベルトの風車が微かな音をたてた。
 それからスッパ君は、ゆっくりと深穴の間に視線を下ろす。

「……楽しかったでござる」

 その声は穏やかだった。じわっ、と胸が熱くなるような。息交じりの。そのままなんでか、私の鼻先まで熱くなって。
 「来年も、またやりたいね」漏らした声が上ずった。

「……先生」
「あ、そろそろ上がるみたいだよ」

 下で手を振るコーガ様が、空の一方を指さした。それはビリディン高地の方角で、あそこにニョッキリと生えたシーカータワーから花火を上げる算段になっている。
 それまで屋台に夢中になっていた団員達が、みんなして空の一方を見つめ始めた。

 空には、真ん丸の月に、蛍が飛び交うような星が散らばっていた。いつもは真っ暗闇を照らしてくれるのに、今日はやけに霞んでる。それはきっと私たちの所為だろう。

 やがて、ひゅー……と笛のような音が響いた。
 一瞬音がしなくなって、身体に響く、ドーン、という爆発音。
 赤い光の粒が、大きく、円く、空に広がっていく。

「わあっ……!」

 花火。花火だ。火の粉の花。ああ、こんなの初めて。綺麗だな。眩しいな。
 
 息を漏らした瞬間だった。ふと、地面に置いた手の平に、暖かい感触が触れる。
 隣を見れば、スッパ君の仮面が私を見てる。ドーン。二発目の音と共に、面を裂く過去の傷が、影を深める。指が絡んできて、私も、応じるように彼の指を握った。
 手の平に巻いた帯越しに触れる、指の付け根の凹凸。二人で交わした、新たな契約の証。
 彼のもう片方の指先が、私の仮面をほんの少し掬ってく。
 それから彼がクッと近づいて、口元に、柔らかな感触が降ってきて。

「……変なことしないって言ったのに」
「……皆、花火を見ている故」

 言い訳にもならない声だ。けれど文句を言う前に、彼は私を引き寄せる。
 彼の体温を感じる。暖かかった。落ち着く体温だった。彼とくっつくとき、私はいつもこうだった。
 胸板に頭を預ける。

「だったら、いっか」

 風に吹かれる風車が、楽し気な音を鳴らして回ってた。












 今日のこの日は無礼講。風車が吹けばぼんぼりの夜景が蘇る。
 ハレの日を盛大に。
 ケの日常を粛々と。
 これからも続くとりとめない日々を、この人と見つめていきたい。
 ……私はただ、そう願ってしまうのです。
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